宇多丸『LOVE LIFE』を語る!【映画評書き起こし 2022.9.16放送】

アフター6ジャンクション

TBSラジオ『アフター6ジャンクション』のコーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞して生放送で評論します。 

宇多丸:さあ、ここからは私、宇多丸が、ランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する、週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのは、9月9日から劇場公開されているこの作品、『LOVE LIFE』

(曲が流れる)

『淵に立つ』『よこがお』『本気のしるし』などを手がけ、海外でも高い評価を集める、深田晃司監督最新作。矢野顕子さんが1991年に発表した曲『LOVE LIFE』をモチーフに、とある悲劇に見舞われた夫婦の葛藤や選択を描く。主な出演は、主人公夫婦役の木村文乃と永山絢斗の他、妻・妙子の元夫で、耳の聞こえないパクを、ろう者俳優の砂田アトムさんが演じてらっしゃいます。

ということで、この『LOVE LIFE』をもう観たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)を、メールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「多め」。『よこがお』の時は公開館数のあれもあって、なんかメールの数そのものは多くなかった記憶があるので、これはいいんじゃないでしょうかね。深田監督の最新作となれば、やっぱり映画ファン、行っていただくというのは非常にいいことだと思います。

賛否の比率は、「褒め」の人が9割以上。相変わらず評判が高い。非常に評価が高いです。主な褒める意見は、「今年の日本映画の中でもトップクラスの出来栄え」「一面的ではない人の良い面、悪い面をそれぞれ絶妙なバランスで描き出している」「ラストシーンの長回しが素晴らしかった」などがございました。一方、否定的な意見は、「途中で退場する“ある人物”の扱いにモヤモヤが残る」「深田晃司監督作品の中では精彩を欠いてる」などもございました。

■「人間は、映画は、まだまだ奥が深いなと思い知った」

代表的なところをご紹介しましょう。ラジオネーム「レインウォッチャー」さん。

「この映画の着想の基となった楽曲、矢野顕子さんの“LOVE LIFE”。この曲はピアノの音色から始まりますが、最初に弾かれる特徴的な和音は、いわゆる“テンションコード”と呼ばれる類のコードです。下手をすれば耳障りな不協和音になってしまうところ、ぎりぎり片足立ちのようなバランスで“歪み”が美しさとして成り立っているのです。前置きが長くなってしまいましたが、要するにこの映画は、そしてもっと言えば人の愛と生とは、まさにこの和音の響きそのものではないでしょうか。

大人であれば多くの誰もが、調和の取れた理想的な暮らしや感情を知っているし、その通り振る舞おうとし、期待もするけれど、ほんの少しのきっかけで調和はズレて、崩れてしまいます。思いもかけないことが、耐え難い悲しみや持ちきれない程の喜びを連れてくることがあります。この物語において、“足された音”は何だったのでしょう。いなくなったあの子でしょうか。帰ってきた彼でしょうか。

今作は、冒頭から結末まで通して調和からの“ズレ”が表現されていると思います。座る位置、合う/合わない目線。聞こえること、聞こえないこと、聞かないこと。一枚ではとても語れない、人の優しさや愚かさの層。

起こった事件は残酷なほど動きようがなく、凍りついた“ひとつ”なのに、起こった波紋に対する反応は人それぞれです。その“ズレ”を時に酷薄に、時にユーモラスに浮き彫りにしていきます。日本の見慣れたファミリータイプのマンションの室内で、こんなにも分断のパターンが生まれ得るなんて、思いもしませんでした」。たしかにね! 部屋の間取りの使い方とかひとつ取ったって、そうだもんね。

「……しかし今作は紆余曲折の末、傷を抱えて生きることを否定しません。あのピアノの音のように、歪みを抱えて生きることが美しさたり得ることもあるから。だからこそ、あのオセロ盤はそのままだった。白黒つかない、グレーで滲んだ部分を、そっと密かな勇気をもって残してくれているのだと思います」。そうだね。あれ(やりかけのオセロ)をどんどんやっていくっていう方向もあったろうけど、あれはしないまま、っていうね。

「……さまざまなものを飲み込んで、それでも彼女が最後にようやく選ぶことができた、たったの一言が、希望を物語ります。傷跡は紋様となりえることを知ることができました。まさか団地のベランダを映してるだけで泣けてしまうなんて、人間は、映画はまだまだ奥が深いなと思い知った思いです」というレインウォッチャーさん。お見事な評じゃないでしょうかね。はい。

