宇多丸『線は、僕を描く』を語る!【映画評書き起こし 2022.11.11放送】

アフター6ジャンクション

TBSラジオ『アフター6ジャンクション』のコーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞して生放送で評論します。

宇多丸:さあ、ここからは私、宇多丸が、ランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する、週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのは、10月21日から劇場公開されているこの作品、『線は、僕を描く』

(曲が流れる)

水墨画の世界を題材にした砥上裕將の同名小説を、実写版『ちはやふる』三部作を手がけた小泉徳宏監督が映画化。大学生の青山霜介は、不慮の事故で家族を失って以降、ずっと喪失感を抱えていたが……これ、言っちゃうんだ。まあいいか。水墨画と出会ったことで、彼の世界は大きく変わっていく。

主人公の青山霜介役を横浜流星さん、霜介の師匠の孫でライバル心を抱く篠田千瑛を『ちはやふる 結び』の清原果耶らが演じた。その他の出演は、三浦友和、江口洋介など、でございます。今、「それ、言っちゃうんだ?」って言ったのは、原作だと(「家族を失っ」た話は)比較的最初の方に明かされる話なんですけど、映画だともうちょっと、「実はそうでした」っていうのは後に明かされるんで。すいません、うっかり読んでしまいましたが、そういうことでございます。

ということで、この『線は、僕を描く』をもう観たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)、メールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「普通」。賛否の比率は、褒める意見がおよそ6割。不満だという声もそれなりに目立つ結果となっております。主な褒める意見は、「これは傑作!」「水墨画が持つ静と動のイメージ、つまり、静謐さとそれを描く時のダイナミズムが表現されていてとてもよかった」「横浜流星さん、清原果耶さん、2人の演技や存在感がいい」などがございました。褒めてる方はもう大傑作だと、絶賛!という感じですね。

一方、否定的な意見は、「説明過多だったり、音楽の使い方に違和感がある」……たとえば途中のあの、挿入歌みたいなのの使い方とかですかね? 「水墨画の善し悪しがわからないので、キャラクターたちの成長などが理解しづらかった」。たしかに抽象的な話ではあるんですね、これ。そういう題材だ、ってことなんですけど。

■「水墨画の思想を反映した傑作」

ということで、代表的なところをご紹介しますね。褒めてる方。「コーラ・シェイカー」さん。

「霜介の名前に入っている『霜』という字は、一日の始まりである朝を連想させるものでもあり、固体になった水でもあります。霜介の物語は、水墨画や他者との交流を通して水、つまり、ままならない自然と和解して、止まった時をふたたび流動させる物語です。

水墨画は、線も大事ですが、それと同じくらい余白が大事だと言われます。鑑賞者が線をもとに、余白を想像力で満たすことによって、色が付き、風が吹き、絵が動く。作者によって固定された墨をもとに、鑑賞者が時間軸を加えることで完成する、双方向的な芸術です。

物語も、人と人とが交流することによって動くように作られています。未熟ではあるが、可能性にあふれた真っ白な衣装の霜介と、成熟ゆえに行き詰っている、黒い衣装の千瑛(ちあき)……」。この、スタイリングが素晴らしかったですね。

「事情は違えど、時が停滞した二人が、互いに、又は、他者と交流することで物語が動きます。他者との交流、又は白と黒のコンビネーションによって時が動くのは、水墨画と同じです。本作は、序盤は朝の場面が、終盤は夜の場面が多くなっていて、白い光とともに新しい物語がはじまり、膠着した灰色の時間を経て、先の見えない黒い夜のとばりが降り、また新しい白い光に世界が満たされるというように、本作は一本の映画をとおして、厳密にではありませんが、朝から夜を経てまた朝が来る、という日々の循環を意識させるように、ライティングの移行が設計されています」。さらにね、全体を見ると、はっきり四季感みたいなものも、きっちり打ち出していたりしますよね。時間経過という。

「……これは水墨画の白と黒をうまく使っているだけでなく、自然のサイクルを意識しているのだと思います。心の喪失を埋め合わせるのではなく、他者の抱える喪失と共鳴することによって、欠落を肯定するという決着のつけ方も、紙のすべてを埋めきらない水墨画のあり方と呼応していて、素晴らしかったです。青春劇にあらたな風をふかせるだけでなく、しっかりと水墨画の思想を反映した傑作だと思いました」。「はい、以上です!」っていうね、見事な評だと思いますけどね。

