「昭和の銭湯文化よ、永遠に!」

今回は、「昭和の銭湯文化よ永遠に!」と題し、銭湯絵師の中島盛夫さんを迎えてお送りしました。
中島盛夫さんは昭和20年生まれ、福島県飯舘村のご出身です。幼い頃から絵を描くことが得意で、夢は美術の先生になることでした。高校卒業後に東京に出て、墨田区の町工場に就職。都会の暮らしの中で出会ったのが「銭湯絵」でした。意を決して転職し、以来、約60年、この道一筋で歩いてこられ、手掛けた銭湯絵は15000を超えるという、現在日本にわずかしかいない銭湯絵師でいらっしゃいます。
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銭湯絵を彷彿とさせる素敵なトレーナーでお越しになった中島さん。今、現役で活動している銭湯絵師は、中島さんと中島さんのお弟子さんの2人だけという、とても貴重な存在でいらっしゃいます。

今回は、中島さんの生い立ちから銭湯絵師になるまでのお話しはもちろん、銭湯絵の魅力、銭湯絵の定番、「富士山」にまつわるお話し、銭湯絵の技法などについて解説していただきました。

銭湯は昭和40年頃ピークだったそうです。中島さんから見た東京の銭湯の魅力は、造りが立派(宮造りなど)で、天井の高さが半端じゃなく、立派な庭を持つ銭湯もあったそうです。さらに銭湯で連想する「風呂上がりに飲むコーヒー牛乳」についてまで、話が拡がりました。銭湯に行きたくなる一時間、お楽しみください!

番組は「radiko」の「タイムフリー」で放送後一週間、お聴きいただけます。下記のバナーをクリックしてください