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2014年02月21日(金)「戦後、最高の総理は誰だ!?」(わいわい→ランキングモード)

みんなで議論するわいわいモード

■テーマ

みんなで語る!決める!考える!

戦後、"最高"の総理大臣は誰だ!?

★スタジオゲスト

政治学者の

御厨 貴さん
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ライターで編集者の

速水 健朗さん
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TBSラジオ・国会担当

武田 一顯記者
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★Sessionファミリーがアンケートで参戦!

ジャーナリスト

神保 哲生さん

ぼくの一押しは石橋湛山首相。
ぼくは日本がこうあるべき、世界がこうあるべきといったビジョンを持った
政治家に首相になって欲しいという思いがある。
石橋はその意味で明確なビジョンを持ち、
そのビジョンを実現する具体的な行動を取った数少ない政治家だったと思う。

首相としては2ヶ月という戦後3番目に短い在任期間だったが、
戦前はジャーナリストとして満州の放棄や軍国主義反対を唱え、
戦後は大蔵大臣や通産大臣として積極財政主義や
傾斜生産方式など高度経済成長の基礎となる制度を確立した。

1956年に首相に就任するが予算審議の大切な時期に風邪をこじらせ、
在任2ヶ月であっさり首相を辞任。首相の地位に恋々としない潔さを見せた。
自身が辞任後首相の座についた岸信介首相が、
日米安保条約改正などアメリカ一辺倒の路線を進んだのに対抗し、
世界平和のためには日本が中国やソ連とも友好関係を持つ必要性を主張。
自身も日中関係の促進に尽力した。

特に石橋が提唱した「日中米ソ平和同盟」は日本が架け橋となって
冷戦構造を打ち破ろうという野心的な構想だったが、
中国の周恩来首相はこれに賛同し、
「日本と中国は両国民が手を携えて極東と世界の平和に貢献すべきである」とした
石橋・周共同声明を発表している。これが後の日中共同声明の基礎になったと言われている。



三菱UFJリサーチ&コンサルティングの

片岡 剛士さん

戦後最高の総理大臣は池田勇人である。

池田勇人は「所得倍増計画」を実行し
高度経済成長を主導した首相として名高い。
ただしこうした評価には誤解があり、
誤解されている点こそ「今」重要です。

「所得倍増計画」とは10年間で所得を2倍にするという
文字通りの「計画」でしたが、
池田本人は「私は統制経済や経済計画論者ではないから、
十年という期間を限定して、
計画的に月給を二倍にするとは言いもせず、考えてもいない」と述べ、
実は「計画」という考え方を否定していました。

池田とそのブレーンである下村治が推進したのは「所得倍増政策」であって、
これは民間の創意と工夫こそが経済成長の推進力であり、
政府は民間の自由な経済活動をサポートするための補完的な役割に徹すべきという
発想に立っています。
こうした発想からは、政府(お上)が決めた
「成長戦略」が日本経済を成長させるという考えは出てこないのです。

高度経済成長は偶然成立したのではなく、
政府の側にも秘密があった。
その秘密を解くカギは池田勇人にあると思います。



TBSラジオの

崎山 敏也記者

戦後最高の総理と考えるのは「石橋湛山総理」です。

私は、様々な取材の過程で「政治」に関わることはよくありますが、
「政治家」そのものを取材したことはほとんどありませんので、
あくまで人としての評価です。

石橋湛山は戦前、雑誌「東洋経済新報」で活躍した
ジャーナリストです。
昭和に入った頃から敗戦まで、編集の総責任者をつとめ、
一貫して自由主義や、朝鮮、台湾などの植民地を放棄して、
国内の経済活動を活発化させようという「小日本主義」を唱えました。
「満蒙は日本の生命線」という国策を大多数の国民が支持していた時代、
軍部からも目の敵にされましたが動じず、
記事の差し止めなどの処分も受け続けながら、
戦時中も雑誌を出し続けました。官僚主義の打破、
地方分権の主張などは現在も見るべきものがあると思います。

終戦直後、靖国神社の廃止をいち早く唱えたのも湛山でした。
総理就任早々病で倒れ、わずか2ヶ月で辞任しましたから
「総理としての力量」はわかりません。

しかし、もしこの時病を得ず、数年間活躍したならば
日米日中関係や経済政策でどんなことを成し遂げただろう、
と考えることがあります。
なお、辞任の際も大変潔いという印象が残っています。



