おぎやはぎとマッサマンカレー【連載エッセイ「TBSラジオ、まずはこれから」】

JUNK

エッセイストの中前結花さんが、さまざまな番組の魅力を綴るエッセイシリーズ「TBSラジオ、まずはこれから」。『おぎやはぎのメガネびいき』を聴いて食べたカレーをきっかけに7年前の記憶をほどいていきます。

 

「マッサマンカレー」を食べていた。
ふと目線を上げた先のフライヤーには、「スパイシーな味に心踊る!」と書かれてあって、わたしは「まさに」とコクリ頷く。
時間は21:00を過ぎていて、「ようやくこんな日常が戻ってきたんだなあ」なんて、ちょっと感慨深く思いながら、牛めしチェーン「松屋」の片隅でひとり、わたしはマッサマンカレーのスパイシーさに、右へ左へと心を激しく踊らされているのだった。おいしい。実にちょうどおいしい。
店内には他にも数人のお客さんがいて、ひとりだけおそらく同じ「マッサマンカレー」を食べ終わって出て行こうとしている30代ぐらいの男性がいた。
なんだか今にも駆け寄り、たずねてみたい衝動にかられるけれど、当然そんなことは許されなかろうから、わたしはぐっと堪える。

けれどできることなら、問いかけてみたかった。
—— あなたも『おぎやはぎのメガネびいき』を聴いているのですか?
その男性も、矢作さんの強い勧めでマッサマンカレーを食べに訪れたのかもしれないと考えたからだ。だって無理もない。今日は金曜日なんだから。昨晩の『メガネびいき』につられ、全国のリスナーが松屋に押し寄せているのではないかと思った。そして今ここで偶然出会うことができたのかもしれない。
同じラジオのリスナーというのは、どうしてこうも仲間意識のようなものが芽生えてしまうのか。「マッサマンカレーがわたしたちをつないでいる」とさえ思えてくる。
そのぐらい「ラジオを聴く」という行為はとても個人的で、そのぐらい松屋で食べるマッサマンカレーはおいしかったのだ。


振り返れば、人生で大切なことはだいたい設楽さん、(千原)ジュニアさん、矢作さんにおしえてもらった人生だった。
わたしは日村さんにどこか性分が似ているのだろう。ラジオで日村さんが設楽さんに「こうすればいいんだよ」「それは変だよ」と言われるたび「そうだったのか!」「そうすればよかったのか……」と“人の道”をおそわった気がする。ジュニアさんが「映画館で座席に座ってからコート脱ぐ奴、何回目の冬やねん」と言うから、どんなに急いでいてもわたしは「初めての冬じゃないんだから!」と映画館の入り口で必ずコートを抱えるようになった。
お笑いが好きでなかったら、きっともっともっと常識のない人間に育ったろう。お笑いが好きで良かった、心から本当にそう思う。
けれど、この矢作さんという人がおしえてくれることは、他のふたりとは種類がちょっと違った。「しまった、こうすれば良かったのか」という欠陥を補う気づきではなくて、
「ほう、それは良いことを聞いた。なんかおしゃれだし」
という、なんだか“ひとつ上の、お上品な人間になれる”ようなことをよくおしえてくれるのだった。

このマッサマンカレーにしてもそうだ。
グルメに疎いわたしは「マッサマンカレー」などというものをこれまで自ら注文したことは一度だってなかった。また恥ずかしながら「松屋」でひとり食事をとるというのも、ついぞやってみたことがないままだった。
これまでのわたしは「この時間だけれど、どうしても肉を頬張りたい」というとき、伏し目がちに券売機に向かい「お持ち帰り」に逃げていたのだ。深夜の自宅でひとりダクダクの肉を頬張るのもたしかにとても幸せではあった。
しかし「せっかくだから」「矢作さんが言うんだから」と思えば、それはとても小粋で気軽なことのように感じた。まさか初めての“ひとり松屋”で熱々の「マッサマンカレー」をいただくなんて。
けれど、やってみて本当に良かった。
これも、『おぎやはぎのメガネびいき』で矢作さんが「本当おいしいのよ」「食べてみて」と何度も何度も言い続けてくれたおかげだ。きっとそんなふうに勧められなければマッサマンの香りになど気づくこともなく、そのまま終えていた人生だったろう。
思えば、それはなんとつまらないことか。
他の人が言うのではいけない。矢作さんが言うから「松屋でマッサマンカレーを食べること」はたまらなくおしゃれなことであるのだし、それに幸せを感じることができる自分をうっとりとうれしく思うのだった。