一方、ダメだったという方もいらっしゃいます。「ほやたろう」さん。「どちらかといえばダメでした。丁寧かつ分かりやすい構造、展開で、そこは良かったのですが、ちはやふるを思わせる演出、音楽や光の使い方への既視感が個人的にノイズになってしまいました」。まあね、タッチは近いところがありますよね。音楽とかもね。

「なにより水墨画の良さをもっと理解できれば、受ける印象は違ったかもしれません。水墨画の上達とキャラクターの成長をリンクさせている以上、観客としてこれは良いものなのか?が分からず、どのように変化しているかが実感として捉えにくい。単純に、『上手くなっているかどうか』が分からないんですよね。どう良いのか、どう変化したか。小説であれば想像で補える部分が、映像になることで明確に現れてしまうので、直感的でないのは題材としての弱点だと思う。また、湖山会(こざんかい)以外の水墨絵師が出てこないので、四季賞のすごさがピンと来ず。どれだけの権威なのか。

庭の椿、妹の椿、水墨画の椿。霜介の喪失感と、救済の様が親切すぎるくらい提示されます。こういう部分は上手いなあ」ということでございます。まあなんというか、否定的なことを書いてる人も、別に全面的に何とか、という方は別にいませんね。はい。ということで、皆さんありがとうございます。『線は、僕を描く』、私もTOHOシネマズ日比谷で二回、観てまいりました。

■コロナ禍でのブランク4年が作品にとっては意外とプラスになっている

平日昼間の回、若い人であふれていた『ちはやふる』三部作とは対照的に、水墨画という題材ゆえか、明らかに年齢層ちょい高め、中高年の方々が多かった、ということを一応、記録として言っておきたいと思います。僕のこの映画時評コーナーでは、2016年4月2日に二部作前編の『上の句』、5月6日に後編である『下の句』、そして2018年3月24日に、結果として三部作の完結編となった『結び』と、それぞれ評させていただいた『ちはやふる』実写映画化版三作、という。

これ、公式書き起こしがアーカイブされていますので、興味がある方はぜひ参照していただきたいんですが。とにかくその『ちはやふる』三部作。多くの若きスター、人気俳優たちを輩出して……もう今となってはね、ものすごいキャストですけれども。今、振り返るといろいろ奇跡的だった、という風にさえ感じる、それはそれは見事な、長く愛される傑作シリーズとなったんですね、『ちはやふる』は。原作漫画からの脚色・監督を手がけた小泉徳宏さん。それまでもね、『タイヨウのうた』とか、ご活躍はされていましたけど、この三部作で一気に、私のごとき小うるさい映画ファン(笑)の信頼をもググッと上げた感があると……明らかに、それまでとは本当に段違いの出来だった、ということが言えると思います。

ということで、そんな小泉徳宏さん脚本・監督の待望の新作。前作の『ちはやふる 結び』から、4年も間が空いてるわけですね。で、お察しの通り、この間コロナ禍によって、その『線は、僕を描く』の製作も一時ストップしてしまった、ということのようですね。もっとも結果として、この図らずも製作が延びてしまったということが、これは劇場パンフのプロダクションノートであるとか、あるいはですね、これは講談社から出ているメイキング本ですね、『線は、僕を描く 横浜流星が生きた水墨の世界』……これ、ロングインタビューも載っていて非常に面白かったんですが、こんな本なんかを読んでみるとですね、この時間が延びちゃったということが、主演の横浜流星さんの水墨画スキルのさらなる向上、すなわちその、映像作品としての説得力の向上にも繋がった。で、その間やっぱりね、横浜流星さんも、キャスティングされた時よりさらに立場的にというか、俳優さんとしても経験を積まれたことで、どっちにしろ成長しているというか。そこも含めてですね、結構プラスになっている、というか。

