宇多丸『エターナルズ』を語る!【映画評書き起こし 2021.11.19放送】

アフター6ジャンクション

TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

オンエア音声はこちら↓

宇多丸:

さあ、ここからは私、宇多丸が、ランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する、週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのは、11月5日から全国の劇場で公開となったこの作品、『エターナルズ』

(曲が流れる)

マーベルコミックの人気キャラクターがクロスオーバーするマーベル・シネマティック・ユニバース、通称MCUの、26本目の長編映画です。7000年もの間、ディヴィアンツと呼ばれる脅威から人知れず人類を守ってきた超人たち、エターナルズ。彼らは任務を終えた後、人類に紛れて暮らしていたが、再びディヴィアンツが現れたことをきっかけに再集結。地球滅亡の危機に立ち向かうことになる、のたが……ってところじゃないですかね。

主な出演はアンジェリーナ・ジョリー、マ・ドンソク、サルマ・ハエック、ジェンマ・チャン、リチャード・マッデン、キット・ハリントンなど。『ゲーム・オブ・スローンズ』組がね、ちょっといますよね。監督は、『ノマドランド』で第93回アカデミー監督賞に輝いた、クロエ・ジャオが務めました。

ということで、この『エターナルズ』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)、メールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「とても多い」。やはりMCUともなればまあ、みんな見ますからね。それはね。賛否の比率は「褒め」の意見が7割ということでございます。まあMCUのみならず、クロエ・ジャオ作品、っていうこともありますからね。映画ファン、みんな行っちゃうってことですよ。

主な褒める意見としては、「キャラクターが全員魅力的。登場人物が多いのに、これはすごいこと」「クロエ・ジャオ監督らしい人間ドラマや自然美とマーベル映画らしさが融合し、新たなヒーロー映画になっている」「アメリカのヒーロー映画としては異例なほど多様なヒーローが登場する。これは映画史に残る出来事では?」などございました。その通りですね。

一方、否定的な意見としては、「同じパターンの話の繰り返しで、途中からさすがに飽きる」「マーベル映画に求めるフレッシュさや痛快さがない。コスチュームもダサく、アクションも退屈」などがございました。なので「褒めの意見が7割」って言いましたけども、その褒めてる人の中も、「作りとしてはこういう難もあるが……」みたいなことを書いてる方も多くて。割と、難の部分を認める人も多い、という感じではありましたね。だからやっぱり、世間的には割と賛否両論っていう感じですけど。割とそういうムードがメールにも現れている感じがします。

■「“アイデンティティの喪失と再生”というテーマは、『エンドゲーム』後を描くのにふさわしい」

代表的なところをご紹介しましょう。「ソラ・ファーレ」さん。

「『エターナルズ』、あのクロエジャオ監督が作家性はそのままに、オタク監督としても一流であることを示した大傑作でしたね。“アイデンティティの喪失と再生”という監督の一貫したテーマは、『エンドゲーム』後を描くのにふさわしく、俳優の個性を活かして10人の新ヒーローやその関係性を魅力的に描き分ける手腕には驚かされました。また、陰と陽の交わるマジックアワーを好む監督らしく、各キャラクターの立場など、作中様々な要素が“白黒はっきり分けるのではなく、複雑なグラデーションを描く”という価値観が貫かれているところも、MCUの中で良くも悪くも独特の存在感を持った映画にしていたのではないでしょうか。

ヒーローものとして注目したいのは、戦闘要員ではないヒーローが対等にチームにいるところで、その中でも主人公格のセルシは、『慈愛に満ちた調整役』という女性やアジア人が担わされやすい一見(いっけん)脇役っぽい個性のキャラですが、それこそがこの物語のリーダーや主人公の資質であることが示されていくのが実に素晴らしい! それに対応するように、一般人の良心を体現するのがキンゴの付き人のカルーンなど成人男性だったところもうれしいところ。」

「日本の漫画の影響などもあげればきりがなく、日本オタクカルチャー的想像力をこのような形で活かしてくれたことは、日本に住むオタクの一人として感謝しかありません。今後のクロエジャオ監督のオタク方向の作品も楽しみになりました。まさに陰と陽の循環の物語であるスターウォーズを監督するという噂も納得です」というあたり。

あとですね、ちょっとこれは端折りながら紹介しますけど。「SMC」さん。

「初めてメール致します。『エターナルズ』、私は『ブラックパンサー』と並ぶMCUの傑作映画だと思います。それどころかヒーロー映画において、もしかしたら映画史においても転換点となる映画かもしれないと思っています。

