宇多丸『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』を語る!【映画評書き起こし 2022.2.18放送】

アフター6ジャンクション

TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。          

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宇多丸:          
さあ、ここからは私、宇多丸が、ランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する、週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのは、1月28日から劇場公開されているこの作品、『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』

(曲が流れる)

『グランド・ブダペスト・ホテル』『犬ヶ島』などなど、のウェス・アンダーソン監督の長編第10作。フランスの架空の街アンニュイ=シュール=ブラゼ……そんな街はもちろんないんですけどね(笑)。アンニュイ=シュール=ブラゼに編集部を構える人気雑誌『フレンチ・ディスパッチ』。ある日、その編集長が急死。彼の遺言によって『フレンチ・ディスパッチ』は廃刊が決定。最終号に掲載されるひとつのレポートと3つのストーリーを、豪華キャストで描く。

出演はビル・マーレイ、オーウェン・ウィルソン、フランシス・マクドーマンド、ベニチオ・デル・トロ、ティモシー・シャラメ……あと、クリストフ・ヴァルツがろくにセリフもないような役で出てきたり、エドワード・ノートンがめちゃくちゃ小さい役で出てきたり。エリザベス・モスが、もうほとんどセリフ一個ぐらい、みたいな役で出てきたり、とかね。みんな大喜びで、やっぱりウェス・アンダーソンの作品なら出る、という。そんなウェス・アンダーソン作品でございます。

ということで、この『フレンチ・ディスパッチ』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)を、メールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「多め」。まあね、ウェス・アンダーソンは行くよね……行くよねー!(笑) メールの量は、「多め」。賛否の比率は、褒める人がおよそ8割。主な褒める意見は、「建物や衣装や食べ物など、映るものが全てかわいくておしゃれ」「短編のオムニバス形式なので見やすかった」「情報量が多いので早く配信やソフトで何度も見たい」などがございました。

一方、ダメだったという方のご意見。「目の保養にはなるが、話がよくわからない」。これ、毎作、話はいつもよくわからないんですよね。ウェス・アンダーソンは。「情報量が多すぎる。好きな人にはいいだろうが、自分に合わない」などがございました。それもまあ、ごもっともなのかもしれません。

■「クリエイターとして何度も振り返りたい大切な一本になりました」

ということで、代表的なところをご紹介しましょう。「ちゅんじま」さん。

「初めてメール送らせていただきます。24歳建築設計を生業としているものです。

『フレンチディスパッチ』2回みて来ました。結論から言うと人生ベスト級でした。監督の作家性ともいえる、コントロールし尽くした画面作りは西洋建築的で、ヨーロッパの美しい建築に憧れる私は無条件に感動してしまいました」。たしかに建築的。「1回目の鑑賞後は語り口の早さと画面の情報量の多さで理解が追いつきませんでした。ただ、その咀嚼しきれない幸福感を噛み締めながら帰宅しました。全体像を把握した上で見られたのは2回目以降の鑑賞で、この映画をより楽しむことができました」。これ、よくわかります。私もそんな感じです。

「この映画は監督の“雑誌と映画へのリスペクトと愛情”を込めた1作だと思います。冒頭の自転車レポーターの“アンニュイは月曜に活気づく”のセリフと共に街の人々が一斉に動き始めるシーンが印象的で、雑誌記者がスクリーンに映っている多くの出来事をたった1つの文章にまとめあげることを端的に表していると思います」。あと、このショットね、僕もすごい印象的で。ちょっとまた僕なりの感想というか、言い方で、この場面の話を後でしますね。

「このシーンは同時に、映画というメディアが、なんでもない日常や出来事をスクリーンを通すことで美しく描くことができる、ということも表現しているかと思います。様々なメディアの情報を受信し、自分なりに咀嚼し表現する、という監督のクリエイターとしての圧倒的な才能が発揮された素晴らしい一本だと思います。クリエイターとして何度も振り返りたい大切な一本になりました」というちゅんじまさん。

