【後編】宇多丸『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3』を語る!【映画評書き起こし 2023. 5.19放送】

TBSラジオ『アフター6ジャンクション』のコーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞して生放送で評論します。
今週評論した映画は、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3』(2023年5月3日公開)
※この日は番組のオープニングゾーン(18:00~20)を使って映画評をスタート。【前編】はこちら
宇多丸:さあ、ここからは私、宇多丸が、ランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する、週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのは、日本では5月3日から劇場公開されているこの作品、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3』。
(曲が流れる)
宇多丸:今回、『Vol.2』の結末でその選曲の幅が大幅に、時代的に広がったんですけど、でもピーター自身が選曲してるところはやっぱり、70年代、80年代が中心なんですよね。っていうか、90年代でもそれっぽい曲だったりして。これ、まさにレインボーの「Since You Been Gone」。ロケットを、仲間を救いに行くぞ!って出発するところでかかるんだけれども、すっごい「ガーディアンズっぽい」よね! これ、やっぱりね。
ということで、マーベルコミックスのキャラクターがクロスオーバーする、マーベル・シネマティック・ユニバースの劇場版32作目。スター・ロードことピーター・クイル率いる銀河のはぐれ者チーム、ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーの活躍を描くシリーズの完結編。敵の襲撃により傷ついたロケット・ラクーンの命を救うため、新たな脅威ハイ・エボリューショナリーに立ち向かう。クリス・プラットをはじめとするシリーズの主要キャストに加え、私は大ファンです、ウィル・ポールターさんなどが新たに参戦しています。監督・脚本は過去2作に引き続き、ジェームズ・ガンが務めました。
というところで、これを観たよというリスナーの皆さんからの感想メールは、この前の時間帯、6時台、オープニングで先に紹介させていただきました。皆さん、ありがとうございました。そして、私はこんな映画館で、こういうセッティングで見てきたよ、という……IMAXがおすすめだよ、なぜならば、という話も、オープニングでしました。(ラジオ起こし職人の)みやーんさん、すいません。ちょっと分量多いですが。『ガーディアンズ』のことだったら起こすのは苦じゃない、という風に推測しますので、よろしくお願いします(笑)。
こんなこと言っている場合じゃない! さあ、ということでさっそく、本題に入りたいと思います。
■「これはちょっと桁違いのが来たぞ!」から約10年。どこがそんなに新しかったのか? 改めて整理する
みんな大好き『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』三部作の、堂々の完結編です。私のこの映画時評コーナーでは、2014年10月14日、つまり前の番組時代ですね。『ウィークエンド・シャッフル』時代に、まず1作目を取り上げて……というか、取り上げる前から、日本での劇場公開前から、私ちょっと事前に評判も聞いておりまして、「これはちょっと観なきゃいけないな」と思って、一足先に、珍しく試写で拝見いたしまして。
で、「これはヤバい! ちょっと桁違いのが来たぞ!」ということで、当時の番組『ウィークエンド・シャッフル』内、「タマフル」内で、ずっと激推ししまくってたんすね。「とにかく騙されたと思って観てください!」みたいな。「とにかく素晴らしいんで。MCU、他に一本も観てなくても、何の関係もないです。あと、日本版の宣伝が苦慮している感じ……“しゃべるアライグマ押し”みたいなのには困惑すると思いますが(笑)、もうそういうのは関係ないんで! ぜひ観てください!」って騒いでいた。たぶん放送メディア上では、比較的早い段階から一番大騒ぎしてた人の一人なのは間違いない、と自負しております。で、2014年度シネマランキングも堂々1位!に選ばせていただきました。
