ナイツは、いったいどうなってるんだよ。【連載エッセイ「TBSラジオ、まずはこれから」】

エッセイストの中前結花さんが、さまざまな番組の魅力を綴るエッセイシリーズ「TBSラジオ、まずはこれから」。今回のおはなしは、漫才コンビ・ナイツについて。ラジオに寄席にと、出ずっぱりなのにもかかわらず全く枯渇しない、彼らの話題の引き出しについて考察していきます。「ナイツは喋りすぎてて、おかしいのだ。」

話題と引き出し

ありがたいことに、月にいくつかのコラムやエッセイの連載を持っていると、
「これは、あの連載で書くべきだろうか」
「いや、この内容では前回と同じじゃないか」
だなんて、一丁前にあれやこれやと悩んでしまうことがある。
それ以外の書きものもあるから、なんだか原稿とばかり向き合っている日々を過ごしまったりして、すると当然、本を読む時間もテレビを見る時間も徐々に少なくなるから、やがていちばん頭を抱えてしまう事態が訪れてしまう。
「あれ……しまった。書くことがない」
となるのだ。

取り入れる情報や、それをきっかけに考えを巡らせることが少なくなって、それでも反面、原稿に想いを吐き出してばかりいると、“ことばが枯渇してくる”……そんな感覚に襲われることがある。
なんだか文字ばかり打ち込んでいる毎日というのは、どこか洗濯をサボって生活をしている気分に近しい。
汚すばかりで、引き出しを開けても開けても着ていく洋服が見つからないといった具合に、頭の中が、引き出しを開けても開けても人様にお話したいようなネタがこれっぽっちも見つからない「空っぽの箪笥(たんす)」のようになる。
そしてそんなとき、わたしがいつもながらつくづく思うのは、
「ナイツは、いったいどうなってるんだよ」
ということだった。

来る日も来る日も

毎週土曜日『土曜ワイドラジオTOKYO ナイツのちゃきちゃき大放送』に出演している、漫才コンビ・ナイツ。
ワイドというだけあって、その放送時間は3時間45分(今年3月までは4時間だった)とずいぶん長い。またニッポン放送では、これまたお昼の生番組『ナイツ・ザ・ラジオショー』に昨年から月~木曜日まで出演していて、さらには『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』(ニッポン放送)にも週に1度登場するのだ。
ラジオで喋ること、週に約15時間半。それもすべてお昼間の放送だ。

それでもふたりは、どの番組でもさほど変わらないテンポで、それでいて当たり前のようにいつも違う話を披露している。生放送であるから、同じ時事の話題が出てくることも多いけれど、やはりその場その場で違うやり取りをして、常に「そこだけ」の笑いを誘っている。
いつもいつも違った、趣味のいい洋服を着ているかのようだ。

もちろん、ふたりの仕事はラジオだけではない。
東京の演芸場の寄席のみならず、全国各地のライブにも出演し続けているし、テレビでの活躍は言うまでもないところだ。
とにかくふたりはマイクに向かい、来る日も来る日も喋り倒している。

ラジオでのフリートークに関して、「寄席で鍛えられてるんで」と塙さんが答えるのを聞いたことがある。しかしそれは逆に、漫才にしてもラジオにしても、密度は違えど「組み立てて吐き出す」仕事に変わりはないということでもある。
だけどふたりはずっとずっと枯渇しない。

飄々とスローなテンポのようでいて、その喋り出しはいつも活き活きとしている。
まれに、「月に1回トークライブをやっちゃうと、話すことがなくなっちゃうな」と話している芸人さんを見ると、いたく共感してしまって、「たしかにそうなんだよなあ、それなのに見事なものだなあ」とその場ではうんうんと納得しながら楽しんでいても、帰り道にはふとふたりの顔が思い浮かんでしまう。
「じゃあナイツは、いったいどうなってるんだよ」

