宇多丸、『空白』を語る!【映画評書き起こし 2021.10.15放送】

アフター6ジャンクション

TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

オンエア音声はこちら↓

宇多丸:

さあ、ここからは私、宇多丸が、ランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する、週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのは、9月23日から全国の劇場で公開となったこの作品、『空白』

(曲が流れる)

『さんかく』『愛しのアイリーン』『BLUE/ブルー』などなどを手がけた吉田恵輔監督のオリジナル脚本を、古田新太、松坂桃李初共演で映画化いたしました。

1人の女子中学生がスーパーで万引きの疑いをかけられ逃亡、店長に追い掛けられた末に、車に轢かれて死んでしまう事件が発生。娘の万引きを信じない女子中学生の父親、添田充は、娘の無実を証明するため、スーパーの店長、青柳をはじめ、事故に関わった人間を追い詰めていく。添田充役の古田新太、青柳役の松坂桃李のほか、寺島しのぶ、田畑智子、藤原季節、片岡礼子などが脇を固めるということでございます。田畑智子さんはね、あれでしたね。『さんかく』以来の吉田恵輔作品ですね。

ということで、この『空白』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)、メールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「多め」。まあ吉田恵輔作品となれば、やっぱりね、映画ファンの注目度が高いということでしょうか。賛否の比率は、「褒め」の意見がおよそ9割。

主な褒める意見としては、「重たくつらいが、最後には希望も感じた」「不寛容な時代の今だからこそ、今見るべき映画。今年のベスト」。英語タイトルがね、『Intolerance』ってついてますけどね。「古田新太、松坂桃李、藤原季節、寺島しのぶなど、それぞれの役柄もよく、みんな素晴らしかった」「これはたしかに吉田恵輔監督の最高傑作」などの声がありました。一方、否定的な意見としては「どの登場人物も概ね多面的に書かれているが、やや類型的に描かれたままの人物がいるのが残念」「ラストの展開は現実の被害を陳腐化させかねないのでは?」などがございました。

■「頼むからみんな、見て!と叫びたい一作」

代表的なところをご紹介しましょう。ラジオネーム「レインシンガー」さん。

「今年の日本映画、収穫が多過ぎると思いませんか? でも、そのなかでも『空白』は飛び抜けた一作だと思います。本作『空白』は……」ということで。この物語の展開、女子高生が交通事故に遭ってしまうっていう話を書いていただいて。「……つまり、この時点でもうこの物語は引き返しのようのないところにいってしまうわけです。こうなったらもう、どうしようもないわけですから。だからこそ、観客も必死に考えさせられるわけです。自分が店長なら? 自分が女子高生の親なら? 映画はここから終わりまで、ずっと観客に『一緒に感じ、一緒に考える』ことを放棄させません」。たしかに、そうですね。

「更にこの映画のすぐれているのは、人と人とが責任を押しつけ合う関係、これ自体、今の日本の最もダメな部分を見事に凝縮して見せていると思うのですが、それ以上に、登場人物の行動がそれぞれちゃんと類型を飛び越して、見事なまでにオリジナリティーのある言動を見せてくれている点だと思います。つまり、ちゃんと面白いのです。人物の絶妙な配置と、言動のオリジナリティー。各演技者の、時にリアル、時にいい意味でやり過ぎな演技がマッチして、群像劇としても冴えわたっています。

そしてそれらの人々が、もう一度自分と世の中の関係を見つめ直し、そしてその中で自分の生き方をもう一度定め直すという、吉田恵輔監督らしい視点がきちんと貫かれ、こちらの心に入り込んでくる。見ている自分も、少しだけ自分の生き方を見つめ直し、修正しなければと本気で思わされる作品です。そして、こんなヒリヒリするような話に救いが簡単に訪れるわけはないのですが、それでも、最後の最後の一瞬に見せる『奇跡』には、いやあ、参りました。久しぶりに本当に涙がこぼれました。頼むからみんな、見て! と叫びたい一作です」ということですね。

一方、ちょっとダメだったという方もご紹介しましょう。「ゴジラの孫・マゴラ」さん。

「この作品は自分の中の『空白』を埋めるために、相手に自分の『正義』を押し続ける人々と、その『正義』を押し付けられ、ボロボロになっていく人々を描いた物語です。まず冒頭から添田父はパワハラ体質な人物として描かれます……」ということで、いろいろ書いていただいてですね。「この添田父の放つ暴力的なプレッシャーは、他の人より偉大であろうとする男性性が内包する加害性が表出した行動ですが、この男らしさの暴力性を受けた被害者はその暴力を内面化し、他の人に同じ暴力を放つようになります。この物語は、添田父の暴力を起点にその被害者が次第に彼の暴力性を継承してしまう危険性をも描いていました」。あれですね。実際、後半に松坂くんがちょっと電話を通じて、ああなっちゃう、ところですかね?