そして2作目の『Vol.2』はですね、2017年の5月27日に取り上げて……こちらは公式書き起こしが今もアーカイブされておりますが。しつこいようですが、この日本用タイトルの『リミックス』。もう何度も言います。意味的におかしい上にダサいので、3作目が『VOLUME 3』のまま無事公開された今、さっさと遡って改めていただきたい、と切に願う次第です、ディズニーさんよ!っていうね(笑)。
で、とにかくこの『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズ、特に1作目がですね、結果としてMCU、ひいてはアメコミヒーロー映画、ひいてはアメリカのエンターテイメント映画、さらには日本を含む世界のエンタメ作品全体に与えた影響、というのが、非常に巨大なものがありまして。昨夜の特集でドロッセルマイヤーズ・渡辺範明さんがちょろっとおっしゃっていたようにですね、あまりに後世への影響が大きかった、真に革命的な作品というのは、逆にそのモードが広まり切った後から振り返ると、リアルタイムでの本当のそのすごさ、みたいなものが、伝わりづらくなってしまったりしがちなんですね。で、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』は、それ級の作品になっちゃってますね。
なので改めて、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』のどこがそんなに新しかったのか? すごかったのか? 三部作完結のこのタイミングで、まずはちょっと整理しておきたいと思うんですね。
■とにかく「ポップ」でフレッシュなスペースオペラ。そして隅々にみなぎる気概と反骨精神
端的に言えば、とにかく「ポップ」だ、ということなんですよね。もちろん、MCUは最初からですね、それまでのアメコミ実写化のトレンドからすれば、かなりポップかつカラッとした方向に振り切って成功していたフランチャイズではあります。
それでもやっぱりですね、メインとなっているのは、『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』……だから『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』の登場前までは、これがMCUの最高傑作だ、っていう人がほとんどでしたよね。あれは要するに、『大統領の陰謀』とかそういうものをベースにした、非常にシリアスなポリティカルサスペンスでもあったという『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』。そしてその流れを汲む『シビル・ウォー』、これは2016年の作品へと繋がる、「リアル、すなわちシリアス」路線、みたいなものが、やっぱりメインではあって。
(比較的カラッとしたキャラクターであるはずの)『マイティ・ソー』だって(2作目は)『ダーク・ワールド』とか、とにかくやっぱりシリアス、ダーク、みたいなものに行きがちな世界ではあったわけです。そこにですね、この『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』のように、思い切り荒唐無稽なスペースオペラ……いまどき、スペースオペラ! これを堂々とやり切る!っていうのは、2014年当時は、かなり異例な試みだったんですよね。その時、そんな蛮勇をやる人はいなかったんですよ。
あまつさえですね、それ以前のスペースオペラ映画の、もちろん言うまでもなく絶対王者『スター・ウォーズ』サーガが標準化した……だから『スター・ウォーズ』の時点では、『スター・ウォーズ』が革命的だったんですけど。あの、宇宙船は基本的にモノトーンで、ウェザリングとかが施されていて、まあ非常に「リアル」なタッチである、というような……そういうトレンドっていうか、ほとんど決まり事ですよね。
ほとんどみんなそういう風にやっていたものを、『スター・ウォーズ』以前のスペースオペラ的な想像力が持っていた、また別の可能性……たとえばそのクリス・フォスという方がずっと描いてきたような、先ほどのメールもあった通り熱帯魚を思わせる、非常にカラフルな、そして非リアル方向なデザイン感覚というのを、改めて全面的にそのスペースオペラというものの中に、今の技術で持ち込んだりとか。
あるいはですね、一応の理屈づけがあるとはいえ、スペースオペラに、言ってみればタランティーノ型の、ジュークボックス的既存ポップミュージック選曲を、抜群のセンスでやっぱり、大胆に導入する。宇宙の物語なんですよ? SFなんですよ? なのにポップミュージック!っていう、この組み合わせも、その前は誰もやってなかったんですよ。「こんなこと、やっていいんだ!」っていう。だから、1作目のオープニング。やおら……もちろん(冒頭でいきなり流れ出す)10ccのね、「I'm Not in Love」も度肝を抜かれますし。ピーター・クイルが、やおらウォークマンに「あの曲」を流し出して……「なにこれ!?」っていう。みんなもう、びっくりしたんですよね。
