宇多丸『FALL/フォール』を語る!【映画評書き起こし 2023.2.17放送】

アフター6ジャンクション

TBSラジオ『アフター6ジャンクション』のコーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞して生放送で評論します。

宇多丸:さあ、ここからは私、宇多丸が、ランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する、週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのは、日本では2月3日から劇場公開されているこの作品、『FALL/フォール』

(曲が流れる)

1年前に事故で夫を亡くしたベッキーは親友ハンターに誘われ、現在は使用されていない、地上600mの超高層テレビ塔への登頂を成功させる。しかし、突如はしごが崩れ落ち、2人は鉄塔の先端に取り残されてしまう……ベッキー役には『シャザム!』などのグレイス・フルトンさん、ハンター役は『ハロウィン』などのヴァージニア・ガードナーさん、そして監督は、『ファイナル・スコア』などのスコット・マンさんです。

ということで、この『FALL/フォール』をもう観たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)、メールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「普通」。ですが、まあ公開館数がそんな多くないんで、これは結構皆さん観てる方だということじゃないでしょうか。

そして賛否の比率は、褒める意見が7割ということです。主な褒める意見は、「もう勘弁して!っていうぐらい、高くて怖い」「中盤以降のサバイバル要素もハードだった」「思っていたよりドラマがしっかりしている。これは期待以上の満足度」。高所恐怖症のリスナーからは多数の悲鳴・悶絶のお便りをいただきました。もう感想じゃなくて、「高いところが怖い」っていう、その話だけが書いてあるメールが結構ありました(笑)。わかります!

一方、否定的な意見は、「緊張感が続くのはよいが、ドラマ部分が弱い」「主人公の物語がぶれてるように感じた」などがございました。

■「『ガチャ当てた宇多丸マジで許さない! 死ぬまで許さない!』」

代表的なところを一部、要約しつつご紹介いたします。ラジオネーム「くさむすび」さんです。「高所恐怖症ですが、意を決して『FALL/フォール』を見ました。鑑賞中あまりにも怖すぎて、『ガチャ当てた宇多丸マジで許さない! 死ぬまで許さない!』という気持ちを噛み締めていましたが、見終わってみれば『めちゃくちゃ面白かったなー』と期待以上の満足感で劇場を後にしました」。この「期待以上の満足感」っていうのはすごい合っているかもしんないですよね。

「ただ単に上から下を見下ろすショットで恐怖を煽るだけでなく、今にも取れそうなネジのショットや意味ありげに映されるワイヤーのショット、ボルトが軋む音、風がはしごを揺らす音など、様々な演出を使って上手く恐怖感を増長させていたと思います。そして、ハシゴが落ちてからの展開は、食料や水が無いというのを巧みに利用し、様々な道具と知恵を駆使して何とか助かろうとする中でも時間に迫られるスリルを印象付けらていますし、また途中でハンターが靴を脱いだ後、とある秘密が発覚するなど、ドラマ部分も充実していて中弛みしなかったのはとてもよかったです。ガチャで当たらなければ恐らく見ていなかったと思うので、ガチャを当ててくださった宇多丸さんに感謝です」ということでございます。あと、他の皆さんも本当に、悶絶の限りを綴っていただいた方がいっぱいいて。ありがとうございます。すいませんでした(笑)。

一方ですね、ダメだったという方もご紹介します。ラジオネーム「けんす。」さん。

「このシチュエーションだけで一本映画を作れるのか!? と心配になるぐらいバカバカしいアイデア一発が軸の脚本なのだけど、ハイコンセプトのあらすじから来る『高所』を活かした見せ場と終盤の頭のおかしい展開で映画代分は楽しめる映画だったと思う。ただ、とってつけたような人間ドラマは物語がブレてしまっているだけのように感じる。結果として夫の死を乗り越えたことにはなるのかもしれないけれど……」という。まあ、ちょっとこれは(ネタバレがあるため)伏せておきます。

