宇多丸、『DUNE /デューン 砂の惑星』を語る!【映画評書き起こし 2021.10.29放送】

アフター6ジャンクション

TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

オンエア音声はこちら↓

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宇多丸:

さあ、ここからは私、宇多丸が、ランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する、週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのは、10月15日から全国の劇場で公開となったこの作品、『DUNE/デューン 砂の惑星』

(曲が流れる)

『ブレードランナー2049』『メッセージ』などのドゥニ・ヴィルヌーヴ監督が、フランク・ハーバートのSF小説の古典を新たに映画化。人類が地球以外の惑星に移り住み、宇宙帝国を築いた未来。通称「デューン」と呼ばれる砂に覆われた惑星アラキスを舞台に、宇宙を支配する力を持つメランジと呼ばれるスパイスをめぐる争いを描く。主人公となるポールを演じるのはティモシー・シャラメ。その他、ゼンデイヤ、ジェイソン・モモア、ハビエル・バルデム、ジョシュ・ブローリン、オスカー・アイザック、レベッカ・ファーガソンなど、豪華キャストが集結した、ということでございます。

ということで、この『DUNE/デューン 砂の惑星』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)、メールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「とても多い」。番組でもね、特集したし。やっぱりもう、待ちに待ったね、随分長いこと宣伝もされてましたしね、超大作中の超大作ということで。あと、ドゥニ・ヴィルヌーヴ作品でもあるんで、わりとコアな映画好きとかも行く感じでしょうからね。

賛否の比率は、「褒め」の意見が7割。主な褒める意見としては、「今の時代に、ここまですごい映像が見られるとは思わなかった。建物、乗り物、ガジェット、衣装など、見どころだらけ」「ティモシー・シャラメのベスト。彼を見てるだけで2時間半があっという間」「ハンス・ジマーの音楽も印象的」などございました。一方、否定的な意見としては、「長さのわりに内容が薄く退屈。豪華キャストの無駄遣い」「撮影やアクションが平板でヴィルヌーヴ監督作品の中でもワースト」などがございました。また「この作品だけで判断できない」と評価保留の人もほらちらほら、ということでございます。

……もう今日は、いいですね? これ、ネタバレでも何でもないっていうか、もうオープンになっている情報ですから。これ、「パート1」ですからね! パート1。

■「リアルタイムで観ることができて本当に良かった」

ということで、代表的なところをご紹介しましょう。「タイラー・ダーデン」さん。

「初めて感想メールを送らせていただきます。小説や過去の映像作品はノータッチの私は、軽い気持ちで映画館に足を運んだのですが、結論から言うと、今年ぶっちぎりのベスト! めちゃくちゃ面白くて大満足です」。そういうね、全くまっさらの状態で見た方の感想もね、僕はすごく新鮮ですね。

「スターウォーズ第二世代の私は、小学校高学年で宇多丸師匠のファントム・メナス評を聴き、あんなに好きだったジャージャーが実はみんな好きではないらしい、と知りました」……ごめん! ごめん、本当にごめん! これ、すげえ反省している。ごめん!

「……偉大な旧シリーズと分かっているものの、でも旧シリーズ世代ほどの熱を持つことはできない私にとって、今回のDUNE体験は、これからも忘れられない大切な思い出になるとともに、スターウォーズ第一世代のあの熱量が少し理解できた気がします。そうです、宇多丸師匠。私の中でスターウォーズが始まったのです」という。ああ、ならよかったけど。いや、でもあの新3部作っていうか、エピソード1、2、3も僕、好き! ジャージャーもいい! ごめん!(笑)

「具体的な感想としては、まず、世界観にちゃんと説得力を持たすことができているのが、やはり監督やスタッフ陣の手腕なのだと思います。SFというジャンルでありながら、何千年経っても人類が抱えている普遍的な問題を描いており、『歴史映画』とも言えると感じました。キャストについても、オールダーキャストそれぞれがみんなハマり役といって差し支えないのではないでしょうか。特にティモシー・シャラメ以外で、西暦10000年以上のどこぞの国の王子にピッタリとハマる俳優を私は思いつきません。

