宇多丸、『プロミシング・ヤング・ウーマン』を語る!【映画評書き起こし 2021.8.6放送】

アフター6ジャンクション

TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

オンエア音声はこちら↓

宇多丸:

さあ、ここからは、私、宇多丸が、ランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する、週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのは、7月16日から劇場公開されているこの作品、『プロミシング・ヤング・ウーマン』

(曲が流れる)

はい。これはね、ブリトニー・スピアーズの「Toxic」という曲を劇伴用にアレンジしたもので、非常に印象的に、事実上メインテーマ的に使われていると言っていいと思いますが。この音楽ね。エミー賞にもノミネートされたドラマ『キリング・イヴ』の製作総指揮と脚本を担当し、俳優としても活躍する、エメラルド・フェネルが、自身のオリジナル脚本を映画化した長編監督デビュー作。大学時代に起きたある事件によって、約束された明るい未来を奪われた主人公キャシーが、同級生との再会をきっかけに、事件に関係した者たちに復讐する姿を描く。

主人公キャシーを演じるのは、『17歳の肖像』などのキャリー・マリガン。そのほかの出演は、ボー・バーナムなど。ボー・バーナムさんは監督としても『エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ』という作品を……しかも『エイス・グレード』はね、ちょっとデートレイプ的な状況を、男性監督として告発するような場面がありましたけども、だからそういう意味では意識が高い方でもあるという。なんだけど、その方が敢えてこの役をやることの効果、というあたりも後ほどしたいかと思います。第93回アカデミー賞では5部門にノミネートされ、見事、脚本賞に輝いた作品です。

ということで、この『プロミシング・ヤング・ウーマン』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)を、メールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「とても多い」。ありがとうございます。

賛否の比率は、褒めの意見が8割以上。主な褒める意見としては、「今年ナンバーワンの傑作」「前半は痛快だが終盤はつらくてキツい。けど、見てよかった」「キャリー・マリガンが素晴らしかった」などがございました。男性からは「見ていてずっと居心地が悪かった」との声もありました。これ、当然でしょうね。平然と見てられる人は、ちょっとどうかとしてると思いますよ。

一方、否定的な意見としては、「予告を見て痛快な復讐劇を期待して行ったら裏切られた。全然スカッとしない」「主人公が意外とふらふらしていてもどかしかった」などがございました。

■「少し世界を変えられる可能性すら秘めている作品ではないか」byリスナー

代表的なところ……皆さんね、非常にいろんな角度から書いていただいて。ちょっと紹介しきれなくて申し訳ないんですけど。たとえば、「タレ」さん。まあ、基本的に絶賛メールを書いていただいて。

「……この映画を嫌いだったり、気分がふさいでしまったひとの気持ちもわかります。それでも、キワキワのキワで、ものすごく、ぐっときてしまった。映画的な昂奮は最大限に担保しつつも、『娯楽として消費させないぞ』という気概がビシッと通っているのが本当にすばらしいです。ここまでわたしの心をつかんでくれたのは、やはりキャリー・マリガンの力が大きいと思います。とにかくビジュアルの説得力からしてすごい。ブリトニーの『Toxic』で出陣するシーン……」。先ほど、音楽。劇伴をかけましたけどね。

「……もう地獄がすぎて絶対にいけないのに、わきあがる昂揚感を抑えられなくて、泣いてしまいました。自分は映画を観る時、『正しさ』に拘泥しすぎてしまうことがあるのだけれど、この映画については『めちゃくちゃ正しくない方法だけど、正したい気持ちわかる』と痛いほど思えました」という。まさにこれこそフィクションというものの効果であるという話、後ほど私もしたいと思います。あとは「同性による加害や、過去の自分は消せないけれど、記憶と贖罪をし続けるべき、という基本をきちんと描いているのも、とても良かったです」というタレさん。

あと、これはメールでいただいた方なんですが。大阪在住40歳女性。二児の母ということで。「心の中にしまっておけないくらいダメージを受けてしまったので、初メール致します」「前半は期待通りで楽しめましたが、後半はもう、辛いやら、悲しいやら、虚無感やらで、頭が酸欠状態になりました」と。で、ご自身の過去とちょっとで重ね合わせてしまってつらかった、というようなことも書いていただいて。「ラストの(スマホの画面に表示される)とあるメッセージを見て、涙が出ました」というようなメールであったりとか。