一方、ダメだったという方。代表的なところ。「ケン」さん。「結論から言うとあまり好みではありませんでした。初めてウェス・アンダーソン作品を観ました。大量の字幕に圧倒され、さらに、雑誌を映像で表現していると言うことに気づかず、ストーリーが一つに繋がるのだと思って見ていたら、それぞれ独立したオムニバス形式の物語で、よく理解できなかったので2回目を見ました」。ああ、でもそれでちゃんと2回目を見たという。

「それで思ったことは、これは映画なのだろうか?ということです。確かに独特で、お洒落な作品だと思うのですが、映画を見に行ったのに、美術館に行ったような気分になりました。それをポジティブにとらえる人もいることはわかりますが、少なくとも自分が求めている映画ではありませんでした」。まあ、このような意見があることもね、よくよく理解できますけどね。ただまあ、そのウェス・アンダーソンが作るもの。私、やっぱり紛れもなくですね……この言葉っていうのはあんまり安易に使うべきではないのかもしれませんが、やはり「映画的」としか言いようがない何かでもある、と思っておりまして。そのあたりも話させていただきたいと思います。皆さん、メールありがとうございました。

■ウェス・アンダーソン監督は「おしゃれでかわいい」!

私も『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』、TOHOシネマズ六本木、そしてTOHOシネマズ日本橋で、2回見てきました。それぞれ週末の深夜寄りの回と平日昼の回でしたが、どちらも公開3週目にしては、年齢、性別を問わず、まだまだしっかりお客が入っている感じでしたね。非常に、ウェス・アンダーソンの作品の確かな人気、実感できた感じがしました。ということで、僕のこの映画時評コーナーでは、『ウィークエンド・シャッフル』時代の2014年6月28日に、『グランド・ブダペスト・ホテル』という作品……これ、ちなみに、ウェス・アンダーソンでなにか1本手始めに、ということをもし迷ってらっしゃる方がいたら、1本目は『グランド・ブダペスト・ホテル』がいいんじゃないでしょうか。

というのは、これがストーリーが一番キチッと直線的というか……ウェス・アンダーソンさん自身も、「僕の映画、あんまりいつもストーリーがないんだけど、これはちゃんとストーリーあります!」みたいなことを、堂々と胸を張っておっしゃっていたので(笑)。直線的なストーリー構造。あと、アクションとかエンタメ要素もあるし。あと、ファンシーな作りの外側にある、現実世界の重み、苦みみたいなものも、はっきり暗示されている作品、という意味で……あらゆる意味でバランスが一番いいのは、『グランド・ブダペスト・ホテル』が今のところそうかな、と思うんで。入門編として皆さん、いかがでしょうか。

あともう1本ね、僕が扱ったのは、架空の日本を舞台にした、本当にクレイジーなストップモーション・アニメーション、2018年1月10日に評しました『犬ヶ島』。これも最高でございました。こっちは公式書き起こしが残っておりますね。でですね、その2つの評の中でも言いました通り……ちょっと時間が経っているんで、重複するところもありますが繰り返しますけど。

ウェス・アンダーソンという人が作る映画は、たとえば全く映画に詳しくない人でも、彼の作品を1、2本……いやさ、その中の場面をいくつか抜き出して並べて見せるだけで、「ああ、この人ってこういうのを撮る人なのね」っていう、もう明らかに共通しているいくつかの要素を容易に指摘することができるであろう、そのくらいものすごくはっきりしたいわゆる作家性を強く持っている、そしてそれは作品を重ねるごとにどんどんどんどん濃密になってきてもいる、そういう映画作家なんですよね。本当にもう、誰が見ても明らか、っていうタイプの映画作家。

