路面電車の始まりは、なぜ”京都”だったのか

ISUZU presents 檀れい 今日の1ページ

女優の檀れいが毎回、その日にまつわる話題や風物詩などを交えてお届けする「檀れい 今日の1ページ」。
今朝は、「路面電車」についてのお話でした。

6月10日は「路面電車の日」です。1995年のこの日、全国の路面電車を持つ自治体が、広島市で開催された「第2回 路面電車サミット」で制定しました。由来は、路面電車を略した「路電」の語呂合わせ。数字の6を「ろ」、10を「デン」と読ませたところからきています。 

路面電車というのは、主に自動車や歩行者が通る一般道路にレールのような軌道を敷き、そこを走る電車のことです。日本で初めて路面電車の運行が始まったのは、明治の半ば。場所は京都でした。東京や大阪ではなく、なぜ京都だったのか。それは、琵琶湖から京都に水を運ぶ「琵琶湖疏水」から引いた水力発電が、すでに稼働していたこと。かつて都だったため、道路がよく整備されていたこと。観光地としての需要が見込めることなどが大きかったそうです。京都で大成功した路面電車は、瞬く間に日本全国に広まりました。

今も京都に残る路面電車は、「京福電気鉄道嵐山線」、通称「嵐電」です。 嵐電は、地元の人々や観光客に親しまれていますが、実は映画と関係が深いんです。沿線には現在も、東映と松竹の撮影所がありますが、かつては大映、東宝、日活などの撮影所も集中していました。なんでも、当時、現代劇は東京、時代劇は京都で撮影することが主流で、嵐電沿線には、お寺や神社が多かったことから、撮影所がたくさんできました。 

路面電車が日本全国で盛んに走っていたのは、60年代までで、日本は、高度経済成長をへて、車が急速に普及していきます。そして、路面電車は、徐々に姿を消していってしまいました。 

それでも、わずかですが、現在も各地に、路面電車は残っています。例えば、東京。唯一残っている「都電荒川線」が有名ですよね。荒川線が生き延びたのは、路面電車といいながらも道路ではない専用の軌道を走る区間が圧倒的に多かったから、なんだそうです。 毎年、春と秋には、荒川線沿いにきれいなバラが咲き、私たちの目を楽しませてくれます。 ちなみに、バラが名物なんですが、2017年に決まった荒川線の愛称は、「東京さくらトラム」でした。

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