宇多丸『コーダ あいのうた』を語る!【映画評書き起こし 2022.2.4放送】

アフター6ジャンクション

TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。        
 

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宇多丸:        
さあ、ここからは私、宇多丸が、ランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する、週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのは、1月21日から劇場公開されているこの作品、『コーダ あいのうた』

(曲が流れる)

2014年製作のフランス映画『エール!』を、アメリカでリメイク。高校生のルビーは、家族の中で唯一、耳が聞こえる。そのため、家族の耳となり、家業の漁業を手伝う毎日を送っていた。ある日、合唱クラブへの入部をきっかけに、歌の才能を開花させていくルビーは、名門バークリー音楽大学を目指すことになる。しかしそれは、家族と離れて暮らすことを意味していた……。

主人公のルビー役は、テレビシリーズ『ロック&キー』などの、エミリア・ジョーンズ。ルビーの家族を、オスカー女優マーリー・マトリンなど、実際に耳の聞こえないろう者の俳優の皆さんが演じられました。さらに、『シング・ストリート 未来へのうた』、大傑作でしたね……の、フェルディア・ウォルシュ=ピーロさんも出演。僕はずっと見ながら、「これ、『シング・ストリート』のあの子に似ているな。こういう顔の子、いるんだな」と思って見てたら、本人でした!っていうね(笑)。舞台がほら、こっちはアメリカだから。「あれ?」と思ったらね、本人でしたね。監督・脚本は、『タルーラ 彼女たちの事情』や、テレビシリーズ『オレンジ・イズ・ニュー・ブラック』、あと『GLOW』とかもやっていますね、シアン・ヘダーさんです。

ということで、この『コーダ あいのうた』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)を、メールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「多い」。

まあ非常に評判も高いし、この番組でもちょろっと話題にしてました。(火曜パートナー)宇垣(美里)さんが一足先に見てね、「すごいよかった」なんて言っててね。注目してる方も多い、ということでしょうか。賛否の比率は、褒める人が8割以上。

主な褒める意見は、「感動した。普遍的な家族映画であり、母と娘の物語であり、素晴らしい音楽映画、青春映画でもあった」「ルビー役のエミリア・ジョーンズも、母親役を演じたマーリー・マトリンらろう者の俳優たちも、全員素晴らしかった」「ろう者の人々を弱者、もしくは聖者として──過剰にきれいきれいに描くというパターンもこれまではあったかもしれないけど──そうではなく、普通の人として描いているところがよかった」。非常に下品なことを言ったりとかね。「リメイク元の『エール!』より格段にいい」などの意見もございました。

一方、ダメだったという方。「娘に理解を示さない両親にイライラしてしまった」「感動の押し付けのように感じてしまった」などがございました。

■「手話とはこんなに美しい言語だったのかと初めて思いました」

代表的なところをご紹介しましょう。「ワシミミズク」さん。

「『コーダ あいのうた』、本当に素晴らしい作品だったと思います。予告やチラシなどから『感動系』であることは予想していましたが、その予想を余裕で上回る、作品の奥行きの深さ、そしてテーマと見事に絡み合う構成の巧みさに感嘆しました。主人公のルビーは、家族のなかで唯一耳が聞こえる者として、通訳のような役割をずっと果たしており、聴者と聾者、二つの世界を生きています。しかし、そうであるがゆえに、どちらの世界でも疎外感を感じてもいます。二つの世界を知っていること、物事を二つの側面から見たときに、コーダとしてとして生きることには……」。コーダっていうのは、親がろう者で、その健聴者の子供、っていうことですね。

「……コーダとして生きることには、良いことも悪いことも、嬉しさも悲しさもあるのだということが、作中の最重要歌曲である“青春の光と影”の歌詞にもつながります」。今、後ろに流れてますけどね。これ、ジョニ・ミッチェルの曲だけど、『ヘレディタリー』だとね、あんなに気持ち悪く響いたのにね、最後にね。本当はこんないい曲だったのね(笑)。

「そして本作で巧みだなと思ったのが、対となるシーンが交互に提示されるこで、ルビー自身や他の人物たちの置かれた状況や内面が、立体的に描かれていたことです。また、ルビーの歌の才能や、彼女自身の情熱を家族に伝えるまでの三段跳びのような構成も素晴らしかったです……」。ちょっとこれ、ネタバレを避けるために……一段目は秋のコンサートのシーン。二段目はコンサートの帰り、その夜。三段目はとある試練のシーン。でね、こんなことを言っています。「この作品を観て、手話とはこんなに美しい言語だったのかと初めて思いました」。私もそれはすごい感じました。

