宇多丸、『オールド』を語る!【映画評書き起こし 2021.9.4放送】

アフター6ジャンクション

TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

オンエア音声はこちら↓

 

宇多丸:

さあ、ここからは、私、宇多丸が、ランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する、週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのは、8月27日から全国の劇場で公開されているこの作品、『オールド』

(曲が流れる)

『シックス・センス』『ミスター・ガラス』などなど、非常に特徴的な作品で有名な、M・ナイト・シャマランが監督・脚本を務めたスリラー。バカンスのため、人里を離れたビーチにやってきた複数の家族。しかしそこは、時間の流れがなぜか早く、1日で一生が過ぎてしまう謎のビーチだった。子供が急成長し、大人は急速に年老いていく中、ビーチからの脱出を図るのだが、果たして……。主な出演は、ガエル・ガルシア・ベルナル、ビッキー・クリーブス、トーマシン・マッケンジー、アレックス・ウルフ、ルーファス・シーウェルなど、でございます。

ということで、この『オールド』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)を、メールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「多め」。やっぱりM・ナイト・シャマランはなんだかんだでみんな行きますかね。賛否の比率は、褒めの意見が8割以上。主な褒める意見としては、「わくわくする設定と謎。終始引き付けられるストーリー。そしてラストも最高だった」「ツッコミどころは多いが、それでも楽しい」「老いへの恐れとそれゆえに今を生きることの大切さが伝わってきた」などなどがございました。

一方、否定的な意見としては、「さすがにツッコミどころが多すぎる」「だいたいの出来事が予想の範囲内で収まっていてあまり面白くなかった」などがございました。

■「最後の言葉は、人生の後半戦も半ば過ぎとなった私にとっても感慨深いものがありました」byリスナー

ということで、代表的なところをご紹介しましょう。ラジオネーム「最初はアラモ」さん。

「宇多丸さん、こんばんは。68歳のアトロクリスナーです。昔から映画は好きだったのですが、リタイアしてから見る機会が増えました。しかし頭の回転も多少衰え気味で速い展開についていけない時も多くあります。そんなオールド映画ファンがワクチンの接種も済ませ、M・ナイト・シャマランの『オールド』を見てきました。とても面白かったです。謎のビーチで家族がすごいスピードで老化していく。このプロットだけでわくわくするじゃありませんか。

登場人物も限定的で基本的な流れは事前に頭に入っているのでわかりやすい。それでも次から次へと起きるショッキングな出来事に目を奪われ、あっという間の2時間でした。ラストの展開も異論はいろいろあるでしょうが、私にはすっきり受け入れることができるものでした。2019年12月に始まったコロナウイルス。それに対するワクチンが世界中の研究者の努力により開発され、わずか1年半で私にももたらされたという事実とあわせて考えると切実な映画と感じました。6歳の少年がたった1日で成長し、老いていくという話。そして最後の言葉は人生の後半戦も半ば過ぎとなった私にとっても感慨深いものがありました。

普段映画を見ない友人にも『面白いからぜひ映画館で見た方がよい。趣味の領域が広がるから』と勧めています。万人にお勧めできる作品だと思います」というね、最初はアラモさん。ありがとうございます。

一方、イマイチだったという方をご紹介しましょう。「マーサの前の弁当屋」さん。

「『オールド』、見てまいりました。結論から言えば、私はあまり乗り切れませんでした。映像の色合いやカメラワーク、音楽などで徐々に怖さを盛り上げていく序盤は、楽しくドキドキしながら観れたのですが、砂浜で起こる出来事も、母親のとある展開の後は、特に驚くようなことも起こらないし、謎解きに関しても、納得がいきますが、予測の範囲内に収まっているので、大きく感動するとか、アッと驚くとか、すごく怖いとかはありませんでした。謎解きは納得度が高いからといって面白いとは限らないですね」といったご意見でございます。

