宇多丸、『アナザーラウンド』を語る!【映画評書き起こし 2021.9.10放送】

アフター6ジャンクション

TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

オンエア音声はこちら↓

 

宇多丸:

さあ、ここからは、私、宇多丸が、ランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する、週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのは、9月3日から全国の劇場で公開されているこの作品、『アナザーラウンド』

(曲が流れる)

『007 カジノ・ロワイヤル』などで世界的にも活躍している名優、マッツ・ミケルセン主演最新作でございます。冴えない高校教師のマーティンと3人の同僚は、ノルウェー人の哲学者が提唱した「血中アルコール濃度を一定に保つと仕事の効率が上がる、人生が上手くいく」という理論を証明する実験に挑む。それが最初はうまくいくように思われたのだが……というね。監督は、2012年の『偽りなき者』でもマッツ・ミケルセンとタッグを組んだトマス・ヴィンターベアでございます。数々の映画賞に輝き、第393回アカデミー賞では国際長編映画賞を受賞いたしました。あと、監督賞にもノミネートされましたね。

(BGMに対して)ちょっとね、ディレクターの蓑和田くん、ここにあの曲をかけてほしかったんですよ。ミーターズをかけてください。基本的には劇中でね、クラシックとかデンマークの国歌であるとか、そういう歌が印象的に使われてるんですけど、主人公たちがノリノリでパーティーをする場面、あとエンドロールでも流れるのが、このミーターズの「Cissy Strut」というね。まあクラシック・ブレイクビーツでもあるんで。世代もあるのかな……ヒップホップ世代っていうかね、どっちかっていうと。これも印象的だったので、これを流しながらいろいろと読んでいきましょう。

ということで、この『アナザーラウンド』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)を、メールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「普通」。まあ、でも公開規模がそんなに大きくないからね、結構いい線行っている方かもね。賛否の比率は、褒めの意見が8割。

主な褒める意見としては、「お酒のよさと怖さが両方描かれており、フェア」「ままならない人生をそれでもどう生きていくかという普遍的なメッセージがある」「マッツ・ミケルセンはもちろん、主演俳優たちの演技が皆、素晴らしかった」などがありました。結構ね、トマス・ヴィンターベア監督常連(俳優)たちもいましたけどね。一方、否定的な意見としては、「飲酒をモチーフにしたことで、伝えたいテーマがうまく伝わっていない」とか、「飲酒の怖さを軽く描くすぎでは?」などがございました。

■「飲酒の是非を問うのではなく、『正しくなさ』を持つ人間に寄り添うこと」byリスナー

代表的なところをご紹介しましょう。「もりちゅう」さん。

冴えない中年男たちのワンスアゲイン映画であり、非常に普遍的で素晴らしい作品でした! 飲酒の是非を問うのではなく、『正しくなさ』を持つ人間に寄り添うことこそ、監督の描きたかったことなのではないでしょうか。本作では職場での飲酒をきっかけに、自らの家族や生徒たち、チームメンバーから慕われることの尊さ、そしてその崩壊や再生までが描かれています。もちろん、彼らの行動は職業倫理に明らかに反しています。しかし、一体何があれば人生に彩りが生まれるのか、という事を観客に考えさせるだけで一見の価値があると思います。

彼らの行動が度を越えてしまいある事態が起こってしまいますが、それでもなお酒を飲み続ける主人公が、『正しくなさ』を持ってしても必死に人生に意味を見出そうとしているように私には思え、彼のことを愛おしく感じずにはいられませんでした。自らの尊厳を取り戻し、周囲の人間に囲まれ、踊り狂いながら、人生を謳歌しようとする主人公。その姿は、最愛の娘様を亡くし、絶望の淵にいた監督自身が、周囲の支えの中でこの作品を作り上げ、必死にこの世界に足跡を刻もうとしている様子と重なるようで、涙が止まりませんでした」

そうなんです。トマス・ヴィンターベア監督ね、この作品に出演も予定されていた娘さんを、撮影開始の4日後に交通事故で亡くされて。これ、あのアカデミー賞のスピーチでも話されていましたけども。それでも作り上げた作品、ということなんですよね。そのことも入れていただきました。

