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【映画評書き起こし】宇多丸、映画『インデペンデンス・デイ:リサージェンス』を語る!(2016.8.20放送)

ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル

インデペンデンス・デイ:リサージェンス

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「映画館では、今も新作映画が公開されている。
 一体、誰が映画を見張るのか?
 一体、誰が映画をウォッチするのか?
 映画ウォッチ超人、“シネマンディアス”宇多丸がいま立ち上がる――
 その名も、週刊映画時評ムービーウォッチメン!」

宇多丸:
今夜扱う映画は先週「ムービーガチャマシン」(ガチャガチャ)を回して当たったこの映画……『インデペンデンス・デイ: リサージェンス』!

(BGM: テーマ曲が流れる)

1996年に公開され、世界中で大ヒットを記録したSFパニック超大作『インデペンデンス・デイ』の20年ぶりの続編。エイリアンの侵略を生きのびた人類が再び地球に襲来するエイリアンに立ち向かう。監督は、前作も手がけたローランド・エメリッヒ。ビル・プルマン、ジェフ・ゴールドブラムら前作からのキャストに加え、リアム・ヘムズワースやマイカ・モンローら新鋭も参加しているということでございます。ということで、『インデペンデンス・デイ: リサージェンス』。非常に大作でございまして。公開から結構時間もたっておりますが、この映画をもう見たよというリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からのメールなどで監視報告(感想)を頂いております。ありがとうございます。メールの量は……普通。

まあでも、結構時間が経っている割には、っていうところもあるかもしれないですけどね。みなさまの感想は、予想はつきましたが、あまり芳しくないようで。ただしですね、「どこか憎めない」「一昔前のB級大作のようで懐かしい」など、呆れつつも憎めないという感想がちらほら。残りの大多数は「退屈」「ディザスターシーンすら平凡」「記憶から急速に消えた」など不評が並び、今年ぶっちぎりのワースト候補になっているということでございます。代表的なところをご紹介いたしましょう……。

(中略)

……ということでね、『インデペンデンス・デイ:リサージェンス』。私も行ってまいりました。2回、私も見てまいりましたが。「リサージェンス(再起・復活)」というね。ということで、『インデペンデンス・デイ』の20年ぶりの続編なんで、その話をしておこうと思います。もちろん当時、記録的な大ヒットでございました。ご存知、ドイツ人監督ローランド・エメリッヒ。『インデペンデンス・デイ』は内容が内容なんで、なんかいかにもアメリカ人が好きそうなアメリカ映画って思われるかもしれませんが、ドイツ人が作った映画という。ここもね、ひとつのポイントかもしれませんけどね。ヒットメーカーとしての名を世界的にした一作、『インデペンデンス・デイ(ID4)』だと思いますね。

1996年、ちょうど時期的にマイケル・ベイがのしてくる時期とも微妙に重なって、主に90年代後半から2000年代前半にかけてのハリウッド超大作のイメージ。要はデジタル技術の大進歩と比例して、著しくインフレ化していくスペクタクル映像と、それに伴ういろんな意味での大味化っていう、そういうイメージを決定づけた人というのは、言っていいんじゃないかと思います。もちろん、その大味さっていうのはマイケル・ベイとはまた違ったエメリッヒ印なんだけど、そのあたりは後ほど言うと思いますけどね。

とにかく、『インデペンデンス・デイ(ID4)』はまだミニチュア合成などのアナログ技術と、一部CGの組み合わせという感じだったんですね。時代的にね。で、リアルタイムではやっぱりね、全体としてバカ映画云々と言われるけど、まずはあの宇宙船の度を越したデカさが、やっぱりそこは新鮮でしたよ。「うわーっ! こんなデカい宇宙船をいままで映画では見たことがない! すげえ!」ってなりましたよね。お話自体はそれこそジョージ・パルの『宇宙戦争』とか、同じようなことをやっているわけですけど。とにかく、それまでのSF映画の、少なくとも画的なイマジネーションの常識をはるかに超える巨大さ。それと比例しての破壊規模、ディザスターの度合いという。これはやっぱり当時としては非常に常識はずれだったし、新鮮だった。

