宇多丸『TITANE チタン』を語る!【映画評書き起こし 2022.5.6放送】

アフター6ジャンクション

TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。          

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宇多丸:                   
さあ、ここからは私、宇多丸が、ランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する、週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのは、日本では4月1日から劇場公開されているこの作品、『TITANE チタン』

(曲が流れる)

『RAW 少女のめざめ』で世界に衝撃を与えたジュリア・デュクルノー監督、長編二作目。幼少時に交通事故に遭い、頭にチタンプレートを埋め込まれたアレクシアは、それ以来、車に対して異常なほどの執着心を抱くようになっていく。成長し、ダンサーになった彼女は、取り返しのつかない罪を犯す。そして逃亡生活の末、息子が行方不明で孤独な中年男性、ヴァンサンに出会う。

主人公のアレクシアを演じたのは、映画初主演のアガト・ルセルさん。ヴァンサン役は、フランスのベテラン俳優ヴァンサン・ランドンが演じた。第74回カンヌ国際映画祭で最高賞のパルムドールに輝いた、というね……審査委員長なのかな、スパイク・リーが、発表の順番を間違えちゃって。最初にパルムドールをうっかりバラしちゃうという、大変な、ちょっと失態というか、ドタバタもありましたよね。

ということで、この『TITANE チタン』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)を、メールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「多い」。ああ、そうですか。注目度が高いんですね。賛否の比率は、「褒め」の人がおよそ7割。主な褒める意見は、「すさまじい映画。痛くてグロい。だが最後まで目が離せない」「ホラー映画のように見せかけて、女性があらゆる制約から解き放たれて解放されていく映画だった」などがございました。特に女性観客からは、「感動した」「オールタイム・ベスト級」などの声も目立ちました。

一方、ダメだったという方の意見は、「主人公の意図がわからず、何を伝えたい映画なのか理解できなかった」。その一方、「描きたいことはわかる。が、痛い描写や性描写が多すぎて無理」などもありました。

■「冒頭の展開からは想像できないほどのヒューマンドラマでした」

代表的なところをご紹介しましょう。「えいぷら」さん。23歳学生の方。

「今回の『TITAN』、現時点で今年ベスト!! オールタイムベスト級に私の心に刺さりました! 冒頭、父親とのドライブシーンから、異性親子2人の関係性が妙にリアルでした。愛して欲しいアレクシア。愛しているが、表現できず、触れられない父親。事故によってチタンを埋められ、金具をつけられたアレクシアは、まるで茨の冠を被ったイエス・キリストのようでした。

成長したアレクシアが、簪(かんざし)で殺人を犯すシーンが印象的。しかし、意外にも2人しか簪で殺していません。簪は女性を表すのと同時に、男性器の象徴として、彼女に性的な関係を迫る男女2人に襲いかかっているようでした。まるでクローネンバーグ監督作『ラビッド』を彷彿とさせました。

そして、老いを恐れ、愛したい男ヴァンサンが登場。ヴァンサン・ランドンの絶妙な表情は見事。懸垂ができず暴れるシーン、切なさと狂気が入り混じっていて個人的に好きです。男と女の両性、有生物と無生物の両生として変化していくアレクシア。赤の他人ながらも、歩み寄っていく両者。冒頭の展開からは想像できないほどのヒューマンドラマでした。

ラスト。アレクシアがやっと自由になれたのだと思いました。愛を知ることによって出産し、生まれ変わる。次の世代へ託している、という感想をどこかで見ました。しかし、あれは既存の“アレクシア”という体を持った生物から、解放されたのだと思います。今まで色々なものに縛られ続けていた彼女が、新たに生まれ変わった。そんな物語だと感じました。ここで私の中の何かが救われた気がします」というえいぷらさんとかですね。

