宇多丸『マイスモールランド』を語る!【映画評書き起こし 2022.5.27放送】

アフター6ジャンクション

TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。          

オンエア音声はこちら↓

宇多丸:                      
さあ、ここからは私、宇多丸が、ランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する、週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのは、5月6日から劇場公開されているこの作品、『マイスモールランド』

(曲が流れる)

これ、ROTH BART BARONさんのね、主題歌なんですけども。実はですね、ちょっと映画評に入る前にちょっとだけ自慢と言いましょうか。このROTH BART BARONさんの主題歌……劇中の劇伴もROTH BART BARONさんがやっているんですけども。川和田恵真監督曰くですね、なんとこの番組『アフター6ジャンクション』の(ライブコーナーである)LIVE & DIRECTにROTH BART BARONさんが出た時を聴いていて、「いいな」と思って。で、改めて調べてオファーをかけたということらしいんですよね。

ということで、アトロクなくして……(『○○』なし!という番組定番のフレーズを言いかけて)はい、失礼いたしました(笑)。一言、これを言っておきましょうかね。在日クルド人の少女が、在留資格を失ったことをきっかけに、自身の居場所に葛藤する姿を描いた社会派ドラマ。是枝裕和、西川美和率いる映像制作者集団「分福」の若手監督・川和田恵真監督が、自らの脚本をもとに映画化。クルド人の家族とともに故郷を逃れ、幼い頃から日本で育った17歳のサーリャ。埼玉県の高校に通い、平穏な日々を送っていたが、難民申請が不認定となり、一家が在留資格を失ったことで、彼女の日常は一変してしまう。主人公サーリャを演じるのは、本作で映画初主演を果たしたモデルの嵐莉菜さん。その他の出演は奥平大兼さん、藤井隆さん、池脇千鶴さんなどです。

はい。ということで今、お聴きなのはROTH BART BARONさんの主題歌『New Morning』ですね。非常にでも、光栄な話ですね。だし、やっぱり僕自身もあのコーナーで、いろんな新しいアーティストを「こんなにいいアーティストがいっぱいいるんだ!」っていう(学びがあり)……なんかそれがこういう形で、また別の素晴らしい作品に結実するという。「こんなに嬉しいことはない……!」というやつですね。

ということで、この『マイスモールランド』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)を、メールでいただいております。ありがとうございます。メールの量そのものは、「普通」です。ただ、かかっている劇場もそんなに多くない上に、回数もすごい限られていて。なのでまあ、健闘している方ですし。賛否の比率は、「褒め」が9割以上。全面的に否定的な意見はゼロ。これは1月7日に評論した『偶然と想像』以来のことです。

主な褒める意見は、「現時点で今年のベスト!」「クルド人難民や法律のことなど、現代日本を舞台にした社会派映画であり、さらに青春映画としても素晴らしかった」「主演の嵐莉菜さんと奥平大兼さんがよい。特に嵐莉菜さんは本当に良かった」。素晴らしかったですね。これが映画初主演とは思えない感じでしたね。一方、「映画が終わった後、無力感にとらわれてしまった」という意見。やっぱり扱われている問題がすぐには解決しないことですし。そして、すぐには解決しないわりに、はっきりとオレたちに責任がある、みたいなことですからね。「脇のキャラクターの掘り下げ不足や余計と思えるエピソードもあった」といった声もわずかにございました。

■「これから先の未来へ向けて闘っていくための映画」

代表的なところをご紹介しましょう。「ふんどし茹で太郎」さん。

今年一番の重要作ではないでしょうか。個人的にも暫定年間ベスト作です。観ながら、あまりにも理不尽なことを放置している日本のシステム、日本社会、日本人気質への怒りが込み上げ、しかし同時に、無力感も凄まじく、行き場のない気持ちに途方にくれながらも、既成の枠組みの外側にある『アート』に未来を託すような、そんな祈りのごとき今作をどう受け取り、どう行動していくかが問われているように思いました。

一見、善意のようでいて、相手を傷つける、いわゆる“マイクロアグレッション”とはなんなのかを知る映画でもあるし、あの青年の取り組むアートが、“色を重ねること”で美しくなり、おもしろさや価値がある何かになるものであることが、物語的必然があるし、多様性を目指すことの切実さを伝えているとも思いました」。あれは、奥平大兼さんご自身が絵を書くのが好きだ、っていうのを、演技の……なんというか、演技初体験の人もいるんでワークショップした時に出てきたのを、作品の設定の中に取り入れた、ということらしいですね。インタビューなんかによると。ふんどし茹で太郎さんの感想、続けますね。

