宇多丸『奈落のマイホーム』を語る!【映画評書き起こし 2022.12.9放送】

TBSラジオ『アフター6ジャンクション』のコーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞して生放送で評論します。
宇多丸:さあ、ここからは私、宇多丸が、ランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する、週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのは、日本では11月11日から劇場公開されているこの作品、『奈落のマイホーム』。
(曲が流れる)
(スタジオサブのミノワダPに)こんな音楽、使ってないよね?……ああ、サントラなんだ。そうですか。これ、(映画全体のトーンとは)だいぶ印象が違いますね。『ザ・タワー 超高層ビル大火災』『第7鉱区』などのキム・ジフンが監督を務めた、韓国発のサバイバルパニック。平凡な会社員ドンウォンは、ソウルの1等地に念願のマンションを購入。しかしある日、地盤沈下により巨大な陥没穴(シンクホール)が発生、マンション全体が飲み込まれてしまう。ドンウォンは、そりの合わない住民マンスたちと、地上への脱出を目指すことになる。主な出演は、『毒戦 BELIEVER』などのチャ・スンウォンさん、『悪いやつら』のキム・ソンギュンさん、Netflixドラマ『キングダム』のキム・へジュンさんなど、でございます。
ということで、この『奈落のマイホーム』をもう観たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)、メールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「少ない」。まあ公開館数が少ないっていうのもあるんですかね? 一応これね、リスナーリクエストメール、結構熱烈なのを何通もいただいてね、私も観に行ったんですけどね。
賛否の比率は、褒める意見が8割以上。かなりの高評価。観た人はみんな褒めている。主な褒める意見は、「これは思わぬ拾い物。月に一本ぐらい、こういう映画に映画館で出会えたら幸せ」「コメディテイストが楽しく、またそれがあるから後半の緊張感も増している」「笑えて泣けて、劇場内もいい雰囲気だった」などがございました。一方、否定的な意見は、「テンポが悪い「細かい突っ込みどころが気になってしまった」などございました。それがどこのところを指しているのか、私も非常によくわかりますが(笑)。
■「月イチでこんな映画に遭遇したい。非常に満足度の高い作品」
ということで、代表的なところをご紹介しますね。リスナー感想メール、まずは褒めている方。ラジオネーム「空港」さん。「『奈落のマイホーム』、TOHOシネマズ梅田でウォッチしてきました。滅茶苦茶面白かったです! 歴史に残る名作的な、威厳を備えた作品でありませんが、月イチでこんな映画に遭遇したい、と思わせてくれる、非常に満足度の高い作品でした。序盤からのコメディテイストのシーンも楽しく、そのテイストがあるからこそ、中盤の展開が重くのしかかり、緊張感の糸をピンと張り直す塩梅など、心地よく映画に翻弄されました。また、はじめは隣人であるマンスが着ていた、ダサめな『KOREA』と書かれたジャンパー。シンクホールの発生により、汚れてボロボロになるそのジャンパーが、途中からドンウォンの息子を包み、全員で必死に『KOREA』と共に生還しようとしてた点が、非常に印象的でした」……たしかに! なるほど、そうかも。印象的に見せてましたしね。なるほど。
「拡がり続ける格差社会と、改善されない経済状況。その中で、諦めずに、知恵を出し、互いを思いやりながら、タフに地盤沈下をサバイブする。それをこのディザスターコメディなるエンタメ作品で織り込む、韓国映画の気骨に感動しました。また、序盤で高層マンションを『見えるけど登れないエベレスト』と眺めていた彼らでしたが、最後にキム代理・ウンジュが手にするとパンに、エベレスト的なロゴが描かれていたのも、気が利きすぎていてグッときました」。空港さん、よく気づいてますね。「危うくスルーするところでしたが、劇場の皆で笑いながら固唾を飲み、最後には鼻をすする。そう考えると今年イチの映画体験でした。選んでいただきありがとうございました!」という空港さん。