あと、たとえば「ソラ・ファーレ」さんは「私は本作から“時間は戻らず、世界は変わっていく。でも過去は無くなるのではなく、積み重なっていく”というメッセージを受け取りました」という。これ、先ほど金曜パートナーの山本匠晃さんがおっしゃってたこととも重なるんじゃないでしょうかね。はい。

あとですね、ちょっとダメだったという方もご紹介しますね。良かったっていう方もすごいいっぱいいただいていて。そのどれもが、なかなかすごく良かったですけども。

ダメだったという方。ラジオネーム「空港」さん。

「率直な感想としては『困惑した』です。事前にこちらが想像していた筋とはかなり違っていて、この話どこに転がっていくんだ? という推進力があり、そういう意味では楽しめたとも言えます。しかし観ながら、モヤモヤするものは拡がっていきました。その一番の原因は……」ここはちょっと伏せますが……「とあるキャラクターの不在の扱いです。彼が迎える事態を、具体的に映すことで、観客側もしっかりショックと悲しみを受けながら、残された彼らの動向を見守ります。しかし、そのあるキャラクターの不在が、劇中の人間模様が動き出すきっかけにはなっていても、話が進むにつれ、かなり希薄なものになっていってしまったように思いました。例えば昨年度の『空白』のように、そのひとがいないという不在の大きさが、作中常に横たわっているという感じではなく、状況によっては忘れられているように見えて辛かったったです。

終盤、フェリー乗り場で、パクが妙子に、あるキャラクターに関するメッセージを真摯に伝えますが、その後の展開のせいで、そのメッセージ自体が軽いものとなったようで鼻白んでしまいました」というようなご意見など、ございました。

とか、あと「ちょっと展開が無理があるんじゃないか」というようなことをいっぱい書いていただいてる「おいしい水」さんのメールなどもありました。ありがとうございます。

ということで『LOVE LIFE』、皆さん、メールありがとうございます。私もTOHOシネマズシャンテで2回、見てまいりました。

矢野顕子が同題曲/アルバムからインスパイア。この曲を深田晃司監督がいかに解釈してみせたのか

平日昼の回、入りはまあまあって感じでしたかね。ぼちぼちって感じだったかもしれないですけど。深田晃司さん脚本・監督、そして今回は二作ぶりにかな、編集も手がけた最新作、ということですね。僕の映画時評コーナーでは、2011年5月28日に『歓待』という作品、あと一気に飛んで2019年8月18日に『よこがお』、それぞれ取り上げていて。後者は、公式書き起こしがね、番組ホームページで読めますし。前作にあたる『本気のしるし 劇場版』公開タイミングの2020年10月7日には、深田晃司さんに番組にお越しいただいて、インタビューなどもさせていただきました。

ちなみにそのね、『本気のしるし』ね。森崎ウィンさん主演ですけども、今回、本作でも、ラジオパーソナリティーとして声のカメオ出演をされておりますが。とにかく、各国国際映画祭でも数々受賞……特にフランスでは、さっき言った『よこがお』が800館で上映されて、結構普通にヒットするなど、むしろ世界的な評価こそが高い、という感じもする深田晃司さん。なるほどどの作品も、見ればこれはすごい!と毎回心底うならされる……胃をきりきりと締め上げるような鋭さと、誰もがすんなりコミットできる普遍性、なんならエンターテイメント性をも兼ね備えた、あらゆる意味で大変レベルの高い傑作たちである、と言っていいと思いますね。深田晃司さん作品はね。

ということで、常に期待値高めで臨むことになる新作。ある意味前作『本気のしるし』と同じように、深田さんが20代前半からずっと温めてきた念願の企画を、名古屋テレビ放送(メーテレ)の製作で実現させた一作、ということでね。ただ、『本気のしるし』は漫画原作なのでまだわかりやすいですが、今回の『LOVE LIFE』は、先ほどから言ってるように、矢野顕子さんが1991年に発売した同名アルバムの、タイトル曲から深田さんがインスパイアされて……というのが出発点になっていて。一応、他にもですね、アルバム収録曲に『釣りに行こう』とかですね、『湖のふもとでねこと暮らしている』とか、そういうような、その要素が(今回の映画にも)ちょっと入ってるっていえば入ってる、みたいなところ、ありますけど。