なぜなら今まで見たことの無い在り方を表現した映画だからです。長い間ホワイトウォッシュされ続けてきたハリウッド映画のしかも超大作において、あれだけ多様なアイデンティティを持つキャラクター達を当たり前に登場させ、全員魅力的に表現した上で更に物語上『良きこと』がマチズモにもホモソーシャルにも接続しないものとして描かれている。そして物語の主軸は『変化すること』であること。こんな映画は今まで見たことが無かった」という。

で、このSMCさんご自身はアセクシャル(無性愛)寄りのクエスチョニングであるクイアという……つまり、その性自認や性的指向が定まっていない、もしくは意図的に定めてないセクシュアリティとしてのクエスチョニングであるクイアという、そのご自身の立場というのを書いていただいた上で。

「初めてこの映画を見た時、私はこの映画を『ずっと待っていた』と思いました。『私たち』も『私たち以外の人たち』も当たり前に存在している、こんな映画を夢見ていたし望んでいたしずっとずっとずっと待っていました。確かに脇が甘いところがあったり、完璧な映画ではないかも知れません。それでも、私たちを今まで見たことが無かった地平に連れていってくれたことにこそ、この映画の圧倒的な価値があると思います」というね。

ということで、こういう熱い絶賛メールがある一方で、ちょっとこれ、ダメだったという方の意見もご紹介しますね。

「よどばしえんどう」さん。

「シャンチーに続いて、MCUらしからぬ凡作でした。スケールは壮大なのにドラマの見所はおぼろげなまま長い尺を消費し、結局そのままクライマックスを迎えてしまうという、楽しみにくい作品でした」と。

で、いろいろ書いていただいて。各方向、どの方向から見てもドラマの味付けが薄い上に、いろんな味が半端に混ざっている印象です、と。「あと、ちまたで褒められている多様性を導入したヒーロー像ですが、これがエターナルズの設定と決定的に噛み合わせが悪く、理解を阻むノイズにすらなっていると思います」という。

これもちょっと省略させていただきますが。要するに、そのその「多様性に配慮しました」っていうところが劇中の設定と有機的に絡み合っていないため、それが面白さに繋がっていない。なんなら理解のノイズになってしまう、というような部分をご指摘されています。

「こんな風に、政治的な正しさを表す要素が物語やテーマとかみ合ってなくて余計な疑問を生む。するとメッセージが明確にならず、面白さにも貢献しない。それはひとえに脚本の出来の悪さです。」というようなご指摘でございました。いろんな欠点の指摘にも、ちょっと理があるかな、という風に私も思うところはありますね。

そんなことも含めて、皆さんメールありがとうございます。

シネマスコープとIMAXが入り組んだ編集が、めちゃくちゃ見づらかった

私も『エターナルズ』、TOHOシネマズ日比谷IMAXで2回、見てまいりました。先ほどもね、オープニングで言いましたけど、ちょっと「役者のこういうところがよかった」とか、そういうような部分に関しては、火曜パートナーの宇垣美里さんのマ・ドンソク愛、そして先ほどのね、金曜パートナー山本さんのバリー・コーガン愛、こんな感じでいろいろと語られておりますので。ちょっと私、違う角度から言いたいんですけど。

まずね、「IMAXで2回見てきた」って言いましたけど。最近のこのコーナーでは僕、IMAXカメラで撮影されたパートを含むこういう超大作の場合、見る環境も……要は、スクリーンサイズからして違うわけです。IMAXね。通常のシネマスコープの横長の画面には入りきらない──上下にIMAXはもっと長いわけですから──その部分が出てくるわけだから、やっぱりできるだけIMAXで見たいよね、というようなことを、最近の映画評でも言ってきたわけですけど。

こと今回の『エターナルズ』に関して言えばですね、少なくとも僕の感覚で言うと、それがかなりノイズになってしまうところが多かった。IMAXであることで。これ、どういうことかと言うと、通常「IMAX仕様の上映です」と言うとですね、『ザ・スーサイド・スクワッド』、この間のジェームズ・ガンのやつみたいに、全編IMAXで撮られて全編IMAX上映もしている、という場合以外は、「この場面はIMAX。この見せ場、このアクションはIMAX」という風に、パートが分かれているわけです。普通は。

