宇多丸『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』を語る!【映画評書き起こし 2023.3.17放送】

アフター6ジャンクション

TBSラジオ『アフター6ジャンクション』のコーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞して生放送で評論します。

宇多丸:さあ、ここからは私、宇多丸が、ランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する、週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのは、日本では3月3日から劇場公開されているこの作品、『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』

(曲が流れる)

第95回アカデミー賞で作品賞を含む7部門を受賞するなど、世界で高い評価を集める異色のアクションエンターテイメント。日々の生活に追われる平凡な主婦のエヴリンは、ある日突然、全宇宙を救うという使命を知らされる。エヴリンはマルチバース(並行世界・多元宇宙・パラレルワールド)の自分の力を使い、戦いに身を投じることになるのだが……。

主な出演は、ミシェル・ヨー、ジェイミー・リー・カーティス、ステファニー・スー、そして20年ぶりにハリウッド映画に復帰を果たしたキー・ホイ・クァン……もちろん『グーニーズ』とかね、『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』とかのキー・ホイ・クァンですけど。なんでも、やっぱり『クレイジー・リッチ!(Crazy Rich Asians)』の大ヒットを見て、自分にも可能性が再びある時代になってきた、という風になって、再びオーディションを、奥さんのすすめもあって受けるようになった、ということみたいですね。なので、やっぱ『クレイジー・リッチ!』はデカかったっすね。監督・脚本を務めたのは、ダニエル・クワンとダニエル・シャイナートの監督コンビ、ダニエルズです。

ということで、この『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』をもう観たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)、メールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「とても多い」。やっぱりね、今年これだけ席巻しちゃうとね、もう明らかに、この時代を代表する一本ですからね。観ないという選択肢はない感じでしょうね。

賛否の比率は、褒める意見がおよそ7割。主な褒める意見は、「今年ナンバーワン! オールタイム・ベスト級の1本」という、非常に熱狂的な声もありましたし。「映像やストーリーは斬新だが、訴えるメッセージはシンプルで優しい」「ミシェル・ヨー、キー・ホイ・クァンといった俳優陣が全員素晴らしい」などございました。

一方、否定的な意見は、「話に入っていけず、もしくは途中で見失ってしまい、理解できなかった」「最後に提示されるメッセージが意外と保守的でがっかり」という……これはだから、褒めてる人と裏表ですよね。「普遍的なところに着地して嬉しい」っていう人と、「意外と普通の着地だな」みたいな人と。あと、「ギャグのセンスが合わない」などもございました。

■「キー・ホイ・クァンの大躍進。現実がマルチバースを引き寄せていて、すごい映画体験!」

代表的なところを要約しつつ、紹介させていただきます。ラジオネーム「タレ」さん。「家族/国籍/性別/環境…いろんな事情があるのはわかる。わかるけど、"Be Kind."(by ヴォネガット!)」……ヴォネガットイズムっていう言い方、できるかもしれませんけども。「……という愚直なまでにシンプルなメッセージを、ポップカルチャーの洪水とブッ飛んだ世界観でブレインウォッシュする最高な映画。まず現実が平凡すぎて良い。金に頭を悩ませ、忙しすぎて優しい夫に八ツ当たりし、娘の話に『あとにして』と言ってしまうワーママ…わたしだよ!」というタレさん。

「こんなつまらないことがなかなか変えられないのが現実なのですが、映画ではつよくてうつくしいミシェル・ヨーが、カンフーと愛で虚無的空洞(ベーグル!)からみんなを救い倒すに至っていて、むせび泣きました。アジア系中年女性の星として、スクリーンで主役を張るに至るまでがんばり続けてくれて、本当にありがとうございます。そして、イケ散らかしたり泣きべそかいたりと、七変化なキー・ホイ・クァンの魅力大爆発! トキシック・マスキュリティー(「有害な男らしさ」)とは真逆の、新時代のパパ像としてもとても良かったです。

