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2015年9月 アーカイブ

2015年9月 1日

イベント「最強の運命論」の運命※締めきりました!

※おかげさまで満員御礼!受付を終了しました!!


文化系トークラジオLifeトークイベント
「最強の運命論」の運命

文化系トークラジオLife、サブパーソナリティの斎藤哲也です。
長らく温めていた「哲学系トークイベントLife」の企画が、9月のイベントでようやく実現する運びとなりました。
今回のテーマはズバリ「運命論」。
そもそも「運命」とは何なのか。「運命」は受け入れるものなのか、それとも切り開くものなのか――。
7月に新著『あるようにあり、なるようになる――運命論の運命』を上梓した哲学者の入不二基義さんと、『未知との遭遇』で「最強の運命論」を言挙げした佐々木敦さんの二人をお迎えして、2時間たっぷりと運命論トークを繰り広げます。はたして、「最強の運命論」の運命はいかに!?
みなさんのご来場をお待ちしています!

日時:2015年9月22日(火) 18:00~20:00 (開場17:30)
場所:紀伊國屋書店新宿本店8階イベントスペース
参加費:1500円(当日、入場時にお支払いいただきます)
ご予約:9月1日(火)~
店頭およびお電話にてご予約を受け付けます。
※ご予約は新宿本店3Fカウンターにて受け付けます。
※3F直通電話番号03-3354-5703
定員:45名
※定員数に達しましたので、受付を終了しました。
出演:入不二基義、佐々木敦、海猫沢めろん、斎藤哲也
https://goo.gl/Z26tLW


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2015年9月 2日

2015年08月30日Part1 「ブロック化する社会をどう生きるか」

撮影:松谷創一郎
P8313628.JPG
                   鈴木謙介(charlie)


「ブロック化する社会をどう生きるか」Part1

※再生できない場合は、個別ページTBSラジオクラウドにてお聞きください。
※最新エピソードはユーザー登録なしでお聴きいただけます。

◯charlieのOPトーク
・『カーニヴァル化する社会』を出版して10年(charlie)
・10年前から人が集まる現象とネットの繋がりについて言われていた(charlie)
・1995年、薬害エイズ問題(charlieさん当時大学1年)(charlie)
 →小林よしのり『ゴーマニズム宣言』を読みデモ参加を悩むが不参加(charlie)
・デモに対して居ても立ってもいられない気持ちは全く感じなかった(charlie)
・この盛り上がりみたいなものって一体なんなのだろうと考えてみたい(charlie)
・あるところから問題が見えていても、違うところからは見えていない(charlie)
 →誰にでも関係ある問題なら「見えていませんでした」ではすまない(charlie)

◯出演者それぞれの感じる「ブロック」
・気に食わない人を見えなくする「ブロック化」(charlie)
・仲間内のかたまりである「ブロック化」(charlie)
・最終的にブロックせず生きていけたらいい(charlie)
・こどものしつけについての「ブロック化」(メール)
・『カーニヴァル化する社会』は感慨深い1冊(斎藤)
 →未だになぜ『カーニヴァル化する社会』が売れたのか不思議(斎藤)
 →10年前、この手の議論は新書では出ていなかった(斎藤)
・ブロックしようにもスマホ持っていないからピンとこない(海猫沢)
・ゲーセンで知らない人に話しかけたらブロックされた(海猫沢)
 →同じゲームをやっているから仲間だと思ったら...(海猫沢)
・若い人たちのファッションが同じ(charlie)
 →昔は系統、今はニコイチなど完全に同じ衣装でブロック化(charlie)
 →属性で系統にくくれないような性格、部分的複雑化(塚越)
・最初はみんなで盛り上がるけれども、どこかから分裂する(塚越)
・ライター西森路代さん登場
 →遠征帰りのライブツアー客に感じるブロック感(charlie・西森)
・政治と生活の繋がり(速水)
 →夫婦で意見を言わずとも、同じものを食べ、一緒に生活は送れた(速水)
 →震災後、食べるものも変わってきて、意見を言わざるをえない状況(速水)
・社会学者の仁平典宏さん初登場
 →著書に『「ボランティア」の誕生と終焉』(斎藤)
・出囃子はMONKEY MAJIC「Headlight」(仁平)
 →2011年震災後にテレビ朝日の震災関連番組で盛んに流れていた(仁平)
 →311は多くの人にとっては過去の出来事に(仁平)
・実際に何か行動するときに気に食わないからブロック、とはいえない(charlie)
 →折り合いをつけて前に進もうとしている人がいる(charlie)
 →そういう人達のことを知っている人からのご意見を伺いたい(charlie)
・矢野利裕さんと松谷創一郎さんもご出演
・アイドルは基本的にブロックしてきたけれど...(仁平)
 →ふとしたきっかけで見たももクロに「好きになっちゃう...!」(仁平)

             text by Life助手;新井亜主美


◯参考URL

・仁平典宏さん公式HP
 http://www016.upp.so-net.ne.jp/nihenori/

◯Life関連アーカイブ

・2011/10/23「僕たちは日本を変えることができない。」
 (國分功一郎、古市憲寿、今村亮ほか)
http://www.tbsradio.jp/life/20111023/

・2013/12/29「文化系大忘年会2013」
 (part3でcharlieとめろん先生の服の話)
 http://www.tbsradio.jp/life/201312292013/

・2015/05/17「私たちは今、何を着ればいいのか」
 http://www.tbsradio.jp/life/20150517/

参考資料&選曲↓

このパートでかけた曲
●BLUE ENCOUNT "もっと光を"(charlie選曲)

●ももいろクローバーZ "Z女戦争"(仁平典宏さん選曲)

BGM↓

●Prefab Sprout "Carnival 2000"
●Badly Drawn Boy "Once Around The Block"
●Adhitia Sofyan "Carnival"
●The Trash Can Sinatras "How Can I Apply?"
●The Drums "How It Ended"
●Toro Y Moi "How I Know"


