宇多丸『リスペクト』を語る!【映画評書き起こし 2021.12.3放送】

アフター6ジャンクション

TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。
 

オンエア音声はこちら↓

 宇多丸:

宇多丸:さあ、ここからは私、宇多丸が、ランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する、週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのは、11月5日から全国の劇場で公開となったこの作品、『リスペクト』

(曲が流れる)

『ドリームガールズ』でアカデミー助演女優賞を受賞し、歌手としてもグラミー賞に輝いたジェニファー・ハドソンが、2018年にこの世を去ったソウルの女王、アレサ・フランクリンを演じた伝記ドラマ。少女の頃から抜群の歌唱力を持ち、天才と称されたアレサはショウビズ界で大成功を収める。しかしその裏では、尊敬する父、愛する夫からの束縛や裏切りに苦悩していた。やがて彼女は、自分自身の力で生きていく覚悟を決める。

共演はフォレスト・ウィテカー、メアリー・J・ブライジなど……メアリー・J・ブライジがね、ダイナ・ワシントンをめちゃめちゃ貫禄で演じていましたね。監督は、『ウォーキング・デッド』など、人気ドラマの監督を経て本作で長編映画監督デビューを果たした、リーズル・トミーさんです。

ということで、この『リスペクト』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)、メールでいただいております。ちょっと公開から時間が経ってしまったのもあるのでしょうかね。メールの量は残念ながら「ちょっと少なめ」でございます。あと、僕が1週、1万円で逃げちゃった、とかね(笑)。また、あれはよくねえよな。『カラミティ』といい、俺、反省しているよ。

賛否の比率は「褒め」の意見がおよそ4割。同じく4割程度は「よいところもあるが、悪いところもある」という意見だった。なかなかちょっと、割れてるんですかね?

主な褒める意見としては、「アレサ・フランクリンの単なる伝記映画ではなく、彼女を人種差別や性差別と戦った1人の戦士として描いていたのが素晴らしい」とか「音楽が生まれる瞬間を見事に捉えている」とか「ジェニファー・ハドソンの歌がうまい」などがございました。一方、否定的な意見としては、「歌はいいが、ストーリーは退屈」とか「要素が多すぎてまるでダイジェスト映画のようだった」「ジェニファー・ハドソンの歌唱力は認めるが、アレサ・フランクリン役はさすが荷が重い」などございました。

■「当時の音楽産業への反抗を描いた、一種のシスターフッド映画」

代表的なところをご紹介しましょう。「黄緑」さん。「アレサ・フランクリンの半生を描いた映画という触れ込みで、てっきり歌手としての成長や浮き沈み追いかけた物語かと思いきや、キング牧師との関係や教会およびゴスペルとの結び付き。さらに男尊女卑の色濃い当時の音楽産業への反抗を描いた、一種のシスターフッド映画であったことに驚きました。今年、同じ時期の黒人音楽を扱った『サマー・オブ・ソウル』が公開されたこともあり、この時代の空気感を何となく理解していたため、闘士としてのアレサ・フランクリンの姿が生々しく理解できた秀作でした」といったご意見。

あと「わかみや」さん。ちょっとこれ、端折らせていただきますが。「……私がとても感動したのが、楽曲が作られていく過程がとても丁寧に描かれていた点です」。これは「I Never Loved a Man(貴方だけを愛して)」という曲を作るプロセスのところですね。

「彼女のピアノの何気ない演奏から、ギター、ベース、ドラム、コーラスと、セッションのように少しずつ入って行き、1つの曲が出来ていく過程を見て、とても胸が震えましたし、この映画を通して、改めてソウルミュージックが、その名の通り“魂の音楽”ということを認識させられた、とても素晴らしい映画だと思いました」。たしかにね。今、R&Bとかそういう言い方をしてますけども、「ソウルミュージック」(という音楽ジャンル名は)、本当だよね、って感じがする映画ですよね。

一方、ちょっとダメだったという方。「おいしい水」さん。

「今回の『リスペクト』ですが、否にカウントしてください。まずよかったのは、最後の『アメイジング・グレイス』です」。今、後ろに流れてますね。「本当に魂が抉られるような熱唱で、ジェニファー・ハドソンにアレサ・フランクリンが乗り移ったかのようでした。ただ、映画としてははっきり不細工だと感じてしまいました。せわしない編集で、女性への差別や性的虐待、権利問題、公民権運動などを盛り込んだのはいいものの、整理されておらず、まるでダイジェスト映像を観ているようでした。そして決定的にダメだろうと思ったのは、最後に本人映像を流してしまったことです。」。