あとはマリコさん。「史上ベストだったからこそ、生まれて初めてラジオにメールを寄せます。私達は、頭で認識していても妊娠速度や老いをコントロール出来ません。そんな身体性を巧みに切り取り、一方通行にしか生きられない私達が、“私達らしく在る”とは何なのか、尊むべきモノとは何なのかを描き切り、異物化した少女があらゆる典型や関係性を破壊し、衰弱しつつある老父が全部丸ごと受け入れて行き着く最後は、神々しさを覚えました」というようなご意見があったりとか。他の方もですね、「生涯ベスト」という風に書かれている方、特に女性の感想が、本当に多かったです。ありがとうございます。

一方、ダメだった方もご紹介しましょう。「モツモツ」さん。「とても際どいショッキングな作品なのは確かですが、個人的にはイマイチでした。自分には主人公の動機が曖昧に感じられて、終始感情移入できませんでした。序盤で事件を起こす描写から、彼女がどう思って行動しているのかちんぷんかんぷん。ゴア的な描写や新手のセックスシーン、擬似家族的な描写はよかったのですが、物語の本筋でもある主人公が何をしたいのか、何を求めているのか全く分からずモヤモヤしっぱなしでした。確かにそういう作品で面白いものもたくもありますが、今作は“生”と“性”を描いている作品だと思いますので、主人公の根っこの部分は肝心です。パルムドール受賞作と聞いて期待していた分、少し残念です」というようなご意見もございました。

■脚本・監督をつとめたジュリア・デュクルノーさんの一貫した作家性=「ボディホラー」

ということで『TITANE チタン』、私もヒューマントラスト有楽町で、2回見てまいりました。さっきも(番組オープニングで)言ったように、後ろの列にいたおじさんが結構声を出す人で、要所の「笑える」描写にいちいちしっかり笑うのはいいとして、痛そうなシーンになると、「おおう、おおう……」と、いちいち悶えるのが本当に面白くて(笑)。最高の映画体験でした。ちなみに劇場に関連したことで言いますと、やはりパンフレットですね。劇場で売られてるパンフレット、もうキレッキレのデザイン。誰かなと思ったら、我らが大島依提亜さん! そして中山隼人さんによる、ぶっ飛んだデザインも素晴らしい。

中身の記事もですね、ページ数のわりには非常に充実していると思います。映画監督・小林真里さんによるキーワード解説とか、宇野維正さんによる音楽解説……これ、ジュリア・デュクルノー監督、音楽使いがすごくセンスよかったりするんで。このあたりはぜひパンフを買って、宇野さんの解説なんかを見ていただきたいです。おすすめのパンフでございます。

ともあれ、これ、奇しくも先週の『ハッチングー孵化ー』と同じく、デヴィッド・クローネンバーグの影響を強く受けたヨーロッパの女性の新鋭監督の作品、というところ、ある意味通じますよね。どちらも、肉体のグロテスクな変容と、その新たな生物、もしくは新たな人間の誕生までを描く、という。ただし、作品としてのアプローチとかあり方は、むしろ『ハッチング』とは対照的で。先週の『ハッチング』は、言ってみればアート映画的なテーマをとことんジャンル映画的な、ある種俗っぽい語り口で語ってみせる、という作品だったのに対して、本作『TITANE チタン』は、もちろんね、カンヌ映画祭でパルムドール、最高賞を取ってるぐらいですから、作りとしては完全にアート映画のそれですよね。ホラーとかのジャンル映画的に扱ってもおかしくない題材を、アート映画的に語っている。『ハッチング』とは逆のアプローチをしている、という言い方もできるかと思います。

ということで、今回はとにかくですね、脚本・監督のジュリア・デュクルノーさんという方の名前、しっかり覚えて帰ってね、といったところですね。ジェーン・カンピオン以来のね、女性監督としてはカンヌのパルムドール……しかもジェーン・カンピオンは、チェン・カイコーと同時受賞だったので。単独受賞としては初めて、ということみたいですけど。この方、ジュリア・デュクルノーさん、『燃ゆる女の肖像』のセリーヌ・シアマさんなどとも同じ、ラ・フェミス(La Fémis)という、国立高等映像音響芸術学校の脚本科卒業ということで。まあ、エリートですね。

