なぎら健壱と《銀座東》前編#8

果たして私たちは、この方が「フォークシンガー」であると知っていたでしょうか。少なくとも松重ディレクターは『タモリ倶楽部』という特異空間でのみ受肉する「おもしろおじさん」のイデアと思い込んでいる節がありました。
果たして私たちは、この方のご出身が今の「銀座」と呼ばれる地域であると知っていたでしょうか。
少なくとも筆者は、「下町」の権化という認識であったのです。
果たして私たちは、この方のお名前のイントネーションが「日比谷線」とは違うと知っていたでしょうか。
少なくともご本人は日比谷線「東銀座」の旧木挽町生まれです。

なぎら健壱さん。1952年4月16日 生まれ。現在、71歳。シラフ。
アクセントを「な」に置くところから、物語は始まりました。
銀座といえば、海外のハイブランドが曼荼羅を形成する街。
そのイメージと普段の「なぎら健壱」のイメージがなかなか符合しません。
そんな我々のぼうとした笑みをよそに、さらになぎらさんはここで、
「銀座は下町」という恐ろしいパンチラインを鼻先にぶつけてくるのです。
パニックです。なぎらさんの「下町イメージ」を打ち消し、
「銀座」で御生れになったという事実を受け入れはじめた矢先に、
今度は「銀座」=「下町」という不可思議な等式が目の前に差し出されます。
しかし、実際にそうなのです。
「下町」とは何も「情緒が強い人たちが同人町」「おまけが経済システムに組み込まれている町」ではありません。「山手」側の台地に対して「低地」に位置している町を一般的に「下町」。そうであれば、銀座も下町です。
つまり、イメージに違わず、なぎらさんは「下町」の御生れ。
変えないといけないのは私たちの「銀座」観です。
旧木挽町で生まれ育ったなぎら少年。
最初からビール片手だったわけもなく、当時、どの小学生もそうであったように路地裏で「めんこ」などに興じておりました。
級友の中には木挽職人さんの家庭もまだいる時代、なぎらさんご自身のお父さんも宝石箱を作る職人さん。間違っても手裏剣を見て「ヴィトンじゃん」というような子ではなかったのです。
ところが、絵に描いたような下町っ子であったかといえば、小学生の頃になってはじめて、父の資材から飛び出してきたバッタを見て戦々恐々したり、溝川沿いの灌木に蝟集する「蛾」を「蝶々」だと思い込んでいたり、余りにも余りにも予想していなかった角度から「シティ・ボーイ」が顔を出すのです。
この「下町っ子」と「シティ・ボーイ」を同時に引き受けた少年は転校を機に故郷・銀座を離れ、以降、距離を以って眺め続けることになるのですが、アクセントがまたわからなくなってきたので確認してから次週に臨みます。
文責:洛田二十日(スタッフ)
twitterのハッシュタグは 「#東京閾値」 です
是非番組への感想などをお寄せ下さい。