本州四国連絡橋の構想は明治からあった!

ISUZU presents 檀れい 今日の1ページ

女優の檀れいが毎回、その日にまつわる話題や風物詩などを交えてお届けする「檀れい 今日の1ページ」。
今朝は、「本州四国連絡橋」のお話でした。

1985年6月8日は、大鳴門橋が開通した日です。渦潮で有名な鳴門海峡をまたいで、徳島県鳴門市と、兵庫県・南あわじ市の淡路島を結んでいます。全長1629メートル、2階建て構造で、上に自動車専用道路、下は鉄道用になっています。この大鳴門橋を含めて、本州と四国を結ぶ橋、本州四国連絡橋は、人や物の流れを大きく変えました。

大鳴門橋に続いて、1988年に、岡山県と四国の香川県を結ぶ「瀬戸大橋」が開通します。道路と鉄道を併用した橋としては、世界一の長さを誇っています。1998年には、神戸市と淡路島の間を結ぶ、「明石海峡大橋」が開通。これで、神戸と徳島県の鳴門が結ばれました。

そして1999年には、広島県・尾道市、愛媛県・今治市を結ぶしまなみ街道が開通しました。この3つのルートを合わせて「本州四国連絡橋」と呼んでいます。

さて、連絡橋の構想は、実は明治時代からあったそうです。1889年・明治22年。香川県の県県議会議員が、鳴門海峡に橋を架ける提案をしたのが最初であると言われています。1914年には、徳島県出身の衆議院議員、中川虎之助が、橋を架けましょう、という建議書を国会に提出しました。ただ、当時、日本にはまだその技術がなく、実現しませんでした。ちなみに虎之助の提案は、鳴門に橋を架けようというものだけではなく、渦潮のエネルギーを利用して、発電までしようという提案でした。その後も、似たような計画が何度か提案されますが、経済的にも技術的にも難しいということで、実現しませんでした。

ようやく動き出したのは、1970年から。1975年から橋づくりが動き出し、1999年の春にはすべて完成しました。

橋は、人やモノを安全に移動させる役割があるのはもちろん、農作物の生産者の方たちの想いや、会いたい人への想いなどを運ぶ、想いの懸け橋なのではないでしょうか?

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