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【映画評書き起こし】宇多丸、『君の名は。』を語る!(2016.10.1放送)

ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル

20161001_君の名は。

「映画館では、今も新作映画が公開されている。
一体、誰が映画を見張るのか?
一体、誰が映画をウォッチするのか?
映画ウォッチ超人、“シネマンディアス”宇多丸がいま立ち上がる――
その名も、週刊映画時評ムービーウォッチメン!」

宇多丸:
ここから夜11時までは、劇場で公開されている最新映画を映画ウォッチ超人こと<シネマンディアス宇多丸>が毎週自腹でウキウキウォッチング。その<監視結果>を報告するという映画評論コーナーです。今夜扱う映画は先週「ムービーガチャマシン」(ガチャガチャ)を回して当たったこの映画……『君の名は。』!

(BGM:RADWIMPS『前前前世』が流れる)

『雲のむこう、約束の場所』『秒速5センチメートル』などで知られるアニメーション映画監督、新海誠の3年ぶりとなるオリジナル長編作品。千年ぶりとなる彗星の接近を前に、田舎で暮らす女子高生と都心で暮らす男子高校生の心が入れ替わり、やがて2人の運命の秘密が明らかになる。声の出演は神木隆之介、上白石萌音ほか。主題歌を含む音楽はロックバンドのRADWIMPSが担当した、ということでございます。ということで、もう記録的大ヒット。おそらく日本映画史のトップの方に残っていくような記録的大ヒットになっている本作。本当に社会現象的に扱われております。

ということで、注目度も高いということなのか、この映画を見たよというリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)、メールなどで頂いているのですが……量が、めちゃめちゃ多い〜! 物理的にも、そして気持ち的にも重い〜! 重すぎる。

『シン・ゴジラ』と並ぶ今年最多クラス。プリントした紙は500ページ近く。これ自体で大著になってしまうという。10代から20代の若い人からの投稿が目立つ。劇場もね、本当に若い人が多いです。概ね、若い方たちの意見は好意的なものでございました。ただし、全体の感想は賛否の比率で言うと「賛」が50%。「否」、ちょっとよくなかったという方が30%。いいところもあれば悪いところもあるが20%。つまり、『シン・ゴジラ』と非常に量が多かったという意味では同じなんですが、『シン・ゴジラ』は「賛」、褒めている方が圧倒的だったのに比べるとかなり割れています。「映像がとてもきれい」「ストーリーは粗がある」というのが誰もが触れている二大トピック。ストーリーの粗が許せるかどうかでこの映画に乗れるか・乗れないかが分かれている様子。また、RADWIMPSの音楽の使い方についても好みの差がはっきりと出ていたということでございます。ということで、みなさん、こんな分量を送っていただいて、代表的なところしか紹介できないのが申し訳ないんですが。代表的な褒めと貶し、紹介していきましょう……

(メール紹介中略)

……さあ、ということで、『君の名は。』。私も、ちょっと今週忙しかったのもあって、すいません、2回しか見れてないんですが。TOHOシネマズ六本木で2回、見てまいりました。本当にね、大半が若い人たちで非常に埋まっておりました。新海誠さん、このラジオを聞いている方は当然、新海誠さんのアニメを一作も見たことがない、聞いたこともないっていう方もいっぱいいらっしゃいますので、ちょっと説明させていただきますけども。『ほしのこえ』という短編で、ほとんど1人で作り上げた、まさにデジタル時代ならではのアニメ作家、新海誠さん。『ほしのこえ』で2002年に鮮烈なデビューをして以来、非常に作家性が強い……要はアニメっていうのは共同作業で、いろんな人の職人的な手が入ってようやく出来上がるっていうのが本来のアニメなんだけども、デジタル時代っていうこともあって、作り手個人の色が濃厚に刻印された、ゆえに一部に熱狂的な支持者を生むような作品を作ってきた方ですよね。