あとですね、「ビールクズ」さんは、「この作品の好きなところは、何かをはっきりさせないことです。キャシーが包まれた世界で起きてしまったこの大きなテーマは、非常に単純ではあるけれど、その連鎖や歴史は複雑で、多くは曖昧に片付けられていることです。それは、被害を受けた側の多くが声をあげられなかったこともあると思いますし、被害を与えた側の無意識さ、忘却力にもあるはずです。起きたこと自体も、そこに渦巻く感情も、全てはっきりしないこと。その象徴のような描き方がとても印象的でした」と。おそらく、非常に省略法をうまく使っているわけですけど、その部分をこういう風に読み解いた、という方ですね。

「また製作当時、意図していたことではないにせよ……」。僕はこれ、意図だと思いますけどね。「……パリス・ヒルトンとブリトニーのアイコニックな曲が、歌い手二人の現在の報道と作品に妙にリンクするのも必然だったのでは、と勘ぐってしまうほどです」という。これ、僕はおそらく意図的だと思いますけどね。この選曲とかは。あと、「お父さんとのシーンがすごくよかった」みたいなことを書いていただいて。「とにかくたくさんの人に観てほしいし、この作品を受け取っていろんなことを考えてほしい。少し世界を変えられる可能性すら秘めている作品ではないかと思います」とか。

あとね、「すあま」さん。こちら、いろいろ褒めのメールなんですけども。知り合いの女性映画ファンに勧めた時、やっぱり「女性がつらい目に合う映画には抵抗がある」と言われて。要するに、当事者性を欠いたスタンスで勧めてしまって、それ自体もちょっと反省、みたいな、そういうところまで思いを至らせるような映画である、というようなことも書いていただいております。

一方、ダメだったという方。「小麦粉」さん。「全体としては60%褒めです」と。概ね、褒めているんだけど。「ジェンダーに関して進んでいる印象のあるアメリカでも、本作が鮮烈なメッセージと捉えられることこそが、現実だと思い知らされ打ちのめされました。本作の優れている点は、なんと言ってもキャスティングです。主演のキャリー・マリガンは言うに及ばず、登場人物にいかにもレイピスト然とした男は居らず、ジェントル感、ヘタレさが目立つ逆張りキャスティングが効いていました」。このあたりは後ほど言いますね。

「良くなかった点として、寓話ということは十分わかるのですが、劇中での「許すか、許さないか」のところが、「正直な告白と謝罪があればいい」となっていたのは微妙です」とかね。「女性の私としては、何か別のジャンル映画かと思いきや、フェミニズム的メッセージが隠されている展開の方が教訓になったかな、と思います」というようなご意見でございました。はい。ということで皆さん、ありがとうございます。

■よっぽどのタマがあとから来ない限りは、ぶっちぎりの今年ベストワン

『プロミシング・ヤング・ウーマン』。私もTOHOシネマズ日比谷で2回、見てまいりました。

緊急事態宣言で再び、席1個空けモードの中だったんですけども。平日昼で、老若男女問わず、まあまあ結構埋まっていた方だったかと思いますね。ということで、すでに非常に高評価をされている作品で、ようやく私も見れたんですが。高評価も納得……というより、これはちょっとすごい映画なんじゃないかな?っていうか。ちょっと戦慄が走るというか、文字通り本当に、「頭を殴られたような衝撃」ってよく使いますけど、本当に頭を殴られたような衝撃を、映画から久々に受けた感じでした、僕は。

番宣とか今週の番組の中でもちょいちょい言っちゃっていますけども、これから4ヶ月、よっぽどのタマが後から来ない限りは、僕は今年のベストワン……もう、言っちゃいます。ぶっちぎりでもう、決まりました! もうこれ以上は、来ると思えないです、ちょっと。そんぐらいです。

製作・脚本・監督のエメラルド・フェネルさん。たとえばね、Netflixの『ザ・クラウン』という英国王室を描いたドラマで、あのカミラさんです。チャールズ皇太子が惚れちゃうというか、最終的にくっつくわけですけども、カミラさん役をやっている方、といえば、なんとなく顔も浮かぶ方もいらっしゃるんじゃないかと思います。今回の作品でもカメオ出演しています。YouTubeの中の人として、カメオ出演していますが。まあ、俳優としてもそうやって活躍される一方、多くの脚本とか小説なんかもね、向こうでは……日本ではちょっと訳されていないですが、書かれているようで。