あとは片岡翔さんとの共同脚本ですが、脚本のブラッシュアップもこの間、ずっと重ねていた、ということで。要するに、このコロナ禍というのは必ずしも、マイナスというよりは、作品にとっては意外とプラスの面もあったっぽいな、っていう感じがします。たとえば『ちはやふる』でも……この北島直明プロデューサーと小泉徳宏監督のこのコンビ作『ちはやふる』は、若手俳優たちを平田オリザさんの演技ワークショップに通わせたりとか、当然のごとく題材である競技かるたの訓練をさせたりとか。日本のこうしたティーンエイジャー向けメジャーエンタメ映画としては、「残念ながら」ということなんだけど──残念ながら珍しいほど、作品の質の確保のために必要な準備、というのをかなりしっかりやってる方だった。それゆえのあのクオリティー、っていうのがやっぱりあるわけです。

なので今回の『線は、僕を描く』も、仮にコロナ禍がなかったとしてももちろん、充分な準備、訓練は絶対にしていたろう、という風には思います。ただ同時にその、コロナで図らずもできた時間というのが、結果として、この作品にある種の厚み、深みを増すことに繋がったように、一観客の目からもなんとなく感じるな、という感じがしますね。

■一種のスポーツ物だった『ちはやふる』に対して、本作は勝ち負けを語る話ではない

原作は、先ほども言いましたように、砥上裕將さんという水墨画家さんによる小説。水墨画における細かな技術論から、最終的には表現そのものへの本質的な問いに至るような、一種芸術論としても読み応えがある……それでいて、一人の青年の魂の復活を描く青春物語としても、爽やかな読後感を残す、さすがの良い小説、という感じでした。週刊少年マガジンで漫画化もされてます。

ただ、これですね、「日本の伝統的文化に改めて魅せられてゆく若者を描く青春もの」という意味では、たしかに『ちはやふる』と通じるところ大な題材にも思えるんだけども。あちらは競技かるた、一種のスポーツ物でもあった。ゆえに、実際その試合における勝敗のロジックが非常に明確だったことが、『ちはやふる』の、特に『上の句』と『結び』はね、大きな魅力となっていた、という風に言えると思いますし。登場人物たちも十代でより若いし、恋愛要素もあったりしてですね、なんだかんだでかなり、キャピキャピした群像劇でもあったわけですね。

それに対してですね、今回のその『線は、僕を描く』は、あくまでアートの世界なので、賞を獲る/獲らない、評価される/されないってのは一応ありますけど、そこがゴールじゃない。本質として勝ち負けを語る話じゃないというか、より抽象的・哲学的に、主人公たちがその水墨画の世界を極めることで、何をつかみ取るか?という話でして。あと年齢も、もちろんちょい上ですね。主人公も身分上、大学生ではあるけど、まあ水墨画界っていうのは当然のように、はっきり大人の領域でもありまして。

あとはその、まさしくこれは本作の、本当に素晴らしくアップデートされているところなんですけど……かつてはですね、こういう若い美男と美女がキャスティングされれば、「当然そういうもの」とばかりに入れ込まれがちだった恋愛要素、というのをですね、本作では、安易に持ち込んだりしていない。もう観ながらですね、「うわっ、頼むからそっちに行かないでくれ。頼むからそっちに行かないでくれ……」って(祈るような気持ちだった)。で、ちゃんと行かなかった、偉い! まあ、原作もそうなんですけど。そういったものを持ち込んだりはしていない。

ということで、端的に言って、『ちはやふる』と比べれば遥かに、地味にならざるを得ない題材な上にですね、一本の長編映画としての見せ場や盛り上がりどころ、そしてやっぱり物語的決着をどう作るのか、というのが、非常に難しい題材なのはたしかだと思います。やっぱりその、先ほどの若干否定的なメールとかも、その難しさというのがやっぱり出ちゃってるな、というようなご意見だったりすると思うんですけども。

ただ私、結論から言えばですね、『ちはやふる』もそうだったんですけど、まずその原作から本質を抽出して一本の映画に落とし込む、脚色の再構成力というんですかね、それがですね、やはり今回もまずは、とても優れているなと思います。

「ああ、このショットで始まる映画だったら、それはもう好きですよ!」

原作小説と読み比べると、「ああ、やっぱり脚色、うまいな」っていう風にすごく思います。で、それを端的に示しているのが、たとえばオープニング。アバンタイトル、タイトルが出る前のひとくさり、のくだりがあるんですけど……っていうかまず、ファーストショットですね! とにかくファーストショットが、本当に素晴らしくって。ファーストショットで僕、「ああ、もうこの映画、好きです!」っていう風になりました。それは何かというと、横浜流星さん演じる主人公の青山霜介が、今にもあふれ出しそうなほど、瞳いっぱいに涙をたたえて、何かを「見いだした」瞬間。それは実は、その彼が見ていた椿が書かれた水墨画であった、ということが次のカットでわかるんだけど。