で、その作家性というのを僕なりの言葉で例によってざっくりと表現してみるならば、今回の『君の名は。』もまさにそうですけど、身も蓋もない言い方をすればね……すっごい身も蓋もない言い方をしますけども、まあ、「赤い糸ファンタジー」ですよね。赤い糸ファンタジー。つまり、運命的な関係性を持つ相手っていうのが世界のどこかにはいる。この、運命的な関係。つまり、無条件の結びつきを持っている。そこの結びつきには理由はないっていうぐらい、ガッ!ってこう、結びつきがある。それは、もちろん恋愛だったりするんだけど、単なる恋愛相手というよりは、もはや自分の生きている存在そのものに決定的な意味を与えてくれると思えるような、そういう相手ということですね。そんな運命の人と時空をへだててすれ違うという、まあこういう話ですよね。

で、その彼らを取り巻く「世界」の巨大さとか無情さっていうのが、その主人公たちの運命的な結びつきという、非常に極めて個的な「セカイ」。その物語の切なさっていうのを際立てるための背景として、世界には酷薄で巨大ないろんな問題があるんだけど、それがその(主人公たちの個的な物語を際立てるための)背景として描かれる、というようなこと。要は、現実の大人的な「世界」vs真実の、自分たちがいる本来ありうるべき「セカイ」的な対比というか。まあ、厳密な定義っていうのはなかなか難しいようですが、いわゆる「セカイ系」っていうのの代表的な作家ということに、一般的にはなっているというのは間違いない。で、内省的なモノローグが折り重なって……さっきね、『ババア、ノックしろよ!』のコーナーで私が試みて大失敗した内省的なモノローグが折り重なっていって、で、なんか声がワッと重なって。今回もやっていましたけどね。ちょっと演劇的なそういうセリフ演出なんかも印象的だったりとかして。

まあ、よくも悪くも──これ、「よくも」の部分もありますよ。「だからいい」っていうのもあるんだけど──まあ青臭いっていうか。はっきり言って、さっきのメールにもあった通りだと思います、やっぱりね、これは言い訳の余地なく童貞臭いっていう。童貞臭い世界観、価値観であるということは確かだと思いますね。要は、リアルに男女間のグジョグジョとかを積み重ねてくると、ちょっとそこまでそんなにセンチメンタルに浸ってもいられないかな? みたいな。『ブルーバレンタイン』の世界に入っちゃっているかな? みたいな。ということで、よくも悪くも童貞臭い。いずれにせよこれね、アニメならではの抽象化がなされてこそ、成り立つ作風だと思いますね。これ、実写でやられたらきっついよ。まあ、抽象化がすごく働いている作品、作風だとは思います。

ただ、そういういわゆるセカイ系的なセンチメンタリズム、僕いまちょっとね、からかうような感じで言っちゃってますけど、もともと若者っていうのは普遍的に抱きがちなセンチメンタリズムだとは思うんですよ。要は、若者っていうのは昔からセカイ系だよ、というのもあると思うんです。それはすなわち、言ってみれば大人だって全員昔は若者だったわけだから、大人にとっても普遍的な、たとえばノスタルジーを喚起する、あり得たかもしれない可能性を巡るファンタジー、幻想っていうことのお話でもあるわけで。まあ、僕の定義で言うとね、「青春とは可能性が開かれた状態である」という定義。これは、2013年3月24日にやった『横道世之介』評をもう1回チェックしていただきたいんだけども。青春っていうのが「可能性が開かれた状態」だとするならば、さっき言った運命の2人っていうのがね、すれ違い続ける限り、その人たちの青春は完結しない、とも言えるということです。

で、そのすれ違う2人の背景に美麗に描き込まれた自然とか都市の風景……これがまた、その中ですれ違う主人公たちの儚さ、切なさをリリカルに際立てるという、まあそんな感じの作風でございます。だからもう、浸るとたまんない!っていう、そんな新海誠作品。僕も一応全作見ているんですけども、個人的には今回主役の声を務めています神木隆之介くんも大ファンだという『秒速5センチメートル』が僕、新海誠作品としていちばん「濃い」というか。いちばん童貞マインドゆえの自虐センチメンタリズムが、ここまで……行くところまで行くと、もう甘美でしかない(笑)。もう、「打ちにいく」時は『秒速5センチメートル』っていうね、この感じは僕、すごい好きだったりするんですけど。