一方、ちょっとダメだったという方もご紹介しましょう。ラジオネーム「ゴジラの孫、マゴラ」さん。アトロクU-24企画でも出ていただいた、ゴジラの孫、マゴラさん。

「映画としては非常に面白かったのですが、最終的な結末と、この作品を貫くメッセージに対しては、少し距離を取りたいと感じました。本作の登場人物である中年ダメンズ教師四人組は、父親という役割や社会的な立場に甘え、自身の価値観や交友関係をアップデートすることを怠り、ダメンズのホモソーシャルで密閉された空間以外に心を開ける場所を失ってしまった人たちです。

そして、高校教師という立場に彼ら的には若干の敗北感を抱えていて、一方家では『理想の父』を演じなくてはいけない、という抑圧を感じており、『人生の袋小路に辿り着いてしまった、“男性性”に苦しむ男たち』として描かれています」。まさにゴジラの孫、マゴラさん。今もすごくそこらへんを勉強中ということを(U-24企画の中でも)おっしゃっていました。

「彼らがその苦しみから逃げる為に用いる手段こそが、飲酒でした。それは、感覚を麻痺させて快楽を得るためだけではなく、チャーチルやヘミングウェイの飲酒伝説を引用しているように、『これだけ飲める俺すごいだろ』というような男性性の補強という面もあるように感じました。また、この作品は、酔っ払った彼らの痴態と、彼らのせいで苦労をする女性たちの視点も描いているため、表現としてフェアさがあるように感じますが、マーティン夫妻の離婚の原因が妻の浮気だった、という描写は、マーティンをかわいそうな人であるとして擁護するためのマンフレンドリーな描写であり、ヴィンターベア監督は『男性監督の表現』という偏りから距離を取れていないと感じました」。

ここ! 僕もこれね、「ここはいらねえだろ」って思って見てましたね。なんでこれ、奥さん側にも責任があるみたいな話を入れなきゃいけないのか、っていうのはちょっと、一番この作品で引っかかった部分ではあります。で、ゴジラの孫、マゴラさん。

「家族の問題も、女性たちに背負わせた負担も、何もかもに背を向けるという非常に不誠実な終わり方で、現実のジェンダー格差の構造を肯定してしまう表現だと感じました。それでもこのラストにある種のカタルシスを感じてしまうのは、『飲酒』という現実逃避に、『映画』というフィクションに我々観客が一時だけでも現実を忘れて没入する感覚を見事に象徴させていたから、だと思います」。ということで、もちろんそういう部分に関しては認めつつも……というメールでしたね。ありがとうございます。

テーマはズバリ「酒」

ということで、『アナザーラウンド』。私もシネクイントで2回、見てまいりました。トマス・ヴィンターベア脚本・監督。僕のこの映画時評コーナーでトマス・ヴィンターベアを取り上げるのは初めてになりますが、デンマークの方で、かのラース・フォン・トリアーの後輩筋というか、年齢は一回り以上違うんだけど、一緒に「ドグマ95」という映画運動……まあオールロケで、手持ちカメラで、照明なしで、ジャンル映画的要素なしで、みたいな、そういう縛りがある中でクリエイティブなことをしよう、というような映画運動「ドグマ95」というのを一緒にやったりしている中で、国際的にも評価されていった方でございまして。

僕もね、近作の2016年の『ザ・コミューン』というのと、2018年の『クルスク』っていうね、これは潜水艦の話ですね、これはね、現時点で見られていなくて。ちょっとこれ、すいません、申し訳ない。ちょっと痛いんですが、それ以外の過去作はなんだかんだで一通り見ている感じですけど。作品ごとにタッチの違いはあるんだけど、非常にざっくり言えば、こんな感じ……「個人が内に秘めたもの」と、「社会的枠組み」間の緊張を描く、というか。人ひとり、個人と、社会的枠組、社会性の対峙、対立、軋轢といったような、そうしたような話を、うっすらと毎作しているように僕は何となく思っておりますが、というね。