「……親友の話も父親の言葉も、『死人に口なし』を良いことに、素直に肯定されすぎてるように感じる。たとえ言っていることは正しくても傷ついてる娘にデリカシーのない接し方をしていた父親が全肯定されて脱出のモチベーションになるのはこの映画内だけでは説得力が描ききれていないし、亡くなってから1年塞ぎ込むほど愛していた夫より、こんな状況に陥る原因になった親友の方が主人公の中で信頼に足る理屈が無く、結局主人公にとってなにが大切だったのかよくわからなくなってしまったように感じた。個人的には加点と減点をプラスマイナスしたら70点満点で65点くらいには落ち着いたかなと思うんだけど、映画のどの部分を評価するかという点において、0点という人も120点という人もいそうな作品ではあった」というけんす。さん。

あとね、たとえば「コーラシェイカー」さんも、なんというか、緊張感というか。アクション描写というか、そういうところは絶賛していただきつつ、やっぱりその物語面。「ちょっとパッとしないなという印象です」と書いていただきつつ。まあ、読みがやっぱり面白かったですね。「ダメ男と別れて男親に帰る話に見えますし、本当にそういうことが描きたかったの? と疑問が残ります」というようなことを書いていただいております。「なるほどな」という感じもしますが、これに関しては……ストーリーの読みというその点に関しても、後ほど、私の考えも述べさせていただきたいと思います。

■ワンシチュエーションのサバイバル物としては意外なまでに上等な一本

ということで『FALL/フォール』、私も新宿バルト9で2回、観てまいりました。小さめのスクリーンでしたが、中高年男性を中心に、平日昼にしてはまあまあ、人はいた方だと思います。ただし、劇場用パンフ販売なし、制作なしという、ちょっとかわいそうな扱いだとも思います。

しかし、この映画こそ! ある程度以上の大きさのスクリーンとスピーカーがある映画館でないと……つまり、要は没入度を高められる状態でないと、本当の意味で観たことにならない。逆に言えば、お近くの劇場で公開されているこのタイミングで、絶対に観ておくべき一本だ、とまずは断言させていただきます。後から配信だのソフトだのテレビだので観てどうこう言い出している奴らは全員、何もわかってねえ!という風に断言していいです。なぜならば、本作の非常に卓越した「超高いところ、超怖い!」表現は、もちろんそここそが本作で最も大事なところなわけですけども、一定以上の大きさのスクリーンを前にしてこそ、十分に体感できるものだから。

そしてそれは、極めて的確な撮影、演出、そして編集などのポストプロダクションによって実現されたもの、と言えるし、同時に、同じく的確なドラマ的計算によって、106分の劇場用長編映画、低予算のジャンル映画として、過不足のないストーリーテリングの中にうまく組み込まれ……もちろん、アカデミー作品賞を狙ってるわけじゃないんですよ(笑)。そういう(基本、作品的な完成度を競っているわけではない)映画の中の、なんというか「語りの効率」の中にうまく組み込まれ、それゆえより劇的な効果……物語がうまく相乗効果を上げているからこそ、スリリングな描写もより劇的な効果を増している、というものでもあって。つまり本作『FALL/フォール』はですね、「高いところで立ち往生」というワンアイディアを、単に出オチ的ギミックに終わらせず、作り手としては最大限、映画的に膨らませてみせた、比較的低予算のジャンル映画、一応、300万ドルということなんで……としては、実は娯楽映画としてかなりしっかり丁寧に作られた、意外なまでに上等な一本と言える。こういう映画にこそ、映画館で皆さんに「出会って」いただきたい!と私としては切に願う、ということで。非常に強くプッシュしたいと思います。

こういうワンシチュエーションのサバイバル物、特に2003年の『オープン・ウォーター』の大成功以来ですかね、すごく増えて、今やスリラー映画の一大ジャンルになった感があります。ちなみに本作のプロデューサー陣、ジェームズ・ハリスさんとマーク・レーンさん、これも共に、『海底47m』という、やはりワンシチュエーションサバイバル物で成功を収めた方々です。要は、低予算で一定の面白さが確保しやすい、ってことですよね、このワンシチュエーションサバイバル物は。