一方、いまいちだったという方もいらっしゃいました。「ほやたろう」さん。「どちらかといえばダメでした。マンションが巨大な縦穴に落ち込んでいく映像は圧巻で、緊迫感があり、楽しめたのですが、肝心の脱出シークエンスが、どうにも細かいところが気になり、盛り上がれず。救助側の現実感の無さ、動きの悪さは言うまでもなく……」と。まあ、ちょっと途中の展開が納得できない。あるいはその脱出の理屈がおかしいだろう、みたいな。これ、私も思いますけどね。
「……何でそうなるの、という疑問が多いとやはりノイズになってしまうので、コメディだから、とかシリアスだから、ではなくリアリティラインは一定に保ってほしいなと。災害後への伏線として、前半でどれだけ幸せか、平和な日常かを強調した演出について、落ちてからもコメディタッチのシーンは続くのですが、息子の生存を確認したあたりから、完全にシリアス路線に。そして最後の脱出に向けて盛り上がっていく、はずなのですが、乗り込むタンクが出てくるところ、あんなにズッコケるような笑い、音に振り切るあたりのバランス感覚は、良いとは思えず。なんというか、積み上げた緊張感を崩された気がして、もったいないなと」。
これですね、後ほど私が言う、この作品の言ってみれば特徴部分っていうか、特色部分。キム・ジフンさんの特色部分がまあ、合わない人もいる、っていうことなのかなっていう気がしました。今、おっしゃっていた「もったいないな」って言ってる部分はまさに、この作品の結構、キモなところで。そこが気に入るか、気に入らないかの差、っていうこともあるかもしれませんね。
■「映画ってやっぱり最高だな! これだからやめらんねえんだよ!」
ということで、『奈落のマイホーム』、私もですね、ガチャが当たる前の週、要するに皆さんの熱気あるプッシュの影響を受けまして、一足先にTOHOシネマズ日比谷で、そしてまた今週、TOHOシネマズ日比谷で観てまいりました。週末の昼回、入りはまあまあといったところでしたが、これもメールに書いてる方も結構いました、ところどころやっぱりね、劇場で自然な笑い声が漏れていて。とてもいい雰囲気でした。これは皆さんも書いていて、どこもそうだったんだな、って感じがしましたね。
とにかくですね、今日び、いわゆる「何も期待もせずに、特に前情報なども入れずに観に行ったら、これが意外な拾い物!」というのはですね、言っちゃえば結構な映画ファンにのみ残された、ものすごい贅沢なのかもしれなくてですね。というのは、要は多くの人にとって、今や「映画館で映画を観る」というのは、かなり積極的な選択というのを要する行為になりつつありまして。実際、僕自身、本作をリスナーからの猛プッシュを受けて観に行ってるわけで、全然フラットに「発見」したわけでも何でもないわけですけども。
それでもやはり、本作に関してはですね、やはり、こう言わせていただきたいし、それがふさわしいように思います……何の期待もせず、フラッと入った映画館で、たまたまこんなのに出会ったら、そりゃもう最っ高に、幸せでしょうよ! 「映画ってやっぱり最高だな! これだからやめらんねえんだよ!」って、僕、声に出して言うと思います。なので、「なんの期待もせずにふらっと行って観たとしたら」って、無理やり、自分で想像しておいてでも、そういうモードで観てほしい、っていう。
もちろん今作はですね、韓国本国では、2021年公開の韓国映画としては最速で(韓国本国の観客動員数が)100万人突破したぐらいの、普通に大ヒットしてる作品でもあるんですけど。
■シリアスなジャンル映画的なところに泥臭いコメディ要素を普通より多めにまぶす。それがキム・ジフン監督