で、特に強烈だったのは、本作、その『アナザーラウンド』の前のマッツ・ミケルセン主演作、2012年の──先ほども言いましたけど、日本では2013年公開──『偽りなき者』っていうのがあって。これ、話がすごくてですね。幼稚園で働く男性がですね、幼稚園で働いて、一応教育者だし、あと離婚を経て、その息子とはかろうじて連絡を取り続けてるけども、みたいな、ちょっとその家族との間にわだかまりを抱えてる感じとかも、今回の(『アナザーラウンド』)とちょっと通じるところがありますけど。

幼稚園で働く男性が、非常に仲良くというか、面倒を見てた少女の、子供らしいと言えば子供らしい反抗心から出た嘘がもとで、要は児童に対する性的虐待の疑いをかけられて。もうその住んでいるコミュニティー中から本当にひどい目にあわされる、という、本当に地獄のような話で。これ、マッツ・ミケルセンの、どこか常に一種の荘厳さというか、威厳を常に伴っているようなたたずまいがなければ……まあ実際、そういう人物を描く物語でもあるんだけど、それがないとですね、ちょっと見続けることもつらいような、まさにさっき言った個人vs社会という構図の極限、その最もエグいバージョンを描くような作品でしたよね、これね。『偽りなき者』はね。

で、ともあれそのマッツ・ミケルセン主演で再び作られたこの『アナザーラウンド』。日本語に訳せば、「もう1杯ずつ!」みたいなことですね。「もう1杯ずつ行こう!」みたいな、そんな感じですよね。ということで即ち、テーマはズバリ「酒」という。まあ、先にお断わりしておけば、当然のことながらこれ、見る人自身がですね、どれだけアルコールを嗜むかとか、あるいはアルコールとどのような付き合い方をしているコミュニティーに属しているのかによって、受け取り方、思うことも、まあ変わってくるとは思います。非常に表面的な部分では、そういうところで距離の差が生まれる作品だと思います。

でも、それを超えているものを描いているというのも後ほど、お話しますけども。まあ、酒がテーマ。

「デンマークってそういう国なんだ!」(主に飲酒について)

でですね、そんな一方で、この酒、アルコール文化にスポットを当てたことでですね、特に我々外国に住む、日本という異国に住む観客にとってはですね、そのトマス・ヴィンターベア作品の中でもこれまでになく、「デンマークってそういう国なんだ!」という、デンマークという異国の風土に新鮮な驚きを覚える、そういう異国文化……異国の奇祭を覗いて驚くようなタイプの映画、そういう面白みもある映画に、我々、日本の観客にとっては図らずもなっているところもある。

というのもですね、これはパンフレットにもトリビアという形で情報が載っているので私も改めて知ったんですけど、なんとデンマークでは、ビールやワインなどアルコール度数16.5パーセント未満のお酒は、16歳からお店とかで買っていい。で、それ以上の強いお酒に関しては、18歳からお店で買ったりバーとかで飲んでいい。ただし、「飲酒そのもの」に対する年齢制限は、法律で定められていないんです。なので、家で……たとえば大人に勧められて家で飲んだりする分には、別に法律違反じゃないんです。という、法律からしてそんなノリということで。

なので、劇中で出てくる若者たちがもう、酒を飲んで大騒ぎしてますよね? あるいは、卒業した時、白い帽子をかぶって、車に乗って移動してまた大騒ぎしていたりします。ああいうのも、まあ公認行事なんですって。みたいな。ということで、日本はアルコールに甘い国とね、とかく言われますけども、その目で見ても、デンマーク、アルコール、お酒王国!ということらしいんですね、どうやらね。もちろんね、先ほど、この時報が変わる前にも念を押しましたけど、今日は何度も念を押しますけども、そもそもアルコールを分解する能力の遺伝的高さ。これは(デンマーク人と)日本人とは比べ物にならないと思いますんでね。

日本人は、アセトアルデヒドというアルコールを摂取した時に出てくる毒素の分解酵素が活性が低い人が多いので……要は、そもそもお酒が飲めない体質の人が多いので。絶対にこれは、単純に置き換えてはダメです、ということではあるんですが。まあ、とにかくそんな、アルコール濃度かなり高め文化のデンマーク。しかし、そんなデンマークも、昨今やはり、さすがにいろんな意識の高まりの流れとともに、飲酒に対するモラル、かの国でも厳しくなりつつあるそうで。