ただ、その新海誠さん自身、ここ数作……たとえば特に『星を追う子ども』とかでは、自らのカルト的な作風ゆえの、ある種の枠組みというか、そういうのを意図的に乗り越えていこうという試行錯誤もここ数作は続けている。そういう節もあったと思うんだけど。そこで今回の『君の名は。』ですがね、まず言えるのは、本作はやっぱりいままでの新海誠さんのフィルモグラフィーと並べるとはっきりするのは、プロデュース力ですよね。プロデュース、すげえ! そしてその徹底したチューニングの勝利。「チューニング」っていう言葉が今日、いっぱい出てきますけども、チューニングの勝利だと思います。やっていること自体はある意味、これまでの新海誠作品の集大成。まあ、プロデューサーの川村元気さん自身が(今回は新海誠のベスト盤的な作品であると)言ってたんですね。俺、その川村さんの発言のインタビューはちょっと見落としちゃったみたいだけど、俺も現にこう思ったんですよ。「ベスト盤的だな」と、そういう風に思いました。

言うまでもなくですね、時空を隔ててすれ違う運命の2人の話ということで、もう「ザ・新海誠」っていう感じだし。その運命は現実世界の巨大かつ深刻な命運とも直結している。この「直結している」っていうのがまさにもう、言い訳の余地なくセカイ系ですし。あと、たとえば絵面的に巨大クレーターであるとか、異なる次元にいる者同士がある一点で接触を果たすとか。たとえば、『雲のむこう、約束の場所』を中心にした、なんか既視感のある画とか展開っていうのもやっぱり多かったりとか。シンボリックなまでに美しく描き込まれた自然や町並みの中ですれ違う2人みたいな。電車がすれ違って……とか。まさに『秒速5センチメートル』的でもあるし。あと、学校の先生が実は新海監督の前作『言の葉の庭』のヒロインの先生、雪野さんだったとか、そういうフィルモグラフィー的な連続性もあったりなんかして。

ということで、要は新海誠作品としての本質は、実はなにひとつ変わっていないわけですよ。全然新海誠っぺー!っていう要素ばっかりなんだけど、ただ、今回の『君の名は。』はそのエッセンス、本質はそのままに抽出しつつ、それらをまるごとポップ化、キャッチー化しているという作品ですね。そしてまさにその狙い……非常に俗っぽい言い方をさせてもらうなら、新海誠作品に元からあった「受ける要素」を、より広い範囲に届きやすいようチューニング、ブラッシュアップするという狙い。これが、これ以上ないほど大成功したということですね。現に成功しているわけだから。もう否定しようもないということですね。

まず、画そのもの。画面そのものがこれまでと比べて明らかに格段にポップですよね。キャラクターデザイン、田中将賀さん。この番組でも、『心が叫びたがってるんだ。』を2015年10月、ちょうど1年ぐらい前にウォッチしました。『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』とかの田中将賀さんが、今回はキャラデザインだけをやっている。要は、いわゆる現行アニメファン好みの、言ってみればコア層にも訴求するような、いまのアニメのいちばん受ける感じのテイストを、先ほどメールにも名前があった通り、安藤雅司さんという方が作画監督を──この方はジブリ作品でずっと知られている方──安藤雅司さんが、言ってみればジブリ的な、国民的アニメのセンスで動かす。つまり、いまのアニメファンが喜びそうな画のテイストを、ジブリ的な、国民アニメ的なテイストで動かすという絶妙なバランスから生まれる、言ってみれば華と品の両立っていうか。華と品が見事に両立した作品トーンみたいなことだと思います。