でも最初のカットでは、とにかく彼が何かを見ていて。ちょっと目に涙をたたえて、なんかちょっと驚いていて……だからやっぱり、「見いだした」。こんなものがあるのか!って、わかんないけどなんか驚き、発見している……やっぱり「見いだす」というワードがふさわしいかな。目に涙をたたえて「見い出した」瞬間の、顔のアップ。その、震えるほどの感動というのを、この映画はまず何より最初に、おそらく本作の最も本質的な、核をなす何かとして、最初に「主人公が何かに感動している」という様を提示するわけです。

これ、横浜流星さんのですね、顔そのもののもう、圧倒的な端正さというのもさることながら……まあ、もうそもそも美しいんだけど。その眼差しの、まっすぐな美しさ、というか。彼の人柄もあるとしか思えないね。もうね、まっすぐな美しさ。何かを見て、本当にまっすぐに感動しているその瞳の美しさを通して、この世界にたしかに存在する美、もっと言えば、世界それ自体の美というのを……もちろん『ちはやふる』でもね、最高のコンビネーションを見せて、というか聴かせていた横山克さんの音楽との相乗効果もあって、言語的説明に頼らず、いわば純映画的に、我々観客にダイレクトに伝えてくれる。要するに、「ああ、世界に美しいものを発見した若者の美しい瞳。この表情、瞳のまっすぐな美しさ……ということは(きっと本当に)、世界は美しいんだろう」という風に、我々も一瞬にして、ダイレクトに納得してしまうというか。

で、まずこれをド頭に持ってきた、映画的再構成というか、映画的語り口というか、この時点でもう、僕はやっぱり、「ああ、小泉徳宏作品、やっぱり信頼できる!」っていうか……僕は既に、「ああ、このショットで始まる映画だったら、それはもう好きですよ!」っていう風に、ファーストショットですごく感動してしまいました。

あるいはその後、江口洋介さん演じる、後に先輩になっていく西濱さんという男性とのやり取り。これ、非常に細かいアレンジなんだけど、原作だと、要するに「将来、弁護士になるの?」「いや、とてもとても……僕なんか、なんにもなれないかもしれない」みたいなことを言っていて。で、このように原作だと「なんにもならないではなく、なれない」っていう風に言うところを、(この映画版では)逆に、なんにも「なれない」んじゃなくて、「ならない」んだっていう風に……要するに主人公は、なにかに「ならない」っていう言い方をするんですね。

これですね、霜介側の事情を、先ほども言ったように原作よりもグッと後で明かす再構成をしてるんですね。彼がなぜ心を閉ざしてるのか?っていうのが……心を閉ざしてるっていうけど、表面上は人当たりいいんですけど。なんか「家族なんて、自分にはもう……」なんてことを言ったりする。それはなんでだろう?っていうのは、後に持っていってるため。より彼のですね、表面的な人当たりとは別次元での心が閉じた状態、というのを、一発で表している。つまり、「僕なんか、なれないんです」っていう自己卑下じゃなくて、単に「僕はならないんです」っていう風に、自分から閉じてる感じっていうか、それをこの一言で、このちょっとしたアレンジで、実にうまくこの改変で表現している、とかね。

あと、三浦友和さん演じる巨匠・篠田湖山という人、そのすごさ発揮シークエンスを、原作ではかなり後半にあるのを、思い切ってド頭に持ってきた。これもですね、要は、実際の動き、アクションに乏しい序盤の展開に映画的推進力を増す、的確な再構成と言えると思いますし。

要は、主人公・霜介がですね、水墨画の世界に、まずは最初、ファーストショットで、魂レベルで魅せられ。次にこの湖山の実際に絵を描く様を見て、技術レベルで魅せられる……というこの二段階を、一気にこの冒頭で見せきったところで、タイトル、『線は、僕を描く』。