「サーリャの“手を洗う”という行為の意味合いが、映画の冒頭と、最後で全く違うということ。最後のサーリャの、強い眼差しに、今作は、かわいそうとか、大変な人たちがいるとか、そういう気持ちに浸るための映画ではなく、これから先の未来へ向けて闘っていくための映画であるのだと感じました。内容をあまり知らない状態でたまたま川口で観ましたが、それが結果的に映画体験としてとても良かったです」。舞台が川口なんですよね。ズバリ川口なんで。「川口で2回、観てきました」という。

というのは、川口市に本当に、ああいうクルドからいらして、クルド難民、在日クルド人の皆さんというのが、結構な数、いらっしゃる。コミュニティが既にある、というね、そこをベースにしてますね。ふんどし茹で太郎さん、ありがとうございます。

続いて、「ケン」さん。「とても心に響いた作品ですが、素直に良かったと言っていいのかわかりません。サーリャに訪れる苦難、劇中で起こる出来事は日本で現実に起こっていることが元になっており、その現状を許しているのは私たちです。サーリャは最後に明るい未来を願いますが、彼女たちのハッピーエンドは、私を含めた日本の国民が実現しないといけないのです」。全くおっしゃる通りだと思います。

「にもかかわらず、私が同じ状況になっても、やることはおそらく作中のバイト先の店長や聡太の母親と同じことです。後ろめたい気持ちや、これから私は何をすれば現状を変えられるのだろうという思い、日本に暮らす彼らをもっと悪い状況に追い込もうと考える人々も少なくないという悔しさ、そういったネガティブな思いでいっぱいになり劇場を後にしました」。たしかに、劇中に登場してくる人たちは、すごい「げっ」っていう人もいるけども。基本的にはわりと善意がベースだけど……みたいな人なんで。でも実際には、ここにこうやってさらに、ガチヘイトの人とかもいるわけだから。となると、頭を抱えたくなる気持ちもわかりますが。

ただ皆さん……我々ですね、多くの方は、参政権というものをお持ちでございまして。参政権の行使の仕方っていうのは、いろいろあります。投票もちろんそうですけど、日ごろから、地元の政治家に……たとえば川口にお住まいだったら川口の、まさに市政に関わることですから。コミュニティとして手に手を取り合って、むしろコミュニティの安定のためにも、そういうことを働きかける、みたいなのも、全然、現実として普通にやっていいことじゃないかな、という気もしますけどね。はい。でも、そんなことをね、こんな話をするという時点で、この映画、勝ちですよ。やっぱりそれはね。

『マイスモールランド』、皆さん感想メール、ありがとうございます。私も新宿ピカデリーで2回、見てまいりました。

映画の前に、ちょっと大きな話から始めさせていただきたい

私が見られる回がね、平日の午前中の回しかなかったんで、眠い目をこすりながら行ったんですけど。公開3週目、平日午前中の回にしては、中高年を中心に、かなり入っていた方だと思います。今回ね、リスナーの皆さんから、本当に熱烈なリクエストメールを、大量かつ継続的にいただいたことで、先週ついに、「ウクライナ支援ガチャ1回余計回しキャンペーン」によってですね、ようやく当たった、ということで。

ということで皆さん、本当にありがとうございます。まずね、映画そのものとは一見直接関係のない、ちょっと大きな話から始めさせていただきたい。ちょっと申し訳ないんですけど。説教臭く聞こえたら本当に申し訳ないですけど。今、ロシアによるウクライナ侵攻で、多くの方が胸を痛めてらっしゃると思いますけども。そこでもちろん、そのロシアの暴挙・蛮行を断固非難する、そしてウクライナの人々への具体的支援をする、という、こういうことはもちろん、大切ですよね。たとえば、まさに難民となった方々への人道支援……寄付とかですね、ガンガンやるべきだし、僕自身もやってますけども。

