宇多丸『ハウス・オブ・グッチ』を語る!【映画評書き起こし 2022.2.11放送】

アフター6ジャンクション

TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。          

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宇多丸:         
さあ、ここからは私、宇多丸が、ランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する、週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのは、1月14日から劇場公開されているこの作品、『ハウス・オブ・グッチ』

(曲が流れる)

はい。今、流れているブロンディの「Heart Of Glass」をはじめ、80'sポップ、そしてオペラ。80'sポップ……90'sもあるかな、とにかくポップミュージックとオペラ、この軽薄な使い方が(笑)、非常に印象的な作品ですよね。『ゲティ家の身代金』『最後の決闘裁判』などなど、のリドリー・スコット監督最新作。もう最早、その近作を並べるだけでも印象的、って感じですけどね。

サラ・ゲイ・フォーデンのノンフィクション小説『ハウス・オブ・グッチ』を原作に、ファッションブランド・グッチ創業者一族の一大スキャンダルを描いたサスペンス。「貧しい……」(台本に向かって)貧しくないよ? パトリツィアは。パトリツィアは全然、中小企業社長の娘だから、中流家庭ぐらいじゃないですか? まあ「一般人」出身のパトリツィアは、偶然グッチ創業者の孫、マウリツィオ・グッチと出会い、結婚。グッチの富と名声を我が物にしようと暗躍するが、とある悲劇を招いてしまう……うーん、このストーリー要約、この映画を見て感じる印象とは少なくとも、結構違うと思います。この要約、ちょっとどうかな? パトリツィア役のレディー・ガガ、マウリツィオ役のアダム・ドライバーをはじめ、アル・パチーノ、ジェレミー・アイアンズ、ジャレッド・レトなど、豪華キャストが集結しています。

ということで、この『ハウス・オブ・グッチ』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)を、メールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「多め」。やっぱりね、リドリー・スコット最新作かつ、なんかこう、「グッチ家の崩壊を描く」とかって、めっちゃそんなの、面白くなるでしょ!みたいな。キャストもすごいですしね。行く人、多いんじゃないでしょうかね。

賛否の比率は、褒める人が7割以上。主な褒める意見は、「エンターテイメントとして滅法面白い」「編集が上手いのか、長めの上映時間もあっという間だった」「俳優陣が素晴らしい。レディー・ガガ、アダム・ドライバー、ジャレッド・レト、アル・パチーノなどなど全員素晴らしかった」「美術や衣装もゴージャズ」などがございました。

一方、ダメだったという人の意見は、「淡々としていて退屈だった」「誰にも感情移入できず」などがございました。あとはまあね、当事者として劇中にも出てくるトム・フォードがね、特に戯画化して描かれているキャラクターに関しては、「あんなのじゃないよ」とか言っていて。まあでもそれはね、そういう風に描かれるなりの作品、というかね。後ほど私も言いますけど。

■「最大の魅力は、なんといっても名優たちの演技のアンサンブルの見事さ」

皆さんの感想、代表的なところをご紹介しますね。ラジオネーム「雅哉(まさや)」さん。

「格調高い作品も撮れるリドリー・スコットですが、今回は下世話なエンターテイメントに徹しており、上映時間157分と長尺ながら、一瞬たりとも飽きることなく最後まで愉しく観ることが出来ました。レディ・ガガ演じる欲望むき出しのヒロインは自信とバイタリティに溢れ、その下品でギラギラした押しの強さは、ポール・バーホーベンの『ショーガール』にも通じるものがあると思いました」。たしかに。

『エイリアン』のリプリーは勿論のこと、『テルマ&ルイーズ』にせよ、近年では『最後の決闘裁判』のマルグリットにせよ、リドリー・スコットが描く女性像はみな意思が強く凛としています。しかし本作の後半、占い師の言いなりになり身を破滅していく彼女の姿は滑稽で哀れでもあります」。(占い師を演じる)サルマ・ハエックがね、『エターナルズ』からの、このギャップ!っていうね(笑)。

「また、『ハウス・オブ・グッチ』最大の魅力は、なんといっても名優たちの演技のアンサンブルの見事さにあります。アダム・ドライバーの上手さは今更言うに及ばず、気品のある貴族を演じさせたら現在ジェレミー・アイアンズの右に出る者はいないと思いますし……」気品があって、あと傲慢ね。

「アル・パチーノはゴッドファーザーを彷彿とさせる堂々とした凄みがあり、特殊メイクを駆使したジャレッド・レトの怪演は、『ハンニバル』で大富豪を演じたゲイリー・オールドマンのことを思い起こさせました」。たしかに!

