宇多丸、『007 ノー・タイム・トゥ・ダイ』を語る!【映画評書き起こし 2021.10.8放送】

アフター6ジャンクション

TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

オンエア音声はこちら↓

宇多丸:

さあ、ここからは私、宇多丸が、ランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する、週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのは、幾度もの公開延期を経てついに10月1日から全国の劇場で公開となったこの作品、『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』

(曲が流れる)

イギリス秘密情報部MI6の諜報員ジェームズ・ボンドの活躍を描く『007』シリーズ25作目にして、ダニエル・クレイグ最後のボンド映画。前作『スペクター』の戦いの後、現役を退いたボンドだったが、CIA所属の旧友フィリックス・ライターと再会したことから、誘拐された科学者救出の任務につく。やがてその背後に潜む黒幕サフィンの存在を知る。

ダニエル・クレイグやレア・セドゥをはじめ、前作の主要キャストは続投。新たに悪役サフィンを演じたラミ・マレック、アナ・デ・アルマス、ラシャーナ・リンチなどが出演しております。監督は『ビースト・オブ・ノー・ネーション』やドラマ『TRUE DETECTIVE/トゥルー・ディテクティブ』などを手がけたキャリー・ジョージ・フクナガさんが務められました。

ということで、この『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)、諜報活動の結果を、メールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「今年最多クラス」。『竜とそばかすの姫』に匹敵する級らしいですね。まあね、そりゃあそうでしょうね。もうみんな、待ちに待ったでしょうしね、いろいろ言いたいことが出ると。

賛否の比率は、褒めの意見がおよそ6割。主な褒める意見としては、「ダニエル・クレイグ版ジェームズ・ボンドの最終作として見事なフィナーレだった。感動した」「アナ・デ・アルマス演じる新キャラ、パロマが魅力的」「久しぶりに劇場で『007』が見られたのがよかった」などがございました。これ、わかるな~。一方、否定的な意見としては、「こんな『007』は見たくなかった。最低!」「いくらなんでも上映時間が長過ぎる(2時間44分)」。これも気持ちはわかりますけどね。「敵であるサフィンのキャラが弱い」とか「パロマが出番が短くてもったいない」などがございました。また、「『007』から映画を好きになった」という人から老若男女問わず届いた。ゆえに褒めるもけなすも長文のメール。熱いメールが多かったです。

■「“さようなら、全てのジェームズ・ボンド”」

ということで、代表的なところをご紹介しましょう。ラジオネーム「カルポナーラ」さん。

「『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』、早速観に行ってきました。。ダニエル・クレイグの『007』シリーズは『スペクター』で物語的には完結しており、なぜ今作が作られたのか疑問でしたが見て分かりました。今作は新しい価値観を取り入れたものとして始まったにも関わらず、時間が経ち、既に古くなってしまった『ダニエル・クレイグのボンド像』からの卒業のための作品であると思います。

今作では様々な対比構造が印象的に用いられており、ヨーロッパ・白人・壮年・男性という時代遅れの価値観を象徴するジェームズ・ボンドが、新しい価値観と対比される姿を描いていると思います。まず今作は女性の扱いがかなり特徴的です。今作の女性エージェントは若い非白人であり、その時点でボンドとは対比をなしていますが、女性たちは全員ボンドの力を借りることなく状況を切り抜けていきます。また作品の途中でボンドはある罠にかかり、窮地に陥りますが、罠にかけた相手は若者であり、今までの作品でこのように若者に罠にかけられることはなかったと記憶しています。これもまたボンドが時代遅れになっていることの象徴だと思います。

また、美術面の対比で言うと、冒頭物語はイタリアのシーンで始まりますが、教会の行列とキリスト教のシンボルである羊飼いが出てきます。一方物語終盤のサフィンの拠点は神棚が出てきたりと、いわば和風であり……」。

まあ、北方領土っぽい地域、みたいな匂わせですからね。

「これはボンドが象徴するヨーロッパに対する多様性の象徴であると思います。このように全般にボンドは古いものとして否定的に描かれがちですが、ラストシーンは、旧来のボンドもまた確かに存在したものとして心の中で生き続けていくのだという、前向きなメッセージだと思います。私もこれで、新たな気持ちで新ボンドを迎えることができると思います。“さようなら、全てのジェームズ・ボンド”」というお手紙でございます。