ということで皆さん、メールありがとうございます。

■シャマラン作品の一貫しているテーマは、「自分の本当の役割」の気づき

私も『オールド』、今回はTOHOシネマズ六本木で2回、見てまいりました。平日昼、コロナ禍の席1個ずつ空けモードで、それでぼちぼちの入り、という感じでしたけど、六本木に関しては。ただね、2回目の時に、前の席に座っていた、たぶん英語圏の女性2人がですね、非常にビビッドな反応を、特に中盤。本作の白眉と言ってもいいかもしれない、とある超絶気まずシーンに入った瞬間ですね、もう爆笑していて。もうすごくこっちもね、僕は2度目だったんで、「ですよね~!」って(笑)。こっちも嬉しくなってしまうような、ビビッドな反応でしたね。

ということで、M・ナイト・シャマラン最新作でございます。僕を含め、大好きな人はもう、「シャマラニスト」とかね、「シャマラニアン」とか言って自称するほど、大好きで。そうでもない人には、ちょっと半笑いでナメられがちな気もする……しかしなんにしても、世界的大ヒットメーカーにして、ものすごく独自バランスの、極めて作家性の高い作品を世に問うてきた、唯一無二のフィルムメーカーであることは間違いないですよね、M・ナイト・シャマラン。

僕のこの映画時評コーナーではこれまで、初期はね、なかなかガチャが当たんなくて。2013年の6月29日にやった『アフター・アース』……これは正直、ちょっとキャリア迷走期の一作でありましたけども。その後、起死回生、完全復活を果たした、2015年11月7日に取り上げました『ヴィジット』。先ほど、山本匠晃さんもお好みと言ってました『ヴィジット』。そしてですね、これはてらさわホークさんの表現を借りるならなら、MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)ならぬ「シャマラン・シネマティック・ユニバース」だった三部作の二作目と三作目にあたる『スプリット』『ミスター・ガラス』という作品を、それぞれ2017年5月20日と2019年2月1日に、取り上げたわけですけども。

その評の中でも何度か言ってきたように、シャマラン映画、テーマ、メッセージというものが、わりと一貫していると私は思っていまして。こういうことですね。世界に対して心を閉ざして生きてきた人、主人公が、世界というものの本当のあり方……つまりその「世界の真実」に気づく。そして、その中での「自分の本当の役割」に気づく。自分はこのために存在していたんだ、自分の苦しみはこのためにあったんだ、という、いわばその真のアイデンティティーに主人公がたどり着く、というような。そういう物語というのをシャマランは毎回語っている、とも言えてですね。

さっき言った、その半笑いでナメられがちなシャマランイメージというのはですね、その「ワンアイデアと、どんでん返しの人でしょう?」みたいな、そういう作品の印象から来るものなんだろうと思うんだけども、それは今言ったような、世界の真実の姿、そしてその中の自分の役割というものに、初めて、改めて「気づく」というお話の構造・本質と、深く結びついたものなんですね。

つまり、「ああ、こうだったのか!」って「気づく」のが彼、シャマランの作るお話の構造なので。その「気づく」っていう部分に、いわゆるどんでん返し的なものが来る、ということなので。その凡百の、後出しじゃんけん的に「意外な展開」が重なる、みたいなタイプのどんでん返し映画とは、完全に一線を画するものだ、ということは、前から言ってますけどね、しつこいようですけど、改めて念押ししておきたいかなと思っております。シャマラン支持者としてはね。

■若干、大人な人生観、世界観に微妙かつ決定的にシフトチェンジ

で、特に前作の『ミスター・ガラス』という作品はですね、その世界の真実、そして自分の真実に気づいた主人公たちの物語が、世界全体に波及していくことで、人々、その周りの世界にいる1人1人の意識をも変えていく、という……要は、どんな人間、どんな人生にも、「意味」があるはずだ、ということを、人々それぞれに改めて目覚めさせるというか。逆に言えば、そのように世界、そして自分の真実……本当には、自分とは何なのか? 本当には、世界とは何なのか?っていうことに、ちゃんと向き合うことからこそ、本当の意味での人生も始まるんじゃないの、というような。

これね、2006年の非常に重要な作品、ちょっと難解っていうか、変わった作品でもあるけど重要な作品、『レディ・イン・ザ・ウォーター』とも直接連なる、シャマランの言わば、作家的信念ですね。それを最後の最後で、この『ミスター・ガラス』は、ドーンと、よりキャッチーに、より派手に打ち上げてみせた、という。やはりですね、集大成的作品でもあったと言えると思うんですね、この前作の『ミスター・ガラス』は。

