【荻上チキのウクライナ1万字ルポ(後編)】「荻上チキのウクライナ取材報告」~支援の現場、戦地の跡、キーウの日常

荻上チキ・ Session

TBSラジオ『荻上チキ・Session』(平日午後3時半~生放送)   
『荻上チキ・Session-22』から続く、新世代の評論家・荻上チキと南部広美がお送りする発信型ニュース番組。

【荻上チキのウクライナ取材1万字ルポ(後編)】

 

<荻上チキのウクライナ取材1万字ルポ(前半)はこちらからどうぞ>

 

*イルピン、ブチャ、ボロディアンカ

私はキーウに滞在しながら、周辺の街の取材を行いました。ロシア軍がベラルーシ側から南進してきた際、戦闘や空爆が激しく行われていた、イルピン、ブチャ、ボロディアンカです。首都キーウの場合、ミサイルで攻撃されたのはごく一部ですが、隣町のイルピン以北に進むと、街の雰囲気が一変します。いたるところが攻撃を受け、破壊されているのです。

 

※イルピンに入るための橋は爆撃で破壊されていた

 

キーウ中央からイルピン、ブチャまでは、わずか10キロほど。これら近郊地域は、キーウのベッドタウンです。マンションが多いキーウに比べて、一軒家なども多い住宅街。子育て世帯も多く住んでいます。その閑静な住宅街の中で、あちこちで攻撃の跡があり、屋根、窓、壁、車などが破壊され尽くされていました。

 

※破壊された建物が、そこかしこにある

 

住宅街に無数の攻撃痕があることからも、ロシア政府側による「軍事施設だけを攻撃している」という言い分は、無理があるものだとわかります。

 

現地では街では多くの方に話を伺いました。攻撃を受けた街の市民の方や、その方々を支援するNGOの方などです。いくつか紹介していきましょう。

 

*自宅が空爆された夫婦

損壊の激しかった一軒家の写真を撮影していたら、そこの住人が家に招き入れてくれました。水道局で働く男性と、幼稚園で働いている女性のご夫婦。攻撃を受けてすぐ避難し、落ち着いてから帰宅したところ、家のドアや屋根、窓が破壊されていました。夫婦はその片付けに追われています。

 

※損壊した家の様子を説明してくれるターニャさん

 

夫婦には、ペットの犬のレックス(2歳)がいました。避難の間、レックスは隣人によって世話をされていたと言います。しかしレックスは爆撃により、亡くなってしまいます。ご夫婦が帰宅された時には、レックスは庭で亡骸となり、横たわっていました。

 

※レックスが暮らしていた犬小屋

 

*部屋の片付けをしていた親子

 

ある、大破していたマンションを訪れていた時のことです。そこでは、部屋の片付けをしている親子がいました。

 

※親子が片付けをしていた建物は、窓もドアも階段も壊されていた

 

彼らもまた、イルピンで戦闘が始まった頃に避難し、情勢が落ち着いてから戻ってきました。自宅の壁や窓は大破し、ボロボロです。せめて何か使えそうなものを持っていこうと整理をしていたのですが、パソコンなど主要な物品は既に盗まれていました。「帰宅したら主だったものが盗難されていた」という話は、実にあちこちで聞きました。

 

※片付けをしていた、息子のアレクシーさん

 

片付けをしていたイヴァンさんは、ロシアに妹家族が暮らしています。しかし妹家族に、イルピンやブチャで起きていることを説明しても、「誤った認識だ」と逆に非難してきます。戦争が破壊しているものは、家屋や物品だけではありません。さまざまな人間関係をも、壊してしまっています。

 

※イヴァンさんが暮らしていたマンションの廊下は破壊されていた

 

*第二次世界大戦を経験したアレクサンドラさん

イルピンの街を歩いている時に話を聞いた、アレクサンドラさん。彼女は第二次世界大戦後から、ずっとイルピンの町で暮らしています。彼女の自宅は、ロシア兵の拠点として利用されました。屋上にスナイパーが陣取り、近所の人々を無差別に撃ち殺していたのを目撃しと言います。

 

※破壊されたイルピンの街並み

 

犠牲者の中には、親しかった隣人らも含まれています。自分が見た惨劇を語る時、アレクサンドラさんの声は震えていました。その上で、取材に来た私たちに対し、感謝の言葉を述べ続けていました。

 

