宇多丸『逆転のトライアングル』を語る!【映画評書き起こし 2023.3.10放送】

アフター6ジャンクション

TBSラジオ『アフター6ジャンクション』のコーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞して生放送で評論します。

※この日の放送は特別編成につき、映画の基礎情報やメール紹介には金曜パートナーの山本匠晃アナウンサーも同席していました。

宇多丸:さあ、ここからは私、宇多丸が、ランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する、週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのは、日本では2月23日から劇場公開されているこの作品、『逆転のトライアングル』

(曲が流れる)

はい、これ、エンディングで流れる「Marea (we’ve lost dancing)」という、フレッド・アゲインさんの曲が最後に流れますが、これ、いいですね。これが流れるところもね。『フレンチアルプスで起きたこと』『ザ・スクエア 思いやりの聖域』のリューベン・オストルンド監督最新作。売れないモデルのカールと……「売れない」っていうか、売れてなくはないんじゃない? 香水のモデルとかやってるんだから。「売れない」とまでは言えない。まあ、「彼女よりは格が落ちる」ということでしょうか、男性モデルのカールと、インフルエンサーとして活躍するヤヤの二人は、豪華客船クルーズに参加。しかし、嵐に襲われたことをきっかけに、バケーションから一転、生き残りをかけたサバイバルに突入する……これはもういいんですね? これはあらすじに書いてあるんですね。はい、大丈夫。わかりました。じゃあ、これはネタバレOKということで(笑)。

主な出演は、『キングスマン:ファースト・エージェント』のハリス・ディキンソンさん。そして、映画初主演ながら、これはちょっとショックだったんですが、本作が遺作となったチャールビ・ディーンさん、さっき言った女性のモデルのヤヤさん役。本当に素敵な方なので、なんかちょっと僕、これ(訃報)を後から、映画を観てから知ったんで、ちょっとすごく、ガーン……ってなっちゃいましたね。

山本:素晴らしい演技でしたね。

宇多丸:素晴らしい演技、本当に。ここから活躍が期待される、って感じでしたけどね。チャールビ・ディーンさんの遺作となった作品です。その他、ウッディ・ハレルソンやフィリピンのベテラン俳優ドリー・デ・レオンさんなどが出演されております。オストルンド監督は本作で、史上3人目となる二作連続でのカンヌ国際映画祭最高賞パルム・ドール受賞の快挙を成し遂げました。前作は『ザ・スクエア』ということですね。第95回アカデミー賞でも、作品賞、監督賞、脚本賞、主要3部門にノミネートされております。

ということで、この『逆転のトライアングル』をもう観たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)、メールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「やや少なめ」。おや、これはちょっと残念なことですね。賛否の比率は、褒める意見がおよそ7割。主な褒める意見は、「イジワルでめっちゃ笑える」「資本主義やルッキズムといった現代社会の批判が鋭く、的確」「金持ちを一方的に糾弾するだけではなく、全ての人物をフラットに描いているところが良かった」などございました。

一方、否定的な意見は、「主人公たちにイライラしすぎて話に入れなかった」……まあ、イライラはしますよね、それはオストルンド監督作ですから(笑)。「終盤になるほど話が散漫になっていく」というようなご意見もございました。

■「こちらが冷や汗をかいてしまうくらい、資本主義やルッキズムを批判的に捉えていてとても面白かった

いつもよりちょっと時間があるんで、ゆっくりめに行けるかな? まずは褒めの方をご紹介しましょう。ラジオネーム「BXDイケダ」さん、ご紹介します。

「二つの点で大きく『賛』でした。1つはストーリーです。現在資本主義構造の中で『美しさ』を対価に稼ぎまくるモデルのヤヤが居ながら、ヨットの中で現代資本主義構造&人類は文字通り『逆流』し、島では別物の資本主義が誕生し、ヒエラルキーが逆転する。逆転後は男性モデル・カールの『美しさ』が対価として稼げるものになる。ヤヤの『(女性)モデルは引退したら金持ちの妻(トロフィーワイフ)になるのよ的な言葉が……」、私のゴールはトロフィーワイフよって、これもなかなか悲しいセリフなんだけど。

「……的な言葉が、そのままカールで体現されていて笑えました。また、監督が各所でご発言されている『beauty as a currency(通貨としての美)』を根幹のテーマのひとつに据え、こちらが冷や汗をかいてしまうくらい、資本主義そのもの・ファッション業界・ルッキズムなどを批判的に捉えていてとても面白かったです。

