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放送中

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東京オリンピックは「感動の先物取引」だ

久米宏 ラジオなんですけど

TBSラジオで毎週土曜日、午後1時から放送している「久米宏 ラジオなんですけど」。
8月27日(土)放送のゲストコーナー「今週のスポットライト」では関西学院大学教授、社会学者の阿部潔さんをお迎えしました。

阿部潔さん

阿部さんは1964年生まれ。前回の東京オリンピックの年です。大会の様子は欧米に向けて衛星中継され、初めての「テレビオリンピック」と言われました。少年時代から阿部さんがメディアとスポーツが大好きになったのはそういう時代背景も関係しているのでしょう。阿部さんの研究テーマは、メディアと社会の関わり。特に近年はスポーツがメディアと結びついて世界的なイベントになっています。オリンピックやサッカーのワールドカップがその最たる例です。阿部さんは、スポーツがますます巨大イベント化する中で社会にどんな変化が起きているのか、そして、そこにどんな問題が潜んでいるのか、考察しています。

スタジオ風景

近年のオリンピック招致運動では、「レガシー(遺産)」という言葉がキーワードとしてよく使われています。大会開催にむけた都市開発やインフラ整備は、未来への遺産となるというのです。でもこれは、開催都市の人々を説得するための方便だと阿部さんは言います。わずか2週間ほどのイベントのためだけに膨大な税金を使うのはいかがなものか、安全対策ということで知らぬ間に監視体制が広がり日常生活に不便をきたすのはいやだ、そんな不満を封じ込めるために、「レガシー」「未来の子供たちに残す夢」といった言葉が使われているというのです。2020年東京招致の時に、東日本震災・福島第一原発事故からの復興という言葉が使われたのも同じ背景でしょう。

でも4年後の東京がどうなっているか、東北の被災地の復興がどうなっているか、それは誰にも分かりません。経済、地震、火山の噴火など何が起こるか分かりません。それなのに福島原発はアンダーコントロールだと言って東京にオリンピックを持ってきて、復興した日本を見てもらって世界中のみなさんに感動を与えると言うのは、「感動の先物取引」のようだと阿部さんは指摘します。確かに多くの人たちが感動するかもしれません。でもその感動にお金がいくらかかったかとか、その感動の裏でとんでもない儲けを手にする人がいるということは表に出てきません。「レガシー」とか「オールジャパン」という掛け声がそれを巧妙に隠しているのです。

スタジオ風景

こうしたことは本当は多くの人が気づいているはずです。でもリオデジャネイロオリンピックが終わり、さあ次は東京となったこれからは、「いろいろ問題や課題はあるけど、どうせやるならいいものにしよう」という声が大きくなってくるでしょう。真夏の東京でオリンピックを開催することに本当に大儀はあるのかと問いかける声はかき消され、やがて声に出すことさえできなくなることを阿部さんは不安に感じています。久米さんは「2020年の開会式の前の晩でも僕は反対だといい続けます。開会式当日も、今からでも遅くないんじゃないかっていい続けるつもりです」とアンチ東京オリンピック宣言。4年後の夏に、「あの時はまだああいうことを言うことができたなあ」というふうに懐かしむような世の中にはしたくないですね。

阿部潔さんのご感想

阿部潔さん

オリンピックは一見するといいことばかりのように映ってしまうので、それに反論するのは研究者でも政治家でも、どういう立場であれこれから難しくなる気がします。ですからこのタイミングで「反対」と言えることは非常に意味があると思います。今だったらみなさんに考えていただけるかもしれないけれど、これが1年後、2年後、2020年に近づいてくると誰も「反対」とは言えなくなっているかもしれません。

でもオリンピックも、いい意味で「たかがスポーツ」なんだという感覚が大事だと思います。

久米さんは僕らの世代にとって、テレビカルチャーのある種のアイコンだったので、そういう方とこういう話ができたことはとても嬉しいですね。それもラジオという媒体だったことが大きいと思います。これがテレビだったらこんな話はおそらくできないか、編集されてしまうでしょう。ラジオだからこそエッジの立った話ができる。そのパーソナリティだからこそ言える部分がある。久米さんがまさにそうです。そこがラジオの魅力です。

そしてラジオは聴いている方が久米さんに向けていろいろな考えをメールで語りかけてきます。テレビでツイッターの声を取り込んでやっている番組もありますが、あれは出演者と視聴者がインタラクティブ(対話型)のようでそうはなっていません。言うほうは言い放し、受け取るほうもただ紹介しているだけのことが多いです。それに対して、ラジオにメールやハガキや電話で語りかけてくる人は、自分の意見に対してパーソナリティから何かしらレスポンス(反応・返事)があることを覚悟しているので、責任を持って投げかけてきます。パーソナリティのほうもやはり責任を持ってきちんとレスポンスします。ですからお互いが緊張感を持っていますよね。この緊張感があってこそコミュニケーションは成り立つんです。ラジオに寄せられる声は一方的ではありますが、潜在的には久米さんと対話している。これはラジオでないとできないことです。今日のみなさんのメールを聞いていてそう思いました。

そういうラジオという媒体で話をする機会をいただけたことは、本当にありがたいことです。今日はどうもありがとうございました。

阿部さんの著書


阿部先生からの訂正

当日私が話した内容に関して、今更ながらですが「訂正」がございます。話の本筋には関わらないことだとは思いますが「正確を期す」ことがメディア/学問双方において大切だと思いますので、お知らせします。

久米さんからの話のふりで、1940年の「幻のオリンピック」と1964年の「戦後のオリンピック」の関連性について話題になった際、「1940年のチケット(入場券)が1964年大会でも有効だった」との旨の発言をしました。大変に申し訳ございませんが、それは端的に私の記憶違いでした。ここにお詫びして訂正します。  

ただ、この記憶違いには理由がありまして、同じく1940年に開催予定(結果的に「延期」)だった「万国博覧会」の前売り券は、戦後1970年の大阪万博開催の際に「有効」でした。この万博入場件をめぐる戦前/戦後の連続性と、オリンピックのそれとを混同していました。本当に申し訳ございませんでした。