毎週土曜日「堀尾正明+PLUS!」内で08:15頃に放送している「人権トゥデイ」。様々な人権をめぐるホットな話題をお伝えしています。
今回のテーマは・・・「ハンセン病の療養所、多磨全生園を学ぶ講座が開かれる」
ハンセン病にかかった人は、20年前、1996年まで、法律によって、療養所に強制的に隔離され、
治っても、そのまま療養所で一生を終えていました。
法律が廃止され、2001年には
熊本地裁が「隔離を定めた法律は憲法違反だ」という判断を下し、政府や国会は謝罪しました。
また、ハンセン病にかかった被告の裁判を公開せずに、隔離した場所で行ったことが過去にはあり、
最高裁判所も今年になってやっと、謝罪しました。
ただ、現在も差別や偏見がなくなったとは言えず、社会復帰した人はわずかです。
全国の療養所にいるおよそ1500人の入所者の平均年齢は85歳で、
その体験を受け継ぐことが難しくなっています。
そんな中、9月24日に東京・東村山市で、
市内にある国立の療養所「「多磨全生園を学ぶ講座」が開かれました。
多磨全生園の入所者自治会と東村山市、NPO法人「東村山活き生きまちづくり」の主催で開かれたのですが、
渡部尚市長が初めに、入所者が行なっている、35万平米の敷地を「人権の森」として残す運動に触れました。
「悲しむべき歴史と、それでも人間の尊厳と人権を勝ち取る戦いを続けてきた入所者の生き様を後世に伝えるため、
東村山市も人権の森構想の推進にあたっています」と話し、この講座もその一環だということでした。
全生園にあるおよそ3万本の樹木は多摩地区に残る貴重な緑で、
ここで一生を終えることになっていた入所者一人一人がお金を出し合って植えた、
歴史や入所者の記憶を伝える森です。アニメ監督の宮崎駿氏もこの森でアニメの構想を練ることがあり、
「人権の森」構想にも賛同しています。
一方、NPO法人「東村山活き生きまちづくり」は、園内にお花畑を作ったり、コンサートを開くなどして、入所者と交流する活動を行っています。
講座は来年の1月まで、5回にわたって続くのですが、
あいさつにたった澤田泉理事長は「みなさんがいかにポジティブに活動していただけるか。
そんな思いでこの講座を実施します。5回の講座で楽しく時間を過ごせればという思いです。
そして、1月に終わったあと、逆に、みなさんが、ここに立って、ここに集まる方に何かを話す。
そうなればいいなあと思います」と参加者に呼びかけました。
全生園の歴史を語り継ぐボランティアの育成も急務なのです。
この日の参加者は24名。会場は、全生園に隣接する国立ハンセン病資料館でしたが、
「初めて入った」という参加者に話を聞くと、
ある女性は、「通勤の時に全生園のことを知り、そのころからずっと気になってました。
バスでこちらの前を通り過ぎていたんで、ご縁と言ったら変なんですけど、ひかれるものがあって」と話します。
また、民生委員をやっているという男性は、「民生委員の定年は75なので、やめなきゃなりません。
しかし、ボランティアを続けなければならないんです」と動機を語りました。
また、国立市から来たという女性は、
「親戚がそばに住んでいまして、全生園の存在は知ってました。
新座の教会に行くたびに正門の前を通るので、ここで生活しなければならなかった人の気持ちを知りたい、
その中で、生きる希望を持って生きてきたことに少しでも寄り添って考えたいと思って参加しました」と語りました。
この日は、資料館の学芸部長の黒尾和久さんがハンセン病や全生園の歴史、
園内に残る歴史的な建造物、史跡などについて説明しました。
また、会場には、戦前からの全生園の入所者で、「語り部」活動を続けている
89歳の平沢保治さんも顔を出し、
自身の体験からも「今もまだ、差別や偏見は無くなっていない」と参加者に訴えました。
主催者の一つ、入所者自治会は執行役員の藤田謹三さんがあいさつに立ち、
「負の遺産として、強制隔離政策の歴史、人権の大切さを学ぶ、語っていく場所として、
全生園のこの地をこのまま残したい。
負の遺産としてこれからも多くの人たちに語り継ぐ、そういう方向で活動しています。
この講座を通して、全生園の過去、現在、未来を学んで、全生園を語りついでいただきたいというのが、
私の願いです」と話しました。
歴史を忘れないためにも、実物が残ることは重要です。
例えば、原爆ドームのように、全国の療養所を「負の遺産」として残していくことが求められています。
そうしないと、また、人間は同じことをくり返してしまうかもしれません。