で、さらに付け加えるならばですね、これは完全に、その元はトロマ映画というところ出身、B級カルトムービーの作り手だったジェームズ・ガン……いまだにトロマにはずっと律儀に、ジェームズ・ガンはオマージュをちゃんと捧げ続けてますが。ジェームズ・ガンの持ち味たる、オフビートで、時には露悪的でもある、笑いの感覚。もっと言えば、要するにご立派なヒーローたちなどとは正反対の、社会から見捨てられ、見下げられ果てた、はぐれ者、はずれ者たちの気概、反骨の精神みたいなものが、隅々にまでみなぎっていたりしてですね。
とにかく、トータルで誰もやったことがない試みに、当時はほとんど誰も期待してなかったような座組でトライし、見事圧倒的な化学反応を起こした、正真正銘の歴史的傑作だったわけです、1作目の『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』は。結果、大方の予想を大きく裏切る特大ヒットになった、という感じなんですね(※宇多丸補足:また、クリス・プラットやデイヴ・バウティスタなど、出演者たちもここから、押しも押されぬスターとなってゆきました)。
■1作目以降、紆余曲折あったジェームズ・ガン監督。これで彼の『ガーディアンズ~』とは本当にお別れ
で、その後、たとえばMCUの中で、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』的なポップなスペースオペラ路線、というのがひとつの主軸となっていったのは、皆さんもご存知の通りだし。MCU以外でも、たとえば『デッドプール』とか、後にジェームズ・ガン自身が引き継ぐことになる『スーサイド・スクワッド』とか、明らかに『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』の影響下で出てきた作品……あるいはやっぱり、場面演出ですね。たとえばポップミュージック使い、みたいなところで、本当に影響を受けた作品というのは数知れず、ですし。ひいては日本でも、たとえば『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』みたいな(笑)でこぼこチーム、みたいなのが出てくる。そういうところまで広がっていったりとかする。
とにかく、言ってみれば「アフター『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』」な時代を、我々は既に生きているわけなんですね。ということで、私が1作目公開前に、「これはこの時代における新しい、新時代の『スター・ウォーズ』……1977年に『スター・ウォーズ』が登場した時のようなインパクトを残す作品になるだろう」って言いましたけど、あながちそれが言い過ぎでもなかった、という結果になったわけですね。
で、ジェームズ・ガンが直接タッチしていない他のMCU作品でも、必ずおいしいところを持っていく『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』のキャラクターたち。で、ますます人気を高めていった皆さんなんですが。同時にしかし、この『ガーディアンズ』はですね、ジェームズ・ガンが脚本・監督を手がけた3.5作……すなわち、さっき言った1作目と『Vol.2』、さらに昨年Disney+で配信された中編『ガーディアンズ・オブ・ギャラ クシー ホリデー・スペシャル』、そしてこの『VOLUME 3』。
この3.5作というのはですね、他のMCUユニバースとは独立した……もちろんね、『インフィニティ・ウォー』『エンドゲーム』で起こった巨大な出来事っていうのは、どうしてもそれは関係しちゃっているんだけども。それでも基本的には、それ自体、単独で成立しているシリーズでもあって。ファンも、そのつもりで観てるところもあってですね。
たとえば『THE RIVER』というところの記事でも、ジェームズ・ガンさん、たとえば『エンドゲーム』ラストで、マイティ・ソーがガーディアンズ組と合流したまま終わる、っていうのを知らなくて。「えっ、俺、ソーの話とかやりたくないんだけど?」みたいな(笑)。「すごい困ったよ」なんてことを言っていたり。あと、『インフィニティ・ウォー』でピーター・クイルがとある行動を取るんですけど、「自分なら、ああいう行動をピーターがするとはちょっと思わない」みたいなことを言ってたりとか。彼なりのね、そういうあれがあったりする。つまり、MCU本体と、「ジェームズ・ガンの『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』」の距離感、みたいなものがですね、ちょっと垣間見えるような発言があったりするわけです。