もうひとつは『ザ・スクエア』に引き続いた社会実験性の強さです。観客も一緒に『気まずさ』を体験させられたり、ワイパー音・ハエの飛ぶ音・赤ちゃんの泣き声がレイヤードされていて、観客の集中力を分散させたり、観客の吹き出すポイントが違っていて、そこでちょっとした人間性が出ちゃったり、と、逃げられない映画館という空間の中で、私達の化けの皮を剥がしにかかってくる感覚が、とても社会実験的でレアな体験だなと思いました」。そして、「R.I.Pチャールビ・ディーン」という風に書いていただいております。

もう一個、褒めを行こうかな。「タヌフォリア」さん。「『逆転のトライアングル』ウォッチしてきました。いたたまれない人間関係をブラックコメディにさせたら当代一のリューベン・オストルンド監督。本作はそのメッセージ性を見事にエンタメとして昇華させた傑作と感じました。

現実にあるさまざまな権威勾配のトライアングルをくるくる回転するように見せる。ヘテロの白人男性でモデル、という一般的には権威勾配の上位の属性を持つカールが、オープニングのオーディションの画面から一貫してあらゆる属性から舐められ続けるのも楽しい」……まあ、というか、ちょっと悲しいというか。「やはり白眉はクルーズ船の、期待値を上回るカオスっぷり。マイティ・クラウンのクルーズは大丈夫かとちょっと心配になってしまいました」。

それを言うなって!(笑) それを言うなよ! 俺はこのタイミングでこの映画を観たことで……「なんなんだよ、バカ野郎! ふざけんじゃねえよ!」みたいな(笑)。でもね、今度乗る船は、あれより遥かにバカでかいんで、ああいう阿鼻叫喚ってことにならないとは思うんですよ(※2023年07月15日(土)から20日(木)まで、ライムスターは「Mighty Crown –The Final– Presents "Far East Cruise 2023"」のクルーズツアーに同行することが決まっている)。

山本:タイムリーだなー(笑)。

宇多丸:いやいや、それ言うなし(笑)。「……思えばリゾートというのは現実でも貧富の差が可視化されやすい舞台。金持ちも貧乏人もクソに塗れたら皆平等、というコンセプトは松本人志のビジュアルバムでのコント『荒城の月』を思い出しました」。「糞にまみれれば皆一緒!」みたいなね(笑)。

「三幕目の無人島サバイバル編は矢口史靖監督の『サバイバルファミリー』を思い出しました。侍女の代名詞であるアビゲイルという名前のキャラクターの見せる、サバイバル物でありがちな、暴力的な男が美女をはべらす状況を逆転してみせるのも痛快」という。ただこの方、「二幕目のクルーズ船が視覚的にもクライマックスで、三幕目がちょっと冗長に感じてしまったのはちょっと勿体なく感じました」とも仰ってます。

■意地悪なコメディなのは間違いない。だが同時に、繊細でフェアなバランスもちゃんと全編に行き渡っている

では、ちょっとダメだったという方系に行こうかな。これにしよう。ラジオネーム「Drop  Da Bomb」さん。「(前作でパルム・ドールを取った作品)『ザ・スクエア 思いやりの聖域』と違い、物語に入り込めなかったのは、これでもかと言わんばかりの汚物攻撃に食傷したというのも正直あるし、感情移入しやすい登場人物が見つけられなかったせいもかなりの部分を占めていますね。

でも最終的には、監督の提示する主題に同調したくないという拒絶反応が一番大きかったのかもしれないですね。『しょせん人間なんてこんなもの』と言わんばかりの監督の『苦い』世界観が口の中でどんどん増殖し、最後にあふれかえっているというか……。『何を映画に求めるのか』という話になるんだけれども、個人的にはどんなシビアな現実を描いていたとしても、最後にわずかでも光を残しておいてほしいし、鑑賞後に心が少しでも救われたり、何らかのポジティブな活動のきっかけになるようなものを求めているんでね~」という。Drop Da  Bombさん文体がね、独特なんですけども。

「この年のカンヌの審査員たちは、知的遊戯がお好きだったようで……」皮肉ですね。「……監督の容赦ない風刺表現の連射がパルムドールにつながったんだろうけれど、私は監督に『あんたも“客船の乗客”だろ!』って言いたくなりましたよ」と……こういう、なんていうか「高みの見物かよ!」みたいな、そういう感じの批判的視線っていうのは当然出うるっていうか、そういう風にも全然見れる作品だとは思います。たしかにね。まあ、間違ってもいないっていうか、それもね。

ただ私、個人的にですね、この『逆転のトライアングル』は、いろんな……褒めてるメールにもあったんですけど、いろんなキャラクターが、普通だったら単に皮肉にっていうか、「金持ちの嫌なやつ」として描いてもおかしくないキャラクターとかも含めて、登場人物全員を、バカにはしていない、っていうか。誰ひとり、バカにはしていない。だから、(ほぼ主人公の)カールのことを……カールはもちろん哀れだし、愚かなんだけど、彼をバカにはしてないって思うんです。