まあ、ちょっと端折りますね。これ、要するに、本人の歌唱と比べると、ジェニファー・ハドソンがやっぱり劣って見えちゃうじゃないか、みたいな。そういうことですね。「もちろん美術や衣装は素晴らしく、プロダクションのレベルは高いのですが…。駄作というほどではないですが、もっと良くなる可能性があっただけにもったいない作品だと感じました」というおいしい水さんでございます。はい。ということで『リスペクト』、皆さんメールありがとうございます。

■クイーン・オブ・ソウル。本当に偉大な存在、アレサ・フランクリンの伝記映画

私も、T・ジョイPRINCE品川とTOHOシネマズ日比谷で2回、見てまいりました。

公開から随分時間が経っているんですけども、特に日比谷で見た時は、平日昼にもかかわらず、わりと年配めの方を中心に、最終的にかなり埋まってましたね。これも先週の『アイス・ロード』とも通じますけど、やっぱりちょっと、「大人が見れる“普通の”映画」っていうか、単体で完結するような映画が少ない、という問題もあるかもしれません、ひょっとしたら。

ということで、クイーン・オブ・ソウル、ポップミュージック全体で見ても、1人の歌手としては史上トップ……と言っても、たぶんあんまりどこからも文句が出ない級の、言うまでもないレベルで本当に偉大な存在、アレサ・フランクリンの、伝記映画です。

アレサと言えばですね、日本ではまさに今年5月に劇場公開された、『アメイジング・グレイス アレサ・フランクリン』というコンサートドキュメンタリー映画がありまして。これは、1972年1月13日、14日の2日間……本当は2日間なんですね。この映画だと、2日目の方を実はやってるわけですね。ロサンゼルスのニュー・テンプル・ミッショナリー・バプティスト教会というところで行われた、ライブレコーディング。それが後にアルバム『Amazing Grace』日本題『至上の愛 ~チャーチ・コンサート~』になっていくわけですね。これはアレサ史上、最も売れたアルバムなんですけど。

とにかくその様子を、なんとシドニー・ポラックが監督として撮影していて。ただその、音と画がシンクロできない、という技術的トラブルがあったとかで、長年お蔵入りになっていた素材が、50年弱ぶりにようやく作品として完成した、というものでして。ただ、このライブドキュメンタリーの『アメイジング・グレイス』だけを見てもですね、決して規模として大きいとは言えないこのコンサートが、なぜそこまで重要なのか?というのが、アレサ・フランクリンのキャリアとか、あとはソウル、ゴスペルミュージック史に関する知識があんまりない、僕レベルの観客だと、ちょっとよくわかんないところもあって。わりと素材そのまんま、特に説明なしな音楽作品でもあって。非常にアレサの、なんかすごく最初、緊張気味の表情とかが印象的だったりしますけど。

そしてですね、今回のそのアレサの伝記映画『リスペクト』は、まさに『アメイジング・グレイス』として録音・撮影されていたその教会コンサート……というか厳密には、コンサートっていうか、「礼拝」なんですけどもね。それが、クライマックスに置かれている。これ、ちょうど、後ほどもちょっと例を出すんで言いますけど、『ボヘミアン・ラプソディ』におけるライヴエイドのシーン同じような機能を果たすような、クライマックスシーンとして置かれている、そんな作品なわけです。

なので、本作を見てから、そのドキュメンタリーの『アメイジング・グレイス』を見る……っていうか、見たくなると思いますから、見る。すると、ほぼ間違いなくまた『リスペクト』をもう1回、見直したくなるんで、また見る、みたいな。これがおすすめの流れでございますし。さらにその間に、この本作で描かれていることとその背景にあるものを、より深く、具体的に知るための参考文献としてですね、今回僕も読ませていただきましたが、デイヴィッド・リッツさんという、これは実は(マーヴィン・ゲイの)『Sexual Healing』の共作者でもあるというとんでもない人ですけども、このデイヴィッド・リッツさんによる評伝……帯コピーを引用すれば、「事実より真実に近い評伝」という。

アレサ・フランクリン自身も自伝を出しているけど、それとは違う視点の、かならずしもアレサにとって都合がいいことばかりではないことが書かれた評伝、というか。これ、シンコーミュージックから出ている『アレサ・フランクリン リスペクト』、これをまた読むとか。あるいは、ジェニファー・ハドソンがアレサ・フランクリンとして歌った今回のサウンドトラックと、オリジナル版の音源を聞き比べる、とか……まで含めれば、非常によし!ではないかというね。どんどんどんどん、理解も感動も深まっていく、という。

涙が前に飛び出ているんじゃないかというぐらいに、ドボドボドボ泣かされるのはなぜか?