特に印象に残ったシーンは、ポールがゼンデイア演じるチャニのビジョンを観るシーン。どことなくスターウォーズ最後のジェダイのレイとカイロ・レンの通信シーンと似たようなものを感じた私は、違う世界線のフォースの覚醒の続きをようやく観ることができた気がして、思わず涙が出そうになりました」。当然、『スター・ウォーズ』にも『デューン』は大きな影響を与えていますから。原作小説がね。

「……陳腐な表現ではありますが、この作品をリアルタイムで観ることができて本当に良かったです。そして、続編がとても楽しみです。チャニの言葉を借りるとすれば、『This is just the beginning』です」というね。これ、最後のセリフでございます。

あと、ダメだったという方もご紹介しましょう。「かるぽなーらさん」。

「DUNE/デューン 砂の惑星。1回見ても良くわからず、2回見てはっきりわかりましたが、私の中ではヴィルヌーブ作品の中でもワーストと言ってもいい程で、正直、リンチのデューンの方がましだと感じました。なぜなら今作あまりにヴィルヌーブらしくないからです。

まずストーリーですが、これまでのヴィルヌーブ作品は、主人公が外部世界に翻弄されながら謎の答えを探し求めるという、いわば非英雄的なミステリー要素のある作品で、そこに魅力を感じていましたが、今作はむしろ英雄的なストーリーであり、明確な謎もないため、物語の推進力が弱く、ストーリーに魅力を感じませんでした」。これもね、わかる部分はある。

「音楽もかなり異色です。今までのヴィルヌーブ作品では劇伴はあまり、意識されないような物が多く、印象に残る曲もほとんどありませんが、今作は音楽で積極的に場面を盛り上げており、普通の大作映画のようで騒がしい。好きではありません。映像は高く評価されているようですが、正直私は今までの、ロジャー・ディーキンスが撮影監督を務めた作品に比べて魅力はないと感じました」。ロジャー・ディーキンスはね、『1917』でいろいろと忙しくてダメだったそうです。

「クローズアップを多用し、音楽で緊張感を高める演出を取り入れた本作はノーランの『ダンケルク』を思い起こさせましたが、それは私がヴィルヌーブに求めているものではありませんでした。正直part2など作らず、ブレードランナー2050でも作って欲しいと思います」っていうね(笑)。あの、いろんな方の意見をいただきました。否の意見にもちょっと頷ける部分があるかな、という風に私も思っておりますが。まあ、そういう部分についても……全体として私はすごい評価してるんですけどね、ちょっとお話をしたいと思います。

■IMAX、少なくとも劇場鑑賞がマストな今回の『DUNE/デューン 砂の惑星』

ということで『DUNE/デューン 砂の惑星』、私もTOHOシネマズ日比谷、IMAXで2回見てまいりました。長い作品でね、ちょっとちょうどいい時間がなくて、もっといろんなところで見たかったんだけど、やっぱりどうしてもIMAXで見たくて。というのは、最近こればっかり言ってますけど、やっぱりね、IMAX鑑賞が断然おすすめでございまして。当然その、IMAXカメラで撮影してる。

しかもね、これね、IMAXカメラでデジタル撮影してるんですけども、1度それをアナログフィルムに撮影し直して、そのネガをスキャンしてまたデジタル化してるっていう……音楽でもね、デジタルレコーディングですけど、1回アナログに落とす、みたいなことをやる時ってたまにありますけど、ちょっとそれに近いような工程を経てたりする。すごい凝ってるんですけどね。