「しかし結末にかけての描写が正直、個人的に全く納得がいかないのです。ラストにかけて添田父は自分のしてきたことを反省します。彼の改心の重要な要素を担うのが、藤原季節演じる野木との関係……」。まあ、弟子筋というかね。「……野木との関係の修復なのですが、野木の行動原理が全く理解できません。

ただただ無条件で添田父に優しいだけの、こちらもマンフレンドリーな役割としての描かれ方がなされているとしか言いようがありません。また、彼の反省がエモーショナルに描かれるのですが、彼の与えた非常にリアリティーのある被害を、彼の懺悔からの『感動』という感情の消費として演出するラストは、現実の被害を陳腐化させかねないと感じました。ラストでもお涙頂戴になった上に、エンドクレジットでバイオリンの優雅な音楽が鳴り出した時は、『正直、いい加減にしてくれ』と思いました」というご意見。なるほどね。

個人的には、あのお父さんが改心というか、その考え方のモードを変えていく一番のきっかけは、後半、とある人のお葬式に行って出会う、要するに彼がこれまで想像もしていなかった考え方をする「他者」の存在っていうか、僕はそれが一番の契機になっているという風に感じましたが。もちろん藤原季節くんがね、根気強く寄り添って……でも、根気強く寄り添う誰かが救いになるってことも、現実にはあることではないかな、という気もしますが。

ということで皆さん、メールありがとうございました。

■過去作からするとダントツでヘビーな1本となってるのは間違いない

私も『空白』、新宿ピカデリーで2回、見てまいりました。平日昼にしては、中高年以上を中心に、わりと人が入っていった感じだと思います。

ということで、僕は大ファンの、吉田恵輔さん脚本・監督の最新作。吉田恵輔さんの作品はこれまで、いろいろとムービーウォッチメンで扱ってきているんですが、公式書き起こしが残っているもので言うと、2016年6月11日『ヒメアノ~ル』2018年2月24日『犬猿』、そして2018年9月28日『愛しのアイリーン』の公式書き起こしが……今ちょっと、TBSのサイト側の不備で、検索だと引っ掛からないので。申し訳ありませんが、番組ホームページにあるリストから飛んでいただくと、参照することができるので。これ、大変な不備でね。もう、みずほ銀行ばりの不備が続いておりまして。本当に申し訳ございません。

ということで、吉田恵輔監督。この番組では、今年の4月6日ですかね、その時点での最新作『BLUE/ブルー』の公開タイミングで、「本当にスゴい『ボクシング映画』はコレだ」特集のゲストとしてお越しいただいて。まあ、ご自身もボクシングを長年やっているという視点から見た、映画内のボクシング描写、これがすごい!という角度でお話しいただきました。めちゃくちゃ面白かったですね。結局『BLUE/ブルー』はね、このコーナーで数週に渡ってガチャリストに入れてたけど、当たらずじまい、でしたけど。とにかくその時、既にもう完成していたこの『空白』を指して、吉田さん、「次はちょっとドスンと重いのが来ますので」と実はおっしゃっていたと。

その予告通り、今回は、宣伝文句にもなってますけどね、十八番のコメディ要素、笑いを、ほぼ封印して……と。ただ、「あまりに気まず過ぎて、笑ってしまう」ようなところも……僕はまさにですね、初見時にそれを劇場でやってしまった。初めて、頭を抱えながらちょっと苦笑してしまう、という風なね。これは後半、寺島しのぶさんが居酒屋でやる、とある行為にちょっと、ついついしてしまったんですけども。あと、後半にはまあ、思わずクスッと来てしまうような瞬間っていうのも少しずつ出てきて。しかもそれが、まあ実は、さらに後で巨大な感動をより盛り上げるような仕掛けにもなっている、というあたりで。そのあたりはもう非常に巧み、という作劇だと思いますが。

とはいえ、たしかにですね、全体としては吉田恵輔さん過去作からすると異例なほど、逃げ場が少ないっていうか、本当に終始いたたまれない、ひたすら胃がキリキリと締め上げられるような話が続いていく、まあダントツでヘビーな1本となってるのは間違いないと思います。この『空白』はね。