で、先週のね、フィンランドのハンナ・ベルイホルムさんもそうでしたけど、まず注目されて高く評価された短編があって、それがもう既に、完全にその一貫した作家性のようなものを、本当に明白に示してもいる、という。ジュリア・デュクルノーさんの場合はですね、特にそれが顕著で。2011年の21分の短編で『Junior』というのがあります。これ、YouTubeで簡単に見られるんで、ぜひ皆さん、見てください。『Junior』。主演もですね、続く長編デビュー作『RAW 少女のめざめ』(2016年)……金曜パートナーの山本匠晃さん大好物の『RAW』、そして今回の『TITANE チタン』にも同じ「ジュスティーヌ」という名前のキャラクターで出演している、ギャランス・マリリエさんという方だったんですね。その短編の主演もね。

で、女性のその心身の変化・成長というのを、ジャンルで言えばやっぱりその、クローネンバーグなどとも直結する「ボディホラー」と言われるジャンル。ボディホラー的な、つまり特殊メイクなどを駆使して、一種その異様な肉体、および精神の変容、なんならそれを、虫の「変態」……「虫が変態していく」っていう時の、体の様子が変わっていく「変態」のプロセスとしてショッキングに描いてみせる、というジュリア・デュクルノーさんの、その後も非常に一貫した、明らかな作家性。既にこの2011年の短編『Junior』でもう、完全に確立されてます。見れば一目瞭然です。

ちなみにこの『Junior』はですね、まだその、少年みたいに見える主人公なんです。最初は。性的にほとんどまだ未分化にも見えるような少女が、女性に変化していく。それをボディホラー的に描いていく、という話なんですけども。で、続くその長編デビュー作、同じくその「ジュスティーヌ」役のギャランス・マリリエさん主演で、山本匠晃さんも愛してやまない2016年の『RAW 少女のめざめ』は、少女がさらに性的に覚醒していく、大人になって脱皮していく過程での話ですよね。

■デュクルノー監督の作家性にさらに加わった「ふたつの新要素」とは

で、さらに今回の『TITANE チタン』は、今度は妊娠の話なわけです。つまり、女性のその成長のプロセス……その短編とその『RAW』と今回の『TITANE チタン』で、だんだんだんだん、大人になるに従って、それぞれのフェーズの女性のその身体的、もしくは精神的変化・変容、というのをテーマにしている、ということで。明らかにその、ひとつの連続した流れとして、フィルモグラフィーを構築しているようなフシも見られる、ということで。これ、パンフレットで小林真里さんも指摘されている通り、『RAW』と『TITANE チタン』、あえて相似形を描くように作られてるところも、わざわざあったりするわけで。そういう意味では、このジュリア・デュクルノーさんという作家の全貌のようなものは、まだまだこれから明らかになっていくかもしれない。

たとえばこの『TITANE チタン』っていうものの作品的位置付けも、後から作品が増えてくるに従って、「ああ、あれってこういう位置づけだよね」っていうのが、さらに広がっていく可能性もあるかもしれないという。だから、まだまだ油断できない作家ですね。ちなみにこのジュリア・デュクルノーさん、この間にですね、早くもやっぱりアメリカから声がかかって。M・ナイト・シャマラン製作総指揮のドラマ『サーヴァント ターナー家の子守』。AppleTV+で見られますけども、そのシーズン2の1話目、2話目の監督にも抜擢されています。

でですね、これを見ると、たとえば1話目の『人形』っていうエピソードとかは、これ、トビー・ケベルさんが演じる役柄がですね、自分で手を焼くんですね。で、その火傷の手のひらにできた水ぶくれを、ブチュブチュッてつぶす、という。これは男性ではあるけれども、やっぱりどこか自傷行為的でもあるボディホラー、特殊メイク駆使のボディホラー的なグロ描写があったりして。まあこれを見ると、「もう……作家性!」って思いますよね(笑)。「こういうのが、好きなんですね!」っていう感じだと思います。