あとはまあ、先ほどメールにもちょろっとありましたけど、60年代アメリカにおける公民権運動の盛り上がりと、キング牧師が暗殺されて……とか、そういうことを、一般常識レベルで十分だと思いますが、なんとなくわかっていれば大丈夫かと思います。かくいう僕自身ですね、正直に言えば、これまで決して、アレサ・フランクリンの熱心なファン、というわけでは正直なかったんですね。なんですが、結論から言えば、僕は、涙を流したという点に限って言えば、今年一番、あふれ出る涙を止めることができない映画でしたね。

それはなぜかと言えばですね、まあわかりやすいと思うのでもう1回、例に出しますが、『ボヘミアン・ラプソディ』、まあクイーンの伝記映画ですね。このコーナーだと2018年11月30日に評していますが、あのクライマックス。ライヴエイドでのクイーンの出演シークエンスですよね。シンプルにそのライブの様子を見せているにすぎない、はずなんですよね。様子だけを取るならば。なんだけど、涙が前に飛び出ているんじゃないかというぐらいに、ドボドボドボ泣かされるのはこれ、なぜか?

だって、ライヴエイドのライブシーンだけを見てそんなに泣く、ってありえないわけで。それはなぜかといえば、当然、そこまでにドラマ的に積み重ねられてきた、主人公たちの苦悩、葛藤が、まさに自らが発する音楽の力によって、肯定されていく……つまり、それまでいろいろ苦しいことがあった、悲しいこともあった。悔しいこともあった、その人生の歩み全てが、歌によって「全肯定」され、なんなら「祝福」されていく。そういう、一点突破型の構造があるわけです。それが強烈なカタルシスを生む、という、それが『ボヘミアン・ラプソディ』をめちゃめちゃ感動作というか、強力な作品にしてるわけですよね。

で、この『リスペクト』もしかりで。アレサ・フランクリンという、後ほどもちょっと言いますけども、実はなかなかに複雑な闇を抱えた、時に矛盾した、非常に混乱したところも、多々ある人物。厄介な人物でもあります。困った人でもあるんですが、そんな人物だからこそ……それはでも、たとえば矛盾していたり、混乱していたりもする、闇を抱えてたりもする、ってこれ、人間全てがそうなわけですよね。そうなんだけど、それが同時に、それ自体まさしく天の恵み、アメイジング・グレイス(驚くべき恵み)と言うしかないような、圧倒的な歌声の力によって、自分という存在、ひいては人間という存在全体を、肯定していく。なんなら、祝福していく。

なぜなら、これほど美しいものを表現し、受け取ることが、我々にはできるのだから……というような。そしてそれを、問答無用で納得させる力が、もちろんアレサの歌声に、そして本作のジェニファー・ハドソンのパフォーマンスにはある、という。そういう巨大なカタルシスに、さっき言ったようにクライマックスで到達する、という、そういう作りになってるわけです。この『リスペクト』は。

なので……もちろん一義的には、ここで描かれているのは、ゴスペルの世界、まあアフリカン・アメリカン独自のキリスト教信仰の話ですよね。で、もちろん僕はそこに関しては、当然、全然部外者なわけなんですけども。同時に、本質としては、そのいろんな矛盾とか闇を抱えた人間が、自分の存在を心から肯定し、愛せるようになるまで、の話という。そう考えるとこれ、本質としてはすごい普遍的なことを言っているんだ、という風に僕は思います。

個人的な考えでは、信仰というのは、自分を肯定し、愛せるようになるために、神という概念を「鏡」にしてそこに到達する、というようなことだ、という風に私は理解しているんですけども。なので、たとえば「自分は無心論者だから」とか、そういうこととは関係なく、普遍的な感動っていうのが、この作品から得られる──僕自身がそうですから──得られるもんだ、という風に思ってるんですね。