■「取り返しのつかなさ」と「折り合いのつかなさ」、これが吉田恵輔作品だ

で、僕は今まで、吉田恵輔さんの作る映画のことを、こんな風に説明してきました。「表面上、穏やかに見えていた、ありふれた日常が、ふとした拍子、ふとしたほつれとかこじれから、メリメリメリメリッ!という感じで裂け目ができて、ものすごく残酷だったり、無情だったり、というその本質的な顔、世界の本質的に残酷で無情な顔をあらわにしてしまう」……そういう作品群だ、という風に私は説明してきましたけど。

その意味では今回の『空白』は、そのメリメリッ!が起こるポイントがわりと早めで、しかも極めて深刻なレベルで、その「取り返しのつかなさ」が事態として生じてしまう、という風に言えると思いますけども。で、実はですね、でもこれまでの吉田恵輔さんの作品は、常に一貫して、その不意に顕わになるその人生の「取り返しのつかなさ」と、折り合いをつけようとジタバタする人々。そして、でもなかなかその「折り合いのつかなさ」を描いてきた、という風に言えると思うんですよね。

つまり、「取り返しのつかなさ」と、それに対する「折り合いのつかなさ」。これが吉田恵輔作品のメインテーマっていうか、毎回この話をやってます。『BLUE/ブルー』もそうでした。「取り返しのつかなさ」と「折り合いのつかなさ」、これが吉田恵輔作品だ!と言い切ってもいいぐらいだと思うんだけど。この本作の「取り返しのつかなさ」というのは、特にね、かなりハードでヘビーな方だということ、つらすぎる!ということだと思います。

ちなみに、同様にですね、主人公や登場人物たちを襲ったその取り返しのつかない事態に対してですね、まあ日本社会の負のバイブスと言いましょうか、日本人の、言っちゃえば「心ない」面みたいなものが噴出してしまう、というような作品。近年やはり多いですし、どれもまあ腹にドスンと来るものばかりでしたよね。僕がこのコーナーで取り上げたものの中でもですね、たとえば先日の『茜色に焼かれる』とかは、まさにその交通死亡事故後の、しかもちょっと、心ない誹謗中傷を受けたりする、というような話が含まれていましたし。

あるいは『よこがお』であるとか、『凪待ち』『ひとよ』というね、白石和彌監督の二作とか。あと、橋口亮輔さんの『恋人たち』。あれも要するに、とある悲惨な事件で大事な人を亡くした、という話が含まれますし。もちろん『葛城事件』もそうでしょうし……言っちゃえば、あれですよ。「中傷ビラとか中傷落書きされる」系映画。最近、日本映画は多いし、どれもなんかドスンと来る、結構な重みがある作品で。こうして並べてみると、改めてやっぱり日本映画、全然最近すごいじゃん!って感じ、しますよね。そんな中ですね、この『空白』が、特に他の作品と違うポイントというかね、焦点としているポイントが、いくつかありまして。

■物をはっきり言えてしまう人と、物を言うことに躊躇してしまう人。この対比。

まずはやはりですね、「自分の行動や考えに、基本、疑いを抱かない……が故に、押しが強い」タイプの人。まあ古田新太さん演じる、添田充というね、ぶっちゃけ横暴で威圧的な、振る舞いからして本当に、周囲に対して威圧的な人物であるとかですね。寺島しのぶさん演じる、まあまさに「善意の人」、草加部さん。あるいは、もっと言えば劇中登場する、マスコミであるとか、「善意からの抗議行動」を取る市井の人々、匿名の人々なんかもね、そういうことで。つまり、自分の行動や考えに、基本、疑いを抱いていない。が故に、押しが強いタイプの人、っていうのがいる。

それに対して、対照的に、「自分の主張や考えを、表に出すのが苦手な人」っていうのも、当然いるわけですね。充の娘・花音さんがまさにそうですし。後にその、「無愛想」だの「何を考えてるかわからない」だの勝手な人物評をテレビで垂れ流されることになるスーパー店長、松坂桃李さん演じる青柳なんかも、まさにそのタイプで。劇中でもね、「自分の考えを出せない人もいる」とか、「頑張っても頑張ってるように見えないタイプの人がいる」なんて話が出てきますけど。

