宇多丸『カモン カモン』を語る!【映画評書き起こし 2022.5.13放送】

アフター6ジャンクション

TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。          

オンエア音声はこちら↓

宇多丸:                    
さあ、ここからは私、宇多丸が、ランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する、週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのは、日本では4月22日から劇場公開されているこの作品、『カモン カモン』

(曲が流れる)

2019年の『ジョーカー』で第92回アカデミー主演男優賞に輝いたホアキン・フェニックスが主演を務める、モノクロのヒューマンドラマ。ニューヨークに暮らすラジオジャーナリストのジョニーは、妹に頼まれ、ロサンゼルスで、9歳の甥・ジェシーの面倒を数日間みることになる。初めはギクシャクしていた二人だったが、対話を重ねていく中でお互いに心を開いていく……あ、そうそう、順撮りでね、撮ってるんですよね、これ。順撮りで撮ってるから、二人の緊張関係とそれがだんだん解けていく感じみたいなものを、自然に、そういうところでもね、空気として醸されているのもあったみたいですね。

もう一人の主人公ジェシーを演じたのは、今作の演技で様々な映画賞を受賞した、新星ウッディ・ノーマンさん。監督・脚本は『20センチュリー・ウーマン』『人生はビギナーズ』などのマイク・ミルズが務めました。

ということで、この『カモン カモン』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)を、メールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「やや少なめ」。ちょっとね、公開から時間が経ってるっていうのもあるんですかね。

賛否の比率は、「褒め」の人がおよそ7割。主な褒める点は、「リアルなドキュメンタリーのようでもあり、寓話のようでもあり。優しく、いつまでも心に残る映画だった」「白黒の映像も美しい」「ジェシーを演じたウッディ・ノーマンくん、天才なのでは?」などがございました。

一方、ダメだったという方の意見は、「ストーリーに起伏がなく、退屈だった」。たしかにあんまりね、何かが起こるというタイプの映画じゃないから。「ジェシーがわがままな子供すぎて、話に乗れなかった」などがございました。ただこれ、劇中で……先ほどもね、金曜パートナーの山本(匠晃)さんとも話しましたけど、一見その、わがままとか突飛な行動に見えるものも、彼なりのメッセージなんだよ、っていうことは、お母さんのセリフを借りて、同時に作者のメッセージとしても語られていたと思いますし。丁度ね、漫画『ピーナッツ』の作者のチャールズ・M・シュルツさんの話をこの間、NHKの番組でやっていて。シュルツさんの発言で、「子供の言うことというのは、よく聞いてみれば大人の言うことと本質的には何も変わらない」みたいなことをおっしゃってて。だからまあ、単に「わがまま」って取っちゃうのは、ちょっとこの映画、もったいないかな、という気もしますけどね。

■「観客に秩序を意識させない、気の置けない友人と語り合ったような気分にさせてくれる良作

ということで、代表的なところをご紹介しましょう。まず褒めている方。ラジオネーム「コーラ・シェイカー」さん。

「反発を経て、仲良くなる二人の物語。ではあるのですが、この作品を直線的に語るのは、この作品の印象にそぐわないような気がします。驚いたのは、ジェシー役のウディ・ノーマンの演技のすばらしさ。街の音のような、“定形をとらないもの”の豊かさ・魅力を見事に体現した演技だと思いました。マイク・ミルズ監督は、子供の魅力を引き出すうまさでいうと、しまおまほさんに並ぶのではないでしょうか」。まさに(しまおさんの近刊)『コドモNOW!』的な、というところもありますよ。