でですね、それだけじゃなくて、もちろんその、IMAXによる表現力とか没入感とかももちろんですけど、画面構成がそもそもIMAX基準っぽいというか……たとえば宇宙船のデザインも、いちいち縦長のものが多い。これ、ドゥニ・ヴィルヌーヴの2016年『メッセージ』の宇宙船とも同様ですね。ちょっと縦長のデザインがあえて多かったりとか。あと、パンフのプロダクションノートによれば、編集のジョー・ウォーカーさんもやはり、IMAX用のゆったりした編集テンポを心掛けた、なんてことも仰ってますし。

あと本作は何しろですね、音。音響がすごく重要です。お話の意味的にも音が重要なので、重低音が充分に鳴り響く環境じゃないとダメ、ということで。いろいろ考え合わせると、それはもうIMAX……少なくとも劇場鑑賞がマストですよね。「配信まで待っておくべ」ってやると、逆に損するパターン、ということは断言させていただきたいと思います。

ということで、『デューン』ですけどね。フランク・ハーバートによる1965年の原作小説と、後のポップカルチャーに広く与えた影響、あるいは過去の映像化作品たちなどについてはですね、この番組でも10月10日、添野知生さんをお招きしての『デューン』特集をお送りしました。

先週の『最後の決闘裁判』とちょっと対照的に、本作は何しろ……それこそ添野知生さんなども寄稿されている、劇場で売られてるパンフレットが、ものすごい充実しています。原作、過去の映像化、脚本/監督ドゥニ・ヴィルヌーヴの作家論から独自のスタッフワークであるとか、あるいはキャスティング解説までですね、とにかくあらゆる角度から、かゆい所に手が届く作り。プロダクションノートもすごくしっかりしてますし。これで税込900円は安い! もう、これ読めばほぼ十分、ぐらいの素晴らしいパンフだと思いますのでね。

さらにね、事前にいろいろ突っ込んで知りたい方は、DU BOOKSから出ている『アート・アンド・ソウル・オブ・DUNE/デューン 砂の惑星』というメイキング本も出てますので。私も今回、すごく参考にしましたけど。でね、私は、先ほどオープニングでも言いましたけど、2014年6月21日にですね、ドキュメンタリー『ホドロフスキーのDUNE』を取り上げたことありました。

そこの中でですね、『デューン』特集でも話した通り、1970年代にずっと製作が進んでたんだけど直前で頓挫してしまった、後に映画史に巨大な影響を残していくことになったことは間違いない、このホドロフスキー版『デューン』も含め……パンフでその添野さんが指摘されている通り、この実現しなかったホドロフスキー版を含めて、4つある『デューン』の映像化、どれも、監督自身によって脚色されている。まあ今回のドゥニ・ヴィルヌーヴはエリック・ロスさんとの共同脚本ですが。いずれにしろ、監督が自ら脚色を手掛けているものばかり。つまり、原作小説をどう解釈して、どこを前面に押し出すか、もしくはどこをどうアレンジするのか、というところに、それぞれの作り手の作家性が込められている、出てしまう、というのが興味深いところなんですよね。

■長大な原作から主人公ポール・アトレイデスの苦難と成長に視点を絞り、関係ない話は大幅カット

で、その幻のホドロフスキー版っていうのは、たぶんその、キリスト教的救世主による精神的革命、というところが何しろ伝えたいところだったんでしょうし。1984年のデヴィッド・リンチ版は、何しろグロテスクさ。先ほども言いました、原作の構成を変えてまで出してきた、そのギルド航宙士の異様な姿であるとか、常に顔とか肌が水気でビショビショテラテラしている(笑)ハルコンネン家の人々の描写であるとか、ですね。

でも、たしかにさっきもね、オープニングで言った通り、ベネ・ゲセリットという組織が何千年もかけて血統を操作して……とか、ドラッグで宇宙を移動して……みたいな、その異様な世界観。たしかにそれは、『デューン』の味わいの大きな部分でもあるわけですよね。まあリンチはそこをクローズアップした。ちなみにその、詰め込みすぎ、急ぎ過ぎで、登場人物の心理を全部ボイスオーバーで説明してしまっているという(笑)、非常に映画としてはブサイクな作りだったり、あの「チャーッ、スカーッ!」っていう……これ、見てください(笑)。「チャーッ、スカーッ!」って、すごくかっこ悪い!とかですね。まあ、今となってはそれも、リンチ版の味なんですけどね。