いつもいただいてる「コーラシェイカー」さんも本当にね、長い分析をいっぱい、本当に読み応えのある評を書いていただいてありがとうございます。あのオープニング、このビリー・アイリッシュの曲に乗せて、毎回、そのオープニングの映像というのが非常に見ものでもありますが、そこの象徴的な読み解きなんかもすごく詳しく書いていただいて。ありがとうございます。

一方、ダメだったという方。これも熱い。ラジオネーム「タケノコ」さん。

『ぶっとばされた』。色んな意味でこれがすべてです。これだけでもいいかもしれません。私はダニエル・クレイグが演じたボンドを『スカイフォール』からリアルタイムで観始め、あとからボンド映画全作を見た新米007ファンです。そんな訳で一番思い入れのある大好きなクレイグボンドのシリーズ。その結論として、そして全ボンド映画の中での終わり方としてこれは……ないでしょう。クレイグ・ボンドはこれまでのボンド映画に対して定石を外していく、要はシリーズが長年築き上げてきた鉄壁の型があるからこその型破り的な演出やストーリー展開ができ、そしていつも最終的には原点回帰するのが特徴で、そこが非常に興味深く面白かったのですが、今作については、『一体誰が定石を外すのではなく破壊しろとまで言ったんだ!』と叫びたくなるほど頭にきました。今作のラストは、シリーズの『お約束』を破り続けた者としてある種必然の帰結だと言われればたしかにそうかもしれません。ですが、別に無闇に話を繋げる必要なんてなかっただろうにとも思います」

「クレイグ・ボンドの全ての作品をムリくりジェームズ・ボンドという男の人生の話として繋げた意味が私にはよくわかりません。というか観客の、特に007ファンに、どういう気持ちになれというのでしょう? ボンド映画を観て晴れ晴れとした気持ちではなく、なんでこんな複雑な気持ちにさせられなければいけないのでしょう。『007』という一つの歴史的価値もある英国の文化を、ここまで破壊してしまって、英国人の方々がこれを観てどう感じるか大変気になります。こんな結末を許してしまって本当に良いのでしょうか? 私は、この映画を観終わって帰宅してすぐ、去年からずっと部屋に貼っていた今作のポスターを破り捨てました。今年の、いや生涯ワーストに入ります。もう二度と観たくありません」というね、強烈な反応ですよね。

ということで皆さんね、賛否、どちらにしても熱いメールをありがとうございます。

■「ダニエル・クレイグ、お疲れ様でした!祭り」という特別感に満ちた一作

私も『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』、T・ジョイPRINCE品川、そしてTOHOシネマズ日比谷、いずれもIMAXで見てまいりました。というのはこれ、『007』映画史上初めて、IMAXカメラで撮影されたパートを含む……今までIMAX上映はありましたけど、撮影はなかったんですね。IMAXカメラで撮影されたパートを含む……ほかは65ミリパナビジョンカメラ、そんな作品なので。やはり見るのもIMAXで、やっぱりどうしても、どうせ行くならってことで、IMAXに行きましたけどね。

とにかく、平日昼の回も、お客さんがとても入ってました。特にやはりね、50代以上の男性とか、カップルが目立つ感じですかね。私より上の世代というかね。で、しかも高い席から売れていく! みたいな。プレミアシートみたいなところから売れていくという。可処分所得が高い皆さんが行っているという(笑)。それぐらい、やはり思い入れのある層にとっては、ボンド映画というのはひとつ、特別な祝祭でありますし。しかも今回は、コロナ禍での度重なる公開延期によって、焦らしに焦らされた、待ちに待った感というのも、当然加わる。これぞ映画館で見る、映画らしい映画!という感慨も、ものすごく高まってる状態。