古いあたりでは、ヒッチコックの『救命艇』、1944年の作品とか……考えてみたら『ロビンソン・クルーソー』ってそうなわけだから、(最初の映画化は)1927年とかだったりするけど、サイレント期からそういうものはありますよ、ってことなんですけれども。

で、とにかくそのワンシチュエーションサバイバル物、本当に玉石混交というか、はっきり言って大半はそんな、大したもんじゃないです、はっきり言って(笑)。出オチで終わってたりとか、しょぼいCGが目立つとか、そういう作品がほとんどなんですけども。今回の『FALL/フォール』は、それの「高所」版、特にフリークライミング版、という。

■「アクションスリラー職人」スコット・マン監督の新境地!

監督のスコット・マンさん、公式インタビューで、特にアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を獲った、2018年の……皆さんご覧なったでしょうか、『フリーソロ』、これに非常に大きな影響を受けた、という。このドキュメンタリー『フリーソロ』、これも本当にね、体がこわばり続ける恐ろしい作品でしたけども。元々この監督・脚本のスコット・マンさんと共同脚本のジョナサン・フランクさんが、結局頓挫してしまった短編映画企画用のアイディアを、改めて長編映画用に膨らませた……先ほど言った『フリーソロ』など、あとは『バーティカル・リミット』とか、あとは『(ミッション・インポッシブル)ゴースト・プロトコル』とか、そういうのを参考にして膨らませた、ってことなんですけど。

その脚本・監督のスコット・マンさん。ぜひ、この方の名前を覚えて帰っていただきたい。元々、イギリスの方で、低予算アクションを得意とする、職人監督ですね。過去の長編三作、2009年の『ザ・トーナメント』、2015年『タイム・トゥ・ラン』、2018年『ファイナル・スコア』、このタイミングで僕も全部観ましたたけども。これまではですね、やはり多分に予算作品ゆえの、限定的な空間、あるいは限定的な時間設定の中、「家族愛ゆえに突き進むマッチョなオヤジ」がドンパチを繰り広げる、みたいな(笑)、いかにもなジャンル映画専門、といった感じのキャリアを積んできた方ですけど。

特に2018年の『ファイナル・スコア』、要はサッカースタジアム版『ダイ・ハード』というか、デイヴ・バウティスタ版『サドン・デス』というか(笑)な作品なんですけども、既に翌年取り壊しが決まっていたブーリン・グラウンドっていうそのサッカースタジアムを、実際に一部、爆破したりとかして……要はその、露骨にCG、CGしていない、もちろん一部そういう修正とかにCGとかも使ってますけど、露骨にCG、CGしていない、「リアル」にこだわった撮影スタイルが、たしかに話としての目新しくなさを大きくカバーする、緊迫感、臨場感、スリルをもたらしていてですね。

そういう「リアル」へのこだわりっていうのは、まさに今回の『FALL/フォール』でいかんなく、さらに進化した形で発揮されているかな、という風に思いますね。ちなみにこの『ファイナル・スコア』ね、なかなか面白い……『RRR』でもおなじみのレイ・スティーヴンソンとかも出てきたりするんでね。まあちょっと、今の感覚で観ると「うん?」っていうようなところもあったりしますが、まあジャンル映画としては十分面白い作品だったりしました。

あと、今回の『FALL/フォール』との関連で言うならば、ジェフリー・ディーン・モーガンさん。もちろん『ウォーキング・デッド』のニーガンという役とか、あとは『ウォッチメン』のコメディアンとか、このコーナーで言えば2017年5月16日に扱った『ノー・エスケープ 自由への国境』での移民ハンターとか、「とにかくおっかない、頭のおかしなおっさん」役(笑)が非常に印象的なジェフリー・ディーン・モーガンさんですけど。スコット・マンさんに限ってはですね、『タイム・トゥ・ラン』、そして今回の『FALL/フォール』と、あくまで家族思いのいいパパ……「いい人」としてジェフリー・ディーン・モーガンを扱うのは、スコット・マンさんだけ!っていうぐらい(笑)、そこもまあ、ちょっと独特のスタンスではありますよね。

