宇多丸『ドント・ルック・アップ』を語る!【映画評書き起こし 2022.1.7放送】

アフター6ジャンクション

TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。    
 

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宇多丸:    
さあ、ここからは私、宇多丸が、ランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する、週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのは、昨年12月17日から公開されたこの作品、『偶然と想像』

(曲が流れる)

シューマンが非常にね、何曲か印象的に使われておりますけどね。このあたりは、小室敬幸さんの解説待ちでしょうか(笑)。『ハッピーアワー』『ドライブ・マイ・カー』などの濱口竜介監督、初の短編集……(台本に書かれたあらすじを見て)ああ、これちょっと、中身を言わないでいい? すいません、これはストーリー、伏せたい……『偶然と想像』をテーマに、3つの物語が描かれる。出演は、古川琴音さん、渋川清彦さん、占部房子さんなどなど、結構ね、濱口さん組の常連もいたりとか。第71回ベルリン国際映画祭のコンペティション部門に出品され、審査員グランプリを受賞した作品でございます。

ということで、この『偶然と想像』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)を、メールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「多め」。これ、すごいね。都内だとBunkamuraル・シネマだけでしかやってませんしね。そんなに大きい公開じゃないけど、多め。なおかつ、これね、賛否の比率。否定的な感想は、待てど暮らせど来なくてですね。絶賛100%という……少なくともこの番組のメールに関してはそうなっております。絶賛もしくは面白かった、という感想のみ。

正直、そういう否定的な面で捉える人がいても全然、それはそれで仕方ない感じの作風ではあると思うんですけどね。はい。いやいや、すごいですね。うちの番組のリスナーにはドスンとストライク、はまった、ということでしょう。主な意見としては、「とにかく脚本がすごい。この話はどんな結末を迎えるんだろうと最後まで目が離せなかった」「舞台演劇のようでもあるが、カメラワークにもアイデアがあり、ちゃんと『映画』になっている」「思わず声を出して笑ってしまう場面もあった」「3つの話の並び順もいい」などなど、本当に絶賛メールが並んでおります。

■「映画的としか言いようがない上品でスマートな傑作!」

代表的なところをご紹介しましょう。「めんトリ」さん。

「『偶然と想像』、Bunkamuraル・シネマとキネマ旬報シアターで2回観てきました。昨年で最も劇場内が笑いに包まれた映画だと思います。まず、驚異的な脚本の構成力に驚かさました。朗読劇のような特徴的な台詞回し。それが作品の独特のドライブ感を生み出していて、さらに想像を掻き立てられる演出も多く、つい細かいセリフや背景にまで深読みしてしまいます。スケールはさほど大きくないのに、設定のユニークさと演出の巧さを掛け合わせた結果、純文学のようでもあり、コントの様でもあり、なにかとてつもない領域まで連れて行かれるような感覚に包まれました。

特に2話、自己評価の低い女性が対話を通じて自己肯定感を高め、自身への理解が深まる様子は、深く心に刺ささりました。また映像に関しては、フィックスで撮る絵面が非常に心地よく、ここぞという場面で不自然にカメラがズームするのも秀逸。場面切り替えなどの構成がとてもシンプルで、長回しのシーンも多数なのだが、カメラや役者の動きも含め全く退屈しない、見事なつくりだったと思います。映画的としか言いようがない上品でスマートな傑作です!」とかですね。

「喜八郎」さんもですね、「『ハッピーアワー』『ドライブ・マイ・カー』共に大好きな作品ですが、本作は更に大切に胸の奥に留め、時おり反芻したくなるような一本となりました。しみじみ思うのは、『人と人の関係は、その当事者同士にしか分からない』『もしかしたら、当人同士でさえ分からないほど、豊かかもしれない』ということです」。これはまあ、濱口竜介作品全体にね、本当に言える感慨かもしれません。まあ、いろんな役者さんのことを書いていただいて。

これ、ちょっと今日ね、できるだけストーリーの細部に触れたくないんでね。ちょっとごめんなさいね、あんまりこういうところに触れられなくて。あとね、「みつ」さんはね、もういろいろ書いていただいて。「何より本作は、お話の順番が絶妙だと思いました。第3話『もう一度』から始まってたら、僕はきっと本作にリアリティを感じられなかったです」。これ、監督ご自身がインタビューで、どんどんどんどん突拍子もないというか、いわゆるリアルじゃない方にどんどん話が振れていく分、エモーションみたいなものも増していくという順番になっています、というようなことをおっしゃってますね。