「特にそれを感じたのが、V先生から“How do you feel when you sing?”──歌っている時、どう感じているんだ?と先生から聞かれて……」とあるリアクションをするシーン。「……こんな言語があるのか。なんて美しいんだと思いました。シアン・ヘダー監督の次回作があれば、ぜひとも見たいです」というワシミミズクさんでした。

あとね、この方。「ぺら」さん。

「わたしは両親とも聴覚障害の家庭で育ちました。40年以上生きてきて、CODAというくくりを知ったのはここ5年くらいのことです。なるほど、自分の境遇に名前があるのか、と妙な気分でした。このような立場を明確にしたうえで、(映画の)CODAハリウッド版はよくできていたと思います」。で、いろいろ本当に書いていただいて。主人公がちょっと、いわゆるヤングケアラー……今、問題なってますけど。

「ヤングケアラーの問題についても、設定が改変されていたのが効いている。フランス版で、小さい弟は単なる賑やかしであったのに対し、ハリウッド版では兄が聾(ろう)者ゆえに妹に感じる劣等感や、家業を漁業とすることで、『聴者である主人公が同伴しなければ漁に出られない』と、社会的な圧力が子どもに負担をかけている問題点を顕著にあらわしています。

冷静になれば、セリフで説明がある通り、『家族以外の人を雇えばいい』話なのです。賃金の負担が必要なら、それを仕組みとして社会が支えればいいのであって、家族の、しかも子どもに無償労働を強いる社会システムのほうを是正するべきだと、この映画を通して少しでも伝われば、と思います(わたし自身も小学校に上がる頃には、家にかかってくる電話を全部取っていたし、必要があれば大人の会話に立ち会わされることもありました。それが自然なことだったので、面倒ではありつつも受け入れていました)。それに、聴者の子供が生まれる前は、それはそれでなんとかやってきたはずなので、『聴覚障害』と『親子共依存』の複合したややこしさがあるなー、と他人事のように思ってみていました。

あともうひとつ。フランス版にないシーンとして、兄レオが聴者の漁師たちとバーに行くところ……」ああ、これ! ここもあったね。ここ、すごかった。ここ、すごくよかった。「……あれはとてもリアルだとおもいます。疎外されないために一応付いてはいくのですが、当然会話の内容についていけないので孤立する。あの種の孤立感をろう者は常に感じているのを、前提として理解しておく必要はあると思います」という。ありがとうございます。

一方、ダメだったという方もご紹介しましょう。「さにわ」さん。

「まだ年始めですが、ワースト級にダメでした。娘に依存しているのはわかりますが、あの両親は娘が生まれる前はどう日常生活を送ってきたのでしょうか? メールや手書きで会話するシーンがあるのにも関わらず、やれ通訳を雇わないといけないじゃないか! だの、やれお前がいなかったから免停になった!だの、数十年生きていればある程度、健聴者との対応の仕方が身についているはずなのに、ただ主人公の〝障害″のためのキャラクターで、実在感が何も感じられませんでした」というご意見。あと、まあ中盤というか、クライマックスの展開にもちょっと苦言を呈されていて。

「エターナルズでは『手話、超COOL』と思わせたり、サウンド・オブ・メタルでは難聴者であることを受け入れる手助けになったりと、難聴者への理解を促すポジティブな印象を受ける作品が多い中で、今作は感動作と謳っているにも関わらず、障がい者の描写だけを抜き取れば、ネガティブな印象しか受けませんでした」というさにわさんのような感想もございました。

■オリジナル版の『エール!』と見比べてみると今回の『コーダ』の出来の良さがよく分かる

はい。ということで『コーダ あいのうた』、私もT・ジョイPRINCE品川で2回、見てまいりました。そっちの入りはね、まあまあでしたけど、日比谷の方は結構入ってた感じみたいですね。

ということで、2021年サンダンス映画祭で史上最多の四冠受賞。そこでAppleが、やはりサンダンス映画祭史上最高額の2500万ドルで配給権を落札。その他映画祭などでも、すでに高い評価を受けている本作。さっきも言いましたけど、2014年フランス映画、邦題『エール!』のリメイク、ということで。僕は例によってちょっと不勉強で申し訳ないですけど、たしかにそういえば似たような話の予告編を見たことあるな、ぐらいで、『エール!』の本編を見たことなかったんで、このタイミングで見たんですね。