まあ、あくまで主軸はタイトル曲ということで。たしかに作品中、二回この『LOVE LIFE』が流れるんですね。一度目は、さっきも言いましたが森崎ウィンさんがしゃべっているラジオ番組の選曲として、途中まで流れて。そして二度目は、最後の最後、映画全体、物語全体を、当然のごとくこれ以上ないほどきれいに総括してみせるように、長い長い、それはそれは見事な長回しのラストショット……からのエンドクレジット、という流れで、満を持して!という感じのフルサイズで流される、という。

で、深田さん自身があちこちのインタビューで同じようなことをおっしゃられているように、ある意味この歌、この曲を最も効果的に響かせる、というのが、この映画のひとつの目的でもあってですね。まあ結論から言えば、それは完璧なまでに達成されている。言い換えれば、矢野顕子の『LOVE LIFE』という曲を、いかに深田晃司が解釈し、劇映画としてエッセンスを抽出、再構築してみせたのか?という話になるわけですけど。

たとえばね、先ほどの冒頭に流したけども……「♪どんなに離れていても」ってね。「どんなに離れていても 愛することはできる」という歌詞。後から出てくる言葉と併せて考えれば、この「どんなに離れていても」というのは、単に物理的な距離のみならず……まあ、それもあるかもしれないけど、物理的な距離のみならず、たとえば他者同士の心理的な距離、わかりあえなさとか。もっと言えば、生と死の距離。死別とかね……っていうのを、逆に強く意識させる。要するに現状は、遠く離れていて。普通だったらちょっとなかなか話すことも難しいような距離、ということを、逆に意識させる表現でもあって。

もちろんそれを、その矢野顕子さんの歌唱によって、要は「うた」としてのスケール感、ほとんど宇宙的なまでに昇華してみせている、というのもありますけども。要は、死生観というかね。劇中でも、ある場面で不意にしっかり言葉にされる……これは深田晃司さんのおそらくメインテーマでもある、つまり人は誰もが本質的に「個」として生き、死んでいくしかない、本質として孤独な存在なんだ、という人生観、世界観。そういうものを歌った「大きなうた」として、この映画は矢野顕子さんの『LOVE LIFE』を解釈してみせているわけですよね。

なので、『LOVE LIFE』って言葉の、ポジティブな響きね。ラブだし、ライフだし。矢野顕子さんの歌の、そのおおらかなイメージなどからですね、いわゆるハートウォーミングな……見てない方ね、「ハートウォーミングな」お話を予想される方も、ひょっとしたらいらっしゃるかもしれませんが。もちろん、そんな甘いもので あ る わ け が な い ということですね(笑)。いや、たしかに最終的に残る余韻は、深田晃司作品の中でも格段にポジティブな印象であることも間違いないですし。それは明らかに矢野顕子さんの歌の力、というのも、これはもう確実にあるとは思いますけども。

そこに至る道筋、道程はですね、これまでの深田晃司作品同様、人間の心の、まさしく「淵に立」って、真っ黒な、あるいはドロドロした憶測を覗き込むような。あるいは、この世に不意に現出する、「魔」の瞬間ですね。魔ですね。魔が訪れる。魔の瞬間に不幸にも出くわし、二度と元の平穏な状態には戻れなくなってしまう、というようなですね。そんなある種の、恐ろしいことに普通に生きていても誰もが経験しうる、「精神の地獄巡り」的なプロセスとなっているわけですね。最後はポジティブなんだけど、その途中はやっぱり、地獄巡り、精神の地獄巡りになってくる。案の定、というべきか。

■本格的に悲劇が発動するより前から「地獄」は用意されている。しかも二重に。

第一幕、表面的には「穏やかな」と表現しても、まあいいかもしれない、ある休日。ある一日があるわけですね。結果として、そこで主人公たちの家族に、あるものすごくつらい、フィクションとわかっていても正視するのもキツいような、ある大きな悲劇が起きるわけですね。『淵に立つ』に近い、と言ってもいいかと思いますが。はい。そこまではね、わりと何て言うか、淡々とした長回し、固定ショットが続いていたので。突然そこで、スローが挟み込まれるんですね。「えっ、なに?」ってなったこの瞬間……「えっ、なに? なにが起こるの?」みたいな。そこから起こる悲劇をですね、淡々と、じっくり捉え続けるこの冷徹な視点、っていうのも、もちろんすごいんだけど。ちょっとずつ、ゆっくり(カメラが、悲劇の対象に)寄ってましたけどね。