ただ、一方でですね、僕は同時に、それだけじゃ全然ダメだと思うんですよね。まさにその、人の振り見て我が振り直せ、というかですね。じゃあそういう自分自身の国。人道にもとるようなこと、人権軽視や侵害を、しない・させない国に、ちゃんとできてるのか? 改めて、そういう国にちゃんとしておかないと、「どの口でロシアを非難してるんだ?」っていうことになっちゃうし。逆に言えばロシアの「だってみんな、そういう国なんじゃないんですか?」みたいな、ああいう開き直りめいた、あまりにもデカい嘘もつき続ければ通っちゃうみたいな、ああいうことを、容認するというか……「50歩100歩でしょう?」ってことを言ってるわけですよね、プーチンなんかも。「アメリカだってやってるじゃないか」みたいな。

だから、そういうことを言わせないためにも、我々自身が、我々の周囲にある暴力や不公正や抑圧や搾取を容認しない社会を、ちゃんと作っていかないと、それは結局いずれは、まさに今回の事態のように、我々自身の暮らしを脅かし、やがては暴力、不公正、抑圧、搾取が、我々の身に降りかかってくることになる、という。それをこそ学ぶべきだと思うんですよね、この事態から。なので、たとえばウクライナから大量に生じた難民の皆さん。日本にいらしたという方もいらっしゃいますよね。もちろん我々としては、できる限り心地よい状態で暮らしていただきたいです。ニュースでよく報道されてるうちは、同情する、という方も多いと思います。「かわいそうね」とかね、「何とかしてあげたいわね」なんて思うかもしれませんけど。

「じゃあ、その日本って、難民に優しい国だっけ?」という風に考えてみれば、言うまでもなく……と言うしかないのが悲しいことですが、誠に遺憾ながら、その正反対、と言わざるを得ないのが現状なわけですよ。たとえばですね、皆さんご存知、入管に収容中のスリランカ人のウィシュマ・サンダマリさんが、適切な医療を受けられないまま死亡した、というあの事件をはじめ、まがりなりにも人権尊重を掲げ、あまつさえ難民条約を批准している国として、あるまじき非人道的な扱いが、今でも現実にこの国で、まかり通っている……ということは、我々も報道などを通じて、アタマではわかってたりしますよね? 「そういうことがあるらしいね。ひどいね」なんてことを言ったりする。

ただ、それこそ僕が今、こうやってバーバー言っていてもですね、正直、「うるせえな、説教臭えな」みたいなところで終わって……っていう風にもなりかねない。その気持ちもわかるんです。

で、そこでやはり、本作のようにですね、日本における難民の扱い。ひいては日本は、日本人は、ここからどうしていくべきなのか?っていうね、「社会問題」を、単なるデータや数字じゃない、血の通った「物語」として提示することで、多くの人が「自分事」としてそれを捉えることができるようになる、という……つまり、その想像力のリミットが、ちょっとだけ押し広げられる、という。こういう作品の意義というのが、とてつもなく大きくなってくるわけですよね。

■在日クルド人の当事者キャスティングを目指しつつ、泣く泣く断念した理由

本作が劇場用長編映画監督デビューとなるこのね、川和田恵真さん。先ほども言いましたけど、是枝監督のもとだったりでいろいろやられてきた方、ということですけど。是枝さんと通じるところ、たしかにあるなっていうか。極めてナチュラルな語り口なんだけど、実は作り込まれた、そんな語り口であるとか。あとは、社会への鋭い眼差しの織り込み方。あと、子役演出ですね。あの、口伝えでその場でやるという(是枝裕和監督の得意技として知られる)子役演出。そしてそれが実際、本当にうまくできている。さすが門下生、という感じもしますけども。

とにかくですね、たとえばこのパンフレット、劇場で売られてるパンフレット掲載の川和田監督インタビューでもですね、この題材、ドキュメンタリーにしなかったのは、これは要するに、当事者である在日クルド人の皆さん自身が、そういう大文字の「社会問題」みたいにしないでほしい、みたいな(心情を語ったことから来ている)……一人一人にちゃんと事情があるし、物語がある。その「物語」にすることで、まさにさっき言ったような、「自分事」に感じさせるようなものにしたかった、っていうことをまず、おっしゃっているわけです。