すると思ったのは、改めて、映画って……より正確に言えば「映画にとっての“よさ”」って、不思議なもんだよな、と改めてちょっと考え込んでしまうような、とても興味深い鑑賞体験となりました、(『エール!』と『コーダ』を)見比べると……というのはですね、リメイクとは言っても、基本設定だけは借りて、あとは結構違いますよ、みたいな(バランスのものもあったり)、要はアレンジの幅っていうのは当然、それぞれなんですけど。

この『コーダ』はその中でも、比較的元の『エール!』と同じことをやっている部分が、多い方のリメイクではあると言えると思うんですよね。主要キャラの配置もほぼ……まあ、ほぼ同じ。この「まあ、ほぼ」がキモなんだけど。まあ、ほぼ同じ。展開もまあ、ほぼ同じ。さらに言えば、たとえば劇中で最も多くの人の印象に残るであろう「とある音の演出」とかもですね、元の『エール!』で、すでにやっていることだったりはするんですね。

にもかかわらず……この、あまりにも明白な、映画としての質や格の違いは何なのか?!という。もちろんこれ、『エール!』も決して、悪い映画ではないので。これ、『エール!』が好きだという方には、本当に申し訳ないですけどね。全体にとてもライトなタッチ、テイストというのがこれ、『エール!』の持ち味で、それはそれで悪いわけじゃないんだけど……しかしこれ、リメイク版『コーダ』が、元の『エール!』にあった美点を、さらに深く掘り下げ、拡大し、何段階か上の感動をもたらす作品にまで昇華させている、ということはこれ、直接比較して見ると、場面場面とかを比較して見ると、やっぱりこれは明らかであるように、僕は思います。

ひとつ、改めてはっきり言えるのは、映画というものにとって、いわゆる「あらすじ」的な……お話の、一番表層の部分ですね。あらすじ的な要素は、一定の基礎を形作る何かではあっても、全体からすればやはり、ごくごく一部にすぎないもの、というか。肝心なのはそれをどう語るかの、その「どう」の部分であって。さっき言った「まあ、ほぼ同じ」の、「まあ、ほぼ」の中の違いの集積こそが、やっぱり全体的な、その最終的な質の差となるわけですよね。とても当たり前のことを言ってますけど、そのことが、すごく鮮やかに浮かび上がる二作でした。オリジナルとリメイクで。なので、見比べてみると、この今回の『コーダ』がいかによくできてる作品か、っていうのが、よりよくわかるんじゃないかと思います。

■当事者キャストやスタッフの起用が映画としての基本的なレベルを大きく向上させている

もちろんですね、そこにはその元の『エール!』が、実際には健聴者である俳優がろう者を演じていたという、まあ昔ながらのキャスティングシステムなのに対して、この本作『コーダ』では、これは1986年に『愛は静けさの中に』でアカデミー賞をすでに受賞していた、ご自身がろう者であるマーリー・マトリンさんをはじめ、ろう者役にはちゃんと、そのろうの当事者がキャスティングされる、という非常に今日的なシフトであるとか。

それ以前に、その脚本・監督のシアン・ヘダーさん自ら、そのアメリカ式手話(ASL)というのを学習して、通訳なしで俳優たちと直接コミュニケーションできるようにしてから臨んでいる、とか。あるいは、その脚本作りの段階から、「手話監督」というのが入って、ちゃんとその手話の監修をする……撮影現場でも、その手話の監修をする人、スタッフがちゃんと入ってやっている、とか。とにかく、できる限りの……これはそのろう者であるマーリー・マトリンさんも、「こんな現場は初めてだ」っていうことらしいんですよね。やっぱり全然、そこは捨て置かれてることが多かったみたいなんで。

とにかく、できる限りの誠実さと、必要なコストをちゃんと払って、主要キャラクターであるろう者たちというのを描こうとしていること、などなどの、そうしたそもそものアプローチ、そもそもの姿勢の真摯さ、それによって生まれるリアルさ、実在感が、映画としての基本的なレベルを大きく向上させている、というのはこれ、もちろんあるでしょう。で、こういうことに関しては、たとえばろう者描写がどれだけちゃんとしてるか、とか云々に関してですね、これはいずれ、この番組でまた、ろう者と映画……最近、ろう者が出てくる映画が多いですからね。ろう者と映画という形で特集をいずれ、ちょっと近いうちに組もうかな、という風に考えていたりするかな、という感じですね(※2月15日にやることになりました!)。

