大都市・江戸の生活用水だった「玉川上水」に注目!

立飛グループpresents 東京042~多摩もりあげ宣言~

東京の多摩地域にお住まいの方、出身の方はもちろん、多摩地域以外の方にも多摩というワードをインプットする番組「立飛グループpresents東京042~多摩もりあげ宣言~」(略して「たまもり」)。MCは土屋礼央さん(国分寺市出身)&林家つる子さん(八王子市の大学出身)。今週は東京都水道歴史館の金子智さんをゲストに迎え、礼央さんが学校で少し学んだという「玉川上水」に注目!

大都市・江戸の生活用水だった「玉川上水」に注目!

土屋:今日はね、ついに来ました!これがやりたくてこの番組をやっているようなものですよ。

つる子:なんでしょう?

土屋:「玉川上水」という、どメジャーな企画を(笑)。

つる子:ああ~

土屋:僕は「玉川上水」沿いで育ったんで、手に取るようなんですけど。今日の台本には“劇渋な話題”って書いてあるんですよ!おかしな話ですよ!

つる子:(笑)

土屋が学校で学んだ「多摩地域の水=玉川上水で23区の人の生活が潤っている」

土屋:「玉川上水」、わかります?

つる子:「多摩都市モノレール(と西武鉄道)」に「玉川上水駅」があるからもちろん名前は知ってますけど・・・ただ、そんなにはね~

土屋:23区にお住まいの方も<玉川上水の名前は知ってますよ>みたいなことを軽く言ってますけど、誰のための浄水なんだって!

つる子:(笑)

土屋:多摩地域の水で23区の人の生活が潤っているんだ!という話を、子供の頃に学校で聞いたことがあります(笑)。

つる子:学校教育で。

土屋:その時に聞いていた興奮だけでここまで来てるので、詳しいことは知らないのよ(笑)。

つる子:(笑)

土屋:なので、今日は「玉川上水」がどういうものでどういうところに役に立ったのかということを、今日は専門家の方にお話を伺いたいと思います。「東京都水道歴史館」企画調査責任者の金子智さんです、よろしくお願いします!

金子さん:よろしくお願いします。

土屋:金子さんは山口県のご出身で早稲田大学で考古学を専攻。2017年から「東京都水道歴史館」に勤めていらっしゃいます。考古学はどの時代を学んでいたんですか?

金子:考古学自体は人類がいる全部を扱っているんですけど、私はどちらかというと歴史時代=江戸時代を中心にやってました。

土屋:「東京都水道歴史館」にお勤めになったのは?

金子:江戸の遺跡を掘っているとどうしても水道が出てくるんですよ。それで以前から興味を持っていたんですけど、その時にたまたま「東京都水道歴史館」の仕事があることを聞いたのがきっかけです。

土屋:そんな金子さんですが、現在は「調布市」にお住まいで。ようこそ多摩へ!どうですか、「調布」の住み心地は?

金子:私は田舎者でしたので大学に入るのにできれば都心に住みたいと最初は思っていて。学生時代は古いアパートでしたけど都心に住んでいて、一度、仕事で愛知に行って、また東京に戻ってきた時に<今さら都心に住むこともなかな>と思って。

土屋:「調布」の駅前ですか?

金子:最寄りは「つつじヶ丘駅」で団地に住んでいます。私は田舎ではずっと戸建てに住んでましたので、東京に来て団地ってどうだろうって思ってたんですよ。でも、住んでみて意外といいですね。

土屋:多摩地域は住んでみると“意外と良い”そうなんですよ。ハードルがだいぶ下の方から入りますからね。

玉川上水=『江戸の町に飲み水を運んでいた水路』

土屋:今日はそんな金子さんに「玉川上水」について色々と伺いたいと思います。僕は「玉川上水」沿いに住んでいた人間なので、手に取るようにイメージできますけど、知らない方も多いと思います。まず、「玉川上水」とは何なのか?、ちょっと教えてください。

金子:『江戸の町に飲み水を運んでいた水路』ということになりますね。江戸の町に入ると今度は地下の水道管になって行きますので、そのネットワーク全体を「玉川上水」と呼んでいます。

土屋:そういうことなんですよ。多摩地域を中心に見るとね、東京の都心の水は我々多摩の水でできてますから!

つる子:ほんとですね!

土屋:我々が水を引いてやったから!ちょっと攻撃に行く時があるんですけど(笑)。そういう優位性は我々は持っていると。

つる子:でもすごい重要な役割をね。

「玉川上水」は江戸初期の大プロジェクト!

土屋:でも、「玉川上水」ってなぜ作ることになったんですか?