「あと音楽ついても触れないわけにはいけません。特に結婚式のシーンでジョージ・マイケルの『Faith』が軽妙に流れるという、意表を突く選曲の妙には痺れました」。これ、その前のオペラ選曲ともセットの効果なんですよね。これ、後ほど言いますけどね。

一方、ダメだったという方もご紹介しますね。「ほや太郎」さん。

「史実を元にした、という部分は良いのですが、結局のところ夫婦関係の破綻からの憎しみ、行き着く先は……という、これをまんまストレートに描かれると、ドキュメンタリーを観ていたのだっけ、と感じます。金を持とうが、地位も名誉もあろうが、スーパーパワーに目覚めようが、人の陥る穴なんて決まった形しかないのかもしれません。なんせ淡々と事象の説明をするシーンが多く、この密度で2時間半越えは厳しい。展開が冗長と感じてしまうと、中々鑑賞側の集中力も続かないですし。また、劇中にヴェルサーチの名前が度々出てきましたが、人生の結末が似通っているのはあまりにも皮肉ですし、意図していたと思います」。まあね、ヴェルサーチも殺されてしまって。全然事情は違いますけどね。

ということで皆さん、感想をありがとうございます。

■御年84歳にしてどんどん底意地が悪くなっているリドリー・スコット監督

『ハウス・オブ・グッチ』、私もT・ジョイPRINCE品川とTOHOシネマズ六本木で、2回見てまいりました。まあまあそれぞれ、入ってましたね。昨日なんかもう、雪の日だったのに、結構いたな。ということで、御年84歳にして、わたくし個人的には、キャリア史上何度目かの絶好調期を、今まさに突っ走り中!というリドリー・スコット。少なくとも僕は、ここ10年の、「今の」リドリー・スコットが一番好きだし、一番すごいと思ってます。もう『プロメテウス』以降は全部好き! もう全部最高!……僕はね。まあ、意見が分かれる人もいるとは思いますけど。

作品の質もさることながらですね、製作ペースもただごとじゃなくて。このコーナーでは昨年、10月22日に取り扱った『最後の決闘裁判』と、この『ハウス・オブ・グッチ』。まさにコロナ禍の中で、いろんな制限がある中で撮影された二作……しかし、それぞれにドスンと重みがあるこの二作。コロナ禍の中での制作というハンデを背負いながら、同じ2021年公開、という。

もちろんね、撮影監督ダリウス・ウォルスキーさんとか、編集のクレア・シンプソンさん、プロダクションデザインのアーサー・マックスさん、衣装のジャンティ・イェーツさん、といった主要スタッフが、ほぼ同じ、というね、日本映画界風に言えば「リドリー・スコット組」だからこその、諸々の練度の高さ、話の速さ、これはもちろんあるでしょうけども。まあ、映画としての堂々たる風格、重厚さ、っていうのは当然のようにたたえながらも、特にだから僕が大好きなここ10年はですね、もうどんどん、底意地が悪くなっている(笑)。本当に底意地が悪い傑作、あるいは怪作を次々を量産している、御年84歳リドリー・スコット。

で、今作。日本では2004年に刊行された、元は2000年に原書が出たというね……今はハヤカワ・ノンフィクション文庫で2020年の新版が出てますけども、サラ・ゲイ・フォーデンさんのノンフィクション『ザ・ハウス・オブ・グッチ』っていうのが原作で。これ、リドリー・スコットの奥さんであり、プロデューサーでもあるジャンニーナ・スコットさんという方……イタリア出身の方ですね。が、長年温めてきて。途中、いろいろと紆余曲折があった企画なんですよね。まあ、いろいろ監督の候補が変わったり、それに従ってキャストもぐるぐる変わったりしてたんですけど。

ただ、結果としてですね、やはり出来上がったこの『ハウス・オブ・グッチ』という映画を見るとですね、ものすごくリドリー・スコットらしいというか、フィルモグラフィー的な整合性がばっちりある作品になってるな、と思わざるをえないということだと思います。