たとえば、これも誰が見ても明らか、左右対称、シンメトリックな構図の多用。特に今回の『フレンチ・ディスパッチ』なんかもう、ほとんど全部、たぶん9割方は左右対称じゃないですか? という。劇映画としては異常な、シンメトリックな構図の多用ぶりであるとか。その構図を映画的に生かした、幾何学的なカメラワーク。横にガッと行ったりね、あるいは奥にガッと行ったりする、というカメラワークやアクション。そして、その中にいっぱい配される、全てが彼の好みで統一された、凝りに凝った美術や衣装であるとか……そんなこんなを全部まとめて、私はね、本当に勇気ある言葉で要約させていただきます。とにかく、「おしゃれでかわいい」!(笑) これは本当ですからね。勇気を持って言いましたけども。

■パーフェクトな調和が「破調」する瞬間、映画が生き生きと動き出す

ただしですね、その箱庭のように精緻に作り込まれた「おしゃれでかわいい」世界はですね、元々はテキサス州ヒューストンというあんまりおしゃれ感のないようなところ出身だからこそ育まれた、強い「憧れ」というのを具現化したものでもあって。要は、アメリカ中西部の現実、今、ここにはない……っていうか、なんならアメリカって(いう国自体が)「今、ここ」しかない(文化圏)っていうか。「今、ここ」しかないアメリカ文化に対する、一種のアンチテーゼでもあるような、そういう「憧れ」の具現化、結晶でもあるわけですね。

だから、たとえば『グランド・ブダペスト・ホテル』の東ヨーロッパとか、『犬ヶ島』の日本とか、『ダージリン急行』のインドとか、アメリカであっても『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』の東部上流階級家庭、とかね。そういう感じでとにかく、コンバットREC流に言うならば、「俺たちの自慢されたい○○」っていう……まあ、ウェス・アンダーソンの言い方だったら「僕の自慢されたい○○」。現実のそれとは違う「僕が自慢されたい○○」としてですね、過去の映画とかアート、文学などの大量の引用・オマージュを含めて、彼の中で完全に消化され、再構築、そして自己完結している、みたいな(笑)、そういう世界である、とということですね。

加えて、物語的にも、非常にカリスマティックな父的存在がいて、で、それに対して利発さがエキセントリックの域に達しているようなまっすぐな少年、もしくは若者、みたいなのが登場して。で、まあ広い意味での家族、みたいなのが形成されたり、あるいは何かをしていく、というような話。まあ、ひょっとしたら彼自身のセラピー的な要素も含む話っていうのを、常に繰り返し語っている、とも言えたりとか。ということでですね、だからこそウェス・アンダーソンの作品は、彼にしか作れないら彼だけの世界だし、しかしそれが同時に、「憧れ」っていうフィルターを通して、世界の人々を引きつけてやまない、その普遍性をもたたえている。

つまり、その彼の、作り込まれた、かわいくておしゃれ!っていうこのスタイルそのものが、現実に対する彼のメッセージなんですよね。それがすごく浮かび上がったのが、やっぱり『グランド・ブダペスト・ホテル』で。「ああ、彼のこのスタイルっていうのははっきり、むしろ政治的ですらあるメッセージなんだ」っていうことがわかったんですね。

あともうひとつ、これは今までの評の中ではちょっとちゃんと言ってこなかったところだけど、とても大事なポイントなんですけど。

以上述べてきたように、完璧な美意識で作り上げられた、そのおしゃれでかわいい!作品世界なんだけど、ウェス・アンダーソン映画が本当に生き生きとしだすのはですね、そのパーフェクトに調和が取れた画面とか、その画面構成みたいなものがですね、いわば「破調」する瞬間にある、という風に個人的には思ってるんで。

