太田光ゲスト回前編【玉置後記 2023.3.19】

脳盗

私が大学に入った当時4つあった喫煙所は、健康推進の名のもとに毎年撤去され続け、卒業する頃には1つに減ってしまった。

残された唯一の喫煙所はよりにもよって屋根がなく、雨の日には無数のビニール傘が押し合いへし合い並んだ。

ある小雨の晩、授業終わりに喫煙所に向かう途中、傘を持っていないことに気づいて魔が差した私は、進行方向を変えて小走りで校門へと向かった。

校門を出た道沿いには小さなマンションがある。

この時間の人通りが少ないことを知っていた私は、そのマンションの軒下で煙草に火を点けた。

このような楽しみを待望するかのように常に携帯灰皿を持ち歩いていた。どうか誰も来ないでくれ、ポイ捨てはしないのだから、と祈りながら久々の贅沢な喫煙を楽しむ。

あと一口、あと一口、もう消すか、と思ったその時であった。

「禁煙て書いてあんだろバカヤロー!」

振り返ればマンションの管理人室からおじさんが飛び出して、尋常ならざる剣幕で怒鳴っている。

私は走って逃げ出せば良いものを、気持ちよく煙草を吸えた喜びを伝えたい一心で「すみません、ありがとうございます」と笑顔でおじさんに近づいて行った。

抱き合える距離まで接近したおじさんが、への字に曲げた口を開く。まず「帰れ」とか「警察」とかいう単語が出てくると思っていた。しかし。

「お前みたいなのがいるから喫煙所が減っちまうんだよ!」

まさか。思ってもみない台詞に、私は咄嗟に反論してしまった。

「いえ、喫煙所が減ったから俺みたいのが増えたんです!」

おじさんの眉間の皺が深く沈んでいく。

「いや、お前のせいで喫煙所が減ってんだ! マナーを守れる喫煙者もいるんだ、お前のせいで他の喫煙者も迷惑してんだよ!」

確かにそれは言う通りですけど、などと止せばいいのにまた反論したせいで暫く道端で口論が続き、あまりに私が食い下がるので途中から変な空気になった。なんなんお前、謝って帰れば良くねと明らかにお互いが思い始めていた。

ともすれば笑いに転化してもおかしくない状況で、怒る/怒られる、モラル/アモラルという双方の立場だけが溶け合うことを拒み続ける。

口論の最終局面、何故このおじさんはやたら喫煙者や喫煙所を擁護するのか、と疑問に思い始め、とうとうそれを聞いてしまった。

すると、おじさんは「実家が煙草屋だったんだよ」と私を睨みつけた。

私はすっかりノックアウトされてしまった。この禁煙ブームのおかげで、健康を得た者もいれば、職を失った者もいたということである。

これ以上、煙草屋や喫煙者に迷惑かけないでくれ、という至極真っ当で悲痛な叫びであった。

それから火が点いたおじさんは身の上話を滔々と語り始め、私はそれを接吻さえ可能な距離で聞き続けた。おじさんの素性が分かっていくうちに、怒られているのに何故か親しくなっていくような感覚を抱いた。

通行人からすれば喧嘩どころか、大学生と親父が仲良く話しているとしか見受けられなかったろう。そこまで来たら、もうあとは接吻するしかない。

私は、頭を下げると決めた。

そして「おじさん俺、煙草の吸い方見直します」という落とし文句で迫ろうとしたそのとき、何を察したのか「帰れ!」と突然怒鳴られた。

私は、この誠実でそれゆえ滑稽なコミュニケーションがたった今終わってしまったことを悔やみながら、駅まで走ったのである。

 

文:玉置周啓

 

【パーソナリティ】

TaiTan

ラッパー。DosMonosのメンバーとして3枚のアルバムをリリース。台湾のIT大臣オードリータンや、作家の筒井康隆とのコラボ曲、テレビ東京との共同で『蓋』を企画するなど、領域を横断した作品づくりが特徴。また、Spotify独占配信中のPodcast『奇奇怪怪明事典』やTBSラジオの『脳盗』のパーソナリティもつとめる。

玉置周啓

4人組バンドMONO NO AWARE、アコースティックユニットMIZのギターボーカル。作詞作曲をつとめながら、エッセイ等の執筆活動や漫画やイラスト等も手がける。 Spotify独占配信中のPodcast『奇奇怪怪明事典』やTBSラジオの『脳盗』のパーソナリティもつとめる。


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