特に、先ほどもチラッと言いました、サンドラ・オーとジョディー・カマー主演のテレビシリーズ『キリング・イヴ』という作品。これ、U-NEXTでシーズン3まで、全部見れますから。ぜひ見ていただきたいのですが、そのシーズン2の製作総指揮と6話分の脚本を手がけられていて。この『キリング・イヴ』自体、女性同士の絆に執着するエキセントリックなキャラクター造形であるとか、場面転換のキレとか……あとね、これはあもちろん、演出は違う方がやってるんですけど。

ポップスとクラシックをすごくセンスよく、ワイルドに横断していくこの音楽演出、などなどですね、いろいろ今回の『プロミシング・ヤング・ウーマン』にも、はっきり通じるテイストというのがあるよ、っていうのを、『キリング・イヴ』の大ファンである奥さんに教わったりしました、というね(笑)。まあ超面白いので、ぜひね、『プロミシング・ヤング・ウーマン』が気に入った方は、『キリング・イヴ』も見ていただきたいんですけど。

■あなたはそこ(性差別や性暴力)に加担をしていないと言えるのか? と鋭く突きつけてくる

ともあれ、そのエメラルド・フェネルさん。長編監督一作目となるこの『プロミシング・ヤング・ウーマン』でですね、もういきなり、さっきも言いましたけども、とてつもない作品を作り上げたというか。ちょっとこれはすさまじい才能だということは、まず断言しておきたいと思います。

タイトルのね、その『プロミシング・ヤング・ウーマン』……「将来を約束された若い女性」っていう。これはまあ、朝日新聞の映画評記事で柳下毅一郎さんも書かれていましたけども。

劇中でほのめかされる、過去に起こったその名門大学の男子学生が起こした、ある性暴力事件。そういう時に、告発なんかが起こっても、「前途ある若者の未来を『こんな事件』で閉ざしてはならない」というような言い方がされがち、という。これ、近年のアメリカでもやっぱり、残念ながらこういう事件、繰り返し起こったようですし。そして日本でも、先ほど山本匠晃アナウンサーが「自分もそういう報道をしたことを思い出した」という……これは、あれですね、姫野カオルコさんが『彼女は頭が悪いから』という小説にもされましたけど、あの事件とか。とにかく、全く無縁では当然ない。

というか、直接的に我々と繋がっている、性差別的、性暴力がまかり通ってる現実というのに対して、「じゃあ被害者の前途や将来はなんだと思ってるわけ?」っていう、痛烈な問いかけを含むタイトルなんですね。すでにこの『プロミシング・ヤング・ウーマン』というタイトル自体がね。つまり本作はですね、よく言います、もう本当に口にするのも嫌ですけど、「被害者にも隙があった」とか、「自業自得だろ」とか。

あるいは加害者側に対して、「若気の至り」とか。といったですね、もう卑劣な物言いで、性犯罪、性暴力を正当化してきた……この場合の正当化というのは、「傍観」とか「冷笑」とかも含まれるわけですね。そんな我々のこの社会に対して、そうした構造が受け継がれ続けてしまうっていうのはなぜか?

あなたはそこに加担をしていないと言えるのか? と、観る者ほとんどすべてに鋭く突きつけてくる作品なんですね。この『プロミシング・ヤング・ウーマン』は。

「ああいうやつらとは、僕は違うから」という欺瞞を容赦なく暴く

大枠で言えば、いわゆる「レイプリベンジ物」と言われるようなジャンルっていうのが、ジャンルとして過去からあって。要するに、ひどい目に遭った女の人がそれをやった男たちに復讐する、というジャンルは昔からずっとあるんですけれども。それで実際、たとえばオープニングタイトル。いかにもB級映画然とした、敢えて安っぽく毒々しいフォントが、ガーン!って出ますね。それこそタランティーノ映画っぽい感じっていうかね。ガーン!って出ますけど。

そういうジャンル映画的な枠組みへのオマージュが、要所ではあったりはするんです。とか、全体の話の運びは、ジャンル映画的な枠組みを使ってはいるんですね、そのレイプリベンジ物の。なんだけど、当然これ本作、過去のそういうジャンル映画としてのレイプリベンジ物とは、大きく違う点というのがもちろんあって。