いずれにしても今回の『TITANE チタン』はですね、これまで言ってきたように、その女性主人公の心身の変容というのをボディホラー的に描く。それによって──もちろんいろんな受け取り方ができるんですけど──それによって、たとえば女性の肉体とか性のあり方に対する、一般社会的な通念を、もうグイグイ揺さぶってくる、みたいな。そういう『Junior』から『RAW』と一貫したテーマの、ある意味、最新発展型であるという。これは間違いないわけです。『TITANE チタン』はね。

と、同時にですね、今回の『TITANE チタン』は、そこに加えてさらに、二つの大きな要素が加わっていると僕は思っていて。ひとつは、ギリシャ神話とか聖書の要素を重ね合わせていること。つまりその、神話的に語っているということで、寓話としてのスケールとか射程を広げている、という点ですね。これがまずひとつ、大きい。あともうひとつは、先ほど言ったようなその、女性のあり方に対する社会的通念への挑発的な揺さぶり、みたいなものが、もちろんメインテーマとしてずっと来てるわけですけど、それの対象物として、今回の『TITANE チタン』は、男らしさ、男性性、あるいは家父長制という幻想というものをですね、主にそのヴァンサン・ランドンさん演じるキャラクターや、彼が率いる「男らしい」消防団員たちなどを通じて、それを批評的に置いてるわけです。置き方として。

そのことによって、言ってみればそのジュリア・デュクルノー作品にずっと通底していたある種のフェミニズム性みたいなところ、そのメッセージ性が、より鋭く浮かび上がる作りになっている。この二点が大きい。この二点において、たしかに『RAW』からさらに作家として、大きくステップアップした一作にもなっている、ということだと思います。

■冒頭で示される機能不全に陥った家族たち。それがラストで対になる

ちょっと順を追っていきますけど。まず、冒頭ですね。ド頭、アバンタイトルのところ。タイトルが出る前のところ。自動車の内部の機構をですね、まるでその内臓のような生物感とともにフェティッシュに映し出していく、オープニングクレジットがありますね。まずここがもうね、「キテんな、この映画!」っていう感じがする(笑)。もちろん、デヴィッド・クローネンバーグの『クラッシュ』とか、そういう自動車みたいなものをフェティッシュに捉えた作品の系譜だし。もっと言えば、それの大元ですね。そのマシンに対する一種性的なフェティシズムというのの、元祖中の元祖、ケネス・アンガーの『スコピオ・ライジング』という1963年の実験映画、短編がありますけど、もう『スコピオ・ライジング』的なものも、これ(本作のオープニングクレジット)は直接的に想起させつつ。で、車中のその、娘と父親の姿があるわけですね。そこから交通事故が起きて、その娘、主人公のアレクシアは、頭蓋骨に手術でチタンを埋め込まれることになるわけですけど。

ポイントは、このお父さんはやっぱり、最初から娘とのコミュニケーションが、あんまりうまく取れてない、っていう感じがしますよね。で、取る気もなさそうに見える、っていうか。話しかけるんじゃなくて、音楽のボリュームを上げることで黙らせようとしたりとか……そもそもあんまり上手くいってる家族に見えないっていうか。で、事故もですね、明らかにこれはお父さんのせいなんですけど、起きているのは。なんか、その詫びるとか後悔するとかすまながる様子もなく……なんか、ますます娘に対して心を閉ざすばかりの人に見えるわけですよね。