「白黒の画面も、観客に意味を押し付けない心地よさがあり、街の性格や登場人物の性質、それらの関係性を決めつけない、本作の登場人物に対する寛容な眼差しにつながっていると思います。また、人が関わり合いながら、自覚ないままに変化していく本作のストーリーにもマッチしていると思います。秩序だった配色は押しつけがましいものでもあるのだな、と逆説的に気づかされました。大人の影響をもろにうけ、真似をすることで学んでいくジェシーとは違い、ジョニーやヴィヴは大人であり、しっかりした形であることを求められる存在ですが、その実、子供に比べたら安定している程度。しっかりした形をしている“振り”に長けた程度の存在です。そのような大人の姿を、本作は適度な距離を保ちながらも、愛情深くうつしているように思います。それを思うと、終盤のインタビューに出てきた、妹を守るために幼いながらもアイデンティティーを確立せざるをえなかったお兄ちゃんの話は、なかなかつらいものがあります」。これ、本当の、実在の子供たちにここはインタビューをしている。本当にドキュメンタリーパートですね。「高度にデザインされているのでしょうが、観客に秩序を意識させない、気の置けない友人と語り合ったような気分にさせてくれる良作でした」というコーラ・シェイカーさん。

一方、ダメだったという方。「とっくん」さん。

「まるでドキュメンタリー映画の様でした。実際に住んでる場所で子供たちを撮影した事、そしてホアキン・フェニックスとウディ・ノーマン、その他の皆さんの演技がリアリティに溢れていて素晴らしく、監督もリアリティを追求した結果だと思います。ただ、ドキュメンタリーの様に撮っていて、大きなドラマが無いからこそ、中盤までにかけては少し退屈してしまい、眠りそうになってしまう場面が少々ありました。自分も1歳の子供がいますが、大きなドラマは無い、小さなドラマの積み重ねだからこそ、日常生活に近い子育ての大変さ、葛藤が描かれていると思います。しかし、もう一歩、中盤から後半にかけての、何か映画を動かす事件、ジェシーの本音をぶつけるシーンなど、もう一歩深まる何かがあれば良かったなぁと、物足りなさを感じてしまいました。しかし、心温まる繊細で素晴らしい映画でした」という。まあ、全体としては褒めてらっしゃるというね、とっくんさんでございます。

ということで、皆さんメール、ありがとうございました。

■自分の実人生を反映したホームドラマを撮り続けているマイク・ミルズ監督

私も『カモン カモン』、TOHOシネマズ日比谷で2回、見てまいりました。これね、日比谷の中でも小さめのスクリーンではあったんだけど、平日昼の回、そして公開3週経っていることを考えると、老若男女問わず、僕が見た回は、かなり入ってるなという感じがしましたけどね。そして、先週に引き続き言わせていただきますと、劇場で販売されてるパンフレット。またまた大島依提亜デザインのですね、これ、装丁も内容も美しい、手元にずっと置いておきたくなるような一冊で。お値段1000円と少々張りますが、余裕のある方にはぜひおすすめしたいあたりでございます。

ということで、脚本・監督のマイク・ミルズさん。『人生はビギナーズ』とかね、『20センチュリー・ウーマン』など、寡作ながら、あまり作品は多くないながら、高い評価を得てきた方でございます。なおかつ、あのミランダ・ジュライのパートナーでもある、ということでね。なんとイケてるインテリ夫婦か! ということですけども。今回の『カモン カモン』もですね、これは2022年2月7日に映画ライター村山章さんにおすすめいただいた、奥さん、ミランダ・ジュライの2020年の監督作『さよなら、私のロンリー』と、プロデューサーと編集の方が重なっていたりします。はい。

まあ、とにかくそのマイク・ミルズさん。僕のコーナーでガチャなりサイコロなりが当たるのはこれが初めてなので、ざっくりその作家性的なものを説明しておくならば……少なくとも、長編劇映画の4本。2005年の『サムサッカー』……これ、「親指しゃぶり」っていうことですね。2010年の『人生はビギナーズ』。2016年の『20センチュリー・ウーマン』。そしてこの2021年の『カモン カモン』と、全てが「家族」を巡る物語。それも、多分にご自身の実人生も反映されたホームドラマ、というかね。それが一貫している。