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2015年9月 3日

2015年08月30日Part2 「ブロック化する社会をどう生きるか」

撮影:松谷創一郎
P8313729.JPG
                      仁平典宏さん


「ブロック化する社会をどう生きるか」Part2

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◯SNSでのブロック
・SNSの顕著なブロック化(メール)
 →Twitterはリアルな現実続き、ブロックはできない(メール)
・LINEのやりとりで決まった出来事のクローズさと疎外感(メール2)
・SNSの栄枯盛衰とLINEのブロック化(charlie・塚越)
・薄い繋がりの人とLINE交換(塚越)
 →プロフィールやアイコンを変更されると誰かわからずブロック(塚越)
・各SNSでのブロック機能の使い方(塚越)
 →各々のSNSでの自分の見せ方で、ブロック機能の使い方が別れる(塚越)
・想定外の使用法が出現し問題化すると、ツール自体は力を失う風潮(塚越)
 →しかし、LINEはプラットホーム化しているため力は強い(塚越)
 →少しずつLINEの使い方が変化(塚越)
・グループチャット(グルチャ)を発展させているアイドルファン(西森)
・インターネット上の芸能系話題、趣味縁の拡大(charlie)
・自分が主体的に関わるグループでクローズドにコミュニケーション(charlie)
 →一方、アクティブに動くグループに参加して通知が多いのが嬉しい(charlie)

◯「地雷」をブロック
・腐女子におけるTwitter地雷問題(メール)
 →地雷はすかさずブロック、アパルトヘイト腐女子(メール)
・記事の書き方から誰推し、推しカップリングまで推測される(西森)
 →西森さん自身が地雷認定されて誤解されてしまった(西森)
・考察厨、語り厨の出現(西森)
 →あるデータをもとにアイドルのことを考える楽しみ方(西森)
 →他の人の考え方も楽しめるおおらかさが出てくる(西森)
・ファンカルチャーの成熟度(松谷)
 →ファン層の年代が時間の経過と共にあがり、落ち着いた人が増加(松谷)
・宝塚界隈の考察のあつさ(charlie)
・極端な地雷に対する否定の感情(charlie)
 →それぞれの楽しみ方を犯し合わないためのやわらかなブロック(charlie)
・ジャニーズにおける同担避ける問題(charlie)
・ジャニーズについての連載、ファンにおもねるのをやめたら好評(矢野)
・何かオーソリティーを見出すポジションを担うには心地良い外部者になる(矢野)
・ジャニーズ音楽の良さ(矢野)
・狭いコミュニティ向けの表現だとマナーを踏まえてないと書けない(矢野)
・ジャニーズのような表現だと接続の部分が多い(矢野)
 →作品のあり方がコミュニケーションを誘発するだけではない(矢野)
・人物批評をするときにはコンテンツと結びつける(西森)
・人はコンテンツにひもづくものではない(松谷)
 →人を考察するのと、コンテンツに寄せて人を考察するのは異なる(charlie)
・自分の好きな見方以外の見方は嫌だと揉める(charlie)
・関係性のなかのコミュニケーションについて語りはじめたきっかけ(速水)
 →THE ALFEE、関係性としてのコンテンツはライブで更新される(速水)

             text by Life助手;新井亜主美


◯参考URL

「巨大LINEグループの神は16歳!帝越コク氏に会っていろいろ聞いてきた。」
Social Native Life(グループチャットの話題に関連して)
http://kakeru.me/twitter/snl-mikagoshi/

鴻上尚史
『この世界はあなたが思うよりはるかに広い ドン・キホーテのピアス17』
レビュアー=西森路代
(このパートで西森さんが言及している鴻上尚史さんの著書のレビューです)
http://cafe.bookclub.kodansha.co.jp/fukuhon/?p=3926


◯Life関連アーカイブ

2009/11/22 「Twitterはじめました」
http://www.tbsradio.jp/life/20091122_twitter/

2007/11/25「暴走するインターネット2.0」(荻上チキほか)
http://www.tbsradio.jp/life/20071125/


参考資料&選曲↓


このパートでかけた曲

●Mr.Children "掌"(塚越健司さん選曲)

BGM↓

●Cerebral Corps "Girl From The Carnival"
●Real Estate "How Might I Live"
●Weekend "Carnival Headache"
●Paul Simon "Learn How To Fall"
●Pop Etc  "Live It Up"
●Janelle Monáe "Can't Live Without Your Love"


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2015年9月 4日

2015年08月30日Part3 「ブロック化する社会をどう生きるか」

P8313775.JPG P8313809.JPG
         矢野利裕さん               松谷創一郎さん


「ブロック化する社会をどう生きるか」Part3

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◯TwitterのブロックとLINEのブロックについてまとめ
・Twitterは情報のフィルタリングに近いブロック(仁平)
 →親密圏で話しているつもりが公共圏に出てしまう息苦しさ(仁平)
・LINEのブロックは自分がブロックされていることに気がつかない(仁平)
 →自分がいる世界が唯一のものなのかわからない不安(仁平)

◯親密圏を選択的に作れる現状とブロックの関係
・LINEは相手がいることが前提、相手との関係性の選び方(charlie)
・近距離でコミュニケーションができるツール(mixi)(charlie)
 →自分だけのエリアに来る人をおもてなし、気遣い疲れ(charlie)
 →LINEはmixiに似ている近距離コミュニケーションツール(charlie)
・SNSで先輩の相容れない側面が見えてしまった(メール)
 →ブロックすることではなく、スルーする力を身につける(メール)
・インターネットの時代は引き算の人間関係(charlie)
 →ブロック化する社会の大前提(charlie)
・引き算された方の人間はわからないので葛藤が生じる(charlie)
 →親密圏は、ブロックで選択的に作れるようになってしまっている(charlie)
・以前は世の中の人からやいのやいの言われない環境をつくる親密圏(charlie)
 →今は人を選んでその都度つくりあげる親密圏(charlie)
・フィルターしたい情報のために作られるTwitterのサブアカウント(charlie)
・LINEは人をよりわけて親密なグループをつくる(charlie)
・ブロックとスルー、僕もなかでは同じもの(海猫沢)
 →「人なんか信用してない、わかりあえないでしょ!」(海猫沢)
 →40すぎるとコストかけたコミュニケーションがつらい(松谷)
 →わかりあえはしないけれど、違う意味での馬鹿だったと気づく(仁平)
・理由がないがブロックされていた、仮設住宅でわかりあえた事例(仁平)
 →個別のブロックと、社会的な事象によるブロック(仁平)
・ブロックすることを気にしない、感情を入れない(海猫沢)
・葛藤を経た40代のブロックと葛藤を経験していない20代のブロック(松谷)
 →今は喧嘩しないためのブロック(charlie)
・津田大介さんからのメール
 →ブロック化という意味ではネット炎上と繋がる(津田)
 →Twitter、エゴサーチとの向き合い方が変化(津田)
・親密圏におけるブロックは傷つけ合わないための作法(charlie)
・自分で選択して親密な関係を作れる社会は負荷が高い(charlie)
 →だからブロック、仕方ないが若い時からそれでいいのか(charlie)
 →親密な人との間柄もネット経由で進展させている(charlie)
・どこまで自由になったといっても外せない、負ってしまっている何か(塚越)
 →埋め込まれている関係性を自覚するからこその複雑さ(塚越)
・ブロックといえばこの曲「The Block Party」(矢野)
 →親密圏とも公共圏とも言える黒人コミュニティ(矢野)