一方でこれ、お母さんの存在感が異常に希薄なんですよね。娘があんな事故に遭っているのに、お母さんが泣き叫ぶだの何だのとか、お父さんを責めるとか、そういう描写もない。お母さんの存在が非常に希薄。ロクに顔も映らないという感じ。要はハナからちょっと機能不全に陥ってるというか、なんかあんまりコミュニケーションを取れているように見えない家族、というのが最初に示される。で、その代わりと言わんばかりに、幼いアレクシアは、車そのものにベターッと……本来だったらお母さんに抱きついたり、お父さんに抱きついたりしそうなものを、車に抱きつく、というそのアレクシアの姿。それが最初の方で示される。で、それはもちろん、ラストと対になっていますね。ラストで誕生・成立する新たな「家族」のかたち、新たな父と子のかたち、新たな愛のかたち、というのと、実は対になっている、っていうのが、このオープニングだという風に思います。

ガンガン人を殺していく女性シリアルキラーが主人公。しかし、ただの快楽殺人に見えないバランスがポイント

ともあれですね、頭にチタンを埋め込まれたこのアレクシア。この頭の傷跡がですね、これは監督曰く、あえて思いっきり(H・R・)ギーガーっぽくしました、っていう。ちょっとあえてグロテスクな感じにしてますよね。で、そもそもこの「チタン」という言葉。元はもちろんギリシャ神話の「タイタン」なわけですね。タイタン族なわけです。タイタンズ。タイタンズっていうのは、ガイアとウラヌスの子っていうので、要は神々のハイブリッドなわけですよ。

なので、そのチタンというのもハイブリッド金属だし……肉と鉄のハイブリッドみたいなね、新たなその生命とか、新たな人間のかたちみたいなものを示すっていうのは、先ほどから言っているH・R・ギーガーとかクローネンバーグ、これはもう監督自身影響を認めています、ギーガーとかクローネンバーグ、そしてもちろん塚本晋也監督『鉄男』的な、そういう存在・思想がベースになっているのは間違いないな、という風に思います。

でですね、そんなアレクシア。タイトルを挟んで、成人した姿。で、ここがまた面白い。モーターショー的なところでダンサーをしている。で、まあまあ人気がある人らしい、みたいになってるんですけど。ここ、まずですね、非常に流れるようなカメラワークで、ずっと歩くアレクシアの姿を追いながら、物語上必要な情報やニュアンスをムダなくカメラを時々左右に振りながら入れ込んでいき、それで最後、カメラがバッて行くともう、アレクシアが踊りだすところになっている……というこのカメラワークも含めた、ストーリーテリングの巧みな手際。これは『RAW』でも発揮されていた、ジュリア・デュクルノー監督、本当に十八番の技ですね。この、流れるようなカメラワークで見せていくのが、本当に上手いですし。

あと、ここはやっぱりその、「車の上でセクシャルなダンスをしている女を眺める男たち」という、ある種非常にわかりやすすぎると言ってもいいようなジェンダー的な図式からですね、あえて始める……つまり、言ってみれば「ワナ」ですよね。オープニングでそういうところから始める、ワナめいた作りっていうのも、ちょっとワクワクさせられるし。で、そこからですね、アガト・ルセルさん……あんまりその既存の色がついていない感じの新人を選んだ、っていうことですけども、アガト・ルセルさん演じるアレクシア。

はっきり言っちゃえば、ガンガン人を殺してくわけです。で、これはそもそも、女性のシリアルキラーキャラクターを描く、ということ自体がもう、ジュリア・デュクルノーさん、ひとつの意図だったと言ってますね。要するにその、男性のシリアルキラーキャラクターっていうのはいくらでも出てくるし、それでサイコパスで……なんていうのはいるけども、女性がガンガン殺してゆく、みたいなのはあんまりないし。それ自体がひとつ、居心地の悪さというか、男性のシリアルキラー以上になんか、こう挑発してくるものがある、というかね。なんでそう感じるのかを観客側にも問うてきますよね。それはね。