あるいはその逆もあって。ジブリ出身のスタッフの方々も結構多くて。で、その画を作画監督の安藤さんがさっき言った田中さんのキャラクターの画にグッと引き寄せてやったりとかっていうようなことを監督自身がインタビューでおっしゃっていたりするんですが。とにかく、まさに座組の勝利というか。要はプロデュースの勝利ですね。「こういう座組でやりましょう」というプロデュースの勝利。事程左様にというか、いま言ったように今回の『君の名は。』は日本アニメの現行トップスタッフ。現行トップランカーが集結して、技術的にはもう本当に最高クオリティーを達成している作品だと思います。僕はそこがなにより、まず評価の大前提だと思いますね。僕、劇場で見ていて、「うわ〜、画、すっげえな! まずアニメとしてすげえな! 日本型アニメのある意味ちょっと到達点だな、これ!」みたいに。好みとかはともかくとして。

先ほど、(構成作家)古川さんとその話をしていて……さすがアニメライターということで。「ひょっとしたら、日本のトップ興行収入のアニメを並べてみると、意外と作画とかアニメーターとか、そういうスタッフ、縁の下の力持ちは同じっていう可能性はあるよ。モータウンにおける(スタジオバンドの)ファンク・ブラザーズとか、そういうことはあり得るよ」なんて話もしていましたけど。あながち、それも嘘じゃない。だから、そういう意味では新海誠という非常に個人的な作家に、日本アニメの総力戦みたいな力が加わったと。たとえばクライマックス、走るヒロインの三葉が坂道で転んでコンクリートの上でボーン!ってバウンドする。あれ、劇場で「はっ!」って息を呑む声が上がるほどすごいスリリングな画でしたけど。あそこ、監督インタビューによれば、『人狼 JIN-ROH』とか『ももへの手紙』の沖浦啓之さんが担当していると。で、コンテ通りのはずなんだけど、何倍にもエモーショナルな画になったという、なるほど。あそこの画はたしかに素晴らしい画だったなとか。

あとは『言の葉の庭』にも参加していた土屋堅一さんがいればこその、日常芝居っていうのができたんだっていうようなことを監督もおっしゃっていて。そんな感じでとにかく、華と品をあわせ持つ画の圧倒的なポップさ、質の高さ。まず、これがあるわけですね。それに加えて、作品としての作りも格段にポップですよね。その新海作品のトレードマーク、さっき言った暗〜い感じの内省的なモノローグが折り重なって。まあ今回もやっているんですよ。いかにもセカイ系的なそういうことももちろんやっているんだけど、分量とか使い所はかなり抑え気味になっていて。で、その代わりと言うべきか、ド頭。RADWIMPSの曲に乗せて、本当にテレビアニメのオープニングですよね。完全にテレビアニメのオープニング風にその後の物語展開を予告したり暗示したりするような画が立て続けにポンポンポンッて出てくるっていう。

前から、それこそ『秒速5センチメートル』とかでもJ-POP──あれは、山崎まさよしさんでしたよね──に乗せてのミュージックビデオ的編集で一気に情緒的に盛り上げる、みたいなことは前からやっていたんだけど。今回はそれがRADWIMPSだけあって、非常に格段にイマ風なポップになっているし。しかも、オープニングと中盤、クライマックス。あとラストからエンドロールと、とにかく「ここぞ!」というところで歌詞と物語が微妙にシンクロした……要はこれ用に作っているので当たり前なんだけど、これ用に作ったという意味で非常に歌劇的というか、ミュージカル的でもあるようなかたちでRADWIMPSの曲が印象的に流されたりもするので。全体にやっぱり、音楽的な勢い、テンポで、盛り上げどころを一気に、半ばちょっと強引にでも持っていく感が強い。先ほどのメールにもあった通り、非常にミュージックビデオ的なテンポ感で持っていかれる作品になっていると思います。