■リドリー・スコット監督が一貫して描いてきたのは「最初から詰んでいたシステム」の話

過去ね、僕がリドリー・スコットの作品を評した時にいつも言ってることですけど、このリドリー・スコットという人は、非常にキャリアが長いですけどね、既にベテラン中のベテランですが、これまでもほぼ一貫して、こんなようなことを描いてきている。

「一度動き出したら止まらない、巨大なシステムの非情な作動の中、ただただ右往左往する人間たちの姿を通して、特に西洋・キリスト教圏社会の虚妄、といったものを容赦なく喝破する」というような……もっと平たく言い直すと、こういうことかと思います。登場人物たちにとっては「最初から詰んでいた」システムの話。もう最初からダメだったんじゃん!」っていうことがわかる、というね。「最初から詰んでいたシステムの話」というのをですね、長編デビュー作『デュエリスト/決闘者』という、素晴らしい、もう最高に面白い映画ですね。厳しい映画です。底意地悪い映画です。

そこから今に至るまで、ジャンルとか題材、あとはもう脚本を含めた座組なども、もちろん多種多様なんですね。脚本を書いてる人も違う人だったりするんだけど、でも並べてみると、本質的にはやっぱり一貫した、すなわち「作風」として、繰り返し語り直し、磨き上げてきた、という風に言えると思います。「最初から詰んでいたシステムの話」っていうのを、いつもしている。

グッチ家そのものが「最初から詰んでいたシステム」

で、今回の「最初から詰んでいたシステム」とはなにか、と言えば、まずはもちろんそのファッションブランド、ご存知グッチの創業一家であるグッチ家、それ自体が、特にその主人公のパトリツィアにとっては、グッチ家そのものが「最初から詰んでいたシステム」だし。もっと言えば、旧来型の家族経営型企業、グッチっていうのは元々そうだったわけですけど、それが次第に、グローバルな世界市場というのに飲み込まれていく……巨大資本主義の非情な作動ぶりという、この全体こそが今回の「最初から詰んでいたシステム」、という風にも言えるかもしれない。

まあだから、さっき(番組オープニングで)も言いましたけど、いずれにせよグッチ、そのお家騒動があってもなくても結局は、あのままだったらたぶん、ただの落ちぶれた、右肩下がりで終わってたんだとは思うんですよね。じゃあ、どうすればよかったか?っていうのはたぶん……グッチ家には選択肢はなかったんです、きっと。というね。でですね、リドリー・スコット過去作で一番近いのは、やはり、2018年6月22日に僕は取り上げました、『ゲティ家の身代金』が近いと思います。

特に、大金持ちの一族の中で、「嫁」がね……要するに息子の嫁、しかもその息子はお父さんと折り合いがちょっと悪い、っていう息子。その息子が連れてきた嫁が、結局は外様扱いされる話、という意味で、非常に近いし。あと、大金持ちと言ってもですね、実は比較的新興の一族だっていうところも、ゲティ家に近いですよね。昔からの貴族、とかじゃないわけです、グッチも……劇中でも語られていますよね。

「昔から由緒正しいメーカーなんだ、って言うけど、あんなの、嘘っぱちだよ。おじいちゃんは普通にホテルのベルボーイだから。金持ちの持っているいろんなものを見て勉強したから、こういうのを作ったんだ」っていう。要は、そこまで由緒正しいブランドでも家系でもない、っていうことなので、そこがキモだったりする。グッチオさんとアル・パチーノ演じるアルドさんの二代で、文字通り成り上がった家系だ、というところも……ゲティ家も、ほぼ一代で成り上がった家系ですから。

あと、その嫁がね、嫁いだ先で結局疎外される、という意味では、さっき言った前作『最後の決闘裁判』とも連なっていると言えますよね。だからある意味『ゲティ家』『最後の決闘裁判』、そしてこの『ハウス・オブ・グッチ』で、「嫁三部作」(笑)。「疎外される嫁三部作」、っていう言い方ができると思いますね。

でですね、本作『ハウス・オブ・グッチ』もですね、たしかに表面的なお話を追う限りは、その最終的に起こった事件、その張本人、首謀者が、まさにその「嫁」である、レディー・ガガ演じるパトリツィアさんという方なので、当然のごとく、いわゆる「悪女」「悪妻」というのの、わかりやすい典型であるようにも表面上は見えますし。