だから僕は本作に限って言えば、公開まで多くの障壁があった分、その、普通のタイミングでサラッと公開するよりも、逆に作品の存在感を大きくしている、という風に思います。ちょっとプラスに働いてる、ぐらいに思っちゃう。そして何よりも、ダニエル・クレイグ演じるジェームズ・ボンドの、これぞ正真正銘最終作、ということで。まあ「ダニエル・クレイグ、お疲れ様でした!祭り」という特別感に満ちた一作でもあって。要は滅多に見れないありがたいものを目撃している感、そしてそれをスクリーンで見られているこの喜び感、みたいなのが、非常に半端なく満ちている作品で。実際、僕も特に序盤から前半にかけては、やっぱりちょっと思わず、なんか「ああ、『007』映画がスクリーンでまた見られた!」って落涙してしまう瞬間が、何回もありましたけど。

とにかくこの『ノー・タイム・トゥ・ダイ』、端的に言えばですね、ダニエル・クレイグが演じたジェームズ・ボンド映画五作を、改めてひと続きの五部作として総まとめ、総括してみせるような……つまり、『007』映画っていうのはね、本来は1話完結っていうのが基本のシリーズだったわけですから。これを要するに五部作としてまとめてみせる、っていうのは、非常にイレギュラーな作り、置かれ方の一作なわけですね。そしてそれは、ダニエル・クレイグ版ボンドっていうのの本質と、不可分なもの、という風に私は思います。

そのダニエル・クレイグ版ボンドの本質とはでは何なのか?と言えば、僕の表現で言えば、こういうことだと思います……ジェームズ・ボンドという、ともすれば単に時代遅れになりかねないキャラクターへの、絶えざる問い直しですね。「ジェームズ・ボンドとは何なのか?」っていうことを、絶えず問い直しているのがダニエル・クレイグ版ボンドだ、という風に私は思っています。

■意志的にボンドに「なる」必要があったダニエル・クレイグ

もちろんですね、これは僕、今まで『スカイフォール』評と『スペクター』評をそれぞれやってますけど、その中でもちょいちょい触れていると思いますが、実際のところ『007』映画って、70年代以降は、常に時代遅れとの戦いでもあったわけですね。元はね、その50年代から60年代の壮年男性が考える……「最高級サラリーマン」って僕は言ってますけどね(笑)。サラリーマンの最上限、みたいなね。そういうものでもあるので、時代遅れとは、70年代以降、常に戦ってきたし。それに対して、その時代その時代のトレンドを取り入れてみたり。

たとえばティモシー・ダルトンのボンドのように、シリアスだったり、あるいはその女性に対しても、わりと真面目寄りっていうか。あんまりヘラヘラ女をとっかえひっかえしたりしない、みたいなのもやってはいるんです。ただ、それでもやっぱり、ピアース・ブロスナンのようにですね、わりとその説明不要で、最初からもう「見るからにボンドっぽい」役者がハマってしまえば、良くも悪くも観客も特に疑問を持たずに普通に続いてしまうというか、納得して続いてしまってきたシリーズでもあるわけですよ。

だから、ボンド的なキャラクターそのものが時代遅れと言うよりは、演じる役者によってそのバランス感が変わってくるところもあって。で、そこに行くとダニエル・クレイグは、少なくともそういう風に、ピアース・ブロスナンとかロジャー・ムーアとかショーン・コネリーのように、説明不要で「最初からジェームズ・ボンドに見える」タイプじゃなかった。が、ゆえに……ということなんですね。まあ、それゆえに当然、キャスティング当初は、各方面から本当に叩かれまくったりした。

こんな話はですね、火曜パートナーの宇垣美里さんもお勧めしてくださいました、アマゾンプライムで見られるドキュメンタリー、『ジェームズ・ボンドとして』という作品が詳しくて。皆さんもぜひこれ、ちょっと今回の事前に見ていただきたいんですけど。まあ主に、プロデューサーとして今、たぶんこのシリーズに最も力を持っているっぽいバーバラ・ブロッコリさん。ブロッコリ一族、と言いましょうか。バーバラ・ブロッコリさんの判断だったようですけど。