監督のキム・ジフンさん。過去のキャリアと本作の立ち位置、みたいなことについてはですね、劇場パンフに掲載されている、当番組でもおなじみ映画ライター村山章さんの解説コラムが、非常にばっちりな内容なので、それを読めばだいたいこと足りるんですが、一応、説明しておきますと……とにかくこのキム・ジフンさんという方、公開作としては前作にあたる『ザ・タワー 超高層ビル大火災』という2012年の作品。まあ、この日本タイトルを読んで字のごとくですね、要は『タワーリング・インフェルノ』の現代韓国版を、これは主にいい意味で、臆面もなく堂々とやりきったディザスタームービーでしたし。
その前の2011年の『第7鉱区』という作品は、『エイリアン』と『エイリアン2』……あとは『トップガン』っぽさも少し入れた、みたいな感じのモンスターアクション物。で、さらにその前の2007年『光州5・18』という、これはもちろん史実としての光州事件を扱っている……商業作品としては初めて光州事件を扱った作品、ということらしいですが、パニック映画、それから戦争映画的なトーン、というのがわりと色濃かったりしてですね。要は、広義のディザスタームービー……酷いことが起こるというか、でかい規模の酷いことが起こるという、広義のディザスタームービーを数々手がけてきた人、とは言えると思います、キム・ジフンさん。
ただしですね、そこにはもうひとつ、大きな要素がありまして。いま言ったように、結構な人死にが出るような話。光州事件なんかもちろん史実ですから、シリアスな題材を扱っていながら、常に、特に序盤、一幕目いっぱい、始まって30分ぐらいは、わりとたっぷりめに、ベッタベタ、コッテコテのコメディ、喜劇タッチをかならずやってくる、という、そういう人でもあるんです、キム・ジフンさんは。なんなら、かなりの大惨事、悲劇が起きた後や、その真っ最中でも、わりとしょうもない笑い要素を、絶対入れ込んでくる方なんですね。
そして、これはですね、先ほど言ったコラムで村山さんも書かれている通りなんですが、おそらく、むしろキム・ジフンさんの本分はこっちの方、笑いの方で。2004年の長編監督デビュー作の『木浦は港だ』っていう作品。僕もこの機会に中古DVDを取り寄せて初めて観たんですけど。これはもう、もはやベタベタ、コテコテというよりも、「テレビバラエティ的」と言っていいような、わりと本気でしょうもないギャグが満載の、潜入捜査物のパロディですね。潜入捜査物のパロディ、みたいな感じ。
要は、本来シリアスなジャンル映画的なものを土台に、泥臭いコメディ・ギャグ要素を普通よりかなり多めにまぶす、という。そういう構造の作品をずっと作ってきた人ではあるんですね。このキム・ジフンさん。
■はたから見れば滑稽、本人たち的にはただただ真剣。この両面が完全にイコールなものとして描かれている
ただ、これも村山さんも書かれていますが、そしてメールでも書かれてる方が多かったですが、前半で気が抜けるほどコミカルに描かれているそのキャラクターたちが、どんどん厳しいディザスター的な状況に追い込まれていく、というこのギャップこそが、より、たとえば悲劇だったり悲劇性を際立てるし、観客の感情移入をより深くしている、という。そういう効果が、特にやっぱり『光州5・18』以降の作品群にはあるかな、と言えると思います。
悲劇性とはちょっと違うけど……まあ、悲劇性ではあるか。2020年5月15日にこのコーナーで扱った、『EXIT イグジット』というあの韓国映画もやはり、あれも最初の30分間ぐらいは「大丈夫か、これ? みんな勧めてきたけど、これ大丈夫?」みたいなぐらい(笑)、本当に垢抜けないコテコテのコメディみたいのが続くんだけど、それゆえに、ディザスターな事態が起こった後に、「えっ、さっきのあの人たち、もう誰も死んでほしくないんだけど?」っていう状態になっているという。まあある意味、本当に『EXIT イグジット』は最高でしたけど、あの構造ともちょっと通じるところがある、と言えると思います。
その意味でですね、今回の『奈落のマイホーム』は、キム・ジフンさんのそうした構造のさらに進化形、もしくは到達点、と言えるような一作かなと思います。