*夫を殺害されたラドミラさん

ラドミラさんの夫、セルゲイさんは、地元に残り、人々を避難させるために車を運転したり、住民に物資を配ったりしていました。セルゲイさんはとても優しく、誠実な人だったそうです。彼にはトラウマがあり、軍に入ることはしませんでしたが。それでも人々の役に立ちたいと思い、住民をサポートする活動に専念していたのです。

 

 

※夫、セルゲイさんの人柄についても説明してくれたラドミラさん

 

 

しかし、彼の活動がロシア側に伝わり、支援活動の拠点となっていたオフィスが爆破されて殺害されてしまったといいます。一緒にいたボランティアも亡くなったそうです。

 

※自宅やオフィスは、ミサイルによって破壊されてしまった

 

*破壊された学校

ボロディアンカの街中に、一つの学校がありました。その学校の校長をしているという女性に、学校の中を案内してもらいました。ちょうど校長室の真上に爆発物が落下し、穴が空いている状態でした。ロシア兵はその学校もベースとして利用し、教室などで火を起こし、食べ物を煮炊きしていたといいます。

 

※天井や窓に穴の空いた校長室

 

※砲撃されたスクールバス

 

*ボランティアの若者

イゴールさんは、医療物資支援などのボランティアを続けています。攻撃が始まって避難している最中には、わずか100メートル先に爆弾が落ち、多くの人が亡くなったのを目撃しました。その後、戦闘が続いている状態の中でも、医療を必要としている人がいることを知り、医薬品を届ける活動をしていました。

 

※イゴールさん

 

彼は取材をしている私たちに、忠告もしてくれました。支援活動中のボランティア仲間が二人、地雷などによって大怪我をしたそうです。街中には、地雷、不発弾、そしてピアノ線を使ったブービートラップが残っています。支援も取材も、そうした危険性と隣り合わせであるため、注意が必要だというのです。

 

激戦区で聞く話は、どれも耳をふさぎたくなるようなものです。他にも、窃盗、拷問、性暴力など、さまざまな証言を聞きました。

*復興支援

イルピンで食事支援をしていたNGO「ワールド・セントラル・キッチン」(WCK)のスタッフにも話を聞きました。スタッフの中には、東部地域やヘルソン出身の方もいました。WCKはまず、キッチンを確保し、食材の流通を確保し、そして調理ボランティアを確保します。その上で、周辺地域の飲食店などの支援も受けながら、無料で食事支援を行います。このキッチンホールだけでも、1日に数千人に無料で食事提供を行なっていました。

 

私は今回の取材で、複数の場所で「炊き出しの食事」をいただきました。もちろんこちらは、「我々は取材に来ているので、避難者の方の食べ物をもらうわけにはいかない」と断ります。すると怪訝そうな顔をして、「何が問題なんだ?」「味を伝えるのも仕事じゃないの?」「お腹が空いている人に食事を出すのが私たちの仕事なんだよ」と言いながら、お皿にシチューを盛り、スッとこちらに差し出すのです。

 

※ヘルソン出身のヴィタリさん。「ロシア軍は王様のように振る舞っていた」と語る。

 

ならばということで、提供されている食事を頂いたのですが、その味の美味しいこと。取材した日は5月のキーウ近郊にしては珍しく、10℃以下の寒さで雨と風が吹き付けていました。寒さで凍え、なおかつ空いている店舗が限られている中、胃袋の中に、塩胡椒や出汁の効いたスープが染み込んでいきます。食べ終える頃には、体が温まりました。こうした食事支援で体を温めながら、他の場所へとさらに避難する元気を蓄えたり、片付け作業などを続ける方もいるのだなと、実感することができました。

 

※温かいスープと煮物

 

*爪痕

イルピンの墓地にあった空きスペースは、急速に埋まりつつあります。ロシア軍侵攻によって亡くなった市民や兵士の墓が、広場一面に広がっていました。

 

※新設された墓が、一面に広がる

 

墓地に行った時、一人の兵士の遺体が埋葬されようとしていました。軍関係者が遺体を運び、墓穴へと収めます。カシャ、カシャ、とスコップで土をかける音と、家族の啜り泣く声が、寒空の下に響いていました。

 

街中には、今でも破壊された車や戦車などを、各所で見かけます。弾薬やロケット弾のかけらなどもよく見かけます。多くの建物が破壊され、爆発の痕跡や、銃撃の痕跡が、生々しく残っていました。また、爆発によって空いた穴、塹壕として掘られた穴などが、各所にありました。