あと、やっぱり前半がモロに大林宣彦『転校生』な男女入れ替わりもの。カルチャーギャップコメディーとして楽しめると。今回は特に都会と田舎っていうカルチャーギャップ──ジェンダーのところよりもそっちの方が強かったりしていますけどね──カルチャーギャップコメディーとして楽しませると。で、ここまでコメディー色が強いのも、新海作品の中でははじめてであるわけで。過去作の内向きな、ある意味ナルシスティックな臭みみたいなのが大幅カット。すごく脱臭されているわけですよ。新海誠作品の脱臭に成功しているという、まさにこれぞチューニングの部分ですね。チューニングが上手くいっている部分。で、後半はさらに……いまね、前半は『転校生』って言ったけど、そこにさらに『時をかける少女』とか、たとえば『バタフライ・エフェクト』だとか、『未来の想い出』だとか的な、一種のタイムリープ、過去改変もの要素も入ってくる。

ねえ。これ、改めて考えてみると前半が『転校生』で後半が『時をかける少女』って、どんだけ……まあ、この言い方は許して欲しいんだけど、「どんだけ臆面もないんだ?」っていう言い方もできる(笑)。あと、「時を超えた間接的交流」設定、間接的なタイムリープ感で言うと、『オーロラの彼方へ』なんていう映画とか、あと『イルマーレ』とか。そういう的でもあって。まあ、そもそも新海誠作品がそういう時空を超えた間接的交流っていうのともともと相性がいいというか、そういうテイストがあったんだけども。で、さらにクライマックスに向けては『アルマゲドン』『ディープ・インパクト』的な、要は隕石ディザスター・ムービー要素も入ってきたりとか。

で、そこにポスト3.11ニュアンス……ポスト3.11ニュアンスっていうことで言うなら、元の『君の名は』っていう昔のラジオドラマから始まったヒットドラマ……これが元なんですよ。タイトルの元はね。もともと『君の名は』っていう作品があったけど、あれは戦災を挟んでの運命の2人のすれ違い話なのに対して、ある意味ポスト3.11的なディザスターを挟んでの運命の2人のすれ違いっていう映画に『君の名は。』ってつけるこのタイトルセンスは、いや、俺はすごいなと思いましたね。思い切っているし、さすがだなと思う。まあとにかく、そういう隕石ディザスタームービー、ポスト3.11ニュアンスっていうのも入りの。あと、あれも巨大落下物ディザスター回避ものではありましたけども、『サマーウォーズ』的な、日常的キャラによるチームプレー要素ありのということで、とにかく盛り上がる要素てんこ盛りと。

クライマックスで大団円的にエモく盛り上がるという構成は、それこそ大林宣彦『時をかける少女』クライマックスっぽくもあったりとかして。そんな感じで、要は前々週に『HiGH & LOW』がですね、パーツとしてのキャラクターの集合体。「キャラクターがもうパーツなんだ」っていう言い方をしたけど、その意味では今回の『君の名は。』は、「みんな大好き展開」っていうのがパーツ的に、モザイク的に集められているというか。「展開のパーツ化」というか。いろんな観客がそれぞれの「あ、見たことある。知ってる、知ってる」な好きな要素を入り口に楽しめるという、まあよくも悪くもイマドキのエンタメの潮流を感じさせなくもないという作り。

その上でラストは、これ、ちょっとネタバレなのかな? とも思いますが、それこそ大林宣彦版『時をかける少女』。あとはたとえば、アラン・ルドルフの『メイド・イン・ヘブン』なんて映画もありますけどね。もちろんこれまでの新海誠作品もそうだけど、運命の2人のすれ違い描写。ラスト間際で一気にたたみかけて、さらにエモくエモく盛り上げて、「ああっ、すれ違っちゃった! ああっ、すれ違っちゃった!」で盛り上げてからの、それこそ『秒速5センチメートル』とかの結末と比較すれば、めちゃめちゃポップな着地っていうね。「サービスすんな〜!」っていう。まさにたぶん、これまでの新海誠ファンで「そこがよかったのに!」っていう人は「おいっ! 裏切りだっ!」って思うようなポップな着地。

