日本が生んだスーパーストライカー 釜本邦茂が見た!サッカーの昭和史

サンスター 文化の泉 ラジオで語る昭和のはなし

今回は「日本が生んだスーパーストライカー 釜本邦茂が見た!サッカーの昭和史」と題し、サッカー元日本代表で、現在は全国各地でサッカー教室を開き、子供たちにサッカーの魅力を伝えている釜本邦茂さんに、大阪とリモート回線を繋ぎ、お話しを伺いました。

昭和の時代から、日本のサッカー界を盛り上げてきた釜本さんのサッカー人生はもちろん、現在の日本サッカーのことや、ワールドカップの展望など、いろいろ伺いました。

釜本邦茂さんは昭和19年生まれ、京都府のご出身です。小学校からサッカーを始め、全国高校サッカー選手権ではチームを準優勝に導きました。早稲田大学入学後、大学リーグでは4年連続で得点王に輝き、卒業後はヤンマーディーゼルに入社。日本サッカーリーグの歴代一位となる通算202得点で得点王7回、アシスト王3回、年間最優秀選手賞を7回受賞するなど、前人未到の成績を残しています。日本代表としては東京オリンピック、メキシコオリンピックに出場。メキシコ大会では7得点を挙げ、得点王として日本に銅メダルをもたらします。代表チームでの国際Aマッチへは76試合に出場、75得点は日本男子一位の記録です。昭和53年には、ヤンマーディーゼルの選手兼監督となり、昭和59年、現役を引退。平成3年には、ガンバ大阪の前身である松下電器の監督に就任しました。監督を退任後は、参議院議員、日本サッカー協会副会長などを歴任、2002年FIFAワールドカップ日本組織委員会理事などを務め、日本代表の強化に尽力されました。平成17年には、第一回日本サッカー殿堂に選ばれ、平成26年、「旭日中綬章」を受章されました。

今回、「昭和のサッカー」や「2度のオリンピック」などのテーマを設けてお話しを伺いました。釜本さんが初めてオリンピックに出場されたのは、昭和39年の東京大会でした。この大会で日本は、28年ぶりのベスト8入りを果たします。釜本さんがこの大会で印象的だった選手は、果たして・・・?さらに、東京大会から4年後の昭和43年にはメキシコオリンピックが開催されました。釜本さんのサッカー人生に大きな影響を与えた大会でした。日本がサッカーでメダルを獲得したのは後にも先にもこの時だけという、日本サッカー界にとって歴史的な大会になりましたが、今回の放送では、出場するまでの予選のお話しに始まり、レジェンドとして活躍されたこの大会のことをたっぷりとお話しいただきました。

番組は「radiko」の「タイムフリー」で放送後一週間、お聴きいただけます。下記のバナーをクリックしてください

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