で、ガンガン人を殺してくんですね。なので、主人公として感情移入が困難なタイプだっていうのも、これは監督監督自身も認めてるところなわけです。なんだけど、これが面白いのはやっぱり、ただ快楽殺人をしているだけの人にも見えないあたりがポイントで。たとえば、彼女がいつ殺人をしだすのか?っていうと、やっぱり無遠慮に性的な距離を詰めてくる対象へのやり返し、であったりとか。あるいはその、やっぱりそれこそ『RAW』を思わせる、性衝動と暴力がこの人の中では無意識にもうシンクロしちゃってるんだな、みたいな……どうにもなんないんだな、みたいな感じのやつだったりとか。

あるいは、その後ですね、まさに『悪魔のいけにえ』を思わせる超ダークなコメディ感が漂い出す、「仕方なく」の連続殺人……『悪魔のいけにえ』でもありますよね? 「えっ、なんで今日に限ってこんなに人、来るの?」みたいな(笑)。そういう、ちょっと黒い笑いがあるようなくだりもあったりとか。あるいは先ほど言ったように、機能不全の親子関係、わけても父親に対する、彼女なりの決別宣言なのであろう、というところであったりとか。要はその、アレクシアなりの、何らかのやむにやまれなさの連鎖でもあるな、っていうバランス感が、一応あるので。と、やはりですね、このジュリア・デュクルノーさん得意の、痛覚描写ですね。

特に、自傷的行為の描写。もしくはその、アレクシアが疲れてる、みたいなところとか……とにかくその、主人公の肉体感覚の生々しさみたいなものがですね、否応なく観客を、シンクロさせちゃいますよね。いくら感情移入できなくても、「痛そう」とか「つらそう」とか「疲れている」とか、身体感覚にはシンクロしちゃう、っていう。そういう効果もあると思います。

■影響を受けたのは、ヒッチコック監督の『サイコ』、ではなく『めまい』

ともあれそんなこんなで、指名手配犯になったアレクシアが、今度、後半では、ガラリとその物語のトーンが変わって。子供を失った父親であるヴァンサンというキャラクターのもとに、息子を偽って身を寄せることになるわけですね。

これは皆さん、だから前半のバイオレントなイメージで、バイオレントな映画って思うかもしれないけども、後半は実は、まあもちろん自傷行為めいたものはありますけども、後半は実は全然彼女、暴力を振るってないですから、っていうね。むしろ暴力的なのは、周りにいる男性たちですね……暴力の匂いをさせているのは。で、この中盤、ガラリとシフトチェンジする構成はこれ、ジュリア・デュクルノーさん曰く、ヒッチコックの影響、特に、誰もが連想するのは『サイコ』だろうけど、今回はどっちかっていうと私は『めまい』の影響だ、って言ってるわけです。

これはテーマ的に、たしかに!と思いました。つまり、「失われた理想像を、目の前にいる別人にまとわせようとすることでしか生き続けられない」、つまり「幻想しか愛せない男」の話、という意味で、なるほどこれは『めまい』的な話だ、という風に思います。さすがデュクルノーさん、そのあたりもね、的確だと思います。

■後半のテーマは「男らしさの幻想」と「妊娠ホラー」。ただし後味は意外と……?

ともあれこの後半、「愛を乞う人」同士二人の孤独な魂が、危うく交差し、そして近づいていく、という話になっていく。この後半のポイントはやはり、先ほども言った通り、そのヴァンサンという人たちが体現する、「男らしさ」の幻想、その脆さ。たとえばこのヴァンサンという人、お尻にステロイドを打ち続けながら、なんというか肉体を保っているわけです。この「おしりにステロイドを打ち続けながら肉体を保っている」感じ……最近、モンドとノーチラスのところでダブルネームのオリジナルポスターが出た、2011年のベルギー映画、日本タイトル『闇を生きる男』、『BULLHEAD』という映画がありまして。私、これをすごく直接的に連想しました。つまり、痛々しいまでに「男らしさ」にしがみつき続ける主人公の姿、というところで、完全にこれ、『闇を生きる男』が重なるなと思いました。デュクルノー監督、意識してるのかどうかわかりませんけどね。ベルギー作品だから、見ていてもおかしくないと思いますけどね……とか。