さらに興味深いのは、本作、当然最初はこれ、今の、本当に世界的な……フィクションであっても、世界的な潮流ですよね。たとえばろう者であれば、「ろう当事者」キャスティング……ゆえの『コーダ あいのうた』、だったりしますよね。当事者キャスティングが大事。トランスジェンダーだったらトランスジェンダーの当事者をキャスティングする、という。これ大事!っていうこの世界的潮流。当然そこを踏まえて、今回の作品も、元々は在日クルド人の方々、当事者の方をキャスティングする、まずはそこを目指すべき方向で動いていたみたいなんだけど……これはですね、まさに劇中の登場人物たち、そのままなんですけど。

日本という国の、本当に理不尽で非人道的な難民・移民政策の(我々日本国民による)「放置」によって、立場的・身分的に、極めて不安定な存在であることを余儀なくされている彼らの、将来的な不利益となってしまいかねない、という……これ、ぶっちゃけ言っちゃえば、「当局の不興を買ってしまいかねない」っていうことですよね。お上のご機嫌を取らなきゃいけない、っていうことですよね。その危険があるため、泣く泣く断念した、っていうことなんですよね。

ちなみに、なぜ日本はたとえば難民申請がこれほど……難民申請をしても全く認可されないわけですよ。ということに、なぜなっているのか。たとえば今回の主人公家族、国は明言されませんけど、使われてる言葉が日本語、トルコ語、クルド語なんですね。おそらくはトルコから逃れて来た、政治的な危険があって……「拷問された」なんてことを言ってましたけどね。なんですけども、たとえば対トルコであれば、これはトルコ政府への忖度が働いているいう風に思われる、と言われてますね。

つまり、そのクルド人の難民を認定してこっちが受け入れちゃうと、向こうの政府の言い分みたいなものを否定することになっちゃう。そういう忖度が働いている、なんていうことを聞きますけどね。そういう感じで、要するに当事者キャスティングはできなかったわけですけど、劇中の在日クルド人のライフスタイルの再現には、彼らのその全面的な協力がやはりあった、ということで。それゆえに、あのエンドロールのが出るわけですね。ぜひこれは皆さん、ご自身で見ていただきたいですが。

■主演・嵐莉菜さんと実際の家族をキャスティングしたことで「勝ち」。構成も見事

そんなわけで、在日クルド人当事者そのものをキャスティングする、ということは叶わなかったけども、それが現実としてあんまりできないし、よくないとするならば……次善の策として考えるならば、今回の本作の主演・嵐莉菜さん。お母様が日本とドイツ、お父様がイラン、イラク、ロシアという、かなりミックスされたルーツをお持ちの嵐莉菜さんであるとか。なおかつ、まさにその実のお父さんの、アラシ・カーフィザデーさん。あるいは妹役、実の妹のリリ・カーフィザデーさん。弟役は実の弟の、リオン・カーフィザデーさん。要するに、嵐莉菜さんご自身の家族が、まさに主人公家族役にそれぞれ配されている、というこの本作のキャスティング。

これね、やりようによってはなかなか「うん?」っていうことになりかねないけど、これまた皆さん、見事な……演技っていうか、もうこういう人たちにしか思えない、という。だから当然、たぶん本人たちの素材を、監督がうまく活かしたんでしょう。たとえばこのキャスティング、演技力とかもそうですけど、言語的にね、たとえばトルコに住んでたこともあって、トルコ語をちゃんとお父さんがチェックできる状態だった、とか。あとはやっぱり、「バイブス」ですよね。家族でしか出せないバイブス、みたいな。その意味でも、現実に可能の中で最も理想的なキャストだった、と明らかに言えると思うし。このキャスティングの成功が、本作の価値を大きく大きく上げたっていうか、もうここで勝った、というところは当然、あると思いますね。

川和田恵真監督自身による脚本も含め、作品全体の構成も、さりげないながら大変よく練られた見事なもので。まず、あのアバンタイトル。始まり方からして、すごいいいですね。ツカミが巧み。主人公家族を含めた、そのクルドの……最初は僕なんかも知識ないから、どこの人かわかんないんだけど。「なんか、うん。中東の方?」みたいな、そういう雑な認識ですよ。主人公家族含めたクルドの方々が、超陽気な結婚パーティーを、どこかの野外でやってるわけです。

