宇多丸『SHE SAID シー・セッド その名を暴け』を語る!【映画評書き起こし 2023.1.27放送】

TBSラジオ『アフター6ジャンクション』のコーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞して生放送で評論します。
宇多丸:さあ、ここからは私、宇多丸が、ランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する、週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのは、日本では1月13日から劇場公開されているこの作品、『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』。
(曲が流れる)
ニコラス・ブリテルのこの音楽も、すごく良かったですね。シリアスさと……なんていうか、「意志」を感じさせるというか。素晴らしい音楽だったと思います。ということで、映画プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインによる性的暴行を告発し、後に「#MeToo」ムーブメントを加速させることになった、ニューヨーク・タイムズの二人の女性記者の戦いを映画化。主人公の二人、ミーガン・トゥーイーとジョディ・カンターを演じたのは、『プロミシング・ヤング・ウーマン』などのキャリー・マリガンと、『ルビー・スパークス』などゾーイ・カザンさんです。監督を務めたのは、『ソハの地下水道』などのマリア・シュラーダーさん。
ということで、この『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』をもう観たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)、メールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、ちょっと多め。後ほども言いますが、この番組でもね、原作の本の翻訳が出た時点で、特集なんかもしましたし。まあ、なんと言うかな、映画ファンとしてもここはやっぱり、ちょっと正面からというかね、注目度が高いのはすごくいいことじゃないでしょうか。
賛否の比率は褒める意見が7割弱。主な褒める意見は、「1月から心に深く残る映画作品に出会えた」「この映画に登場する女性たちに改めて拍手を送りたい」「題材は重いが、悪をじりじりと追い詰めていく様子に興奮。1本の映画としても面白い」などがございました。一方、否定的な意見もございまして、「大事な問題を扱ってるのはわかるが、事件や登場人物に対する前提知識が必要。知らない自分は置いてけぼりになってしまった」「話に起伏がなく、盛り上がれず」などもございました。
■「『あなただけじゃないよ』と今すぐローラのことを抱きしめに行きたい気持ちでした」
というところで、代表的なところというか、ちょっとピックアップさせていただきますね。「ジンを薄めて飲むマンさん」です。
「2023年、まだはじまったばかりですが心に刻む一本になりました。この映画で、特に心に刺さった登場人物、『ローラ』について少しお話させてください」。証言者の一人というか、告発者の一人です。「ローラが、意を決してジョディに自分の被害体験を話すシーン。『自分はNOと言えなかった側の人間』のような発言をしていたと記憶しています」。そうそう、彼女は、「周りの他の人たちはあそこでノーと言えたのに……」みたいなことを言う。
「……その経験が、彼女にどれくらい傷をつけ、今でもその傷から血が流れているのか……私自身、NOと言えなかった人間として、痛いほどわかります。実名を出していいと電話し、手術室に向かいながら涙するシーンは、『あなただけじゃないよ』と今すぐローラのことを抱きしめに行きたい気持ちでした。この一連のローラの発言を、今作に組み込んでくれたことが、自分的には癒しに近いというか、『こういう存在の人もいる』ということを少しでも知ってもらえるきっかけになれば…と思いながら観ていました。