つまりこれは、この主人公が、水墨画を通して自分自身を再発見、取り戻していくまで……だから、最初に絵を見て、何かを見いだしたように感動してるけど、それは何に感動をしていたのかというと、その絵の先に自分を見いだしているから。そういう話なんだな、というのが、くどくどしい説明抜きで、一気にその観客に自然に感じ取られるような作りに再構成をされたオープニング、という。そんな作りになってるわけです。

ちなみに、このタイトルの出方、水墨がバーッと広がって、形を成していく。おそらくはCGを使ったアニメーション演出なんですけど、エンドクレジットでそれが全面展開されて、それ自体がすごく美しくて感動的なんですけど。これですね、僕は観てて、ドゥニ・ヴィルヌーヴの『メッセージ』の、あの宇宙人語表現みたいだなって一瞬、連想したんですけど。『DVD&動画配信でーた』の監督コメントによれば、実際に『メッセージ』を参照したそうです。はい、(コーナー直前の番組内で予告した通りの、本作には似つかわしくない話にも思えるであろう)「異生物もの」とのリンクです(笑)。

■小泉監督により更なる魅力が引き出された横浜流星と清原果耶

ということでですね、原作からの再構成・脚色がうまい、という話をしてきましたが。やはりこれ、小泉徳宏監督作、何よりですね、一番のやっぱり特色というか、それはやっぱり、俳優陣から、他の作品では見たことがないような魅力とかポテンシャルをまたしても引き出している、という。ここがやっぱり大きいと思うんですよね。

まずはやはり、横浜流星さん。もうね、説明不要、これ以上ないほどの美青年にして、極真空手の使い手……昔、部門別でですけども、世界チャンピオンになったぐらいの人で。なんというスーパーマンだ!って思うんだけど(笑)。ゆえにこれまでは、どちらかというと押しの強いキャラクター、劇画的なキャラクターというのかな、押しが強いキャラクターのイメージが強かったんですけども。

本作の佇まいは、ほとんど『仮面ライダーアギト』の賀集利樹さん演じた津上翔一的、と言ってもいいような……ヌボーッとしてて、人当たりはソフトなんだけど、どこか人を寄せ付けない孤独、というのも感じさせるような、そんな内向きの人物像。これが、びっくりするぐらい自然にはまっていてですね。本当にそういう人に見える、っていうか。

まあ実際、横浜流星さんご自身も、実はすごくネガティブ思考もするし、インドア派だ、というような感じらしいので、本人と合っているのかもしれない。あと、やっぱりご自身の演技とか、その準備ですね。たとえば、前髪でほとんどもう片目が隠れちゃったような髪型を最初の方はしてるんですけど、それは彼の提案でそういう風にした、ということで。要するにもう半分、顔を隠している、目を見せない、という。

と同時に、武道をずっとやってきたというその身体能力の高さを含む、「姿勢の良さ」っていうかね。そもそもこの人物が見いだされるのは、小説では「お箸の持ち方がいいね」とか……この作品の中でも、途中で湖山が、「やはり、筆の持ち方もいいね」って言うんですよ。これ、すごく(脚色として)うまくて。

その前に一緒にご飯を食べてる時に、おそらく三浦友和(演じる湖山)、ご飯を食べる箸の様子を見てるんで。「筆の持ち方“も”いいね、やっぱり」っていうことは、(その前の段階で)箸の持ち方も見てたんだ、ということ。それが、小説ではもちろん言葉で描写されてるんですけど、それを言葉でなく、さかのぼって「ああ、見てたんだな」っていう感じがする、っていうところも、うまいですよね。

ということで僕、まずこの一作で本当に、これ以上ないほどはまっている横浜流星さん、めちゃくちゃファンになっちゃいました。素晴らしい役者さんだと思いました。

さらにはですね、清原果耶さんですね! 『ちはやふる 結び』でもですね、原作から複数の人物を統合したオリジナルキャラクターを、彼女に当て書きして書いた、というぐらいの、小泉監督の非常に信頼の厚い方ですけども。そのまさしく、「凛とした」という表現がこんなにぴったりする人もいないだろうという、美しくも鋭いその存在感。年齢に対して、やっぱりその内面は、はっきり「この人の方が上だな」っていう風に思わせる、ある種のお姫様的威圧感というのかな、それもちゃんと漂わせているし。