で、いきなりここだけ見ると、ここがその日本だと思うような要素は、あえて全く映されていないんですね。森の中だし、いるのはクルドの方だけだしで。もう普通に外国の様子を映してるのかな、って思っても不思議じゃない感じなんですけど。ただその中で、一見その中に溶け込んでいる主人公サーリャなんだけど、「こうして結婚するのは次はあなたね」なんてことを言われて……要するに、このコミュニティーにこの通りに溶け込んでいくということを、よしとしていなさそうな、複雑な表情を見せる、という。こういうところが本当に嵐さん、演技が上手いんですよ。

で、パッと場面が変わると、もう誰がどう見ても「日本」な要素に取り囲まれた……文字通り(日本的要素に取り囲まれた)バスの車内。打って変わって、誰もが押し黙ってスマホ画面を見てる、という、まあ日本的な光景。で、二人で立っているこの主人公のお父さんと娘。どこか他の乗客から浮いた……さっきまでクルド人ばかりに囲まれているところを見てたんで、余計にコントラストですよね。ああ、日本社会、(いかにも東アジア的な顔立ち等で特徴づけられる)我々がマジョリティーの中に(彼らは)いるんだ、っていうのが、まさにビジュアライズされてるわけですよね。そこでタイトル『マイスモールランド』って出る。見事なアバンタイトルだと思いますけど。

そんな感じで、本作はですね、主人公家族がそれぞれ日本社会の中に置かれた状況とか心情を、あくまで日常のスケッチ……今、言ったところも、バスに乗ってるだけですから。バスに乗ってるだけなんだけど、マジョリティーの中で……しかも席がない、ってところですよね。みんなが座っていて、で、こっちを一顧だにしない、という。そういう感じで、あくまで日常のスケッチの中で、そこから彼らが置かれた社会的立場みたいなものを、さりげなく、しかしはっきりと浮き彫りにしていくわけです。

■注目は、さりげない「木」の演出や旧態依然な「ガイジン」感が露呈するキツいシーンなど

たとえばですね、先ほどメールにもありましたけど、洗面台前で出かける支度をしているサーリャさん、っていうのが頭の方で出るわけですね。で、なんか丁寧に電気ゴテを当てて、髪をストレートにしているわけです。で、後の友達とのやりとりとか含めて、彼女なりに日本社会、日本人に順応しているんだな、的な……しようとしているというか、すっかりしているというか。で、朝、そこである意味ストレートの髪にすることで、(マジョリティーである)日本人寄りにしてる感じ、っていうのが、そこはかとなく示されている。それは、ラストもラスト、まさに洗面台で終わるんですけども、鏡の前に立ったサーリャがやることと、見事な対になっている。その最後に、サーリャはその髪をどうするか?っていう。ここを注目していただきたい。

そういうさりげない伏線というのはですね、いろいろ他にもありまして。たとえば、ベランダに置かれた植木鉢の中の、まだ若くて細い木、というかね。まだ1mちょっとぐらいですかね。その木があって、劇中、最初はお父さん、次にサーリャ。で、まだ幼いロビンがですね、それぞれ水をやっている、という。ラスト近く、ロビンが「僕の国」みたいなね。「僕の考えた僕の国」を語るところで、これは室内で、まさにジオラマの一部みたいな感じで置かれてたりしますけども。

この木、おそらくね、ご覧になった方はわかると思いますけども、終盤、あの入管の面会室でお父さんが語る、故郷の「あの木」なんですよね。つまり、この木を見るだけで、その扱いを見るだけで、彼がこの日本の地を、新しい故郷として……ここにも故郷があるんだ、ということで住もうとしていたし、文字通り「根を下ろす」つもりだった、ということが、端的に示されているというわけですね。すごいですね、こことかね。さりげないけど深いし、ぐっと来ますね。

あるいはですね、日本社会のその、旧態依然とした「ガイジン」観が、はしなくも露呈する、数々の「よくある」場面、っていうことですよね。実は自身の出自を偽っているサーリャの、その話題に対する入り混じった感情の表現みたいなもの。本当にこういう時、嵐さんは、なんていうのかな、そこに順応してしまってる自分もいいのかな、と思うけど……みたいな逡巡が、本当に見事ですよね。で、その日本人の「ガイジン」観がはしなくも露呈する、よくある場面っていうならば、やっぱり一番キツいのは、あのコンビニで話しかけてくる女性の、徹底した悪気のなさ。ゆえの、主人公が味わう絶望感。