で、その意味で言うとですね、今回の『オールド』は、主人公がついに世界の本当の仕組み、真実に気づき、そして……みたいな部分。もちろんこれまで通り、ある種の「オチ」として、本作でも機能してはいるんです。いるんだけども、本作の場合、そこはややおまけっていうか、それを付けないと今の大抵の観客は納得しないので……まあ『ハプニング』っていう、あんまりそこに関して明快な説明をつけない作品を作ったら、これが大不評だった、というあれも、たぶんあるんじゃないですかね。

まあ「これをね、なんか『こうでした』ってつけないとみんな怒っちゃうから、一応つけますけど……」みたいな(笑)。ついてはいるんだけど、そうしたその世界の、主人公たちを取り巻く世界の構造、みたいなものはですね……あるいはその中でその人が果たす役割、今までのシャマランだったら一番重要な部分ですよね。「世界の真実はこうだった。その中で自分の役割はこうだった」っていう、今までのシャマラン作品はすごくそれが重要なものとして扱われているんだけども、今回の『オールド』は、さっき言った、たとえば人生の意味とか意義みたいなところは、むしろそういう周りの世界とか、その中での「役割」とは、別なんじゃないか?ってことを言ってるんですよ。

人ひとりのその人生とか生命が、限定的なものでしかないっていうことには変わりはない……周りの世界がどうあろうと、自分の寿命っていうのは限られていて、その中で生きるしかない、っていうことなのだから、大事なのはその中で、周りにどうこう左右されるのではなく、その中で自分がどう悔いなく生きるか、なんじゃないの?っていうような考え方。若干、大人な人生観、世界観に、実は微妙かつ決定的にシフトチェンジしてると思うんですよ、今回は。世界のあり方が重要なんじゃないでしょう、あなたのあり方が重要なんだ、っていう話に移っているんですよ。

その意味では、M・ナイト・シャマラン作品としてはですね、おなじみそのフィラデルフィアを……いつもフィラデルフィアを舞台にしていたんですけど、そこを飛び出しての南国、ドミニカ共和国で撮ってますけども、南国での映画というのを含めてですね、ちょっと新たなフェーズに入った一作、という言い方もできるかなという風に思っています。

■原作はフランスのグラフィックノベルで、なんなら比較的忠実度は高い映画化

これね、シャマランにしては珍しく、原作ありっていうのもちょっと、多少関係してるかもしれませんね。原作ありね、『エアベンダー』という非常に評判が悪い一作にも原作がありましたけども(笑)、今回も原作がある。ピエール・オスカル・レヴィーさんという方とフレデリック・ペータースさんという方による、グラフィックノベル。フランスなのかな、グラフィックノベルがある。僕もこのタイミングで電子書籍版が出てたので、日本語訳は出てないんだけど、電子書籍ですぐ読めたので……別に英語も難しくないんで、簡単に読みましたけど。オチのタネ明かし、さっき言った「実はこうでした」っていうタネ明かしの部分であるとか、あとは人物配置などが、もちろん映画独自のアレンジとかは結構されてるんだけど……ただね、読んでみると意外なほど、「ああ、これは元々もある展開なんだ」っていうところも多い。

なんなら比較的忠実度は高い映画化、と言ってもいいような内容でしたね。まずはだからこの原案、原作グラフィックノベルの「老いるとは? 成長とは? つまるところ、生きるとは何か?」っていうのを改めて問い直すような……要は理屈がちゃんとつくようなSFホラーとかじゃなくて、どっちかと言えば、哲学的寓話ですね。はい。っていう側面を、今回の映画版も色濃く打ち出している、っていうことだと思います。だからその「実はこうでした」っていうのはSF的じゃないですか。そこって。今までのシャマラン映画、その「実はこうでした」にしっかり理屈がついて……っていうのが多いんだけども、今回はそこに重きは置かれてなくて。むしろ、中の哲学的問い、というのの方がメインになっている。

で、基本構造はとにかくシンプルで。とある南国の島にある高級リゾートホテル。そこの宿泊客たち何組かが、なぜか3分で通常の1年間分、1日で50年分、老化が進んでしまう上に、どうしても抜け出すことができない謎のビーチに来てしまい、さあ、どうしましょう?っていう、そのワンアイデアですね。まさにそのワンアイデアをベースに、あの手この手の「ああ、ということはなるほど、そうなりますよね!」な嫌なことが、次から次へと繰り出されていく、ということになっている。

