外山惠理と《向島》前編 #3

酒を飲む、タバコを吸う、選挙に出馬するなど、世の中には大人になってからでないと出来ないものが多々あり、その中のひとつに「永井荷風を引用する」がある。日本を代表する文豪である。筆者はもう立派な大人なので、臆することなく、早速引用する。
“尋常中学を出て専門の学校も卒業した後、或会社に雇われて亜米利加へ行った。そして或日曜日の午後、紐育中央公園のベンチで新聞を読んでいた時、わたくしの顔を見て、立止ると共にわたくしの名を呼んだ紳士があった。誰あろう。幾年か前浅草橋場の岸の桟橋で釣をしていたその人である。少年の頃の回想はその時いかに我々を幸福にしたか知れない。橋場辺の岸から向岸を見ると、帝国大学のペンキに塗られた艇庫ていこが立っていて、毎年堤の花の咲く頃、学生の競漕が行われて、艇庫の上のみならず、そのあたり一帯が競漕を見にくる人で賑かになる。堤の上に名物言問団子を売る店があり、堤の桜の由来を記した高い石碑が立っていたのも、その辺であったと思う。”(永井荷風『向島』より)
張り切って、引用しすぎた。しかし、何も闇雲に荷風を持ってきた訳ではないのだ。
『東京閾値』の二人目のゲストであるこの方と大いに関係があるのだから。

外山惠理。職業、TBSアナウンサー。
まるでリボンがついているような、銀の鈴が鳴っているような、そんな素敵な声で、いつだってリスナーの心を弾ませ、ご自身もバランスボールで弾んできた外山さんが、玉さんに続くゲストです。
そして、外山さんのご実家こそ墨田区の「向島」であり、今しがた荷風の文で登場した「言問団子」。何たること。
さらに今回、ディレクターの松重が隅田公園でインタビューをさせていただいたわけですが、外山さんとくれば開口一番、あたりの様子を見て「ニューヨークのセントラルパークみたいじゃない」と仰るのです。これもまた何たること。実にまあ驚くべきことに、何気なく飛び出してきたこの「ニューヨークのセントラルパーク」という言葉こそ、これまた上記、『向島』内にある「紐育中央公園」に他ならないのです。これはもはや歴史が意思を持って、我々を突き動かしているとしか思えません。さらに驚くべきことに、この後はとくに永井荷風に触れる予定がないのです。また、外山さんが登場してから急に文体が敬語調になっていることに関しては、また別の意思によるものでしょう。何たることでしょう。


「自分の話は、なるべくしないですね。聞いて、面白いのかなって」
松重が「ご自身の話はあまりされませんよね?」と訊いて、返ってきたのがこの言葉。何を仰っているのでしょう。由緒あるお団子屋さんに生まれ、向島で育ち、現在はTBSラジオに欠かせないアナウンサーに。一体、この間に何が外山さんを外山さん足らしめたのか。寧ろ訊きたいことが、多すぎます。
だから、訊きました。松重が。
まずは生まれ故郷である向島の思い出、存分に語ってもらいました。何せ、恥ずかしながら、松重も、筆者も、そして(おそらくは)多くの東京以外で生まれ育った方々は今、向島に対し、「外山さんの故郷」という知識しか持ち合わせていないのです。果たしてどんなお話が待ち受けているのでしょうか。三味線の音が聴こえる町が、東京に、ある?
“少年の頃の回想はその時いかに我々を幸福にしたか知れない。”(永井荷風『向島』より)
荷風おかえり。外山さん、後編も宜しくお願いします。
文責:片野(スタッフ)
副読本:『荷風随筆集(上)』(岩波文庫)
twitterのハッシュタグは 「#東京閾値」 です
是非番組への感想などをお寄せ下さい。