あるいは、たとえばあのディミトリっていう、後ほど話しますけど、ロシアのいわゆる「オリガルヒ」ですね。新興金持ち。「肥料で儲けた。私は糞を売っている」っていう彼とかも、典型的な悪役っていうか、「こいつがひどい目に遭っていい気味だ」っていう人に描かれておかしくないんだけど……たとえば彼が、後半になりますが、ある方の亡骸から、宝石だけを抜き取っているシーン。

これってすごく皮肉な場面だし、滑稽という言い方もできる。ブラックコメディ、ダークコメディ的な場面、という言い方もできるんだけど……同時に、彼がその亡骸の主に愛情を抱いてなかったとか、それが空虚だったとか、嘘だったとは言えないだろう、っていう程度には、これは本当に悲しんでるんだろうというふうに、すごく人間的に(描いている)。だからね、なんかそういう感じなんですよね。

あるいは、これもネタバレにならない範囲で話しますが、ラスト……非常にヒリヒリするラストです。オープンエンディングなんで、どうとでも解釈はできますが、非常にヒリヒリする、人間の醜いところっていうのが、出るのか?という……「醜い」と言っていいのかはわかりませんが。でも、あそこも僕、すごく人間的なバランスだと思うんですよね。つまり、あそこにいるふたりとも、悪い人ってわけじゃないっていうことも、お互いにわかってる。お互いが悪い人ってわけじゃないのもわかってる。

その中で、でもその元の社会構造に近いところに戻ってしまうのか?っていうところと(葛藤が生じる)……なので、非常にもちろん意地悪なコメディですし、高みの見物で笑っちゃっている、っていうところがある作品なのは間違いないけど、同時に、極めて人間的な、繊細な、心のこもった描写・バランスっていうのも、ちゃんと全編に行き渡っていて。それがしかも、フェアっていうかな、特定の人物だけ醜く描くとか、特定の人だけ……みたいなことは(していない)。

で、それはね、後半に行くほどに……先ほど構成作家の古川耕さんも言ってたけど、後半に行くほど、色分けが複雑化していくっていうか。まあ力関係も当然、複雑化してくっていうか。なので、ゆえに後半ほどグレーになっていくので。要するに中盤の明快さ……金持ちたちがひどい目にあって、「ああ、いいザマだ」っていうところの、更に先に行くから。そこをもって「明快でなくなる」っていうマイナスもあれば……っていう感じもするんですよね。すいません、だいぶもう、評そのものに入っちゃっていますが。

ただ、もちろんやっぱりね、いかにもカンヌ、パルム・ドール的な、そういうヨーロッパ知識人の問題意識に基づく……要するに、その問題意識を持ってない人が観ると、たとえばその格差社会だとか、ルッキズムだとか、あるいはジェンダー役割でもいいけど、問題意識がない人が観ると、「何の話をしているのかわかんない」っていう部分はあるやもしれない。

だから、その程度にはインテリ向けの映画だから、その「いい気なもんだ」っていう言い方も全然、それはできなくはないかな、という気もしますけどね。なので今、アカデミー賞の作品賞のノミネートに入っていますけども、まだ結果はこれからですけどね、「アカデミー賞っぽくはないよね」っていう気はする。カンヌはすごい、「っぽい」けど。それはメラニーさんも言ってましたね。「私もすごい好きだけども、アカデミー賞っぽくはない」っていう。面白いですね。すいませんね。ちょっといつもより時間があるんで、ゆったりと。

山本:いや、楽しい。最高! これ、名作だよ。

宇多丸:やっぱりね、山本さんは大好き!ということで。

山本:大好きですよ。

宇多丸:ということで、本題の方はですね、6時半を越えて後ほど、私のウォッチメンを始めさせていただきたいと思います。

(CM~中略)

■リューベン・オストルンド監督の過去作。そのテーマは「“男としてのメンツ”とやら、丸潰れ!」

宇多丸:さあ、ここからは私、宇多丸が、ランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する、週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜は第75回カンヌ国際映画祭でパルム・ドール受賞、第95回アカデミー賞でも作品・監督・脚本の3部門にノミネートされた、『逆転のトライアングル』を評論いたします。作品概要やリスナーの感想などはオープニングで紹介しましたので、早速いきなり私の本題、時評に入らせていただきます。『逆転のトライアングル』、私もTOHOシネマズ日比谷で2回、観てまいりました。

ということで、世界的にも評価が高い、スウェーデンのリューベン・オストルンドさん、脚本・監督。初の英語作品となる、長編第5作目、っていうことですね。といっても、私ですね、相変わらず不勉強で申し訳ありませんが、過去作はですね、日本でも比較的観やすい、2014年の『フレンチアルプスで起きたこと』と、2017年『ザ・スクエア 思いやりの聖域』しか観られていなくてですね。いつも大変、本当にすみません。ちょっとね、勉強不足でございます。