たとえば同じMCUの『ブラック・ウィドウ』だと、カーチェイスシーンの一部、あるいはその脱獄シーンの一部、あとクライマックスのスカイダイビング戦全体、というあたりがIMAX画面になって、スクリーンサイズもシネマスコープに対して縦が長くなる、IMAXスクリーンいっぱいに画面が広がっていく、という風になるわけですね。当然その、スペクタクルな見せ場になったということで。

ところがですね、この今回の『エターナルズ』では、少なくとも僕が日比谷で見たバージョンはそうだったんですけど、ひとつの場面、ひとつの流れの中に、シネマスコープ画面とIMAX画面が、わりと入り組んだ形で混在してるんです。

たとえば序盤。メソポタミア文明のところにエターナルズが降り立って。で、活躍するんですけどね。マ・ドンソクが演じるギルガメッシュというキャラクターが、「やってやるぜ!」という感じで、画面のこちらに向かって腕をぶん回しながらやってくる、というショット。これは普通のシネマスコープショットなんですね。横長の。

なんだけど、そこから繋がるショット。ディヴィアンツというそのモンスターを彼がぶん殴るショットは、IMAXに、急に縦長になるわけです。で、また今度、シネマスコープに戻ったりする。こんな感じでわりと全編、ショットが切り返されたりするたびに、スクリーンの上下に黒い部分が出たり、上下に広がったり。要するにスクリーンサイズ的に非常にせわしないというか、ぶっちゃけかなりぎくしゃくした印象を与える編集というか、仕様になってるわけです。

基本、VFXを多様したアクションとか、そういうショットがIMAX、の場合が多かったですけど、場所によっては、「いかにもクロエ・ジャオ」な、要するに静かな、静的なショット、たとえば自然を雄大に捉えるとか……これぞクロエ・ジャオ!っていうあの、「奇岩」ですね。要するに「変わった岩の前に、人物が佇んでいる」っていう(笑)、もうパッと見ただけで「ああ、クロエ・ジャオっぽい!」っていうショット。こういうとこもIMAXになっていたり。あとは、セルシとイカリスというキャラクターが、まさかの性行為を結構具体的にするんですけど、そこもIMAXになってたりとか。

まあいずれにせよ、クロエ・ジャオ的なそれを含む「スペクタクルな」ショットというのがIMAXになってる、とは言えるかもしれませんが、ただとにかくですね、少なくとも僕は、このガチャガチャした、シネマスコープとIMAXが入り組んだ編集が、めちゃくちゃ見づらかったし。正直、映画作品にとってのスクリーンサイズ……つまり、何を画角に入れるか、入れないか、っていうのはこれ、映画を成り立たせる根源でもあるわけで。映画にとってのスクリーンサイズっていうものを軽視している、なんなら冒涜しているようにすら感じたというか。いつもIMAX、IMAXってはしゃいでいて申し訳ないですけど、ちょっと改めてその映画を成り立たせる根源について考えさせられるぐらい、「何だ、これは?」っていう作りだったんですよ。

まあ『WAVES/ウェイブス』みたいに、意図的にそのスクリーンサイズを変える作品ならともかく、そうじゃなくて、スクリーンサイズが無造作に変わるような最近のこの上映形態っていうことに関して、改めて考えてしまう感じ。まあクロエ・ジャオ的な本意がどこにあったかはちょっと分かりませんが。ということで、そんなことをちょっとIMAXで2回見た者として……本当にそういうものだったのかをたしかめたくて、2回、見ちゃったんですけど。本当にガチャガチャしてました。ということを一応、言っておきます。

■クロエ・ジャオ監督の起用は『ノマドランド』の前から決まっていた

ともあれ『エターナルズ』、MCUの、いわゆる「フェーズ4」というものの劇場用長編映画としては、先ほども話したその『ブラック・ウィドウ』、そして当コーナーでガチャは当たらなかったんですけども『シャン・チー』に続く、三作目なんですけど。その『ブラック・ウィドウ』、今年7月16日に私、評しました。その評の中で僕、こんなこと言ってます。社会に対するアップデートされた意識、メッセージ性などが盛り込まれた「人間ドラマ」としての側面を、MCUはなんなら優先順位一番高めで、本当に大事にしている、それが他のいわゆるヒーロー物フランチャイズとかと違うところだ、と。

そして、そうした個々のキャラクターのドラマを、それにふさわしくしっかり描ける監督をまずはチョイスしておけば、ヒーロー物として最低限必要なアクションとかVFXは、チームとして一定以上の水準に持っていけるノウハウの蓄積がMCUには既にあるから、あとはその両者をスムーズに共存させる作りを、MCU生え抜きの、MCU側のチームが、MCU作品としての整合性も含めて考えればいい……そういう作品作りのシステムを、フェーズ4以降のMCUは完全に確立したように見える、ということを私、『ブラック・ウィドウ』評の中で言いました。