はい、シューマンが流れております。ということで皆さん、メールありがとうございます。

■コーナー初登場の濱口竜介作品をあらためて整理してみる

そうですか、そうですか。もう皆さんの読み解きで十分、といったところですけどね(笑)。『偶然と想像』、私もBunkamuraル・シネマで2回、見てまいりました。正月早々と言いましょうか、1週目からもう、老若男女問わず、結構入っていたと思います。そして、メールにもありましたようにですね、自然に爆笑が要所で起きている、という非常にいいムードでしたね。皆さん、本当に楽しんでる感じが伝わってきました。

脚本・監督、濱口祐介さん。『ドライブ・マイ・カー』とこの本作、あと共同脚本の黒沢清監督『スパイの妻』などの世界的評価……もともと世界的評価はありましたけど。これでさらに……だって、アカデミー賞さえ狙うかという勢い、という中で。ここに来て完全に、日本映画界新世代の最注目株、最出世株となっている、というのが、このお客がいっぱい入っている、注目度が高いっていうのも反映された感じかもしれません。

でね、この僕の映画時評コーナー、濱口さんの作品を扱うのはこれ、実に遅まきながらという感じで申し訳ないですが、これが初、ということになってしまったので。まずその、でも本当に独特な、既にはっきり確立されたように見える作風、といったものから……特にその、濱口さんの映画をご覧になったことがない方に向けて、ちょっと僕なりに整理してみたいかなと思います。特に『ドライブ・マイ・カー』とかは、「評判だから」といっていきなり見ると、結構面食らう人もいるんじゃないかな、という気もするんでね。

「何かすごいことが、“演技”によって、今まさにカメラの前で起こっている!」

まずその、劇場パンフに掲載されている出演者座談会でも、今回の第1話に出てくるあの玄里さんという方がおっしゃっている通り、まず濱口監督、1週間から10日ほど、ひたすら感情も込めずに脚本を読み合わせる、という。これ、あの『ドライブ・マイ・カー』の劇中で出てくる読み合わせ、まさにそれですね。「感情を入れないで」っていう風に繰り返しているあれ、まさに濱口演出なんですね。

そういうメソッドなどを含め、とにかく役者さんたちに対する演出……というより、役者さんたちの生かし方というか、もっと言えば役者さんたちを使った脚本のというか、映画の生かし方、というか。あたりに……とにかくだから、演技・演出、役者さんの撮り方、表し方、使い方といったあたりに、本当に独特のすごみ、輝き、怖さ、みたいなものさえあるという。

まあ、基本は会話劇、大量のセリフが劇中で交わされる、という作りが多いですけど、いわゆるその、自然主義的というんですかね、「自然な」演技方向ではなく、皆さんも書かれていましたけども、なんかむしろちょっと人工的な匂いがするようなセリフ回しも特徴的ですし。あるいは、なんならその劇中で、登場人物たちが「何らかのロールを演じる」という構造が、しばしば取り入れられるわけですよね。そもそも劇中で「演じている」というようなこと。

で、要はこれ、濱口さんご自身の著書のタイトルにもありますように、『カメラの前で演じること』というね。これ、『ハッピーアワー』の時の『テキスト集成』という本ですけど(『カメラの前で演じること 映画「ハッピーアワー」テキスト集成』)。『カメラの前で演じること』という……まさにその、実写劇映画の、本質ですよね。カメラの前で、まあ言っちゃえば嘘っぱちを「演じる」わけですけどね。

という本質に対してですね、とても意識的にそれを利用し、さらには掘り下げていくような、役者、演技の使い方。とにかく「演技」というものの使い方ですね。その結果、たとえばふとしたポイントから、そのセリフを言っているその人が、さっきまで我々が思っていたのとは全く違う、別の異様な何者かに見えてくるような……それはもちろん「他者」というものの得体の知れなさであるし、もっと言えば、これも濱口さんの映画でよく出てきます、要するに自分自身も、自分自身が得体が知れない、というような感じ。要するに、人間というものの中の得体の知れなさの表れでもあるような何か、というか。

