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2012年10月28日「うれしはずかし文化的初体験」未読メール特集2

ドがつく無能 30歳 大阪市 トラックドライバー 

私が影響をうけたのは、高校時代に読んだ、90年代後半のサブカル系雑誌です。初期の「クイックジャパン」(赤田祐一氏編集)や、データハウスから出ていた「危ない1号」、月刊誌でいうと「BURST」や「GON!」など。あまり金もなかったので、BOOKOFFで1年遅れくらいで買って読んだり、立ち読みしたりしておりました。

初期の「クイックジャパン」からは、川内康範や竹中労や宮武外骨なんかを知り、そこからアナキズム的な思想に触れるようになりましたし、「危ない1号」や「GON!」からは、青山正明氏や村崎百朗氏を通して、どうしようもないようない「鬼畜」「変態」みたいな世界を知り、そのオワッテル世界にこそ、表向きの世界には感じられない、ダメな人、イタい人たちの愛みたいなものを感じました。

その少し後から出てきた「2ちゃんねる」などのネット文化が、弱いもの同士の叩きあい的なものに思えたのとは違い、当時のサブカル雑誌の紙面や読者欄(とくに「GON!」)には、なにか優しさのようなものがあったように思います。「馴れ合い」といってしまえば、まあそうなんでしょうが、しかし「馴れ合い」も、人間関係、ひいては社会をつくるうえで実は結構大事なんじゃないかとも思います。

あれから10年ほどたった今、読者であった私は、案外ふつうに社会人をやっておりますが、当時読んでいた雑誌や、その関係者の人たちは、なかなか厳しい状況になっていったようです。雑誌自体がつぶれてしまったり、大きく路線変更したり。また、「危ない1号」の編集者であった青山正明氏は自殺され、鬼畜系ライターの村崎百朗氏は2年前、読者の男性によって刺殺されました。「危ない1号」の編集をされていた吉永嘉明氏は、2004年に出た「自殺されちゃった僕」という本で、同僚であった青山氏や、漫画家の「ねこぢる」、そして自身の奥様を立て続けに自殺で失った経験から、残された人間の苦しみや、人とのつながりの大切さを、ひたすらに叫んでいます。当時の雑誌の内容とくらべると、なんちゅう結論だ!ってな話ではありますが、あの頃よりも「オワッテル」なぁと思える現代だからこそ、そんな話にもすごく感動してしまえます。(その本の編集者が、「クイックジャパン」創刊者の赤田祐一氏ってとこも含めて)

生き残っている人間は何をすりゃいいのかな、ってなことを思いながら、今も私は当時の雑誌を振り返ります。

「完全自殺マニュアル」の鶴見済氏が、脱原発デモに参加したり「脱資本主義宣言」なんて本を書いたりする、そんな流れを今の私が共有できていることを思うと、当時の「サブカル」的なものも過去の遺物には思えないし、また、同時代的に共有でき、かつ、手元にも置いておくことのできる、雑誌ってゆう文化は、やっぱいいよなあと思います。

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DJバード 30代男性

今日のテーマ、「私の文化的初体験」ですが、1992年、私が中学1~2生の頃に、バルセロナ五輪が行われました。テレビで開会式の様子をボ~と観ていたのですが、突然「リュウイチ・サカモト~」と紹介され、オーケストラを前に指揮をはじめました。後に詳しく知りましたが、開会式内のマスゲームの音楽を坂本氏が作曲し、自らオーケストラを前に指揮。当時の僕は、バルセロナ五輪でなぜ日本人が!?という驚きと共に、坂本龍一という存在をはじめて認識したのでした。

それからすぐに、坂本氏の音楽へという方向へは行かず、変わらず米米クラブやB'z、チャゲアスなどを聴く毎日でしたが、ある日の夜、93年のある日のことです。NHKで、東京ドームでのYMO再生コンサートの模様をたまたま目撃。あのオーケストラを前に指揮をしていた坂本氏がピコピコ(当時はテクノも何も知りませんでしたので)やってる!しかも他の二人もオッサン!!自分の親父と変わらない年齢であろうオッサンらが、機材に囲まれて、ほとんど歌が入ってない、繰り返しばっかりの音楽をやってる!