まず、主人公が罠にかけ、1人1人男たちを狩っていく。で、これは先ほどメールにもありましたけど、少なくともこれね、本人たちの意識としては……そして実際、本人たちのその意識と一致して、社会の中での扱いもそうなっちゃってるんだけど、まあ「極悪レイプ犯」とかじゃないわけです。掛け値なしに、本当にそのへんにいる、「普通の」男たち。日本においてもですよ。「普通に」性差別的で、「普通に」隙あらば躊躇なく性的搾取に及び、あまつさえそれを、同性に対する武勇伝とするような、「普通の」男たちである、という点ですね。

特に、これは本当にですね、男性観客として、心底居心地が悪くなる作りなんですけど。露骨にその性差別的だったり、乱暴そうだったする男たちっていうのを、まずは一旦、提示するわけです。この映画でも、もう割と最低なことを女性に関して言うような男たちを、最初に出しておいて……「ああいうやつらとは、僕は違うから」「女性に対して抑圧的な制度には本当に怒りを感じるね」等々、要は「僕はいい男性だよ」っていう自意識でいる男の、「いやいや、まるっきりお前も同類だから!」という欺瞞をこそ、本作は容赦なく暴いても来るわけです。

女性が……彼らに限らずですけど、女性が酔っ払って正気を失ってる時はグイグイ来て、で、女性が正気を保っていて、こっちをグッとまっすぐ見つめてくるとビビる、って、それはどういう人間観なの?って思うけど。でも、そういう「普通の」男たち。たとえば、『スーパーバッド 童貞ウォーズ』というこれ、2007年のアメリカ学園物の、傑作とされてきた作品ですが。その中の「マクラビン」でおなじみ、クリストファー・ミンツ=プラッセがですね、文系サブカルクソ男としてここにキャスティングされている効果、意味など、っていうことですよね。

■「やんちゃな」男性に対する男側の「甘やかし」もその罪は免れ得ない

そしてもちろん、その極めつけはやはり、先ほども言ったボー・バーナムさん。『エイス・グレード』っていう作品で、まさにそのデートレイプ的な現場というのを、本当に容赦なく、苦々しく描いてみせた……だからこそ、非常に意識が高い方だからこそ、この役を敢えて演じて見せているわけですが。というあたり、ということですよね。もうひとつ言えば、この間(このコーナーで作品評を)やったドキュメンタリー映画『SNS -少女たちの10日間-』という作品で私が……皆さんも苦言を呈していらっしゃった、ある甘さっていうか、「そいつは“いいやつ”ってことでいいんですかね?」っていう、そこも鋭く、当然そこは意図してないにせよ、遡って突いてくれているような感じがする、という部分。

で、本作の配役の妙に関しては、パンフで山崎まどかさんが、もうさすがの文章で、ものすごくためになる(記事を)このキャスティングの妙について書かれているので。ぜひパンフを参照していただきたいんですが。とにかく、たとえばそのさっき言った『スーパーバッド』とか、個人的にはアレクサンダー・ペインの『サイドウェイ』とか、これまで傑作・名作とされてきた、特にセックスが絡んでくるアメリカのコメディ映画について、もう1度、視点を反転させて……つまり女性側がこの場面でどう感じていたのか、っていうような見直しが必要かもしれない。映画史的な見直しさえ必要かもしれない、と思わせてくれるような、そういう作りだったりするわけです。

あと、たとえばですね、日本映画『愚行録』で小出恵介さん演じるクソ男を偲んで親友が言う、「あんないいやつが、なんで」とか。それこそ、『花束みたいな恋をした』にも入っています。あの先輩の人物像に対する、有村架純さん演じる絹ちゃん側の視点、解釈などとも通じる、「やんちゃな」男性の友人に対する、男側のホモソーシャルな甘やかし。本作ではそれが、最低最悪の形へと着地していくわけですけど。どんだけ最低かは見ていただきたいですけど。やはり正直、僕は思い当たるところ、ないとは言えないですね。やっぱね。

自分自身がやらなくても、「やんちゃな」友達に対する甘やかし。「あいつはしょうがねえな」なんて言って……というか、さっき言ったようにですね、「善意の傍観者」まで、こうした構造の加担者として罪は免れえない、というのをグリグリとこう突きつけてくる作品なので。もはや大概の人に、逃げ場はないんですね。はっきり言ってね。ということだと思います。