実際、原作ノンフィクションのパトリツィアという人物像は、はっきりそっちの方向です。どっちかって言うと、非常に困った人であると……まあ、本当にそうだったんでしょうね、そういう面もあったんでしょうけど。そっちの色を濃く、はっきり……要するにレッテル貼りというか色付けを、原作の方はしてるんですが。それに対して今回のリドリー・スコット監督、レディー・ガガ主演のこの映画版『ハウス・オブ・グッチ』は……無論、最終的にそのパトリツィアがトチ狂った行動に出てしまうことそのものは客観的に描いてはいますが、基本的には、原作よりはっきりと、パトリツィア側の視点とか立場に寄り添って語られている、というのが、非常に大きな特徴と言えると思います。かなり大きな……それはだから、アレンジというか、解釈を入れていると思います。

■身分差ゆえに最初から最後まで蚊帳の外に置かれるパトリツィア

たとえばですね、グッチという名前が持つ巨大なパワーの一部に、自分もなれるんだ!っていう、その彼女の期待とか野望といったものそれ自体を、よこしまな、邪悪なものとしては、全く描いてないんですよね。まあ、それはそうでしょう。なんて言うかな……大金持ちの、しかもすごく性格いい人と結婚して、「やったー!」っていう、それの何がいけないの?って話ですからね。別にね。

で、それは別に邪悪なものとしては描いてなくて。むしろこのパトリツィアさんは、この劇中では、この映画では、コピー商品の氾濫とか、あるいは内部の危険分子というのに、いち早く危機感を抱いて進言する、という。つまり、この金持ち一族になれて、「やったー!」っていうのと同時に、その一族のためを思って、いろいろ言おうとしたり、やろうとしたりしていた人ですよ、っていう風に、劇中では描かれている。なんだけど、結局は外様として、そして何より「所詮は嫁」として……「女はすっこんでろ」的な扱いとして、結局その権力構造の中枢には入れてもらえない。そういう存在として、この映画版『ハウス・オブ・グッチ』では、そのパトリツィアを描いているわけです。

つまり彼女にとっては、グッチ家に嫁いだ、そのグッチ家そのものが、彼女にとっては「最初から詰んでいるシステム」だった、ということなんですけど。で、たとえばそれはですね、前半、彼女が最初にグッチ家に招かれる、というくだりがあります。そこで、その結婚する相手のお父さんである、義理のお父さんになるであろうジェレミー・アイアンズ……本当にエレガントで冷酷な「値踏み」っぷり、この目線ときたら! 同時に、(我々)見ている側も、「まあたしかに、クリムトとピカソを間違えるのは恥ずかしいな」って、見ている側もわかる程度の間違いを(劇中のパトリツィアが)するからなんですよね。ここがうまいですよね。観客側のレベルよりはちょっと下、の間違いをするという。

この、前半に招かれるのと対になるかのように、後半、高級リゾートであるスキー場で、そのパトリツィアが、生まれついての金持ち子女たちを前にですね、ついつい……その、生まれもっての金持ち子女たちを前にしているからこそ、ついつい頑張ってイキり散らかしてしまうわけですね。で、当然のことながら、それがスベり倒すわけです。厳しい場面でしたね。そしてそこで、アダム・ドライバー演じる夫マウリツィオはですね、「ああ、こいつ、やっぱり住む世界違うわ……こいつ、育ちがちょっと違うかもな」って、心が決定的に離れてしまうという、世にも気まずいくだり。なんという意地悪な場面でしょう!という感じ。

要はその、いま挙げた前半と後半、「身分差」っていうのを残酷に示すようなシーンで挟んでいることからも明らかなように、彼女パトリツィアはですね、結局は階層差、生まれ育ちの違いゆえに、最初から最後まで蚊帳の外に置かれてるまんまだった、という……その点をこそこの『ハウス・オブ・グッチ』は、クローズアップしてみせるわけですね。それに対してね、あのマウリツィオが恋仲にある、パオラさんという方。ずっと白い服を着てますね。非常に品もいいし、着こなしのセンスもいいし。これ、パンフレットに載ってるインタビューでこのパオラを演じた方が、彼女は要するに直接結婚してない立場だからこそ、なんて言うのかな、現状の新たな花嫁として……内縁の妻としてのあの白なんだ、っていう。そういう衣装演出も、見事ですよね。