これで完全に坂本龍一ってマジでなんなの?からはじまり、あの音楽って何?といった興味もわき、坂本氏が関わる物事をチェック開始。ハウスDJトミイエサトシからテイ・トーワ、ドビュッシーからアート・リンゼイ、村上龍、浅田彰、柄谷行人、ゴダール、ベルトルッチ、大島渚・・・・・・。中学生の僕の目の前に、めまいがするような壮大な世界が拡がっていきます。

そこからは、よくもわるくも道をはずし、どっぷり状態。ただ、あの中学生時のテレビでの出会いのおかげで、後に大学生の時には、佐々木敦さんを講師にお呼びし、レクチャーとDJをしていただいたり(YCAM:山口情報芸術センター準備室での学生企画)、いろんな文化的出会いを経験させていただきました。今でも、日々、自分の価値観を越えるものとの出会いを大切に、楽しんで生活するようになりました。

ふとした出会いから今の自分につながっていく、おもしろいですね。たまたま出会ったものが、その人のものの見方・考え方を変えていく、っていうのは、その人の中に、もともと受け皿として反応する何かがあったのんでしょうか?単なる偶然にしては、あとあと尾を引く年月が長い・・。それぞれの人が何に興味をもち、どう変わっていくか・・興味深いです。ただ、情報がいっぱいで、ちょちょっと調べればある程度わかってしまう今、若い世代において、「なんじゃこれ~?!」的な出会いは起こりうるんでしょうか?


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なっぴょん 22歳、大学生、女

エログロ(とホラー)好きになってしまったわたしの文化的初体験を送ります。

一番最初に触れた(という記憶のある)ホラーは、小池真理子の『墓地を見おろす家』と喜志祐介の『黒い家』、『天使の囀り』でした(親の本棚から拝借して読んだ)。あとは友人宅で読んだ『地獄先生ぬ~べ~』は、当時小学生だったわたしにとってはエロ・グロ・ホラーすべて兼ね備えた恐ろしい漫画でした。

ですがここからさらにエログロ好きを加速させて衝撃の初体験に導いたのは、インターネットです。「エロくてグロくて怖いものに触れたい!!!!」どんなに強くそう思っても、そんなこと聞ける友達もいなけりゃ雑誌もない、そこで頼るのはインターネット(ダイヤルアップ接続時代からインターネットが先生です)。探せば出るわ出るわ、「Z級映画」「毒薬小説」などという言葉とともに衝撃的作品ばかりをレビューしているサイト。

そんなこんなでたどり着いた初体験はジャック・ケッチャムの『隣の家の少女』という小説。それまでに触れてきたエロ・グロ・ホラーは全て前戯に過ぎませんでした。それがあるからこその、忘れ得ない衝撃の初体験でした。
この初体験以来、すっかりアブノーマルな方向に進んでいます。


余談ですが中高校生の時はロック大好き少女で下北沢のライブハウスに通ったりしてました。きっかけはフランツ・フェルディナンド、いつもそばには『snoozer』。オアシス、クラクソンズ、アクモン、ミイラズ...懐かしいです。


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コティーバ長野 神奈川県 速水健朗大好き 31歳 会社員
僕も予告編で皆さんが話していたように、爆笑問題、伊集院光のラジオには大きな影響を受けました。

また、そこからの流れでビートたけし、そして立川談志にも興味をもちました。特に談志師匠の笑いに対するスタンスは「人間の業の肯定」と銘打っていて、その深さに今まで見ていたお笑いの底の浅さを知り、一方で「人間の業の肯定」までできてしまう「笑い」の億の深さに感心もしました。