で、これね、最初は気取っていた金持ちたちが、なぜかある場所から出て行けなくなってしまい、次第にその醜い本性を現してゆく、みたいな、言ってみればダークな不条理コメディ映画というかですね、そういうものの先達として、たとえばルイス・ブニュエルっていう、僕大好きなんですけども、ルイス・ブニュエルの1962年の『皆殺しの天使』っていう映画であるとか。あるいは、それとちょっと似た系統で1972年の『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』なんていう作品があるんですけど。

で、これ実際にね、僕はインターネット・ムービー・データベースのトリビアっていうコーナーがあって、そこを読んでて……で、家にあったそのルイス・ブニュエルのDVDで確かめるまで、正直気付かなかった、っていうよりは、比べてみても気付くかよ!っていうところなんですけども(笑)、あの舞台となるリゾートホテルのロゴがあるんですけど、ヤシの葉っぱがかかっているロゴなんですけども、あそこであしらわれているロゴは、『皆殺しの天使』というそのルイス・ブニュエルの作品のファーストカットで、通りの看板があって。カメラがグーッと左にパンしていくと、ヤシの葉が映るんですよ。それのオマージュだって……わかるか!っていう(笑)。まあ、でもそういう『皆殺しの天使』とか、そういうブニュエル的な、要は「不条理劇ですよ」っていうオマージュというかね。あれだったりすると。

■皆さん、名前を覚えて帰ってください。「アーロン・ベッカー」さん

あと、これは中盤。思春期の少年・少女が、大自然の中で、文明社会の倫理・常識と隔絶した、まあそれ自体完結した世界としては美しい時間を過ごす、というようなあたりだと思うんだけど、これ、監督がインタビューとかであちこちで影響元として公言しています、ニコラス・ローグの『美しき冒険旅行』、1971年の映画であるとか、あとはピーター・ウィアーの『ピクニック at ハンギング・ロック』、これは1975年、日本では85年とかに公開されましたけど……なんかの影響なども、公言していますね。だからそれは中盤の、少年少女たちが文明社会と隔絶されたところの中で、真空パックされた時間があって……みたいな。その感じだと思うんですけど。

もちろん、例によってヒッチコックオマージュも満載でございまして。本当にシャマランはヒッチコックが大好きで。これ、たとえばアーロン・ベッカーさんという方。皆さん、これ名前を覚えて帰ってください。アーロン・ベッカーさん。この方、いろんな映画のタイトルデザインをしてる人です。この方、特にヒッチコック映画風のタイトルデザインを非常に得意としています。

たとえば最近、僕が扱った中だと、『RUN/ラン』という映画がありました。ヒッチコック風映画、見事なものでしたけど、あれのタイトルバックも、このアーロン・ベッカーさん。あと、映画のトーンはちょっと違うけど、『プロミシング・ヤング・ウーマン』とかもアーロン・ベッカーさんですけどね。で、このアーロン・ベッカーさん、実は『スプリット』も手がけてましたけどね。

『スプリット』は、あれはモロに『サイコ』風でしたけどね。話の中身も『サイコ』風だったけど、『サイコ』風のタイトルバック。で、今回もですね、タイトルの文字の端々がニューッと伸びる。つまり、言うまでも無く劇中の成長とか老化、変化というものを暗示している、このクレジットの出方。これもアーロン・ベッカーさんのお仕事。まさにヒッチコック映画における、有名デザイナー、ソール・バスがデザインしたタイトルの感じを、見事にやってると思いますね。

あと、割と終わり近くで……これはネタバレしないように言いますけど、ある人物がカメラを覗いている、っていう絵面。完全にヒッチコック『裏窓』ですよね。もうね、笑っちゃいましたけどね。しかもここには、もうひとつ、意味がかかっているんで。後ほど、言いますね。まあそんな感じで、映画ファン向けの目配せはともかくとして。