決して傷は癒えないけれど、ローラをはじめ、告発する女性たちに共通しているのは、次の犠牲者を出さない、という思いからの行動です。改めてその行為に拍手を送りたいです。物語全体は淡々としていますが、セクハラ被害の描写も配慮があり、長尺ではありますが、惹き付ける力が衰えることなく緊張感があり、映画としても本当に面白い作品でした。日本でも、映画業界やものづくりの現場でのセクハラ、パワハラの現状が少しずつ世に出るようになってきたと思います。可能であればいつの日か、アトロクで『日本版CNC(セーエヌセー)設立を求める会』まわりの特集を組んでいただけると嬉しいです」ということです。最後は「重たくなってしまったのでグッと来たところを……」みたいな感じで「キャリー・マリガン、最高!」みたいなことも書いていただいております。「ジンを薄めて飲むマン」さん、ありがとうございます。
あとね、「Mr.ホワイト」さん。これ、ちょっと読む時間がないんで、あれですけど。作品が素晴らしいということは前提として、それぞれのバイプレーヤーたち、脇役たちの皆さんのキャスティングと演技が素晴らしい、ということで、一個一個、箇条書きにしていただいて。このMr.ホワイトさんのこのメール自体が、「ああ、そうそうそう!」みたいな感じで、めちゃくちゃアガりました。ありがとうございます。
一方、否定的なご意見としてはですね、「Ryoー爺」さん。「結論から言うと基本的には否です。僕には決定的にわかりにくさのある映画でした」ということで。まあ、具体的描写をせずに、やり取りというか、取材プロセスというところに焦点を当てていく作品なので、飲み込みづらかったというようなことなんですかね? はい。まあ、そのような意見もございました。皆さん、ありがとうございます。『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』。私もTOHOシネマズ日比谷、TOHOシネマズ六本木で、二回見てまいりました。
■世界で巻き起こった「#MeToo」ムーブメント。その火付け役となった調査報道がテーマ
この番組でも、2020年8月26日に同書の翻訳をされた古屋美登里さんをお招きして、特集もしました。『その名を暴け:#MeTooに火をつけたジャーナリストたちの闘い』。新潮社から、現在は文庫版も出ておりますが、これの映画化作品でございます。
改めてこれ、もう本当にね、前提となる認識というか、そこの認識はもうみんな持った上で観る、という前提となってますので、ここを一応言っておきますけど……言わずもがなですけどね。世界中で……もちろん、まだまだ不十分というか、取っ掛かりも取っ掛かりに過ぎない段階ではあるんだけど、これまで事実上黙認・是認されてきたような、「そんなもんだ」とされてきたような、様々な差別的、抑圧的、搾取的な制度や慣習、社会や意識のあり方、などがですね、根本から問い直されていく、という大きな波が、いろんなところで起きていますけども。そのひとつの巨大なきっかけだったことは間違いないだろう、「#MeToo」ムーブメント。それが一気に本格化、拡大していくきっかけというか、まさしく……『#MeTooに火をつけた』ってなっていますけども、火つけ役になったのが、このジョディ・カンターさんとミーガン・トゥーイーさんによる、ニューヨーク・タイムズ紙での調査報道記事だったわけですね。
特にですね、超大物プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインが繰り返してきた性暴力、セクハラ、そして口封じ。このセット……「口封じ」までがセットなわけですけど、アメリカ映画界の、ど真ん中で行われてきたことなわけです。つまり、同書にも出てくる「キャスティングカウチ」という業界内の隠語が示す通り、権力者が立場の弱い者を性的に食い物にする構造というのはですね、誰もがうっすらは知っていた、ハリウッドの暗黙の慣習でもあったわけです。
要はこれはワインスタイン個人だけの問題ではなく、映画をはじめとするエンターテイメント業界全体の体質・風土の問題でもあり。だから、先ほど言った調査報道、それをまとめた原作の本が、新ためてプランB/アンナプルナ製作、ユニバーサル配給の、堂々たるアメリカメジャー映画としてですね、主に女性の作り手たちによって、最大限の誠実さ、丁寧さをもって映画作品化された、というのはですね、アメリカ映画史、アメリカ映画界にとっても、ものすごく大きな意味を持つ出来事というか、ちょっと節目とも言っていいような、ちょっとここでようやく一回りしたというか、そのぐらいの出来事だと思うんですね。