■家族の中にある「他者性」を丸ごと受け止め、それを優しく、余白を残しつつ描く

それぞれの家族に、独立した個人としての、言ってみればその「他者性」を再発見して……たとえば今回の『カモン カモン』でも出てきますけど、親は子供に、ちょっとコントロールできないような、理解不能な面を見て、困惑したり右往左往したり、とか。一方、子供は親に、「母」とか「父」とかいう固定的な役割の中の枠に収まらない、一人の苦悩する、独立した人間としての姿を見出す、というような……しかもその、家族の中の他者性というもののですね、その割りきれなさ、わかりきれなさとか、理解しきれなさ、というのをですね、これ、たとえばその「家族という地獄」モノとか「家族という牢獄」モノみたいにですね、ネガティブに描く、というのだって、方向としてはあるんだけど、(本作は)全くそうではなくて。

戸惑いながらもそれを丸ごと受け止め、肯定しようとする……「普通」なんてものはないし、そもそも世界というのはそのように混沌としたもの、だから面白い!のだから、そのまま受け止めて前に進むしかないじゃん?というような、明るさとか優しさに満ちているのが、マイク・ミルズのここまで撮ってきた「家族映画」の特徴と言えるかと思います。その、「普通なんてないんだ。世界の混沌を混沌のまま受け止めて進んでいこうよ」というような、そのマクロからミクロを優しく照射するようなこの視線はですね、劇映画じゃなくて、2007年に日本で撮ったドキュメンタリー『マイク・ミルズのうつの話』というこの作品とも通底するもの、と言えるかもしれませんね。

で、そういうテーマを、今回の『カモン カモン』も含めですね……たとえばね、「読み聞かせ」の場面がちょいちょい、マイク・ミルズさんの映画では出てくるんですね。読み聞かせの場面、そんな形で、書物からの引用が結構多くあったりとか。あと、まるで意識の流れを、映画ならではの手法を使って、編集のテクニックを使って表現したような、時系列がわりとふわふわと前後するような作りであるとか。あとは、『20センチュリー・ウーマン』で一旦極に達した、非常にカラフルな絵作り。今まではすごいカラフルな絵作りをしているんですね。美術とかも含めて、結構意図的に色をあちこちに配するような絵作りを、実は今まではしてきた。

ということで、要はわりと手数多めでポップに、でもやっぱり、言ってみれば「文学的」な余白ですね、アート映画的な……なんていうか、こちらが「能動的に読む」必要があるという、(音楽ライターの)小室敬幸さんも(以前番組でおっしゃっていたように)「アートとエンタメの差はそこにある」、というかね。こちらが能動的に読む余白も充分に残しながら、語ってみせる、という。概ねマイク・ミルズさんは、そんな感じの映画作家である、ということが僕なりの言い方で言えば言えるかと思います。

■天才性を発揮するウッディ・ノーマン。お父さん役のスクート・マクネイリーも素晴らしい!

ということで、『人生はビギナーズ』という作品で自分のお父さんの話。そして『20センチュリー・ウーマン』で、自分のお母さんの話をやった後……これ、究極の親孝行じゃね?って。(向かいに座っているッディレクターの)簑和田くん、笑っちゃってますけども(笑)。ねえ。そうなんですよ。そんな究極の親孝行をした後は、この『カモン カモン』、やはりですね、彼自身もお子さんを育てているという経験からインスパイアされて製作された作品、ってことなんですけど。

ただ、ここでやはりですね、その「普通」の父子関係とか、「普通」の家族像を、無条件の善きこととして提示するようなですね、要は単に「子供はいいよォ、子育てはいいよォ、子供を持つのはいいよォ」みたいな、そういう無神経な作品をマイク・ミルズさんが作るわけも、当然なくてですね。本作のやはり大きなインスパイア元のひとつでもあるという、ヴィム・ヴェンダースの『都会のアリス』という作品、1973年かな、あるいは同じ年かな、ピーター・ボグダノヴィッチの『ペーパー・ムーン』とかもありますけども、そういうのと同様、直接の親子関係ではない大人と子供……『カモン カモン』の場合はだからおじさんと甥っ子という、ロードムービーになってるわけですね。