金子:江戸の町は、今の中央区のあたりは埋立地なんですね。普通のところなら井戸を掘って地下水を飲めばいいという話になるんですけど、地下水が汚いんですね。海が近いと塩水が入ってきて飲み水としては使えないと。どこからか水を持って来なければいけないということで、できるだけ標高が高くて傾斜が確保できるところ。高い場所からきれいな水を持ってくるということで探して、今の「羽村市」のところから水を引いたんですね。

つる子:「羽村」からなんですね。

土屋:当時というか今もそうですけど、けっこうな距離がありますよね?

金子:羽村から四谷までで43キロありますね。

土屋:そこまで水を運ぶというと、大プロジェクトですよね?

金子:そうですね、それも江戸の前期ですからね。重機も無い時代で、全部人力で。

土屋:江戸まで水を引けるという確証はあったんですかね?

金子:工事を始めてからはけっこう短期間だったんですよ、8ヶ月くらいで。

つる子:え、8ヶ月で??

土屋:信じられないスピードだ。

金子:おそらく綿密な計画ができていたんだと思いますね。

土屋:その技術、なぜ8ヶ月でできたんですか?

金子:いや~それがわかんないですよね。作った時の記録がほとんど無いんですよ。

土屋:これを「羽村」から東京の都心まで引いたわけですけど、四谷くらいまでですよね。なぜ四谷なんですか?

金子:四谷が昔、江戸の入り口だったんですよね。

土屋:ああ、なるほど。江戸の西の玄関口が四谷だったんですね。

金子:その四谷に“大木戸”という関所みたいなのがあって、そこまで水道管ということで作られました。

土屋:そこからは分配されて、江戸の町のいろんな場所に?

金子:そこから地下に石や木で作られた水道管になって。

「玉川上水」を作った「玉川兄弟」とは!?

土屋:この「玉川上水」を語る上で「玉川兄弟」という人たちでいて。銅像があるくらいなんですけど、これは2人がリーダー格で工事にあたっていたんですか?

金子:今でいうと“ゼネコンの社長”という位置付けになるのかなという感じですね。幕府が最初「玉川兄弟」に計画を立てさせて、お金を与えて工事の人の手配とかを全部「玉川兄弟」がやるというスタイルでやっていたみたいです。

土屋:じゃあ、「玉川兄弟」はもともと測量などに詳しい人物だったんですか?

金子:おそらくそうですね、技術を持っていたんだと思います。

土屋:「玉川兄弟」は“兄弟じゃない”という話も聞いたことがあるんですけど?

つる子:え?

金子:“兄弟”という記録が無いんですね。

つる子:なぜ兄弟に??

金子:“庄右衛門”と“清右衛門”という名前がいつも出てくるんですよ。年も近いので“兄弟じゃないかな”という説が有力なんですよ。幕末くらいに“兄弟”と書いた資料が出てきたんですが、江戸前期から幕末までの資料で、玉川“庄右衛門”と“清右衛門”が兄弟と書いた資料はまったく無いんですよ。個人的には兄弟だと思いますけどね。

土屋:兄弟であって欲しいみたいな(笑)。

つる子:私、“叶姉妹”を思い出しました(笑)。

土屋:金子さんから見て、「玉川兄弟」の凄いなと思うところはどういうところですか?

金子:やっぱ“規模”ですね。水路を引いてくることもそうですけど、江戸の町中に入っても網の目のように、今の港区あたり一帯にも引かれているので。町中もやっぱり傾斜で水を送らないといけないので、それも完全に計算をしていないと水を流れないということになりますので。

土屋:当時、江戸の町の人は、羽村から引いた「玉川上水」の水を利用していたんですか?

金子:江戸の南西部が「玉川上水」になりますね。

土屋:北の方は?

金子:「神田上水」になります。

土屋:ああ、なるほど。我々、多摩の人間としては東京都心の南に対しては偉そうにできるということですね。

つる子:(笑)。

金子:港区あたりには偉そうにできますね(笑)。

完成までわずか8ヶ月!「玉川上水」の技術とは

土屋:「玉川上水」の工事も、順調に行った8ヶ月では無いとおもうんですけど?やっぱり大変だったんですか?

金子:言い伝えはいくつか残っていて、流していた水が途中で地中に染み込まれてしまって測量をやり直したという。水を喰う土と書いて「水喰土」というんです。その場所も実際に「福生市」に今も残っているんですね。

土屋:「羽村」から工事して「福生」って、けっこう序盤ですね。心が折れますよね、<まだちょっとじゃん!>って。その「水喰土」をどうやって克服したんですか?

金子:ちょっと脇のところに別の水路を引き直して、水が染み込まない場所に作ったんじゃないかと言われていますね。

土屋:それぞれのブロックを作っているから、そこはそこでやり直して、と。だから、工事も遅れないということか!