でですね、今言ったようなのは、主にその演技面でのプラス要素ですね。なんですけど、この『コーダ』という作品、それ以外の部分でも……たとえば一見、非常にドキュメンタリックな、手持ちカメラとかでごくごく自然な感じで撮っている画面なんですけど、実はあるデザイン的な意図をもって、しっかり構成されているよ、みたいなことだったり。実は映像的にも、このシアン・ヘダーさんという方、かなり密度の濃い演出を、さりげなくもされている方ですね。

■画面上に頻出する「画面をちょうど二分割する水平線」の意味

これ、撮影監督をしてるのは、パウラ・ウイドブロさんという方。シアン・ヘダーさんとは、長編デビュー作の2016年『タルーラ 彼女たちの事情』という作品、これでも組んでる方。これは今、Netflixで見られるので、ぜひ! めちゃくちゃ面白かったです。エレン・ペイジ……今はエリオット・ペイジになってますけど、エレン・ペイジとアリソン・ジャネイっていう、要するに『JUNO/ジュノ』のキャストですよね。『JUNO/ジュノ』のキャスト2人も出ているという、まあこれ、それぞれに正しくなさとか、それぞれに欠落を抱えた、全く立場の異なる女性3人の、広い意味でのシスターフッド物……広い意味でですよ? すごく広い意味での、なんか絆みたいなものが生まれて……とても変わった、でも面白い作品でしたね。

とにかく、あれですね、『オレンジ・イズ・ニュー・ブラック』とか、『GLOW』とかも手掛けられますけど、そういうちょっとなんていうか、今までとは違うタイプの女性主人公たちというか、そういうのを描くのに本当に長けているシアン・ヘダーさん。で、この撮影監督パウラ・ウイドブロさんとも前から組んでいるということなので、画作りも恐らくお互いに心得たもの、ということなんでしょうけど。まず注目していただきたいのは……一見普通に、ドキュメンタリックに撮っているんだけど。注目していただきたいのは、もうオープニングから、タイトルが出るところから……『CODA』っていうタイトルが出る、まさにそこのところ。

これね、まず『エール!』は酪農家という設定だったのがね、これはシアン・ヘダーさんが縁があるという、グロスターという港町……これ、映画で言うと『マンチェスター・バイ・ザ・シー』とかに近いな、なんて思っていたら、実際、あのへんみたいです。マサチューセッツ州エセックス郡。非常に近いんですけど、そこに舞台が移されて、家業もトロール漁に変わっていたりするという。

で、これによって、まず単純に、主人公家族の社会に対する寄る辺なさ……土地もあって牛もいて、っていうんじゃなくて、もう船一個でやってる仕事だし、まあさっきのメールにあったように、そこでやっぱり聴者である娘の手伝いが絶対に必要になってくるっていう、それもそうですし。当然、その経済的な不安定感、切実さっていうのも増して、お話上の効果も増している、ということが非常に大きいと。

なので当然、オープニング、海の上なんですね。で、家業のトロール漁をやっている。画面上のちょうど真ん中の位置に、水平線が来る……要するに(画面の)中央に、その水平線があるわけです。で、左にぽつんと主人公家族の船があって。その上にタイトル『CODA』って重なるわけです。まあその「コーダ」というのは、音楽用語じゃなくて、ろう者を親に持った健聴者の子供、「Children of Deaf Adults」の略ですけども。

つまり、主人公ルビーの立場がコーダなわけですよね……これ、もはやおわかりかと思いますが、画面の上下の真ん中を走る水平線、これが要するに画面をちょうど二分割しているわけですけど、それが主人公が置かれたこの二つの世界、その真ん中にいる主人公、っていう立場を、まずは映像的に表しているわけです。『CODA』っていうタイトルが出るところで。で、これ、タイトルが出るところだけじゃなくて、実際にこの冒頭のような海上シーンではなくとも、『コーダ』という映画全体をよく見ていると、全編でこの「画面をちょうど二分割する水平線」、真ん中で横に割るような線が、人物たちの背景などに、巧妙に配されたショットが頻出するんですね。それによって、「二つの世界の間」にいる主人公というのを、画的にも際立たせている、という。そういう実は、周到な画作りもしている。