             text by Life助手;新井亜主美

◯Life関連アーカイブ

2014/09/27
「別のしかたで弱いつながりを読み、ウェブ社会のゆくえを考える」
http://www.tbsradio.jp/life/20140927/

2013/01/27「友だちの作り方」 アーカイブ
http://www.tbsradio.jp/life/20130127/


参考資料&選曲↓

このパートでかけた曲
●Lisa "Left Eye" Lopes - The Block Party (矢野利裕さん選曲)

BGM↓

●P. Hux "Live Like a King"
●Andre 3000 "She Lives In My Lap"
●Pinback "How We Breathe"
●Jim Noir "How To Be So Real"
●The Roots Feat. Dice Raw "How I Got Over"
●Red Sleeping Beauty "How Do You Kill Your Food"

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2015年9月 5日

2015年08月30日Part4 「ブロック化する社会をどう生きるか」

P8313781.JPG P8313690.JPG
          塚越健司さん             西森路代さん


「ブロック化する社会をどう生きるか」Part4

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◯「自分の見せ方」におけるグレーゾーンとブロック
・ゲームのブロック機能でドラえもんの独裁スイッチを思い出す(メール)
・Twitterで独裁スイッチのようにフォローした人皆ミュート(メール2)
・ブロックの回数制限を設けることを提案(速水)
・テクノロジーを活かし、最低限の物しか持たないミニマリスト(速水)
・ミニマリスト、断捨離はブロックなのか?(charlie)
・Twitterを開かなくなるのが究極のブロックに近い(仁平)
 →ブロックはまだ繋がりを捨てきれていない、断捨離が足りない(仁平)
・情報収集や人間関係構築がSNS前提の人達が増加(charlie)
・違う形で自己以外のものがある(仁平)
 →自己決定における外部の位置が、社会学の話と今とでは大きく違う(仁平)
・過剰に見えてしまう情報空間(仁平)
 →コミュニケーションのモードが追い付いていない、暫定的にブロック(仁平)
・ネット上の振る舞いとコントロールできないグレーゾーンの大きさ(charlie)
 →公に向けた自分の取る責任が大きくなってしまう(charlie)
・自分からグレーゾーンが広くならないように絞る方法(charlie)
 →絞り方も、友達向け、仕事先向けといろいろと分化する(charlie)
・グレーゾーンでアウトと判断したらブロックで済まさざるを得ない(charlie)
・分化せずにTwitterで個人名において発言することの危険さ(西森)
 →Twitterの発言だけでなくfavやRTにも責任が伴ってしまう(西森)
・グレーゾーンにおける文脈の混乱(charlie)
・メディアに流れない情報収集や相手の意外な一面を見られるツール(charlie)
 →いいところや使えるところがあるのにそれを捨てていいのか(charlie)
・情報や人間関係のミニマリストは究極の私生活主義(charlie)
・仁平さんの立場(塚越)
 →たまにインターネットを見るから全体像がはっきり見える立場(塚越)
 →他人からの見られ方に乗ってバランスをとれる強い人(塚越)
・ブロックすることで人生は快適だが、成長の機会を排除してしまう(塚越)
 →見たくないものは一切見ず、見たいものだけ見ようとする集団分極化(塚越)
・親密圏、公共圏どちらにおいてもミュート、ブロックは必要(charlie)
 →グレーゾーンが広がることで、引っかかる情報もある(charlie)
・グローバリゼーションに翻弄される日本企業(斎藤)
 →グローバリゼーションに対応するのも考えものなのでは(斎藤)

◯独占と親密圏
・職住近接で囲い込む居住問題(速水)
・人間が流動化、職住近接のようにブロックしないと囲い込めない(charlie)
・人が残る理由は人間関係、家族のような関係、福利厚生(速水)
・存在意義を運命的に感じさせるのは人を繋ぎ止める理由になる(charlie)
・親密圏、公共圏の人間関係(charlie)
 →相手を独占できる関係をつくれるかどうかが勝負(charlie)
・所属があることがステータス(西森)
 →若い子たちがブラックなところでも独占されたがる(charlie)
 →質問しづらいから自己ブロックして納得してしまう(塚越)
・社会運動の話へ(charlie)

◯参考URL

「「独占」について―ポスト・ソーシャル時代の親密性 」
SOUL for SALE(charlieさんのブログより)
http://blog.szk.cc/2015/08/26/about-a-monopoly/

◯Life関連アーカイブ

2014/09/28「僕はなぜ『嫌われる勇気』にハマるのか?」
http://www.tbsradio.jp/life/cat-1439/

2014/04/27「マイルドヤンキー限界論」
http://www.tbsradio.jp/life/20140427/


参考資料&選曲↓


このパートでかけた曲
●Stevie Wonder "I just called to say I love you(心の愛)" (速水健朗さん選曲)

