宇多丸『FLEE フリー』を語る!【映画評書き起こし 2022.6.17放送】

アフター6ジャンクション

TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。          

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宇多丸:                         
さあ、ここからは私、宇多丸が、ランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する、週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのは、6月10日から劇場公開されているこの作品、『FLEE フリー』

(曲が流れる)

祖国アフガニスタンから脱出した青年の過酷な半生を、身の安全を守るためにアニメーションで描いたドキュメンタリー。家族と離れ離れになりながらも、生まれ育ったアフガニスタンから脱出し、デンマークへと亡命した青年(仮名)アミン。研究者として成功を収め、恋人の男性と結婚を果たそうとしていたが、アミンには誰にも話していない秘密があった。監督は、自身も迫害から逃れるためにロシアを離れたユダヤ系移民で──おばあさんがね、まさに難民として結構いろんなところをたらい回しになった挙げ句、デンマークにたどり着いた、という方らしいですね──ヨナス・ポヘール・ラスムセンさん。第94回アカデミー賞で3部門ノミネート、アヌシー国際アニメーション映画祭でも最高賞に輝くなど、世界的に高い評価を集めている作品です。

ということで、この『FLEE フリー』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)を、メールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「少なめ」。うーん……見てね! 本当にね。『トップガン マーヴェリック』もいいし、『シン・ウルトラマン』もいいですが、あの、ぜひ見てください。

賛否の比率は、およそ9割が「褒め」。全面的に否定する意見はなし。主な褒める意見は、「アニメーションという手法でなければ描けなかった傑作」「終盤、アミンが兄に連れて行かれる“ある場所”に感動した」「今、このタイミングで見られてよかった」などがございました。一方、ごくわずかな……全面的否定というのはないんですけどね、その「安易に賛否をつける作品ではない」とかね、「ないものねだりだとはわかっているけど、こういう描写があるとよかったかな」とか、そんな意見はございました。

■「あんなに美しい多幸感あふれるシーンは、今年イチ」

褒めの人のご意見。「空港」さん。

「不条理で過酷なひとりの移民(そしてゲイ)」……イスラム教圏であるアフガニスタンの中では、ゲイであること自体がマイノリティー、というか、そもそも存在が認められてないような状態だった、というね。「……の物語をアニメーションドキュメンタリーという特異な手法で描いた、素晴らしい作品でした。

主にアニメーションで主人公アミンの物語が続きますが、時折実際の映像を挿入することで、これは現実なのだと観客に釘を刺します。あまりに辛い、直視し難い状況下では、逆にアニメーションが極度に抽象化され(ただし音響は極めてリアル)、まるで“これは現実じゃない・ここにいるのは僕じゃない”と現実逃避を試みてるようで、かえって緊迫感やアミンの絶望感を描き切っていたと思います。加えてアミンがゲイである点はかなり大きいポイントだったと思います。肩を寄せ合う家族にもカミングアウトできないことは、周囲に対しアミンが心を閉ざす大きな要因であり、“故郷”と“家族”を手にする・守るために、そうしなければならない彼の境遇には、胸が痛みました。だからこそ、終盤でのアミンが目にする景色には、震えるような感動を覚えました……」。特に、とあるクライマックスで出てくるシーン。

「……あんなに美しい多幸感あふれるシーンは、今年イチだったかと思います。アニメーションという手法によって匿名性と普遍性を、そしてドキュメンタリーという手法によって生々しさと問題提起を手に入れた、スペシャルな作品でした」ということです。

あと、ラジオネーム「ヴァン・ダム」さん。この方ね、「最高のヴァン・ダム映画でした!」。ジャン=クロード・ヴァン・ダムをはじめ、アクションスターがとある形で出てくる。「全世界のヴァン・ダムファンは絶対に見るべき映画だと思います! いや死んでも見るべき映画です!!」。三角絞めさんは当然、ご覧になってるかと思いますが……、という。「よかったね」っていうのはそういうことですね。近年のジャン=クロード・ヴァン・ダムの引用のされ方としてはこれ、最良の出方だもんね。しかも、しっかり愛があるじゃん? あの『ブラッドスポーツ』(※宇多丸註:この部分と、後ろのほうでやはり同じ話に触れているところ、放送では『キックボクサー』と誤ってお伝えしてしまいました。お恥ずかしい限りです! この場を借りて訂正してお詫びいたします)のさ、映像の再現度とか。あれ、もう愛が溢れてるよね。本当に好きじゃなきゃあんなことはできないよ。はい。ということでございます。