彼のバックグラウンドと、この映画を経ての大躍進が、映画と併せて3Dのように立体で見え、完全に現実がマルチバースを引き寄せていて、すごい映画体験だと思いました。ちがうバースの描写も、秘められた自分の可能性にとどまらず、(今は敵対しているかもしれない)他者の可能性や関係性にまで広がっていて、優しかった。他者との時間はすべてが最高というわけにはいかないけれど、ほんの少しでもかけがえのない時間があれば一緒にいる意味がある…というような人生観も感じられてぐっときました」というタレさん。

あとですね、「キマったポテト」さん。この方はすごい面白くてですね。「初投稿です。ずっと公開を楽しみにしていた本作ですが、いざ本編が始まると、なんだか思っていたのとは違うベクトルの『心当たりのある描写』が続き、これは自分に付き纏う、『ある特性』についての物語ではないか、と予感しました」。そして、実際に見て「……この予感は確信に変わりました。この映画は、『ADHDについての物語である』ということです。(個人的なことで恐縮ですが、私は学生映画を作っている大学生で、ADHD併発型自閉スペクトラムを持っています)。

本来は小さなスケールの家族ドラマを、マルチバースという最大級の『回り道』をして語るのは、会話の中の『例え話』や『話の脱線』が多くなりがちなADHDの特徴を上手く捉えた構造をしています。また、主人公の『あらゆる可能性に注意が散らばり、その都度諦めてきた』、『故に、あらゆる可能性(=マルチバース)を受け入れられる救世主となる』という設定も、優先順位をつけるのが苦手になりがちな、非常に“ADHD的”である作りであると思います」という。

で、いろいろ書いていただいて。「ADHDの特性や苦悩を『マルチバース』に置き換えることで新たなヒーローを作り上げるという発想はもう、発明と言っても過言ではないと思います」という。

これ、実際にですね、監督たちのコメントというか、劇場で売っているパンフレットにも書かれていますけど、主人公のエヴリンを、もうちょっと具体的にADHDとして描こうとしたけれども……で、リサーチを重ねる中で、ダニエル・クワンさんというダニエルズのうちの一人が、自分もADHDだということがわかって。で、そういう設定を詳しく、具体的に描くことはカットしたんだけど、それが非常に作品に広がりをもたらしたし、主人公の理解に繋がった、と言っていて。だからこの方、キマったポテトさんは、そんな情報を抜きで観てもそう感じたっていうのは、めちゃくちゃ正しいんです、それは。

一方、ダメだったという方もご紹介しましょう。ラジオネーム「つのつの」さん。「自分の中では少々評価に困る作品ではありました。どうしても飲み込めない点がいくつかあります。

まず、家族愛や家族制度とクィアを巡るテーマの処理の仕方に引っかかりました。イブリンが、クィアネスを抱えて生きるジョイに対して、なんとか歩み寄ろうとする過程の描写は確かにとても丁寧だと思うのですが、結局最終的には皆が『家族』になってよかったねという着地になってしまうのか、という思いを抱いてしまいました。

系移民のイブリン一家が、アメリカで生きていく上で、英語に堪能であるジョイが側にいてくれるかどうかが死活問題になりうるのもわかります。ですが、マイノリティの一家の中で主体性や独立性を奪われる若者、という問題に鋭く切り込んだ映画である『マイスモールランド』を去年見ているので、どうしてもこの映画の“愛さえあればOK”という着地は少し楽天的すぎるものになっていると感じました。

さらに非常に違和感を抱いた点は、ジョイのパートナーであるベッキーの扱いについてです。この映画を通して、ベッキーの主体性、ベッキーの感情はほとんど描かれることはなく、ベッキーとイブリン一家の関係の最大の障壁であるはずのゴンゴンとも、いつの間にか打ち解けているように描かれています。

少し意地悪な言い方になりますが、『エブエブ』においてベッキーというキャラクターは、物語の都合に合わせてイブリン一家から排除/包摂(ほうせつ)されるだけのキャラクターに見えてしまいました」という。駒に見えちゃった、みたいなことですね。その指摘もなんか結構、理があると思いますけどね。たしかにね、なるほどなと思いました。

はい。ということで皆さんからのメール、どれも面白かったですね。やっぱりすごく、みんなそれぞれの語り口が、めちゃくちゃ豊富な作品ですからね。皆さんの視点がそれぞれ面白い。皆さんの視点がマルチバース!(笑) だから面白い!という作品でもありました。ありがとうございました。

■まさに時代を象徴する一本になった感がある、日本での宣伝用通称『エブエブ』!

