映画で学ぶ「ろう文化」ラジオ特集・文字起こし【前編】

アフター6ジャンクション

TBSラジオ「アフター6ジャンクション」で、夜8時から毎日お送りしているのが特集コーナー「ビヨンド・ザ・カルチャー」。 「聞けば世界がちょっと変わるといいな!」をモットーに毎週50分、さまざまなトピックをゲストと共に掘り下げていきます。 

2022年4月19日(火)の特集は「映画で学ぶ<ろう文化>特集」。「東京国際ろう映画祭」の主催者で、映像作家の牧原依里(まきはら・えり)さんをお招きし、映画『ドライブ・マイ・カー』での手話描写やろう文化が学べる映画について伺いました。  こちらの記事は、その全文書き起こしの【前編】となります。(【後編】はこちら

(音声はこちらから↓)

個目前回の特集「映画とろう者特集」の書き起こしはこちら(前編後編

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宇多丸 4月19日火曜日、時刻は午後8時を過ぎました。TBSラジオをキーステーションにお送りしている「アフター6ジャンクション」。パーソナリティのラップグループ「RHYMESTER」の宇多丸です.

宇垣 火曜パートナーの宇垣美里です。ここからは、「聞けば世界の見え方がちょっと変わるといいな!」な特集コーナー、「ビヨンド・ザ・カルチャー」。

宇多丸 今夜の特集は、こちらです……「映画で学ぶ<ろう文化>特集」。今年のアメリカ・アカデミー賞で作品賞を受賞した映画『コーダ あいのうた』。また、同じくアカデミー賞で国際長編映画賞を受賞した濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』などなど、手話を映画の中で見かける機会、増えてますよね。マーベルの映画『エターナルズ』とかもね。あれだけの大作ながら、ろう者のヒーローが普通にいるっていうね。そして、それに伴い、ろう文化への関心も世界的に高まっているそうです。そこで今夜は、ろう文化とは何か? さらに、日本映画の中で描かれるろう文化について、今後どうしていくべきか、みたいな提案も含めて、詳しくお話を伺っていきます。 
 お話を伺うのは、東京国際同映画祭の主催者で、映画作家でもある牧原依里(まきはらえり)さんです。どうもよろしくします!

牧原 こんにちは! お久しぶりです。

宇多丸 牧原さんの言葉は今回、手話通訳の蓮池通子(はすいけみちこ)さんと瀧澤亜紀(たきざわあき)さんのおふたりが担当します。よろしくお願いします。

蓮池・瀧澤 よろしくお願いします。

宇多丸 牧原さんが手話で喋ったことをキャッチして音声にする蓮池さんと、僕が言ったことを日本手話に置き換えるという瀧澤さんと、このふたつの要素があるわけですもんね。よろしくお願いします。ではまず、牧原さんのご紹介から、お願いします。

宇垣 牧原依里さんは、ろう者のスタッフが映画をセレクトする「東京国際ろう映画祭」の代表で、映画作家。2016年、「ろう者の音楽」をテーマにした映画『LISTEN』を共同監督。当番組には、2019年の5月、第2回・東京国際ろう映画祭のお話で初出演。そして今年の2月15日の火曜日、「映画とろう者」特集では、同じく東京国際ろう映画祭スタッフの湯山洋子さんとともに出演されました。

宇多丸 ということで、実はこの「映画と<ろう者>」という企画そのものは、火曜パートナー宇垣美里さんが発案したんですよね。でも前回はコロナに感染してしまったため、やむなくお休みということで、非常に残念がっておりました。代役は駒田健吾さんに務めてもらいましたけど。あらためて、宇垣さんがこの特集を思いついたのはなぜですか?