コメディパートとシリアスパートが、それでもこれまでの過去作では、ある程度、分離して置かれていた感じだったんですね。それに対して本作ではですね、主人公たちが、はたから見れば滑稽であることと、本人たち的にはただただ真剣に生きていこうとしているだけ、というこの両面が、完全にイコールなものとして描かれている。
特別立派な人、有能な人とかは全く出てこない。ただただ「普通に滑稽」で、「普通に真剣」な人たちばかりだから……笑っちゃうということと、手に汗握り涙するということが、本作では全く矛盾しない、一致している、っていうこと。まさにさっき言った『EXIT イグジット』が、「泣き笑い」っていうのを見事に表現していたのと、ちょっと通じるような感じだと思います。
ちなみにキム・ジフンさん、前作の『ザ・タワー』から、ずいぶん間が空いてますよね。2012年ですから、前のは。で、なんでこんなに間が空いているのかっていうと、実はこの間ですね、いじめをテーマにした『親の顔が見てみたい』という作品を撮り上げていたんだけど、出演俳優だったオ・ダルスという俳優の方の、強制わいせつ疑惑が2018年に告発されて。僕、ネット上で調べた限りでは、2020年に「嫌疑なし」ということで捜査が終了してる、ってことで。オ・ダルスも「自分は前からやってないと言っている」って感じで、復帰みたいな感じになってるみたいなんですけど。とにかく、それが間にあったことで、この『親の顔が見てみたい』という作品は公開できなくなっていた、という事情が挟まってるみたいです。
■ソウルでは実際に多いらしい陥没事故に目を付け、新領域を開拓
ともあれ、この『奈落のマイホーム』。原題は『Sinkhole』っていうね。やっと手に入れたマイホームが、実はとんでもない欠陥住宅で……というあらすじ。それをコメディ的に描く、というそのあらすじだけを取ると、1986年のトム・ハンクス主演の『マネー・ピット』という作品を連想する方、多いんじゃないかなと思いますけど、こっちの災難は、あんなもんじゃないわけですね。
劇中のように500mも崩落、落っこちるということがありうるのか? そして500m落っこちてなお、中の人が生きてるってことがありうるのか?というのは別として、ただの道とかが突然、いろんな理由から陥没してしまう、というような事態は、近年の日本でもちょいちょいニュースとかで目にするようになりました。しかも、その穴ができちゃう、中に巨大な空洞ができちゃう、というような仕組みが、意外とまだ解明されてないというか。ちょっと離れたところでやってる、なんかいろんな工事とかの影響がこっちに出たりとかもする、ということで、なかなか怖いんですけど。韓国・ソウルでは実際にこれ、特に多いみたいです、陥没事故がね。
で、そこに目をつけて、いわばホームコメディ・ディザスターとでもいうべき新領域を開拓してみせた、脚本のチョン・チョルホンさんという方。この方、『クライング・フィスト』とかね、『群盗』とかね、『バトル・オーシャン』とかね、そういうの手がけられてる方ですけど。この人のアイディアというのが、まず大きいですよね。非常にその手腕(の功績)が大きい。
■大味なようで芸は細かい。これは紛れもないプロの仕事
で、冒頭の一幕目、30分間はですね、さっきも言ったように、わりとたっぷり時間をかけて、キム・ソンギュンさん演じる主人公ドンウォンを中心とした、マンション住民と会社同僚たちの、まさしく小市民的というのがふさわしい、まあこれは褒めてるんですけど、セコい(笑)、本当にセコい喜劇がひたすら繰り広げられる。会話とかも全部セコいんですけども、それが繰り広げられていく。
でも、実はここ、あんまりナメたもんじゃなくてですね。たとえば韓国、特にソウル特有の厳しい住宅事情……もっと言えば、「どう生きていけばいいんだ?」と言いたくもなるような、過酷な人生、格差社会もあって。そういう社会の厳しい現実というのが、各キャラクターの、一見滑稽な、クセの強い喜劇的描写の中に、それぞれ込められている、っていうことですよね。だから、なんか感じ悪く見える人も、実はこういうことで大変なんだとか、それぞれにやっぱり、いろんなことを背負ってたりすると。その意味で、実はうっすら、社会派エンタメでもあるんですよね、この作品はね。