もちろんその背景には、ご存知の方も多い通り、2018年にですね、過去のTwitterでの不謹慎、不適切なジョークというのが問題視されて、ジェームズ・ガンが一時、解雇されてしまったわけですね。で、もちろん本人はすぐにその謝罪、反省というのを表明しましたし、あとは主要キャストをはじめ、本当に多くの人が復帰を求め、そういう動きをした結果、9ヶ月後の2019年に再び再起用が決まった。2018年7月に解雇されて、2019年3月に再起用が決まった、というような、そういう経緯が背景にあったりして。
そしてその間、マーベルのライバルであるDCに呼ばれて、「じゃあ、こっちでちょっと作品を作ってください」っていうので、『ザ・スーサイド・スクワッド』、2021年。これ、本当に面白かった! そしてそのスピンオフドラマ、さらに輪をかけて素晴らしい『ピースメーカー』! これを成功させて。今後は「DCスタジオ」という新たに作った体制の中、「DCユニバース(DCU)」のクリエイティブのトップとしてやっていくことがもう決定もしている、ということですね。まあ今回、DC組からのカメオ出演がね、チラチラあるのも、すごく楽しいあたりですけれども。
なのでとりあえず、これがやっぱり、泣いても笑っても俺たちが愛した「ジェームズ・ガンの『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』」……っていうか、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』はジェームズ・ガンのものだから。たぶんもう、やらないでしょうね。(マーベルに)戻ってこない限りは。だから、本当にお別れだ、ということなんですね。
■『VOLUME 3』はロケットで始まりロケットで終わる物語
前作『Vol.2』の本編ラストカット、皆さん覚えてらっしゃるでしょうか? ピーター・クイルの育ての父である、これはジェームズ・ガンが愛してやまない役者、マイケル・ルーカーさん演じるヨンドゥの葬儀に、劇中で彼と非常に親交を深めたロケット・ラクーン……まあ、アライグマって言うと怒りますけども(笑)、しゃべるアライグマですね。ロケット・ラクーン。声をブラッドリー・クーパーが、そしてモーションキャプチャーの元となる演技を、クラグリンという役もやっている(ジェームズ・ガンの)弟のショーン・ガンさんがやってたりするという……ジェームズ・ガン自ら、「これは自身の分身でもある」という風に公言しているキャラクター、ロケット・ラクーン。彼が、涙を溜めているというアップ。それで『Vol.2』は終わったわけです。
で、それを受けるように、『VOLUME 3』はやはりですね、ロケットで始まり、ロケットで終わる作品になっている、と。つまり、その『Vol.2』のラストで、「次は彼の物語ですよ」っていうところはちょっと、暗示されてるところもありますよね。「本当はこの人の話ですよ」じゃないけど……今回、ありましたね。「これは本当は、あなたの物語なのよ」って……あれ、素晴らしいセリフでしたよね。
前作でひとまずその物語にひと区切りがついたとも言えるピーター・クイルにかわりまして(※宇多丸補足:ゆえに、本作における彼サイドの現在進行形ストーリーは、「厳重な警備システムをプカプカとユーモラスに無力化」「自己犠牲的行動でピーターの肉体が崩壊しかける」など、実は一作目の流れをあえてかなりなぞったような、比較的「何も考えずに観られる」かたちが取られていたりします)、本作『VOLUME 3』では、この『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』の物語世界を最も象徴する存在とも言える、このロケット・ラクーンのストーリーが、メインに置かれているわけですよね(※宇多丸補足:放送時にはうっかり言い忘れてしまいましたが、ちょうど『THE FIRST SLAM DUNK』の主人公が、これまであまり掘り下げられていなかった宮城リョータにシフトしたように……とも言えますよね)。
■ロケットの、どこか自己否定的で傷ついた内面を示すレディオヘッドの「Creep」
前作で、ヨンドゥの形見として、MP3プレーヤーZune(ズーン)というね……この「じゃない方」ガジェットなのも、いいですよね。言っちゃえば、わかんないけど、ドリームキャストとかさ、そういう感じ(笑)。そのMP3プレーヤーZuneを入手したことで、1作目、2作目はピーターのお母さんの1988年までのポップス/ロックの選曲が全てだったんだけど、そこからさらに、90年代、2000年代に選曲の幅が広がった、という本作。