ということで『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』、私もTOHOシネマズ日比谷で二回、観てまいりました。1回はIMAXで観たんですけど、別にIMAX(カメラ)で撮られたパートがあるような(場面はない)──これは大作じゃないんで、そんな(IMAXで観る)必要はないんですけど。

ただ、インターネット・ムービーデータベースによるとですね、面白いのは、劇中の岩のパート、ありますね? 岩の次元というか。あそこだけIMAXで撮ろう、というアイディアが本当にあったらしいんですけどね(笑)。IMAXのムダ使い!みたいな、そういう考えもあったみたいですけど。ということで、月曜日、アカデミー賞授賞式当日の昼の回はぶっちゃけ空いていたけども、その後はだいぶお客が増えてるようですね。

それぐらい、第95回アカデミー賞席巻!という。アメリカ映画においては長らくですね、偏見まみれの、低い、軽い扱いが、当然のように本当に長年続いていた、アジア人。それも普通の中年女性や、冴えないおじさんに、車いすの老人、そしてレズビアン、という、かつてのメインストリーム的価値観の中でははっきりマイノリティで、不可視の、「目に入らない存在」として扱われていた人々が主要キャラクターの、複雑なSF的設定に加えてお下劣なギャグやパロディなどを大量に含む、スラップスティックなアクションコメディ。

そんな、言っちゃえばですね、かつてであればカルトムービー的な佇まいの一本、インディペンデント系の作品が、蓋を開けてみればめちゃくちゃ大ヒット。アメリカでちょうど一年ぐらい前に劇場公開されて。私、WOWOWの『Hollywood Express』の全米ボックスオフィスチャートを見ていて……要するにじわじわ評判を広げて、だんだんと順位を上げてくる、みたいな感じで。「これ、絶対に面白いやつでしょう!」みたいな。で、その時点では日本公開も決まってなかったので、当番組では『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』……その時はタイトルもちゃんと言えてなかったですけども(笑)、「あれ、日本にちゃんと入れてください!」なんてことを言っていたりもしましたけども。ご存知の通り、2022年度の賞レースで旋風を巻き起こして、前述のアカデミー賞をまさしく総ナメにしたという。まさに今、この時代を象徴する一本になった感がある、この(日本での宣伝用通称)『エブエブ』です。

脚本・監督のダニエルズことダニエル・クワンさんとダニエル・シャイナートさん。ボストンのエマーソン大学の同窓で、兄弟でもないし、パートナー同士とかそういうことでもなく……そんなコンビ監督って結構珍しいかな、という感じもしますけど。もともと、主にですね、ミュージックビデオの世界で名を上げてきた人たちで。フォスター・ザ・ピープルとかシンズとか、いろいろやっているんですけども……ダニエル・クワンさん自身が出演していて、コメディアンのスニータ・マニさんも一緒に出ている、DJ Snakeとリル・ジョンの「Turn Down for What」という2013年の曲のビデオがあって。これなんかを見ると、アジア人、インド系などマイノリティ、かつ普通のおじさんとかおばさんが、お下劣ギャグを含むぶっ飛びアクションで大暴れ!という、本作『エブエブ』とも通じるテイストの作品だったりする。ただ、とにかくお下劣!っていうところが……下ネタが本当激しい人たちなんで、この人たち、本来は。という感じなんですけども。

で、長編映画デビューは2016年の『スイス・アーミー・マン』という、ダニエル・ラドクリフが、おならをブップコブップコこき続ける死体役で(笑)、孤島に取り残されたポール・ダノのイマジナリーフレンドみたいになっていく、という。これ、設定だけ聞くと正気を疑いたくなる出オチに思えるんですけども(笑)、要はそのぶっ飛んだ、やはりそのお下劣ギャグを大量に含む設定を通して、最終的にはしかし、多分にこれは作り手たちの心情が投影されているのであろう絶望した主人公の、言ってみればセルフセラピーというか……的な、精神の回復のプロセスが描かれていく、という。この全体の構造は、はっきりと今回のエブエブにも通じるところがあると思うんですよね。ぶっ飛んだ設定なんだけど、それは主人公たちのセラピー的な効果、プロセスを示している、みたいなことですね。今、観返すと、そんなことがわかったりしました。観た当時は「なんだこりゃ?」と思っていたんですけど(笑)。