とにかくですね、「何かすごいことが、この演技によって、今まさにカメラの前で起こっている!」という感覚に襲われるような瞬間というのが、不意に現出したりする。それこそが……これ、濱口さんご自身の言葉で言うのが一番明晰で。本当にご自身が非常に明晰に作品分析されているんで一番だと思うんで、引用しちゃいますけど。これ、あの『映画の言葉を聞く』というフィルムアート社から出ている、これは早稲田でいろんな方を呼んで講義をしたやつのインタビュー集みたいな感じなんですけど。これ、聞き手はまさに長谷正人先生。ちょっとだいぶご無沙汰しておりますが。長谷先生もちょっと、いずれまたお呼びしてなんかお話を伺いたいですね。先生、お元気でしょうか?

長谷正人さんによるインタビューの中で、学生の質問に答えていらっしゃるくだりなんですけどね。こんなことをおっしゃっている。「ある虚構のセリフのやり取りを重ねていくと、ある時それが本当かどうかを判断することを忘れぐらいに見入ってしまう状況に陥ることがある」「演技という行為において、セリフを使って会話をすると、時としてフィクションとリアルの境目が曖昧になる瞬間がどうしてもある」

「演技はどこまでリアルを獲得していても演技でしかなく、そしてカメラというのは演技を演技として映してしまうものでもある」という風にしつつも、濱口さん、「これはリアルである、これはフィクションであるという境界がはっきりしない領域に、演技が達する瞬間がある。それをそのまま記録することがカメラには可能なのだ」というような自作のスタンスというか、お考えを述べられている。これほど濱口竜介監督作品の醍醐味を、明晰に語った言葉というのがあるでしょうか? ご本人の言葉が一番明晰、っていうね。(評する側としては)困ったもんですけどね、これね(笑)。

■「演技」というものの掘り下げ方の深さが、世界的に濱口監督が評価されている理由のひとつ

で、同じ本の中でですね、セリフとか言葉というものを使う時に気を付けていることとして、「しゃべっていることと見えているものの間で何か違うことが起きているようにする」「ある種説明をしつつも、単に言葉通りのことを言っている場面にならない」ように気を付けている、というようなことをおっしゃっていて。

これもまた、会話劇、セリフ劇……僕、以前に言いましたよね。「会話劇、セリフ劇の良し悪しを見るひとつのポイントとして、言ってることと『実際に重要なこと』が違う作りであるかどうか、というのがある」と言っていて。まさにそのこと。濱口さんの作品が常に映画的というしかないスリリングさ、不穏さをたたえているということの、単純だけど大事なポイントでもあるかな、という風に思います。この言葉。

とにかくこのようにですね、一見非常にミニマルな、まあしゃべってばっかりの、くっちゃべってばっかりの映画ではあるわけですよ。なので、ちょっとそこが苦手とか、だから評価しないっていう人が一定数いても、全然それは仕方ない、っていうタイプの作りではあると思うんですよね。なんですけど、実は、特にその実写劇映画というものの本質、根底。だからその、カメラの前で役者さんが演じる──嘘ってわかっているものなんですけどね──なんだけど、その本質、根底を一から問い直し、掘り下げ、発展させている作品たちでもある、という。

そういったあたりにですね、濱口さんが世界的にここまで評価されている、大きな理由のひとつっていうのがあるのかな、という風に私は思いますよね。まあ、ものすごくざっくり言えばですよ。他のいろんな魅力もありますけど。でもそれはやっぱり、その演技というものの掘り下げ方、見せ方……演技ってこんなことができるのか!みたいな。そういうところでしょうね。

■ストレートに「面白い」(下世話含む)! ゆえに濱口監督作品ビギナーに最適な本作

ということで、もちろんね、『寝ても覚めても』、もちろん『ハッピーアワー』の話もしたい、『PASSION』っていうね、これは芸大の卒業制作なんですかね、これの話とかもしたいんですけど、まあそんなにああだこうだと言ってる時間もないので。まあ撮影順としては、緊急事態宣言の影響で撮影中断した『ドライブ・マイ・カー』より前から始まっているいうことになる、今回の『偶然と想像』なんですけども。