これ、ちなみにその9歳の甥っ子・ジェシーを演じるウッディ・ノーマンさん。驚くべきことにですね、誰もが「本当にこういう子なんだな」って思うじゃん? 「ドキュメンタリー的にそういう子を撮ったんだな」って思うじゃん?……あの子、本当はイギリス人なので、全編アメリカなまりを「演じてる」んですって。「えっ? 知ってはいたけども……やっぱり全部演技!?」みたいな(笑)。あと、すごくでもアドリブを自由にやらせたりして、それをさらにホアキン・フェニックスが自由に受ける、みたいなやり方もとったみたいで。そのアドリブ力とかも含めて、彼の天才性というのが、本作の魅力の大きな、大部分を占めているというのも確かかな、とも思います。ウッディ・ノーマンさん。

ということで、そのジェシーがいるんだけど、これ、いわゆるその「普通の」父子関係を描く気はもうサラサラないという意味では、そのお父さんはどうやら、双極性障害で、現状は彼を養うことはちょっとできないような状態だと。これですね、このお父さんというのは、基本的には人々の回想みたいなものの中にしか出てこない、編集でふっと浮かび上がるようにしか出てこないんですけど、このお父さん役、スクート・マクネイリー、良かったですね!

スクート・マクネイリーさんは、『モンスターズ』……あのギャレス・エドワーズが『GODZILLA ゴジラ』に抜擢されるきっかけともなった『モンスターズ』、そして『バットマン vs スーパーマン』、そしてやはり何より、我々忘れがたい、『アフターマス』という、これはシュワルツェネッガーとの共演。2017年9月30日に私、評しましたけど。それなんかでも発揮されていた、このスクート・マクネイリーさんならではの、繊細さと裏腹の危うい不安定さ、みたいなもの。わずかな出番だけど、本当に印象に残る名演でしたね。特に、ジェシーくんが思い浮かべる「楽しかったお父さん」っていう姿とかもう、あれだけで泣けてくるあたり。本当にスクート・マクネイリーさん、素晴らしい役者さんだと思います。

■「自由な大人としてのおじさん」モノではなく、子供を通じてオトナが学び成長していく話だった

あとですね、ギャビー・ホフマンさんが演じる、そのジェシーのお母さんであるヴィヴという……夫のためにこちらのお母さんも、全くやっぱり余裕がない状態になっている、という。で、ここでですね、要はこのヴィヴをはじめですね、「お母さん」「母」というものに負わされた過大な役割とか、そのすごく不公平な構造であるとかっていうのを、これは日本語訳が出てない本なんですが、ジャクリーン・ローズさんという方の、日本語訳をすると『母たち:愛と残酷さに関するエッセイ』みたいなことかな、『Mothers: An Essay on Love and Cruelty』という本の引用で、示すんですね。

あるいはその、さっき言ったお父さんが双極性障害だよっていうのも同様のやり方で、本の引用で間接的にそれを語っていく、という。いかにもこれはマイク・ミルズらしい手法だし、やっぱり上手いあたりかなと思いますよね。

そんなこんなでですね、甥っ子のジェシーを一時預かることになったホアキン・フェニックス演じるおじさん、ジョニーというのがある。これ、ラジオの仕事で子供なしという意味では、僕もちょっと重なるところがある立場かもしれませんけど。ただこれもですね、僕、最初は、たとえばジャック・タチの『ぼくの伯父さん』とか、北杜夫の『ぼくのおじさん』とか……大好きですけどね。

そして、それらにインスパイアを受けたRHYMESTERの楽曲『モノンクル』みたいな路線の(笑)、要は親ではないからこそ、ある種ちょっと無責任な立場ゆえに、甥っ子・姪っ子と独自の関係性を築いている「自由な大人としてのおじさん」モノ、みたいなのがあるわけですよ。で、僕も、今回の『カモン カモン』、話だけ聞いたらそういう話かなと思ったんですね。そしたらでも、実はそっちでもなくてですね。むしろ……多くの親御さんが体感されてきたことだと思います。子育てをしてきた親御さんが体感されてきたことだと思うけども。