とにかく、その2作に共通しているものを、僕なりの表現で言いますとですね……「“男としてのメンツ”とやら、丸潰れ!」っていうね(笑)。しかし、それで散々な目に遭った後の方がまだ、ひょっとしたら(何かがマシになったのかもしれない)……みたいな、そんな話。つまり、我々男たちが今もどこかでとらわれ続けている「男性性」というのを、批評的・批判的に問い直してくるような、そういう居心地の悪い、「気まずダークコメディ」ということですね。男としてのメンツとやら丸潰れ作品、っていうね(笑)。

加えて、『ザ・スクエア』では、社会格差に対するブルジョワ的、インテリ的欺瞞を容赦なく描く、という……そういう面もある、という。まあ社会実験的なというかね、特にヨーロッパ知識人的な問題意識のあり方、というのは間違いないかなと思いますけども。

その意味で今回の『逆転のトライアングル』は、引き続き「脅かされる男性性」という視点は中心に置きつつ、前作からのそのブルジョワ風刺コメディという面をさらに拡大して、なんならその戯画化、カリカチュアの度合いを、大幅に上げて……言っちゃえばかなり派手に、なんなら「わかりやすい」作りに、あえて振り切った一本、と言えるかと思います、過去作に比べると。

■「カンヌでパルム・ドール、アカデミーで作品賞ノミネート」。だけど……途中、大変なことになります!

こういう意地悪でややエグめのブルジョワ風刺劇、といいますとですね、映画で言えば第一人者はやはり、私大好き、ルイス・ブニュエルですよね。一番やっぱり連想したのは、ブニュエルでした。前にシャマランの『オールド』という作品を評した時に、やはりですね、ブニュエルの『皆殺しの天使』という1962年の作品を例にあげたりしましたけど、実際今回の『逆転のトライアングル』、三部構成のうちの特に三部目は、舞台立ても含めてちょっと『オールド』に近いものがあるかな、と思いますけどね。あとはそれこそ『モンティ・パイソン』的な、なんというか振り切ったふざけ方というか、不謹慎感といいましょうか、今回は醸しておりまして。

ということで、ご覧になる方ですね、「カンヌでパルム・ドール、アカデミーで作品賞ノミネート、さぞかし立派な映画なんでしょうねぇ」という風にしゃなりしゃなりと油断してかかると、途中、大変なことになります! はっきり言います。めちゃくちゃ汚いです! 汚いです……汚いです(笑)。要注意。上も下も大変なことに……ということなんでね、そこは要注意でございます。

さっき言ったように、本作は三部構成になっております。その中でも、三部構成の中でも、約30分ごとに大きくフェーズが変化していく、という風に考えてください。なので、それゆえ、30分ごとに割とバキッとフェーズが変わっていくので、長尺だけど飽きないっていうか、割とポンポンポンポン進むような感じだと思います。

で、どんなフェーズかと言えばそれは、力関係、支配構造、人間同士のパワーバランスが、何かのきっかけで大きく変化……それこそ日本タイトルにある通り「逆転」していく、ということですね。

ということで、ここからちょっと作品の構造とかも含めて踏み込んでいきますので……あのね、何も知らないで、「どこに連れてかれるかわかんない」感覚っていうのが確かに楽しい映画でもあるので。汚物表現がOKで、そういう社会的な問題意識みたいなものをお持ちで……みたいな方であれば、絶対面白いので! 情報を入れずに、ここから先はちょっとナニをしていただいて、というのもひとつの手かもしれません。ちょっとここから先はある程度、具体的に話します。

■まず第一部。主人公カールと恋人ヤヤのパワーバランスが描かれる

とにかく人間同士の力関係、支配構造、それが何層にも透けて見えるような作りが、どの場面でも、場面ごとに、見事に凝らされて、張り巡らされている、っていうことですね。たとえば、まずオープニングからして……上半身裸の男性ファッションモデルたちが、オーディションのおそらく控え室に集められて、インタビューを受けてるわけですけれども。

ここで既に何層もの、その権力と支配の構造というものが、埋め込まれていますね。男性モデルっていうのは、先ほどのメールにあった通り……しかも白人男性モデルで。イケメンで、白人で、みたいな感じで、権力構造では上の方の人、っていう感じがするかもしれないけど、実はファッション界では女性の3分の1のギャラだ、なんてことが示される。あるいはですね、そのファッション業界の中のヒエラルキー。高級ブランドは「客を見下す、威圧的表情をしろ」という一方で……「たしかに!」って感じですよね。大衆ブランドは「みんな一緒!」って幻想を売る、っていうね。