ただ、僕は今回の『君の名は。』のエンディング、逆にちょっと寂しさをたたえているエンディングだなとも思っていて。それは要は、さっきの理屈で言うと、青春っていうのは可能性が開かれた状態。2人がすれ違う限り青春は完結しない。だから、「童貞臭い、童貞臭い」って言ってるんだけど。要は、今回のあの結末はあれで可能性の輪が完全に閉じてしまう。つまり、彼らの青春期はあそこで完全に終るっていうことだから、「ああ、ちょっと寂しい」っていう感じがするということだと思います。とにかく、そういう甘さと苦さが入り交じった余韻を含め、俺はやっぱりこれ、新海誠イズムそのものだなっていう風にも思うし。なんだけど、見違えるほどポップにもなっている。作家性と商業性を、両立するというよりは一致させてみせたというか。もともとあった作家性の中の商業的ポテンシャルを、作家性を商業的ポテンシャルの方に発展させてみせたというか。そしてそれが実際に巨大な成功を収めてしまっているのだからという。もう、グウの音も出ませんというね。「川村元気、恐るべし」としか言いようがないっていうね。

まあもちろん、前提として新海誠さん自身が意識的にそういう方向に舵を取って……自分の作家性の臭みを減らせる人に任せたりとかして、ポップにしていくという方向に舵を切ったのですから、非常にクレバーで正しい判断をされたというのが前提としてあると思います。なので、おそらくこれから僕が言うようなことも、作り手のみなさんたちは重々わかった上でのこの作りではあるんだと思いますが……。

まずですね、当然のようにと言うべきか、さっき言ったように本来それぞれ単体でひとつの作品になるような盛り上がり要素。本来、お話ひとつにひとつずつ付いている唯一のデカい嘘……あり得ない奇跡だったりとか、唯一、お話にひとつずつあるデカい嘘が今回、複数てんこ盛りになっているため、お話としてのあり得なさ度は非常に高まっております。僕が見た前の回から出てきた観客の子が、首をひねりながら、「あり得ないっしょ? あり得ないっしょ?」って言いながら出てきてる子がいて、すごい笑っちゃったんだけど。ねえ。

「たまたま」他人同士の心と身体が入れ替わり、「たまたま」それは時間を超える能力も備えており、「たまたま」それが大災害にも密接に関わっており、その大災害も「たまたま」同じ場所に数千年後、同じものが降ってきちゃうという、まさしく超天文学的確率で起こる災害であり……とかね。で、あとその「口噛み酒」を飲んで起こるまさしく奇跡的な事態みたいな。そういうのが重なって、もう奇跡的事態の5乗ぐらいになっちゃっているというね。どんだけ偶然が重なっているんだ?っていうセッティングになっちゃう。ちなみにあの口噛み酒を飲むという場面が途中にあるんですけど、神社で作った酒を飲む、瀧くんというその男の子のキャラクターが、1人でいるのにずっと口を動かして説明ゼリフを言い続けているのは非常に違和感があった。これ、全体を通して見てはっきり、「ああ、これは演出ミスだろう」って思ったところでもありますけども。

でね、たとえば普通に考えたら時間差問題。お互いの情報をやり取りするうちに3年差があれば、「あれっ?」って当然出てくるでしょう? 「えっ、SMAP解散すんの!?」みたいな(笑)。で、それについてはそれぞれ記憶をすぐ忘れちゃう。記憶が曖昧になりがちっていう、まあタイムパラドックス的な説明が一応つけられなくもない(フォロー的な設定があることにはある)。要は、2人が接触して事態が解決に近づくたびにこの絆の存在の安定性も揺らぐ(ので記憶も曖昧になる)っていうタイムパラドックス的な説明ができなくもない。でもやっぱり苦しいは苦しい設定。「忘れちゃう」っていうことで、なんとなく濁されている感はどうしても否めないし。第一、瀧くんの方が事後に(ヒロイン三葉の)行方を追っていって、事態を後から「ええっ?」とか知るんだけど。3年前にそんな大きな災害があったその場所のことを忘れているって。瀧くんだけじゃないですよね。みんな、友達とああやって行って近づいていって。「でもお前、ここってさ……」って(周りも全員気づかないのはおかしい)。ねえ。しかも、ピンポイントであの町が災害にあっているんだから、名前を覚えているでしょう? とかね。