で、対するね、そのアダム・ドライバー演じるマウリツィオ・グッチもですね、グッチという名が持つ巨大なパワーを前に人が変わってしまう。身の丈を超えてイキり散らかしてしまう、という点では、実は全く同じなわけです。彼だって狂ってしまうわけです。だからこそ、グッチ家を離れて生きていた、序盤の一瞬と、終盤の一瞬。この瞬間だけが、本来のいい子なんです。本来はいい子なんですよ。本来のいい子だった自分を取り戻しているあの瞬間の……「本来はこの子、いい子なんだよね」っていう表情が、また切ない!というね。

自転車に楽しそうに乗ってましたね。ちなみに最後の方、マオリッツオさん、実際の人も、事件の日に自転車に乗ってたわけじゃないようですけど、晩年はそうやって自転車に乗ったりして過ごしていた、っていうのは本当のことみたいですね。切ないね。ということでこの、権力とか立場によって「人が変わっていく」様、というのをですね、ごくごくナチュラルに、まさしく「体現」してみせる、アダム・ドライバーの圧倒的なうまさ。これもそうですし。

■『ハウス・オブ・グッチ』は、はっきり「コメディ」として見た方がいい

そして、先ほども言いました。はちきれんばかりの野心、ハングリーさというのを、パツンパツンの体型、着こなし込みで、実にまっすぐ、やはり「体現」してみせるレディー・ガガ。この二人、実は実物とも非常にそっくりなんですけど……そういうそっくりさん的なところは別にしても、この二人の本当にその技量とか存在感が、本作を一際魅力的なものにしているし、味わいの深みっていうのを増させているのは、間違いないと思いますね。

でですね、本作は、この二人の物語を縦軸に、アル・パチーノ演じるそのグッチブランド拡大を成し遂げた、本当に功労者です、アルド・グッチさんと、彼と現実にも骨肉の争いを繰り広げることになる、パオロという、まあ不肖の息子というか……ジャレッド・レトがね、もう全身特殊メイクで変身して演じています。このいびつな親子関係を、横軸にして構成されていて。そのためにですね、それ以外の人物は、大幅に省略・簡略化されていたりとか、あと時系列も、かなりお話上の都合のために前後していたりします。たとえばトム・フォードがメインのクリエイティブ・ディレクターになるのは、マウリツィオが会社を追い出された後なんで。そういうのが変わっていたりする。

要は、「事実に忠実」なタイプの実録物では、全くないんですね。そもそも、今時「イタリアなまり風英語」を全編でしゃべっている、という作りな時点で、これは『最後の決闘裁判』もそうですけど、その、事実をもとにした一種の「寓話」として見るべき作品なのはもう、明らかかと思います。今時ね、こんな作りであれば。で、何より、それぞれの人物像が、かなり大げさに、コミカルにデフォルメされていたり……特に音楽の付け方、それに伴う編集の仕方が、明らかにコメディ的な、笑わせ方向の作りになっていたりでですね。

要は、この『ハウス・オブ・グッチ』は、はっきり「コメディ」として見た方がいいんです。これ、コメディなんですよ。として見た方がいいのは間違いないと思います。実際ね、インターネット・ムービーデータベースによればですね、これは「コンメディア・デッラルテ」という、16世紀から18世紀にかけてヨーロッパで流行った、イタリア発の風刺即興喜劇、このスタイルにインスパイアされた、というようなことらしいんですよね。

実際、ジャレッド・レトが演じるパオロは、ほとんど即興で演じていた、といいますし。まあ先ほどから言ってる「Father, Son and House of Gucci」、あの名ゼリフも、レディー・ガガのアドリブですよ、とかね。そういうのがあったりする。またね、その演技がコメディタッチなのもそうですし、本作をコメディ的に最も印象付けているのは、さっきも言いました、音楽の使い方、編集のでのその乗せ方っていうか、見せ方で。

たとえばですね、パトリツィアとマウリツィオが、その義理のお父さんの運送会社の事務所で、カトリックなんで一応婚前交渉はダメだってことになってるんだけど、まあ思わず婚前交渉をしてしまう。それが、笑っちゃうほど激しくガッついてるので……もうなんか、パトリツィアが腰を打ちつけてる!みたいな感じが(笑)、本当に笑っちゃうんですけど。その、思わず笑っちゃうような婚前交渉シーンで、ヴェルディの『椿姫』というのの、「乾杯の歌」……これ、僕(などが説明すること)は、小室敬幸さんの解説でもないのに恥ずかしいですけども、まあ非常に有名な曲なんです。要は、「身分違いの二人が恋に燃え上がる」という構図っていうのがあって。で、ちょっとコミカルな調子がするわけです。