首都大学東京准教授の

木村 草太さん

戦後最高の総理大臣といえば、もちろん安部晋三現総理大臣です。
彼ほど、戦後レジームおよび日本国憲法の重要性を
根底から考えさせた総理はいません。

痛ましい第二次世界大戦を教訓に、
世界各国は、国際平和秩序の構築に努力し、
日本国民は、民主主義と立憲主義の確立のために努力してきました。

こうした努力は、完全ではないかもしれませんが、
高く評価されるべきものです。
我々は、戦後70年近くも続けられてきた、
先人たちの努力に感謝し、
国際平和と民主主義・立憲主義を確立する努力を
引き継がねばなりません。



麻木 久仁子さん

「歴史に"もしも"はない」と言いますが、
もしも病に倒れなければ戦後最高の総理たり得たのはのは
『石橋湛山』であったろうと思います。
戦前は経済合理主義的立場から帝国主義を批判し膨張主義を戒め、
戦後はアジアとの関係改善、誠意ある戦後賠償、
限定的再軍備を唱え、各国の民族主義や
ナショナリズムこそが平和共存を妨げるものと認識していました。

また一貫して、資源なき国の財産は「人」であるとし、
雇用創出の重要性を説きました。
この国の戦後の形が固まる時期に、
石橋湛山が任期を全うしていたなら、どうだっただろうか。
いま、石橋湛山がいたならどうだろうかと、
空想せずにはいられません。

ところで、戦後の総理といっても、小選挙区制導入以降、
総理を総理たらしめる政治基盤が変質したと感じます。
したがって以前と以降はなかなか比べにくいのですが。
小選挙区制導入以降の総理の中では、
福田康夫氏はもう少し評価されても良いような気がします。
政治主導での公文書保護法を導入、日中関係の改善は成果であり、
また大連立構想は
(当時は私自身、大反対だったのですが)
いまにして思えば先見の明があったと。
あれが成立していたら、現状はなかったと。
これもまた"もしも"ですが。



ジャズ・ミュージシャンの

菊地 成孔さん

ワタクシの選ぶ戦後最高の竿売りは、中曽根康弘さんですね。
政策、自分が青春期を過ごした時代、そして、顔、総合的に判断して、
この人です。
(番組スタッフによる聞き書き)



フリーライターの

藤木TDCさん

三木武夫

三角大福の自民党戦国時代に田中金脈問題で
棚ボタ式に首相になった少数派閥の長であり、
バルカン政治家なんていう揶揄もありましたが、
まずは政治資金規制、できなかったけれども
自民党内で企業献金全廃をめざした、
それからロッキード問題の追求と非常に志の高い首相でした。

大派閥拮抗のなかで少数派閥でありながら
存在感を失わなかった立ち回りの上手さは、
欧米や中国、ロシアなどの大国の間で
日本が生き残る戦術外交に応用できたのでは、
とも思ったりします。

結局、数の論理で潰されたわけで、
派閥政治の中ではありえない話ですが、
三木武夫がもっと長い期間首相をしていれば、
自民党や日本のあり方もだいぶ変わっていたのでは。

少数政党乱立時代には、彼のような政治家が
まとめ役になる可能性があり、
今日に待望されるタイプでもあると思います。



★リスナーとSessionファミリーの投票で作成した
 『戦後最高の総理ランキング』

32位 芦田均 0票
32位 片山哲 0票
28位 海部俊樹 1票
28位 岸信介 1票
28位 鳩山一郎 1票
28位 幣原喜重郎 1票
26位 竹下登 2票
26位 福田赳夫 2票
25位 東久邇宮稔彦王 3票
22位 橋本龍太郎 4票
22位 羽田孜 4票
22位 鈴木善幸 4票
18位 福田康夫 5票
18位 細川護煕 5票
18位 宮澤喜一 5票
18位 宇野宗佑 5票
16位 野田佳彦 6票
16位 森喜朗 6票
15位 麻生太郎 7票
14位 村山富市 8票
13位 大平正芳 9票
12位 鳩山由紀夫 10票
11位 池田勇人 11票
10位 安倍晋三 14票
9位 佐藤栄作 15票
8位 小渕恵三 17票
6位 三木武夫 18票
6位 石橋湛山 18票
5位 菅直人 24票
4位 吉田茂 30票
3位 中曽根康弘 38票
2位 小泉純一郎 58票
1位 田中角栄 89票

荻上チキ、南部広美
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