これは我々自身も正直、ああいうモードの時って、ありましたしね。我々自身の無神経さ、無知さと、向き合うことになるくだりですよね。そして、その日本的「ガイジン」観が、よりによって……奥平大兼さんのですね、彼が非常に醸す、好ましいシャイさ、慎み深さと相まって、これはとてもキュートで美しい、あの「挨拶としてのキス」というシーン。これと、日本人的な、さっきから言っている「ガイジン」観が、最低最悪の伏線回収となり、浮上する、本作で最もキツい、あのカラオケのシーン。

この一連のくだりは、難民・移民問題、外国人差別のみならず、経済的不利を負わされた女性に、性的搾取をすることがまるで当然の権利のように思っている、男性中心主義的なというかなんというか……な、この社会のセクシズムというのを、端的に象徴している場面でもありましたね。ちなみにここ、あの『恋人たち』などでもおなじみ、池田良さんがもう、うますぎて、キツい! 「スーハーすんな!」みたいな(笑)。で、同様にですね、最悪、つまり最高の演技という意味では、あの役所の人、あれを演じる田村健太郎さんですか。あの、内心「面倒くさいな。俺に言われてもな」って話を切り上げようとしている感じ……完全にこれ、原一男監督の『水俣曼荼羅』に出てくる、あのお役人、現実のお役人たちと、完全に重なる表情でした。

そしてやはりあの、在留資格カードね。あれに、パチンパチンと穴を開けてく。もうシステムの暴力性っていうか、暴力的なシステムであることというか、それを体現しているような、あそこも本当にすごいものがありました。ちなみにですね、これ、働いちゃダメ、でも特に補償もなし、っていう、どうしてこんな理不尽が……「じゃあ、どうやって暮らせっていうんだ?」と思うけど、これ、勘ぐっちゃうのは、そういう違法状態にしておいた方が、扱いやすい、みたいな……とか、あとは金もかからないし、みたいな。なんかそういうことだったりするんじゃないの?って勘ぐっちゃうぐらい、めちゃくちゃな、もちろん人道に反しまくった仕組みだ、という風に本当に思わざるを得ない。

日本の恥ずかしいところを描く映画だけど、こういう映画が作れるうちはまだ日本もギリ大丈夫

キャスト陣のね、見事さ。他にもいっぱい挙げたいけども。先ほどのメールにもあった通り、藤井隆さん演じるコンビニ店長とか、あとは聡太のお母さんの池脇千鶴さんであるとかっていう、要はその、基本善意の人たちではある。けども、所詮は他人事としての一線は越えない、ある意味我々含め大多数の日本人の姿。「決して悪意があるわけではない」という、このバランスが逆に、我々に何事かを突きつけてくる、という形だと思います。はい。

それに対して、奥平大兼さん演じる若者の、やっぱりフラットさ、慎み深さ、そして迷いながらも「ちゃんと模索する」という……手探りを続ける、手は伸ばし続けるその誠実さ、ここに新世代への、かすかな希望が託されている。ちなみにここ、二人が、公共物にですね、あるいわゆる「ヴァンダリズム」行為をします。もちろん現実では、(標語読み上げ風に)「落書きは犯罪です!」。しかし、理不尽な現実に対する、軽やかな異議申し立てとして……そのためにこそ、このようなフィクションであったり、アートであったり、表現もある、ということを、もう鮮やかに浮かび上がらせる、見事なくだりでもありました。

一方で、クルド社会の、それこそ家父長的な体質みたいなものに対する違和感、というようなものも描かれていて。そのバランスも見事なもんだと思います。非常に画作りとかも素敵で……ああ、もう時間がどんどんなくなってきた! ということで、日本の恥ずかしいところを描く映画だけど、こういう映画が作れるうちはまだ日本もギリ大丈夫、という言い方はできるかと思います。日本の移民政策云々、あるいはその報道とか見る時に対しても、考え方が根本から変わるような、たしかに必見の、しかしエンタメとしても、青春映画、家族映画としても、非常に上質な一本でした。ぜひぜひ劇場でウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 現在は宇多丸が強制的に1万円を払ってガチャを2度回すキャンペーン中 [ ※貯まったお金はウクライナ支援に寄付します ]。一つ目のガチャは『犬王』、そして二つ目のガチャは『シン・ウルトラマン』。よって来週の課題映画は『シン・ウルトラマン』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

◆過去の宇多丸映画評書き起こしは

こちらから!

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