■巧みな省略話法と時間差描写。アレサの伝記映画としてめちゃくちゃフェアだし、理にかなってる

逆に言えば、アレサ・フランクリンというその天才歌手が、実は抱えていた、本当に複雑な闇、矛盾、混乱というのを、そこまでにどう描くか、というのがポイントになるわけですよね。で、当然のことながらですね、これは本作も、アレサ・フランクリンという人の人生とかキャリア、その史実とか事実に対して、この映画独自の「解釈」をしてるわけなんですね。これが別に絶対唯一の真実である、というわけではないんです。

一番大きいところで、どう解釈してるか?っていうと、やっぱりお父さんやパートナーなど、男性から受けた抑圧、支配、そして暴力というのが……その特殊な生育環境にいたこともあって、自分の中にそれを溜め込んでいってしまう、抱え込んでいってしまうところがある、そんな人物として、本作はアレサを描き出していく、ということなんですよね。なので、実はその個々の事件に対するアレサの反応とか、その時に言ってることは、実は実際の史実とは微妙に違っていたりもするんですけど。まあ、そういう風に今作は、解釈してみせる。

まず、開幕しばらくですね、少女時代の描写が続くんですけど、ここからしてもうちょっと、すごく複雑っていうか、もっと言えば非常に、不穏なものがあるわけです。言っちゃえば、宗教的な厳格さと、芸能界的な猥雑さ、奔放さが、ないまぜになったような環境にいるわけです。で、実際ですね、これは先ほど言った評伝『アレサ・フランクリン リスペクト』によれば、そのゴスペル巡業……これ、劇中でも描かれていましたね、ゴスペルの巡業に行くんだって、ゴスペル巡業の世界というのは、「セックスサーカス」と呼ばれるほど、性的に何でもあり。まさしく、矛盾した世界だったそうなんですね。

で、そのことはこの『リスペクト』でも、さりげなくですが、しかしはっきり言及もされてます。あのメアリー・J・ブライジ演じるダイナ・ワシントンが、「あんたらがどれだけふしだらか、知ってるよ」みたいなことを言いますよね。あるいは、「牧師の娘っていうのは……」「それ以上は言うな!」みたいな。そういうあれで、匂わせたりするわけですね。そういう風に言及されてもいる。

ただですね、伝記映画としてこの『リスペクト』が、ものすごく上手いし、フェアだなっていう風に僕が思うのは、そうしたその、いびつな生育環境とか、まあ男性たちの暴力性、本作におけるアレサの闇の源、みたいなものについてはですね、非常に巧みな省略話法と時間差描写で、あくまで間接的に示されるのみ、なんですよね。それがすごく実はこの映画、特にアレサの伝記映画としては、めちゃくちゃフェアだし、理にかなってる、と思うんですね。

たとえば、アレサのお母さんっていうのが出てくるわけです。で、もう離婚はしていて。で、子供たちを、なんか週末とかを過ごすために、迎えに来る。その時に、家のドアから、ちょっと怯えたように離れる。これによって、そのお父さん側に、「ああ、なんかたぶんその、暴力性に怯えているんだろうな」みたいなものを、ドアのからのその距離感だけでしっかりと、でもはっきりと示す。で、後ほど、その時間差で、「実はだってお父さん、暴力を振るっていたじゃん?」「えっ、そうなの?」っていう。この「えっ、そうなの?」が、すごくアレサの面白いところなんですよね。自分では正当化しちゃう感じ、っていうか。

あるいはですね、あとはご覧になった方なら全員わかると思いますが、マーロン・ウェイアンズ演じる夫のテッドっていうのがいるわけです。ちなみに評伝によればですね、ああいうヒモ的なプロデューサーというのは、60年代デトロイトにおいては、普通に社会的地位を持って活躍している、社会的な存在だった、というね。まあ時代が時代だったというか、そういうことみたいですけど、彼が演じる夫のテッドと、エレベーターに乗り込んだ、と思ったら、次のシーンにジャンプするところ。「アレサ、大丈夫かな?」って思っていると、案の定……みたいな流れがありますよね。

とか、その省略話法と時間描写の最たるものは、少なくとも本作の解釈ではアレサの人生に大きな影を落とすこととなる、少女時代の、とある事件があるわけです。これ、ちなみにアレサ自身の自伝っていうか、アレサ自身の言い分だと、割と「いや、別にそこは……」みたいなことを言ってるみたいなんだけども。本作の解釈では、そこが影を落としている。「あれ? なんか今、すごく不安なフェードアウトしたけど、大丈夫かな?」って思っていると、後から「うわあっ! 案の定っていうか、うわっ、そ、そうか……」みたいな感じになるという。