それだけにちょっと、先日発表された第95回アメリカアカデミー賞ノミネート、本作が一部門にも引っかからなかったのは、ひどく残念。もちろん他の作品との兼ね合いもあるんで、一概にだからどうこうということは言えないとは思いますが、少なくとも脚色賞……そしてやはり作品賞を取っていいんじゃないか、というくらい、それぐらいの力を持った、見事な「映画作品」になっていると僕は思っております。
■レベッカ・レンキェビチの脚色とマリア・シュラーダーの演出が噛み合い、調査報道物のひとつの到達点に
実話を元にした調査報道物の映画というのはね、それこそ監督マリア・シュラーダーさんはインタビューなどでですね、後述しますが一種反面教師的に参考にしたという……あるいはその、撮影監督のナターシャ・ブライエさんは、カメラワークのインスピレーション元として……これ、名手ゴードン・ウィリスの仕事ということで、インスピレーション元としてどちらも名前を挙げている、1976年の『大統領の陰謀』とか。
近年でも、それこそアカデミー作品賞に輝いた『スポットライト 世紀のスクープ』とか……『スポットライト』と比べて本作が劣ってるとは全然、思えないんですけどね、この『SHE SAID シー・セッド』がね。とにかくこれまでも、いろいろと優れた作品がありましたけれども、本作『SHE SAID シー・セッド』はですね、そうしたジャンルの、現状でのひとつの到達点と言ってもいいような、あらゆる意味で従来よりさらに一歩、考えを深めて作られている……たとえば、こういう実話を元にした時の、送り手のモラル、とかも含めてですね。あらゆる面で一歩考えを深められている一作、現状の到達点、という風に言えるのかなと思います。
今回このタイミングで、改めて原作の方を読み返してみますとですね、まず脚本のレベッカ・レンキェビチさん、この方のまとめ力がすごい!ということがよくわかりますね。
たとえばですね、映画ではキャリー・マリガン演じるミーガン・トゥーイーさんが、最初にあのジョディさんから「一緒に取材しよう」と言われて、「でも、ジャーナリストとして追うべきは、“声なき者”の声であって、ハリウッドのスター女優には発言力があるでしょう?」みたいなことを言う。そういうちょっと、当初疑問を呈すというところ。あそことか、元の本では、「彼女はそういう風にも考えていたんだけど」という風に、地の文で書かれているところなんですね。それを、さらっとセリフに落とし込んでいたりとか。そんな感じでですね、元の本にある結構重要なセリフとか表現が、結構まんべんなく、しかも自然に整理されて、押さえられている。なので、まずはこれ、脚色が見事、ということが言えると思いますね。
で、このレベッカ・レンキェビチさん、これまでもですね、2013年の『イーダ』とか、2018年の『コレット』とかの脚本をやられてきた方ですけど。面白いのは、2017年の『ロニートとエスティ 彼女たちの選択』というのがありまして。これですね、なんと、当番組でも何度も触れている『パワー』のナオミ・オルダーマンさんの、自伝的デビュー作、というのが原作なんです。要はですね、すごく厳格な、超正統派ユダヤ教コミュニティで生まれ育ったんだけど、その抑圧等に対して抵抗して……で、そこから解放されていく、という。大きく言えばそういうテーマなんだけど。
一方、今回の『SHE SAID シー・セッド』、監督に抜擢されたマリア・シュラーダーさんは、ドイツ出身で、いろんなものを撮っていらっしゃいますけど……一個前にあたる2021年の『アイム・ユア・マン』とかも、非常になんか、哲学的ロマコメというか、すごい変わった面白い映画を撮る人だな、と思いましたけど。2020年にこれ、マリア・シュラーダーさんが、Netflixで『アンオーソドックス』というドラマシリーズを手がけられていてですね。これがまさしくさっき言った、「超正統派ユダヤ教コミュニティーの抑圧に対して抵抗し、解放されていく女性の話」なんです。完全にその、さっきの『ロニートとエスティ 彼女たちの選択』とシンクロする内容です。ちなみにその、超正統派ユダヤ教コミュニティーのゴリゴリな保守性、みたいなものはですね、とはいえ家父長制が根強いところなら、どこにでも通じる話でもあって。残念ながら、もちろん日本の社会とか風土とも、そんなに遠くない話だなって見えちゃうところが、残念なところはあるんですが。『アンオーソドックス』はすごい面白いんで、おすすめしたいですけど。