そして、その意味ではですね、今回の『エターナルズ』は、もうその極北ですね。2015年の『Songs My Brothers Taught Me(兄が教えてくれた歌)』という作品での長編デビューから、2017年、これは大傑作ですね、『ザ・ライダー』。そして、アカデミー賞作品賞、監督賞、主演女優賞に輝いた『ノマドランド』まで、これは撮影監督のジョシュア・ジェームズ・リチャーズさんとの名コンビで……これ、今回の『エターナルズ』ではこの方、ジョシュア・ジェームズ・リチャーズさんは、「カメラオペレーター」という立場になって、まあメインの撮影監督はベン・デイヴィスという、MCUをいつも撮っているような方がやってるんですけど。まあこのコンビで、極めて一貫した、作家性の高い……ドキュメンタリックでありながら詩的、さらに言えば神話的ですらあるような作品世界を作り上げてきた、クロエ・ジャオ。

これをいきなりそのVFX、アクション満載のブロックバスター超大作に起用した、という今回の『エターナルズ』。まさに現在の、フェーズ4以降のMCUの「攻めた」姿勢というのを、最も過激に推し進めた一作なのは間違いないですよね。

で、すごいなと思うのは、『ノマドランド』が賞レースをここまで席巻する、ずっと前から……『ザ・ライダー』が公開された直後ぐらいから、MCUとクロエ・ジャオの関係は始まっていた。つまり、そのMCUのまさに才能を見抜く目、慧眼ぶり、っていうのもすごいし。また、それだけクロエ・ジャオがね……プレゼンが、実際にずば抜けてたんですって。

クロエ・ジャオ側にもはっきりした確信、ビジョンがあった上でのこの『エターナルズ』の映画化、というね。だから両方すげえな、っていうところがあるわけですけど。

クロエ・ジャオ・テイストのMCU作品であり、MCUテイストのクロエ・ジャオ作品になっている

で、この『エターナルズ』。元のアメリカンコミックス、原作の『エターナルズ』は、「キング・オブ・コミックス」ことジャック・カービーさんという方がおりまして。このジャック・カービーさんが、1970年代半ばに生み出したシリーズ、という。

異星人が太古の地球を訪れていて、人類を創造した、という、これは当時流行していたいわゆる「古代宇宙飛行士説」というかね。これ、映画で言えば完全に『プロメテウス』が、モロにそれですけどね。それを神話的ヒーロー集団っていうのと絡める、というような発想のシリーズで。ぶっちゃけ、かなりマーベルの中でもマイナーめというか、このジャック・カービーさんの伝記本の中でも結構、途中の、本当にすごくわずかな行しか割かれてないぐらいで。

日本でも最近になってニール・ゲイマン……もう今や世界的作家ですけど、ニール・ゲイマンによるリブートの邦訳が、最近になってようやく出たぐらいで。つまり、比較的マイナーな分、自由なアレンジが加えやすい領域ではあった上にですね、この、ものすごく長いタイムスパンの神話的世界、というのはですね、今年7月21日に僕、『ノマドランド』評をやってますけど、その中でも言いましたけど、人間のサイクルを超えた、雄大な時間を感じさせる自然の光景であるとか、あるいはそれぞれがかけがえのない人生を生きてきた人々、その背後に流れているやはり、より長いスパンの時間、そういうものをクロエ・ジャオは描いてきた……というわけで、実はそのクロエ・ジャオのこれまでの作品のテイストとも、この題材は、相性がいいわけですね。

まあ、『ノマドランド』評の中ではね、「(この作家性のままで)MCUをやるなんて、想像がつかねえわ!」みたいな感じで締めてしまいましたけど、実際に出来上がったこの『エターナルズ』、やっぱりクロエ・ジャオ・テイストのMCU作品であり、同時にMCUテイストのクロエ・ジャオ作品に、本当にちゃんとなってる、っていうのがまずは何より、驚きですよね。まあ、あたかも『ザ・ライダー』のロデオライダーであるとか、『ノマドランド』の非定住労働者たちと同じように。「7000年前に地球にやってきて、いろいろありましたけど、今はそれぞれ痛みや幸せを抱えながら、この星の片隅、基本がらんと何もないところで、ひっそり生きてます……」という人々の営みを、そのすぐ側に寄り添うような距離感で捉えてみせる、というね。