あと、2000年の、ジョン・ハリソンさんという方がやはり脚本・監督を務めていたテレビシリーズは、これ、尺が長く使えることを生かして、原作の展開などを非常に尊重している姿勢。続編の『砂漠の救世主』『砂丘の子供たち』まで映像化してて、原作ファンの満足度は当然高いんですけど。ただ、時代の限界もあって、画面やデザイン、あとVFXのチープさが、全体的にちょっと残念なペナペナ感も醸しているのも事実だったりすると。

で、とにかくその意味で、今回のドゥニ・ヴィルヌーヴ版もですね、やはり独自の原作解釈、エッセンス抽出、あるいは自分なり、もしくはこの時代なりのアレンジ、というのをしているわけなんですね。そここそが見どころ、とも言っていいかもしれない。

それはどういうものかと言うとですね、まず『デューン』の映像化の際に、一番立ちはだかる問題。これは添野知生さんも言ってました。「一番難しいのは何かっていうと、ボリュームなんだ」と。要は「劇場用映画の尺には収まらない」問題ですね。まあホドロフスキー版もリンチ版も、そこで失敗してるわけですから。

今回のはですね、まあそれに関しては「これ、パート1です!」っていうね。要するに、つまりたぶん2部作にする、という明快な解決策に出たわけです。ただしこれ、最近の○部作物に多いですね、最初からその2部作以降の製作も決まってて、なんなら同時に撮影なんかも進められているというパターンではなく、このパート1の興行成績、評判いかんで、パート2にゴーサインが出るかが決まるという、なかなかの綱渡り状態。にしては、「ここで一応、一作でも見られます」みたいな作りじゃないんですよ、全然。なので……まあ無事にと言いましょうか、アメリカでの興収が予想を上回ることになったんで、パート2にもゴーサインが出ましたんでね。

ということで、ともあれ2部以上に分けたことで、尺的な余裕というのが出たわけです。その上でこのドゥニ・ヴィルヌーヴ版。少なくともこのパート1に関しては、この物語の一番わかりやすい中心軸ですね、つまり、その非常に普遍的な貴種流離譚でもある、主人公ポール・アトレイデスの苦難と成長、というところに、すっきり焦点を絞っていて。はい。そこと直接関係のない設定の話であるとか、キャラクターとか展開を、少なくとも現時点では、大幅にそぎ落としている。今のところの話に関係ないところは、大幅にそぎ落としている。

あるいは、ポールの視点じゃないところ……たとえばアートブックによれば、ジェイソン・モモア演じるダンカンがアラキスに1人降り立つシーンとか。あとは、ハルコンネン家があるグロテスクな置土産をしてるんですけど、そういう描写とか。そういうのをもう、全部オミットしてるわけですね。とにかくポールの視点に絞っている。たとえば、リンチ版もドラマシリーズ版も、原作小説の各章ごとにつく、皇帝の娘、プリンセス・イルーランの回顧っていうのを、話の導入として使っているんだけど。原作通りと言えば原作通りに。今回のドゥニ・ヴィルヌーヴ版は、そもそも、皇帝もまだ出てきてないんですよね、直接は。で、もちろんそういう俯瞰した視点から見た歴史的説明、みたいなのは、逆にややこしくなるという判断でしょう、一切なくて。基本は主人公ポールの視点で通すわけです。