ということで、そんなアクションスリラー職人のスコット・マンさんですが、本作『FALL/フォール』はですね、見せ方の的確さ、ムダのなさ、あるいはその女性が主人公という一応の新境地、という点で、明らかに一段階上の、僕は監督の明らかにぶっちぎりの最高傑作だ、という風に思います。

■「高いところ! 怖い!」の見せ方がうまくて、タイトル出る前に手汗がびっしょり

さっきから言ってるようにですね、とにかく「高いところ! 怖い!」の見せ方が、実にうまいわけですね。これ、観た人はみんな、これを言うと思いますが。冒頭、タイトルが出る前、アバンタイトルから既に、その手腕というのは発揮されておりまして。グレイス・フルトンさん演じる主人公のベッキーと、夫のダンっていう……これを演じているのはメイソン・グッディングさん。これ、キューバ・グッディング・ジュニアの息子さんですね。夫のダン。そして、バージニア・ガードナーさん演じる親友……悪友って感じですかね? そのハンターというこの三人が、目もくらむような岩壁に、素手で張り付いて、フリークライミングをしてるわけですけど。

ここでですね、おそらくドローンによる空撮で、グルーッと回り込みながら、岩に張り付りつく彼らの小さな小さな姿。でっかい岩に張り付く小さな姿を捉える。この際にですね、こういうところがやっぱり上手いなと思うんですけども。画面の奥に、かなり遠くの下の方にですね、やっぱり小さく、道みたいなものが見えるんですね。ちゃんとそこを映し込んでいるから、どれだけ高いところかっていうのがやっぱり、一瞬でわかる。つまり、我々は本能的に、一瞬で「ああ、ここは危ない」っていうのがわかるようになってるわけです、ちゃんと。本能的に理解し、恐怖に身をこわばらせることになるわけです、我々はね。

このようにですね、高所にいる主人公たちの危険さを際立たせるために、常に何らかの、高さを実感させる、高さを意識させる画的な……もしくは、音もそうですね。音的な仕掛け。とにかく、何か高さを実感させる仕掛け、一工夫が、常に凝らされているわけです、絶え間なく。たとえば、時に主人公たちを上から捉えて、地表とのやっぱりとんでもない距離っていうのを見せる……この上からのショット、すごく印象的ですよね。だし、時にはかなり距離をとって、主人公たちをポツンと小さく捉えて……上にも下にも空間が、広く開いてるわけですね。その寄る辺なさ。要するに、単純に画面内で見るだけでも、高さを具体的に感じさせるけです。結構(カメラが)引いてるから。「いや、現状でも結構高いな!」みたいな。「仮にすぐ下が地面だとしても、結構高い」みたいな。そのぐらいの見せ方をしたりとか、あの手この手でですね、どれだけここが高いところで危ないのか?っていうのを、観客に体感させ続ける作りになっている。

で、まあとにかくこのアバンタイトルだけでもですね、たとえば主人公グレースがですね、夫側のちょっと切れ目がある岩にジャンプする瞬間の、まさに息をのむような一瞬を、うまく映画として切り取った……編集がすごくうまい、その呼吸の巧みさ。もっと有名な監督で、こういうところを撮るのがもっと下手な人、いくらでもいるんですよ、本当に。『ダークナイト ライジング』のあの飛び移るところとか、本当にね……(笑)とか思うんだけど。で、僕は思わずですね、劇場の座席で「あっ!」と小声で叫んで、足をこうやってグッと突っ張ってしまった、まさしく「空中に放り出される」ような瞬時の悲劇、みたいなのに至るまでですね……で、そこでズバリタイトル『落下(FALL)』って出るところまでですね、本当に既にもう、アバンタイトル、タイトルが出るところまででもう、手汗がびっしょりなわけです。

■映画冒頭から前半にかけて振られる伏線の数々。いやー、丁寧な仕事!