宇垣 『エターナルズ』という映画がすごく好きだった、というのもあるんですけど。もちろん『コーダ あいのうた』もそうですし、アメリカ映画の中で、ろう者の方、特に手話が出てくる映画ってすごく最近よく見るなと思って。しかも、そのろう者が、何だろう……私が思っていた、昔の「障害に苦しんでる」という描写ではもはやない。それを超えて、単にひとつの特徴として「手話を使っているろう者である」というだけで描かれてることがすごく多くて。それが素敵だと思ったし、何よりも手話ってめちゃくちゃ素敵!って思ったんですね。なので、でも何でアメリカの作品にこんなにたくさんろう者が出てくるんだろう? 日本の作品ではそんなに見ないのにな、というふうに思ったことがあって。それをきっかけに、どうしてこれだけアメリカの作品でろう者の出演が増えてきているのか、それを特集したいなと思いました。

宇多丸 ということでございます。まず、この時点で牧原さん、いかがですか。

牧原 確かにそうですね。最近、ろう者を取り上げたもの、また、手話に関連したものが本当に、特にアメリカですごく流行っているなというのはあります。ろう者というのをPRするということも入ってるんではないかなと思うんです。日本でも今まだ少ないですけれども、これからだんだん増えていくんじゃないかな、これが時代なのかな、と思っているんですが、そのあたりはちょっと楽しみにしているところはあります。

宇多丸 そしてですね、前回の特集だったんですけど、我々もめちゃめちゃこれ、なかなか目からウロコなとこがあって。例えばアメリカ・アカデミー賞作品賞をとった『コーダ あいのうた』。いい映画だと思うんですけど、ろう者の役にろう者の俳優、つまり当事者を起用したのはすごい良かった、トロイ・コッツァーさんも素晴らしかった。けど、娘さんのね、CODA役──ろう者の親を持つ子供ね──も、であればCODAの当事者がやるべきだった。要するに、彼女の手話だけはちょっとやっぱり拙かった、ということでしたよね。

牧原 そうですね。アカデミー賞をとったことは本当にすごいなって思って、単純に嬉しかったんですけれども。でもちょっと作品賞は合わないんじゃないかなというふうに思う気持ちもあるんですね。でもろう者としては、作品賞をとったことがきっかけで、映画界に進出しやすい、そういう後押しになったことっていうのは非常に嬉しく思っています。

宇多丸 間違いない。特にやっぱり「当事者キャスティングが大事なんだ」っていう意識は今回、決定的に広がりましたよね。

牧原 そうですね。はい、確かにそう思います。

宇多丸 あと前回、お話を伺った中では、アメリカの映画界でろう者の当事者キャスティングが可能になったのは、ルー・ファントさんという方が様々な下地を作ってきた、と。また、環境が法律や学校で整備されて、どんどんろう者の人が活動しやすい、俳優としても安心して現場にも行けるし、学べるし、という環境が整ってきたことなどがある、というね。そういうお話を伺いました。こちらの内容については、番組ホームページに文字起こしが掲載されてますので、あと今日の放送の文字起こしも後日掲載する予定なので、ぜひまわりにろうの方いるリスナーさんはぜひ、こういうのがあるよと教えてあげていただけると嬉しいかなと思います。 
 さて、牧原さん。最近映画を通じて、ろう文化への関心、世界的に高まっているというふうに思われますか?

牧原 そうですね。ただ、ろう文化というものの意味ですね、そこをもう少し改めて考えなければいけないかな、と思います。ろう文化というのは確かに手話も含んでるんですけれども、「ろう者とは何なのか」「手話とは何なのか」というところも含めて考えたいと思うんですね。で、Netflixの中には、ろう者の集まる大学、ギャローデッド大学の生活を撮ったドキュメンタリーというのもあるんですね(編註:『ろう者たちのキャンパスライフ』)。また、ちょっとろう文化と離れるところなんですが、マイノリティという立場から、マイノリティとは何なのか、メタファーとして描く場合もあります。例えば『白い牛のバラッド』という映画があるんですが、差別や抑圧の中でろう者が扱われている、というのがあります。ただ、先ほど宇垣さんが『エターナルズ』が大好きだというふうにおっしゃったと思うんですけども、あれはどちらかというと、ひとりの人として、ひとりのキャラクターとしてろう者が選ばれている、なので、ろう文化としてというのではないかな、というふうには思いいます。

宇垣 はい、確かに。

宇多丸 実際でも、『エターナルズ』以降、アメリカ手話ですかね、それを習いたいという人が増えたとか?