つる子:「羽村」の人たちだけは最初プレッシャーだったかもしれませんね。

金子:「羽村」の取水口も<そこでいいのか?>というのもあったみたいな話がありますね。最初、<「府中」くらいがいいんじゃないか>という話もあったらしくて。

土屋:でも、なぜ「羽村」を取水口に選んだんですか?

金子:「府中」だと「多摩川」の標高が低くなっているので、江戸に水を流すのに傾斜が確保できない。

土屋:なるほど。「羽村」の方から下りで四谷まで引きやすい、と。だから東京の全部の土地を把握していないと取水口も選べないですよね。

金子:そうですね、できるだけ高い所、高い所を求めて、そして水路もできるだけ下げないようにするということで「武蔵野台地」の上を通る形になっていますね。

「多摩川」「玉川」どっちなの?

土屋:その「多摩川」の水をということですけど・・・「玉川兄弟」の漢字は“玉”の玉川で「玉川上水」「玉川兄弟」。普通に考えたら多摩地域の「多摩」にするかなと思うんですけど、どうして変えたんですか?

金子:昔から「多摩川」「玉川」の両方の字を使っていたみたいですね。「多摩川」の多摩は奈良時代くらいからずっとある古い呼び方みたいですけど。おそらく玉の「玉川」は当て字でしょうけど。字面で「玉」の方が美しいので、それによって「玉川」の表記を使うことがけっこうありますよね。

土屋:まあまあ多摩地域の人間からすると「多摩」の字だって美しいと思ってはいますよ!これを「玉川」だからそうですねという立場にいることは間違いなんですけど。

つる子:(笑)。

金子:きれいな川の呼び方で“玉川”というのが全国に6ヶ所くらいあるんですよ。歌枕として和歌に詠まれるような川として知られるんですけど、そのうちの一つが“武蔵玉川”=多摩川ですね。

「玉川上水」ができる前は・・・

土屋:「玉川上水」ができる以前はどうしていたんですか?

金子:ごく初期は谷から湧き出る水とか、大地の縁に小さな井戸を掘ったりして賄っていたと思うんですけど、どんどん人口が増えていくので、それではとてもやっていけないと。

土屋:鉄道の場合だと、鉄道が敷かれて町が繁栄するじゃないですか。「玉川上水」が四谷まで水路になってようやく人が集まってきたんですか?それとも人が集まっているところに「玉川上水」を引いたんですか?

金子:人が集まっているところに「玉川上水」を引いたんです。

つる子:だから急がなきゃいけなかったんだ。

金子:そうですね。「神田上水」の方が少し先に出来ていて、それは神田川から水を引いていて、神田や日本橋に流していると。南側は赤坂のすぐ近くに“溜池”という巨大な池がああて。

つる子:あ!溜池山王の!

金子:あそこに池があったんですよ。そこを水源にして水を引いていたと言われています。今の東京駅の方とか品川の方とかは溜池からの水を使っていたんです。

土屋:じゃあ江戸の南側の人にとっては「玉川上水」の水は“2杯目のビール”みたいな感じなんだね。

つる子:(笑)。

金子:溜池は標高も低いし、周りに人家がどんどん出来てきて汚くなるんですね。<水も少ないし飲めたものじゃない>というので、江戸の南側に住んでいる人の水をなんとかしなければいけないということで、遠路から「多摩川」の水を引いてくることになったんです。

「玉川上水」の役割とは!?

土屋:ということは、「玉川上水」が引かれた後はけっこう影響というか、役に立った感じですね!どんな役割を担っていたんですか?

金子:一つは江戸城の中に水を送ることが出来たというのが大きいんですよ。溜池は近いけど、江戸城より低いところにあるので江戸城に水を送ることが出来ないんですね。「玉川上水」は江戸城より高いところから水を引いてくるので、場内に水を送ることができるんですね。

土屋:これは我々としては良い情報を聞きましたね(笑)。

金子:江戸城内は庭があって池がたくさんあるんですね。そこに真水を入れていかないといけないので。園地にはたくさん使われたみたいですね。

土屋:「玉川上水」はそんなに水量があったということですか?

金子:かなりの水量があったみたいですね。今残っている「玉川上水」はちょろちょろしか流れていないですけど、江戸の頃はとうとうと流れていて。

土屋:それだけの水量を管理するのも大変だと思うんですよ。当時の水道管は木ですよね?

金子:木の水道管で水を引いて、木の桶みたいなのを地中に埋まっているんですよ。

土屋:え、この工事はどうやって行われているんですか?地下を掘ったということですか?