子供を通じて、大人側こそが、世界とか人生を再発見していく。世界や人生に対する、新たな、あるいはより本質的な接し方みたいなものを、大人こそが子供を通して学び直して成長していく、という。そういう観点の話でしたね、これはね。

ゆえに、たとえば最初は変な意地もあるのか、お母さんのたぶん介護を巡っていろいろ行き違いがあったことで気まずくなっていた、お兄さんと妹。ジェシーとヴィヴも、その、子供にどう接するか、というのを話し合っていくのを通じて、「じゃあそう言ってる自分たちは何なんだ?」っていうのを見つめ直して、関係を再構築していく、という。そういう視点の話なわけです。

■実は冒頭で口にされている結論──「もっと周囲を丁寧によく見て、耳を傾けることが大事なんだ」

つまり、単純にこれ、親と子の情愛とか、そういう話じゃなくて。大人と子供……つまりそれは「現在と未来」でもあるわけですけど、そういう、より射程が長く、広く、深い話なわけです、これは。なので、決して血縁関係としての親と子の何かみたいな、あるいはその子育てそのものを直接してるかどうかじゃなくて、大人である以上は……子供に対する社会の責任とか、そういうのを全て負ってるわけで。それ全体を示すような話になっている、っていうことですね。

これね、冒頭から示される通り、ジョニーは、アメリカ各地を回って、子供や若者たちに、大人について、自分について、世界について、未来についてどう思うか、というインタビューを録音する仕事してるわけです。これは完全に『しまおまほのおしえてコドモNOW!』ですよね(笑)。見事な仕事!というね。日本で言えばしまおまほの役、という。で、ここでこれ、本作全体の編集の巧みさの部分と言っていいんですけども……これ、ジェニファー・ベッキアレッロさんという方ですかね、この方の編集が非常に見事なのもあると思うんですけれども。最初に早くも、ある種の「結論」をですね、インタビューされてる子の一人が、実ははっきり口にしていたりもするんですね。

覚えてますか、皆さんね。女の子ですけど。「もっと周囲を丁寧によく見て、耳を傾けることが大事なんだ。それはもっと大きな、全ての問題に繋がることなんだ」ってことを言ってるわけですね。ここが、これがまさしく、その人のありのまま、人生のありのまま、世界のありのままをまずは謙虚に受け止める……見て、ちゃんと受け止めて、聞くこと。そういうミクロな視点や態度が、より大きな、マクロな「問題」にも繋がっていくんだよ……という、マイク・ミルズ作品に通底するテーマそのものを、もう最初、映画の初めの方で、インタビューされてる子が言ってたりする。

あとはある種、本作『カモン カモン』で、主人公ジョニーが最終的にたどり着く結論のようなもの、ともイコールではあるわけですね。ちゃんと耳を傾けることが必要だった、ってことに気づくわけです。そもそもタイトルの『カモン カモン』……これ、ウッディ・ノーマンくんの声で『カモン カモン』って言われると、それだけでちょっと、涙腺を刺激されるものがあるんだけど。この『カモン カモン』っていうのも、文脈から言うと、要はその世界とか人生の混沌を、もうそれは来るんだから。それを受け止めて進んでいくしかないんだよ、っていう、『カモン カモン』っていうタイトルなわけですよね。

「ありふれたものを永遠にするって、クールだろ?」

で、事程左様にですね、本作は一見、非常に散文的な語り口なんですね。時制も、ちょっとふっと、さっき言ったようにふわふわ前後したりするし。なんだけど、実は観客が迷子になりすぎないようにですね。なりすぎないように──多少はあえて迷子にしてると思うんだけど(笑)──なりすぎないように、主にやはり編集的な親切設計、というのが施されておりまして。たとえば、ニューヨークに移動したところでですね、ジョニー、おじさんが、甥っ子ジェシーに、「なんで僕が録音するのが好きか、わかる?」みたいな説明をするところ。「お前、聞く気ねえだろ?(笑)」みたいなことをやるくだりがありますけど。