これね、たしかに本当にそうだよね。今まで、あんまり考えたことがなかったけども。高級ブランドはしかめっ面、大衆ブランドは笑顔。本当にそうなんだよね。で、ここで「バレンシアガ!からの~……H&M!」っていう(インタビュアーの指示に合わせてモデルたちが瞬時に表情を変えてゆく悪ふざけをする)、これ、すごくおかしいんですけど。ここで、群像劇だけど実質主人公と言えるそのカール、ハリス・ディキンソンさんが演じる彼に、ゆっくりカメラが寄っていって……というところ。ここ、すごくおかしいところですけどもね。

で、さらにオーディション会場の中に入ったモデルたちが、要はポツンと「立たされてる」感……ちょっとカメラが上めなんですよね。ポツンと立たされてる感、からの、容赦ない品定め感。あまつさえ、うしろでペットの犬がちょこちょこ歩いている……これも完全に露骨な皮肉って感じですよね。

で、ここでタイトル『悲しみの三角形(Triangle of Sadness)』っていうのの一応、語源的なもの、要するに眉間の……なんか「ボトックスで治せ」って言われるようなところらしいですね。要するに眉間のしわってことだと思うけど。でももちろん、その『悲しみの三角形』っていうのは、いろんな意味、ニュアンスが読み取れるようなことになっていくわけですが。

で、タイトルがバーン!と出て、M.I.A.の「Born Free」がボーンと流れて……イントロに乗せて、ボディーペインティング、完全にその人体がモノとして扱われる、っていう感じの幕開け。つまり、ここでやはりさっきから言ってる、本来であれば「理想の男性性」の体現者っていうイメージを売っている男性モデルっていうのが、しかしその本質的な力関係的には、女性モデルよりも全然下だし、その買われる側、支配される側なのだ、という構図が、鮮やかに、意地悪に浮かび上がる、ってことですよね。

で、そういう立場を集約させているようなキャラクターが、さっき言った実質主人公のカール、っていうことですね。で、彼と一応の恋人であり、おそらくは彼よりは遥かに格上のショーモデルにして、カリスマインフルエンサーでもあるヤヤ。これを演じたチャールビ・ディーンさん、亡くなってしまって、本当に痛ましい限りですけどね、これね。で、この二人のパワーバランスの話がまずパート1、第一部、ってことになりますね。はい。

■おかしみと悲しみを誘う「男としてのメンツ丸潰れ」パート。それが第一部

まずこの第一部。最初のその、ファッションショー開始直前の客席を捉えて……ここがもう、すごいですよね。ただファッションショーの客席の一列目を捉えているだけなのに、ここでまたやはり、無情にも現れる力関係! ショーの一列目ってかなりね、関係者の中でもVIPめな関係者がいるはずですけど、その中にも、優先順位、順列はあってですね。

要はぶっちゃけ、「もっと重要なお客様がいらっしゃるので、ザコの皆さんはちょっとどいてください! 席はありますんで、ザコの皆様はどいてください!」っていうね(笑)。で、きれいにそこから弾かれる……カール(笑)。最後にカメラが左にパンしていくと、カールが立っていて、「アレ?」って(笑)。ねえ。というこの構図の作り方、捉え方。やはり、シンプルなのに鮮やかだし、笑えるし、って感じですよね。

で、そもそもその力関係に差があるっぽい、そのカールとヤヤのカップルなんですけど。カールはそこに自覚がある分……やっぱり自分の方がちょっと収入もないし、弱い立場だとわかってる分、よせばいいのに余計に男性的に、イキッてしまう。しかもそこに、男性的にイキりたいくせに、「男女平等なんだから男の僕だけがいつも払うのはおかしいだろう?」「僕の方が収入が少ないのに……」みたいな、そういうねじれた議論まで持ち込むから(余計にこじれる)、っていうね。まあ彼にはとにかく、その方向、要するにいくら男性的にイキったとしても、その方向の勝ち目はないのに……ここがまたおかしみと悲しみを誘う、っていう感じですよね。

でも結局最後には、二人の間の権力構造を、身も蓋もない形で再確認させられて……言っちゃえばあれ、「私があなた雇ってる」って言ってるのも同然なんですよね。「あなたといるっていうのは、ビジネス的な関係として雇ってるってことでいい?」みたいな感じになっちゃっている、ということですね。ということで、このパート1は比較的、このリューベン・オストルンドさんの過去作に近い、さっき言った「男としてのメンツ丸潰れ」パートというか、そういう話ですね。

たとえばその、車内での言い合いの中の、キュッ! キュッ!っていうあのワイパーの音。これがデカいんです! 「うるさっ!」みたいな(笑)。とか、あとは先ほど金曜パートナーの山本さんも言っていた、エレベーターの扉が閉じようとしてはカールにこじ開けられて、ガーッ、ガタン!っていう(笑)……とにかくそんな断続的ノイズの耳障りさが、その不毛な言い合いのイライラ度を、さらに倍加していく、という。