つまり、そのルールめいたものが、ちょっと、シレッと逸脱し始める、みたいな。その瞬間が実は面白いと思ってて。要は一見、静的に完成された画面が、映画だからやっぱりそのカメラ自体も被写体も、そしてお話も、いろんな意味で「動き出す」わけですね。するとその画面、フレームの外側に広がっている「世界」っていうのが……画面の中が動き出すことで、その外側にも世界がある、っていうのが(感じられる)、やおらこう「世界」っていうのがなんかグッと立ち上がってくるような、そんな感じ。言葉で表現すると、なんかちょっとこう難しげに聞こえるかもしれませんけど、彼の映画を見てもらえばこの感覚、一発でわかると思うんですよね。すごくキチッと作られているんだけど、その中でいろんなものが動き出したりとか、そういう時に、その「世界」っていうものが見えてくる。

ということで、要はとても映画ならではの、映画でしか表現できない面白み、みたいなものを、やっぱりものすごく表現してる人なんですね。止め画じゃあの感じは、出ないんですよ、やっぱりね。で、それはめちゃくちゃおしゃれでかわいい!んだけど、同時に意外と、やってること自体はですね、しょうもない、ベタベタですらあるような、脱力へっぽこギャグ……脱力へっぽこギャグ、脱力へっぽこコント100連発、みたいな、そういうようなことでもあるわけです。中でやっていることは。

それともたしかに通じる、そのウェス・アンダーソン作品の実はもう1個、重要な本質なんですね。完成度高く作り込むんだけど、「破調」してるし、しょうもないことでカックンと脱臼させてみせるし、っていう。そこがすごく、ワクワクさせられる瞬間でもある。

■「雑誌の構造を映画にする」という発想に感動

と、そんなウェス・アンダーソンさんの最新作『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』。この、もちろん意図的に長ったらしいタイトル。要はですね、これは作品冒頭でも説明されている通り、アメリカ・カンザス州リバティにある……と言ってもですね、このカンザス州リバティっていうのも、一応カンザス州の中にリバティっていう小さな街はあるらしいんですけど、全然その現実の街とは関係ない、位置関係も街の様子も全然関係ない、一種架空のアメリカ中西部の街なんですけど。

とにかくカンザス州リバティにある新聞社が、フランス、アンニュイ=シュール=ブラゼっていう……もうナメてるのか?っていうフランス語を並べた(笑)、フランスにあるというもちろん架空の都市から発行している雑誌。言っちゃえば『フレンチ・ディスパッチ』って、「フランス通信」ですね。「フランス通信」みたいなことですね。で、その最終号の作り、言っちゃえば雑誌で言う「台割」ですね。「このページにはこれが載る」っていう台割。雑誌の台割……映画の画面の中にも、その台割っていうか、その雑誌の設計図みたいなのが出てきますけど。その雑誌の台割そのものが、映画になっている。

最初に軽いコラムがあって、アートの記事があって、あと政治と哲学の記事があって、あとグルメと犯罪っていう変わったコラム、記事があって……というその3つのメイン記事があって、最後に編集後記がちょっと付きます、みたいな。そういう雑誌の構成を、そのままオムニバス風の映画にしたという、そういう作りなわけですね、今回の『フレンチ・ディスパッチ』は。

で、僕もその、特に古い雑誌のコレクションも自分でもしていますし。そもそもこの『アフター6ジャンクション』とか『ウィークエンド・シャッフル』、僕がやってる番組は、それ自体「雑誌的な作り、雰囲気を志してます」っていうのはこれ、常にあちこちで公言してるぐらい、私、雑誌好きなんですけど。とにかく、そんな雑誌好き、もっと言えば雑誌文化好きとしてもですね、普通だったらその雑誌好きっていうのを映画に落とし込むなら、その編集部の人たちの物語というのを直接ストーリーにしていく、というのが普通だと思うんですよね。なんでもいいですよ、『SCOOP!』とか、ああいう感じでもいいんですけど。