とにかくその、レベッカ・レンキェビチさんの脚色と、マリア・シュラーダーさんの演出が、バチッ!と完璧に……「ああこの二人、手が合ってる!」っていう感じで、極めて語り口の焦点が絞れた映画になっていると思います。
■すさまじく鮮烈な映画オリジナルの冒頭部分
まず何しろですね、もちろん原作本とは大きく異なる構成の、映画オリジナルで置かれた、冒頭部分。ここが、すさまじく鮮烈ですね。「1992年 アイルランド」という風に字幕が出て。森の中、犬と散歩している、まだかなり若いであろう女性。これが、海岸のところまで散歩がてら出てみると、巨大な船のセットと、歴史物っぽいコスチュームを着た人々、そして、みんな忙しそうに動いている撮影クルーたち、というのがいて。どうやら、ここで映画のロケをしているらしいと。
これ、実際には『白馬の伝説』という、ガブリエル・バーンとエレン・バーキンが主演の作品だったようですけども。その活気ある雰囲気に目を輝かせる、先ほどの若い女性。撮影クルーの中の女性と目が合って、親しくなり、いつしかクルーに参加することに……というところまでが、本当に最小限のカットの連なりだけで、テキパキテキパキ示されていく。ポンポンポンッていう感じで、「ああ、そういうことね」ってわかるようになっている。と、そこで突然……バンッ!とカットが変わると、いきなり雰囲気が変わって。
さっきまではちょっと森の中とか、海辺でロケとか、自然の感じだったのが、レンガ造りの街中を、明らかに何かから逃げ出してきた直後、といった様子で、洋服を抱えて……ということはだから、(直前までは)洋服を脱いだ状態だったんでしょうか。号泣しながら走っている少女の姿が……さっきまでのその、「これから映画の仕事をしていくのかな」っていう感じで楽しそうにしてた少女が、今は服を抱えて、号泣しながら走っている。その姿にパンッ!と変わる。
まあ後にですね、観客は、この彼女というのは、実に25年後、そのワインスタイン告発に声を上げるローラ・マッデンさん。先ほどのメールにもあった方です。ローラ・マッデンさんという方だ、ということが後ほどわかるようになるわけですが。
冒頭のこの時点、いわゆる情報っていうかね、そういうものは何もないこの段階でも、はっきりわかるのは、こういうことですよね。一人の生きた人間の、その直前まではあれほど輝いていた夢や希望や情熱、そして未来が、ここで無惨に踏みにじられたんだ、っていうこと。これははっきりわかる。性暴力とかセクシュアルハラスメントっていうのは、加害者がどのように軽く見積もろうとも、本質としてそういうもんなんだ、っていうこと。その残酷さ、非道さ。被害者にとっての切実さ、重大さ。それをこの映画オリジナルのオープニングは、鮮烈に突きつけてみせる。
もうひとつ言うならば、その映画作りに惹かれて、「映画っていいな」と思ってやってきた少女の、その夢を踏みにじってるわけですよね。だからつまり、我々は映画が好きで、映画ファンとして、『SHE SAID シー・セッド』というこの映画を観に来て……まあ、ワインスタインの映画だって、観ちゃってるわけですけど。その俺たちに対しても、なんていうのかな、とんでもない裏切りっていうか、とんでもないことをしやがる!っていうか。映画ファンにとっても、「ふざけんな!」っていう気持ちがするという。そういうオープニングになっているわけです。
そんな感じで、このオープニング、この映画版『SHE SAID シー・セッド』の、特長といえる視点の置き方というのが、既に示されているところなんですね。
■それぞれの女性たちをまず「人間」としてちゃんと描く
まず何より、被害者、サバイバーたちであるとか、ゾーイ・カザン演じるジョディ・カンターさんやキャリー・マリガン演じるミーガン・トゥーイーといった記者たち、それぞれの女性たちをですね、肩書きや物語上の役割というところに押し込めずに、みんな普通に普段、生活もしてるし、家族との時間もある……要は、本当にちゃんとその時間を生きている人間としてしっかり描き出そう、という、はっきりした意志が本作では打ち出されているわけです。