ちなみに、ダニエル・シャイナートさん……今回の作品でいうと、SMプレイ用隠し部屋の、あの人ですね(笑)。彼が単独で監督した『ディック・ロングはなぜ死んだのか?』という2019年の作品。これもね、ガチャに入れてましたけど。これも『スイス・アーミー・マン』と同じく、ある死体を巡るダークコメディなんですが、ただ、じゃあ似たような映画なのかな?と思いきや、こちらはファンタジックな飛躍要素が全くない。まるでコーエン兄弟からスタイリッシュなテイストを抜いたような(笑)、身も蓋もない、しょうもない犯罪劇で。

劇場パンフのプロダクションノートにある、ダニエル・クワンさんはアイディアをとめどなく膨らませる役、で、シャイナートさんはそれを現実的なラインで落とし込む役、という、そのダニエルズの役割分担が、この単独作のトーンの違いからも垣間見れて、面白いなと思ったりしました。

「突拍子もない行動でパワーアップ」「身内が敵に転じる」「最終的には感動」って……劇場版クレしんっぽい

で、とにかく、ダニエルズとしては5年ぶりとなる劇場用長編映画、今回の『エブエブ』なんですけども。アメリカのアニメシリーズで、『リック・アンド・モーティ』との共通点なども指摘されることも多いようですが、ざっくりどういう作品なのか、僕なりにこの、日本のラジオのリスナーの皆さんにわかりやすく説明するならば……先日、2月24日にやった『アントマン&ワスプ:クアントマニア』、これがまさに『リック・アンド・モーティ』の脚本家のジェフ・ラブネスさんが脚本を担当しているという、要するに多元宇宙物ということで、共通しているわけですけども。『アントマン&ワスプ:クアントマニア』の評の中で僕は、あの作品を「スペースオペラを題材に取った時の、大長編ドラえもん、映画ドラえもんシリーズみたいな感じだ」っていう風に表現しました。

その意味で言いますと、本作『エブエブ』はですね、事前にいろんな人からちょっと言われていた通りですね、ズバリ『劇場版クレヨンしんちゃん』みたいな……もちろんあれよりははっきり大人向けの内容ですが、それでもやっぱり、たとえば「多元宇宙をテーマにした『劇場版クレヨンしんちゃん』」みたいなものがあるとしたら、的なバランスの作品だとはたしかに思いました、この『エブエブ』ね。

特にやっぱり歴史的名作『オトナ帝国の逆襲』のように、ありふれた家族による、お下劣、おバカギャグ満載のアクションコメディ……なのに、最終的にはものすごく感動させられてしまう!というような。あるいはその、しょーもないところで言うと、次々襲いかかってくる敵がヘロヘロになる……あとはその、「突拍子もない行動を取るとパワーアップ!」とか、これってクレしんっぽくない?とかさ。あと、「身内が敵に転じる」っていうのも、すごくクレしんっぽい設定だと思うんですよね。みたいな感じで……ドラえもんにはなくて、クレしんにはある展開、っていうのかな。

実際、『オトナ帝国』最大の催涙ポイント。涙腺決壊ポイントである「父・ひろしの回想」と、そのクライマックスでの名セリフ「俺の人生は……くだらなくなんかねえ!」は、「後悔や失敗を含めた経験の累積としての、自分固有の人生の肯定」という意味で、完全に『エブエブ』のテーマとも重なると思いますし……あまつさえですね、今回の『エブエブ』、「臭い足(の匂い)で気絶していた人の目を覚ます」っていう(やはり『オトナ帝国』と重なる)描写まであるんですよ! だから俺、ダニエルズは(『オトナ帝国』を)観てるんじゃねえかな?って思うぐらいなんですけどね。