それもすごいんだけど、本作、そして深田晃司のすごみというのはですね、そのように本格的に悲劇が発動するより、もっと前。さっき言った、一見平穏だった冒頭からの日常描写の中で、まあまあ複雑といえるその主人公を取り巻く人間関係を、例によって恐るべき手際の良さ、簡潔さで、観客にサクサクと飲み込ませていく。あるいは、わりと簡単に類推させていく、という。結構複雑ですよね。結構複雑な人間関係。家族ひとつを取っても結構複雑なんだけど……もう冒頭10分ぐらいで、すっかり飲み込めてますよね。すごい手際なんですけど。

で、そこは一応日常描写なんですが、既にそこに、特にやっぱり木村文乃さん演じる主人公の妙子にとってのですね、生きづらさ、ある種の「地獄」が、既にもう用意されていて。もう地獄は既に……大きな悲劇が起こる前から、既に地獄は始まっている、という。それを要所要所で、やはり最低限の手数で、ビシビシとこちらに叩き込んでくる、という。これがやっぱり深田さんのすごみ、本作のすごみ、ということですよね。

たとえばですね、わかりやすいところで言うと、田口トモロヲさん演じる義理のお父さんが、ハナからそのテーブルの向かいにいる妙子さん、要するに義理の娘というか、その妙子さんに、ハナから背中を向けて座っているところ……からの、わかりやすく無礼千万な発言。もちろん、これも地獄です。これも非常にわかりやすい地獄。「うわっ、キツいな!」ってなる。なんだけど、妙子はですね、それにまっすぐ抗議できる、芯の強い人でもある。これ、やっぱりあの、木村文乃さんの存在感というのかな……木村文乃さん、なんか寡黙に、内側に不満を溜め込んでいる状態、でもそれに抗う強さもある、みたいな、そういうのをすごく体現されていてですね。非常にもう、パーフェクトなハマり方だと思いますが。

まあ、芯の強い人でもあって、言い返して謝らせるとこまで持っていって……(観ているこちらも)「ああ、すごいじゃん、すごいじゃん」って。だから、ある意味雨降って地固まる的な感じかな、と思わせておいて……問題はその、さらに直後。その義父に対してですね、妙子の味方になってくれた、かのように見えた、神野三鈴さん演じる義理のお母さんがですね、よりによってここで、ボソッと……しかも本人はなんか悪気もないのかな、という感じで、妙子にかける言葉。その、無自覚な残酷さ。

で、それに対して、先ほどあれだけしっかり反論していた妙子も、さすがに絶句するしかない、っていう……だから、より逃げ場がないっていうのかな。理不尽に対してちゃんと戦う、ということをした人でさえ絶望してしまう、という、二重の地獄の仕掛けというか。これがまた巧みというか、何というか。私、劇場で思わず、「う、おおお……」と、うめいてしまったところですね。しかし、たとえばこの、さっき言った義理のお母さん。今のところだけ取り出すと、「なんか外面だけいいだけで、本当は嫌な人なのかな?」っていう感じがするけども。で、それがさらにね、あの意味加速するところもある。

さっき言った大きな悲劇の後、あまりにうろたえすぎて、一種「鬼」となってしまう。さっき言った、無礼千万なことを言っていた義理のお父さんでさえドン引きしてしまうほど……でも人間、ああいう風に、余裕がなくなると「鬼」になってしまう瞬間っていうのは、たしかにあるかもしれない、っていうね。鬼になってしまうその瞬間があったかと思えば、それを反省して、今更のように……この映画の中で、妙子さんの「正面に座って向き合おうとする」のは、実は最初はやっぱり、この義理のお母さんだったりするんですけどね。

とか、はたまた『シークレット・サンシャイン』よろしくですね……この映画、ちょっと『シークレット・サンシャイン』を連想させるところが、たしかにいっぱいあるんですけど。宗教に救いを求めていくんだけど……一人、あのベランダでタバコをふかす姿は、義母であるとか妻であるといった、その「関係性から生じる属性」とは違う、なんか「一人の個」としてそこにいる、ような感じだったりとか。

ざっくり言えば、とても多面的だし、それこそがリアルな人間だ、と感じさせてくれる。非常に豊かな人間造形になっているわけですね。これはやはり……もちろん、神野三鈴さんの演技も素晴らしいし。何よりやっぱり、深田さんの人間観、人間演出というのが、やっぱり豊かなところというのが、この義母ひとつ取ってみても出てくるし。