だからこそ……ここがポイントで、だから、被害者本人のリベンジではない、というのは、そこの構造も込みなんですよ。(不公正を正すため具体的に)行動した人間のみがある種、ある程度贖罪としてそれが成立する、というような作りになっているっていうことですね。それは女性に対しても然りで。先ほどの男性キャスティング同様、たとえば『GLOW』の主演アリソン・ブリーさんが、無論最初から最後まで他人事気分が抜けない男どもとはちょっと違う着地ではありますが、ともあれターゲット側として配役されていたりとかして。

これね、火曜パートナーの宇垣美里さんも、「自分は果たして性的暴力の被害者を冷ややかな目で見たことがなかったと言えるのか?」という風に、大変真摯に受け止めていらっしゃいましたけど。その中で、最もフラットに主人公に寄り添う存在として、トランスジェンダー俳優として、二重、三重の差別と戦ってきたラバーン・コックスさんが、ポンとごく自然な存在としている感じっていう、これもすごいすばらしい配役というか、人物配置だったんじゃないでしょうか。

いわば我々全員がターゲットとなる作品

とまあ、そんなこんなでですね、過去の、ジャンル映画としてのレイプリベンジ物と違って、我々のこの現実の……性差別的で、性暴力に満ちていて、不公平・不公正が容認されてしまっているこの社会の「普通の」人々、つまり我々全員が、いわばターゲットとなる作品であるわけですね。そしてもうひとつ、過去のジャンル映画としてのそのレイプリベンジ物……あるいはこれ、性暴力の非道さを告発するような、真面目な社会派作品なども含めてもいいかもしれません。とにかく性暴力を扱っている過去の作品と、この『プロミシング・ヤング・ウーマン』がはっきり線を引いているところ、っていうのがあって。これ、水曜に代打パートナーとしてお越しいただいた、篠原梨菜さんも指摘されていましたが。

とにかく、直接的にその性暴力を見せるシーン、ショットというのはないわけです。で、無論これは現実の被害者に対する配慮……フラッシュバックとかを起こすかもしれません、そういう配慮というのもあるし、あらゆる意味でポルノ的な消費を許さない、そういう余地を残さないという、そういう明確な意思の表れでもあるはずですよね。なんなら、主人公が振るっているらしい暴力も、直接は見せないですよね。この映画、実は、直接、対人の暴力を振るう人物は、1人だけです。そして、これはもう明らかに、明確な意図があって、その人物だけが暴力を振るう。これはもう、目を背けるような暴力になってますが。

そして同時に、その観客の脳裏それぞれに、想像の余地を残すわけです。直接見せないから。そのことによって、その性暴力が、普遍的なもの……つまり、「あなたの横でも起こり得る、あるいは起こり得た、あるいは起きていた何か」として伝わるという効果も、この“見せない”省略話法が、うまく効いているわけなんですね。で、その点も含めてですね、全体にこの、脚本・監督・製作のエメラルド・フェネルさん、直接的にはあえて多くを語らない、省略と余白多めの語り口、その分、衣装や美術……これ、美術を手掛けているのはね、マイケル・T・ペリーさん、『イット・フォローズ』とか『アンダー・ザ・シルバーレイク』の方、たしかに通じるものがありますけども。

衣装や美術、さっき言ったポップスとクラシック、劇伴を、自在に、横断的に使いこなす音楽演出などなど、そういうことをキレッキレの編集に乗せて、豊かに、雄弁に語っていく……そんな独自の文法というのを、もうすでに、完璧に確立してます、エメラルド・フェネルさん。たとえば、もちろんですね、主人公がそのターゲットを片付けるたびに付けていく、あのノートのチェックマーク。あるいは、その非常に不穏な朝帰りの中で、ケチャップなのか、血なのか、というあの跡。そして、主人公の頭上に天使の輪のように輝いている、諸々の、「赤」ですね。赤の、要所の鮮烈な印象であるとかですね。

対して、主人公の実家の中の様子。あれは要するに、「親の期待」が牢獄のように全てを塗り固めているような、そういうような家の様子であるとか。あるいは、ちょっとやっぱりその主人公、プライベートで着る服とか……過去で時間が止まっているような心理を表すような、パステルカラーの、ちょっと少女っぽいような普段着であるとか。もしくは何ヶ所か、明らかに十字架風、あるいは聖像画(イコン)風に主人公が見えるような画作り。これも言わずもがなですね。ここのメタファーの部分であるとか。