せいぜい、直接の敵対者、要するにわかりやす易い悪役であるハルコンネン家の、最低限の描写があるぐらい、と。これね、『地獄の黙示録』のカーツ大佐風という、このステラン・スカルスガルドのハルコンネン男爵も、特にあの、部下たちも思わずたじろぐ、生への執着、しぶとさ表現(※宇多丸補足:たとえて言うなら、殺虫剤をさんざん撒いたあとに、部屋の隅に張りついてギリ生き残っているゴキブリを発見したときのような……)。これはこれですごくいいな、なんて思いましたけど。でも、ハルコンネン家もまだ、フェイドっていうね、その主人公と最終的に対決するはずのキャラも出てない。さすがにパート2、フェイドは出ますよね?っていう感じなんですけども。

■削ぎ落とした結果、過去最高に分かりやすくメッセージも明確

とにかくそんな感じで、シンプルに話そのものは、そぎ落としてる。なので、もちろん過去最高に、話としてはわかりやすくなってますね。その上でですね、どこにテーマとしての力点を置いているのか、というと……冒頭、その今までの作品がやっていた、プリンセス・イルーランのナレーションではなく、代わりに置かれているのは何か?っていうところに注目してください。まず、これは謎の声で「Dreams are messages from the deep.」って……要は「夢は深淵からのメッセージだ」っていうのが、超人間的な声というか、音響処理で響きますよね。人間の声じゃないな、っていうような。

で、続いてタイトルが出るまで、メインの舞台となるその砂の惑星アラキスが、その帝国の侵略によって、資源を搾取され、住民は弾圧、虐殺されている、ということ。そして、領主が変わっても新たな抑圧者が来るだけだろう、というようなことが、ゼンデイヤ演じる、砂漠の民フレメンのチャニのナレーション、その視点から語られるわけですね。そして、一気に飛んで、この今回のパート1の話の終わりの部分で、主人公ポールが明言する、今後の自分の目的、みたいなこと。それを明言するわけです。つまり、それは本作が向かっていく方向……今後向かっていく方向であり、最終的にこのドゥニ・ヴィルヌーヴ版の『デューン』が伝えたいテーマ、メッセージでもあるはずですけど。

とにかくこのオープニングで提示された現状の問題点、要するに帝国主義的な侵略と、それに対する弾圧、っていうものに対する、対になる、はっきりと呼応する答えを、主人公が最後に言うわけです。「俺はこうする」っていう。つまり、今回の『デューン』の物語的目標は、単に権力を奪取することじゃない。皇帝から権力を奪うのが目標じゃなくて、帝国主義とか植民地主義、ひいては強欲な資本主義というのかな、もう資源とかもお構いなしで取っていく資本主義とか、もちろん民族差別、弾圧。それに対して対抗していく、というか。それに対して新たな価値観を俺は提示していく、というところがメインテーマですよ、っていう風に、ドゥニ・ヴィルヌーヴはこのオープニングで既に宣言しているわけです。

もうこの時点で、過去の『デューン』の映像化と、結構違うところに力点を置いているな、というのがわかるわけですよね。で、その上で、ドゥニ・ヴィルヌーヴ版ならではのいいところ、っていうのをちょっと挙げていきますけど。

■さまざまなドゥニ・ヴィルヌーヴ版のいいところ、その最大の勝因は……

まずやっぱり、ドゥニ・ヴィルヌーヴ映画の十八番、「がらんと白っぽい広い空間を、絵画的な美しさで切り取る」センス、っていうのがですね……これはあの、原作小説のインスパイア元のひとつでもあろう、1962年『アラビアのロレンス』。これ、だからこそリンチ版は、皇帝役にホセ・フェラーをキャスティングしてるんですけど。今回もね、フレメンのリーダー、スティルガーっていうのを演じるハビエル・バルデムは、明らかに『アラビアのロレンス』のアンソニー・クインに、まあ寄せてる寄せてる、っていう感じなんだけど。