■永山絢斗、山崎紘菜らの演技や存在感も重要。主要登場人物たちそれぞれに単色ではない人間性や感情がある

あるいは、永山絢斗さんがですね、これまた完璧にはまっている……あれですね。『ふがいない僕は空を見た』以来のですね……彼にもう、ぴったりなんです。どこか影のある、「流されがちちょいズルイケメン」(笑)こと、夫の二郎。これ、彼に関してはですね、『Cinemarche』というサイトのほりきみきさんという方の深田さんのインタビューによれば……劇中ね、ここぞ!というところで何度か出てくる、手持ちカメラで、歩く人物の背中を追いかけるショットが出てくるわけです。

基本、この映画はフィックスの長回しが多いので、いざそれが出てくると、ググッと緊張感が高まるんですよ。何ヶ所か出てくるんですけど、後半その夫・二郎が、ある理由から猛然と、団地の棟から棟へと移動するところがあるわけです。で、途中、木の枝が頭に引っかかって、「もうっ!」っていう感じでいら立ちながら彼がそれを払う、というところがあるんですけど。これ、先ほどのその『Cinemarche』のインタビューによれば、永山さんの、意図的なアドリブなんですって! とってもいいディテールですよね。いい役者さんだなってことが、これだけでもわかると思いますが。

とにかくその彼とですね、山崎紘菜さんがやはりこれ、出てきた瞬間にピリリとした空気を見事に漂わす、元カノ。この二人のですね、これもでも、やっぱり単純に色分けできないこの関係性、というかね。彼のその、恋愛なのか、性欲なのか、はたまた同情なのか、ちょっとよくわかんない……友情もあるかもしれないけど。責任なのかもわかんないけど……みたいな、この関係性。そこで浮上する、彼が「人と目を合わせられない」人であるという、本作の中でも重要なポイント。

奇しくも先週扱った『NOPE/ノープ』も、「目を合わせる/合わせない」という映画でございましたが。などなどですね、主要登場人物それぞれに、単色ではない人間性や感情の流れがあって。その、なんていうか「人というものの割り切れなさ」そのものがですね……ある種自分自身もわかってない不可解さというのが、深田映画的な、ある種のサスペンスを醸したりするわけですね。「この人はなにを考えてるんだ?」っていうサスペンスを醸していたり。あるいは、ユーモアを醸していたりする。「この人、なんてことを言うんだ!」っていう。ちょっと黒いユーモアですけどね。

■画面内に「黄色」に注目。その示すところは……?

で、その深田映画的な「他者」の最たるものがですね、本作では、砂田アトムさん演じる妙子の元夫のパク・シンジ、っていう人なんですね。これ、ろう者の役柄としても……つまり、たとえば福祉的な意味合いとか、なんならその「障害を背負ってるがゆえにセイント(聖人)である」というような型でもなく、ろう者の役柄としても、そしてそこにろう者当事者の俳優をキャスティングしたという点でも、日本映画としては画期的、というのはもちろんとして、っていうことですよね。

これはもう、あれですよね、この番組にもお越しいただきました牧原依里さんの、東京国際ろう映画祭に深田さんが関わることで、そのろうの人を、こうやって……当事者を使う、というね。しかもそれによって、先ほど言った「目を合わせる/合わせない」という演出が、より重要に浮上してくることになったので。非常にプラスになっていると思いますが。そういう面もすごいのはもちろんなんですが。

この、パク・シンジの役。たとえば、彼が身にまとっている「黄色」……黄色のシャツを、前半ではずっと着ているわけです。彼がまとっている黄色、この画面内インパクト、っていうことですね。そもそも、先ほど言った悲劇がありました、その悲劇の日に、その悲劇の人物が、既にその色を着ていたり、とかするわけです。それは既に、予告されているわけですね。で、当然、その葬式というモノクロの世界に入り込んできた、「二重三重の異物」としての黄色いシャツを着た男、という。そのなんというか、ゴリッとした感触。物語上の劇的な展開に加えて、そもそもその「黒の中の黄色」が、ゴリッとした感触を与える。文字通りこれも展開を「彩っている」し。

その後もですね、たとえば妙子はですね、ホームレス支援ボランティアの流れで、結果シンジに会いにいくんだ、っていう。観客は、そこで(妙子が)なにをしようとしているのかまだわかんない段階なんだけど、結果シンジに会いに行くところで、彼女の着ている服の色は……?とかですね。クライマックス、妙子たちが韓国に行くわけです。そこでたどり着いた先にあったものは……?っていうね。