で、このアバンタイトル。もちろん映画全体の強い、強力なツカミになっているだけではなくてですね、本題となるその625mものひょろ長い鉄塔──実在するモデルがあるそうですけども──そんなところに、なぜわざわざ登るのか?というですね、特に主人公ベッキー側の動機づけ。その根拠となるシーンでもあって、観客の感情移入をよりスムーズにしている。ただ無茶やってるやつらがひどい目にあったんだったら、それは自業自得だってことになっちゃうんだけど、彼女にとってはやっぱり、これに挑戦する意味があるんだ、ってことをちゃんとね、物語的に動機づけている。まあ、プロの仕事だな!って感じだし。

そういう手堅いうまさでいえば、主人公のベッキーとその悪友ハンターが、塔の近くのダイナーからついに出発!という直後に用意されている、いわゆる「ヒヤリハット」な事態。既にご覧になった方はおわかりの通り、単にその場を繋ぐためのショック演出ではなくてですね、実はクライマックス手前の、ある重大な展開の伏線に、しっかりなっていたりするんですね。いやー、丁寧な仕事なんですよ! やっぱりね。

で、ここからが本題でございまして。まあひょろひょろっと高い、次の冬には取り壊される予定という、625m、ひょろひょろっとしてて、ボロボロの鉄塔のハシゴを、ひたすら登っていくことになる。

その手前のところではね、「ご飯、持ってこなかったの?」「いやいや、もうすぐに降りるから。そんな、こんなのピクニックなんだから。そんなの、持ってこないよ」っていう横で、コヨーテかなんかをハゲタカが食べている、というのがあったり。ちゃんと、これから生存っていうことを賭けた戦いになっていくぞ、っていう、ちゃんと……しかも後半の伏線も、そこでも振られている。丁寧ですね。

■こんなにリアルで怖いのは、「本当に」高い位置で「本当に」高いハシゴを登っているから

でですね、ハシゴをひたすら登っていく。やっていることは、楳図かずおの超名作『わたしは真悟』前半の歴史的名シーン、東京タワー登頂! あのくだりそのものですね。しかも、こっちはあれより、高さはほぼ倍なんですよ!というね。で、まあとにかくこの、ハシゴを延々と登っていく画が、「本当にこういうところを、このように登っているのを、そのまま撮っているだけ」にしか見えないほど、無茶苦茶、リアルなんですよ! 全く作り物っぽさが見えないんですよ。とにかく前半、ここが本当に、「それ、どうやって撮ってるんだ?」っていう風に、何度も思いましたけど。

YouTubeで見られるメイキング動画や公式プロダクションノートなどによればですね、これ、当初は……僕も最初は「こうやって撮っているのかな?」って思ったのは、『マンダロリアン』以降の「LEDボリューム」方式、周りを高精細なLEDの壁で囲んでやるとか、そういう風にやっているのかな?って、一瞬思ったんですね。あるいは、最新のVFX技術、すごくよくできたCG……もちろん、一部ブルーバックでCGとかを使ってもいますけども。でも、(製作者たちも)それらを全面的に使おうかなと当初は思ってたけど、それをやるには予算がなくて。

結局ですね、どうやってやっているかっていうと……ちょうどいい高さの山を見つけて、その元々高い山の上に、撮影用の、それぞれ20mと1.5mの本当の鉄塔とハシゴのセットを作り、本当にそこに登って演技してるのを撮ってる、っていうことです。これですね、撮影監督のマクレガーさんの、「実際に撮影し、太陽を適切な位置に配置さえすれば、他には何も必要ない」という彼の信条、ルールの元で撮っている。だからある意味、「無茶苦茶高い場所を登っている」ということを、本当にやってるから……「本当に」高い位置で、「本当に」高いハシゴを登っているから、こんなにリアル!ってことですね。