BGM↓
●Idlewild "Live In A Hiding Place"
●The King Of Luxembourg "How To Get On In Society"
●Best Coast "How They Want Me To Be"
●Jason Falkner "I Live"
●Bill Evans "How My Heart Sings"
●Stanton Moore "Carnival"

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2015年9月 6日

2015年08月30日Part5 「ブロック化する社会をどう生きるか」

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       仁平典宏さん             速水健朗さん


「ブロック化する社会をどう生きるか」Part5

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◯社会運動とブロック化
・世の中のありとあらゆることを遮断、ソーシャルミニマリスト化(charlie)
・情報を遮断してセカイ系になる(海猫沢)
 →わからないけれどやらなきゃやばいと感じるつらさ(海猫沢)
・ブロック、ミュート、自分が思っているよりできていない世の中(charlie)
・だらしないブロック(仁平)
 →昔は情報への接続が課題、今は侵入してきた情報の切断方法が課題(仁平)
 →切断しきれずセカイ系に穴が空き、社会への接続が気になってしまう(仁平)
・何もしないことも意見表明になってしまう(西森)
 →政治的なものをミュートする態度すら許されない状況(速水)
・Twitterの発言はすべて公共的発信と捉えられる(松谷)
・常に公共的に話さなくてはならない問題(charlie)
・市議会議員はブロック化されていた世界(メール)
・政治家の議会発言は公共的な意味をもつ、妥協的議論ができない(charlie)
・地方議会がある意味で開かれていると感じる点(塚越)
・ゆるさに寛容になれない社会(松谷)
・自由になると多様性が増す、タグの数が増える(charlie)
 →細分化されていった社会における寛容(charlie)
・『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』井上達夫 (著)より
 →リベラリズムのルーツは理性と寛容、どちらにも良い点悪い点がある(charlie)
・寛容と悪しき寛容(charlie)
 →集団分極化による極端化、その果てに寛容の心を失うことも(charlie)
・政治性が無化されているフェーズ(矢野)
・価値感というものが非常に相対的、客観的基準を持ち得ない(矢野)
 →島宇宙で盛り上がり、お互いが無関心になっていく(矢野)
・今起こっていることはブロック化、島宇宙化、たこつぼ化ではない(矢野)
 →これを支える一元的な価値観をめぐっての対立は根が深い(矢野)
・分極化が本当に起こっているのか(仁平)
・集合知同士としては進化している面(仁平)
 →個別にはブロックしあうけれど集合知としては蓄積していく(仁平)
 →外野は相互の論点まとめをみることで流れがわかる(仁平)
 →時間を伴うと立場の転換が起こる人もいる(仁平)
・過去の失言などを学習コストとして割り切っていいのだろうか(charlie)
・動員する人される人、される人が理性を働かせる余地はない(charlie)
・今のデモは昔のような強固な動員型には戻っていない(仁平)
 →島宇宙で他の島から見られている表象効果(仁平)
・アメリカ大統領選挙での高校生ボランティア(charlie)
 →目の見える範囲内の関係において行うお祭り(charlie)
・アメリカの調査ではオンラインで政治的議論はしない傾向、日本と逆(charlie)
 →一切情報がなく主張だけで議論したら何もできないから(charlie)
・歴史が動くときは理性ではなく身体の動員は必ずある(仁平)
 →可逆的な現象であるのではないか、理性主義者でない(仁平)
・決着の付け方のスキルを身につける(charlie)
・ディベート形式が大事(仁平・charlie)
・次回放送は10/25 深夜25:00より

               text by Life助手;新井亜主美


◯Life関連アーカイブ

2012/07/22「動員と革命〜10万人で何をしようか」
(國分功一郎、開沼博、水無田気流、井上明人ほか)
http://www.tbsradio.jp/life/2012072210/

2011/08/28「"祭り"の時代」(濱野智史、西嶋一泰ほか)
http://www.tbsradio.jp/life/20110828/

参考資料&選曲↓

BGM↓
●Ariel Pink's Haunted Graffiti "Live It Up"
●Ronnie Lane "How Come"
●Spin Doctors "How Could You Want Him"
●Kings Of Convenience "Live Long"
●Emitt Rhodes "Live Till You Die"
●Jimmy Raney "Morning Of The Carnival"

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2015年9月 7日

2015年08月30日Part6(外伝) 「ブロック化する社会をどう生きるか」

P8313827.JPG
           海猫沢めろんさん         斎藤哲也さん


「ブロック化する社会をどう生きるか」Part6

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◯『カーニヴァル化する社会』から10年
・常見陽平さんから黒幕への誕生日プレゼントでシャンパンが!
・山本耕史、あえての手紙アプローチ(仁平)
 →リアルタイムではなく遅れて届く、あえて遮断しながら繋がる(仁平)
・「文化系のための手紙術」(charlie・塚越)
・人工知能が書く手紙vs. 人間が書いた手紙(charlie)
・『カーニヴァル化する社会』がでた経緯詳細とその後の変節(斎藤・charlie)
・「中身ではなく形式で盛り上がっている」という見方(斎藤)
 →ネタ的コミュニケーションの延長でカーニヴァル化(斎藤)
・part5の最後は、形式として(ネタとしてベタで)ツッコんだ(松谷)
 →ドナルド・トランプが過激な言説で人気を博すのは形式と言いがたい(松谷)
・被災地を見てきて(仁平)
 →「形式さえ整えば全然違うタイプの民主主義が日本で可能」(仁平)
 →自分の中のシニシズムを突破できた(仁平)
・『ぷちナショナリズム症候群』若者右傾論のはしり(charlie)
 →形式に乗っているだけで政治的主張ではないという『カーニヴァル化』(charlie)
・間に挟んでいた話題が「ネタ、ベタ」(charlie)
 →ネタができ、ネタがベタになり、そしてガチになる三段階(charlie)
・世論は変わるものという前提をもとにした討論型世論調査(charlie)
・自分の立っている根っこの部分、埋め込まれた部分を知ること(塚越)
 →理解の発端となる(塚越)
・『社会はなぜ左と右にわかれるのか』ジョナサン・ハイト (著)
 →埋め込まれた部分はビックデータ解析すると動員のツボがわかる(塚越)
 →リベラルはツボを3つしか押してないからうまく動員できない(松谷)
・アーキテクト的な設計でいけるのでは?(松谷)
 →動員だけならば可能(charlie)
・公共的選択において、長い時間をかけて学習する(charlie)
・人間の行動がセオリーを追い越す(charlie)
・セオリーのほうも考え方を変えざるを得ない(charlie)
・思想の問題ではなく感情の問題(松谷)
 →スマイリーキクチの誹謗中傷事件と逮捕者の精神状態(松谷)
・自由を発揮することを良しとするのがリベラル(charlie)
・自分の理性を使って自由になるのがリバティ(charlie)
・ネットの設計を今と同じにするならば制限は仕方ない(charlie)
・「寛容」という言葉に上から目線を感じてしまう(斎藤)
 →ブロックして無関係でいるほうが上から目線度は低いのでは(斎藤)
・政治的な話になったときに皆意見がある、意見があるのが不思議(海猫沢)
・ブロックすることにはリテラシーが必要(海猫沢)
・目の前にいる人に対してブロックすることに対しての疑問(charlie)
・だらしないブロック社会を独占の中からこじあけていくのか(charlie)

