あの松島の詩は、芭蕉ではなかった!

ISUZU presents 檀れい 今日の1ページ

女優の檀れいが毎回、その日にまつわる話題や風物詩などを交えてお届けする「檀れい 今日の1ページ」。今朝は、「松尾芭蕉」についてのお話でした。

1012日は、旧暦でいう「芭蕉忌」にあたります。その名の通り、江戸時代の俳人である松尾芭蕉が亡くなった日。 現代の「東北地方」と「北陸地方」を旅し、各地で詠んだ俳句を記した紀行作品『おくの細道』は、古典でありながらも、名作として知られる作品です。

この旅は、元禄2年の春、江戸・深川を出発。「日光」「松島」そして「平泉」へと北上。さらに日本海沿いを南下し「山形」「新潟」から「金沢」「敦賀」、そして「大垣」までが記されています。期間はおよそ150日。 距離はおよそ2400キロに及ぶものでした。

では、なぜ芭蕉は旅に出たのでしょう。『おくの細道』の冒頭には、「月日は百代の過客にして、行きかう年も、又、旅人なり」と記されています。すでに名をなしていた芭蕉が、この旅に出た年齢は40代半ば。残り少ない人生を考え、自分の「俳諧」を極めるため、というのが理由と言われています。

各地を旅する中で、その土地で見たもの・感じたものを詠む『おくの細道』ですが、宮城県の松島では、絶景すぎて句を作らなかったとされています。文章では「素晴らしい光景だ」と褒めていますが、そこに書かれている俳句は同行した弟子「河合曽良」の作品です。なお、広く知られる「松島や ああ松島や 松島や」も芭蕉ではなく「絶景」のエピソードを踏まえ、のちに創作されたものだそうです。

芭蕉が亡くなってから時を経て出版された『おくの細道』には、本人が書いたとされる部分、弟子の「河合曽良」が書いた部分、のちに関係者が付け足した部分もあるとか。20世紀になってから発見された当時の出版物もあり、現代でも様々な研究が行われているそうです。

家族や友人、恋人と楽しく旅する。地元の人たちと触れ合う。「旅」という形はいろいろですよね。 まだ大変な時期でもありますが、落ち着いたら旅に出たいですね。

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