 

※街中には、ロケットの破片や戦車などが残っている

 

駐車場や空き地には、破壊された車両が多く置かれています。街を復興させるには、まずは道路を移動できる状態にしなくてはなりません。解放直後の街には、大破した車両が多くあったため、まずはそれらを片付け、集める必要があったのです。

 

※取材対象者が説明のために見せてくれた、解放直後の街の様子。車両をどかさなければ通れなかった。

 

※攻撃を受けた車が集められ、積み重ねられている

 

車両の中には、爆破によって亡くなったドライバーや動物の体の一部が残っているものもありました。駐車されていた車だけでなく、避難の最中であった車が、避難民ごと爆破されたりもしていたのです。

 

※破壊されたブチャの街中で、人懐こい猫が足元に擦り寄る

 

 

 

 

*復興へ

破壊されたボロディアンカの集合住宅前にある広場では、いわゆる「復興市場」が開かれていました。肉、野菜、洋服、靴、そして花や球根などが売られていました。

 

※復興市場の様子

 

また、ある学校の敷地では、いわゆる「仮設住宅」が造られていました。これはポーランド政府の支援を受けたものです。近づいてみると、仮設住宅の建設に関わっている人たちのチーフが、「中を見せてあげるよ」と建物の中を案内してくれました。

 

※仮設住宅の外観

 

仮設住宅のつくりは日本と異なっています。窓は防寒用に二重窓となっています。集合住宅形式となっていて、真ん中に廊下があり、それぞれの部屋に別れる形式となっています。また、中には大きめの部屋がいくつかあり、住民たちが自分達で相談し、用途を決めることができるといいます。

 

※仮設住宅の内側

 

これほどの破壊の後でも、人々は暮らしを再建しようとしていました。ウクライナ国内は、「戦闘中の場所」「戦闘が起きていない場所」だけでなく、ブチャなどのように「かつて戦闘が起きていた場所」があり、そうした街は、再侵攻に警戒しながらも、復興フェーズへと入っています。

 

日本は「復興支援」に力を注ぐべきだという議論はありますが、既に復興支援を求めている街が多くある。こうした現地ニーズに対する、細やかな対応も必要なのだとわかります。

 

*ハンガリー

ハンガリーでも、難民への支援活動を取材しました。ハンガリーには、60万人以上の避難者がおり、その数はハンガリーの人口を1割ほど増やす規模となっています。

 

そんななか、首都ブタペストでも多くの支援が行われていました。空港や駅には、ポーランドと同じく、情報センターの案内などが設置されています。

 

NGO団体のADRAは、複数の難民の受け入れ活動を行なってきました。ADRAは、ロシア軍のウクライナ侵攻があった24時間後には、支援活動を始めました。駅に避難してきた人に声をかけ、必要な支援内容を聞き取り、国境近くにシェルターを設けたりもしました。

 

ADRAが支援するシェルターで生活する人々。

 

当初の避難民は、車を持ち、所持金も持っている裕福な人が多かったと言います。そのため、しばらくシェルターに滞在した後は別の場所に移動しました。しかし、ここ1か月~1か月半の間に避難してきた人たちは、比較的裕福ではない人たちの割合が増えました。車を持たず、バスや列車で移動してきている人たち。その人たちに、中長期的な滞在場所を提供する必要もあります。

 

親戚を頼ってきた親子。家族と離れ離れになりながらも避難してきた母親。姉妹で避難してきた少女たち。多くの人たちは、これから何をするべきか見通しが立っていません。ただ戦争が終わり、ウクライナに帰る日が来ることを願っています。

 

※マルタ騎士団のチーフは、現場を丁寧に案内してくれた

 

ウクライナとの国境沿いの村、ベルグシュラーニに移動すると、複数の支援団体が運営しているヘルプセンターがありました。マルタ騎士団、MEDSPOT、日本のAMDAなどが連携し、それぞれの支援活動を集約させていました。

 

ヘルプセンターに辿り着けば、食事や飲み物、衛生用品を入手でき、医療を受けることも、休息をとることもできます。ヘルプセンターからは、ブタペストへのシャトルバスが用意されており、避難者は無料で利用できます。

 

※ヘルプセンターの様子

 