牧原 そうですね。本当に驚きました。250%増えたという話なんですね。

宇多丸・宇垣 えー!

宇多丸 すごい流行しているというような、でもこれをブームに終わらせず行きたいとこですけども。ということで、今回の特集を始めるにあたり、ちょっとろう文化にまつわるいろんな用語について、前回同様ちょっと先に解説しておきましょう。

宇垣 まずは、「ろう者」。これは「手話で話す人々、また耳が聞こえない人々」。それをろう者と言います。以前は「ろうあ(聾唖)者」というような言葉を使われていましたが、今はあまり使われず、ろう者という言葉が一般的であるかな、ということでした。続いて、私たち、いわゆる「聴者」。これは「聴こえる者」と書き、耳が聴こえる人のことです。「健聴者」という言い方もありますが、これも今はあまり使われません。「聴者」という言葉を使いましょう。そして、「CODA(コーダ)」。『コーダ あいのうた』にも出てきますが、「C.O.D.A」で、「Children of Deaf Adults」の頭文字を取って「CODA(コーダ)」と呼ばれます。意味は、「聞こえない親を持つ、聞こえる子供」。これは、片親だけがろう者の場合も当てはまるということです。そして、先ほどから出てきています、「日本手話」。これはですね、日本のろう者のコミュニティで自然発生した、彼らの中でのネイティブな言語というものです。独自の文法を持つ、独立したひとつの言語です。日本語とは文法が異なり、手だけではなく、表情や空間の使い方なども言語の要素として使用する視覚言語ですね。

宇多丸 そしてここがね、誤解を招きやすいとうか、ちょっとややこしいところですけど、日本手話とは別に「日本語対応手話」というのがあって。これは日本語、僕らが今喋ってるこの言葉を手の動きに置き換えたというもので、日本手話とはまた別のものなんですね。というあたりをご理解いただければ。これ、牧原さんの方から今の説明になにか補足ありますか。

牧原 そうですね。今のご説明で合っています。手話は世界共通だというような認識もあるんですが、実際は違うんですね。アメリカの場合は「ASL(American Sign Language)」で、アメリカ手話の中にも、この対応手話に当たるものがあります。映画『コーダ あいのうた』ではASLを使っていました。日本手話と同じような、アメリカの独特の手話ですね。そういう違いがあるということも知っておいていただきたいなと思っています。

宇多丸 これ、僕はやっぱり「日本語対応手話」と「日本手話」、「アメリカ英語対応手話」と「アメリカ手話」っていうのがある。その違いが何か、はっきり理解されていないところに結構深い問題がある気がしてて。要は、(手話は)ジェスチャーみたいなもんだ。って思ってる人が多い。そう思うんですね。悲しいかな。それが大きな誤解だし、失礼な事態をいろいろ生んでいる気がするんですけど、どうでしょう。

牧原 そうですね。おっしゃる通りです。あとでまた説明をしたいと思うんですが、手話の中にもいろいろと文法があるんですね。音声言語にはないもの、視覚言語だからこそある文法というのがあるんです。顔、の動きを使ったものがあるんですね。たとえば表情には、感情だけではない文法の動きというものが含まれています。他にも「CL」とか「ロールシフト」とかっていうのを話していくと、時間がどんどんなくなってしまいますけれども(笑)。そういうものが含まれているんですね。そういうところを含めて話して行きたいなというふうに思っています。

宇多丸 はい。

美里 なんとなく多分、手話って聞いたときに、「世界に一つだけの花」であったじゃないですか。あの曲の振りみたいな、それが手話だと思ってる方が多いのかなと個人的に感じていて。なので、手話のことを身体表現とかパフォーマンスっていうふうにおっしゃってる方がいたときには、すごく違うなって思っていて。言語であり、手の動きだけではない、表情とか、そういうのがあっての手話なんだよ、っていうことをもっと知ってもらえたら、そこがすごく魅力なのになって個人的には思っています。

宇多丸 まさにまさに。はい。ではお知らせのあと、牧原さらに詳しくお話伺っていきます。よろしくお願いします!