そこに、たとえば最初からずっと降りしきっている雨……これは当然、クライマックスの伏線にもなってます、降りしきる雨とか、転がるビー玉。そしてきしみがあって、グッと割れてしまうガラス戸……ところがこの「割れてしまったガラス戸」は、サスペンス的にも使われるけど、ギャグ的にもすぐ使う、というね(笑)。あのへんとか、笑っちゃいましたけども。まあとにかく、不吉な予兆が織り込まれていく。
その一方では、一見ただのコミカルな描写に見えたものが、実はのちのち、決死のサバイバルの中、生きてくるという、それはそれは巧みな伏線になっていたりして。一見、大味なようでいて……設定とかは大味だし、要するに事の発端と解決にはある種の荒唐無稽な飛躍があるけれども、実は芸は細かい!というね。その間の伏線の張り方とか、人物の描写とかは、実は芸が細かい。これはもう、紛れもないプロの仕事だな、という風に思いますけども。
■「じゃあ誰が死ぬか、わかんないじゃん?」
なにより本作はですね、世界的なディザスター映画史の中でも画期的、と言ってもいいぐらいだなと思うのはですね、そうした序盤のキャラクター紹介の部分で、これまでのジャンル的枠組みだったら……たとえばこの、大変なことが起こっちゃう、ディザスター的な事態に対するそもそもの責任を、本当はある意味負っている卑劣漢、みたいのが出てくるでしょう?(笑) で、そいつは間違いなく、途中で先に逃げようとして、逆に死ぬ、ってことになるわけじゃないですか。100%、そうじゃないですか。そうじゃなかったら、みんな怒るじゃないですか。みたいなその、定番的なキャラ分けというか、フラグみたいなものがやっぱり、置かれてるもんですよね。間違いなくね。だからこそ楽しめる、というものだったりするけれども。
本作はですね、さっき言ったように、主人公を含め全員、普通に滑稽で普通に真剣な、普通の人なので。序盤ではなんなら全員、普通にエゴイスティックでナルシスティック、要は普通に嫌な感じでもある人たち、なんですよね。全員ちょっとずつ、普通に嫌な感じなんですよ。
その最たるものが、普段はかっこよくしていればかっこいいはずのチャ・スンウォンさん演じる、ヌボーっとしたオヤジ、マンス、ということですけども。このマンス、私、日本でこれを演じるなら、阿部寛さんがぴったり!という風にね、勝手に想像してますけどね(笑)。でも彼だって、実は、最初は感じ悪い人として登場するけど、シングルファーザーとして、息子のためにあんなに何個も仕事を掛け持ちしてるんだよね、みたいな。それは多少生活態度が雑にもなるでしょう、みたいな。そういう事情もちゃんと描かれていたりして。
あるいは、その主人公ドンウォンを演じるキム・ソンギュンさんって方は、言っちゃえばもう、脇役的存在感そのもの、っていうか。これまでの娯楽大作なら脇に置かれている、というような、言っちゃえば──これは褒めてますけど──華のないキャラクター。普通はその、どんなディザスター映画でも、一応は「普通の人」って設定になっていても、どっちかですよ、「魅力」があるか、「能力」があるか、そのどっちか、っていう。でも、別にどっちもないんだよ(笑)。本当に、ただの愚痴っぽくて見栄っ張りのおじさんなのよ。要は、誰もいい人/悪い人っていう明白な色分けがない状態で始まるわけです。それはまず端的に、過去のディザスタームービーを見慣れてる人ほど、「じゃあ誰が死ぬか、わかんないじゃん?」っていうスリリングさを作り上げてもいますよね、それはね。
で、いざディザスターが始まる。家がどんどん沈んでいく……あれももちろん、VFXもそうですし、実際に沈んだ後の、家の床のところが斜めにガーンってなったりするのも、あれはもちろんセットで、なんか巨大なジンバルの上にセットを作ってガーン!って斜めにしたりしてるそうですね。本当にマンション一個分ぐらいセットにはかかってる、みたいな情報も見ましたけどね。めちゃくちゃそこ、セットがすごいんですけど。美術がね。