             text by Life助手;新井亜主美


◯告知

・Lifeパーソナリティ陣のLINEスタンプは申請中です(斎藤)
・9月開催のイベントについて(斎藤)
 →(追記)詳細決定しております。詳しくは参考URLをご覧ください。

◯参考URL

Lifeトークイベント 9/22開催 紀伊國屋書店新宿本店
「「最強の運命論」の運命」 https://goo.gl/Z26tLW

「水と器」 « SOUL for SALE(charlieさんのブログより)
http://blog.szk.cc/2015/08/29/water-and-container/


◯Life関連アーカイブ

2008/02/28 「恋と三十路と文化系」(辛酸なめ子、しまおまほ)
http://www.tbsradio.jp/life/20080228/

2009/08/16「Life政策審議会」(飯田泰之、樋口明彦ほか)
http://www.tbsradio.jp/life/20090816life/


参考資料↓


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2015年9月14日

2015年08月30日(放送後記動画)「ブロック化する社会をどう生きるか

放送後記1 出演:鈴木謙介&仁平典宏

放送後記2 出演:鈴木謙介&長谷川裕プロデューサー(黒幕)

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2015年9月17日

2015年08月30日(未読メール特集)「ブロック化する社会をどう生きるか

本編&外伝で読むことができなかったメールの中からピックアップして掲載します。

===

柴那典(ライター・編集者)

以前「No Music, No Life?
~音楽はいまどう聴かれているのか」の回に呼んでいただいた際には刺激的な話に参加させていただきありがとうございました。「カーニヴァル化する社会から10年ブロック化する社会」ということで、専門分野である音楽からはちょっと離れるのですが、言いたいことが沢山あり、メールさせていただきます。

メールテーマの「ブロック化を感じる瞬間」ということで、やはり思うのは佐野研二郎さんを巡る案件です。佐野研二郎さんの騒動、特にそれが中島英樹さんや森本千絵さんのような名のあるデザイナーへの中傷にも飛び火している現状は、僕は「祟り神2.0」の仕業と捉えています。


オカルトな話に感じる人もいるのは承知ですが、僕としては、呪いや祟りは決して過去のものではなく、宗教やスピリチュアルの世界の話でもなく、むしろバージョンアップした「2.0」となり現在のネット空間、ソーシャルメディア空間を跋扈しているものだと考えています。そして、「カーニヴァル化する社会」はネット社会を生きる人間が「祟り神2.0」の持つ力に惹かれ、それにとり憑かれる構造を先んじて描いた一冊と捉えています。

(ちなみに「祟り神2.0」のもう一つの側面を象徴するのは、ネット上で一人の芸人への執拗な中傷が繰り返されたスマイリーキクチさんを巡る事件だと思います。中傷に加担していた一人は、警察に逮捕されたときに「私はネットに洗脳されていた」「私のほうがつらいんです」と泣き崩れたそうです。これはまさに"祟り神にとり憑かれた人間"のふるまいを象徴しています)


ただし、「カーニヴァル化する社会」が書かれた頃は「ネットイナゴ」という言葉があったとおり、こうした問題は「匿名の悪意」によって生まれると思われていました。誰もが実名を使うようになれば、責任を持って発言するようになる。そう信じられていた時代でもありました。しかしFacebookが普及した今、決してそうではなかったことが明らかになっています。

(僕自身、最近「フジロックの行方と全てのジャンルはマニアが潰すという話」というタイトルのブログ記事への反応で「こいつは死ねばいい」といくつか呪詛の言葉を受けました。が、そうしたアカウント主の生活を丁寧に追っていくと大抵気のいい、そしてマニアックな音楽好きであることが多かったのが印象的でした。)

「祟り神2.0」の生まれる由来にあるのは、匿名であれ、実名であれ、それぞれの個人が持つ「こいつはけしからん」「気に障った」という小さな感情のうねりであると思うのです。一人一人には決して誰かを呪う悪意はなく、むしろ正義感に近い気持ちからそれが立ち現れていると思います。しかしその感情が記号化されて増幅するときに「祟り神2.0」が立ち現れると僕は考えています。「バチが当たる」というやつです。


こうした昨今、「ブロック」という方法が用いられるのは、ネット上を飛び交う呪詛や祟りへの対応策として、一つの必然です。「触らぬ神に祟りなし」というのは今のネット空間を生きる上で心に留めるべき格言であると思います。


しかしその一方で、佐野研二郎さん周辺のさまざまな案件を見ていても思うのですが、「祟り神2.0」が立ち現れる、つまり「こいつはけしからん」「気に障る」と多くの人が感じるのは、「権威の閉鎖性」を目の前にした時でもある。つまり「ブロック」は「祟り神」を避けるための必然的な対応策でありつつ、それを安易に用いるのは新たな「祟り神」を呼び寄せてしまう要因にもなる。そういうジレンマのある時代を生きているのではないかと思います。