また、個人的にはですね、「無限に開けている可能性」と、「たったひとつのルートとして選ばれたこの人生」というのを、ポップかつアバンギャルドに対比させるこの手つき、作り手は絶対『マインド・ゲーム』を観てるんじゃないか……という風に観ながら思っていたんですが、劇場パンフ、稲垣貴俊さんの『エブエブ』元ネタ解説コラムでも、しっかりその点についての言及があってですね。我が意を得たり!というところですよね。ダニエル二人は「『マインド・ゲーム』はすごすぎる!」と言っている、というような話だったんですけどね。

他にもですね、無論そのコラムでも指摘されているようにですね、『2001年宇宙の旅』の世にもくだらないパロディとか、あと『レミーのおいしいレストラン』(『Ratatouille』)のパロディであるとか、あと、ウォン・カーウァイの諸作ですね。とか、あとは今敏さんの『パプリカ』などのですね、わかりやすい引用、影響だけでも大量にぶち込まれている、という。

というか、そもそもお話そのものの骨格がですね、誰がどう見てもほぼ『マトリックス』だし、見せ場となるアクションの多くはですね、これも言うまでもなくですね、元々は主人公候補でもあったということですけど、ジャッキー・チェンのカンフーコメディ、もしくはやはり香港発の、ワイヤーアクション……ミシェル・ヨーさんもいっぱい出てますけど、ワイヤーを使ったアクション、みたいなものが、明らかにベースになっているわけで。

ただ、そのアレンジが、気が利いてるんですね。さっき、金曜パートナーの山本(匠晃)さんとも言ってましたけど、たとえばウエストポーチをヌンチャクみたいに使う、っていうのはやっぱり、カンフーアクションの小道具として……「冴えないアジア人」みたいなイメージを逆手にとって、それをカンフーアクションの小道具として生かしている、っていうことで。非常に気が利いたアレンジがあるわけですけど。

■時間という「縦」の線ではなく、可能性が「横」に無限に広がっている、というイメージなのが面白い

で、まあとにかく、基本そのようにですね、サンプリングのモザイク的集積で出来上がっている、そしてそれが、無限に広がる可能性としての多元宇宙、マルチバースという概念・設定と一致している……それぞれ、モザイクのようにいろんなところからネタを取ってくるっていうのは、マルチバースという概念・設定と一致している。そういう作りの映画ではあるわけです。

で、興味深いのは、「私の人生、もっと良い選択があったのではないか?」とか、「あの時ああしていれば(いなければ)、もっと違う人生が歩めたのではないか?」という、それ自体はものすごく昔からある、極めて普遍的な問いであり願望、っていうのを物語化する際にですね、かつてはそれこそ『ファウスト』みたいに、若返りからの生き直しとか。

近年であれば、やっぱりタイムトラベル、タイムループとか、なんにせよ「時間」という一本の縦軸、「縦」の線を焦点としてその「生き直し」物っていうのが語られることが多かったのに対して……もちろん発想としてはこちらも昔からあったパラレルワールド、多元宇宙といった、その「横」に可能性が広がるイメージっていうのが、もちろん量子力学の研究の進化によって、「本当に多元宇宙、あるかも」っていう話になっているのも後押しになったかもしれませんが、ここに来てそういう観念が浮上してきていること、おそらくそれはインターネット、SNSの普及等も当然無縁ではないであろう、という感覚なんでしょうけども、とにかくそういう「横に無限に広がっていく可能性」のイメージっていうのが、ここに来て浮上しているのも面白いし。

それが、さっき言ったようなサンプリングのモザイク的な、言っちゃえばポストモダン的な作品の作り……ゆえの、何でもフラットにアリという、極めてインターネット的な世界観がもたらす絶望。「なんでもあって、なんでもフラットだから、どれに対してもそんな特別な意味が見いだせない」みたいな、そういう絶望。

あるいは「なんでもあって、なんでもできるのに、そして横並びではいろんな……たとえば同世代のいろんな人が見えるのに、自分はこの程度か」とか、こういう「横に広がる可能性」ゆえの虚無だったり絶望、みたいな。本作で描かれるそういうものがですね、たとえば火曜パートナーの宇垣美里さんが、特にこの世代特有のものという風に捉えられていたのも、これは面白いなというか。ああそうか、みたいに思いましたね。