なんだけど、雑誌というものの構造、そのものを映画にするという、この発想自体にまずは、感動してしまいました。「そうだよね。雑誌って、その編集部の人間模様みたいなのもいいけど、なによりもこの、雑誌っていう作りがおもろいんだよな。これが最高なんだよな。風通しがよくてさ」みたいな。で、ウェス・アンダーソン自身ですね、雑誌『ニューヨーカー』を本当にバーンとまとめてファイル化して収集してるぐらいで、本作もまずはですね、実際の『ニューヨーカー』の記事や編集者、ライターたちの、大量のオマージュで成り立っている。

……といったあたりの情報に関してはですね、ぶっちゃけサーチライト・ピクチャーズおなじみの、非常に読み応えのある充実した劇場販売パンフレットに、大変詳しく載っているので。特に、山崎まどかさんのですね、常盤新平さんの一連の『ニューヨーカー』の記事を紹介するという、常盤新平さんの文章とか本、ありますよね。僕も1冊、『私の「ニューヨーカー」グラフィティ』を今回改めて買って、もう1回、読み直しましたけども。

その常盤新平さんの『ニューヨーカー』記事紹介のスタンスと本作を、まさに「憧れ」という視点から重ね合わせてみせる、この山崎まどかさんの見事なコラムとかも含めて、とにかく非常に素晴らしいパンフなので。とにかくモデルとなった人物とか、その記事、『ニューヨーカー』はこうですよ、みたいなのに関しては、本当にパンフレットをぜひ購入してお読みいただきたいと思います。最高のテキストだと思います。

■雑誌の、ある種形式がまとまってない感じを模したつくり。油断ならない

で、とにかくその『ニューヨーカー』誌自体ですね、中西部出身の編集長によって作られて、まさにその生き生きしたフランス情報を、アメリカに紹介したりもしていた、まあ「憧れ」の、ある種の結晶なわけですよね。少なくともウェス・アンダーソンさんから見ると、そういう憧れの結晶……つまり本作はウェス・アンダーソンにとって、「僕の自慢されたいフランス」を、アメリカに、僕に紹介してくれていた「僕の自慢されたい雑誌『ニューヨーカー』」、というその二重のレイヤーの、しかもおそらくウェス・アンダーソンにとっては間違いなく一直線でもある憧れの結晶物、ということだと思いますね。

したがって、当然のようにこれ、フランス映画、あとはフランス・ポップカルチャーの引用、オマージュも、本作では非常に重要な位置をなしておりまして。たとえばね、ストーリー1、最初の話のベニチオ・デル・トロ演じるキャラクターの風体はですね、ルノワールの『素晴らしき放浪者』のミシェル・シモン風である、とか。あとストーリー3、マチュー・アマルリック演じる警察署長は、アンリ=ジョルジュ・クルーゾーの『犯罪河岸』という1947年の映画の、ルイ・ジューヴェ風だとか。あと、ストーリー2、ティモシー・シャラメが出てくるエピソードは、5月革命を思わせるような学生運動が描かれていて、まあもちろんヌーヴェルヴァーグ的な雰囲気を漂わせている、とか。

あとまあ、ストーリー3の中に途中で出てくるアニメは、『タンタン』とかね、バンド・デシネのノリでやってるな、とかありますよね。あと、そもそも全体にっていうか、そもそもウェス・アンダーソンの作品って元々、ジャック・タチ風なセットとかギャグの使い方ってすごく多いと思うんですけど、今回はそのジャック・タチ感っていうのが、モロになってる感じがしますね。いつか俺、ジャック・タチの『プレイタイム』みたいに、街丸ごと作る!みたいなことをウェス・アンダーソン、やりださないかな、みたいに思ってますけど。はい。

まあとにかくいろいろ、そういう指摘はできる作品だけども。僕が非常に、一番印象に残ったのは、先ほどのメールにもあった通り、このアンニュイという街をその紹介し始めるところで、最初、ひとけのない街路路を映しているわけです。そこでオーウェン・ウィルソンの記者が「アンニュイは月曜から動き出す」って言うと、そのひとけがなかった街路路に、まずその排水口みたいなところから、水がビチャーッと出だして。それを合図にしたように、人々が次々に、窓とか道に顔を出して、行き交いだすわけですね。急にワーッと動き出すわけです。街が息づき出すわけですね。