■アレサ・フランクリンは率直に「本当に本当のこと」を言葉にするタイプではない。そのかわり……

で、これは先ほどから言ってるように、アレサ・フランクリンの伝記映画として、特に非常に理にかなった作りである、という風に僕は思います。というのは、アレサ・フランクリンという人、先ほどからちょいちょい言ってますけど、要はあんまり率直に「本当に本当のこと」を言葉にするタイプではなかった。さっき言った通り、抱え込むタイプだし。もっと言えば、「自分の中で何とかしてしまう」タイプなんですね。あんまり言葉に出さないっていうのは、みんな、言ってますし。あと、その彼女自身による自伝も、あくまで彼女がそう思いたいっていうか、彼女側の理想に沿ったものであって。なので、そのデイヴィッド・リッツさんは「それじゃダメだろう」ということで、今回の、そのもう1個の評伝を書いた、というような経緯があるぐらいなので。

なので、劇中でもですね、ジェニファー・ハドソン演じるアレサ、実はこれ、見ていると、自分の心情とか、本当に思ってること、感じていることを、セリフでしゃべるっていうところがほとんどないんですよ。こんなに気持ちを話さない主人公って、珍しいぐらいだと思います。だからある種、ちょっともどかしい人なんですね。見ているとね。なんだけど、にもかかわらず、彼女の痛みとか、彼女の怒り、彼女の悲しみ、喜びが、それこそ僕がひっきりなしに落涙してしまうほど伝わってくるのはなぜなのか、と言えば、もうそれは言うまでもなく、「歌」に全てが託されているから、ですよね。

これはまず、トレイシー・スコット・ウィルソンさんによる脚本の構成が見事なんだと思いますけど、とにかく、その時代その時代のアレサ・フランクリンクラシック、誰もがその、曲としては知ってる名曲たちがですね、あたかもその時点でのアレサの心情を、私小説的に代弁してるように……決してそういう文脈で作られた曲じゃないんですよ、本当は。うまくつないでいるから、そう見えるんです。アレサの心情を私小説的に代弁してるように、あるいは、ミュージカルの登場人物がセリフや心情を歌として表現するように、場面場面に、バチッとはまってるわけです。これ、構成がまず上手い。

■ジェニファー・ハドソン。これは普通できないって!

元々、曲は言うまでもなく最高な上に、そういうドラマチックな効果もかけ合わされるわけだから、なんかもう、すごいわけです(笑)。ただ曲を聞くだけでもいいのに、めちゃくちゃこう、すごいことになってるわけです。なんか知らないけど。たとえば、もちろんタイトルにもなった「Respect」。元はね、オーティス・レディングのカバーが、みるみるアレサの歌、アレサの声になってくっていう、そのプロセスの痛快さですよね。「(本当に思っていることを歌詞というかたちで)言っちゃった!」っていう。これ、後で言いますけど、構成上ここぐらいに至るまで、彼女がほとんど自分の考えを表に出さないから、まあ非常に痛快だし。

そして、夫の支配の呪縛から自らを解き放つ、「Think」。先ほど、(金曜パートナー)山本(匠晃)さんも語ってました。その呪縛の方に、もう一回引きずられそうになるけど、勇気を振り絞って……「Freedom~♪」と行く、そのまさに魂を鼓舞するようなグルーヴ。もう、最高ですよね。曲も最高だし。

でですね、ここでやっぱり、アレサ・フランクリンその人を憑依させつつ、決して物まね的な面を突出させないっていうかね、「ああ、似てる」みたいなレベルにはさせない、ジェニファー・ハドソン。これはね、普通できないって! ただ歌がうまいだけでもダメ。アレサに寄せすぎてもダメ。すさまじい力量、度量っていうのは、これは言うまでもないですし。

そういうそのジェニファー・ハドソンのパフォーマンスを、きっちり引き出し、的確に、過不足なく捉えて、映像に定着させる。そしてさらに言えば、さっき言ったような、女性が受けるさまざまなプレッシャー……社会から受ける、あるいは男性から受けるプレッシャー表現の、細やかさですね。ここは省略で描くとか、そういう細やかさ含めてですね、これはやっぱり監督のリーズル・トミーさん、これが長編デビューとは思えない、すごい堂々たる手腕ですし。先ほど言った脚本のトレイシー・スコット・ウィルソンさんとこのリーズル・トミーさん、2人とも黒人女性であるという、その筋が通ったこの座組が、作品の出来にも確実にプラスになっている、ということだと思います。