「タイガーます子」さんは「賛否をつけられる作品ではないと思いました。賛否に関係なく、観客全員に考えてほしい作品だったのではないでしょうか。アミンの家族が祖国を脱出してからは理不尽のオンパレードで、尊厳を奪われ続ける難民生活をスクリーンで観ていることすら辛かったです」ということです。

ちなみに皆さん、しつこいようですが、我が国日本は、割とそういうことを(在日外国人の)皆さんに強いている国だということをお忘れなくと。今日もね、ちょっと名古屋地検の決定(※宇多丸補足:難民ではありませんが、入館施設内でスリランカのウィシュマ・サンダマリさんが適切な医療を受けられないまま死亡した件について、『嫌疑なし』として刑事事件としての不起訴を決定したという、あからさまにひどい話)とか、非常に……「じゃあ、どこに(不当な扱いを受けたことなどを訴えれば良いのか)?」みたいなね。ちょっとその件は、皆さん、調べてください。なので、ちょっと我が国と全く無縁のことではないですよ、というのは改めてね、うるさいようですが。釘を刺しておきたいなと思います。

■「まず声から始まる」ドキュメンタリーであり、アニメーション作品

『FLEE フリー』、私もバルト9で2回、見てまいりました。あと輸入Blu-rayがもう出てるのでね、そちらを購入して見たりもしました。バルト9ね、平日昼の回、小さめのスクリーンではありましたが、かなり入ってた方じゃないでしょうか。評判の広がりを感じますね。5月27日に映画評をやって、今週、監督の川和田恵真さんもお招きしました『マイスモールランド』も、まさに難民の話ですね。それに続いて、難民がテーマの一作。最近、やっぱり多くなってますね。

近年……といっても『戦場でワルツを』という作品、これ、2008年なので、ここ10年ほどでしょうかね? 戦争や人権問題など、ジャーナリスティックな題材を、しかも高いアート性を持って扱うアニメーション作品というのが、世界的にとても増えている、という潮流がある。この番組でもね、何年か前にその話をしました。で、この『FLEE フリー』も、まさにそのひとつで。アリ・フォルマン監督作、今言った『戦場でワルツを』と同様、「アニメーションドキュメンタリー」と言われるジャンルなんですけども。

これに関してですね、『キネマ旬報』の土居伸彰さんのコラム……この番組でも2018年9月18日の特集などでお世話になりました、土居さんの解説がですね、非常に鋭い指摘をされておりまして。ちょっと長めですが、引用させていただきますと……「アニメーションドキュメンタリーとは、むしろ声の映像化である。とある出来事、生きた人間の証言が映像(記録)の届かない場所にいたその人の存在を呼び寄せ、観客の頭の中で生成させ、動かす。アニメーションは脳内でこそ起こる」。これ、すごいですね。「アニメーションは脳内でこそ起こる。アニメーションドキュメンタリーが声の映像化であるのは、その作品を見る人たちを誘うためである。誘い込むことで、その過酷な人生を生きた人たちが同じ人間であると認識させるためである」ということを土居さんはおっしゃっている。さすがですね。

そしてこれは、今回の『FLEE フリー』という作品のあり方に、そのまま当てはまる言葉でもありますよね。 というのもですね、この『FLEE フリー』は、まず何よりですね、当事者……この場合は本作の主人公である(仮名)アミンさんの話を、じっくり「聞く」こと。その記録からまずは出発している作品、と言えるからなんですね。

監督のヨナス・ポヘール・ラスムセンさんは、これまでは実写のドキュメンタリーとかを撮られてきた方。それも、僕は今回またちょっと、すいません、例によって不勉強でですね、本編全部は見られてないんですけど、申し訳ないんですけど、過去作の『Searching for Bill』という2012年の作品とか、『What He Did』という2015年の作品といったような、過去作の予告を見る限りですね、ドキュメンタリーに、フィクションパートであるとか、再現要素、再現劇とか、そういう要素を絡める手法がとられていて。それはまさに、今回の『FLEE フリー』と連なるものですよね。はい。

そして何より、ラジオドキュメンタリーをたくさん手がけてきた、という、ラジオマンでもあるわけです。このヨナス・ポヘール・ラスムセンさんは。なので(番組 プロデューサーの)橋Pがね、「もうこれはラジオマン全員、必見だろ?」みたいなね、圧のある声で言ったりしてましたけど(笑)。これ、だから、3月13日にこのコーナーで評した、『カモンカモン』のホアキン・フェニックスのやってる仕事とかに近いのかもしれないですね。ひょっとしたらね。いろんなところでインタビューを録って、っていう。