で、それが侵略宇宙人ものという、言っちゃえば手垢がついたような古典的題材に、当時としては「ああ、こんなやつら相手じゃあ絶対に敵わないじゃん!」っていう説得力を改めて与えていたっていうのは間違いないと思うんですよね。見ていて「ああ、これは敵わないじゃん」っていう感じがする。で、そこでいったん絶望的状況っていうのがそれなりに描かれていたからこそ、その反動としてまさにね、ウィル・スミス。つまり前年の1995年に、さっき言ったマイケル・ベイの映画監督デビュー作『バッドボーイズ』でイケイケアクションスターとしてブレイクしつつあったフレッシュ・プリンスことウィル・スミスが、たとえばそれだけ絶望的に敵いそうもないはずの宇宙人をぶん殴って気絶させるというですね、非常に有名なシーン。ちなみにそのぶん殴られた宇宙人が、実はバイオスーツっていうグチョグチョしたスーツを着ていたという設定も僕は新鮮に感じましたけどね。まあ、『エイリアン』っぽいっちゃあ『エイリアン』っぽい、ギーガーっぽいっちゃあギーガーっぽいデザインなんだけど。

で、こうぶん殴るっていう、言っちゃえば他のエメリッヒ作品とはちょっと若干トーンが違う気もする……どっちかって言うと、やっぱりマイケル・ベイっぽいマッチョな展開であるとか、あと、『インデペンデンス・デイ』と言えばまさにこの場面! というね、非常に勇ましい大統領の演説シーン。「Today is our Independence Day!」ってありますよね。ただしこれをやっているのがビル・プルマンっていうですね、どちらかと言えば完全に非マッチョ的なキャラクターであり俳優っていうか。まあ、俺様スター感がない、やや渋めな俳優っていう。こっちの方がむしろエメリッヒっぽいバランスなんだけど。とはいえ、言っていることは非常に勇ましいとかね。

まあとにかく、言っちゃえばバカっぽい……その後半からのマッチョな展開も含めたバカっぽい逆転劇も、やっぱり宇宙人のデカすぎる宇宙船っていう描写のフレッシュさ、ショックっていうのが一応それなりに当時は描けていたから、そのバカ展開もカタルシスが一応はある作品になっていた。だからこそ、あれだけ大ヒットしたっていうのは間違いないと思うんですよね。ちなみに、作劇としては完全に正反対なアプローチだけど、テーマ、お話構造として、『シン・ゴジラ』は『インデペンデンス・デイ』の日本的解釈っていうような見方もできるなと思いながら、『インデペンデンス・デイ』を見なおしたりなんかしてたりしましたけどね。要は、アメリカ人が「そんな、バカな!?」っていうぐらい叩きのめされて。大好きな核兵器を使っても敵わなくて。それが、アメリカ性をもって底力を見せるという話なわけですからね。

で、いま改めて振り返ってみると、ローランド・エメリッヒのヒット作というと大半がそういうようなSFディザスター大味超大作なわけですけど。『インデペンデンス・デイ』がまさにそうだったように、いまみたいにですね、つまりCG、CGIが完全に普及・進歩しきる手前。つまり、どんなすごいスケールの映像を見せられても、「どうせCGIでしょ?」って、少なくともそれ自体にはなかなか普通の観客も驚けなくなってしまった時代の手前ですよね。アナログ・デジタルへの移行期。さっき言ったように、一部はミニチュアとかそういうアナログ的な手法を使った特撮とCGを組み合わせることで、誰も見たことないようなものを作るという。それまでの技術では不可能だったがゆえに、誰もちゃんと、ショボくない画としては見たことがなかったような、とにかくデカい出来事。宇宙船がデカいとか、街全体になにか起こるディザスターがデカいとか。とにかく、「デカい」出来事を具現化してみせる。