あと、ネットを介したやり取りはできているのに、「じゃあ電話して話そう」とか、「直接会おう」とか、具体的な解決に向けて力を合わせようっていう方向に話が全然行かないのも非常に不自然だなという風に思ったりしました。で、その全てを包括的に説明するために、全部が……特にあのヒロイン三葉の血統、血筋っていうのを中心に運命づけられたこと的な暗示もされてはいるんだけど、それこそがザ・セカイ系的な、全てが都合よく主人公たちの物語、センチメンタリズムに奉仕するためだけに存在するようないびつさそのものであって、正直、「えっ、それでいいのか?」っていう感じはやっぱり僕はしてしまいます。ただし、今回の『君の名は。』、これ悔しいことによくできているんだ。クライマックスで主人公たちが一応現実の「世界」に直接働きかけて、汗をかいて事態の解決を図るので、いわゆるセカイ系的特有の閉じた感じっていうのが上手く中和されているバランスにはなっていて、非常に巧みなチューニングで、そんなに気にはならないようになっている。

とはいえ、そこで進行している事態の深刻さに対して、やっぱり主人公たちの心情的なセンチメンタリズム。要するに、深刻な事態っていうのはあくまでもセンチメンタリズムの後ろにある背景、後景でしかないっていうことには変わりがないと思っています。たとえば前半だったら、入れ替わっている途中で瀧くんが3年前の災害に気づいて──そっちの方が自然ですから──「えっ、ひょっとしてお前がいるそこって……じゃあ、危ないぞ!」って回避させようとするけど──っていう前半の展開。つまり、ディザスター、起こる災害をどう回避するか?っていう方に焦点を当てる、まあ割と真っ当なエンターテインメントの流れの作り、そういうやり方も全然あったはずなのに、本作ではあくまで、「災害を挟んで2人がすれ違う」っていうことがメインイベントなため、どうしても、どんだけ深刻なことがあってもそれはあくまで背景ということになる。でもそれは、本作を含めて新海誠作品のツボ。「そこがいいんじゃない!」っていうところでもあるから、うーん、難しいところですよね。本当にね。好みって言っちゃあ、好みの話になっちゃうかもしれないけど。

特に若い人はですね、「自分には自分でも気づいていない、もともと持っている可能性や価値があるのでは? あった!」っていうこういう話、特に若い人は好きだろうし。同時に、さっき言った「青春期というのは限定的である」という自覚から来るセンチメンタリズム。これも特に若い人が抱きやすいことだと思うし。「大人になるということは忘れてしまうことだ」とか「本当の自分の人生や意味や価値を実感できた瞬間……つまり人生最良の時はもう過ぎてしまっているのでは?」っていう感傷。これもみんな好きなやつじゃないですか。要するにオープニングで語られる、「なにかが消えてしまったという感覚だけがある。ずっと何かを、誰かを探している。そういう気持ちだけがある」っていうこのセンチメンタリズム、みんな好きじゃないですか。つまり、そうやって言っている限りは、自分に価値がある可能性は残っているから、っていうことですけど。

ただ、今回の『君の名は。』の場合ですね、これがまた上手いんだ。たとえば、主人公の男の子の瀧くん。最後、事件の記憶がなくなった後も、無意識下には刻みつけられているということなのか──そこでたとえば大林版の『時をかける少女』も無意識下に刻みつけられているけど、それが主人公を閉じた世界に縛りつける役目を果たしているのが大林宣彦版『時をかける少女』なんですけど──今回のこの『君の名は。』は、似たようなエンディングに見えて、瀧くんは建築、都市開発的なそういう仕事に就こうと。しかも、就活があんま上手くいってないのにそこに固執してやろうとしているわけじゃないですか。つまり、ちゃんと起こった事態の深刻さっていうのから学び、成長し、大人になろうとしているっていう描写がある。