ただしその分、実際の自然環境の厳しさにモロにさらされて、大変だったようです。大量の虫が出たりとか、嵐に雷が来たりとか。はっきり言って、撮影してない時の、メイキングの方が環境が過酷でした(笑)。その中で本当にハシゴを登り降りしているこの演者二人のハードさ、ただ事ではない。もう、すごい陽焼けしちゃって、大変なことになってるわけです。あと、その中盤以降の主な舞台となる、頂上近くのあの踊り場っていうか、狭い丸い空間。そこに二人して、狭いところにいるしかないんですけど、それを模したセットを、監督の家の裏庭に作って、二人でどう動くべきか? どれが合理的か?っていうのを、シミュレーションと訓練を兼ねてやった。このあたりもYouTubeで見られたりするんですね。

あとはやっぱり、先ほどから言ってる画的な工夫だけではなく、メールにもあった、「音」ですね。鉄塔のビスとかワイヤーとかが、「ガタガタガタッ!」「ピキピキピキッ!」とか鳴っていること自体が……これは『U・ボート』の、あれは鉄のきしみが、閉所で水圧に押しつぶされるんじゃないか?っていう、どんどん深いところに行って「ギギギギギッ!」ってなって、で、途中でビスがボーン!って飛んだりして、それで水圧の恐怖というものを『U・ボート』では表現していましたけども、あれの高所版というか。「ギギギッ、ギギギッ!」って、ビスとかそういうのが、悲鳴を上げている。それが、「ああ、もうこの鉄塔は限界なんじゃないか?」って感じを示す、というね。『U・ボート』のあの演出の高所版、っていう風に私は思ったりしました。

もうオレ、ああいうことをやるやつ、大嫌い!

で、まあね、行きはまだ調子こいてるわけです。特に悪友のハンターは、よせばいいのに……ああいうこと(登っているハシゴを揺する)をやるやつがいるんだよね。「ウエーイ!(ガタガタガタッ!)」なんて。もうオレ、ああいうことをやるやつ、大嫌い! オレ、あの時点で絶交ですけども。あの時点でもう『イニシェリン島(の精霊)』です(笑)。「絶交、絶交、絶交! ないないない! オマエとはもう、ない!」みたいな感じなんですけども。「ガタガタガタッ!」ってやったらもう案の定……みたいなことになって。で、第一幕目いっぱい、まだ二人が調子こいて写真とか撮ってるくだりだけで、僕、一生分の手汗をかきました、本当に。あの、むしろね、事態が本格的に深刻になる前の方が、あいつら調子こいてるから、危なっかしいのよ。だからむしろ、前半の怖さ、っていうのもある、たしかに。

で、「さあ、降りましょう」ってなるわけですね。で、当然、ハシゴを順繰りに降りていこうとするんだけども。さっき「ウエーイ!」ってやった時に、ガタン!ってなって、ビスが外れちゃったところのハシゴから、ズズズズズ……と。みなさん、わかりますか? 煙突にひっついているハシゴを降りようとしたら、そのハシゴごと、後ろにグググググッ……ってこうなる(メインの柱から離れだす)という。私、ああいう夢をよく見るんです(笑)。本当に「ギャーッ!」っていう。はい。

もうハシゴも落ちてしまって、さあどうするか?っていう、ここから先はもうね、ぜひ皆さん、ご覧いただきたい。とにかく、電波も届かないし、連絡を取りようも、助けの求めようもなく、立ち往生をする、という。