で、事実、本作『FLEE フリー』のメインパートは、劇場で売られているパンフレットの解説によりますと、ヨナス・ポヘール・ラスムセンさんが、ラジオドキュメンタリー制作の時に、本当にやっている、というインタビュー手法……さながら心理カウンセラーのようですよね。取材対象を横にして、目を閉じさせて、記憶の隅々まで思い出してもらう、という。僕なら3秒とかで寝そうですけども(笑)。で、そのインタビューでアミンが語ったこと、その様子をもとに、アニメーションが後から、映像が作られている。

つまり、先ほどの土居伸彰さんの解説通り、「まず声から始まる」ドキュメンタリーであり、アニメーションであり、という作品なんですね、この『FLEE フリー』は。で、ちなみにこれもですね、同じくその『キネマ旬報』の土居さんのコラムで僕は遅まきながら知って、引用が続いてすいませんけども、音声ドキュメンタリーとして記録された声に後からアニメーションを当てる、というこの試みの先行作として、2009年のアヌシーで短編グランプリを取った『Slaves(奴隷たち)』という作品があって。これ、ネットでフルで見られたので、僕、拝見しましたけど。こちら、スーダンで奴隷にされていた少年の証言に、CGアニメを……でも、すごい抽象的なんですけどね。それもね。抽象的なアニメを乗せている、という作品でした。

■本作の特徴は「親密なテイスト」。そして実写ドキュメンタリーであることを強く意識させる作り

もちろん、こういった手法。先ほどもね、言いましたけどね、ひとつには取材対象のプライバシーや安全確保のため、という意図や機能も、当然ある。本当『FLEE フリー』も、特に作品中盤で明かされる「ある事情」によって、アミンさんは、本当の身元を明かせない。要するに彼の生活や人生を守るために明かせない、ということが中盤で、「ああ、そういうことか!」とわかる。その意味では、いわゆるディープフェイク技術を使って撮影対象の安全を確保しつつ、観客の共感をより深めるようにしてみせた、要は守秘と開示の両立という、ちょっと離れ技的なことをやってみせたドキュメンタリー、『チェチェンへようこそ―ゲイの粛清―』という。これ、僕は『文春エンタ!』の星取り企画、去年の末に出たやつかな、それで扱いましたけども、あれとも通じるスタンスと言えるかもしれないですね。

と同時に、本作『FLEE フリー』独特の……こういう題材ね、アフガンのそういう惨状を扱ったものであるとかっていうのは、最近、アニメでも多いんですけども。特に本作『FLEE フリー』独特の、なんというか、非常に「親密さ」を感じさせるテイスト、独自の魅力、みたいなものがあると思うんですが。その元になっているのは、これはとにかく、徹頭徹尾ですね、現実に長年の友人同士である監督とアミン、その信頼関係に基づく……つまり、最初から「他人事ではない」視点っていうか。自分の好きな友人がずっと抱えてきた悩みであるとかっていうのを、ずっと気にかけている人の視点だし……友人の話をしっかり聞き、その人生と、心の深淵みたいなところに、少しでも、ちょっとでも理解を深めようとする、そのスタンス。それが一貫してるから、このちょっと親密なテイストみたいのが出るのかな、という風に思ってます。

またですね、作品のその冒頭でですね、故郷の定義。「ホーム」って言ってますね。故郷の定義を聞かれたアミンが、「安全で、ずっといてもいい場所」みたいなことを言うんですね。で、そのアミンの声に、まさに安全でもなくなって、もはや住めない場所になっちゃったっぽい、故郷を追われる人っぽいイメージ、つまり難民のイメージが重なる……というところからこの映画は始まるんですけど。

実は本作はですね、さっきから言っているそのインタビューベースのメインパートと並行して、現在のそのデンマークで暮らし、学者としても一定の成功を収めているらしいアミンが、恋人と一緒に住む家を探している、特に恋人が積極的に家を探しているという、本当にドキュメンタリックな、少なくとも一見は淡々としたパートが、並行して語られていく、という。ここが本当に変わってるところで。