そんな感じで、とにかく物をはっきり言える人……というか、言えて「しまう」人。物をはっきり言えてしまう人と、物を言うことに躊躇してしまう人。この対比。特に前者が後者に対して無自覚に振りかざす、「言いたいことがあるなら言えばいい」等々の、まあ表面的な正論であるとか、もしくはその「悪気のない善意、正義感」といったものが孕む、暴力性というのが、まずは非常に端的に、浮き彫りにされていくわけですね。

これ、吉田さん自身がですね、実はどっちかっていうと自分は添田充的なタイプだ、とおっしゃっているんですね。人に対して「考えがあるなら言え」とか、なんかわりと……確かにそうなんですよね。吉田さんって、お会いした時もすごい気さくな素敵な方ですけど、照明さんとかをずっとやられていたとかもあって、なんかこう、映画監督の方にしては、どっちかって言うとガテン系の匂いがする方っていうか。それは全然、どっちが上とか下とか、そういう話じゃないんだけど。あの、RHYMESTERチームで言うとやっぱり、舞台チームとか音響照明チームに通じる匂いを、たしかに感じる吉田さんでもあって。吉田さん自身、そうだっていうし。

なんなら僕もね、やっぱりどっちかというと、「言いたいことがあるなら言えよ!」みたいなタイプではありますよね。これね。まあ、そういう人が孕む暴力性、みたいな。ただし、その後者の視点から……つまり、物をあんまり言えない人の視点から、その物をグッと強く言う人の無神経さを、単純に断罪する、っていうような、そういう一種歯切れのいい構造の話かというと、もちろん吉田恵輔作品ですから、もちろんそんなわけもなくて、ですね。

「どうやってみんな折り合いつけてるのかな」

たとえば、事の発端となる、スーパー内でのその万引きの、「見とがめ」に関する描写ですね。具体的にその、万引き行為……つまり商品をポケットに入れるとかが起こる「前」に、店長・青柳は、いきなり手首を掴んで引っ張っているように見えるので。少なくとも劇中では。正直、「あれ? ちょっとこれ、大丈夫?」みたいな感じがするわけですよね。で、不安に思っていると、もう事務所でなにがあったかは省略されて、もう花音ちゃんがパッと走って逃げ出すところに、ジャンプするわけですよ。

つまり、その花音さんが本当に万引きをしたかどうか……しかも、それがさらにグレーになるようなもうひと仕掛けも、後半に1個、用意されているわけです。本当にはどうか? 本当はどうだったか、わかりませんよ? とか、事務所内では本当にはどういうやり取りがあったのか、など、要するにその事件そのものの真相は、まさしく「空白」にされているわけですね。で、これによって──これが上手いんですけど──これによって、少なくとも主要登場人物の誰かを、仮に「真相」とか「真実」があったにしても、その一面的な被害者/加害者として白黒に色付けしてしまうことを、吉田さんは、徹底して避けてるわけですね。

これ、だからたとえば、本当に青柳がそうじゃないんだってことを観客が確信しながら見てしまうと、単にこれは「冤罪」の話になっちゃうわけですよ。なんだけど、これはこの作劇によって、冤罪の話に論点をずれてしまうっていうことを、防いでるわけです。で、それよりも本作が際立たせようとしているのは、先ほどのその、物がはっきり言える人、つまり自分を疑わない人と、どうしてももモゴついてしまう人との対比、というのとも重なるんだけども。

こういうことだと思いますね。人生の「取り返しのつかなさ」に対して、先ほどから言っているように……そして本作でも後半、さらりとだけど、しかしはっきり口に出されるようにですね、要は、「どうやってみんな折り合いつけてるのかな」っていう、この話です。つまり「折り合いがつく人」と、そう簡単に「折り合いがつかない人」の話になってくる。そここそが、この話の焦点なんですよね。

もちろん、その両者の対照っていうのもそうだし、特に後者の「じゃあ、どうしたらいいのよ? 折り合いがつかない人はどうしたらいいの?」っていうそのもがき、苦しみ。そここそを、やはり吉田恵輔さんは見つめようとしているわけですね。

たとえば、その人の折り合いのつけ方の度合いというのは、そのまま本作では、その人が登場する割合と、比例していると言えるんですよ、これ。と、僕は思います。まずね、その事の発端となる不幸な、非常に凄惨な交通事故があるわけですけど。決してその全てを直接見せてるわけではないにもかかわらず、まあとにかく、流石と言うべきか、もう強烈にショックを受けるような場面なんですけど。