とにかくこのダニエル・クレイグは……ダニエル・クレイグ自身も、ロジャー・ムーアとかピアース・ブロスナンは、ボンド役に決まる前から「ボンドっぽい」役をやってた人たちだけど、僕はアート系作品の脇役で成功した人間だから、全然違うんだ、だから必死で肉体改造して、要するに殺し屋に見えるように自分から変身しなきゃいけなかった、って言ってるわけです。

とにかく、意志的にボンドに「なる」必要があるタイプだった、というのがダニエル・クレイグなんですね。で、それはまさに、あまりにもハマりすぎていたがゆえに、良くも悪くも安定しきっていたピアース・ブロスナン期の、その先。いよいよボンドもこのままだとただのマンネリ、古くさいシリーズになってしまいかねなかったところを、一から問い直すべきタイミングにおいてですね、その狙いと実は、ばっちり合致する。つまり、ダニエル・クレイグは、「じゃあ、ボンドに“なる”っていうのはどういうことだ?」っていうことを、自ら体現していかなきゃいけない。それが非常に、タイミングとしても合ってたわけです。今振り返ると、それがすごくうまくいっていた、ということがよく分かるわけです。

■ダニエル・クレイグ版ボンドを「丁重に送り出す」ために作られた卒業映画

2006年の『カジノ・ロワイヤル』……まあ、未熟な新人が、007、ジェームズ・ボンドに「なる」までの話なので。事実上そのリブート、リスタートでしたけど、ダニエル・クレイグ本人とも重なるような役柄だったわけですよね。だから非常にそれが上手くいっていたし。ただし、その続編にして、製作時のゴタゴタがぶっちゃけ出来にも影響してしまったと今や作り手たちも認めている、『慰めの報酬』(2008年)とかはまあやっぱり、ちょっとあんまり出来がアレだったため。この『慰めの報酬』の次が、「あの」大ホームランじゃなかったら、やっぱりかなり『007』は、危機的だったと思います。次が普通に凡作だったりしたら、もういよいよ危なかったと思います。

ただし、この次がやはり、2012年『スカイフォール』、サム・メンデス監督、というですね、まあこれ要は、未熟だったボンドっていうのが、今度は時代遅れの老兵、っていうキャラになってるわけですよ。それが最終的に自分の過去と決別し、「それでも、俺は俺だ」っていう風に、高らかに宣言してみせるような話。そして、ここがポイントですね。『007』の本質とは何なんだ?っていう問い直しの結果……それは、「美しさ」と「優雅さ」だ、と。他のアクション映画はそこは真似できないじゃん?という。その本質というのを、さらに徹底して追求してみせた。

つまり「ボンド映画とは何か?」ということを再解釈してみせたというか、そういう感じ。好き嫌いが分かれる作品なのは存じ上げてますが、少なくとも、興行的、批評的に圧倒的大成功を収めた、歴史的一作……もう『007』シリーズを救った一作、大ホームランであるのは、やはり疑いようもないと思います。2012年度、私のシネマランキング1位です。『スカイフォール』。で、引き続きサム・メンデスが監督して、今度はケレン味やギミック性っていう、本来の『007』シリーズらしさ、の方に振り切ってみせた2015年の『スペクター』があって。

まあ、そこでダニエル・クレイグ、ここでたしかに終わってもよかったんだけど……というのが、今回の『ノー・タイム・トゥ・ダイ』の、手前までの話ですけど。何にせよですね、まあスポーティーな短髪に、トム・フォード・デザインの、あの「オコナースーツ」っていう、ウエストをすごくシェイプして、ちょっと着丈が短め、という非常に現代的なスーツ。あれをシュッと着こなして。で、なにか一アクションした後は、かならずあれ、カフスボタンを直す仕草をするわけです。それによって、ボンド的なエレガントさというのも、非常に分かりやすく示してもくれるダニエル・クレイグ版ボンド。これはこれで、今や文句を言う人もいないでしょうというぐらい、完全に確立しましたよね。これがもはや今のボンドなんだ、っていうのを確立してみせました。