あのね、お父さんのフォレスト・ウィテカーもすごくよかったし、ダイナ・ワシントンを演じるメアリー・J・ブライジの、あのね、「怖えよ!」っていう貫禄。ちなみにあの、テーブルをひっくり返すくだり、あれはね、アレサ・フランクリンじゃなくて、エタ・ジェイムズにやったエピソードとミックスさせている、ということがこの評伝にも書いてありますけどね。あえて言えば、その音楽の力、歌の力が、真に本領を発揮しだすまでが、ちょっと長いんですね。真ん中ぐらいまでは、さっき言った通り本人はあんまり自己主張を強く外に出すタイプ……少なくとも言葉にするタイプではないし、歌もなんか不本意な感じで歌ってるのが続くので、正直前半はもどかしいっていうか、ストレスフルに感じる方は多いと思います。

コンサートに行くつもりで見に行った方がいい映画。つまり映画館で観るのがオススメです

で、それはね、当然クライマックスのカタルシスへの「溜め」としてもちろんありとしても、ならば……これは僕の考えですけど、頭の方に、それこそクライマックスの「Amazing Grace」に向かう直前、「この話が行き着く先」っていうのを観客にちょい見せしておくことで、その興味の推進力を担保しておく、っていう手はもうちょっとあったんじゃないかな、とは思うけど……ただ、その構成にすると、あまりにも『ボヘミアン・ラプソディ』なんですよね(笑)。ちょっと『ボヘミアン・ラプソディ』に似すぎちゃうから、っていうのもあったかもしれませんね。それをしていないのは。

いずれにせよですね、先ほど言ったように、クライマックス「Amazing Grace」歌唱のですね、それ自体もう、人間という存在そのものへの祝福でもあるような、痛みや闇を抱えているからこそ尊い輝き、っていうのは、これは本当、圧巻ですし。音楽そのものに力をあまり強く持たせてしまうのは危険だ、という風に、私、日頃から言ってます。たとえば、歌を歌っただけでその場にいる全員が涙を流して感動する、みたいな描写は、逆に大げさすぎて気持ちが引いちゃう、危ないよ、ということはよく言っていますが……本作に関しては、いやー、そうでしょうね!って(笑)。全くそこが嘘くさくない。

まあ、なぜなら、本当にあったことだったから!なんだけども。そんな稀有な例だと思います。逆にね、むしろ、さっき言ったドキュメンタリーの、実際の様子の方が全然、なんかちょっと温度が低いっていうか。普通に子供が寝てたりするんで(笑)。ということで当然、ドラマチック度は実際よりも、もちろん劇映画ですから上がっているし。

そして、僕はここ、肯定的なんです。さらにそこからエンドロールで、本人による「A Natural Woman」の歌唱と、写真のコラージュが出てくるんですけどね。まあ、たしかにジェニファー・ハドソンにはちょっとかわいそうなところかもしれない。

っていうのは、ジェニファー・ハドソンが十分「神」レベルまで持っていったその歌の良さの、たしかに本人は、結構歳を取ってからのはずなのに、まだ上を行くんですよね。どう上を行ってるかっていうのは……僕の表現で言うと、その声に、「天使の羽」が生えているようなんですよ、やっぱりアレサは。声そのものに、天使の羽みたいな……もう一個、天上界の声なんですよね、やっぱりね。でもね、それはたぶんジェニファー・ハドソンも、本望だと思うよ。その、ここまでの高みに持っていって、更にその上……「いや、ご本人! 尊い!」って。それがやっぱりね、本当に叩き込まれますし。

最後にやっぱり、彼女のいろんな写真とか出てくると、ここで僕はやっぱり、最大級の号泣です。つまり、「惜しい人を亡くしたんだ……」っていうことですね。はい。そういうことだと思います。

ということで、これはとにかく、コンサートに行くつもりで見に行った方がいい映画なので。で、応援上映っていうか、立ち上がって……俺、最後に本当に立ち上がって拍手したかったし。もう何度も身体揺らしたくなりましたし。そういう上映とかもやってほしいですね。とにかくコンサートに行くつもりで、音響がばっちりなところ、すなわち、映画館でウォッチしてください!



(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『モスル あるSWAT部隊の戦い』です) 

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

◆過去の宇多丸映画評書き起こしは

こちらから!

ツイート
LINEで送る
シェア
ブクマ