(CM)

■前半「『ドライブ・マイ・カー』に登場する手話について」

美里 時刻は夜8時13分。生放送でお送りしています「アフター6ジャンクション」。

宇多丸 今夜は「映画で学ぶろう文化」についてお送りしております。ゲストは、東京国際ろう映画祭の代表で、映画作家でもある、牧原依里さんです。よろしくお願いします。

牧原 お願いいたします。

宇多丸 ではまず、最近の話題から聞いてきたいと思います。アメリカ・アカデミー賞で国際長編映画賞を受賞した、濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』。濱口監督は昨年8月にこの番組に御出演して頂いて、お話も伺いました。こちらの作品には、失語症のため、韓国手話でセリフを喋るという訳者イ・ユンさんというキャラクターが登場します。演じているのは、聴者の俳優さんであるパク・ユリムさんです。 
 ということで、今日は『ドライブ・マイ・カー』。様々な作品評価の仕方ある作品だと思いますが、特にこの作品の手話描写について、牧原さんやろうコミュニティの皆さんの意見を伺ってみたいと思います。牧原さん、『ドライブ・マイ・カー』、率直にいかがでしたか。

牧原 そうですね。ツイッターを見ると、「これ手話なの?」っていう人たちがいましたね。それで、ちょっと驚いてしまったという人がいますよね。

宇多丸 映画に登場しているのは韓国の手話なんですか?

牧原 韓国の手話です。私は日本手話です。ですので違いがあるんですけれども、やはり日本は以前韓国にね、進出というか攻め込んでいたところなので、基本的にそのときに韓国に日本手話が入ってるんですね。なので、ちょっとベースが似てるんです。少し言語的に似ているところ、同じところがあるんですね。全てではないんですけれども、大方見ていて把握できるというような手話なんですね。

宇多丸 へえ! その視点で見ても、ちょっと違和感あったと?

牧原 はい、そうですね。声のない役者さん、でも演じてるのは、聴こえる人ですね。聴者なんですよね。なので、やっぱり、「ちょっとな」と思うところがあります。たまたま濱口監督のインタビューを見ていて、ちょっと私もキレかけてしまったところがあるんですけれども(笑)、濱口監督は京都の聴覚障害者、ろう者ですね、ろう者が集まる手話関係の映画祭に参加されていたようで(編註「さがの映像祭」)、そこで手話を初めて見て感動されたというお話を聞いたんですね。手話を言語だという感銘を受けて、そこから映画に取り入れたいというような流れになったというふうに伺っています。 
 それでオーディションをした際に、その韓国手話をきっちり出してやってもらえばよかったんだろうと思うんですけど、そうじゃなくて、何でもいいので適当に何かやってみてくださいみたいなことをオーディションで言い、そこで表されたものに感動したっていうふうにおっしゃっていたのが、非常にちょっとショックだったということがあります。

宇多丸 これ、言ってみれば、例えば英語を喋るキャラクターがいたとして、(オーディションで)「何か英語っぽい感じで喋ってもらえます?」ということを言って、なんかいい感じの英語っぽさなんで「いいですね!」みたいな。そんなようなぐらいですもんね。

牧原 そうなんです、そうなんです。なので、手話を取り入れようとしたきっかけが言語だと思って感動したというところがあったのに、そういうオーディションだった、ということが非常にショックだったんですよね。これは文化の盗用なのか? と思ったりもしたりしました。

宇多丸 そこはだから、本当は当事者キャスティングできてればもちろん一番良かったし、ちょっと発想の仕方が、やっぱりさっき宇垣さんがおっしゃった、(手話)ちょっとパフォーマンス的に捉え、あくまでなんていうかな、聴者が見て、こっちのための「美」というか……。