長くなりました。僕が思う「ブロック化の時代」を解決するための方法は、一つあります。それは「大仏建立」です。

突飛な話ですが、ネット空間やソーシャルメディア空間の中には、人々の「気に障る」「けしからん」という感情の小さなうねりが「祟り神2.0
」としての大きな力を持たないために、それを祀る神社仏閣のようなものが必要なのではないかと思うのです。日本はアニミズムの国なので、クラウド上にも「霊的存在」があり、それを呪鎮せねばならないという考え方は、意外にすんなり受け入れられるのではないかと思います。

そういう宗教性を持ちつつ、とにかく「バカバカしいほどデカい」とか「笑っちゃうほどすごい」とか、外野からのツッコミを受け入れる余地があるものが「大仏」として有効な機能を持つのではないかと思います。マキタスポーツさんの言う「ボケの有効性」にも近い発想かもしれない。

僕が最近見た中では、長渕剛さんの10万人オールナイトライブと、話題になったその参加者によるレポ(http://togetter.com/li/864407)は、まさに「大仏」的なものでした。


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nao 34歳男性

最近Apple MUSICを始めました。
無料なんで様子見で始めたのですが、なかなか面白いです。
私は洋楽を中心に浅く広く聴いているつもりです。
Apple MUSICで面白いのは、for youという、聴き手お気に入りなどから、オススメのプレイリストを提示してくれるものです。
これが怖いくらい私の音楽履歴に合致しています。インディ系ロックやテクノ、エレクトロニカが多いんですが、『お前は俺か!』と言いたくなります。
いわゆるビッグデータと言われるものの成果だと思うのですが、自分と同じような嗜好の人間はいっぱいいて 、自分では色々幅広く聴いているつもりでも、お前はそのブロック・クラスタの中で泳いでいるに過ぎないと言われている様な気がします。ただの考え過ぎかと思いますが。そもそも、こんなもんだったのが可視化されただけでしょう。

ただ、このおかげ何となく自分の嗜好の地図か頭の中に出来てきた気がします。そして意外な発見もあり、結構楽しんでいる面もあります。
ブロック化というと、何となくネガティブなイメージになりがちですが、頭の中に出来た地図を使ってブロックの間を縫うように動いたり、渡ったていく様な感覚が出来てきて、非常に新鮮です。

音楽に限った話なので、もっとセンシティブな問題については、深刻な現象かもしれませんが、ブロック化した状態をもっと俯瞰し、客観的な地図の様なものがあれば、少しは光は見えるんじゃないんでしょうか。

ちなみに、面白かったプレイリストはデヴィッド・ボウイをサンプリングした楽曲リストです。


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青の亡霊

僕が最近ブロック化を感じるのはアイドル現場です。
ハロプロ派、スタダ派、AKB派、地下アイドル派とわかれている上にその派閥の中でもファンクラブに入っているかの差別化、DDなのか、接触がメインなのか、レス厨か、ピンチケか、などなど同じアイドルを推しているファンは仲が良いなど幻想で、現場はギスギスしております。自分はといえば、比較的ファンに一般層が多いももいろクローバーZ一本に逃げることにしました。
ももクロのライブは平和で楽しいですよ。


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福田十二指腸 38歳

私がブロックしたいと思うのは、Facebookそのものです。
というか、実際、閲覧する頻度は激減し、チャーリーがTwitterで講じたやり口と似たような手法、私の場合はちょっとずつ新しい記事から削除するという、ジリジリとした後退戦といった方法ですが、そのようにして幽霊部員化を図りました。

アカウント削除まではしていませんが、無責任発言が許され、かつ、リアルグラフ濃度の希薄なTwitterや、趣味縁が心地好かった初期mixiのもつ、「ゆるさ」を愛する私にとって、Facebookのメイク決め決め感、ちょっとコンヴィニ行くにも着替えて出掛ける皆さんの気合いに、気圧されてしまい、誰をというわけではなく、Facebookそれ自体を総体的に遠ざけたくなった、ブロックしたくなったのでした。
そして自らの過去記事も封印しようと思い、先述のような、新しいものから少しずつ削除するという弱気な撤退をするに至りました。
現在は、全くFacebookを見ないわけではないですが、たまにしか見ていません。


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蟹ビーム

昔、社会は霧に囲まれた数々の山のようで、各コミュニティは山頂で身を寄せ合って生きていました。


ところが約10年前、新しい技術のおかげで社会は見通し良く平坦になり、僕らは浮かれてあちこちでお祝いをしました。
「世界の遠くで起こったおもしろい事まで見通せる!逆に僕が今ここでおもしろいことをすれば世界中が見てくれる!すごいすごい!世界はひとつになる!」

それから10年経って、僕たちはこの社会の見通しの良さが別の意味をもっていることに気がつきました。見通しが良すぎるのです!
もはや皆んなが皆んなを監視しているかのようです。


昔は、社会学村、デザイナ村、建築家村それぞれのコミュニティはそこで発言を行うには山を登っていかなければなりませんでした。
そしてその登山の間にその山のマナーを身につけ/教育され/洗脳され、頂上が見え始めたころにはトップの人たちの麓では珍妙に思えた発言や行動の意図が理解できるようになったのです。それが良いことか悪いことかは別として。


昔はその"山"が機能して自然な障壁になり、またそれが教育であり権威になっていたのだと思います。それが良いことか悪いことかは別として。
でも今はちがいます。すごい遠方からでも全く違う村のひとびとが突入してくるのです。


世界の見通しが良くなりかけてからしばらくの間、リテラシーの高いひとだけがいた時は「儀礼的無関心」として見通しのよさを自制する試みがありました。

ですが無理でした。ひとはみたいものを見るのですからね。

こうなってからはさあ大変、自然な障壁はないし、衆人環視のなか、自らで障壁をたてブロックをすることはめっちゃ意識的な行動として見えてしまうのです。
いままでのように仲良し同士で集まっていても指をさされるのです。一体どうやって生きていけば良いんだい?