■「狂っているのは不公正さを容認しているこの社会なんだ」だと体現するキャリー・マリガン

はたまた、先ほどのメールにもありましたけど、パリス・ヒルトンとかブリトニー・スピアーズといった、かつてのいわゆる「お騒がせセレブ」……でも、よく考えてみたら彼女たちって、プライバシーを世界中から踏みにじられた、犠牲者でもあるわけですよね。といった面々の楽曲などを使った、やはり意図的な配置であるとか。特にやっぱり、先ほども言った通り「Toxic」。音楽担当のアンソニー・ウィリスさんが、バーナード・ハーマン調……すなわち、ヒッチコック調で劇伴としてアレンジし直した、このバージョン。クライマックス手前で鳴り響くところとかね、本当に、鳥肌が立ちますよね。

かと思えば終盤、主人公が怒りを爆発させる、あるくだりがあるんですね。痛快でありながら、虚しい、というような場面なんですけど。ここで高らかに流れ出す、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」。これがガーッと鳴り出す。この意味的な読み解きみたいなのは、(番組ゲスト常連の音楽ライター)小室敬幸さんにいずれお任せしたいと思いますが。その、非常にエキセントリックな演出の格好よさというか、際立ち方というのもすごいですし。そんな感じで、エメラルド・フェネルさん、ただごとじゃない才能の持ち主なのは、本当に明白かと思います。

そしてもちろん、敢えてここまで触れてきませんでしたが、キャリー・マリガン。一世一代の名演だと思います。要するに、徐々に動機が明らかにされていく、ミステリアスな主人公。で、「狂っている」という風に他の登場人物とか社会からは言われている。でも、そうではなくて、狂っているのはこの不公正さを容認しているこの社会、世界の方なんだ、ということを、クルクルと変化する見た目や雰囲気とともに……そして、おそらく本人さえも実はちゃんと理解しきってはいない激情というものを内に秘めつつ、観客に、自然にそれを納得させ、そして感情移入させてゆく、という。これは難役ですよ。

なんですが、それが、時に少女のようでもあり、あるいは時には何かを見透かすようなたたずまいでもあり、というこの彼女の存在感。キャシーという役柄そのものとパーフェクトにマッチして、忘れがたいキャラクターとなったと思います。

■鋭いメッセージ性を持ちながら、むっちゃくちゃ「面白い」!

佐々木中さんに、かつて僕が聞いた時の、佐々木さんの回答……「なんでフィクションというのがあるのか?」(※宇多丸註:正確には、評論と小説では執筆のスタンスは違うのか?という質問に対して)「フィクションでしか描けないこと……たとえば主人公が現実にいたら、その行動を僕が止めたり、非難したりするかもしれない人物。でも、その物語を通してしか語り伝えないこと、というのがある。そのためにこそ、フィクションというものには意味・意義がある」という風に仰った。

まさにその佐々木中くんの言葉、フィクションの意義というのを体現するような、見事なキャラクターだと思います。このキャシーは。とにかく、読み解きの角度は無数にありますし、現実の我々の社会のあり方を、我々自身のあり方、考え方、振る舞いを、問い直してくるものでもある。さらには、先ほども触れた通り、映画史的な問い直しみたいなものすらこっちに突きつけてくる、というようなものでもある。とにかく、単に完成度が高いとか、よく出来た作品というレベルを超えて、こちら側の世界とか、映画史そのものにさえも問い直しを促してくるような。

ラストの「ウィンク」は、そういうことです。ある「ウィンク」が出るわけです。そのラストの「ウィンク」は、「後はお前らだぞ」っていうことですよね。ということで……しかもですね、皆さん。非常にそうやってメッセージが高い、鋭いメッセージ性、社会性を持ちながら、むっちゃくちゃ、「面白い」んですよ! 無類に「面白い」んですよ! 今年見た映画の中で、面白さっていう意味でも、トップなんですよ。スリラーにしてロマンティック・コメディ、ホラーにしてポップ、そしてダークなコメディでもある。そのすべてであり、でもどれとも違う。とてつもない1本だと思います。

好みはもちろん分かれると思いますが、僕は完全にノックアウト、参りましたし、おそらく映画史的に、結構すごい位置を占めていくことになる作品になるんじゃないかな、とすら思っています。もう1回、言います。年間ベスト、決まりました! ぜひぜひ劇場でウォッチしてください。

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『少年の君』です)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

◆過去の宇多丸映画評書き起こしは

こちらから!

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