ちゃんと、カタカナじゃない「世界」に向き合おうとするっていう描写が最後にちゃんとあるため、閉じた成長否定……「成長するっていうのはよくないことで、大人になることはつまらない」とか、そういう閉じた結論にはギリ、なっていないっていう。このあたりもちなみに、巧みなチューニングだな! クソー、上手い!っていう(笑)。そうなんですよ。だから文句を言おうとしても、意外とそこはちゃんと意識してカバーされていたりするっていうあたりが上手いなという風に思ったりします。

あえて言えばですね、これは作画監督の安藤さんもインタビューでおっしゃられていて、全くその通りだと僕が思ったことなんですけど。三葉のおばあちゃん、いますね? 要するに、ある種災害を避けるためなのか? という特殊能力を代々受け継いできたのか? という、あのおばあちゃん。おばあちゃんの現在っていうのもラストに入っていれば完璧だったのに、って思うんですね。要は、おばあちゃん。最終的にね、ずっと受け継いできたものを失ってしまっているわけじゃないですか。そのおばあちゃんがいま、どう生きているのか? とかね。それって、それを入れることによってその物語とか人物たちの広がりというか厚みがグッと広がって。要するに、最後に過去からつながるおばあちゃんの現在っていうのを入れることで、セカイ系的な閉じた感じっていうのがさらになくなったっていうか。「ああ、完全にこれはもう大人の話にもなっている!」っていう風になったと思うので。これ、(実際の作品では)おばあちゃんが途中から、「おばあちゃんは意外と話を聞いてくれなかった」っていうだけでばったりいなくなっちゃうっていうか、ばっさり役目を終えてしまうのが、ちょっとストーリーの描写のバランスとしても上手くないと思うので。それが入っていれば、より完成度は高まったと思いますね。

あと、(さっきも言った)祠の中での瀧くんの独り言。あれは別に内面モノローグでいいでしょう? とかね。でも、それはすごく全体で言うと、「ああ、こうすればいいのにな」ってはっきりわかるわずかな部分で、全体のアニメとしての質は異常に高いと思っています。そのストーリーのめちゃくちゃさっていうのはもちろん大前提でね。ということで、プロデュースってすごいと感心させられまくったという部分でございます。日本型アニメの技術的、そして文脈的と言ってもいいですかね。それこそ、ここ10何年以上のセカイ系的な流れとかっていう。あるいは、キャラクターのデザインにある、いまのアニメの流れとか。そういう技術的、文脈的な流れのひとつの現状の到達点っていうのは本当、間違いない。アニメとしての質の高さはもう疑いようがないと思いますし。お話の部分も、穴があるのはもおう重々承知の上で、でもカバーするところはカバーして全体のポップ化という方向に、みんなが好きな要素みたいなものに振り切ったということで、狙いはもう200%達成しているわけだから。いやー、よくできてますよ、これは。

ということで僕自身はどっちかって言うと『葛城事件』的な世界に生きている感覚なので(笑)、いわゆるそんなにどっぷり浸かって感動っていうんじゃないけど、めちゃめちゃ感心はしました。ここまで受けるのは、もうわかるっていう感じだと思います。とにかく、好むにせよ、好まざるにせよ、絶対に一見の価値は……いま、この時代に生きていて、リアルタイムでこれはとりあえず見ておいた方が絶対にいい作品だと思います。その上でいろいろとああだこうだ言ってこそというかね。様々な見方があると思いますので。それの補助線に本日の評がなればと思っております。ぜひぜひ劇場でウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 〜 来週の課題映画は『SCOOP!』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

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