とはいえ、談志師匠の落語を実際に見る所まではしませんでした。その代わりといっては何ですが、僕の身近に触れられる環境にはダウンタウンの松本人志がいました。

「ごっつええ感じ」のトカゲのおっさんなんかはまさに「人間の業の肯定」なんじゃないかと思って見ていました。トカゲなんですけどね、、、

そんな風にお笑いに憧れていった僕は高校卒業後、吉本興業の養成所に入りました。(3年後に挫折し、今では普通の会社員ですが、、、)今でもその 3年間は貴重な体験ですし、そんな体験を形作ったのは、爆笑問題→立川談志→松本人志という流れなのかなと思っています。

そして、その流れで「人間の業の肯定」なんていう難しそうな考えを知らなければ、こうしてライフのような文化系なことにも興味を持てていなかった んだろうなと思っています。


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速水健朗マジイケル☆ 28才 東京在住

チャーリーのお師匠さんの宮台さんではありませんが、僕が初めてミメーシスした(感染・心酔、その人の様になりたい)のは松本人志さんでした。

関西圏で育った僕は「ごっつええ感じ」の最終回の時、中学生くらいの世代でした。当時、この番組を見て衝撃(笑激)をウケました。この人の面白さの魅力に魅了され。これまでの「お笑い」とは決定的に何かが違いました。エッジーでした。さらに、松本人志さんの著書、「遺書」と「松本」は僕の高校ではスラムダンク以外では唯一授業中にみんなで回し読みした本です。これらのエッセイの中で、彼なりの批評を展開します。とても個性的でかつ面白い内容に一気に読んでしまいました。彼の物事を見る視点の斬新さ、それを伝える文才、今までのお笑いとは違う笑いを自分は作っているんだというたまに垣間見せる真剣さ、そしてそれら全てにオチをつけてくれる所に魅了されました。

結構な中二病っぽさ(文化系的な「マジ」な部分というか、"古い"タイプのお笑い批判を結構、マジに批判してますよね)をチラチラとエッセイやラジオ等でコアファンに見せながらも、テレビ等の表の舞台では何から何まで笑い(「ネタ」)に回収してゆく、マジとネタの絶妙なバランス。そしてそれを彼自身のセンスだけで披露してみせる、その姿に僕は激しく憧れていた気がします。

物心つく前に「笑い=正義」という価値観をインストールされてしまう関西という地域で育ったことが大きいと思うのですが、「カッコ良さ」や「権威」をナイーブに追い求める事ができないひねくれた感性を当時の僕はもっていたような気がします。「お笑い」に対する信仰は「カッコ良さ」・「権威」に対する懐疑(ネタの材料として最良のものの一つとして見てしまう)を不可避的に伴ってしまう気がします。「お笑い」というものを追求した結果たどり着く「カッコ良さ」まで手に入れている松本人志という人物はとても魅力的だったのだと思います。

その後竹田青嗣さんや宮台さん、東浩紀さん等思想系の人に嵌って、現在は明石家さんま信者です。現在僕は、松本人志はお笑い界のニーチェで、明石家さんまはヘーゲルだと信じています。


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真一 30代 石川県

私の文化的初体験はやはり「パソコン(インターネット)」です。
初めて触ったパソコンはNECのPC98という機種で当時の日本のスタンダードなパソコンだったと思います。中学校の技術の時間にBASICをこの機種で学んだことをよく覚えています。いま主流のパソコンとはユーザーインターフェイスというか操作感が違って、MS-DOS上でコマンドを入力してプログラムを動かすわけですが、それが中二男子の心をガッチリ掴んでしまいました。

当時とても高価で、ワープロはともかくパソコンを買ってもらうのはとても苦しく、高校生になって「工学部に進学する」といって無理に買ってもらったのが最初のパソコンでした。当時富士通やアップルのパソコンもありましたが、その時自分の頭の中にあったのは「エロゲーがしたい」という一点であり、自分が望むエロゲーラインナップが豊富なのはPC98シリーズだったので迷わずNECのを選びました。特にエルフのゲームはディスプレイ上で表現できる色数が制限されているにも関わらず「実用性」が極めて高く、何度も精をほとばしらせました。私の性の目覚めはPC98のおかげだったといっても過言ではありません。