僕はこのショット、もうなんなら、そのフランス映画の伝統とか言いましたけど、リュミエール兄弟みたいだ、と思ってますね。要するに、映画の始まりですよ。映画の始まりの、そのリュミエール兄弟の作品たちのオマージュにも見えたんですよね。はい。みたいな感じで、まず僕、このショットにも感動しましたね。ここね。ただし、この『フレンチ・ディスパッチ』、さっき言ったようにですね、その映画としての作りそのものが雑誌の構造というのを模している、というのもあってですね、たとえば普通ね、「この場面はこれ風のタッチ、このシーンはこれ調のトーン」みたいに、パートごとに映画としての文法が変わるみたいな……まあ『グランド・ブダペスト・ホテル』とかはそうでしたよね。

ウェス・アンダーソンも、『グランド・ブダペスト・ホテル』でそこまではやってるわけですよ。パートごとにタッチを変えるとか、画面のスクリーンサイズを変えるとか、そういうことをやってたんですけど。今回はそのレベルを超えてですね、ひとつのシーンの中でも、それこそカットが切り替わるたびに、スクリーンサイズがスタンダードになったり、ビスタサイズになったり、シネスコになったり。あとはその画面も、白黒になったり、カラーになったり。当然レンズから何から、そのセッティングごと変わっていたりとですね。非常にコロコロと、カットが変わるたびに、結構タッチが変わったりしていて。非常にもう、油断が全くならないわけですね。

あと1ヶ所、はっきり手持ちカメラで、グーッとある人の方に寄っていく、っていう、ちょっとウェス・アンダーソンらしからぬショットさえ入ってるんですよね、1ヶ所。で、これはたぶんですね、雑誌の記事……皆さん、なんか思い浮かべていただくと、雑誌の記事の中に写真が載っているんだけど、その載っている写真のサイズとか、あとはカラーか白黒かって、その都度違うじゃないですか。まず、あの感じの表現とは言えますよね。雑誌のある種、形式がまとまってない感じっていうか。それとも言えるし。

たとえばストーリー1のですね、ベニチオ・デル・トロがレア・セドゥの看守の……非常にちょっとエロティックな関係ですけど、絵を描いている。で、その絵が出来上がった、っていう時に、その絵を見せるところで、パッと色がつくわけです。そこのエモーションですよね。つまり、その彼にとって、「この絵はなんだ?」「未来だ。つまり、お前だ」っていう、その情熱であり……っていうところを描いている。一方で、その画商たちが「これ、いくらにしようかな?」なんて言ってるところは、また白黒になっちゃう、みたいな。

そういうこう、エモーションの表現でもあったりして、色がつくところが。まあ、そこに関しては、だから皆さん、どこで色がつくかっていうのは、ちょっと注目して見ていただいた方がいいかもしれない。そのひとつの場面の中で、色がついたり、つかなかったりするという、ハッとさせる使い方もしてますね。

■いろいろしょうもないギャグがちょいちょい放り込まれる

一方、それを記事として、そのベニチオ・デル・トロの記事を書いている、ティルダ・スウィントン演じる記者の画はですね、70年代調なんです。

そもそもこの映画全体の中の「現在」の時制は、1975年っぽいんで。1975年現在っぽい、70年代っぽいズームとかがそこでは使われてたりする、という感じですね。これはちなみに、ウェス・アンダーソン作品に本当に欠かせない、撮影監督ロバート・イェーマンさん。本当に大変な仕事。あと、もちろん美術のアダム・ストックハウゼンさんも、めちゃくちゃ大変な仕事をされてると思います。