で、そこから結婚式のシーンに繋がると、今度はジョージ・マイケルの「Faith」っていう曲が流れだす。要するに、欲望と信仰と(のせめぎ合い)……みたいな構図を、非常にちょっと皮肉っぽく際立てるような選曲をしてくるわけです。なのでこんな感じで、オペラと80's、90'sポップソングっていうのが、とにかく非常に皮肉な、「軽い」感じっていうのを全体に与えるような、見事な選曲と編集……要所要所で爆笑しちゃうような、笑わせにかかっているような音楽の使い方を、いっぱいしてるわけです。

これ、ぜひパンフレットには、こういう映画の場合はもう最初から、小室敬幸さんの解説を載せておいてください!(笑) パンフレット自体もすごく充実はしていると思うんですけど、もう今度から映画会社の人は、小室さんに毎回、頼んでください! こういう、オペラとかが出るやつはね。

■リドリー・スコットが扱う「最高級ワイドショー」。下世話な軽さも楽しい

で、特に笑っちゃうのが途中、そのパオロという……要するに一族の中でも、鼻つまみ者みたいになっちゃってます。実際、骨肉の争いを繰り広げることになるそのパオロという人が、念願のファッションショーをするわけです。で、ファッションショーをしているんだけど、それがよりによって、会社グッチによって、「著作権侵害だ」とかいうので、中断させられてしまう。

そうするとですね、ずっとそのショーの間、その彼の奥さんが、なんか四重奏を従えて、モーツァルトの『魔笛』の非常に有名なアリア……「復讐の炎は地獄のように我が心に燃え」というアリア。聞けば皆さんもわかるようなアリアですけど、それをずっと歌い続けていて。それも非常にちょっとおかしいし、そこでパオロが、「なんてことだ!」って悲嘆の声を上げようとしたその瞬間……声を「あああっ!」って上げようとしたその瞬間に、クラクションが「ペーッ!」って鳴り出して、次の場面にパッと変わる、っていう(笑)。編集で、ちょっと食い意味にね……なんかこう、「ペーッ!」って泣いてるみたいに見える、みたいな。

一事が万事、ちょっとふざけた、悪意のある、まさにそのダークコメディ的な作りになっているわけです。ダークコメディ的な視点で、言っちゃえば『ゴッドファーザー』とか『グッドフェローズ』的な、マフィア映画的なパワーゲームが描かれていく作品なわけですね。なので、一部で非常に批判が集まっている、ジャレッド・レトのオーバーアクト、やりすぎ演技みたいなのも、僕は、この作品のコンセプトには合ってるじゃん!と思うんですよ。ふさわしいと思います。これには合ってるし、間違ってない。全然、ジャレッド・レトは。

あと、アル・パチーノ演じるアルドさんは、原作を読むと、まさにあんな感じの人っぽいよ、どうやら。僕は少なくとも、原作読んでたら、「ああ、もう全然あのまんまじゃん」っていう風に、思える感じでした……あの、パオロがね、自社株を全部売り払ってしまったと知った時の、アル・パチーノのアルドのリアクションがもう、爆笑ですよね。「ノ~~~~ウ!」って……またその「ノ~~~~ウ!」が、ちょっと食い気味なの(笑)。この映画、全体にその、食い気味の時が最高ですね。「ノ~~~~ウ!」を言い出す瞬間がちょっと早い、っていう(笑)。

159分、とにかく僕はすごく、こんなに短く感じるかな、というぐらい、構成といい、編集といい、見事だなっていう……『グッドフェローズ』型のね、スコセッシ型の編集スタイルを、リドリー・スコットが消化するとこうなる、というような、そんな感じもしました。本作がリドリー・スコットの最高傑作、というわけではないでしょうが……でもね、そのへんでかかってる映画よりはやっぱり、数段上の何かでしょう、これは! なんかこの、「軽さ」もまたよし……ナメくさった軽さっていうか。僕はこう言ってます。「最高級ワイドショー」です!(笑)。リドリー・スコットがワイドショー的なネタを扱うとこうなる、ぐらいの、そういう下世話さも魅力だと思います。ということで皆さん、『ハウス・オブ・グッチ』、めちゃくちゃ楽しいんで。ぜひ劇場で、コメディとして楽しんでください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』です) 

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

◆過去の宇多丸映画評書き起こしは

こちらから!

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