濱口さんご自身が公言されている通り、これ、短編集というのは、1994年の『パリのランデブー』という作品あたりをはじめとするエリック・ロメール作品の影響、「ぽさ」、これはちろん感じられる。エリック・ロメールっぽいねっていう言い方、これはもちろんできる。恋愛小話、みたいな、そういうところも含めてね。あと、インタビューなどでは、ホン・サンスとの共通点……ズームの使い方とか、いろいろなのを指摘されたりもしているようですけど。とは言えやっぱり、さっきまで述べてきたようなザ・濱口竜介作品!な特徴を、ゴリゴリに備えた一作なのはもちろん、間違いない。

ただし今回は、1話40分程度の、短編集なわけですね。これまでにないほどストレートに「笑える」内容、一種コメディ的な要素も多めな、いい意味でライトなテイストな作品でもあるわけですよ。上映時間も、121分かな、他の濱口作品は、やっぱり長めですからね。という意味で……『ドライブ・マイ・カー』が逆にね、濱口竜介作品の中ではこれ、私の私見では、比較的ハードル高めな一作なのとは対照的に、今回の『偶然と想像』は、濱口竜介さんの映画の中でも、ビギナー、入門に一番最適な入り口と言えるんじゃないかな、という風に思います。とにかく本当に、ストレートに「面白い」んでね。下世話だし(笑)。

ちなみに3パートとも、僕自身、劇場で思わず何度かですね、「あっ!」とかですね(笑)。笑いも上げたけど、「あっ!」とかですね、「あっ、ああっ、ああーっ!」とかですね、「ああ~……」とか、何度も声を上げてしまったサプライズな展開が、それぞれ3話ごとに用意されていますので。これ、ストーリーの具体的な説明、ディテールなどは、本当にできるだけ触れたくない。ただただですね、「なんでこんな話を思いつくのか?」という、唖然とさせられてしまうようなその奇想の部分であるとか。『偶然と想像』というタイトル、まさにその「リアル」と「フィクション」の間を、綱渡りするようなっていうか。

だって、ストーリーを作る上で、「偶然」って、本当はあんまり、排除しなきゃいけないことなわけですよ。どっちかって言うとね。フィクションっていうのはさ、「偶然です、偶然です」じゃあ、話にならないわけですけど。その、リアルとフィクションの間を綱渡りするようなスリリングな時間を、ぜひ皆さんご自身でですね、堪能していただきたい。「これは偶然なのか? いや、意図なのか? いや……?」みたいなね、ようなところを、それはもうご自身で味わっていただくのが一番なんですが。

■一見リアルな会話より、現実から遊離した「演技」のほうが、登場人物たちにとっては「本当」だったりする

いくつか差し障りのない範囲で、例によって補助線を引いておくならばですね。とにかく3パートとも、メインの舞台となる部屋、っていうのあるわけです。その部屋に、二人の人物が入って。で、最初に部屋に入ってきた時と、出ていく時とでは、完全にもう様相が変わっている、というかね。さっき言ったように、全く別人のような顔を露わにする、というような場面があったりする。で、そのメインの部屋のくだり……部屋の中に二人、がメインです。3パートとも全部、それです。で、その前の部分は、物語的なセッティング、説明にあたる部分。で、その後の部分は大オチ、みたいなことなんだけども。

その前後の方が、会話とかのトーンがより、さっきから言っている、いわゆる自然主義というか、まあそっちの方が「リアル」なトーンなんですよね。前後の方が。たとえば第1話。序盤のタクシー内での、ガールズトーク。あれはまあ、「リアル」ですよね。すごくリアル。自然主義。だから、あそこから入るのも、うまいですね。観客に抵抗を抱かせない。「自然な」会話から入ってるから。「ああ、なんかすごくリアルに捉えているな。うまいな」って感じがまず、わかりやすくしますよね。

でも実は、リアルに見えたその部分より、ちょっとだけ現実から遊離したトーンに、どんどんどんどんエスカレートしていく、このメインの部屋の中のパートの方が、登場人物たちにとってはより「本当の」こと、「リアルな」核心に迫っていくパートでもある。第1話なんか、さっきのガールズトーク、「リアル」に見えたそここそが、ある人物にとっては、本音を押し殺した、恐ろしい「演技」であったことが、さかのぼって分かったりもするし。第2話、第3話では逆に、一種のロールプレイ、演技こそが、リアル、核心に近づくきっかけとなっていったりする、と。