■歌をうたうときの気持ちを尋ねられた主人公の「世にも美しい、その答えの示し方」

あるいは、主人公が唯一、家族から離れてひとりになれる、あのプライベートな空間としての、崖に囲まれた湖のシーンが出てきますけど(※宇多丸補足:このロケーション、個人的にはどうしたって『ヤング・ゼネレーション』のあの旧石切場を連想せずにはいられないものでした!)、後半、そこで彼女は、まさしくザ・青春!なひとときを謳歌するわけですよね。でも、ザ・青春なひとときを謳歌するそこで、どんな遊びをやってるかっていうと……水面に浮いた丸太に、立てるかどうか?っていう遊びをしてるわけです。つまり、二つの世界の境目で、バランスを取れるか……危ういバランスを取る、という遊びをしてるわけです。

そして、その青春を謳歌してる、その水面の上にバランスを取って立つ、という遊びをしているまさにその時に、残りの家族は、健聴者の世界とろう者の世界、この二人の世界の断絶と軋轢を、ちょっとギョッとするような暴力的な、まさに二つの世界がぶつかり合う……画として「ぶつかり合う」このショット、すごくびっくりするんですが、画としても「ぶつかり合う」ものとして、断絶・軋轢を突きつけられている。どちらも水面上だが対照的な二つのシーンを、並行、対比させることで、主人公の立場の不安定さ、寄る辺なさを、見事に際立たせている、という。

そんな感じでですね、基本はのほほんとしたタッチの元の『エール!』に対して、この『コーダ』っていうのは、主人公たちが抱える寄る辺なさとか、壁とか、葛藤というのが、より厳然たる、つまり大きな、重いものとして描かれている、という。

たとえばですね、主人公にとっての「歌うこと」の切実さっていうのは、もうこの『コーダ』は、段違いですね。『エール!』の方は、少なくとも最初の方は、まあ、音楽好きではあるんだろうけど……くらいのテンションなんだけど。この(『コーダ』のほうの)主人公は、冒頭、さっきから言ってるそのタイトルの冒頭のところ、家業であるトロール漁を手伝いながら、耳の聞こえない父と弟をよそに、エタ・ジェイムズの「Something's Got A Hold On Me」……「なにかが私の心を掴んで離さない」という歌を、一人で朗々と歌い続けている。

しかも、人前で歌うことは……これは、ろう者家族の中で育ったがゆえの発音、発語を以前に笑われた、という経験から、人前で歌うことは、恐れている。その葛藤の大きさ、切実さ。これが前提となっている。つまり、本当は歌いたいけど歌えない、歌うのが怖いっていうのは、いずれ家族の元を離れるかもしれないけど離れたくない……という、このメインのストーリーの葛藤みたいなものとも、繋がってるわけですよね。

で、この前提があればこそ……中盤、先ほどのメールにもありました。僕は、このシーンがあるからこそこの『コーダ』は500億点だ!と思ったシーンです。ポロポロと落涙してしまいました……彼は彼でいろいろ抱えてここまで来たっぽい、その音楽教師に、「歌う時、君はどういう風に感じているんだ?」という風に問われて、それに対するルビーの、もう世にも美しい、その答えの示し方。これが最高に活きるわけですし。彼女の葛藤が大きいからこそ。

彼女にとって、あの手話っていうのは、「第一言語」なんです。彼女にとっては。つまり、おそらく彼女は、そこ(他の家族が使っている手話)から(言葉を)覚えたんです。だから、それでその中盤で(心からの思いを伝えるのに、手話を使う)……自分にとって一番表現しやすいのは、その手話と、歌なわけですよね。だから、さらにそれが、展開そのものとしてはオリジナルにもあるにはあるクライマックス、彼女がついに「自分なりの歌い方」を見つけるあのくだり、これの、とても重要な伏線になっているわけです。さっきのその、先生に問われて返すのが。ここは『コーダ』オリジナルのくだりなんですけどね。それが、元の何倍もの巨大な感動をクライマックスで生む、仕掛けになってるわけです。