(監督の)インタビューでも、先ほど「反面教師的に」と言った『大統領の陰謀』とかは、優れた作品なんだけど、その記者たちは本当は家族とかがいるのに、なんか孤独な独身者みたいにわざわざ描いていて、みたいな(不満点を挙げている)。あるいは、よくある映画とかだとね、女性たちは、仕事の代わりに家族とか人生を犠牲にしている、みたいな(二者択一的な人生像が示されがちだった)……でも、そういうバランスには絶対しない、っていうことですよね。
あるいはその、被害者の「素」の姿……さっきのその、映画の撮影を見て目を輝かせている素の姿、みたいなもの。これって、ドキュメンタリーとかそういう企画では、絶対できないことなわけで。そもそもその、被害者の姿とか顔を、そんなに簡単に晒していいのか?っていう、その暴力性の問題もあるから。なのでこれはやっぱり、フィクションならではのできること、というのを、とっても誠意を持ってやっているし。
で、これらは、性差別、性暴力というのが本質的に、要は相手を、それぞれに生きて、考えて、感じているような「人」としては見ないで、「物」的に利用する行為である、ってことを考えれば、この『SHE SAID シー・セッド』という作品におけるスタンスというのは……まずは「人間」として全員をちゃんと描く、生活の姿を描く、家族を描く、これは大変理にかなった、効果的なもの、と言えると思います。
なので、たとえばお話上は事態が大きく動くような電話を受けてるようなところでも、実際に画面に映し出されてるのは、家族と過ごしている、プライベートなほっこりした時間だったりすることが、本作はとても多いわけです。さっきも言ったように、仕事のために家族や人生を犠牲にする、特に女性キャラクター……みたいな型に、はまっていないわけですね。逆に言えば、でもこれはですね、電話の向こう側に広がってる無情な現実……それはやがて、その一緒にいるこの幼い子供たちもいつか、触れることになるかもしれないものなんだ、だからやっぱり何とかしていかなきゃいけないんだ、という切実さを、際立てる作りにもなってるわけです。
また、そうしたスタンスとも表裏一体のことですけども、本作『SHE SAID シー・セッド』は、性暴力、セクシュアルハラスメントといったもの、おぞましい行為そのものを、画面に映し出すことはしない。これはもちろん、あらゆる意味で被害者を消費しない・させない、という配慮でもあるし。
先ほどね、金曜パートナーの山本(匠晃)さんとも話しましたけど、途中で一ヶ所出てくる、ワインスタインが執拗に女性に迫っていく様子を記録した、音源。それを、舞台となったホテルの廊下をグーッと、気持ち悪いズームで(撮った映像に)重ねているやつ。あのくだりだけでも、十分すぎるほどキツい、というのもあるし。
あともうひとつ、バーで男が、勝手に言い寄ってきて。ナンパをしようとして。で、「いや、話をしてるからさ。話をしてるから」って(断っているのに)、しつこい。最初から邪険にしているわけじゃない。「ごめんごめん、話をしてるから。話をしてるから……話してるっつってんだろ!(怒)」っていう。ああいうことって、要は直接的な性暴力とか、セクシュアルハラスメントの重大なものでなくても、要するに女性たちが常日頃からこういう風に扱われている、っていう……その、こっちの気持ちとかお構いなしに、さっき言ったように「利用」ですね。性的に利用されることが当然のように……あるいは、夜道を歩いていても怖いとか、そういうものに常にさらされている、っていうところは、きっちりと、ちゃんと描いている。
で、そういう暴力的なものを映さない……それどころか、ワインスタイン本人にスポットを当てることもしない。これは要はですね、「お前が“主役”ではないから……お前なんか、主役ではない!」っていうね。「映すにも値しない!」みたいな。(テレビ番組の)『格付け』みたいですね、「映すに値せず」みたいな、そういう意志も感じるし。
■キャリー・マリガンとゾーイ・カザンのバディ感。そしてアシュレイ・ジャッドさん……あんた、すごかったよ!