一方でそのヤヤも、カールに対してはもちろん優位に立ってるけども。結局「女性モデルのゴールは金持ちのトロフィーワイフになることだ」っていう風に自ら公言してるぐらいで、やっぱり世の中全体からすれば、真の強者とも言えない、というような。結局は、強者の下につく、というところのために有利な立場を作ってる、という程度の話になっちゃうみたいな。こんなことが示されている。で、第二部、「ヨット」編に行くわけですけども。

■超大金持ちのクルーズ客に仕える客室乗務員たち。さらにその下で働く人々。さらにその外側には……

元はですね、あれはオナシス家の所有物だったという超豪華ヨットで、クルーズのロケをしているという。で、これね、コロナ禍のロックダウンの前日に撮影が終わったからよかったけど、これ、もうちょっと前倒しされてたらどういう風に撮り上げられたかわかんない、ってことみたいですね。

で、ここもまず、最初のところからすごい。まず最初に、ヘリで黄色いケースが運ばれてきて……わざわざ、ちっちゃい黄色いケースを回収して。「どんな高級なものが入ってんのかな?」と思ったら、中は……「ヌテラかーい!」っていう(笑)。あの、パンに塗るペーストですね。別にそこらへんで売ってますよ、ヌテラ。「ヌテラかーい!」っていう。つまりこれだけで、ああこれ、客のわがままな要望だと……ヌテラ、ねえのか!って取り寄せさせた(※宇多丸補足:後にロシアのオリガルヒ、ディミトリのリクエストだったことがわかりますが、せっかく取り寄せさせたヌテラに、彼はまったく興味を示さない! さらに第三部では、その件を他の登場人物たちに揶揄されたりもします)。それに、どんなコストをかけてでも応えるという、このクルーズのイズム……翻って客たちは、それだけ桁違いの金持ちなんですね。「とにかく金は出すから持ってこい!」っていう。それが一発で伝わる。

実際にですね、その客室乗務員たち……ほとんど白人で金髪の客室乗務員たちが「お客様は神様です! 手を抜かなければチップを弾んでくれるよ! イエーイ!」って盛り上がってる一方、その下の階で「うるせえな……」ってやっている、主にアジア系の。あるいはエンジン室であれば黒人系の、いろんな人たち。そのアジア系の掃除婦たちの、明らかに一線を画した温度感であるとか。つまり、被雇用者、労働者の中にも、やっぱり階層というのがあることが、ここですごく視覚的に示されるし。

その外には、ライフルで武装した警備たちが、そこでパッと見えるわけ。おそらくは、海賊に備えてる。つまりこれは、武力で守っている富なんですね。そしてこの(外部から来る脅威に襲われるかも、という)恐れというのは、後に実現してしまうわけなんですが……とにかく、世界におけるリッチな暮らしっていうのが、どのような構造・階層で成り立っているのか、っていうのを、非常にシンプルに示してますよね。つまり、豊かな暮らしの下には、下働きをする人がいて、さらにその下で下働きをする人がいて……その外側には、武力でそれを囲ってる構造がある、という。ある意味、「国」っていうもののメタファーでもありますよね。

で、カールとヤヤは、そこに乗船してるわけです。また言い合いになってるんですけど、その言い合いになってるところで、先ほどのワイパー音などと同じく、まあ耳障りな虫の羽音が、ブーン!と鳴っていて。で、その流れでカールがですね、自分は海パン一丁なんですよ? まあ客だからいいっちゃいいんだけど、自分は海パン一丁のまま、「業務員が上半身裸だったんだけど?」ってクレームをつけるところの、この構図の滑稽さ、欺瞞性。こんなのも言うまでもなく、ってことですよね。

ただね、そんなカールとヤヤはまだかわいい方なんですよ。彼らがかわいく見えてくるほど、癖もエゴも激強な大金持ちたちが、たくさんこの後、出てくる。群像劇になってくる。

その金持ち同士の中にもですね、財力の差によるパワーバランス、マウンティングっていうのが微妙に、しかし決定的にある、という。そういう諸々の描写も、意地悪な群像劇として非常に楽しい。なんか冴えない、寂しい中年男だと思っていたら……とか、品のいい英国人夫婦だと思っていたら……とか、そういうのが面白いわけですね。

■地獄のディータイム開幕! 「茶色いシャイニング」真っ直中、酔っ払い同士の政治放談が生・放・送!