というか、ボンドに「なる」というところから、ベテランになり、完全引退、というところまで、「観客が併走してきた」ボンド役者っていうのは、これまで、例がないんですよね。なのでその意味では、ファンの思い入れがたぶん、一番強いボンドには今や間違いなくなってるわけですよね。要するに、「育ててきた」っていうかさ。「ああ、こんなに立派になって……」みたいな。そして、本作『ノー・タイム・トゥ・ダイ』はね、単に『007』新作というのではなくて、そんなダニエル・クレイグ版ボンドを、「丁重に送り出す」ためにこそ作られた、と言ってもいいくらいの、いわばその卒業映画。

さっき言ったように、五部作の完結編、という意味合いが非常に強い一作にしてですね、なおかつ最終的にはそれを改めて、ボンド映画の歴史の上に位置付けて……「歴史化」してみせるような、今まで以上にメタ的な視点が、そこかしこに埋め込まれた作品でもある。わかりやすいところでは、『ドクター・ノオ』であるとか、『女王陛下の007』オマージュみたいなものが、音楽とかビジュアルに、あちこち散りばめられているような作品ですよね。

■才能あるフィルムメイカー、キャリー・ジョージ・フクナガ監督

で、当初はこれ、ロンドンオリンピックの時にまさしく「『女王陛下の007』であるダニエル・クレイグ」を演出した、ダニー・ボイル監督で進んでいたわけですよね。ロンドンオリンピックつながり、っていうのがあったわけですけど、まあ製作陣と意見が合わずに、最終的に降板して。通常の3分の1ぐらいしかその準備時間がない中で、起用され、脚本というか、話もイチから改めて作り上げたのが、今回起用されたキャリー・ジョージ・フクナガ監督。当番組でもね、度々話題にしている通り、超絶カッコイイ!という、そこを置いておいたとしてもですね。この人、ものすごいんですよ! すごい才能あるフィルムメイカーだと、私は思っています。

僕も関連作を一通りこのタイミングで、もう完全に網羅しましたけど。たとえば、最初に評判になった短編映画。メキシコの移民たちが、トラックの荷台の中で大量に死んでいたっていう、皆さんはこれ、ご記憶にありますかね。そんな実際の事件を短編映画にした、『ヴィクトリア・パラ・チーノ』という2004年の作品とか。やはりそのメキシコからアメリカに渡ってくる移民の、非常にハードなロードムービーである、長編デビューの『闇の列車、光の旅』という作品。

あるいは、これはネットフリックスで見られますね、西アフリカの内戦とその少年兵、というのを扱った、『ビースト・オブ・ノー・ネーション』という作品など、恐ろしく骨太な社会派作品を得意としつつも……ひとつちょっと今回の作品とも共通することを言うのであれば、やっぱり「子供と暴力」とか、そういうテーマっていうところは、ちょっと通底しているかもしれませんけどね。

まあそういう社会派作品を得意としつつも、たとえば出世作、HBOドラマシリーズ『TRUE DETECTIVE/トゥルー・ディテクティブ』の、火曜日にもちょっと話題にしましたけど、あの第4話の長回しシーンを始めとしてですね、非常に重厚にして斬新な演出、語り口であるとか。あとまあ、『ジェーン・エア』っていう、古典ですよね。『ジェーン・エア』っていうのを、ヒッチコックの『レベッカ』風味と言いましょうか、ちょっとゴシックホラー風味強め解釈で、堂々と仕上げてみせたりとか。

あるいはこれ、ネットフリックスのドラマシリーズ『マニアック』というね。これはもう、クラクラするようなシュール表現、デザインで、映画ジャンルを一種パロディ的に横断するようなその引き出しの多さを見せつける……これはダークコメディですから。とにかくですね、何をやらせても、レベルが半端じゃなく高いんですよ、この人は。

ちなみに今回の『ノー・タイム・トゥ・ダイ』ではですね、その国務省から送り込まれてきたローガンという、実は非常に重要な役ですけど、演じるビリー・マグヌッセンさんという方。これ、『マニアック』に引き続きの、非常に印象的なキャスティングだったりしますし。同じく『マニアック』とか、さっき言った『TRUE DETECTIVE/トゥルー・ディテクティブ』にも出てきた、その長回しアクションシーン。今回もクライマックスで展開させていたりしますよね。