金子:基本的には今の水道とあまり変わらないですね。鉄の水道管が木の水道管だったというだけですね。

土屋:トンネルを掘る時、上の方が崩れてきたりとかは・・・?

金子:深い溝を掘って底に木の水道管を埋めていくという。その上にも作ったものを被せて土をって感じですね。

土屋:それは海外から学んだ技術ですか?

金子:これはわかんないんですよね。ただ、造船の技術が絡んでいるのでは?というのが有力ですね。木造の大きな船を作る時の技術ですね。やっぱり木の板を組み合わせて作るので。あと、昔は“地下室”というのが海の向こうでも流行っていて。木の箱みたいなのを地中に埋めて穴倉にしているんですね。土の中は水気が多いのでただ掘っただけだとぐじゃぐじゃしちゃうので木箱を埋めてそこを地下室として使ったんですね。そういう“穴倉大工”というのが専門にいて。そういう人の技術も応用されているだろうと言われています。

つる子:大工さんの需要も江戸時代はすごくあったんですよね。

金子:今とは全然違いますね。

つる子:火事も多かったし。

「玉川上水」を使っていた江戸の水道料金は!?

土屋:なるほど、そういうことか。僕みたいに心の狭い人間だと「羽村」から水が来ると、“水道料金”とかね(笑)。誰も見ていないし、水道メーターも無いし。

つる子:実際にそこら辺はどうだったんですか?(笑)

金子:水道料金はもちろん払っています。

土屋:でも、一律ですよね?

金子:一律です。

土屋:じゃあもういっぱいないと元が取れないよ(笑)。その水道料金は税金みたいな形でみんな払っていたということですか?

金子:基本的には税金と同じ形で、昔の税金は地主さんが払っていたんですね。だから長屋の住人とかは家賃と込みになっている感じです。

土屋:じゃあ長屋ごとに井戸があったということですか?

金子:そうですね。

つる子:江戸の落語の中にも井戸がよく出てくるので。

土屋:江戸時代の水道、衛生面は大丈夫だったんですか?

金子:基本的には「玉川上水」はずっと流れっぱなしですので。当時の川柳を見ると、鮎が泳いでいたという川柳もあるので。元の多摩川がきれいだし。

明治時代に「多摩川」が神奈川から東京に編入した理由は「玉川上水」!?

土屋:その「多摩川」が以前は神奈川の管轄だったという話を聞いて。東京に編入する際の理由の一つに「玉川上水」があったという話を、うっすら聞いたことがあるんですが?

金子:明治時代になると明治政府が多摩川を管理するんですね。近代水道というのは、明治の初期に計画が立つんですけど、お金がかかるのでなかなか出来ないと。それでいつまでも「玉川上水」を使い続けるようになるんですね。その間に明治19年に“コレラ”が大流行するんですね。コレラは水を介して感染する病気なので、古い水道管が傷んで発生するのではないかと、みんな心配していたんですね。そんな中で、コレラ患者の衣類を「玉川上水」の上流で洗ったという新聞記事が出て大パニックが巻き起こったんです。結局は誤報だったみたいなんですけど、「玉川上水」の上流部の管理をきちんとやらなければということになって、当時、神奈川県に属していた多摩地域を東京に持って来ようというふうになったと言われています。

つる子:多摩が神奈川から東京に編入する完全にきっかけとなったんですね!

金子:そのほかにも裏の話はあったみたいですけどね。

土屋:オレはずっと、交渉のカードは多摩地域側にあると思ってたの、<うちは水を引かなくていいですよ>みたいな(笑)。今の金子さんの話を聞くと、<うちが管理してあげますよ>というカードは23区の方にありそうな気がして(笑)。ちょっとぼく的には聞かなきゃ良かったなと思うくらい、立場が逆転したなって(笑)。

つる子:(笑)

土屋:まあ紐解けば、「玉川上水」があったから、<管理が出来るのは我々がいたからだ!>とイチャモンはつけられるという(笑)。

現在も残る「玉川上水」、散歩道としてもおすすめ!

土屋:「玉川上水」は今でも観光とか、散歩道としてもいいですよね。

金子:最近は特に文化財としての側面も非常に重視されていて史跡になっています。

土屋:「玉川上水」沿いを歩くだけでも気持ちが良いし、「吉祥寺駅」から「三鷹駅」のあたりとか暗渠しているのよ。

つる子:そうなんですね。

土屋:「中央線」の下を通るんだけど、そのまま歩くと「三鷹」から「井の頭公園」に行けるという、お散歩ルートとしても最高なんです。ちょっとね、夫婦喧嘩した2人がそこで話すと、なんとなく、水は下り気味だけど、我々は上っていこうよって(笑)。

つる子:(笑)。

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