ゆえに、そのキャラクター同士の関係性……親密さ、というのかな。親密さがすごく描かれる感じ、という。それはすごくやっぱりクロエ・ジャオならでは、のものであるでしょうし。そして、物語的にも、さっき言った『ノマドランド』評の中でも言いましたけど、「あなたを定義しているものを失った時、あなたは自分を取り戻せますか?」っていうこれ、クロエ・ジャオ自身が言ってる自分の作品のメインテーマ、全てを失った後に、それでも残るもの……「真のアイデンティティ」に辿り着くまでの心の旅、という、まさにクロエ・ジャオのこれまでの傑作群とも、完全に重なる話でもあるわけです、今回の『エターナルズ』はね。

■多様性への配慮が行き届いたキャスティングや設定、描写は革命的な進歩を見せている。

なので、そう考えると、たとえばですね、もういきなり最後の方の話をしちゃいますけども、あるキャラクターが、それまで自分が凝り固まってきた考えを改めるっていうか、そのとある気づきを得て改心する、というくだりがあるんだけど。ここも、何に気づいたかと言えば、要するに自分にとって真に大事なもの、自分を真に構成してるものは何かに気づく、っていう流れですよね。7000年前にこの星に降り立って、この星、この人々と過ごしてきたその時間……何よりも最初から一貫して、そうした自らの経験、そこで出会った他者たちっていうのを愛し続けてきたその人の目線、それをこそ自分を愛してきた、それが自分を構成してきたんじゃないか、ってことに気づく。

自分の、要するに人から言われた命令じゃなくて、「それが自分なんだ」っていうことに気づく、という展開だからこそ、あそこはクロエ・ジャオ作品的な感動という意味でも、感動的なわけですよね。しかもそれを、セリフじゃなくて編集でポンポンポンと見せて納得させる、というところですからね。非常にいいあたりでもありますし。

またもちろんね、既に多くの方、ここは多くが語られている部分ですけども、なのでサクッと済ませますが、各方面の多様性への配慮が行き届いた、キャスティングや設定、描写。「過去のハリウッド超大作的な基準と比較すれば」っていうことではありますけど、やはりそれ自体、感動的なまでに、革命的と言っていいほどの進歩を見せている。もちろんその、「全員英語で普通に会話するのが前提の“多様性”」ではあるけども……という感じではあるけども、もちろん画期的。

個人的には、過去の歴史というのを描写する上で、たとえば「『アポカリプト』のラストシーンの、その後」を描いていると言っていい、あのくだりですね。つまり、西洋文明がもたらした破壊的事態、というのを描くあのくだりであるとか、たしかに日本人としてはやはり、「ハリウッド超大作としては」ということではあるけども、ある人類史最大級の暴力に、一定の否定的メッセージがはっきり発せられたのは、たしかに画期的だ、という感慨はありますよね。

ただ僕、ロジックとして疑問はありますよ。その、人類史的な悲劇を前に……「こんな人類には救う価値はない!」って……いや待って待って、あの、「やられてる側」は救ってよ? そういう相対化でなんか全部やるのは、おかしくない? たとえばホロコーストを前にして、ナチスは救う価値がないかもしれないけど、やられてるユダヤ人は救ってくださいよ、みたいな。だからその、ロジックそのものには、甘さみたいなものを感じなくはないですが。

話の進み方は鈍重なんだけど、振りに対する回収は急いでる

まあ、というようにですね、MCU×クロエ・ジャオという座組、その狙い通りにうまくいっている、数々の美点っていうのはありますし、画期的な作品であること、これももちろん、僕もそこは疑いようもないと思います。ただ一方で、どうしても手放しで絶賛し難い部分も、たしかに多くある作品だとも思っています。まず、これはですね、私も脚本の問題が大きいと思いますが、それぞれのメンバー集めのたびにですね、話が毎回過去に戻って、「この人とはこういう経緯があった」「この人とはこういう経緯があった」って、毎回戻るんですね。

で、まあそれはしょうがないとして、特に中盤でですね、お話全体に関わる、あるどんでん返し的な、「実はこういうことだったんです」「ええーっ!」っていう、大きな種明かしがあるんですね。でも、その後もまた前と同じに、「メンバー探し~過去に戻る」っていう同じ構造が、2回、繰り返されるんですよ。これはさすがに、構造として鈍重さを強く感じずにはいられませんよね。上映時間、実際僕は「長さ通りに長く感じる」というか。で、そうやって要するに1人1人、話を毎回繰り返しする構造なので、話の進みが遅いわりに、一旦セッティングが終わると、もう第3幕なんですよ。もうクライマックスで。