■カメラマン、マイケル・ジオラキスさん。この方も名前、覚えてください

とにかく、いるだけでどんどんどんどん老化が進んでいく不思議なビーチ。後ろが険しい岸壁で、それで前にはまあまあ波も荒い海と、せり出した岩場があって。プラス、珊瑚礁があるんですけども。

要は一見、開放的な空間……リゾート地ですから、一見、開放的な空間に見えて、実は後も壁だし、前も行けないし、っていう閉塞感を強く感じさせる。で、砂浜そのものも、そんなに幅は広くない、みたいな作りになってる舞台なんですね。まさにこれが「舞台」なんですけど。それを観客にさらに印象付けて見せるのが、シャマランとは『スプリット』以来組んでいるカメラマン、マイケル・ジオラキスさん。この方も名前、覚えてください。

他にはね、『イット・フォローズ』とかね、『アス』とかも手掛けた、もう本当に今、すごく優秀なカメラマンと言っていいと思います。マイケル・ジオラキスさんによる、美しくも非常に圧迫感がある、あるいは「全体像をうまく掴めない感」というか……画角の切り方とか、人の切り取り方が、絶妙に「今、本当に知りたい全体像を見せてくれない感」なんかも見事に醸す、シャマラン映画としては久々となる非常に美しい35ミリフィルム撮影、というのも生きていますよね。

たとえば序盤。子供たちが、あれは日本の僕ら世代で言う「かたち鬼」みたいな……「かたち!」って言って固まるっていう、僕らは「かたち鬼」って言っていましたけども。要は固まる鬼ごっこ、「かたち鬼」に近い遊びだと思うんだけども。あれをしているところの、急にグーッとカメラが寄ったり離れたり、グーッと回ったりする、それによって、非常に不安定なと言うか、不安定感、不安感を感じさせるカメラワークなんかも含めた……要するに子供が「固まってる」っていう、異様な時間感覚表現であるとか。

あるいは中盤。子供たちが成長していくわけですけれども、それをどのぐらい成長したかをあえて見せない画角の取り方。あるいは、後半から終盤、ある人物の主観視点、「よく見えない」っていうことが醸し出す、不思議と優しい、親密な感覚っていうあれとか。とにかく、情報の切り取り方と提示の仕方が、大胆にして簡潔。もう画で見れば分かる感じ。そしてシャープだし、味わいも深い。ピントがちゃんと合ってないっていう感じが、こんなに優しい感じを醸すのか、っていう。まさにシャマランとの名コンビネーションを発揮してるんじゃないかなと思いますね、マイケル・ジオラキスさん。(※宇多丸補足:放送内では触れ忘れてしまったんですが、パンフレットに掲載されている村山章さんのコラムでも指摘されていた終盤の海辺のパンショットも、確かにこれぞ映画!な感動に満ちていましたね。)

このビーチは、「人生」を時間的に圧縮して見せる舞台である

で、その中で起こる、驚くべき事態の数々についてはですね、これはもちろん、ここでは触れません。1個1個、「ここが面白かった」とか言いたいけど、それはもう皆さん、味わってください。特にやはり、中盤で起こる、ある気まずい事態ですね。傍から見ると、「ああー……そうなりますよねー……それはねー……(最大限の困惑)」という(笑)。まあこれ、実は元のコミックにもある展開ではあるんですけども、これ、コミックと読み比べるとですね、むしろシャマランの省略の上手さ、事前にいろいろちゃんとは見せない、匂わせる程度にしてあるからこそ、ドーンと「その画」一発が来た時の、一発で……セリフじゃないですよ、画一発で、「あちゃー……」となるこの語り口の上手さが、より確認できました。

だから非常に、展開としては(原作にも)あるんだけど、シャマランの見せ方の上手さ、それがすごくわかりましたし。あと、ここの場面の、「笑っていいんだか何なんだか」っていう、要はエモーションが複数混ざっている感じ……こう、なんか困ったし、笑っちゃうし、ちょっと怖いし、不安だし、みたいな。複数のエモーションが入り混じった……でも、それらが全部入り混じった状態も「面白さ」でしょう?って出す、これがまさにシャマランの語り口の、本当に真骨頂かなと思いますね。