そんな中、たとえばこれは映画ドットコムに載っていたインタビューで、トマス・ヴィンターベア監督、「コントロールできないもの」にこそ美しい善良さが宿る、という風に考えるというようなそのトマス・ヴィンターベア監督は、なんというか、「アルコールに厳しくしましょう」というような表面的な風潮に危機感を覚えて、約8年前にこの作品を企画した、ということなんですね。まさにさっき言った、個人が内に秘めたものと社会的枠組み間の緊張、軋轢という、まさにそのヴィンターベア監督の一貫したテーマ、構図というのが、そのものずばり、彼の中に浮かんだわけですね。お酒テーマという、お酒というものを媒介にして。

と同時にこれは、撮影開始直後に交通事故で亡くなられてしまった娘さんのアイダさんの強い意向で、アルコールという……まあ、もちろんドラッグですから、その負の側面ももちろんフェアに描きつつも、あくまでその希望のある、人生を肯定する作品にしたい、という。これはアイダさんご自身が、脚本が暗い方向に行きかけると、「いや、でも最終的にはちゃんと肯定する作品にしてくれ」というような意向が強くあったということで。まあ要は、単純な「いい/悪い」、善悪では割り切れない、まさにその人生の複雑な機微、それを丸ごと「セレブレート」するような……まさにそのラストは、本当にそんな感じ。「丸ごとセレブレートする」ような感じ。

そういう、ちょっと変わった…電話監督自身も「ちょっと変わったバランスの映画ではある」ということは認めてるんですよね。そういう、負の側面はありながらも、最終的には全てを肯定していくような、ちょっと変わった、一言では言い表しづらい余韻を残す……それゆえに忘れ難い映画、ということにこの作品はなってると思うんですね。

この上なく人間的なるものとしての非合理性、その象徴としてのアルコール・酒

なんですが、曰く言い難いと言いながらも、表面的にお話を要約するのは非常に簡単で。要は、いわゆるミドルエイジ・クライシス(中年の危機)と言われる、「俺たちの人生、これでいいのか?」みたいな、いわゆるミドルエイジ・クライシスを、酒パワーで吹き飛ばそうとする中年男たちの悲喜劇です!っていうね。簡単に言えばね。

これ、同系統の作品ということで、『キネマ旬報』の星取表で須藤健太郎さんという方が「ジョン・カサヴェテスの『ハズバンズ』だね、これは」なんていう指摘をされていて、「ああ、なるほど!」と思いましたけどね。たしかに、ジョン・カサヴェテスの『ハズバンズ』、特に酒を飲んで酔っ払って、早歩きをしてふざけるところとか、すげえ『ハズバンズ』っぽいぞとか。もちろん、友達のお葬式みたいなところが絡んでくるところも、ちょっと通じますしね。なるほどな、と思いましたけど。まあ、須藤さんご自身はちょっとこの作品には厳しい点を付けられてましたけども。

仕事にも家庭にもすっかり情熱をなくしかけているこの4人の高校教師……この「教師」っていう設定がまた絶妙で。もちろん、きちんとしていなければいけないことが求められる職業、ということから来るコメディ的なそのギャップの面白さ、というのはもちろんありますけど。なによりも効いているのはやっぱり、その日々相手にしてるのが、自分たちが失ってしまったものを全て持っている人たち、つまり「若者」っていうことですよね。

で、彼らに伝えるに値するものが、今の自分らにはあるのか?っていうような……本来であれば、薫陶を与え、未来に向けて何事かを継承していくはずの立場という、ここが非常にこの、ミドルエイジ・クライシスという立場の切実さ、切なさみたいなものをさらに増す構図になっている、というね。これ、先生であるっていうところがいいですよね。非常に効いている。で、ここのところしょんぼりしがちだった彼らが、一応これ、本当にこういう人のこういう発言があったということらしいけど、ノルウェー人の哲学者フィン・スコルドゥールさんという方の……でも、元はこういう発言なんですよ。