■本作の美点は「救出」がゴールではなく、「連絡を取りたい」がゴールになっていること

で、本作は、僕はこれも美点だと思います。要するにですね、どうしても段取りっぽく、かったるくなりがちな、「救出」っていうのをゴールに設定せずですね、「外部に助けの声が届くかどうか」ってところにゴール設定をしてるわけです。要するに、その連絡が届いて、みんながワーッて来て、で、そこからヘリなのか何なのかでやるっていう、それはもう、「段取り」じゃないですか。だから、段取りは省いている。それによって、すごく作りがタイトになった……だけではなくですね。これね、物語的な構造として、主人公のベッキーはですね、夫を亡くしてから、生きる希望・気力をなくし、人を遠ざけて暮らしていた。

そういう主人公が、極限的なその経験、死の淵に一旦立つことで、まずはその夫への過度の精神的依存を、やむなく振り切ることになり……ここにちょっとヒネったシスターフッドテイストが入るのも、いいスパイスになってると思うんですね。ちょっと「ああ、そう来る?」っていう、かなり意外な作劇が一個、入ってますんで。これもなかなかいいツイスト、ちょっと想像してなかった方向のツイストがあるし。なんかその、シスターフッドの描き方として、ちょっとピリッとしたスパイスもある、甘いだけじゃない……でもやっぱり、たしかにそこに友情とか友愛がちゃんとある関係性っていうのが、この二人の演技力とかもあって(描かれていて)ですね、そこもすごくよかった。それによって、夫への過度の精神的依存を、やむなくではあるけども振り切り。

そして、生への意志を取り戻し……ここの野生対決! これもすごくよかったですね。さっき言った、そのにらみ合い。どっちが強いか? 目にもの見せてくれる!っていう。そうやって、「生」への意志を取り戻し。そして最後、いいですか? 事前には人を遠ざけて暮らしていた主人公が、ついには人との繋がりこそを、強く願う……つまり、「連絡を取りたい」っていうことがゴールになるっていうのは、物語テーマ的な一貫性も、僕はすごく、めちゃくちゃあると思ってます。この作りは。連絡を遮断してた人が、生きる気力を取り戻して、「連絡を取りたい!」ってなる。だから、よくできてるな!ってすごく思うんですよね。

手汗量では歴代ナンバーワン。ジャンル映画としても、めちゃくちゃ上質よ? コレ

まあ、もちろんですね、ラストにもう一声!っていう気もします、それは。ただ、ねえ……低予算なんですよ!(笑) そこでヘリの画とかをやったら、それだけでどんぐらいかかるの? そりゃ、省略できるものはするの! それはね。 

ということで、映画ならではの体感性というのと、ストーリーテリングが、非常に正しく的確にマッチした、非常に気持ちのいい、プロの仕事を見た気がします。私、手汗量でいいますと、歴代ナンバーワンだと思います(笑)、間違いなく。高所描写っていう意味では本当に、歴史に残るものだと思います。

もちろん、アカデミー作品賞級の名作、とかそういうことは言いません。だからもちろん、ストーリーが薄いとか……そりゃ、『イニシェリン島(の精霊)』じゃねえのよ(笑)。まあ、絶交してやる!とか、そういうのはあるかもしれないけど。でも、これはやっぱり、ジャンル映画として本当に過不足ないっていうか、こういう……皆さん、他のワンシチュエーションサバイバル物とか、観たことある? めちゃくちゃ上質よ、これ、本当に。

で、こんなのはなかなか、映画館でね、出会えないわけですから。今、映画館でやってるうちに……今、映画館でかかっているっていうのは、すごいラッキーな、幸福なことなんだ、と思ってください。やっているうちにぜひ、できるだけ前の方に席を取って、ウォッチしてください! あー怖かった!

(次回の課題映画はムービーガチャマシンにて決定。1回目のガチャは、『ボーンズ アンド オール』。1万円を自腹で支払って回した2回目のガチャは『アントマン&ワスプ:クアントマニア』。よって次回の課題映画は『アントマン&ワスプ:クアントマニア』に決定! 支払った1万円は今週はトルコ・シリア地震の救援金に寄付します)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

◆過去の宇多丸映画評書き起こしは

こちらから!

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