特に強烈なそのロシアのオリガルヒ、新興金持ちのそのマダムの、「あなたたち貧乏人がかわいそうで……人はみんな平等なんだから! 私、人間は平等だと思ってるわ。なので、命令よ! 今すぐ泳ぎなさい! 私の言うことが聞けないの?」っていうね(笑)。あの理不尽なモード。ちなみにここね、あれを受ける乗務員のアリシア役、アリシア・エリクソンさん。彼女がうまい! めちゃくちゃうまい。まあ、そこらへんから様子がどんどんおかしくなってきて、二部目の後半30分、地獄のディナータイム!

その転換点として「ああ、ヤバいな」っていうのを示す時に、まだそんな大事にはなってませんけど、太陽光が、差し込んでくる陽光が、大きく上下してるんですね。今年やった『非常宣言』で、飛行機が大きく旋回する時に、飛行機の陽の光の方向でそれを表現してたのに、ちょっと似てますね。陽の光が上下することで、「ああ、これは……」っていう感じがする。非常に秀逸な表現でしたね。

でですね、ここからが地獄のディナータイム! さっきから言っている耳障り音、ここではもう「ギ、ギギギギ、ゴーン! ギー、ゴーン! ギギギギ、ゴーン!」っていう、揺れて軋む船の音と、やっぱりさっきも言った赤ちゃんの「ワーッ!」っていう泣き声とかが、本当にレイヤーのように、耳障りに重ねられてきて。

あと、加えてここはもう、画面全体が常にゆっくり、大きく揺れてますんで。グーッ、グーッて。これは、傾斜をつけられるジンバルの上にセットを立てて……要するに撮影クルーは本当に船酔いに耐えながら、大変な思いをしながら撮ったらしいんですけど。とにかくここから先のその地獄絵図はですね、本当に……皆さんの目でご覧ください! 徐々に、しかしあるポイントから坂道を転げ落ちるように、みるみる目も当てられないことになっていく、という。とにかく果てしないイートとリバース……そして「茶色いシャイニング」とでも呼びたい、ある事態(笑)。

で、その間ずっとですね、ウッディ・ハレルソンの「自分はマルクス主義者だ」って言っているアメリカ人の船長と、旧共産主義出身の現資本家というか、オリガルヒのディミトリという酔っ払いの政治放談を、ずっと船長室のマイクロフォンから、生・放・送!(笑) みんな、こんななっているのに……地獄!(笑) もちろん地獄度も増すし、皮肉さも増すし、ということでございます。あともうひとつ、これはメタファーとしては、思想や人柄はどうあれ、無責任なトップがわちゃわちゃやってるうちに、国が、もしくは地球が、めちゃくちゃになっていきます!っていう。そういうメタファーにも取れますね。

■第三幕「島」編。パワーバランスがどんどん単純ではなくなっていく

やがて、恐れていた事態が起こりまして、第三部、「島」編でございます。パワーバランス、劇的に変化いたします。まず、最初の夜ね、なにかのその、獣の声に怯えて。その獣の正体がわかってみると……俺は、あの時点で気づけ!って思うんですけどね(笑)。その獣ってことは……分かれ!って感じがするんですけど。まあ、獣の声に怯えて、いきなり照明弾を撃ってしまう男たち。ここは、男たちなんです。いやー、役立たず!(笑) もう、面目もクソもない、っていう感じですけども。

で、そもそも、これまでの社会的役割から、こんな危機的状況になってもですね、なかなかやっぱり、抜け出そうとしないんですね。ブルジョワと、その雇われ人たちっていうのは。なんか、のんべんだらりとポテチかなんかを食ってるわけですよ。それを尻目にですね、頭角を現してきたのは……この人ね、その前の第二部に、ずっといるんです。ずっと船にいて、最初の方から画面にも映っています。最初にヤヤとカールを起こしにくるのが、まず彼女ですから。

そして名前も、途中でポーラに呼ばれています。でも、金持ちたち……および、おそらく多くの観客の記憶とか視界の中には残っていない、ある人物。演じるのはドリー・デ・レオンさんというフィリピンの方ですけども、彼女が頭角を現してくる。あそこの、その頭角を現すだけではなく、その権力構造を、「確定する」シーンがすごいと思いましたね。「私は誰?」「……キャプテンっす!」「よし! 私は誰?」「キャプテンっす……」「よし! 私は誰?」「キャプテンす!」「よし!」っていう。ちょっと声、出ちゃいましたもん。あれはすげえ!っていうね。

一方ですね、これでどんどんどんどん支配体制、パワーバランスが変わっていく中で、どんどんなんか力関係……最初の金持ち云々みたいなのが、どんどんどうでもよくなってきちゃって。まあ男たち同士とか、意外と仲良くなってたりするんですけども。その中で、たとえばあれだけその旧共産主義みたいなのをすごく嫌っていた、そのオリガルヒのディミトリがですね、今その彼がその暮らしてる体制は……一見、共産主義ですよ? みんなで物を分け合っている、一見共産主義に見えて、実は独裁体制……つまりある意味、旧ソ連的な体制なんだけど。そしたら、そのディミトリのひげが伸びて、(カール・)マルクスみたいに見えるっていう(笑)。そういう皮肉もあったりしますね。