通信回線がダイヤルアップからADSLの常時接続に変わった頃からは、ゲームよりかはインターネットで情報をブラウズするのがなによりも刺激的でした。ポータルサイトや掲示板を行き来するたびに、自分自身が井の中の蛙だったことをこれでもかと痛感させられました。今では当たり前かもしれませんが、こういう経験は当時の自分にはなかったことだったので、あのときパソコンやインターネットに触れていたことを本当に感謝しています。いまの自分があるのはパソコンのおかげです。

その一方で、冷静になって考えてみると、有益なものからエログロな情報も含めて、もし子どもの頃にすでにそういった「大人」で「幅の広い」情報に触れていたならば自分は歪んで育ったんじゃないだろうかとも思います。16,17才くらいで初体験でちょうどよかったと思います。

例えばいまツイッター上ではるかぜちゃんみたいな小学生が大人と同じように情報に触れ大人と同じような発言をしていたり、その一方でいい大人か掲示板で幼稚な書き込みをしたり動画サイトでアニメを見てよろこんでいるのをみて、ネットのおかげで子どもの過度な大人化や大人の幼児化が進行しているような気がしてなりません。大人だけが知っている情報があるから大人として保てていたところが、そのあたりの情報が比較的容易にだれでも閲覧でき学べる状態が生まれてからは、大人と子どもの境界線はかなり曖昧になってしまったのではないでしょうか。はるかぜちゃん自身も「子どもっぽさって何?」「どうして子どもっぽいことを書かなくちゃいけないの?」といったことをつぶやいていたと思います。私が通過したカルチャーショックを今時の子は早くて小学生くらいで訪れているのかと思うと愕然とします。


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老ローザ 青梅市 62歳 女性

今晩は。今の自分を形作ったものは、世代がお分かりになると思いますが、「マルクス主義」でした。大学入学とともに、まず、マルクス・エンゲルスの原点の読書会が盛んに参加した最後の世代かもしれません。弁証法という方法論と、認識の仕方など、今まで、漠然とした世界が見事に解明されていくことのすばらしさに感動したことを今でも忘れられません。それゆえ、マルクス主義の終焉といわれる時代に、違和感を持ちながらも、その思想性の限界は何だったのかを、何時も考えているような気がします。

文化・文学・サブカルチャーの世界に自分の狭さを自覚するためにも、興味を持ち出したのは、1980年代です。それをリードしてくれたのは、さまざまな雑誌でした。ひところは、月刊雑誌をかなり読んでいました。多元的なものの見方をすることの大切さを教えてくれたのも、やはり雑誌だったような気がします。好きだった雑誌は、「思想の科学」「ひと」「現代の眼」「クロワッサン」「ビックリハウス」「噂の真相」「アサヒジャーナル」などです。まぁ、見事に廃刊になったものの多いこと!やはり、私はメジャーではないですね。だから、本当に恥ずかしいです。

好きな曲は、もちろん、「中島みゆき」です。文学は、さまざまですが、主に、戦中派の作品から、影響を受けたと思っています。でも、最近は若い人の作品も充分に楽しんでいます。ああ、恥ずかしい!


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ナナミ・シンプソン 28歳 茨城県日立市

自分の人生で決定的な出会いといえば、世界名作劇場の枠でやっていた"七つの海のティコ"です。

シリーズ唯一の原作なしで、ファンからは異端的な扱いの作品ですが、自分を振り返るにあたって絶対に外せないアニメです。この作品が今に続く自分の"二次元好き"(オタクではない)の原点であり、ラジオネームにもしている、主人公のナナミ・シンプソンは初恋の相手であると同時に今でも憧れのナンバーワンの女性です。

エロい方面の話もすると、この作品で水中フェチ(アクアフィリア?)に目覚めました。

海外の実写ならともかく、国内で二次元限定となるとこの手の趣味の持ち主がほぼ居ないので、イラスト等を探すのに非常に苦労します。


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