日々の中でこんなふうに、矢作さんには本当にたくさんのことをおそわったけれど、中でも特別でわたしの心の壁にいつでも貼っているような教訓は「パジャマの話」だ。
もう7年ほど前の放送になる。
その頃わたしはいつも以上に、部屋も心もずいぶん散らかった暮らしを送っていた。仕事ではいくつもの案件を掛け持ち帰れぬ日々を過ごし、けれどそれは反面、離れた関西で暮らす母の容態があまり良くないという現実から「逃げたい」という気持ちのせいかもしれなかった。いつも心は焦り、落ち着くことがない。そして「早く週末を迎えて、新幹線へと飛び乗りたい」とそればかりを考えていた。平日なんて飛び越えてしまいたい。だから仕事を詰め込んで時間を早送りし、週末の時間とお金はとにもかくにも母のもとへ通うことに使った。当然、部屋も食事も着るものも、とても杜撰なものになっていく。
「自分」を疎かにしていた、とも言えるかもしれない。
けれどそんなときだ。「メガネびいき」を何気なく聴いていたら、矢作さんが言うのだった。
「朝起きて、まずはパジャマをたたむと良いらしいよ」。

聞けば、これまた矢作さんも何気なく見ていたテレビで「お坊さんが、女の子の相談に乗っていた」のだそうで、「死にたい」とまで漏らすその彼女に、お坊さんは「朝起きて、まずはパジャマをたたむところから始めてください」と言ったのだそうだ。
矢作さんはこれまでの人生でパジャマをたたんだことなどなかったという。小木さんはいつものように「そんなことするわけないじゃん」「たたむわけないよ」と同調していた。けれど、その番組を見た日から矢作さんはなんとなく起きてまずパジャマをたたむようになった。すると今度は布団の乱れが気になり、それもまたきちんと正してから1日を始めるようになったというのだ。そしてその効果はそれでは終わらなかった。やがて朝食の洗い物まで気になるようになり、きちんと済ませて出かけるようになり、矢作さんの暮らしは変わっていった。
「あのお坊さんすごいなあ」と矢作さんは言うけれど、きっとテレビでお坊さんが言ったのではわたしは真似をしなかったかもしれない。やはり他の人が言うのではいけない。矢作さんが言うから、それはとても有意義でおしゃれなことのように感じた。

わたしは翌朝からパジャマを丁寧にたたむようになった。するとなるほど、ベッドの上の丸まった布団も気になるので丁寧に正した。長い間食べていなかった朝食も軽く食べるようになった。使った食器はひとまず水洗いしてから出かけた。
「これはまずい、遅刻でなかろうか」という日でもわたしはそれを続ける。何度か実際に電車に乗り遅れた。それでも続けてみると、やがてその時間を見越して少し早めに起きることができるようになってきた。「暮らし」というものを少し取り戻すことが本当にできたのだ。

「まだ、パジャマたたんでるの?」と入院先のベッドで母はおもしろそうにわたしにたずねた。「たたんでるよ、矢作さんの言うことは間違いないんやから」と答えると、けたけたとおかしそうに笑い、「じゃあお母さんの家に戻ったらやってみよう」と言っていた。
結局、その機会は訪れることがなかったけれど、わたしはこのやり取りを7年経った今でも何度も何度も思い出す。


芸能情報や噂話ばかりをあれこれとおもしろがって話しているふたりに見えるかもしれない。そんな番組の切り取りばかりが、ネットのニュースで目に付くけれど、「メガネびいき」は、ちょっと毎日をお上品にしてくれるような、ちょっと辛いときそれを軽やかに上手く乗りこなせるような、そんな些細な小技や考え方、メッセージだってたくさん届けてくれる番組だ。
少し前だって、地震の影響で都内各所の列車が運休している中の放送であったから、「頑張って歩いて帰っている人も多かろう」「歩きながら聴いてくれている人も多かろう」とそんな人たちに向けたメッセージをリスナーから募集し、東日本大震災を経験したリスナーからのメッセージなど、思いがけず深くてあたたかいコメントがたくさんたくさん寄せられていた。
けれど今日も、おぎやはぎのふたりは決して「良識ある良い人」ぶったりしない。
とてつもなくいい加減で、「楽をして楽しんでいるだけの大人」のふりをずっとずっと続けてくれている。そこがまた最高にかっこいいのだ。

だから、どんな人も何か暮らしが乱れているとき、落ち着かないときは、まずパジャマをたたむことから始めてほしいと思う。
事実、近頃のわたしはそれができていなかった。思い出して慌ててたたむと、あれこれと朝から気持ちのいい行動が取れるようになった。もしも脱ぎっぱなしで放り投げている人がいれば(小木さんは放り投げているらしい)、1度騙されたと思って試してみてほしい。
そしてまだ食べたことがない人があれば、ぜひ1度「マッサマンカレー」を食べてみてほしい。スパイシーさに心躍らされることは、とてもとてもおしゃれなことなのである。
だって、おぎやはぎが言うのだからそれはきっと間違いがないのだ。
 

 

中前結花/エッセイスト・ライター。兵庫県生まれ。『ほぼ日刊イトイ新聞』『DRESS』ほか多数の媒体で、日々のできごとやJ-POPの歌詞にまつわるエピソード、大好きなお笑いについて執筆。趣味は、ものづくりと本を買うこと、劇場に出かけること。

llustration:stomachache Edit:ツドイ

 

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