そこでジョニーはこんなことを言います。「ありふれたものを永遠にするって、クールだろ? 面白いしさ」って言いますよね。これがまさにですね、本作があえてモノクロ作品として撮られていることから醸されるニュアンス……これ、白黒ヨーロピアンビスタというですね、アメリカンビスタよりさらに……だから『ナイトメア・アリー』とかよりもさらにちょっと、横が短いんですよね。これ、まさしくさっき言ったヴィム・ヴェンダースの『都会のアリス』の、正式仕様なんですよ。一回ビデオ化された時はそのサイズじゃなかったんだけど、リマスターされた時にちゃんとこのヨーロピアンビスタになっていた。白黒のヨーロピアンビスタサイズ。これが醸すニュアンスであるとか。

あるいは、少なくとも表面上そこまで劇的なことが起こっているわけではない場面で……あの、空港に送られるタクシーの中で、ジェシーが「うんちしたい」という風にぐずり出すところとか、心の落ち着かせ方をジェシーがジョニーに教えてあげるとか。そういう一見何気ないところに、そのさっきから言っているドビュッシーの「月の光」が、ものすごく美しくドラマティックに流されたりすることから醸される、このニュアンスとか……すなわち、こういうことですよね。なんてことないこの一瞬一瞬も、いずれは過去になり、歴史の一部になる、という。その予感が常にそこに流れてる、ということなんですね。これの白黒であったり、音楽の使い方みたいなものは。

そういう、この映画の作りそのもの、その意図みたいなことを、さっき言った「なんで録音をするか?」「ありふれたものを永遠にする」っていうこと……今そこにあるものを永遠にする、っていう、これをジョニーの口を借りて、代弁させたりするわけです。だから、その映画の作り全体の説明もしてくれたりするわけです。

■「忘れられる側」と「忘れる側」、両面から見てグッと来る。と同時に、大人の責任も思い起こさせる

こんな感じでですね、要所要所で挟まれる、アメリカ各地の、その土地土地の風土とか歴史を否応なく背負った、子供たちのインタビュー。やっぱりそこはかとなく、それぞれ言うことが……たとえばニューオーリンズであればハリケーン・カトリーナの被害であるとかっていうのが、実は傷跡として残ってたりするわけですけど。

その子供たちのインタビュー、そして当然そのジェシーの存在っていうね。本当にいる子供たちとそのジェシーの存在は、ひたすら未来に向かって、輝かしいですよね。そして愛おしいですよね。「なんて素敵な子たちなんだろう」と思うけど、それもすぐに、いずれは過去となり、忘却の彼方に消えていく宿命。その予感が、切なく全体を支配している作品でもあるわけですよね。これまた冒頭部分。ジョニーの質問の中に、「何を忘れ、何を忘れないのか」っていう、これも入ってるわけです。

そして作品全体もまた、「何を忘れて、何を忘れないのか」という問いで、幕を閉じるじゃないですか。ここがまたグッと胸をつかむところですよね。これ、ジョニーを含めた大人目線からすれば、要はその、「忘れられる側」の切なさですよね。たとえば子育てしている、お子さんがいる方でも、一番いい時のいろんなことみたいなことを、子供は覚えてなかったりするし。ましてね、たまに会うおじさんのことなんか、何も覚えてなかったりしますよ。僕で言えばたとえば、ねえ、小島慶子さんのところのあのお子さんたちとか、あんなにね、愉快なおじさんとして(笑)、足元に「もう離さないぞ!」という勢いでじゃれついてくれていた彼らがね、もうしばらく会ってないし、もう覚えてないだろうな、みたいなこととかさ。もちろん、そういうのが強烈に想起させられもするし。

同時に逆サイド、僕個人は同時にですね、ちょうどジェシーくんぐらいの年頃の頃、9歳ぐらいの時、両親共働きだったので、事実上のちょっと子守兼家庭教師っていうかな、家庭教師なんだけど半分子守みたいな感じで、僕の面倒を見てくれた何人かの家庭教師のお兄さんたちがいるんだけど。で、そのお兄さんたち、やっぱり僕、めちゃくちゃ懐いて。お兄さんができたから。で、いろんなことを話したり、あと、旅行に連れてってもらったりしたわけですよ。