そこでですね、観客として、その一連の流れを、一応「目撃」して……そこは「空白」じゃないわけです。そこはもう、一連の流れを、よせばいいのにワンカットとかで見せられたりするわけ。ワンカットっていうか、あるところからワンカットで見せられたりするんですけど。カットの切れ目と、繋がるところがね、非常に上手いというか、ショッキングなんですが。まあ我々は事件を「目撃」しているわけですね。で、その目撃している視点からすると、正直、一番過失がありそうなのは、あのトラックの運転手じゃないですか。ちょっと彼は、ブレーキを手前からかけているようには見えないよ、って思うから。

なんですが、彼はその取調室のシーン以降、姿を現さなくなってしまうわけですね。「なんでなんだ?」って思う人もいるかもしれないけど……これ、マスコミなど世間の目がそっちに向かなかった、という、その作品の外側の事情を想像することは可能だけど、それ以上に、お話のテーマと絡めて考えるならば、重要なのは、彼の中で恐らく早い段階で、もうこの取り調べ室の段階で、「俺のせいじゃない」っていう風に、彼の中では「折り合いがついちゃった」人なんですよね。ということは、この話上にはもう登場する必要がない人になっちゃう、ってことなんですね。それがいいか悪いか、ではなくて。

つまり、「折り合いがついた順に退場する」のが本作の法則だとするならば、彼は、いち早く折り合いをつけてしまっている人、と言えるわけですよね。これはだから、その正しさとは関係ないですよ。

■「折り合いがつかない」ってことには意味がある

同様に、学校の人々……生徒はもちろん、生徒は元々、その花音ちゃんにあんまり執着がなさそうだから。で、一番責任もあろうその教師たちも、彼らがその完全に「折り合いをつけてしまう」という、そのくだりがあるわけですよね。それがまた、劇中でも指折りの悪どい所業なわけですけどね。もう本当に最悪の責任なすりつけで、その折り合いをつけてしまうわけだけど。

ここね、校舎の入り口あたりなんですね。で、階段を背にして……つまりその、影側にいる2人と、切り返しで、逆光ではあるけれども光が差している側にいるある1人、っていう、この画的な対比があるわけです。この画的な対比はまさに……ここでの対話は、「折り合いのつかなさ」をめぐる議論をしてるわけですけど、それとシンクロしてるわけですよね。映画として、どちらが退場して、どちらが残る方なのか、っていうことがもう既に、画的な対比で見せられている。

折り合いのつかない人、そこをこそ描きたいし、なんなら折り合いのつかなさを抱えて苦しみながら生きることこそが、その取り返しのつかなさに対する唯一の、救い……とは言いたくない、でもやはりかろうじてこの世にある光、のようなものなんじゃないの、という、吉田作品にある種共通する哲学のようなものが、そこから読み取れるように思うんですよね。たとえそれが……今回のエンディングも、あれは僕はその、単純に救いとか美談とは、ちょっと言えないと思います。

つまり、っていうのは、「今更遅いわ!」っていう話ですよね。全てが、「今気づいたって遅いよ!」ってこと、なんだけど。たとえそれが、過去にしか見つけられない光だったとしても、やっぱり、苦しみ抜いたことで……苦しみ抜かなかったら、この、過去の光すら見つかってないわけですよ。「今更遅い」ってことにすら、気づかなかったわけです。

だから……っていうことがやっぱり、吉田恵輔作品の哲学というか、「折り合いがつかない」ってことには意味がある、っていうか。折り合いがつかないことにこそ、ギリギリ、救い……とは言いたくないけども、光が(ある)、みたいなことじゃないかなという風に(自分は思う)。それは、全てがそうなんですよ。『ヒメアノ~ル』もそう、『BLUE/ブルー』もそう。もう全部そうじゃないかな、という風に思います。

■全ての登場人物が一旦、自分を嫌いになる

とはいえその、どうしても折り合いのつかない側の人たちの七転八倒、というのは、本当に今回の『空白』の場合、ちょっと正視し難いつらさをはらんでいて。たとえば、やはり人間だもの、無理からぬところもある、とはいえ、「とりあえず人のせいにして何とか折り合おうとしてしまう」……これはまさに父の充がそうですね。なんかとにかく認めたくないし、この理不尽を受け入れることができないから、誰かが悪いんだ、ってことにしたい。これ、でも理解できるじゃないですか。

でも、そんなことしてもドツボにハマるだけ。ねえ。そして一種、そういう考え方の当然の帰結として、最終的にそれぞれが……これ、面白いですね、「自分を嫌いになる」っていうところまで行っちゃうわけですよ。全ての登場人物が一旦、自分を嫌いになるっていうところまで行っちゃう。で、そこから抜け出せなかった人もいる、というところがつらいところなんだけど。