とにかくマンションが落っこちていくと、さっき言ったみたいな、そんな普通にダメな普通の人たちが、生きるために……自分が生きるために、そしてやがては他者を生かすために、精いっぱい力を振り絞ってゆく様がですね、「型通りじゃない」大きな感動っていうのかな。「この人はきっとこういうことをするでしょう」じゃなくて、「人間というのは、こうなりうるんだ」っていう、型通りじゃない感動を生むし。
あるいはその、当事者だけじゃなくて、あの、隣人のエピソードですね。なんていうのかな、小さな……「あの、ちょっと言っていいですか?」っていう、あのちょっとした勇気とか善意のあり方って、すごく現実的だし、僕はやっぱり、この世の中、世界というものに美しいものがあるとしたら、ああいう瞬間だ、っていう風に思ったりするわけですね。
■悲劇的な場面ほど抑制したタッチで。その結果、映画としての質が上がっている
もちろん、さっき言った通りですね、普通に滑稽な人たちだからこそ、誰にも死んでほしくない、という風に我々観客も心底願い始める、という効果も当然ある。そして、だからこそ、第三幕、地表へのですね、あっと驚く帰還劇……ちょっと、その理屈自体はですね、いろんなこと(よく考えるとありえなかったりおかしかったりする部分)がありますけども。
要するに、(地表への)帰還、どうやって帰るのか?っていうその方法がですね、あるド派手なオブジェの登場とともに判明するその時に、劇中のある人物が漏らす、「ワーオ……!」という……いや、もっと力を入れてるな。「ウワーオ……ッ!」っていう(笑)。俺、あそこで爆笑しつつ、「だよね、俺もウワーオーッ!だわ」みたいな……爆アガりする、なんていうかな、ケレン味もあってすごく笑っちゃうしアガるし、っていう場面じゃないでしょうか。
もちろん物理的理屈としてこの帰還法、ちとおかしいところはありますよ、それは(※宇多丸補足:大好きな『アポカリプト』も実はそうなのですが、井戸的な穴に雨水が溜まってきて溺れてしまうかも!って、水面に浮き続けてれば済む話では?という気もするし、本作ではそこをごまかすためにか、溜まった水の量がいきなり爆増えしたりしている)。はい。ただ、観てる間は、演出、演技のパワフルさもあって、そんなには気にならない……「そんなには」気にならない!っていう感じだと思います(笑)。ちょっと声を大きくしましたけども。
とにかく、その荒唐無稽だからこそカタルシスがある三幕目の脱出シークエンスの、その少し手前で、この作品全体のトーンからすると、あえて少しだけ、浮いてるところがありますね。ちょっとだけ……シリアスというのでもないな。ちょっと不思議な、そしてなんというか、説明的でないからこそ感動的な、とあるくだりがあるわけです。そこで主人公のね、一家のお父さんであるキム・ソンギュンさん演じるドンウォンが、見せる表情。
僕はあれは、大きく言えば、人間の命と死というものに対する、敬意と畏れ、っていうものが見えるような……なんというか、非常に「尊い」演技をされているというか。こんな映画だけど、ものすごく大事なことをこの表情で伝えている、っていう風に思う。見事なキム・ソンギュンさんの演技だったと思います。そこだけちょっともう、腹にドスンと来る……ある人の姿を見る時に、「ああ……」っていう、もうあの表情一発で表しているものの、豊かさ。でも、説明は一切しないですね。「ああ、ということは、さっきのあれはこうだったのかな?」とか、そんなのはしないんですね。そこの非常に抑制が効いてるからこそ、感動的なところもあるし。
そこも含めてですね、これはプロデューサーのイ・スナムさんという方が、これはスターニュースというね、韓国の方のインタビューで答えていることですけど、要はいわゆる、これ見よがしの泣かせ演出、みたいなものを入れてない。これまでのこういうディザスタームービー、特に韓国映画だったらだいたい入れるんだけど、今回は入れてません(と、イ・スナムさんもおっしゃっている)。むしろ悲劇的なところほど、タッチとしては抑えている、抑制している。そこがキム・ジフン過去作と比べて、格段に映画として質が上がってるところだ、という風に断言できます。
■間違いなくキム・ジフン監督の最高傑作。これを観るのは配信じゃないだろう!