美里 ある種ダンスのように感じているのか? という。

宇多丸 そこさえあればいいんだっていうふうに、やっぱちょっと取れちゃう話でもありますもんね。

牧原 そうなんですね。手話がわからない人が見れば、綺麗でいいな、感動する、という人はいるらしいんですけれども。でも私が見ると、やはり手話は言語なんですね。言語として見るんですよ。パフォーマンスとしては見ていない。なので、聴者が美しいと感じるのと、ろう者が美しいと感じるのは、また別ですね。なので、そこの見方の違いっていうのをどうしたらいいのかな、というふうに思います。私があの映画で観た手話は、美しくなかったんですね。それを美しくないと感じるのは、やはりこれは手話じゃないから美しくないんだ、っていうところを、聞こえる人たちもわかってほしいと思っています。 
 また、その歴史も理解する必要があると思うんですね。手話の歴史には今まで、「聞こえる人が喋っている日本語に音を当てて、しかもその手振りとか身振りを真似てやってる」という……「手真似」ってふうに言われたんですね。それが1960年代にウィリアム・ストーキーという人が、「これはきちんとした言語だ」ということを論文で発表してから、ようやく手話は言語だというふうに認められて、そういう研究が始まっているという流れがあります。先ほど言ったように、手話には文法が含まれます。本当に様々な文法があるんです。顔の表情の動きは、「NMM」というんですけれども。手話だと手だけが動くというふうなイメージを持ってる方、たくさんいらっしゃると思うんですね。実際は手だけではなくて顔や体の動き全て含めて言語になってるんですね。

宇多丸 「NMM」、Non Manual Markers。

牧原 はい。難しい言葉ですけど、そうですね。

宇多丸 それ全体、トータルで手話なんだから、ということですよね。

牧原 はいそうです。

宇多丸 これ、『ドライブ・マイ・カー』の中だと、どっちかっていうと全体の演技テンションに合わせて、ということもあって、わりと手話の部分も無表情にやられたとこ、あると思いますけど、そこもじゃあ、手話のあり方としては違和感がある感じだったでしょうか?

牧原 そうですね。NMMが入ってないんですね。映画の中に出てくる手話には。本当に何もないので、私自身、見ていて、「これ、何を言いたいんだろう、なんだろう?」というふうになってしまった。手話自体がもう壊れてしまってる状況なんですね。なので、聴こえる人たちの場合には、表情は「感情を表すもの」だと思うと思うんですけれども、手話では感情と文法を表すので、そのふたつが入ってるんですよね。だから感情を除いてくださいって言われたら、ろう者はそれができるんです。文法的なものだけを残して感情を省いたものができるんです。でも、聴こえる人たちから見ると、感情と両方一緒になってるから、この表情はなんだろう? と、やっぱりわからなくなってしまうんですよね。今の説明でお2人に伝わってるのか、すごく心配なんですけども。

宇垣 私が見たときは、アメリカの手話をずっと映画で見てきてたので、「そうか、韓国の人は手だけで手話をするのか」(と思ってしまった)。アメリカの映画を見ていて、もっと口を「パッ」とする動きであるとか、顔を揺らすであるとか、そういったもので表現すると思っていたので。なので、韓国の手話って違うんだなって感じたんですけど、それがそもそもと違っていたってことですよね。そういう勘違いを生むんじゃないかなと思いました。

牧原 NMMはどの国の手話にもあるんです。国が違っても。今から私、ちょっと表現しますので、日本手話の例なんですけど。今、NMMを使った例をふたつお出ししますので、おふたり、ちょっと見ててくださいね。いいですか……「佐藤さんですか?」っていうのと(と牧原さんが手の動きと表情で表現)、「佐藤さんはどこ?」(同じく手と表情で表現。首の動きが異なる)。……いま、ふたつ違うものをやったんですが、判断できますか? これ。

宇多丸 ……いや、ちょっとよくわからない。

牧原 もう1回やりますね。まずひとつめは、(手話をしながら)「佐藤さんですか?」。次は、「佐藤さん、どこ?」。

宇多丸 ああ~……なるほど。ちょっと質問のニュアンスが違うってことでしょうか。

牧原 そうなんです、そうなんです。で、手だけは同じなんですね。

宇多丸 うん。でも、表情のちょっとした……。

牧原 ひとつ目は「イエス/ノー疑問」といって、イエスかノーかで答えられる。で、ふたつ目の質問の時は、首を横に振ってるんですね。1個目は、イエス/ノーで、はい/いいえで答えられる。ふたつ目は、「どこにいますか?」なので、意味が違うんですね。単語は同じなんですけど、首の動きが違う。