たとえば、新しい家を内見に行くところ、ありますね。内見に行くところで、その恋人の方は、「あれはヘーゼルナッツの木かな? ヘーゼルナッツだよね? 違うか? いや、ヘーゼルナッツか?」みたいな、もう、(番組木曜日の新概念提唱型投稿コーナーで試験的に始めている)「つまらなイイ話」をしてるわけですよ(笑)。で、その一方で、こっちにいるアミンは、ずっと猫ちゃんに気を取られている、っていう。普通はこのくだり、アニメ化しないでしょう?っていうところをね(笑)、非常にドキュメンタリー的な……ドキュメンタリー映画だったら普通にありますよね? 本当に撮っているんだから。まあ、その実際にあったとしか言いようがないその景色、というのが場面として出てきたり。

あと、特徴としてはこの映画、一番特異なのは、「ジャンプカットがあるアニメーション」っていうことですね。ジャンプカットっていうのは、カットとカット、一連の繋がりのカットの間を抜く……で、ポンッと飛んだような感じがする、ジャンプカット。特に、同一のその画角がずっと続いてて、で、そのしゃべりをうまく繋ぐために、ポンポンッて(編集で間が抜かれた結果)、ちょっと動きがギクシャクするのって、テレビのニュースとか、ドキュメンタリーとかで、皆さん、実写ではいっぱい見てるやつだと思うんですけど。それをアニメでやる例って、あんまりないので。それもなんか、「あっ、ええ? ジャンプカットがあるアニメーションって、初めて見たぞ?」っていう。ギャグ的効果を狙ったものはあるけど、こういう、ただの編集、みたいなのはあんまりないし。

あと、「ピントを合わせる」っていう画が途中で出てきます。とかですね、とにかくその、実写ドキュメントベースであることを強く意識させる作り、っていうのが、あちこちに出てくる。ここも面白いところですよね。

本作の射程が広いのは、主人公が心の「ホーム」も探し求めているから

で、とにかくその恋人と家探しをしている……「ホーム」探しをしてるんですよ。最初に、故郷とは何か、「ホーム」とは何か……それは安心してずっと住めるところだ、っていうのと、「家探しをしてる」というのが、ずっと並行して語られる。つまり、主人公にとっての本当の居場所、ホームっていうのは、単に身の危険がとりあえずはない国に暮らす、ということだけじゃないんです。

たとえば、同性愛者の自分がいてもいいんだ、と思える場所であり、人であり。要は、アフガニスタンでは同性愛は認められてない、どころか、それを示すこと……つまり存在そのものが否定されている、という状態。あるいは、多くの人にとって文字通り想像を絶する自分の身の上と、それゆえ心を閉ざして生きてくるしかなかった自分というものを、それでも丸ごと肯定してくれて、受け止めてくれる場所であり、人。そういう意味での真の「ホーム」、故郷に、彼はたどり着くことができるのか?っていう。これは要するに、いろんな、難民になっていくプロセスっていうのは回想なんで、過去の話ですが、作品的に現在進行形の問題が一個、並行して語られているわけですよ。

彼は、身の安全と同時に、心の「ホーム」を見つけられるのか?っていう話。ということが、つまりメインパートの回想のサバイバルと、並行して描かれていく。これが、本作のテーマ、射程を、ものすごく広げている。エグゼクティブプロデューサーに手を挙げた、そのリズ・アーメッドのコメントにあるように、「人間としての経験の核心に迫る」っていう。まさにそうだと思います。非常にその、普遍的に刺さるって言っていい作品に、これによってなっていると思いますね。つまりその、みんなどこかしら、「本当の自分」に対して、今いる場所の居心地悪さだったり、開示できていない自分であったり、っていうのがなんか、あったりするという人にとっては、常に刺さる作品になっている。

その意味で本作『FLEE フリー』はですね、もちろんその、生きるか死ぬかのスーパーハードな話もしてるんだけど、同時に、ある一人の人間が、少しずつ世界を……つまり自分を知ってゆき、ついに「本当の自分らしさ」にたどり着くまでの心の旅、成長物語、もっと言えば青春映画でも、確かにあったりする。それがまたさらに、そのスーパーハードな問題の「自分ごと性」を高める効果をもたらしている、というね。こんなにキラキラした青春を、本来は送るべき青年が、こんな目に遭うなんて……みたいな。あるいは未来が閉ざされてしまうなんて……という痛ましさが増してくる。

■「全然当時の俺らと、同じじゃん!」

たとえばまず序盤。「一番古い記憶は?」と問われたアミンの脳内に流れ出すのは、もちろん、これですね。a-haの「Take On Me」が流れ出す。で、これを聴きながら、お姉さんの服を着て、ピンクのヘッドフォンで踊り回るその幼き日のアミンの姿をですね、非常に抽象的なドローイングアニメーション、手描きタッチの、ちょっと荒いタッチのね、抽象的なアニメーションで描き出す。これ、現在の我々が抱くアフガニスタンという国のイメージとは、程遠いですよね。「えっ、こういうポップミュージックとか、聴くんだ?」みたいな。