同時にもちろん、生きるか死ぬかの瀬戸際にですね……たとえば、生きるか死ぬかの瀬戸際、もう死ぬ!っていう時に、ふと目と目が合ってピカーン!みたいな(笑)、お得意のコテコテコメディ色も、驚くべきことに全編で健在です。だけどそれも今回、どこかちょっと、やりすぎていないところに抑えている。キム・ジフンさんの今までのと比べると、どこかやりすぎていない、というところも優れていますし。たとえばあの椅子のくだりでね、キム・ソンジュンさんの椅子が、大事にしてた椅子が、とあることになっちゃうんだけども。キム・ソンギュンさんの、セリフじゃないですよ? 表情だけで、「言うな……!」っていう、あの表情とか、もう絶品でしたよね。
その意味では、ラスト。とはいえ起こってしまった悲劇に対して、ちょっとね、明るいトーンすぎる気も、ちょっとしなくもないんですけど……この終わり方は、これこそ本作の抑制のうちかもしれない。つまり、「悲しいは悲しいに決まってるだろう。それでも我々は、今日もここで生きていくしかないのだから」という、その本作なりの抑制の効いたバランスが、あの明るさなのかな、という風に、私はもう非常に好意的に解釈しております。言うまでもなくですね、冒頭から示されている、その韓国・ソウルの厳しい住宅事情、ひいては、その格差社会の中でどう生きていったらいいんだよ?っていう人生設計……「なにが善き人生なのか?」という問いに対する、ひとつの答え、対になる答えにもなっていて、まあ見事なものじゃないでしょうか。エンドロール曲がね、プリンセスプリンセスみたいだ(笑)、みたいなところも含めてですね、素晴らしいと思います。
ということで、この枠組みの中では、僕は申し分ない出来だと思います。ジャンル的にもちろん、さっき言ったちゃんとプロとしてやるべき、たとえば伏線の張り方とか、そういうところをちゃんとやっている。そして、キャラクターの配置とかに新しいアイディアもある……そもそもこの題材そのものが新しいアイディアでもある。その上で、必要な荒唐無稽さというか、必要なジャンプ、大味さ、娯楽映画ならではの飛躍、みたいなのもちゃんとある、ということで。本当に申し分ない。間違いなくキム・ジフン監督の最高傑作なのは、もう断言できる。段違いの傑作だと思います。はい。
これは配信じゃないだろう、観るならば……もうだいぶ、ちょっと上映が減っちゃってますけど、これこそさっき言ったように、やっぱり映画館で、その普通に滑稽な、普通に真剣に生きてる我々が、みんな集まってふと泣き笑いをするという、映画館で……もちろんそのディザスターの大迫力も含めて、映画らしい映画、と言えるんじゃないでしょうか? 『奈落のマイホーム』、ぜひぜひ劇場でウォッチしてください!
(ガチャ回しパート中略 ~ 宇多丸が1万円を支払ってガチャを2度回すキャンペーン続行中[※ウクライナ難民支援活動に寄付します]。一つ目のガチャは『夜、鳥たちが啼く』、そして二つ目のガチャは『THE FIRST SLAM DUNK』。よって来週の課題映画は『THE FIRST SLAM DUNK』に決定!)
以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。
◆過去の宇多丸映画評書き起こしは