とにかく『アラビアのロレンス』の、あのね、観客も砂漠の中にぽつんと放り込まれて、飲み込まれてしまったような、鑑賞後は「砂漠酔い」をしてしまいそうになる、あの空間描写っていうのを、今回は色の彩度をぐっと下げて、限りなくモノトーンに近いような色調にしていることもあいまって、砂漠なんだけど……砂漠のドライに乾いた空気感、かつ、現実のその砂漠とは矛盾するような、一種の「クールさ」みたいなものを感じさせる、その画作りで、SF化というか、「『デューン』化」してみせている。そういう画作りが、とてもそのドゥニ・ヴィルヌーヴの今までの資質が合ってるというか、逆に言えば、ドゥニ・ヴィルヌーヴらしい『デューン』像を、まずはビジュアル的に確立することに成功している、と言えると思うんですよね。

で、撮影にあたってはですね、ワンシーンだけを除いて、グリーンバック、ブルーバックックではなく、サンドカラー、砂の色のスクリーンを後ろに貼って撮影した、という。要するに、本当に砂丘で撮っているような、照り返しを感じさせるような、ライティングの効果がそれによって生まれた、って言うんですよ。で、その点も含めてですね、とにかくやっぱりVFX技術が、ほとんどもう実写とシームレスに見えるぐらいのレベルまで達していること、っていうのももちろん、今回の大きなアドバンテージですよね。もう何の忖度もいらないよね、画面的にはね。

あと、サンドワーム。巨大な虫が出てきますけど。サンドワームが、単なる化け物というより、開いた口がちょうど「目」に見えるように演出してますよね。虹彩のようにね。あれもやっぱり、恐らくパート2でこのサンドワームが果たす役割、というのを示唆するというかね。すごくうまい見せ方をするな、と思いました。目のように見せている。あとひとつですね、ドゥニ・ヴィルヌーヴ版ならではの美点。まあ言うまでもなくなんですけど、ティモシー・シャラメをポール役に配したこと。これがもう最大の勝因、と言ってもいいぐらいだと思います。

シャラメの中性的な存在感が、パート2以降、有効に機能するのではないか

というのはもちろん、美しいとかね、そういうことはあるんだけど。まずその、キャラクターの本来の年齢、15歳に見える、というその線の細さが、物語上の要請と合っている、っていうのはもちろんあります。レベッカ・ファーガソン演じるお母さんジェシカとの関係性が、今回、かなり濃いめに描かれている、ということですね。もちろんこれは、キリストに対するマリア的な存在感、っていうのもあるし。一方、オスカー・アイザック演じるレト公爵はですね、今回の死に際、完全にイエスの磔のイメージそのものになってましたね。真っ裸になっていてね。あと、磔のイメージは、サーダカーの儀式の場面でも出てきましたね。磔されている囚人が、逆さ吊りされて、そこに溜まった血を……みたいなおぞましい描写が出てきましたけど。

まあともあれですね、そういうシャラメの「未熟感」みたいなものが……要するに、お母さん付き添い中!みたいな未熟感が(笑)、お話的な段階と非常に合っている、っていうこともあるし。

ここからはちょっと僕の見方というか、原作との距離感の、解釈なんですけど。彼の持つその中性的な美しさ……要は、マッチョ的じゃないですよね。男性的な匂いが限りなく薄いっていうか。その、男性的な匂いがちょっとでも強い人だと、だいぶニュアンスが変わってきちゃう役だと思うんですよ。この男性的でない、中性的な存在感が、特にこれはですね、パート2以降、そのポールというキャラクターが「覚醒」していくこのプロセスでですね、非常に重要になってくると思うんですけど。

ともすれば古式騒然たる男性観、女性観っていうのを強調して解釈もできかねない原作の要素をですね、恐らくパート2以降、現代的に「中和」するというか、現代のジェンダー意識に合わせてチューニングするにあたり、とてもこのシャラメの中性的な存在感が、有効に機能するのではないか、と私は予想する。というより、そこを見越しているからこその、シャラメ1本釣り。「シャラメじゃなきゃ作れなかった」って言ってるんですよ。シャラメ1本釣りって、そこがあるんじゃないか、っていう風に思っています。