先ほど構成作家の古川さんと話してて「なるほどな」と思ったのは、どんどんどんどん、このようにキャラクターたちが、元々の色分けからもはみ出て、どんどん単純じゃなくなっていく、ということです。

「ああー、嫌なところに着地すんな!」なラスト。それをどう解釈するか? 絶えず思考を促される

で、三部の後半になりますとこれ、オープニングや第一部と裏表……カールは男性モデルとして、自らの美、性的能力、魅力というのを資本にしてたわけですけど、まさにそれを資本にしてサバイブしようとしていく、ということですよね。

だし、同時にそこでね、あの彼女との関係って、あれも単色じゃないですよね。(劇中ある登場人物が吐き捨てるように)単なる「汚らわしい!」っていうだけの関係なのかというと、ちょっとわかんないところがありますね、二人の雰囲気を見てると。

さらにそこから、あっと驚く真相が明らかになります。この真相というのも、やはりそこに、権力、支配、格差っていうのが集約された着地なんですよね。「ああー、嫌なところに着地すんな!」っていう。うまいですよね。しかも、ああいう船が近くにあるとしたら、ああいうところだ、っていうのも理にもかなっていますし。

再びパワーバランスが変わるのか?というあたり。非常にヒリヒリする場面です。でも、非常に皮肉でヒリヒリして、シニカルな人間観と言えるけども、でも同時に、僕はとてもとても人間的な感情が、一瞬の間に去来する場面だと思います。決して悪い人だとお互い思ってるわけじゃない。なんなら、ヤヤは「いいコ」ですよね。でも、彼女の限界、社会の中のその役割というのを抜け出せない限界、思い込みとかね……どういうことになるのか?

いわゆるオープンエンディングです。オープンエンディングなんで、いろんな解釈があるんですが。少なくとも、ラストに映されるもの、ラストの画から思えるのは、「どこに行こうと、パワーゲームからは逃れられない。必死で走って逃げようと……特にお前はな!」っていうことじゃないですかね? そこからですね、ラスト。フレッド・アゲインさんのね、「Marea (we’ve lost dancing)」っていう曲がね、とある設定も込みで……これが流れる中で(映画が)終わって、エンドロールが(流れる)。この曲がまたすごく、ちょっと鳥肌もんの響き方するんですよね。ちょっとね。

ということで、『逆転のトライアングル』。非常に練り込まれたセリフと演技、場面の構成、編集。どの場面も、本当に意地悪だけど、考え抜かれた……あとさっき言ったように、とはいえ決して単に平面的なシニカルではない、非常に人間的なドラマ性とか、感情みたいなものも含んだ、丁寧な作りに満ちていて。とにかく要素も多いし、飽きさせない上にですね、それをどう解釈するか、自分はじゃあどうなのか?って、絶えず思考も促される。

つまり、笑えるし、驚かされるし、考えさせられる。それがずっと続く。だから2時間半ありますけど、長くは感じないと思います。もちろんいかにもヨーロッパ的な、知的にして大胆なコメディ、ということは言えると思います。汚いのはとりあえず覚悟してください(笑)。

ただ、オストルンド監督の中では比較的、非常にわかりやすい作品でもありますし。何より、不謹慎ではありますが、笑えます! めちゃくちゃ面白かったです。『逆転のトライアングル』、アカデミー賞はどこまで健闘するのか、見物でございます。ぜひぜひ劇場で……スペクタクル映画でもあるんで。特に中盤のね(船上の阿鼻叫喚シーン)、まあ(三部の)サバイバルもかな、割と景色そのものが見せ場でもある作品なので、ぜひぜひ劇場の大きなスクリーンでやってるうちに、ウォッチしてください!

(中略)

『逆転のトライアングル』、クライマックス手前の、アビゲイルとヤヤの関係。特にヤヤは、アビゲイルのことを尊敬しているのは本当だと思うし、あそこで生まれる一瞬のシスターフッドみたいなもの。それがまた、最後のまた数十秒で、クルクルクルクルッ!と逆転していく。すごいよね! すさまじい作品でございました。

(次回の課題映画はムービーガチャマシンにて決定。1回目のガチャは、『エゴイスト』。1万円を自腹で支払って回した2回目のガチャは、『エヴリシング・エヴリウェア・オール・アット・ワンス』。よって次回の課題映画は『エヴリシング・エヴリウェア・オール・アット・ワンス』に決定! 支払った1万円は今週はウクライナ難民支援に寄付します)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

◆過去の宇多丸映画評書き起こしは

こちらから!

ツイート
LINEで送る
シェア
ブクマ