これ、つまり、「自分を嫌いになる」っていうのは、「世界全部が敵のように見える」っていうことの、裏返しでもありますよね。なんだけど、そうしたその思考の悪循環から、ふと抜け出すきっかけを与えてくれるのもまた、先ほどもチラッと言いましたけど、自分が思いもよらなかった考え方や経験を持つ、「他者」なんだ、ということだと思います。そのお父さんであれば、とある人の……後半、葬式で出会うある人の、考えてもみなかった考え方と行動。あるいはその青柳さんであれば、終わりの方で会うとある人物の、考えてもみなかったとある「声掛け」というか。そういうことだったりする。

もちろん、それでだから何が解決した、ということでは全くない。もう失われたものは返ってこないし。なんだけど……ということもあるし。そこでね、何も解決してないんだけど、まあ最後のほうにとある人物がこういうことを言いますね。まだ、それは折り合いはついていないけど、「もうちょっと時間がほしい」っていう。結局これしかないんだよ、という、非常に大人なというか、まあリアルな着地。誠実な着地だと思いますね。吉田恵輔一流のですね、登場人物の過去や内面の動きみたいなものを、決して言葉で説明し過ぎず、ただ「そこにいる」だけで「その人として」成り立つような演技であり、演出であり、っていうのも本当に見事で。

当然、これ脚本の完成度がそもそも高いわけですけど、でもそれをですね、非常に高い理解度で演じ切る役者陣は、本当に最高です。たとえばやっぱり、ひたすらなんか内側に溜め込むだけの役柄……でも、ちゃんと一定の吸引力は必要、というこれ、松坂桃李バランスじゃないと無理だろう、という風に思いますし。古田新太さん。実はそんなに極端なことをやってる人じゃないんですよね。なんだけど、なんかこうはらんでいる暴力性みたいなものを、立ってるだけで表現する。これも本当にすごかったですし。

あと、もうとにかくフラットな立場、藤原季節! あの、なんかフラットにやさぐれる感じとか、フラットに優しい感じ。いいですよね。ああいう人が1人いるといいね。藤原くんが横にほしい(笑)。あとやっぱり、寺島しのぶさんですね! とにかく「善意の人」、寺島しのぶさん。この作品で一番重要な役柄、と言えるかもしれない。その善意の暴力性みたいなものを体現する存在として。でも、彼女は彼女でね、最後、自分がやっぱり、嫌いになっちゃってましたね。

あとは、片岡礼子さんですね。もう、どことは言いません。圧巻でした。もう、圧倒されました。これは古田新太ならずとも、もうグウの音も出ないあれでしたし。あとね、加害者になってしまって苦しむあの女性とか、スーパーの同僚のあのおじさんとか、脇に至るまで実在感と映画的なデフォルメが絶妙なバランスである、もう見事な演技陣。もちろん、とあるポイントで登場する、我らが奥野瑛太。「よっ!」って。もう、首の「どうもっす!」っていう下げ方は、『サイタマノラッパー』のマイティの最後の頭の下げ方とだいたい同じだな、っていうのは思いましたけど(笑)

■吉田恵輔作品の哲学の本質、核心にこれほど迫った一作は過去になかった

全体で4ヶ所でしかかからない、という音楽の使い方の、そのミニマムさなども含めてですね、奇を衒ったことはしていない。話自体も、そんなに派手に展開するわけではない。もっと言えば、折り合いすら、もちろんついてるかどうか……それはついてないかもしれないんだけど、でもその、「折り合いのつかなさ」にこそ、苦しいし残酷だけども、生きるということの意味、豊かさみたいなものを見る、という吉田恵輔作品の哲学の本質、核心に、これほど迫った一作はやっぱり、過去になかったと思います。

シリアスであるということ以上に、そういう部分でやっぱり、最高傑作、という言い方ができるのかなと思います。ますます決定的に、私はさらにファンになってしまいました。まあヘビーなので、あとは意見も当然わかれるところもある、という、物議を醸す要素もある作品なので。まあある程度、覚悟を決めてもらった上で……でも、ぜひぜひ劇場で! 劇場じゃないと逃げ出したくなるんで。俺(がビデオなり何なりで観ていた)なら、止めると思う、途中で(笑)。ぜひぜひ劇場で、ウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『最後の決闘裁判』です)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

◆過去の宇多丸映画評書き起こしは

こちらから!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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