実際、ピーター・クイル自身が選曲するのは相変わらず70年代から80年代中心、90年代にしてもすごく70年代リバイバル的だったりする感じなんだけども、たとえば冒頭とラストは、ロケットが選曲をしているんですね。これ、明らかにピーター・クイルとは、趣味が違うんですよ。これが面白いなと思います。90年代以降のテイストで……ド頭ではですね、ちょっとかけましょうか? レディオヘッドの「Creep」という曲、1993年。このちょっともの悲しい感じの、アコースティックバージョンが流れますね。まあ端的に言えば、「俺なんかキモい存在なんだ。君は本当に素敵で、本当は声をかけたいけど、俺はキモいから」っていう、そういう歌ですよね。これ、ロケット・ラクーンという、普段はマッチョな言動で通してる人ですけれども、やっぱり彼の、なんか常にどこか自己否定的な、どこか捨て鉢な、そんな中にある本当に傷つききった内面、みたいなものが吐露されるような場面。
事実、彼はですね、これまでも匂わされてはいましたが、その出自そのものがですね……極めてひどい虐待、というものに関わる出自。「この俺の生まれそのものが、呪われてるじゃないか」っていう風に思っても仕方がないほど、ひどい出自、虐待を受けてきている。それが、後の彼の自己肯定感を、著しく低くしてるわけですね。
だから、命知らずな行動っていうのも……たぶん彼は、自分を大事にしていないんですよね。で、本作は回想形式で、その彼がなぜ、どういう思いをしてきたのか? どういう体験をしてきてきたのか? その経緯をたどりつつ、最終的に彼がそのトラウマ……恵まれない、救われない境遇に、正面から向き合って、乗り越えていく、という物語になっていくわけです。
■弱者が踏みつけにされる非情な現実。それでも支配者たち、権力者たちに断固抗っていく
これはたとえば、今もまだ世界に本当にあふれている、たとえば奴隷システム……人身売買とか奴隷システムって、あるわけですね。奴隷って、いるわけです、全然、いっぱい。あるいは、児童虐待であるとか。あるいは、非道な動物実験などもやっぱり視野に入っていると思いますが。とにかく、弱者が踏みつけにされる非情な現実、っていうもの。それの象徴ですよね、これは。
そして、ガーディアンズのメンバーっていうのは、ほぼ全員が、様々な形で、こういうように踏みつけにされた弱者、ほとんど不可逆なまでに傷つけられて、打ちのめされてきた存在たち、なんですよね。
で、この『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』というシリーズはですね……それゆえに、最初はその、世界を恨み、他人を遠ざけてきたような人たちなわけですよ。非常に暴力的だったりして。それが、いろいろあって、互いに寄り添い合い、助け合い、ケアし合う、という経験を通じて、ついに自らの人生と存在、そして世界を、その悲しみと絶望の果てにですけども、もう一度肯定してみせる……逆に言えば、上から目線で十把一絡げに、要するに「人をグロスで勘定する」考え方ってありますけれども、そういう支配者的、権力者的考え方。
そうやって「お前らみたいな弱者っていうのは、コントロールしてやんないとダメだからな」って……まあ、サノスでも何でもいいですけど、そういう人たちに対しては、絶対に抵抗する!という。そういう物語だったのだ、ということを、この見事な完結編は、非常に考え抜かれたパーフェクトな形で、僕は提示しているという風に思います。
いま流れてる、オープニングで流れる「Creep」……これに心情を寄せて、しょんぼりしていたロケット。要するに非常に自己肯定感が低い状態で始まったロケットが、ラストに選ぶ曲は何か? そして、最後に見せる表情はどんなか?っていうね。いま言ったように、世界には本当にひどいことがあります。今日、実は(アマゾン・オーディブル限定ポッドキャスト番組)『(アトロク・ブッククラブ)宇多丸分室』をこれから録るんですけど、そこで話すことも、ちょっとかなり耐えがたいほどひどい世界の現実、みたいな話をしようと思うんですが。それがあった後でも……いや、それでも生きていてよかったとか、世界を祝福したくなるような気持ちになる時とか、そう思える瞬間が、いつか必ず来るよ!っていう。たとえそれが一瞬で過ぎ去るものであっても、そのためにまた今日を必死で生きようよ、というような……そういうラストに、ちゃんと着地していきます。これね。皆さん、どういう選曲で、どういう場面なのか、ぜひ観てください。私はもうラスト、涙でスクリーンが見えませんでした……っていう感じでございます。
■『Vol.2』のデジタル感に比べて今回はフィルムライクな仕上がり。『ガーディアンズ~』ならではのチームプレーも楽しい!