同様に、このフレメンの民、ゼンデイヤ演じるチャニもですね、まあ少年っぽさを漂わせる、非常に凛々しい佇まい。中性的と言っていいでしょうね。というか、ジェンダーをちょっと感じさせないというかね。保水スーツのデザインもですね、性差をあまり意識させないようにデザインさせた、ということなので。あるいはキャスティングの人種構成も、これはもう原作の本質から言っても当然なんだけど、非白人感、っていうのが強調されていたりします。

ということで、恐らくパート2では、そのジェンダーとか民族、人種に対して、より現代的な解釈と、それに基づくポールの覚醒、そして革命、というのが描かれていくのではないかと、個人的には予想していて。というかパート2は、ゼンデイヤのチャニがメインになる、という風にも聞いておりますし。そしておそらくね、ポールが見た……後に対決することになる、ジャミスのビジョン。あれ、なんでジャミスなんだろう?ってその説明なんかも、パート2でちゃんとつくんじゃないかな、という予想もありますね。

■パート1はハードルをクリア。問題はパート2!

もうひとつ、すさまじいのが、音楽や音響。とにかく音の演出、最新版です、これは。それはもう、劇場で、ご自身の本当に体験として味わっていただくのが一番。これ、ぜひ聴覚障がいがある方用の字幕にも、音の演出にも配慮した説明を加えてほしいな(※宇多丸補足:ここ、放送では『音声ガイド』と言ってしまってますが、完全に言い間違いです、申し訳ありませんでした!)。難しいかもしれないけど。と思ったりしますね。たしかにですね、このお話の中の、エグみはかなり薄めになっている。さっきのハルコンネンの置土産とか、かなりエグい描写も撮っていたみたいなんだけど、そういうのはやっぱりオミットされてるし。

話全体がゆったり語られてるのと、さっき言ったその白っぽい、なんかがらんとした空間っていう、そのドゥニ・ヴィルヌーヴの画作りと、あとなんか話全体が、どこに向かっているのか、その途中までは……要するに(ラストの)ポールの宣言までは、わりとたしかにぼんやり、ただ逃げてるだけ、にも見えるので。なんか、なんていうのかな、「薄い」感じがするのも、無理からぬところもあるかな、という気もします。

ただですね、やっぱりその、他にやりようがあったとかはね、もちろんいくらでも言えるわけですけど、僕はね、やっぱりこれはこれで、少なくとも「パート1」としては、ホドロフスキーが手放しで喜べない範囲では(笑)、充分よくやってるって言うか、セッティングとしてはかなり高いレベルでクリアしてるんじゃないかな、と思います。問題はパート2! だからパート2が勝負です。そこで、今回のパート1も含めて上方修正するのか、下方修正するのか、っていう、本当に真価が決まってくるあたりじゃないでしょうかね。

まあ、でもとにかくその、IMAXも含めた、映画館でする体験というのの贅沢さ、という意味では、もう文句ナシなのは間違いないですし。1900円がこれほど安い映画っていうのもないんじゃないですか。ということで、ぜひぜひ劇場でウォッチしてください!

(コマーシャル空けて)

さっきの補足でですね、なぜサンドカラーがブルーバックのかわりになるか、っていうのは、これはアートブックに書いてあったんですけど、サンドカラーを反転させるとブルーになって、合成にちょうどいい色になる、のが発見されたからだそうです。

ということで、来週のムービーウォッチメン、候補作品を紹介します……


(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『MONOS 猿と呼ばれし者たち』です)

さっきから言ってる(実際の完成版からはカットされた)「ハルコンネン家のイヤーな置き土産」とはなんだったか、というと……箱いっぱいに入った、「指」です。

◆過去の宇多丸映画評書き起こしは

こちらから!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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