江戸和竿専門店「東作」と《稲荷町》#5

東京閾値

台東区の稲荷町駅よりほど近い江戸和竿専門店「東作」。

「創業は天明31783)年。江戸和竿の遺伝子は、初代、泰地屋東作(たいちやとうさく)の時代から240年を経た現在、7代目、松本耕平さんの手に確かに受け継がれているのです。まるで江戸和竿の美しい継ぎ目のように……」

 

漠然とそんな形で終わる回になるのかと思えば、違いました。

 

松重ディレクターが質問を開始した十分後にはもう「立教大に入った頃に家が倒産しちゃったわけ」と耕平さんは滔々と、昭和三十年から四十年にかけての家業の興隆ぶり、そして破綻、再建に至るまでの経緯をそれはもう愛憎たっぷりに語りだすのです。

 

江戸和竿とは何か。江戸和竿の魅力。職人としてのこだわり。伝統への想い。これらはあくまでも“江戸和竿専門店「東作」7代目”への質問であり、その質問はすでに『金曜たまむすび』内の「TOKYOもん」で終えております。従って私たちが伺うべきはそんな境遇に生まれた“松本耕平さん”が今、話しておきたいことに他なりません。

 

「東作」の歴史は登場人物も多いです。
4代目、5代目、6代目、と仰る時もあれば「祖父」「父親」「叔父」と仰る時もあります。
得心顔で話を聴いている松重の頭が沸騰していくのが分かりました。いえ、筆者の頭蓋の内もまた耕平さんの話に追いつくために必死でした。途中、無理やり『ジョジョ』で例えて整理しようと試みるも「東方仗助の息子であるジョルノとその弟、徐倫が…」と何もかも間違えた映像が頭に湧くのみです。

せっかく伺った話を綺麗な枠組みに押し込む作業を「編集」と呼ぶのは少しおこがましい話です。

当然、魅力的な逸話はたくさんあります。当時内閣総理大臣であった黒田清隆がどうにかして「東作」の竿を手に入れようとして蔵前一帯の竹を提供したが、竹の質が竿に合わず、結局作ってもらえなかった、なんて大物関連の逸話は山ほど出てきます。それは大いに記録して然るべき史実なのですが、すでに記録されていることを意味します。実際、このエピソードは手元にある本から引用したのです。やっぱりそれと同じくらい「洗車のバイトをしていたら田村正和の車だった」という耕平さんの話もまた残してみようと思うのです。こればっかりは手元の本に書いてありません。

 

ということで、「これに色々書いてるよ」と快く本を貸してくれた耕平さんに返しにいくまでが今回の東京閾値。

 

文責:洛田二十日(スタッフ)

 

副読本:『江戸和竿職人 歴史と技を語る』松本三郎(要返却)

江戸和竿職人 歴史と技を語る (平凡社ライブラリー) | 松本 三郎, かくま つとむ |本 | 通販 | Amazon

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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