と言ってもですね、皆さん、すいません。ちょっとシリアスな話をしすぎました。そこはジェームズ・ガン、いくらでもウェットになりがちなところ……この話ね。実際『Vol.2』は、ちょっとウェットのバランスが強めだったと思うんですが。その『Vol.2』よりは、実はウェットのバランスは抑制されておりまして。基本はカラッとスマートに、楽しく、時に意地悪に、笑える作品なんです、もちろんね。
たとえばですね、これぞガーディアンズ!な楽しいシーン。これ、ちょっと音楽と合わせていきましょう。スペースホッグの、1995年……これ、デビュー曲なのかな、スペースホッグの「In the Meantime」という曲に乗せて、彼らがオルゴコープという製薬会社というか、医療会社みたいなのに乗り込んでいく、というところ。予告でもこの曲、使われてましたけど。これ、歌詞が……まず出だしが、「時間内にやっつけちまおうぜ、やつらが神聖だと思っているようなものをさ」。時間内に片付けちまおう、みたいな、そういう歌詞の不遜な感じ……あとはね、この建造物というか、星そのものが生き物、という非常に楽しいSF的設定なんですが、そのね、歌詞のメタファーがちょっとそれとも合ってる、っていうかね。これ、非常に楽しいんですね。あとこの場面、あの、カラフルな宇宙服ですね! もちろん『2001年宇宙の旅』の宇宙服を連想もするし、パックマンのモンスター的でもある、という。もう楽しい!っていう感じですよね。
まあ、こんなのに乗せて。で、前作『Vol.2』がですね、ビッキビキの、当時最先端のデジタル映像、たしか8Kカメラみたいなのをね、持ち込んでやっていて、非常にデジタルビキビキな感じだったのに対して、本作『VOLUME 3』はですね、たとえばこのオルゴコープのシーンなどの、プロダクションデザイナー、ベス・マイクルさんとかによる非常にぶっ飛んだ美術をはじめ、本当に作ったもの……要するにCGじゃない、実際のガジェットやメイク、セットなど、その質感などが、本当に楽しめる作りにもなっていて。
画調もですね、『Vol.2』のデジタルビキビキ感から、ちょっとあれは行き過ぎたなっていう反動なんでしょうね、非常にフィルムライクな、映画的なタッチに戻されていて。ただ、昔風というのでもなく、たとえば要所要所でのワイドレンズ使い、それがすごく……要するに、ちょっと湾曲したというか、ワイドレンズ使いが、すごいちょっと新しい、ちょっと見たことない感じのかっこいい画面になっていて。
それが全面展開されるのが、クライマックス。最近、マリオの映画(『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』)でも使われていた、あるヒップホップクラシックに乗せて……『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』でヒップホップは珍しいんだよね。でも、ロックテイストです。ロックテイストのヒップホップクラシックに乗せて、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』ならではの横並び歩き!からの、大乱闘シークエンス!という。これ、擬似的ワンショットで延々と続く、まあ非常に新しい感じのアクションシーンで。あえて言えば、リーアム・ニーソンの『トレイン・ミッション』のクライマックスの見せ方が近いけど……あれをさらに何千倍もスケールアップして長くした、って感じですね。そんな場面だったします。あと、『Vol.2』でやや私は不満だった、ガーディアンズならではのチームプレー、連携プレーみたいなものがですね、このクライマックス以降、全開になるところも、『VOLUME 3』、非常に満足度を高めてると思います。
ウィル・ポールターさんがものすごくかわいらしく演じる、アダム・ウォーロックの……あの「アダム」ネタパロディね。「アダムの創造」っていう有名な絵を使ったパロディだとか。あとは、そこはかとなく散りばめられた『スター・ウォーズ』オマージュというか、みたいなところの要素とか。もちろん、脇や背景のキャラクターに至るまで、おろそかにしない手際とか。細部に至るまでの本当に味わい深さ、さすがジェームズ・ガン……あの「カウンター・アース」というところの描写もなんか、ベタな描写であればあるほど面白い、っていうか。たとえば(カウンターアース人の)お父さんが、車を乗っていかれちゃう、っていう風に思って、「ああ、参ったな……」みたいになる。それ自体は陳腐な描写なんだけど、ここの感じでやられると面白い、みたいなのも、すごくいいですよね。
■本編最後、三部作を見てきた人へのサービス選曲、からの覚悟表明的な曲へ。最高の締めくくりでした!