宇多丸 佐藤さんを巡る質問の、なんていうかな、質問の種類みたいなものを、顔で表わしていたわけですね、

牧原 そうですそうです。なので、手の形は一緒だったんです。でも顔の動きが違ったことで、意味が全然異なってくる。

宇多丸 佐藤さんを巡る質問の、「イエス/ノー」で答えられる、「これは佐藤さんなのか?」という質問と、「佐藤さんはどこにいるのか?」という質問とに、分岐してるわけですね、表情でね。

牧原 はいそうです。なので、それを聴こえる人、聴者が判断するっていうのは、やはりかなりトレーニングを詰まなきゃいけないです。初めて会った人でも、なかなか難しいですし。

宇多丸 今、間を空けずにやられたらね、もちろん全然わかんなかったですね。

美里 ちょっと知ってたから「多分頭振るんだろうな」と思ってめっちゃ見てたんですけど、それで、ようやくわかるぐらいの……。

宇多丸 区切ってもらってようやく分かる感じ。そっか。だからそこんところは映画だとやっぱり、何か非常に不思議なというか、不自然な無表情さでやっているものになっちゃった。

牧原 そうなんです。あれはもう既に言語自体が壊れてしまってるものなんです。NMMというのは、やはりちょっと国によって違いはあるんですね。日本の場合はそのイエス/ノーの頭の頷きが多いんです、でも全然、頷かない国というところもあるんですね。なので、そういうところは国によって異なるとこあるんですけども。でも、韓国手話にも頷きはあります。

宇多丸 それ込みで、やっぱりその国の独自の、手話体系であり、独自の言語体系ですもんね。

牧原 そうですね。これは聴こえる人にとって、声のイントネーションが違うというのと一緒です。

宇多丸 僕はでもね、この濱口さんが最初にしてしまった発想、要するに見た目の美しさ……「聴者から見ての」っていうところ。ちょっと僕はあの、ドキッとしてしまったのは、映画『コーダ』を見ていて、主人公のCODAの女の子が、「なんで音楽が好きなの?」って聞かれて、声ではなく、アメリカ手話で答える。それが美しいから感動した、みたいな感想を僕は持ったし、実際映画評でも言ったんだけど、なんかそれ自体がすごく聴者側の、何て言うのか──ある海外の知らない言葉の響きを、こちらの主観で聞いて美しいって感じることがあるから、そういうものだとも言えるけど──言っちゃえばすごく一方的な感慨にふけってたとも言えるんだな、っていうのはちょっとドキッとしたとこなんですよね。

牧原 そうですね。確かにおっしゃる通りだと思います。うん。ただ、やはり歴史があるんですね。日本手話っていうのは、「公の場でやると恥ずかしいもの」というふうに抑圧されてきたんですね。昔、表情で表現するのを抑圧されてきた歴史があるんですね。で、今もまだまだそういう偏見は残っているんです。「なるべく表情を出さないように」というような。なので、それ(表情)を出さないというのは、抑圧の歴史を今またそれを繰り返されるのか、というに思ってしまうんですね。やっぱり高齢のろう者の人たちは、お互いに話をするときには、とても表情豊かで、ものすごい動きをするんですけれども、なぜか聴こえる人たちと話すときには、そのモードを変換してしまって、日本語対応手話で話したりとかしてしまう……。

宇多丸 ええ~! そうなんだ。表情、NMMを使って、表情とかも込みでコミュニケーションするってことが良くないとされてきた、そういうのはやめなさいってされてきた歴史があるからこそ、無表情での「手話っぽいもの」みたいなものは、そういう意味でもちょっと歴史的に見ても何ていうかな、無神経なものに映ってしまうということですかね。

牧原 はい、そうですね。

宇多丸 なるほどな……なるほどなるほど。これね、もちろん『ドライブ・マイ・カー』の芸術的価値っていっぱいあるから、ここからまたちょっと学んでいただいて、というのがこの先未来の建設的な話かなという気もするんですが、『ドライブ・マイ・カー』という作品に改めて牧原さん思うところはどうでしょう。