そして、共通する部分として、やっぱりその、自分のよく知ってると思ってた人の、「別の顔」を見てしまうという、それによる戸惑いであったり、なんならちょっとドキドキ……ちょっと名状しがたい、なんか心のざわめき、というのが共通して描かれたりする。これが本当に、濱口さんの映画だわ~! 濱口竜介さんの映画を見てるわ~!っていう感じがする構造になっていると思いますけどね。で、その、メインの部屋の中。注目しどころはやっぱり、その部屋の中の二人が、さっきも言いましたけど、最初に入ってきた時と出る時では、全くその様相が変わっている。力関係すら変わっている。

その二人のですね、位置関係……最初は、どれだけ離れて座っているのか? 間に、ものがどれだけ挟まっているのか? そしてその距離が、いつ、どのタイミングで縮まりだすのか? 特に第2話はやっぱり、その「距離」っていうこと自体が分かりやすく、ハラハラドキドキの、まさしくもう、サスペンスですね。本当にサスペンスを醸し出してたりする。サスペンスと同時に、っていうそのドアというか部屋を隔てた一個向こうでは、普通の日常がある、という。この面白みもあったりする。

そして、その距離を隔てた人同士が、だんだんだんだん距離を縮めだして。ついにその二人がですね、物理的にも心理的にも「正面から向き合う」、その瞬間。ここで、満を持して正面から撮ったショット……相手側、つまり観客の方を真っ直ぐ見つめてくるショットが、満を持してバーン!と出てくる。そここそが一大ポイントになるわけですけど、これがいつ、どのタイミングで放り込まれてくるのか? ここにも注目していただきたいですし。

「なんで寄るの? ええっ? そこで急にズームですか?」

たとえば第1話。ついに放り込まれた……ずっとそのオフィスの中をあっちゃこっちゃ行ったり、椅子に座ったり、椅子をクルクル回したりとか。で、最初は自分の席に座っていたある人物が、もう我慢できなくなってこっち側にやってくる。一旦、こっち側に、外に出ようとするけど戻ってくる。からの、すったもんだがあって、ついに正面からガッと、ある意味観客としては目が合っているショットになるわけです。

二人の距離、やっとゼロに……と思ったその瞬間、さらに放り込まれるこれ、たとえば『PASSION』という作品で言うとですね、見た人誰もがああっ!って印象に残る、「あのトラック」にも匹敵するような、ショッキングなこの「外部」……ちょうど、二人の間に他者性がなくなった、と思ったそこに、思わぬ外部、他者が、グッと画面に侵入してきて、「おおっ!」ってなるという。これの、思わず「あっ!」となってしまう、この間合いであるとかもすごいですしね。

あとはやっぱり、3話それぞれに「ここぞ!」というところ、ポイントで投入される、これはメールに書いてる方もいっぱいいました、カメラの唐突なズームですよね。これ、ズームっていろんな使い方がありますけど、この作品の場合は、ズームそのものが、お話としての飛躍、現実からの遊離を牽引する、っていうかね。ズームが、「いや、これはもうリアルなんか飛び越すんだ!」っていう、ガッ!ていう意思を感じさせる。要するに、ズームって、すごくカメラを意識させる作りなわけですから。非常にスリリングにして、同時にちょっと人を食ったユーモアも感じさせる、っていうかね。

ズームって、言っちゃえばちょっとダサいわけよ。だから「なんで寄るの? ええっ? そこで急にズームですか?」みたいな。そういうユーモアもある。特に、第2話のズームの使い方は……もうここです。僕、思わずこの第2話のズームの使い方で、「あっ、あっ、あーっ!」って……あれですね。夢で、寝てる時におしっこを漏らしたのに気付いた時のような、「あっ、あっ、ああーっ! も、もうっ!」って(笑)。声を上げてしまいました。

1話ごとにエモーションが高まっていくようなこの構成も、これも皆さん、おっしゃってます、素敵でしたね。やはり、たとえば1話。『寝ても覚めても』などとも通じるような、濱口さんはこのテーマが多いですけど、恋愛というか、人を好きになるというか、「人に執着してしまう」ということの理不尽、非合理な、「呪い性」の話。第1話……第2話の終わりにもちょっと入ってるね。「呪い、かけるぞ? お前にもう1回、呪いかけるぞ?」っていう話。(第1話では特に)中島歩さんがいいね。これ、受けのね、(芝居が)絶品でしたね。素晴らしかったね。彼はいい役者ですね!