「人間は血中アルコール濃度が0.05パーセント足りない状態で生まれてきている」という。これは要するに、多分にあくまで比喩的に元々は言ってるような感じの言葉ですよね。「人間はちょっと、アルコール足りない状態で生まれちゃってるよね」みたいな言い方ですよ。つまり、「ちょっと理性とか知性が人間は強すぎるんだよね」っていう比喩表現ですよ。それをですね、彼らはですね、「アルコール0.05パーセントを保てば万事快調!のはず!」みたいな理論に、勝手に変換してですね、あまつさえ実践してみせようという、そういう話になってくる。まあRHYMESTERにおける「プロドリンク理論」と50歩100歩、といったところ(笑)。

ここでですね、「バカじゃないの? そんなわけねえだろ!」ってツッコむあなたは、間違いなく正しいわけなんですが(笑)。ただこれ、元の言葉がやっぱりおそらく比喩的に出てきた言葉だけに、ある種その、普遍的な真理を突いている面もたしかにある、という風に僕はやっぱり思うわけです。要は、完全にコントロールされた理性や知性が、人間というものを不幸にしている面もあるんじゃないの?っていう話ですよね。先ほどのトマス・ヴィンターベア監督の言葉を借りるなら、「コントロールできないもの」が我々の人生にはある程度、必要なんじゃないのか、という考え方。

あるいは、たとえば僕が連想したのは、近田春夫さんがラッパーネーム「プレジデントBPM」名義で1987年に出したアルバム『HEAVY』の表題曲「HEAVY」。その中で、「どしてもシラフじゃ生きてけない」っていう非常に印象的なフレーズがありますが……もしくは、その影響を受けたRHYMESTER「Painkiller」という曲の、私のヴァースでもいいんですけども。まさにその「どしてもシラフじゃ生きてけない」っていうこの感覚。そこでシラフじゃなくするものは、ここでは酒ですけども、酒とかドラッグとかに限らず、たとえば先ほどのメールにもあった通りですね、映画や音楽、文学、なんでもいいですけども、芸術、エンタメ全般がそうだ、とも言えるし。

とにかく、合理性からはみ出したなにか。我々がでも、人生にどうしても必要としてしまう……合理性からはみ出しても何かを求めざるを得ない、人間というもの。それこそが人間らしさなんじゃないの?というような。そうした「この上なく人間的なるものとしての、非合理性」、その象徴としてのアルコール、酒、ということが描かれているのが、この『アナザーラウンド』という作品の本質なわけですよね。なので、これまで映画では、飲酒、アルコールそのものに……もちろん、その「乾杯!」みたいな、そういう軽い場面ならいいんですけど。

■登場人物をジャッジせず、教条主義的メッセージから見事に「飛躍」してみせるラスト

飲酒とかアルコールそのものに焦点を当てた映画というと、言うまでもなくもちろんアルコールというのはさまざまな危険性をはらんだドラッグですし、依存症になる可能性も当然あるものですから、わりとその負の側面というものに、はっきりと着地していく、「お酒はやっぱり危ないよね」とか「お酒は飲まない方がいい」っていうところに着地していく作品の方が、実は基本的には多いんですね。アメリカ映画なんか特に、全くそっちの方が多いわけです。どっちかというと、伝統的に。

詳しくは『ライムスター宇多丸の映画カウンセリング』の中に「お酒映画」っていう項目があるので、詳しくはそこを見ていただきたいですけど。もし、『映画カウンセリング』に書き足す機会があるなら、そこにさらに確実に加えることは間違いなしのこの『アナザーラウンド』。まずはその、ちょっとだけ理性や知性のタガを緩めることから生まれるプラスの効果、というのをはっきり描いてみせるっていうのは、これ、映画でお酒のそのプラスの効能が語られるっていうのは、意外と珍しいことだったりするわけですよね。

特に、さっき言ったように彼らが高校教師という職業の……その、ちょっとお酒の力を借りてっていうのはまさに情けない話でもあって、そこはコメディ的でもあり、しょうもない話なんだけど。でも、お酒の力を借りてでも、その教師という職業の本来の職分というか、果たすべき理想。つまり若者に、学問に興味を持たせ、可能性を開き、そして立ち止っている子の背中を押してあげる、という。その教師としての本分を、酒の力を借りてではあれ、ついに果たす一連の描写は、やっぱりいちいち感動的ですし。もちろん、それは社会的にはね、さすがのデンマークでも許されない、一線を超えた行為であり、実際それで破滅的な事態にもなっていくんですね。