でもね、最後にちょっとまとめの方に行きますけど。皆さん、この場面も含めてなんですけどね、このビーチの中で起こる出来事、いろんなひどい、不慮のことが起こるんですけど、結局これ、我々の人生にも普通に起こり得る、様々な変化であるとか、災難などなどの、文字通り「縮図」なんですよね。縮図でしかない。もちろん、その人物配置、たとえば人種偏見があったり……人種間のそういうものでもそうだし、あとはセクシズム、ルッキズムみたいな。たとえば女の人が明らかにトロフィーワイフで、見た目だけを求められてきたんだな、みたいなことであるとか。そういう縮図、っていうのも当然あるし。

あと、先ほどから言ってるような、1日で一生があっという間に終わっちゃって焦る、っていう話なんだけども、いや、本当の一生だって、振り返ってみればあっという間かもしれないし。あとは「なんか最近、時間の過ぎ方が早いな」っていうこの感じとか。あとね、心の準備もできないまま次から次へと何もかもが起こるっていう、これも実際の人生と同じでしょう? 何が起こるか……たとえば、身内がいつ亡くなるかなんて、それもわからないでしょう?

それでも、豊かな時間、豊かな人生を過ごせるか、本当に大切な人と豊かな人生を過ごしたと言えるのか、っていうのは結局、それは己に問われてくるわけですよね。自分の問題なんですよね、っていうこともやっぱり同じだし、という。このビーチは、たまたまそれを時間的に圧縮して見せる舞台である、というだけで。

■冒頭のシャマランのあいさつも含めた、「“時間芸術としての映画論”としての映画」

そしてですね、皆さん、これ、よく聞いてください……「ひとつの閉じられた閉鎖空間に、複数の人間が集まって、時間を圧縮して、なんなら人の一生の出来事を何時間かに集約して、見せられる」。

そんな一定時間を経る経験といえば……それって、「映画」じゃね?っていうことなんですよね。皆さん、本作を見た方ならお分かりだと思いますが、その「時間を圧縮した人生劇場」を、外から、「レンズを通してコントロールしている」人物は誰だったでしょうか?っていうことなんですよ。ねえ。お分かりですよね、見た方ならね。ということでつまり、これはクリストファー・ノーランの一連の試みともちょっと通じるような、それ自体が「時間芸術としての映画」のメタファーでもあるような、言ってみれば「映画論としての映画」でもあると言えるわけです。

その意味でですね、劇場で映画が始まる前に、これ、M・ナイト・シャマランの、要は「コロナ禍に映画館に来てくれてありがとう」みたいなあいさつが付くんですよね。「映画館で映画を上映すること」にまつわる話をするわけです。これ、そのまま本作の内容を暗示しているわけですよね。だから、僕は終わってみると、「あそこからもう『オールド』は始まってたじゃん! というか、俺らはまさにあの海岸に、あいつに連れて行かれたんだ!」っていう。だから逆にゾッとするというか、クラクラする、っていうような体験で。だから、映画館であのあいさつがついてこそ、『オールド』はさらに味わいを増す、というところがあるかもしれませんね(笑)。

ということでですね、非常にシャマランらしい話、テーマでももちろんありつつですね、ちょっと大人な苦味、豊かさなんかも増した、ますます味わい深い、シャマランの新たなステージともなるような、忘れがたい一作になったかなと思います。あのラスト周りの説明とかは、もうむしろ蛇足なのは……なんていうか、若干投げやりなまでに説明的になるっていうか。でも、ちなみにヒッチコックの『サイコ』とかも、終盤にいきなり投げやりなまでにセリフで全部説明しちゃう、とかもやっぱり同じだし。それがまた、奇妙な味わいを出していたりもする。

もちろん、いろいろと理屈としてはおかしいと思うよ。俺、特におかしいと思うのは、「排泄はどうなるの?」っていうことだから。だからまあ、そういう話じゃない。どっちかというと不条理寓話だと思った方がいいんじゃないかと思いますね。とにかく冒頭のそのシャマランのあいさつも含めた、「時間芸術としての映画論としての映画」という意味も含めて、これは映画館で見ないと……ということですよね。ぜひぜひ劇場でウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『アナザーラウンド』です) 
 

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

◆過去の宇多丸映画評書き起こしは

こちらから!

 

 

 

 

 

 

 
 
ツイート
LINEで送る
シェア
ブクマ