■親・子・孫。三世代間ギャップで描かれる今日的ホームドラマの問題提起とは

実際この『エブエブ』はですね、親~子~孫という三世代の、世代間ギャップの物語なんですね。しかも、その間で話される言語とかにも、ギャップがある。英語、広東語、北京語と、片言、みたいなところで。それぞれに、言語でさえギャップがあるというところ……要するにディスコミュニケーションがある、というような話になっていて。

たとえばその娘のジョイにとっては、自分がレズビアンであることとか、容姿のことなど、「ありのままの自分を本当に受け入れてもらってないんじゃないか? わかってもらってないんじゃないか?」ということが、なんでもアリなこの世界の中で、より深い絶望を招くことにもなっている、という。これも極めて今日的な、ホームドラマとしての問題提起ですね。今時のホームドラマとしてすごく真っ当なっていうか、今のホームドラマならではの問題提起をしている。 

で、そんな感じでですね、さあ果たしてこの野原一家ならぬワン一家はですね、なんでもアリ、だからこそ、全てがなんでもない、意味が見出せないこの世界の中で、再び「この」人生、「この」自分、目の前にいる「この」人に、ニヒリズムを超えてですね、再び愛着を取り戻すことができるのか?という。

で、そこで効いてくるのがやはり、そのキー・ホイ・クァンのキャスティングというかですね。まあ、長年彼は、不遇に耐え続けてきた人なんです。なので、不遇に耐え続けてきた人が放つ言葉、だからこその説得力……ひょっとすると生きていく上で最も大事な教訓、みたいなことを口に出すんですよね。まあ、先ほどのメールにもあった通りですけど。「人生とか世界に意味がなかったのだとしても、まずはその、目の前にいる人に“親切に”しようよ(Be kind)!」っていうね。これはまさにカート・ヴォネガットイズム、と言っていいでしょうね。

ちなみにダニエルズの二人は、(ヴォネガットの代表作のひとつである)『猫のゆりかご』のドラマ化を進めていて、それは頓挫しちゃったそうですけども、だからヴォネガットイズムっていうのはこれ、ガチで、本当にド直球でそうなんだ、ということだと思います。「親切にしようよ」。至言ですよね。ということで、ぜひこういうあたりもね、皆さん、自分の身に置き換えてみることができる作品でもある。

■シーンごとにおけるアスペクト比の違いに注目して見ると……?

でですね、なんにせよ、とにかく手数が多い映画なんで、いろんな切り口、語りどころが山ほどあるはずなんですけど、この時間で語り切ることにもちょっと限界があるんですが。

たとえば、アスペクト比ですね。画面比。A24はですね、アスペクト比が変わる作品が多めだと思います。これもある意味、今どきの映画感、ってことだと思いますけども。回想シーンのスタンダードサイズ以外はですね、要するにシネコンとかのスクリーン全面使いのビスタサイズと、上下が黒くなる横長のシネマスコープサイズ。この両者が、どう使い分けられてるか? これを考えながら観るとすごく面白いです。

僕の見立てだと、基本「その次元内の現実」で……なんというか、「その次元内で現実が完結している」ところはビスタサイズ、で、次元同士の戦いとか、軋轢が起きているところはシネスコサイズ、っていう、大きく言えばその分け方になってると思います。というのは、シネスコというのは、より「劇的」ですよね。シネスコって、「映画っぽい」じゃないですか。シネスコはより劇的に見える、ことを考えれば、ビスタの方は「より現実」という次元、この描き分けっていうのは筋が通っていると思うんですが。

そう考えるとですね、そう思って観てると、実はこの話ですね、特に二度観るとすごくそう見えますが、少なくとも最初の、要するに第一幕目と、あと中盤、クリーニング店に戻りますよね? 主人公エヴリンがね。クリーニング店に戻って以降のそのエヴリンの世界、というのはですね、ひょっとしたら、この中では超現実的なことは何ひとつ起こってない……ある意味、全てエヴリンの脳内で起こったこと、とも取れるように作ってあるんですよね。周りにいた人は、そのエヴリンの脳内でそういうことが行われている、あるいはその戦いとかが本当にあったかどうかっていうのも、わかんない作りになってて……現実的なことだけが起こっている世界というふうにもちゃんと取れる、という作りになっていると思います。