そこから先は、今度は1人1人のそのセッティングに対するオチ、みたいのを、1人1人、丁寧にやるので。要するに、話の進みがちょっとしかないわりに……その(それぞれの話の)振りはゆったりしてるんですよ。だから(話の進み方は)鈍重なんだけど、(同時にその振りに対する回収は)急いでるんですよ。っていうバランスになっちゃっている。

これ、メンバー各人とその関係性を丁寧に描く、というのが、その意味では裏目に出ている部分で。あと、クライマックス。1人いないまま……ってこれ、おかしくない?みたいな。いろいろあるんですけど。ぶっちゃけこれはですね、テレビシリーズにして、『T・Pぼん』的な、歴史的イベントの陰にあったエターナルズの活躍と各キャラクターのエピソード、という風に描いていけば良かったのに、という風に思わざるを得ないあたりでございます。

■「作家性+VFXアクションの量産システム」の弊害とは

あとはやはりですね、VFX、アクションパート。これね……まず僕、これはすごく好きなところです。大風呂敷。映画にとってすごく大きな魅力は、大風呂敷。今回の『エターナルズ』の大風呂敷は、たしかに宇宙最大規模級で。いい意味で、それを画で見せるケレン、バカっぽさ、これは大好物です。本当にね、「顔ーっ!……その、一部ーっ!」とか、「……指ーっ!」とかね。あと、あれですよね。先ほど橋Pと話してて爆笑したんですけど、「“あの立場”にいる人が、『一旦、持ち帰らせてください』とはなかなか言えないよね、偉いよね」みたいな(笑)。そういう大風呂敷のところはいいし。

あとVFX、アクションパート。もちろん前半のロンドンの、たとえば街中戦。これ、特にセルシの能力が面白く生かされてるし、あと縦と横の空間使い、メリハリもあって、これはいい場面だと思うし。あと中盤、アマゾンの森の中の戦いは、ここは実際の家とかのセットとVFXのシームレスな絡み方とか、あるいは長めのショットでそれを一気に見せたりとか、非常に意欲的なアクションシーン……そういう面白み、独立したアクションシーンでの面白みはあるんです。

ただ、さっき言ったその「作家性+VFXアクションの量産システム」の当然の弊害として、やっぱりちょっとそれぞれ、記号的っていうか……少なくともクロエ・ジャオ的にやりたいことをやっているシーンと、そのパートとは、明らかな温度差がやっぱり、あるんですよ。結果、大掛かりになればなるほど、ちょっとどうでもいい感が出てしまう。これはですね、『シャン・チー』のクライマックスで、どんどん大掛かりになるところにも感じて。僕、見ていて、「“面白い”ってどういう……“面白い”って何?」っていう、ちょっと根源的な疑問すらわいてきてしまって。

あとはそのエターナルズが、「こっちに行くんだ!」って強い決断をするんですけど、それをするのであれば、そこにやはり「人間」はもうちょっと深く関わるべきでは……? とか、いろんなことを考えてしまう。これはたぶんですね、今後のMCUの最大の課題となる部分だと思います。つまりVFX、アクションシーンの量産システムの結果の、温度差。ただ、たぶんMCUは、すでにそこの問題点にも気づいていて、次あたり、もう手を打ってくるかもしれませんけどね。はい。というあたりだと思います。

■システムから作っていこうという「誠実な攻め」の姿勢を完全支持

とにかく、少なくとも2020年代になったからこそ生まれた最新型エンターテイメント、ということは間違いないですし、いわばこの、「誠実な攻め」の姿勢ですね。単なる攻めじゃない。ちゃんと誠実に、より良きものを生み出そうと、システムから作っていこうという、誠実な攻めの姿勢は、今後もMCU、堅持していただきたいので。僕は基本、この作品、完全に支持派です。

それはね。いろいろぎくしゃくはしてると思いますが。先ほど言ったIMAXのちょっと変な感じも含めて、今の映画のあり方、いろいろ考えさせられるところも含めて、もちろん必見です。全ての映画を見る人にとって、いい意味でも悪い意味でも、(現在の映画が迎えている一大局面のようなものが)見えてくるかもしれませんが、必見の作品なのは間違いないと思います。

ぜひぜひ劇場でウォッチしてください!


(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『アイス・ロード』です)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

◆過去の宇多丸映画評書き起こしは

こちらから!

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