でも、挿入される1984年の本当のアフガンの様子を見ても、普通にスタローンの『コブラ』のポスターとか、『ロッキー4』のポスターとかが貼ってあるんですね。街中にね。「ああ、そうなんだ」みたいな感じがする。で、これは僕はですね、元はグラフィックノベルの、映画『ペルセポリス』という2007年にアニメ化された作品、あれの序盤を思い出しました。あれはイランの話ですけど、イラン革命前は普通にマイケル・ジャクソンで踊っていた少女が……っていう話だったわけなので。

本作『FLEE フリー』の場合は、さらにですね、少年アミンの部屋……チャック・ノリスの『地獄のコマンド』、ブルース・リー『死亡遊戯』、そしてジャン=クロード・ヴァン・ダム『ブラッドスポーツ』(※宇多丸註:前述した通り、この部分、放送時は『キックボクサー』と間違えて話してしまいました。訂正してお詫びいたします!)、あと、ちらっと『ロッキー4』チックなものも切れて見える、という感じで、ポスターを部屋に貼りまくっている。すなわち……全然当時の俺らと、同じじゃん!というね。もっともね、「僕の“好き”はちょっと違うけどね」と、現在のアミンは笑っていたりしましたけども。それゆえ、その、僕らとさほど変わらぬ平穏な日常が、あっという間に崩壊してしまう、というその様が、本当に生々しい恐怖と悲しみともに迫ってくる、というのがありますね。

ポップミュージック使いで言えばですね、詳しくはちょっとこれ、皆さんぜひ、ご自身で見ていただきたいんですが、後半、ロクセットの「Joyride」っていう、1991年の曲かな、それを聴く場面の、まさしく青春映画的な切なさ。これ、本当に素晴らしいですし。すごく怖いし、なんというかな、ひどい目に遭っている場面でもあるんだけど、同時に、本当にかけがえのない、ダイヤモンドのような瞬間というか、まさに宝石のようなね、ジュエリーのような瞬間、というのを描いていて素晴らしいし。

■抑制したアニメーション表現ゆえに「心に入る」

あと終盤、身の安全はとりあえず確保した彼が、今度はせっかく再会できた家族というホームに……要は本当は同性愛者である自分として、真のホームを見つけることができるのか? 家族は本当にホームたり得るのか?という、非常にある意味、本作のクライマックスですね。そこの中で、不安が極に達する中、とある世界的ダンスポップグループの曲のイントロが流れ出し……そして、彼が行きつく果てにあったものは?っていう。これ、ぜひ劇場で見てください。先ほどのメールもありましたけどね。

もちろん本作、そうした青春のきらめきを、もう本当にかき消してしまうような、踏みにじるような、普通の知的なある家族を襲った、まさしく筆舌に尽くしがたい過酷な歩みというのをですね、先ほどから言っているように、観客自身の共感、シンクロをある意味容赦なく誘う、「声の映像化」たるアニメーション手法によって描いていく。

そもそもアニメーションというのはですね、観る者が、映像を一旦、自分の中で咀嚼・消化・理解するプロセスを経ないといけない表現なんですよね。一回……絵だから、だから入っちゃう、っていうことでもありますし。特に本作のように、非常にそっけない2D画と、その抽象的ドローイングというのが、まさに、さらに、我々の中に一旦入って……我々のその想像力をかき立てる、余地を作っているわけなんですね。だからこれが変に、たとえばロトスコープでめちゃめちゃリアルにやるとか、なんか非常に情報量が多いアニメでやるとかだと、画に目が取られちゃうんで。一旦、(心の中に)入れて……話をちゃんと聞いて、心に入れる、という。これはだから、この手法で全然大正解なわけですね。なんかアニメーターたちに、すごく抑制させるのが大変だった、ってむしろ監督、言ってますね。普段はすごく派手なアニメを作ってるチームなので、「そこは抑制してください」というのはむしろ、意図的にやった部分みたいですね。

■映画で描かれてることは、今の我が国の状況とそんなに違いますか?