あとですね、僕が特に感心したのは、『ピースメーカー』のマーン役でおなじみ、チュクウディ・イウジさん演じるハイ・エボリューショナリーの……言っちゃえばサミュエル・L・ジャクソン的な、デフォルメ演技なんだけど。この実際、本質的に非常に陰惨極まりないお話……『ドクター・モローの島』的なね、マッドサイエンティストですけれども。そこに一抹の人間味と、なんならユーモアを加味していて。実はとても難しいバランスを、うまくやっていたと思います(※宇多丸補足:このキャラクター自体も、言ってみれば「潔癖症的な理想主義や正義感」が、いかに暴力的な抑圧につながりやすいかを示す、極めて現代的な問題提起になっていますよね)。
メインキャストたちの輝きは言うに及ばず。特に今回は、マンティス役のポム・クレメンティエフさん……『ザ・スーサイド・スクワッド』にもダンサー役で一瞬、出たりしてました。あと、ネビュラ役のカレン・ギランさん。どちらも、最もこのシリーズを通して大きく、成長・変化したキャラクター。本当に生き生きと……本当にこういう人だ、っていう感じで演じられていて、そこも素晴らしかったし。ピーターとガモーラ、お互いに対するその感情的テンションの差、というサブストーリーに関して、とてもスマートな着地、真っ当な着地をしてみせたのも、2020年代のエンターテイメントとして、本当によかったです。
で、すっかりもう「家族」になった……家族になったからこその、旅立ちのシーン。さっき言ったように、今だけは世界を、人生を祝おう、というそんな時。そんな時はきっと来るさ!というラスト。で、そこで一旦、本編が終わってからの後日譚、という中で、まあ音楽談義みたいなのをしている。タランティーノ的な、と言ってもいいと思いますが、音楽談義としているところ……からの、これで最後の一曲。本編からの最後の一曲……見事でしたね! ここまで三部作を観てきた我々に、改めて本当に面白いシリーズだったよな!と思い起こさせるような、サービス選曲。最高! もうそこで拍手……「ありがとう!」っていう感じ。
で、すいません、最後に! クレジットが流れる中、その曲から続いて、ブルース・スプリングスティーンの、「Badlands」っていう曲が流れるんですね。これね、サビの部分の一部だけ、ちょっと要約しますけども。「戦うんだ、このバッドランドが俺たちをまともに扱い始めるまで」っていう……つまりさっきから言ってる、全ての捨て置かれた、見下げられた弱者。全ての見捨てられた者、あるいは後ろ指をさされた者、全ての間違えた者に対する、愛あるエールだし。それを踏みにじってくるやつらは必ずこれからも出てくる……その時は、やっぱりまだ戦い続ける、っていう、そういう覚悟表明でもあって。
これはだから、クイル的選曲ですけども。最後にもう一回……すごくハッピーに終わるんだけど、もう一回、でも世界は甘くないぞ、っていうかね。でも、俺たちは負けないぜ、っていう選曲で……(CM入りのジングルが流れる)。ああ、もう終わりですよね、はい! というこで『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3』、ありがとう、ジェームズ・ガン! 最高の三部作でしたー! 劇場でウォッチ、そんなの当然だろ?
(次回の課題映画はムービーガチャマシンにて決定。1回目のガチャは、『ワイルド・スピード ファイヤーブースト』。1万円を自腹で支払って回した2回目のガチャは、『最後まで行く』。よって次回の課題映画は『最後まで行く』に決定! 支払った1万円はウクライナ難民支援に寄付します)
以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。
◆過去の宇多丸映画評書き起こしは