ただですね、油断ならないのは、その本作における、「一番の現実」に見えるそのパートでさえですね、冒頭、あの丸い鏡の中に入っていった、先の世界なんですね。鏡の先の世界なんすよ、これでさえ。

ちなみにこの丸い鏡……「丸」のモチーフが全編に散りばめられているのは言うまでもなく、です。ちなみに、最初にその鏡の中に映っている、楽しそうにカラオケしている親子三人。これ、インターネット・ムービーデータベースによれば、歌ってるのはアクアの「Barbie Girl」っていう曲らしいです。で、その途中、お母さんのエヴリンが、娘ジョイの口を、ふさぐんですよね。あれ、要するに、あの部分の歌詞を歌ってほしくない、歌わせない、っていうアクション……つまり、ふざけてではあるんだけれども、やっぱりこの母娘の関係、楽しい中にも、実はそこに(後に深刻な対立を生む構図が)埋め込まれていたりする、という描写だったりします。

評価の幅はあってしかるべき。一番幸せなのはこの映画を最初に「発見」した人

まあキャストね、オスカーゲットの三人(ミシェル・ヨー、キー・ホイ・クァン、ジェイミー・リー・カーティス)が素晴らしい、なんていうのはもちろんですけども、これ、やっぱりですね、ジョイ役のステファニー・スーさん、MVPですね! 七変化……内面まで全部ガラッと変わって見えるのは、やっぱり彼女のあれですし。本当に憎々しい瞬間の、「うわっ、憎たらしい!」っていう……僕も親世代なんでね、そういう風に思ったりもする(笑)。見事でしたね。

エンディングテーマ、Mitskiさんとデヴィッド・バーンのデュエットでね、その「This is a life Free from destiny(これが運命から自由になった人生)」って歌う、このエンディングテーマの味わいとかですね……サン・ラックスがずっと音楽を手掛けているんですけども、これについては、パンフの新谷洋子さんの解説がすごく詳しかったり。パンフ、すごいです。見開きで、途中でミシェル・ヨー=エヴリンがいろんな次元にいるという、その全ての顔の写真が……めちゃくちゃ手間がかかった全てのカットが載っていたりするので、このパンフ、本当におすすめだったりします。

あと、ちなみにですね、日本ではこの時期に公開されたのは、やっぱり確定申告を済ませたてのこの時期……非常にですね、実感を持って、「うわー大変だったわー! 面倒くせえわー!」みたいな、確定申告を済ませたばかりのこの時期に観るのにも、ぴったりだったと思います(笑)。

もちろん、評価の幅はですね、あってしかるべき作品かな、とも思います。一番いいのはやっぱりね、このA24作品で、全く新しい才能が、新しい世界観で新たなエンターテイメントを描いた、という……この作品を最初に発見して、「これ、結構いいんじゃね?」っていう(ぐらいの出会い方)……だから今、アカデミー作品賞を獲って評価が上がるとこまで上がっちゃってますけど、なんか最初に「発見」した人の気持ちっていうか。そのぐらいの塩梅が一番やっぱり幸せなんだろうな、って気もしますけども。はい。

でもまあ、とにかく結果として、間違いなくこの時代を代表する一作に……「2020年代になにがあったか?」といえば、「『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』だったね」って、間違いなくそういう作品になったと思います。劇場で観ないという手はないと思います。ぜひぜひウォッチしてください!
 

(次回の課題映画はムービーガチャマシンにて決定。1回目のガチャは、『少女は卒業しない』。1万円を自腹で支払って回した2回目のガチャは、『シャザム! 神々の怒り』。よって次回の課題映画は『シャザム! 神々の怒り』に決定! 支払った1万円は今週はウクライナ難民支援に寄付します)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

◆過去の宇多丸映画評書き起こしは

こちらから!

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