というようなことで……あとはラストのあの部屋で、どの程度、部屋に黄色が残っているか、とかですね。とにかく、画面内の黄色に注目するだけでも、結構見ごたえありますよ。で、その黄色が示すところとかを考える。たとえば、最後に残った黄色って、どういうことか、考える。さっき言った、時の堆積かもしれないし……とかね。いろんなことを考えるのも面白いはずですね。こんなに画面内の黄色が、明らかに意図的に演出的な機能を果たしているのは、森田芳光の『黒い家』以来じゃないかな、なんて思ったりしますけどね。

最後にタイトルが出るタイプの映画の中でもこれは最高峰

あとあの、韓国が舞台で、なんていうかな、ダンス歌謡みたいな、ああいうものすごい俗っぽい曲に乗せて悲しく踊る、みたいな感じは、たとえば『母なる証明』のラストとかね。あるいは、これは中国映画ですけど、『薄氷の殺人』なんかもね、思い出したりしますけどね。

またですね、もちろん映画をご覧になった方であればおわかりの通り、そもそも舞台となる団地……主人公が住んでいる部屋を起点とした空間配置がまあ、ものすごく映画的に効果的に機能している、というのも、本作『LOVE LIFE』、本当にすごいところですよね。

先ほど矢野顕子さんの歌詞にあった「どんなに離れていても」って……つまりこれは「距離」を巡る映画なわけで。その舞台となる空間、団地の距離というのが、非常に重要な演出要素となっている。で、その、距離によって隔たれた……たとえばベランダに最初から吊られていた、(この映画で)最初に映るものでもある「あれ」が、後半、まさかあんな風にサスペンスフルに生かされるとは……!っていうことですしね。「離れたところにいる妻と他の男を(密かに盗み)見て不貞を疑う夫」って、『歓待』にも出てきた構図だな、とかね。そういうのもありますよね……深田さん、お好みなのかな、という(笑)。

またですね、心の距離というのを示す、視線の位置関係。先ほど言いましたように、これが非常に重要な映画だというのは言うまでもありません。これはつまり、手話という「目を合わせるコミュニケーション」との対比によって、さらに際立つことにもなっている、ということですよね。特に主人公夫婦、特に夫側……要するに妙子さん側は、手話も使えますから。目を見るコミュニケーションというのは、ある意味最初から、みんながちょっとドギマギするぐらい……さっきの真正面から抗議するのは、ある意味その手話使いとしての(姿勢の表れだったのかもしれない)、そのまっすぐ目を見るコミュニケーションの使い手である妙子に対して、夫は目を見られない人。さて、この夫婦、いつ正面から向き合うのか?

というところで、最後にですね、『LOVE LIFE』というタイトル、どのタイミングで出るか?……完璧! すごい。あの、最後にタイトルが出るタイプの映画っていうのはいろいろありますけど、そん中の最高峰じゃないですかね、これね。そこからの、さっき言った長回し。見事な見事な長回しに乗せた『LOVE LIFE』、曲が流れて。RHYMESTERマネージャーの小山内さんは「胆力がある」ってあの長回しのことを言っていましたけどね(笑)。その見事な長回しも含めて。わかりやすく、誰がどう見ても「すごいエンディング」ですよね(※宇多丸補足:放送内には入りきらなかった話ですが、ここに流れている『LOVE LIFE』の歌詞、例えば「そこに居てね」「生きていてね ここに」といったあたりを踏まえつつ、この長回しがいったい「誰の視点」なのかを改めて考えてみると……『こちらあみ子』評のときも言ったような、『レイチェルの結婚』終盤の水面下ショットにも通じる、「ある不在の人物」の視点とも取れるんじゃないか?と、個人的には解釈しております)。

■あらゆる意味で現代日本映画の最高峰を示す一作。レベルが高すぎる!

ということで、結論を言えばやっぱり、演技といい、演出といい、何から何までもう、レベルが高すぎる!という一作じゃないでしょうか? 現状、現代日本映画の本当に最高峰。あらゆる意味で最高峰を示す一作なのは間違いないかと思います。劇場で皆さん、一緒に息を飲む瞬間、というのを味わってほしい。ちょっとつらい場面もありますけどね。はい。そんなのも覚悟していただきつつ、ぜひぜひ劇場で、ウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 宇多丸が1万円を支払ってガチャを2度回すキャンペーン続行中 [※1万円はウクライナ支援に寄付します]。一つ目のガチャは『靴ひものロンド』、そして二つ目のガチャは『ブレット・トレイン』。よって来週の課題映画は『ブレット・トレイン』に決定!)

以上、週刊映画時評ムービーウォッチメンでした。

◆過去の宇多丸映画評書き起こしは

こちらから!

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