あとあの、ホモソーシャル集団の極みのような、消防団員たちのモッシュダンス大会ね。あれが、一気にテンション下がるあのくだり(笑)。まあ、おかしくもあり……やっぱりその、内心彼らもその「男らしさ」というのが、ひとつのロール、演技でしかないことをわかっている、というか。いかに脆いものか、っていうか。そんなことなんですかね。あそこの気まずさの解釈はいろいろしてもいいかもしれませんけども、あそこも非常におかしくも、興味深いくだりですよね。まずそういう、「男らしさ」の幻想というところがひとつ、後半のキーになってくる。

あともうひとつはやはり、アレクシアの、どんどん大きくなる、どうやら中身は金属製のお腹、という。単純にあの、「バレてる? 大丈夫?」みたいなサスペンスが楽しいのもあるし……特にあの、ヴァンサンの元奥さんとのやりとりですね。あそこの、スリリングさと、その奥さんのなんていうか……奥さんの見切りの鋭さというか。あそこも非常に面白い場面ですね。ちなみにですね、こういう「妊娠をテーマとしたホラー」っていうのも、脈々と一応、系譜はありまして。『ローズマリーの赤ちゃん』とか『マニトウ』とか、クローネンバーグでも『ザ・ブルード』とか、『ザ・フライ』もそうですね。いろいろあるんだけど、ただ本作『TITANE チタン』の結論はですね、そのこれまでの妊娠ホラーのどれとも違い、言っちゃえば──クローネンバーグもそのケはちょっとあるけど──言っちゃえば、これ以上ないほどポジティブなんですよね。これ以上ないほどストレート、直球。こういう家族が、こういう愛が、こういう生き方があっても、いいじゃないか……それが唯一の居場所なのならば、みたいな。そういうストレートな着地になっていく。

なので、端的に言うとですね、意外と後味は悪くないです! っていうか、むしろそれを、すごくハッピーエンド、という風に取る人がいっぱいいてもおかしくないですし。前半のなんかこう、人死にの度合いであるとか、グロ描写というか、痛覚描写のエグさに対して、後味はすごくストレートで。逆に言えば、『RAW』のラスト的な、なんていうかな、「ええっ?」みたいな、最後の最後で地獄の底に叩き落とされるような、なんていうのかな、引っかかりというか、ひねりみたいなものは、希薄なので。はい。ということは言えると思います。

■挑発的進化を見せた本作を最大限に評価したカンヌ、やっぱすごいな!

端的にとにかく、すごく思うのは、この『TITANE チタン』、長編二作目にしてこれだけのステップアップをしたそのジュリア・デュクルノーさんの、ある意味その「挑発的進化」というのをですね、この段階で全面的に最大限に評価してみせるカンヌって、やっぱすごいな!とか思ったりしますよね。これ、アメリカの映画界ではまずやっぱり、あり得ないことだと思いますし。何よりやっぱり、僕はそのアートというのは、特にアートというのは、価値を揺さぶってナンボ、というところがあると思いますので。

にもかかわらず、とても普遍的な、先ほどからその「生涯ベスト」っておっしゃられる特に女性の方が多い通り、普遍的な魂の解放の物語にもなっているあたり、さすがだと思うし。ジュリア・デュクルノー監督、ここからさらにどういうフィルモグラフィーを重ねて、どういうところまで行っちゃうのか、というのがすごく楽しみになりました。ちょっと時代を目撃するという意味でも、これはやっぱりリアルタイムで、劇場で見る他ないのではないでしょうか? ぜひぜひ劇場でウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 現在、ウクライナ支援の募金のため、強制的に宇多丸が1万円を自腹で支払いガチャを2度回すキャンペーン中 ※しかるべき機関へ寄付します。一つ目のガチャは『死刑に至る病』、そして二つ目のガチャは『カモン カモン』。よって来週の課題映画は『カモン カモン』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

◆過去の宇多丸映画評書き起こしは

こちらから!

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