今回、「ビルの階段を敵を倒しながら上がっていく」あの感じは、個人的には、松田優作主演『最も危険な遊戯』という映画がありまして、あれの中盤の一大ガンアクションシークエンスを、より直接的に連想したりしました。フクナガさん、見たりしてないかな?というね。とにかく機会があればぜひ皆さん、『最も危険な遊戯』と見比べていただきたいですけど。

優雅さ、美しさ、エレガントさに満ちたアクションシーン

それ以外にもフクナガさん、とにかくアクションを含めですね、諸々の見せ方が本当に上手いんですね。今回はなんと30分近くあると思われる、あのアバンタイトルでもですね、まず前作『スペクター』で、言葉で説明されていたレア・セドゥさん演じるマドレーヌの少女時代。殺し屋に襲われて……というくだりを、実際の画として見せるんですけど。あの、家の中から、三角形の窓の向こう側、一面真っ白の氷原を、不穏な男が近づいてくるのがポツンと見える、というあの画であるとか……諸々の、ガラス越しとか、あと氷面、氷越しというようなのを生かしたショットなんかも、すごく上手いですし。どちらかと言えばはっきりホラー的な演出で見せるこのシークエンスだけでも、監督としての非凡さは既にビンビンに伝わってきますしね。

そこから時制が現在になって、イタリア、世界遺産のマテーラという街で繰り広げられるバイク&カーアクション。大部分、予告で画としては散々見ていたにもかかわらず、非常にキビキビとメリハリの付いた編集の上手さもあって、思わず息を飲む緊迫感。そして、それと同時にここがやはり『007』では大事だということが、特に『スカイフォール』以降で再確認されたと思いますが、優雅さ、美しさ、エレガントさに満ちたアクションシーン。

バイクとカーアクションシーンで言えば、中盤、あの平原から森の中に至るチェイスシーンにしてもですね、そんな奇抜なことをやってるわけじゃないはずなんだけど……たとえば、あの高速道路とか坂の向こう側から追手の車がドーン!と顔を出す、その瞬間の掴み方なんかでですね、非常にスピルバーグばりというか、突出した手腕が本当にあるな、という風に思います。アクションで言えばもちろんね、最高なのは中盤の、あのキューバでのMI6 VS CIA、人質争奪戦。

皆さんおっしゃる通り、ラシャーナ・リンチさん演じるノーミとアナ・デ・アルマス演じるパロマっていう、この2人の女スパイ。この2人の、そのボンドとの、なんていうかプロとしての非常にフラットな友情のあり方みたいなのが、すごい感動的というかね。すごいイケてましたよね。これが最高なのは私が言うまでもなく、という感じでございます。

「ボンドに“なる”」から始めたダニエル・クレイグボンドが「ボンドを“降りる”」話で完結する

まあともあれ、ちょっとアバンタイトルのところまで話に戻すと、ビリー・アイリッシュの主題歌が流れだし、そして『ドクター・ノオ』オマージュなデザインとともに始まる、そのオープニングシークエンスが始まる頃にはっきりしてくるのは、要は今回のジェームズ・ボンド問い直し……最終テーマとなりますから。今回の問い直しは何かと言うと、結局のところこのボンドという、「クールな」「孤高の」スタンスを貫いてきたという男。プレイボーイを気取ってきた男。要はそれって、「誰も信じられない」っていう、悲しい精神の持ち主っていうことですよね、という、そういう問い直しですね。

だからこそ、彼が最も信頼してきた友人とのアレを経て、最終的に終盤、ようやく見つけた、心の底から信じ、愛する対象……まあ言ってみれば、「家族」。なのに、彼らにだけは近付けない。その手には抱けない、という、その「ある事情」が生ずる展開。僕、これはうならされました。つまり、ボンドというキャラクターの本質的孤独を、本当によく考え抜いた構造というか、お話だな、という風に思いました。

そして、その構造を際立たせるため、本作は、特に後半ですね、『007』映画としてはかなり掟破りというか、たしかにイレギュラーな決定的一線を、次々と越えてみせます。そもそも、考えてみるとボンドって、「子供と直接絡む」ってことが、まあ周到に避けられてきたわけですよね。それも一線が越えられてますし。まあともあれ、後半の、これまで『007』では考えられなかったいろいろを、非常にウェットに振り切ってみせるというかね、これは、好みとか意見が分かれるのは当然だと思います。