牧原 そうですね、はい。今まで私、文句ばっかり言って本当に申し訳ないです(笑)。

宇多丸 全然。必要な指摘だと思います。

牧原 そうですね。ひとつ付け加えると、韓国のろう者たちもあんまりよくない、というふうに言っているんですね。これがいいと言われて観たけど、あんまり良くなかった、と。そこで改めて考えると、やっぱりこれはろう者がこういうことを言っていかなきゃいけないと思うんですよね。やはり聴者の人たちは分からないんですよ。だから自分たちにも責任があるなと。「ここは違うよ」とか「ここはよかった」ということをはっきり言っていく。そうしたら、聴者の方も、きちんとそれを聞いて「はいはい」ではなく、そこをきちんと話を聞いてどこが良くなかったのか、悪かったのか、ということを直していくというのが大事だと思います。で、聴者がつくって手話を取り入れるっていうのを、「取り入れてくれたからありがとう」っていう時代はもう終わりかなと思ってます。ここはろう者とお互いに、作品に対して批評、批判をしていくべきだと思っています。

宇多丸 全く。さっきも言ったけど、本当に必要な指摘だと思います。たぶん、もちろん濱口監督も、そういう指摘があったら「それはそうか」っていうふうになってるはずだと思いますよ。なので、今後の濱口作品のみならず、日本映画全体の作り方の次への教訓として、今みたいな御指摘は絶対やった方がいいです、もちろん。『コーダ』がアカデミー賞をとってる時代ですから。

牧原 ありがとうございます。

宇多丸 逆に言うと、やっぱり、多少変でも我慢しちゃってた歴史ってやっぱ長くあるわけですか。ろう者描写が。

牧原 はい、そうなんです。あります。例えば映画ではないですけれども、『オレンジデイズ』ですとか。あれは中途失聴の主人公だったと思うんですね。でもすごい手話ができるのはなんでだろう、これはちょっと生育歴についてもおかしいし、アイデンティティもどうなんだろうっていう。そのアイデンティティの揺れみたいなものもあるんですけれども、そこのアイデンティティを完全に無視してつくっているな、というところがあるかな。そこでちょっと疑問を持つところがありました。

宇多丸 途中で聴力を失った人っていうのは、日本手話をがっつり覚えるっていうことには普通あんまりならない、ということですね?

牧原 いらっしゃるんですけど、本当に少ないんです。なので、全員が全員そうなるとはならないですね。日本語対応手話になるっていうのは多いです。なぜかっていったら、元々日本語を習得している方たちなので、そこから手話単語を覚えて日本手話になるっていうふうになると、やはりそこでアイデンティティの問題が出てくるんですね。自分が聴こえr人なのか、聴こえない人なのか、というとこで揺れ動くものが出てくるんです。そこをきちんと出さないといけないんですけれども、そこなしに、急に一足飛びに手話ができるっていうのはないし、そこをきちんと含めた上で演じてもらうということも必要だったんだと思っています。

宇多丸 それだけ日本語と日本手話は違う言語だっていうことをちゃんと知っとけよ、っていうことですね。やっぱどうしても、「いや、置き換え可能なもんでしょ」って思っちゃいがちだけど、ってことですよね。

牧原 そうですね。そうなんです。何でもろう者を撮ればいい、ろう文化を入れればいい、というわけではないんですね。やっぱりそのときにあったものをきちんと調べて、取り入れていってほしいと思っています。

宇多丸 もちろん『コーダ』でさえね、前回もちょっと話しましたけど、やっぱり家族の描きかたってところで、「ちょっとこれどうかな」みたいなとこもあったわけだから。非常に大事な指摘だったと思います。

宇垣 そうですね。なぜなら私達には気づけないことだからです。

宇多丸 本当に本当に。では次にいきましょうかね……。

【後編】に続く)


 TBSラジオ『アフター6ジャンクション』は月~金18:00~21:00生放送。 FM90.5MHz、AM954kHz、PCやスマホならradikoでも。 聴き逃しても過去の音声がTBSラジオクラウドや、radikoタイムフリーで聴けます。 
■番組メールアドレス:utamaru@tbs.co.jp 
■番組公式twitter: @after6junction 
■Instagram:after6junction 
■参考:前身番組「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル(タマフル)」HP 

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