ちなみに、このティルダ・スウィントンさんのところ。本当にいろいろしょうもないギャグがちょいちょい放り込まれるこの作品の中でも、特に僕のお気に入り。シャラメの鉄塔のくだりと並んでお気に入りは、先ほども言いました、ティルダ・スウィントン演じる記者が、途中でね、ずっとしゃべった後に、「ちょっと水、飲みますね」って言って、ちょっと演壇の下にしゃがみ込んで、コップから水をすする、っていう(笑)。「えっ、な、なにこれ?」っていうあの……まあ、もう最高ですね。もう今、思い出すだに微笑んでしまいます。

■2度目のほうが噛みしめて観ることが出来た。情報過多で現代的なエンタメでありアート

ということでですね、とにかく事程左様に、雑誌記事という体裁ゆえに、ウェス・アンダーソン史上最も過激に、「お話」が脱構築されている。語り口は、いま言ったようにあえて一定しないし、特にストーリー3は、明らかに意図的に……やはりこれ、ジェームズ・ボールドウィンなど実在の『ニューヨーカー』寄稿者をモデルとした、ジェフリー・ライト演じるゲイのライター自身の個人的エピソードが、しかもそれはその同性愛差別とか、わりとハードな外側の世界の現実をちょっと意識させるようなくだりでもあるんですけども、普通にやったらストレートにエンターテイメントにできそうな誘拐事件エピソードの間に、そういうのがちょいちょいちょいちょい、腰を折るように挟み込まれたりして。あえて物語を、いちいち「脱臼」させてみせるわけですね。

インタビューによれば、ウェス・アンダーソンさんは、「自分の表現に制限を設けるのはもうやめた」みたいなこと言っていて……「えっ、今まで(あそこまで好き放題やってるように見えて)制限してたの?」っていう風にも逆に思いますけど(笑)。とにかく、もちろん先ほど言ったその作風としての画面、世界観の構築度は、どんどんどんどん濃密になりつつ、その分、さっき言った「破調」、調子を破壊する破調が、より大胆に自由に使いこなされつつもある、という意味でも面白いし、ということで。あと、またもちろん、『グランド・ブダペスト・ホテル』とも通じる、既に失われてしまった古き良き文化・文明への哀惜。

しかもそれは現在、もうなくなってしまったもので、悲しいんだけれど……我々は現在、そして未来から、それを振り返ったり、噛み締めたり、抱きしめたりすることができるじゃないか、という。そのなんというのかな、失われしものへの切なさと、それを受け取った世代の未来への希望がないまぜになったような……これは本当にウェス・アンダーソン作品ならではの余韻ですよね。特に今回はそれが、エンディングから『フレンチ・ディスパッチ』のバックナンバーの表紙が流れるエンドロールで、しみじみと味わえたりもする、というね。こんな感じがするのはやっぱり、ウェス・アンダーソン映画だけですよね。

私もですね、1度見た時はもう、とにかくいろんなことに頭がクラクラしてて。2度見たらこれ、構造がね、ちゃんと整理されて、飲み込めながら見た分ですね、わりとそういうエモーションの部分とかジーンとくる部分を、噛み締めることもできました。あと、「くだらねえ!」みたいなところも(笑)。改めて見ると本当にギャグはしょうもないんで。そこも楽しめますね。

あと、何しろ情報過多っていう意味では、やっぱりとても現代的なエンタメでありアートでもあり、という作り方でもあるんじゃないでしょうか。ということで、ウェス・アンダーソン最新作『フレンチ・ディスパッチ』、見ごたえは十分ですね。もちろん、好みがわかれるところはあると思いますが、私が言ったようなことあたりをちょっと補助線にして、ぜひぜひ劇場で、ウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 ~来週の課題映画は『ウエスト・サイド・ストーリー』のカプセルが出たところを一万円払って回避。決まったのは『ちょっと思い出しただけ』です) 

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

◆過去の宇多丸映画評書き起こしは

こちらから!

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