なんだけど、正直、ジョニーが言う通り、「旅行に行ったな、ってことぐらいしか覚えてない」という……つまり、自分自身の失われた記憶、失われたイノセンスみたいなことも改めて思い出させる。両面からグッと来るところがあるわけですよね。かつて子供だった自分、みたいな。

だから、かつて我々もこれほどに素晴らしい存在だったのか、っていう風に思わせる、あの子供たちの眩しさみたいなものが(ある)、と同時に、たとえばね、これは全編白黒の映画なんだけど、エンドロールで一ヶ所だけ、色がつきます。唯一カラーになるところがある。それは、ある子供に捧げられてるんです。レヴァンテ・ブライアントくんという子供に捧げられています。これは、ニューオリンズに場面が移ったところで、あの刺青をしてるっていう子ですね。あのタトゥーをしている子。あの子が、ちょっと要するに、銃の流れ弾に当たってしまって。あの人はもう既に亡くなってしまった、ということなんですね。その彼の、奪われた未来っていうのを思うと……で、そこだけやっぱり色をつけて捧げる、というその重みというか、悔しさというか。みたいなところも含めてですね、これはやっぱりその、問いとしてはデカいですよ。子供にとって、要するにそのたとえば銃社会のことでもいいし、暴力がはびこる世界、子供の未来を奪うような世の中とか社会は、我々の責任ですよね。っていうことを、やっぱり思い起こさせるような作りでもあったりする。

■小さいけど、射程は広く深く長い。マイク・ミルズ監督、ここまでの最高傑作!

他にもですね、改めて各俳優陣の最高レベルの演技。これに関してはもう言うまでもなく、でございます。ウッディ・ノーマンさんのその、自然さとコントロールの技術の高さみたいなものもすごいし。あと、ホアキン・フェニックス。「受け」の芝居もこんなにうまいか! 本当に一級品。細かいところだけど、あの、ちょっと焦った時に、自然に物にぶつかるんですよ。こういうのとか、「あれ、演技なんだよね?」みたいな感じ。あと、もうひとつ細かいところだけど……これ、単純に演出の部分ですけど、ジョニーとジェシーが最後、お別れするところ。実にあっさりした場面。「じゃあね」「またね」って感じで、車に乗る場面なんだけど。

その向こう側の建物に、「BYE BUY」って……だからちょっとかけてる感じのふざけた言葉なんだけども、「BYE BUY」っていうグラフィティが見え隠れしたりして。これは当然、意図的に映り込ませてると思うんで。そういう、なかなか油断ならない画面作りなんかもしてますね。ということで、マイク・ミルズ作品の中でもですね、これまでの手法とかテーマ、先ほどから言ってるように集大成でもありつつ、できるだけそのタイトに……手数がすごい多い人だったんで。その手数はちょっと減らして、ミニマムにまとめてムダをなくしたという意味で、ネクストレベルな……だから、非常に巧みでよくできているんだけど、一見起伏があんまないように見える、ってところが逆にネクストレベルかな、というかね。そういう感じがします。

僕ははっきり言って、マイク・ミルズさんの、ここまでのところでは最高傑作だな、という風に思ったりします。ものすごく淡いけど、ちゃんと味わっていけば味わい深いし。ものすごく小さいけど、さっきから言っているように射程はものすごく広く深く長い、という作品でございます。たぶん、皆さんの思っている方向とはちょっと違う方向で、「いい映画」なんだと思います。でも、人が集まってるのはこれ、すごくいいことかなと思いますんでね。ぜひぜひ劇場で……白黒画面、堪能する意味でも、ぜひぜひ劇場でウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 現在は宇多丸が強制的に1万円を払ってガチャを2度回すキャンペーン中 [ 貯まったお金はウクライナ支援のために寄付します ] 一つ目のガチャは『メイド・イン・バングラデシュ』、そして二つ目のガチャは『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』。よって来週の課題映画は『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

◆過去の宇多丸映画評書き起こしは

こちらから!

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