それよりも本作、実はですね……要するに、ワインスタイン個人が変な奴だとか、怪物だとかっていうのは、それは問題の矮小化なわけです。本作が焦点を当てているのは、彼の悪行が長年不問にされてきた、その構造全体なんですね。なのでたとえば、本作を観た誰もがこれは問題だと感じるであろう、示談金と秘密保持契約、という口封じのための「法的」システム……法律ってなんのために、誰のためにあるの?っていう(理不尽さを感じずにはいられない)、法的システム、加害者を保護するためのやり方であるとか。
また、裁判によってはですね、性暴力被害者の側にも立ってきた、弁護士のリサ・ブルームさんという方がいて。これが、この件に関してはワインスタイン側についていて……というところ。ここもすごく印象的で。
彼女がその、ワインスタインに電話で進言してる、という声が流れるところがあるんですけども。そこで、ジョディさんとミーガンさんが……「あいつら本当にとんでもないから、なんとかしてやりましょう」みたいに(リサ・ブルームが電話で)言っているところで、(二人の姿が)映されている画が印象的で。ジョディさんとミーガンさんが、たぶんランチなんだけど、そこだけ二人が分かれて、左右の違う店のところで買い物をするわけです。それと、このリサ・ブルームの声が重なるんです。つまりこれによって、女性同士の分断の可能性、みたいなのを画的に予感をさせる。でもその後、二人は一緒にまた食事していて……というような感じで。こういうね、音声のところにどんな画を重ねてるか、みたいな配慮も、めちゃくちゃよくできていてですね。はい。さすがだと思いますね、これ、監督もね。
もちろんね、キャリー・マリガンさんとゾーイ・カザンさんは、元々友人同士、ということもあって、非常に自然なバディ感……二人ともたまたま白いドレスで来ちゃって、「キャーッ」みたいな(笑)。あそことか本当……あれこそなんか、日常のね、さりげない場面を切り取った感じで、すごくいいですし。
クライマックス、これは多くの方がメールに書いてました、やっぱりキャリー・マリガンの「眼差し力」、これで全てを圧倒する。「ああ、好きなだけ吠えておけ。言っとけ、言っとけ。好きなだけ、言っとけ……今のうちにな!」っていう、あの感じ。いやー、いいですよね。最高でございます。
あと僕は、特筆しておきたいのは、アシュレイ・ジャッドさん。もちろんすでにすごいスターの俳優さんでしたけど、ワインスタインのその被害者でもあって。アシュレイ・ジャッドさんが、本人役で出てる。で、途中にやっぱり、この本作でもすごくエモーション的に高まるところですけど、オンレコで、要するに名前を出して、ちゃんと証言すると決めた後。その後の表情、みたいなのがありますけど。あれはやっぱり彼女の……なんていうか、その後も大変だっただろうその俳優人生とか実人生と、クロスする瞬間で。俺はすごくそこで、なんというか、アシュレイ・ジャッドさん、お疲れ様でしたっていうか……あんた、すごかったよ!って、なんか本当にちょっと、頭を下げたくなるような感じでしたね。
あとやっぱり、あの終わり方の切れ味! 最高でしたね。もう、「弾が放たれるその瞬間」に、スパン!と終わる、あの切れ味、最高でございました。
■21世紀を代表する報道に対する、「映画」側からの見事な回答
でですね、ぜひ、この作品を観て興味を持った方は……もちろんその後、ワインスタインに関してはいろいろなあれ(性加害やセクハラの告発)が出て、一応の決着がついたかもしれないけど、原作だとこの後も、どんどん話が続いてですね。ブレット・カバノーっていう連邦最高裁判事の性暴力疑惑、みたいなものもあって。これはでも、結局あんまりクリアにならない。つまるところ、(ドナルド)トランプですよね。この作品でも出てくる、トランプ──あれ、電話口のものまねがめちゃくちゃ上手いんだけど(笑)──結局、トランプとかがやったこととかは全然不問っていうか、それ自体はあんまり彼には影響していない、っていう。とか、そのトランプの周りを固めた最高裁判事とかも……それとか、あんまりうまくいかなかった件で。
だから、話は全然まだ解決してない!っていうか、そういうのを知るためにも、原作本を読むのがいいです。あと原作本、その後にですね、本書に登場したいろんな被害女性たちが一堂に会して、一緒に話をする、という場面があって。これが本当にすごく素晴らしいくだりなので。ぜひですね、原作本も、興味を持った方は読んでいただきたいと思います。
とにかくでも、非常に僕は、はっきり言って21世紀の一番デカいひとつの報道というか、出来事だと言ってもいいぐらいだと思うこの「#MeToo」運動の、広がりのきっかけとなったこの報道に対して……「映画」っていうのが、それに大きく絡んでるわけですから。映画側からの、映画としての、見事な回答をこの『SHE SAID シー・セッド』という作品は、示していると思うんです。
なので、アカデミー賞はちょっと引っ掛からなかったのは残念ですが、私は、作品賞級の力があると思ってます。そうなるべきだった作品だと思います。ぜひぜひ、今すぐ劇場でウォッチしてください! 原作もおすすめです!