【ブロック化を感じるか?】
小集団化しているかという話で言えば、それは昔からあった事象だと思います。

【ブロックするされた?】
障壁は昔は自然と存在していたのだと思います。でも基本が見透し良く繋がることになった現代で、
障壁は自分でたてるしかなく、その行為がえらく目立ってしまうのだとおもいます。

僕自身はブロックすることは一切なく、半匿名、匿名のアカウントを複数使うことによって障壁というか距離をとることにしています。

自分が気がついた消極的な?目立たない?距離の取り方はこれだけですね。
ブロックされたことはないと思います。もしくは気がついていない?


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いちじく 35歳男性

予告編でも多く話題に出ていた集団的自衛権と安保法制の議論。僕も関心を持っていて、こないだ勉強会的イベントに参加しました。この法案をどうジャッジしたらいいのか、何を判断材料にしたらいいのか、国際情勢や政治の現場で何が起こっているのか知りたいという思いを最近強く持っています。

いろんな参加者の人が意見を表明するイベントだったのですが、終盤になって「周りは関心を持ってくれない」とか「デモをしてる団体は伝え方が下手」「デモは意味が無い」など、法制の議論よりも手続きとか周りの空気についての話題になりました。

僕自身はこの政治的談義やニュースに関して、自分でジャッジして意見を持つことができる人間になりたいという一心なので、「周りの人がどうのこうの」みたいな話には興味がなく、そんな他人の事言うよりも、「自分は自分のできることをやったか。勉強したのか」ってことを大事にしたいと思っています。

なので、ブロック化して他人との区別を認識することで自分たちのやってることを満足させたりするよりも、島宇宙化して自分らの興味あることにのめり込むことが価値があると思っています。人は人、自分は自分とハッキリすることが僕の理想です。

でも、僕もそのまま「勉強しよう」と突き抜ければいいのですが、なかなかそういうカッコいい存在になることもできていません。

例えば、勉強して政治について意見を発信して、「意識高い」とか言われることを懸念しています。そうやって他人の価値基準にいつも試されることを恐れる自意識から抜け出せない自分です。

今年印象に残っているのは同性婚が合衆国で合法化された時に、Facebookでプロフィール写真をレインボーカラーにすることが流行りました。

僕も同性婚支持で知人にLGBTの人もいるので、プロフをレインボーカラーにしたのですが、そしたらフィードで「今回のことでレインボーカラーにするとか、不用意すぎる」みたいな意見が流れてきた時、ゲンナリしました。

「同性婚合法化!おめでとう!」って気持ちでやったら、そこにいちいちケチをつけられてしまう。そんなことまで気を遣わなければいけないんだろうか...と疑問に思ったものです。

「意識高い」論争もイヤで、別にお互いのブロックとブロックがどちらも傍から見れば「意識高くて大差ない」のに争いあってるような状況は、インターネット以前からあったことで、いまさらの話ではないのですが、ちゃーりーの「インターネットしんどい」に激しく同意しますw。


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鶴賀太郎 42歳 茅ヶ崎在住

予告編でcharlieが「オーソドックス」とか「正統」という話をしていましたが、自分なりに咀嚼すると、それはコンテクストを共有している人たち以外とのコミュニケーションは軋轢を生みやすいので、人々が避けがちになっているということなのではないかと思います。

そう考えて思い浮かべたのがベジタリアンの置かれている立場問題です。

一口にベジタリアンといっても、その背景にある思想から実践の方法まで様々なのですが、日本でベジーを実践する人が必ず直面する問題があります。
それは余計なおせっかいと、言われなき誹りです。

自分の考えに則って、好き好んでベジーをしているのに「痩せすぎだから少しくらいお肉食べた方がいいわよ」とか「このお肉美味しいから一口食べてみて、別に宗教上の理由じゃないから大丈夫でしょ?」といって無理に肉を食べさせようとする人がいたり、
「ちょっと神経質なんじゃない」とか「植物だって生きているんだから殺生だ」とか「ニューエイジエコかぶれが」のような感じで非難してくる人がいるのです。

実践者はそれなりの哲学や理論を持っていることも多いのですが、それらをいちいち説明するのは面倒ですし、説明したところで理解してもらえないことも多いので、極力自分がベジーであることがバレないようにする人が多いのです。

安全保障法案やサノケン問題に見られる昨今のブロック化の構造はこれに似ているのではないかと思いました。

一見ひとつのテーマについての議論をしているように見えながら、実は違うレイヤーで議論をしているので、話がいつまでたっても噛み合わないので、そのことをわかっている方が没交渉になっていくということです。

ただ話をベジタリアンに引き戻すと、海外ではベジタリアンは日本と比べるとかなり堂々と自分がベジタリアンであることを言います。

その違いがどこからくるのかを考えてみると、二つほど理由があるのではないかと思います。

一つは日本のお家芸の「同調圧力」です。
よく言われるように、生来村社会だった日本は合議を重んずるので、対立した意見に対する許容度が低く、すぐに同調圧力をかけたがるという問題です。

これゆえに建設的なディスカッションが苦手な人も多く、議論の場でも自分の意見を否定されただけなのに、人格を否定されたかのように憤慨するという未成熟な態度をとる面倒くさい人が多いので、ついつい自衛のためにブロックを作ってしまうのではないかという話です。

そしてもう一つは他宗教に関する寛容性の問題です。

何かと異教と接することの多い欧米の人は、他宗教の人を尊重したり、やり過ごしたりすることに長けています。

それに比べると日本には、思想にもひとつの正解があるというような幻想を持っている人が多く、結果それが他宗教に対する不寛容につながっているような気がします。

しかし欧米でも十字軍や様々な宗教戦争の歴史からもわかる通り、かならずしも始めから異教に対して寛容だったわけではなかったわけです。

たまたま陸続きであり異教の存在を意識せざるをえなかった上に、19世紀以降、科学技術や交通機関の発達によって地理的世界が狭くなったことによって、異教徒と折り合いをつける方法を見つけていったのではないかと思います。

今、ネットで起きていることも同じなのではないでしょうか。

ソーシャルメディアにより人々の内面が顕在化し、それがウォールやTLという自分のテリトリーに暴力的に入り込んでくるので、人々は折り合いの付け方を探っており、その中でブロック化が進んでいる気がします。