ただ私自身の考えを言うならば、やはりこれ、2006年『カジノ・ロワイヤル』で、さっきから言ってるように「ボンドに“なる”」というところから始めたダニエル・クレイグボンドが、『スカイフォール』でボンドというキャラクターのアイデンティティを力強く再定義してみせたその後に、最後にそのダニエル・クレイグボンドとしては「ボンドを“降りる”」、つまりボンドがボンドじゃなくなっちゃう、っていう構造のところまで行って卒業し、話を締めくくる……少なくとも、「五部作の完結」という意味では、完全に筋が通った、これはこれで最適解かとは思います。

■話はいろいろおかしなところだらけではあるが……

ただその、「『007』は五部作じゃねえぞ!」っていう、そういう怒りが出てくるのもまあ、ごもっともかなという気もしますが。もちろんですね、一部のシーンは脚本がないまま撮り進められたぐらいで、まあ話はいろいろおかしなところだらけでありますが。まあ『007』ってそもそも、話はそんなもんじゃん?っていうレベルではなく気になる部分としては、敵のね、サイクロップスという通称の敵キャラが、途中、要するにスペクターからサフィン一味に「移籍」してるんですけど、それがあまりにもヌルッとしていて、なんかノイズになるんです。

「あれ? こいつ、何だっけ?」って。一応、言葉で突っ込まれたりしてましたけど。あと、ブロフェルドなんですけどね。あんなに厳重に閉じ込められているのに、顔だけモロ出し、っていうこと、ある?(笑) 「アホか!」っていう感じ、しますけど。あとそのね、レア・セドゥさん演じるマドレーヌ。まずお父さんがミスター・ホワイト、つまりその『カジノ・ロワイヤル』に登場したスペクターの幹部なんですけど、これ、前作でも普通に「お父さん、スペクターなんですよね」って言ってたし。なんかそれを改めて、重大な秘密っぽくもったいぶるのが、なんかちょっと作劇的に違和感もありましたし。

何と言ってもブロフェルド唯一の面会人が彼女って……いや、元々家族にスペクターいる人を当てないでしょう?っていう。とかね、そういう不自然さもありますし。あと、敵工場も、人っこ1人いないんだから、ミサイル止めれば済む話だよ。もしくは、近付いてきているというその取引先の悪人の船を攻撃すれば済む話では?とか。あと、一番気になったのは、あれですね。ウサギのぬいぐるみ。拾いに行くだけかい!っていうか。これ、宇垣美里さん提案案が「それな!」っていう感じでした。

つまり、「あれが帰ってきたらポチョンとどっかに置かれてるってことでいいじゃない?」。「それな!」って思いましたけどね。あれもやっぱり、やりっぱなしになっちゃっている。あと、もちろん何より、サフィンとボンドの直接対決。まあ、やたらと「問答」ばかりになってしまったあたり。これ、恐らく撮影の余裕が、やっぱりなかったのかな?って思います。ただですね、実際のところ撮影条件が非常に限られた中、それ以上のスケールをしっかり感じさせる演出……たとえばアジトで、あの、列車っぽいものが走ってる、みたいなのが、影と音で表現されてましたけど。

これ、フクナガ監督ね、デビュー短編でもすでに発揮されていた、要するに非常にミニマムな条件から最大の効果を生む、という、まさに映画監督としての腕というのを、恐らく今回もこの超大作においても、厳しい条件だけどアジトのスケールを大きく見せるという……安藤忠雄建築にも影響を受けたという、腕を見せて。

つまりですね、この厳しい条件を乗り越え、まとめ上げた手腕を含め、僕はキャリー・ジョージ・フクナガのこの大作への起用、そしてその手腕を実際に遺憾なく証明してみせたという、これが本作最大の収穫と言ってもいいかな、ぐらいに思っています。あ、ヤバい、時間が! ということで、ぜひぜひ劇場でウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『空白』です)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

◆過去の宇多丸映画評書き起こしは

こちらから!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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