(追記:同日夜7時37分過ぎのフリートークコーナーにて)
宇多丸:今日、『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』を評論しましたけど、合間でさ、「あそこがよかった、ここがよかった」って話をしてて、映画評の中でも言い忘れちゃったんだけど、リスナーメールで、Mr.ホワイトさんのメールでもあったんだけどさ、バイプレーヤー、脇チームが結構よくて。特に、ワインスタイン側が送り込んでくる弁護士チームとか、ワインスタインの下でもともと働いていて、ジョディさんと話をする、最終的には情報を提供する、あの人(ザック・グレニア)とかさ。あの人たちが絶妙!っていうか。
山本:本当にそうなんですよねぇ。
宇多丸:ワインスタインの悪行をうっすらは分かってるし、それを全然いいと思ってるわけじゃないけど、みたいな。あの、ラニーっていう弁護士の、あの何と言うか、ちょっとした狸親父感も含めて、そこもいいし。
あとやっぱり、ジョディさんと食事して、iPhoneを渡すあの人(ザック・グレニア)──Mr.ホワイトさんも書いてて、いろんな映画で見る人だけど──彼のさ、ついに「そこまで酷いことをやってるとは俺も分かってなかった」つって、自分の側の情報を提供する決意をするところ。(iPhoneを)渡して、で──ここは原作にはない、まさにフィクションならではの描写だけど──渡して、トイレに行って、自分の顔を鏡でこう見てる、っていう。あそこが凄く、いいですよね。要するに我々は、ある意味男性として、すごくそういう意味では、「ク……ッ」っていうか……居心地悪いって軽い言葉じゃあれだけどさ、言っちゃえば我々、男性として恥ずかしい!っていうか、そういうことなんだけど。特に、半分は無自覚だったであろろう、加害者側に荷担する側だった自分、というのを、(鏡で)見つめて。
山本:「お前はどうなんだ?」って。
宇多丸:そうだね。それで加害者側として一歩踏み出している、というところだから。だからあそこは凄く、グッとくるなぁって思いました。ザック・グレニアさん。Mr.ホワイトさんのメールだと、「私はこの方を1994年のヴァン・ダム映画『マキシマム・リスク』より注目しています」だって。このあたりは後ほど(出演する)三角絞めさんに聞けば分かるかな。「……よくフィンチャー作品に出てくる悪人、悪上司、役人顔の人ですが、本作での演技は過去最高でシビれました」。あと、さっき言った(弁護士の)ラニーさん役、ピーター・フリードマンについて。「ワインスティンが遣わした弁護士ですが、ヌエのような表情の中に微妙な正義感も見えなくもなく、で、キャリー・マリガンとの駆け引きは息を飲みました」。これもよかったですよね。
ということで、他のキャストの皆さんについても書いて頂いて。こういう視点(もいい)。すべての役者がめちゃくちゃいいですしね。
(次回の課題映画はムービーガチャマシーンにて決定。1回目のガチャは『ヒトラーのための虐殺会議』、1万円を自腹で支払って回した2回目のガチャは『エンドロールのつづき』。よって次回の課題映画は『エンドロールのつづき』に決定!※支払った1万円はウクライナ支援に寄付します)
以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。
◆過去の宇多丸映画評書き起こしは