加えてこの場面、彼女がその、「自分なりの歌い方」を始めるところ。これ、今回の『コーダ』では、(『エール!』の同場面のように)その先生の言葉上の励ましじゃなくて、そこで家族が会場に入ってきたのがわかったから始める、という、非常に理にかなった段取りになっていて。これ、細かいところですけど、非常に説得力が倍増する段取りに、ブラッシュアップされてますよね。ということで、こんな感じで、シアン・ヘダーさんのアレンジというのが、題材に対するより的確で深い再解釈というので、まずは本当に見事に、全編で決まっている作品だという。

■いきいきとした登場人物たちの実在感。お父さんの下ネタジェスチャーギャグも最高

ただし、それらは全て、先ほども言ったことに戻りますけど、その演者たちを生き生きとさせ、キャラクターの実在感、身近さを増すためにこそ、いろいろとやってるのは間違いない。

なんと言っても主演のエミリア・ジョーンズさん、凛としてキュート、もう誰もが感情移入してしまう存在感。彼女は、手話と歌(※宇多丸補足:それに加えて、トロール漁の作業も!)、どちらも「完全に身に付いたもの」として演じなければいけない、非常に高いハードルがあったわけですが、完璧にそれをこなしてみせています。

あと、お父さんのトロイ・コッツァーさんね。あの、訳さなくてももうわかってしまう、下ネタジェスチャーギャグ(笑)。もう最高ですね、ああいうところはね。あと終盤、その娘の歌を、彼なりのやり方で「聴く」というくだりも、これはオリジナルの『エール!』と比べると、やってることは同じなのに……要するにこちらは、娘の歌を、彼が初めて「発見していく」っていうのかな。その、ようやく本当の意味で(娘の歌の素晴らしさに)気づいていく、というようなプロセスとして、丁寧に演じられ、描かれていて。ここ、エモーションが何倍にもなっていますし。

お母さんのマーリー・マトリンさんも、さすが。これはろう者ハリウッドスターとしてパイオニア、レジェンドだけあって、さすがです。彼女がいろいろ働きかけたあれで、今回の作品というのが実際に成り立った、というようなことも大きい。非常に功労者です。

そしてあの、お兄さんね。ダニエル・デュラントさん演じる。これ、弟から設定変更になったことで、最も深みを増したキャラクター。ちょっと『シング・ストリート』のお兄さん的なね、送り出す立場、みたいな。そういうところも含めて、非常に味わい深かった。で、その『シング・ストリート』にも出ていた、フェルディア・ウォルシュ=ピーロさん。あのキョトンとしたような無垢な表情、存在感。相変わらず健在でしたね。素晴らしかったですね。

■シアン・ヘダー監督、作家として非常にレベルが高い

他にも、さっき言ったようにオリジナルにもある、とあるその非常に印象的な、音演出。ここもですね、その展開になりだすまさにその瞬間、この『コーダ』では画面中央、さっき言った二分割の線……これ、この場合はステージ。ステージの線で二分割。そこから、そのろう者側にピントが移る、という非常にシンボリックな画作りっていうのも、実はしっかりしてますよ、とか。クライマックス、『ヘレディタリー』のエンドロールではあんなに気持ち悪く聞こえたあの名曲が(笑)、歌詞の中身と相まって、非常に感動的に響きますとか。

特にこれ、その歌を歌いながら、後日譚的なモンタージュにそのまま突入していく……そうすると、だんだんとアレンジが、本当はピアノ一個のはずなのに、だんだんアレンジが加わって、要するに現実から離れて、ゴージャスになっていく。このくだりの、音の演出を使ったこの、アゲ方ですね。このアゲの展開とかも、見事でしたしね。はい。あとラスト、主人公を車で送っていく人を、「この人からこの人に変えた」ことでやっぱり、その大人の庇護を離れる、っていう感じがちゃんと出てるじゃないか、とか。

とにかくシアン・ヘダーさん、この方のアレンジが素晴らしいですし。作家としてちょっと、非常に高いレベルだと思います。この人、ちょっとすごいと思います。まあろう者のキャスティング、お話上の扱い、ここを起点としてさらに進歩していくべき、画期的一作でもあるであろうと思いますし。特に僕は、先ほどから言ってるようにその『エール!』と比較した時によりすごみがよく分かる、というような一作でございました。画面作りなども含めてですね、ぜひぜひ機会があったら見比べてみてください。ぜひぜひ『コーダ』、劇場でウォッチしてください! 

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『ハウス・オブ・グッチ』です)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

◆過去の宇多丸映画評書き起こしは

こちらから!

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