ナイツは、間違いなく喋りすぎていて、おかしいのだ。

すべての話題に明るい人

そして考え、やがて「はあ、それもそうか」と理解する。
その、会話の活きの良さ、新鮮さに、ナイツの「たる所以(ゆえん)」が表れているのだ。

吐き出している量がおかしいということは、つまり取り入れている量もおかしい、ということであって、彼らはどんな時事ネタ、ワイドショーネタにもひとこと挟める程度の知識が常に頭に入っている。スポーツの話題には、野球に相撲に……とその「解説者」にまつわる持論や松坂の故障時の手術に至るまで話すことができるほど明るく、注目されているドラマは当然見ているし、最新のヒット曲も抑えている。ネットで話題になっていることにも驚くほど敏感だ。

どのコンビにも「この分野に明るい人」というのはいるけれど、ナイツの場合は、塙さんも土屋さんも、とにかく「今起きていること、すべてに明るい」という超人にようにも思えてくる。
塙さんがいくらマニアックなボケを繰り出しても、土屋さんはそれを丁寧に訂正している。
どちらかの知識だけでは成り立たない掛け合いをしているからこそ、聞いているこちらも安心しながら、どっぷりと楽しめてしまうのだろう。

これだけ忙しくしていて、「いやあ大河、本当おもしろかった」だなんて、ひとつひとつのコンテンツをしっかり受け取る側としても楽しんでいるから驚いてしまう。
そして、参加したテレビ番組の収録ひとつをとっても、「また放送されますので、お楽しみに」などという告知では決して終わらせないのも塙さんらしさだ。
その際の共演者の様子や、ネタ番組であれば他のコンビがどのような状況でネタを披露していたかまで、すべておもしろおかしく話してくれる。
ひとつの事柄から掬(すく)ってくる量が違うのだ。
その掬(すく)い方に技術があり、さらにそれを職人技でもって話芸に変える。
そして来る日も来る日もマイクに向かって話し続けているふたりなのだ。

仕入れながら、卸してしまう

『ナイツのちゃきちゃき大放送』といえば、冒頭のふたりの「時事漫才」も大きな目玉だ。直近の時事ネタをおもしろおかしく取り扱った漫才を毎週毎週披露していて、出囃子も含めて、その1週間に起きた主だったニュースがちょうど3分程度に収まっている。
忙しい週であれば、これだけ聞けば「ああ、そんなことがあったのね」と把握できてしまうのではないか、と思えるほどの内容だ。

昨年には『ナイツ 午前九時の時事漫才』(駒草出版)として、1冊の本としてもまとめられた。
彼らのおもしろいところのひとつは、「インプットしながら、それと同時にアウトプットしている」ということかもしれない。

ナイツにとってラジオとは、最新の話題を作家さんに提供してもらい、最新のニュースの理解を深める「仕入れ」の場でもあり、それをおもしろおかしく噛み砕いて届ける「卸し」の場所でもある。
そして、ふたりはその調子のまま地続きで、日常でもその「仕入れ」の作業をやめない。
「どうなっているの?」と疑ってしまいたくなるほど、最高の技術で取り入れて、最高の技術で吐き出し続ける、そんな恐ろしいブラックボックスが「ナイツ」なのだ。

それでいて、あの飄々とした「知りませんよ」「何にも流されませんよ」といった、どこか“昭和”の香りをまとった佇まいなのだから、なんだかそのギャップに底知れぬ魅力を感じて「いいなあ」と触れるたび惚れ惚れとしてしまう。
 

そういえば、『ナイツのちゃきちゃき大放送』がちょうど300回の放送を迎えたとき、
「番組開始当初2015年の末は、どうやって漫才をやってたんだろう?」
という話題になった。
「だって、築地(ネタの卸売市場)がなかったんだから」
と言うのだ。

塙さんの言う「築地」とは、どうやら「週刊文春」のことで、たしかに「文春砲」なるものが加熱しはじめたのは2016年の出来事だったから、聴いていて思わず吹き出してしまう。しかし、そこで土屋さんはすぐさまこう答えるのだ。
「また、築地(豊洲)問題もあったからややこしいんだけどね」
調べてみれば、こちらもやはり2016年のことだった。

ナイツは、いったいどうなってるんだよ。

 

中前結花/エッセイスト・ライター。兵庫県生まれ。『ほぼ日刊イトイ新聞』『DRESS』ほか多数の媒体で、日々のできごとやJ-POPの歌詞にまつわるエピソード、大好きなお笑いについて執筆。趣味は、ものづくりと本を買うこと、劇場に出かけること。

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