AMDAからセンターに参加している看護師の榎田倫道さんにお話を聞きました。避難者に関する医療ニーズとしては、「外傷」はそれほど多くありません。もともと持っていた疾患の薬がなくなったとか、避難中に体調を崩したという方のほうが多いと言います。しかしそれ以上に多いのが、ストレスによる心身の変調でした。戦争や避難によるストレスで、頭痛や不眠、体の痛みなどを訴える声が多かったそうです。

 

AMDAの榎田倫道さん

 

他にも、避難中に妊娠が発覚した方。避難後にがんが悪化して入院した方。発達障害を持つ子供で、ストレスで圧迫されてしまっている方。ヘルプセンターはいろいろな相談に対応してきました。

 

※ヘルプセンターでの取材風景/撮影:伊藤詩織

 

*補足と課題

音声や写真では紹介できませんが、いくつかの課題を感じさせるテーマもありました。

 

600万人を超える難民・避難民には、それぞれのストーリーとエピソードがあります。また、難民・避難民の間には、元々の経済格差もあれば、届けられた支援の格差もあります。マイノリティの避難民もいれば、兵役逃れで脱出した避難民もおり、そうした人々の話は、なかなかメディア上には出て来ません。さまざまな事情を想像した上での支援が必要なのだということを、理解する必要があるとも感じます。

 

たとえばウクライナ西部のトランスカルパチア地方などには、歴史的な経緯もあり、ハンガリー系ウクライナ人の人が多く暮らしていました。この地域はもともと豊かな地域ではありません。そうした地域に、ロシア系ウクライナ人や困窮者など、国内では少数者となる人々も国内避難しています。国外に避難した難民だけでなく、国内での避難民も、多くの困難を抱えています。しかし、非戦闘地域にいる国内避難民については、注目されにくいという構図があります。

 

避難者に対する差別もあります。たとえばウクライナからの避難民には、もともとシリアから移民・難民として逃れてきた方や、ロマの方などもいます。しかし、「ウクライナ系はいいけど、ロマやシリア人は来ないでほしい」などと述べる人もいます。

 

声を出しにくい当事者の問題もあります。性暴力被害者や性的マイノリティは、その一部です。ウクライナやその隣国にはもともと、こうしたテーマに関する問題を抱えてもいました。例えばポーランドでは中絶が禁止されています。そのため、戦時下で性暴力を受けた当事者がポーランドに避難した場合、新たな問題に直面することになります。ウクライナとハンガリーは、性的マイノリティを抑圧する法律があります。ロシアによる性的マイノリティへの弾圧は大いなる問題ですが、避難すれば安心かと言えば、そう単純でもありません。

 

メディアでは、さまざまな「ウクライナ市民」の声が伝えられます。当たり前ですが、その声の主が、「ウクライナ市民」を代表=代弁できるわけではありません。ホモフォビック(同性愛嫌悪的)な発言をする市民もいれば、その言説によって傷つく市民もいます。「ウクライナ市民」は多様であり、それぞれの声が持つ背景にも目を向ける必要があるでしょう。

 

取材後ラジオでも、ウクライナ情勢などについて引き続き取り上げていきます。同時に、戦況や国際情勢だけでない報道や、多数派やエスタブリッシュメント目線でない報道も、そしてウクライナ以外の難民状況についての報道も、意識的に取り組んでいくことが必要なのだと感じました。(了)

 

 

ADRA

https://www.adrajpn.org/

 

AMDA

https://amda.or.jp/

 

World Central Kitchen

https://wck.org/

 

マルタ騎士団

https://www.orderofmalta.int/

 

<執筆:荻上チキ>

 

【2022年5/30、5/31、6/1 Main Session】

2022年5月30日(月)~6月1日(水)までの3日間は、荻上チキさんによるウクライナ隣国の取材報告。

1日目は、「ポーランドやハンガリーにおける、ウクライナ避難民への支援の現場」

国境付近で支援を行っている方、ホストファミリーとして避難民を受け入れている方、そして実際にウクライナから長時間かけてポーランドまで避難してきた方のお話をお届けしました。

2日目は、「ウクライナの戦地ブチャ、イルピン、ボロディアンカの報告」

ウクライナの中でも特にロシア軍による侵攻の被害が大きかったキーウ近郊の街を取材。

現地の方々のお話を聞く中で見えてきた、被害の実態とは・・・。

3日目は、「キーウ街歩き」

番組にもご出演頂いた現地在住の方に案内して頂いたり、現地の方のお話を聞いたり・・・。

一時期よりは落ち着いた印象の街並みでしたが、侵攻への備えがあちこちにありました。

 


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