個人的にはブロック化よりもオープンな折り合いのつけ方ができればいいと思うのですが、一番大切なのは折り合いをつけるために不断の努力を続けることでしょう。

一度獲得した寛容性さえ、911以降のアメリカ、シャルリーエブドのフランス、そしてファイブアイズの盗聴を引き合いに出すまでもなく盤石ではありません。

ソーシャルメディアで狭くなった世界を再び広げることはできないわけですから、僕たちは新しい時代の寛容性を発明し、それを育んでいかなければいけないのだと思います。


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あんでぃ

ブロック化というテーマを聞いて、真っ先に連想するのは前々回の「ポジティブの現在、ネガティブの未来」です。キーワードは、「自分の手の届く範囲で」「性善説をベースにして」ということではないかと思います。そもそも、地理的な障害が交通を阻んでいた時代には宗教も慣習も、人種でさえも交わることが少なかった。それが徐々に地理的な障壁が失われ、さらにSNSの時代になって通信の障壁が失われてくると、もともとあった「局地的な知恵の蓄積」がその立脚する土地を離れたときに汎用性を失い問題を生じるようになってきます。そうすると、自分の身の丈にあった範囲でまとまり、自分に危害を与えない範囲でグループを作ろうとするのは必然ではないでしょうか。それが、広域においては宗教や国家の域内連携、そこから小さく国籍、政治思想、学問、アイドルファン、果ては家族、友人の最小系まであらゆる場面で生じているのだと思います。実際、僕が「世の中が「ブロック化」していると思う時」は、ニュース番組を聴いているときと、高校の友達と大学の友達をSNSで同時につながるか悩む時の二つです。

昔からずっとあったことのはずなのに、それがISの問題、TPPの問題、ヘイトスピーチの問題、ファンとファンの問題、デザインや憲法学の問題、あらゆる場面で「顕在化」しているのは、いずれも参入障壁が低くなったからで、SNS以前にまずGoogleが大きな影響を及ぼしていると思います。中途半端な可視化、文脈から切り離された言説、お金をかけずに得られるがゆえの浅薄あるいはバイアスのかかった情報、それらが浅薄あるいはキャッチーであるがゆえに数を集めやすく、暴力になりかわっていく。ところが、素人の考えは容易に矛盾に突き当たることも多く、先人の積み重ねによる交通整理は案外きちんと知れば納得のいくものです。

例えば、デザインの問題。複雑な絵画には著作物として、申請不要で強い保護を与え、簡単な図形を組み合わせただけのものには再利用性を高めることを優先して商標登録など申請されたものだけを利用期間に応じて保護する。そういう実用的な交通整理の仕方について知れば、エンブレム程度のものにそもそも著作権がない可能性や、似たようなものが重なる頻度の多さについても思いを馳せられるでしょう。それを、「正統な」あるいは「玄人が見れば」と片付けるのは説明が面倒だからという専門家の怠慢ということもあるのかもしれませんが、逆に前振りに出てきた安保法制のような場合は、国会答弁で憲法学者は一から説明しており、むしろオーディエンスがきちんと情報にアクセスしていないからこそ生じている問題でもあります。(安保法制が必要だと考える国際政治学者も、憲法に反することは多くの方が認めていて、溝はむしろなく、憲法改正すべきだ、という議論が論理的帰結になると思います。)

結局、参入障壁が低くなったことが「自分の手の届く範囲」が広くなったと錯覚させ、「性善説をベースにして」分野と分野、世界と世界のコラボレーションに興奮していた時期を過ぎて、私たちは自分の身の丈を知った、というのがブロック化が顕在化した原因なのではないでしょうか。次世代のネガティブは、現在のポジティブの興奮に疲れてしまったときに垣間見えるような形で、現れる存在な気がしています。


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鈴木登志雄

前期高齢者のリーマンです。
鈴木先生のIPPSモデルはまさに、「招待」と「参加」の部分に「ブロック」が組み込まれています。
表面的には並列化、共有化されたように見える平和で保守化した現在。
実はこの社会が根源的に持っている、根深い同調圧力のストレスが、特に共感力の強い、センシティブな女子たちに蓄積しているように思います。
この溜まったストレスから逃れるため、メンバー相互で結束、集団的自衛権を行使しているのはよく見かけます。


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のぶてん

このラジオを聞き始めて、4年目にして初めてメールを送らせていただきます。学生だった頃に聞き始め、一応にも社会人となり、いつの間にか会社では新人とも言えなくなっています。

今回、聞き専リスナーを脱すべく、拙いながらも、こういうことかな?とおもった事をメールします。

さて、予告にてテーマを聞きました。「ブロック」というフレーズには色々な意味がとれ、複数の文脈の交点のように自分も感じられます。ただ共通項は何だろうと思ったとき(予告内でもおっしゃってましたが)1つに、他者のアクセスや攻撃を拒む、といった「ブロック」2つに、固まりや集まり、といった「ブロック」前者はキック、パンチ、ブロックといったアクティブな単語として、後者はレゴや建築でブロック塀といった構造的なモノの単語としてみれます。

そういった前置きをしたら、今回のテーマが、「人々が他人と自らを構造的に分け隔てる」事によって起きる問題が、ここ10年のメディアやコミュニケーション環境などの変化に応じて、変容している...とった具合に感じられました。

また予告では「正統性」を求めているというような話もありましたが、おそらく構造的に何かを分別するとなると、より多くの人の同意形成が必要となるから、より大きな、体系や権威、集団や価値観への帰属があったほうがいいのかな、という感じがします。

古い年代の楽曲、昔はやっていたファッションの記事、偉い人の言葉、倫理道徳的なエピソードのシェアとか「僕はこの◯◯をもっています」「◯◯を知っている」「◯◯は△△だと考える」といった立場を表すみたいに。

余談ですが、人が「ブロック化」する、あるいは社会が「ブロック化」するときいた時、それは高校生のときにみた「攻殻機動隊」の冒頭文での「複合体としての個」や「Solid State Society」といったワードを思い出し、私個人はなんとなく「もしかして...」という感じがしました。

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