で、個人的に特に強烈だったのは、やはりですね、我々が生きるこの世界、この暮らしと、全くの地続きに、彼らの暮らしや苦しみがあったのに……ということを、すごく鋭く突きつけてくるくだりだと思います。たとえばですね、中盤ちょっと後ぐらいかな、劣悪なその脱出環境の中で……でももう、脱出するしか生きていけないんですよ。もうちょっとロシアはキツい、脱出するしかないんだけど、その脱出環境もスーパー劣悪の中、本当に誇張ではなく死ぬ思いをしてきた人々が、ようやく出会った、奇跡的な救いの手……と、思いきや。より絶望が深まる、というあの一連のくだりね。これもぜひ見てください。本当にひどいんだけど、同時に、あの船の上に乗っている人々は、完全に、我々ですからね。そして、たとえばニュースで、「難民のボートが見つかりました」という報道。皆さん、どんな目で見てますか? 自分を振り返ってください。自分に突きつけられています。

あとですね、その後ね、人間の尊厳が踏みにじられるような監禁生活をずっと続けるか、もしくはもう、身の危険があるのがわかった上で強制送還か、どっちか選べ!って……これはまさしく、日本の入管がやってきたこと。というか、やってますから! だからこれ、全然俺らは、人のことを指させないんですよ。

で、またね、ロシアでニセマクドナルドがオープンしました、っていう報道が昨今されておりますが、このタイミングで……まさに(かつて)「あのマクドナルドがロシアにオープンした」という、そのタイミングで、何が起こっていたか? 腐敗国家、極まれり!と言うしかない事態が同時に進行している、というあのシーンもですね、弱者の苦境は見て見ぬふり、というか、そもそも見ていない、というのは、これは今の我が国のこの状況と、そんなに違いますかね?って思わざるを得ないですね。

「難民、かわいそうね」で終わらせないためにはどうすべきか? そこからは観た我々の宿題

しかし、その意味でですね、『マイスモールランド』がまさにそうだったように、本作、見る前と見た後では、確実に、たとえば報道などで「難民」という言葉を目にしたり、聞いた時に、その向こうに生身の人間の存在、 その一人一人のかけがえのない人生の重み、というのを想像する力は、全く違ってくると思いますし。実際にこれね、作り手であるヨナス・ポヘール・ラスムセンさんの視点自体が、作品の頭とケツでは、変化している、という作品でもある。つまりですね、長年の友人同士……「初めて電車で君を見かけた時、こうだったよね」という話から始まって、最後は「あの時、君が本当にはどんな気持ちであそこに座っていたか。初めて、ようやく少しわかりました」っていうところに至るという、これは人と人との理解のプロセスの話なんですね。

なんで、それはアミン自身もそうなんですよね。本作の制作プロセス、話を聞いてもらうことそのものが彼にとってはまさしくカウンセリング的効果を発揮したようにも、少なくともラストの帰結からは見えるというような感じだと思います。つまり、ジャーナリスティックであり、ポエティック。ドキュメンタリックであり、アーティスティック。政治の話であり、心の話。サバイバルストーリーであり、青春ストーリーという、これがすごくその世界そのものの本質的な豊かさをすごく体現するような多層性を持ちつつ、ゆえにその、どの、誰の人生にも通じる普遍的な何かでもあり、あとは我々のこの現実のある種、ポリティカルな問題みたいなものをきっちりついてくるってことで。本当にあらゆる面で見事に、しかもちゃんと慎みを持って語られている。

なんというか、評価が高い作品なんで僕が改めて言うまでもないですが、素晴らしい作品だと思います。あとはやっぱりね、「『難民、かわいそうね』ってカメラで撮ってあとは終わりでしたよ」って中でアミンが言ってますけど。そうさせないためにはどうすべきか? そこから我々の宿題。毎週、言ってますがね。我々の宿題でございます。ぜひぜひ劇場で、今すぐウォッチしてください。

(ガチャ回しパート中略 ~ 現在は宇多丸が強制的に1万円を払ってガチャを2度回すキャンペーン中 [※貯まったお金はウクライナ支援に寄付します]。一つ目のガチャは『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』、そして二つ目のガチャは『ニューオーダー』。よって来週の課題映画は『ニューオーダー』に決定!)

 

(ガチャ回しパート中略 ~ 現在は宇多丸が強制的に1万円を払ってガチャを2度回すキャンペーン中 [ ※貯まったお金はウクライナ支援に寄付します]。一つ目のガチャは『ハケンアニメ!』、そして二つ目のガチャは『FLEE フリー』。よって来週の課題映画はに決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

◆過去の宇多丸映画評書き起こしは

こちらから!

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