あと、序盤のスタイリングが本当に素晴らしくて。そうですね、(先ほどのメールにあった通り)横浜流星さんの割と白のあれ(服装)に対して、(清原伽耶さんの衣装の基調は)黒なんですけど、「首元をガードする」ような服が多いんですね。タートルネックであるとか、シャツが首まで詰まっているとか。それによって、やっぱり彼女も心を閉じてるような感じがするスタイリング。でも、すごいかっこいいんですけどね。それが徐々に、文字通り「胸襟を開いていく」かのような、スタイリングの変化も素晴らしかったりします。

そして、人として真面目そのもの、ゆえのユーモアを醸し出す感じ、っていうのもこれ、『ちはやふる』にもありましたけど、(真面目だからこそ)逆に面白い、みたいなのがすごくうまいんですね。やっぱり清原果耶さん、見事でしたね。

あと、先ほども言いましたけども、二人が安易に恋愛関係になっていかない、という。あくまで「同志」というスタンスをキープするのも、本当に好ましいですし。

■江口洋介のはまり方もお見事! 一見地味だが華もある、見応えのある一作

そしてこれ、絶対に忘れちゃいけない。本作(の大きな見どころ)はですね、江口洋介さんです! 素晴らしいです。最近やっぱり年齢なりに、ということで、重みのある役柄というのが当然増えてきたと思いますが、その江口洋介さんが持つ、本来の軽みというか、カジュアルさっていうか、おおらかな人のデカさ、みたいな。これがですね、500%出る……役柄上、本当においしい役なんですが。この江口洋介さん、もうここは彼以外ない!っていうはまり方をしてますね。そしてもちろん、身体能力。途中で大きな絵を描くところは結構、江口洋介さん、実際に体を動かすショットが多いんですけども。まあ見事なものでございました。

三浦友和さんのね、すっとぼけた感じ、一昔前だったら山崎努さんがやっているかな、というような役とか、見事でしたし。あと、細田佳央太さん演じるこれ、古前っていう友人は、結構漫画チックな、誇張されたキャラクターなんだけど。それゆえに、ちょっと難しいバランスなところもあるかな、と思ったんだけど、すごくちょうどいい塩梅で……なんでこいつ、サングラスしてるんだ?みたいな(笑)、見事な感じ。河合優実さんもうまかったですよね。

でですね、先ほども言ったように、四季の変化みたいなものも、実は非常に丁寧に描いていて。それに伴って、ご飯の描写……四季、ご飯という、(大きく括って)自然の描写、時の移り変わりというものを、とても丁寧に描写する一方で、あの家族にあった過去の悲劇、というのを表現する、非常にちょっと禍々しい感じがする抽象表現、みたいなところの対比も、すごく良かったりします。

あえて一個、苦言を呈するとしたら、私はあの、「フランスの大臣」っていう権威の記号的表現って、それ、どう? これ、いる?みたいなことを思いましたけどね。

ただあの、クライマックスらしいクライマックスをあえて作らずというか、作中にあえて出さずに、エンディング、「ここからクライマックスが始まる」……つまり、「(主人公が再びここから)立ち上がる、というこの瞬間」エンディング。『ハスラー2』でもいいし、『SR/サイタマノラッパー』でもいいんですけど……『ONCE AGAIN』エンディングとでもいいましょうか。それでタイトル、ドーン! 『線は、僕を描く』……最後にタイトルが出るタイプの映画の切れ味の中でも、またまた傑作が出ちゃった、という感じもいたしますし。

僕は、小泉徳宏さんはやっぱり今現在、(日本映画界の)メジャーなエンターテイメント作品の作り手として、トップクラス、っていう感じ、いたしました。少なくともこの、役者の魅力的な生かし方に関してはちょっと……しかも、華があるんですよね。(実はしっかり)華もある、(一見地味に見える)この話は。ということで、非常に見応えがある一作でございまして、もうファーストショットから、私は魅せられてしまった。横浜流星さん、本当にもう……ということで、ぜひぜひ劇場でウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 宇多丸が1万円を支払ってガチャを2度回すキャンペーン続行中[※1万円はウクライナ支援に寄付します]。一つ目のガチャは『窓辺にて』、そして二つ目のガチャは『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』。よって来週の課題映画は『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

◆過去の宇多丸映画評書き起こしは

こちらから!

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