一応、ひとつ言っておきますけど、劇中で彼らがするあの実験ね。「0.05パーセントを保つ」っていうところまではじゃあ、5億歩譲っていいとして、あの「第3フェーズ」から先は、酒飲みとしてはもう、アウトですから。あんなのはもう、酒飲み失格!って言ってもいいぐらいの感じだと、酒飲みとしても思いますけども。ただ、それの彼らに関して、トマス・ヴィンターベア監督が描くタッチは、あくまで自然主義的、なんなら時にドキュメンタリックなまでに……特にあの子供たちの描写とか、やっぱり本当に信じられないぐらいリアルなタッチ。

かと思えば、同時に時々、それこそ森田芳光作品ばりにですね、「字幕」使いがフッと出てきたりとか、途中いきなり挟み込まれる「世界の酔っ払い政治家列伝」みたいなあのモンタージュとか、まあそのすっとぼけた仕掛け、オフビートな仕掛けとかも、シレッと入れ込んでみせる。どっちにしろ、トマス・ヴィンターベア監督、対象に対してちょっとやっぱり距離があるっていうか、寄り添いすぎず、でも突き放しすぎず、っていうか……「登場人物をジャッジしない」わけですよね。

なので、特にやはり最終的にね、「酒はやっぱり怖いね」とか、「やっぱり悪である」っていうような教条主義的メッセージにいとも簡単に着地してしまいがちなところを、そこから見事に「飛躍」してみせるラストの数分間、っていうことですよね。まさにその、「言葉にできない思い」っていうのを、つまりロゴスには収まりきらない情動というのをですね、人間たちは、歴史的に見てもどのように昇華してきたのか?っていうのを、見事に、一身に体現してみてるマッツ・ミケルセン、まさかの……まあ先ほど、ちょっとメールに書いてありましたけども、一応ここでは伏せます。マッツ・ミケルセン、まさかの○○○!っていう。これが最後の盛り上がり。

そこで流れるそのデンマークのバンド、スカーレット・プレジャーの「What A Life」という曲。これが、「誰がなんと言おうとも、人生は最高」という歌詞も然り、不思議に民族的、土着的ムードも漂わせる……だからなんか、デンマークの『ミッドサマー』っていうか、ちょっと奇祭を見るような感じもあったりする。その曲の醸す、やはり単色ではない、様々な色が混じり合ったようなエモーションも相まって……最後、過去の人生から彼は、飛翔した、飛び立ったとも見えるし、「落下した」とも取れる。最後、あの最後の瞬間の切り取り方、その幕切れの鮮やかさとかも含めてですね、やっぱりなんかこれ、すごい特別な何かを見てるな、っていう感じがする1本ではあるかなと思いますね。

■「酒が飲みたくなる」タイプの映画ではない。むしろそれよりも……

一応念の為にね、何度も言っておきますね。さっきも言ったように、特に日本では、劇中の人と同じようにアルコールを摂取すると、遺伝的に体質が違いますので、間違いなく体を壊しますので、絶対に真似しないように! ということでございますね。ただね、まあこれ、不思議とというべきか、案の定というべきか、あんまりね、酒飲みとしてもそんなに、「酒が飲みたくなる」タイプの映画ではないですね。むしろそれよりも、「俺は今、ちゃんと生きてるだろうか? 悔いなく生きられてるかな?」ということの方をより突き付けられてくるような映画だと思います。その意味では、先週の『オールド』とも実はちょっと通じるメッセージでもありますよね。

ということで、「シラフじゃ生きてけない」感覚。酒じゃなくてもですね……つまり「カルチャーキュレーション番組」を聞いてるような皆さんであれば、やっぱり共有する部分、身につまされる部分、「沼にハマっちゃった」なんて人はまさにそういうわけですから、今週のひらりささんの話もありましたが、非常に共感するところも多いと思います。少なくとも僕は、これまでのトマス・ヴィンターベア監督作の中では間違いなく、一番好きな一作になりましたね。ということで、劇場でぜひぜひ、見る時はシラフで(笑)ウォッチしてください!

 

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『モンタナの目撃者』です)
 

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

◆過去の宇多丸映画評書き起こしは

こちらから!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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