あと、サスペンスルフルでユーモラス……もう本当、全編がサスペンスだけど、笑っちゃう、そしてやっぱり深いところでは、エロティックでもある第2話。最後にはその、やっぱり人に執着することの呪い、「もう1回、お前に呪いをかけ返してやる!」という、こういうくだりがある。どういうことを言ってるかは、見てください。

■間口は広い、敷居は低い。だが、奥は深く、恐怖さえ感じる。濱口さん、恐ろしい人!

そして、『PASSION』では同一場面にいなかった、浦辺房子さんと河井青葉さん、このお二人の役者さんによる、世にも奇妙な、しかし深く胸を打つ再会劇である、この第3話。これ、まずコロナの裏返し、明らかにコロナの裏返しとなっているSF設定。それを、シレーッと字幕で説明……第3話で、急に字幕の説明がくどくどと始まった時に、これも笑っちゃうわけですよ(笑)。なんかこう、これは褒めてるんだけど、「うわっ、適当だなー!」みたいな(笑)。「雑だな、ここだけ急に!」みたいな。

でもその、コロナの裏返しにちゃんとなっているんですね。要するに、直接会わないといけない、っていう。で、ここでの二人が、そのロールプレイを通して対峙する、っていう窓辺の、まさにクライマックスですけど、まるでここ、舞台のように切り取られているんですね。両側にカーテンがあって、四角に切り取られている。で、それを時々、こっちの窓の外から切り返して……なんていう見せ方も、うまいですしね。あの、中学生の息子のね、「いらっしゃい……」って。あれ、『家族ゲーム』の宮川一朗太以来の、真に「らしい」中学生男子、久々にスクリーンで見させていただきました(笑)。

それでいて、3話に共通して……途中、第2話の渋川さんの教授が言うような、その、名付けがたいような領域にとどまる人、社会の枠組みからどうしてもずれたところに行ってしまう人、という同士こそが、お互いを、離れた位置からでも励ましうる……微かな「のぞみ」がある!っていうね。というだけでも、この世はまあ、捨てたもんとも言えないのかな……というぐらいの塩梅。これは、要するにある種、文学をはじめ、アート、エンターテイメント、要は作り物……あらゆる、作り物なんだけど切実な表現物すべてに通じる、より大きな何か、の・ようなものをさえ、やんわりと浮かび上がらせる。

だからこそ、第2話の、あの佐々木の勤めている出版社は本当にクソ、ということを言わざるを得ない……何のことを言ってるか、これだけ聞いてると分かんないと思いますけど(笑)。でも、その教授が言ってることと、彼が勤めている、その出版というところに携わりながら……という、その対照でもあるわけですが。とにかくより大きな、「表現とは何か」みたいな、なぜその「何か」を人に投げかけるのか……もっと言えば、コミュニケーションへの欲求かな。なぜ、人と繋がろうとするのか?みたいな。そういう大きなことまで浮かび上がってくる。

なんてことを言うと、小難しく聞こえるかもしれませんけど。まーったく、そんなことはなくて。本当にストレートに笑える、一種下世話な……なんていうの、恋愛コメディだし、艶笑コメディ的な要素もあるし。なんだけど……つまり、しっかり間口は広い、敷居は低い。だが、奥はズブズブに深く、ちょっと恐怖さえ感じる、みたいな。いやー、濱口さん、恐ろしい人。ねえ。

世界的な評価、高まってるのも本当に納得だなと思いますし。そういう人が、肩の力を抜いて撮った作品のまたすごみ、というかね、それもありますしね。濱口竜介さん作品、今まで見たことがない、という方はぜひこれ、入門編にも最適です。あと、さっき言ったように、劇場、笑い声が上がっている中で見るのが、何しろ一番の体験なので。僕みたいに「あっ、あっ、あーっ!」とかね、声を出していいからね(笑)。ぜひぜひ劇場で、リアルタイムでウォッチしてください!
(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『ドント・ルック・アップ』です)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

◆過去の宇多丸映画評書き起こしは

こちらから!

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