で、みんなその時点では少なくとも画的には驚くし、「ああ、これは見たことがない。新鮮だ」と思う。そういう部分でウケてきたのがエメリッヒのディザスター映画だったと言えるためですね、その後、完全にデジタルに、いまみたいにCGIに移行して、「もうCGでなんでもできるんでしょ?」っていう時代(になってエメリッヒ映画はどうなっていったかと言うと……)。起こる事態の数といい、規模といい、間違いなくエメリッヒ映画史上最もデカい……まあ、ある意味全部入っている幕の内弁当『2012』。この番組ではシネマハスラー時代の2009年11月28日に扱いましたけど。この『2012』自体はこれ、世界的にもきっちりヒットしたんだけど、とにかく『2012』っていうあの映画で、要するに地球のコアがぐじょんぐじょんになっちゃって、とにかく地表がぐじょんぐじょんになっちゃうっていう、これ以上のディザスターは考えづらいっていうディザスター映画なんだけど。あそこからはじめて、完全デジタルに移行したわけですよ、エメリッヒは。

で、そうなるとですね、もう『2012』を作りだす前から、実は「もうディザスター映画はやりたくない」って言って渋るのを(プロデューサーの)ハロルド・クローサーさん。音楽もやるし、脚本も書くし、制作もやるっていうハロルド・クローサーさんが口説いて『2012』をやらせたというぐらいで、正直この『2012』以降はですね、要はさっき言ったような理由から、前と同じような作りのエメリッヒ映画がウケる時代ではだんだんなくなってきているっていうのもたしかだったと思うんですよ。だからこそ、それをエメリッヒもなんとなくわかっているからでしょうけど、『2012』。2009年の映画と言いましたけど、エメリッヒは少なくとも「デカさで勝負!」みたいな映画、そういう一線からはいったん離れて、なんなら、「俺は別にみんなが思っているような超大作だけどバカ映画みたいなの専門監督じゃないから!」的なそういう意地っぽいところまで見せようともしていたという時期が、実は2009年からここに至る間に起こったこと。ここが非常に重要だと思っていて。

たしかにですね、『2012』評の時も言いましたけど、その前もね、2000年の『パトリオット』。これこそ本当にマジでアメリカ独立戦争物の『パトリオット』とかは、まあ普通に悪くない映画なんですよ。まあ、メル・ギブ力とかジョン・ウィリアムズ力とかいろいろあるんだけど、普通に悪くない映画だったし。だからやればできる子だっていうのはたしかにあるかな、と思う。たとえばですね、2011年。日本では2012年の暮れに公開になりましたけど『もうひとりのシェイクスピア』。原題は『Anonymous(匿名)』っていう。要は、シェイクスピア別人説っていうのがずーっとまことしやかに語られてるのがあって。エメリッヒさんは『2012』という巨大なディザスタームービーでも一瞬、ルーブルを舞台にした『ダ・ヴィンチ・コード』っぽい展開を一瞬だけ入れたりとかしていたんで。そういう歴史ミステリーっぽいことには興味があったんだとは思うんですよ。

で、そのシェイクスピア別人説。しかもこの『もうひとりのシェイクスピア』っていう映画、実際に僕、今回このタイミングではじめてちゃんと見てみたんだけど……わざわざ入れ子構造的な、要するに劇中劇から本格的に話が始まって、最後また実は最初の現代の劇をやっている舞台上に戻るみたいな入れ子構造を、わざわざそういう複雑な作りにしていたりして。まあ明らかに、なんならもう、「ちゃんと作家として評価されたい!」っていう気持ちが強く出た意欲作なのは間違いないんですよ。「『アマデウス』とかそういう感じで評価してくんないかな?」みたいな気持ちがもうビンビンに感じられる意欲作なのは間違いない。

とはいえ、でもやはりですね、たとえばそこで「評論家みんな大絶賛!」的な厚みとか深みにはやっぱり欠けている。やっぱりどこか、たとえば人物の描き方は型通り……ちょっと薄っぺらじゃないかな?っていうところがあったりとか。かと言って、この『もうひとりのシェイクスピア』は万人向け娯楽作としてはちょっとわかりやすいカタルシスに欠けるところもあって。うーん、なんかどの方向にもウケない作品にもなっちゃって……っていうことですね。なので、ちょっと興行的には失敗してしまった。で、続く2013年『ホワイトハウス・ダウン』。これ、同時期の『エンド・オブ・ホワイトハウス』っていう、丸かぶりの題材があったんですけど。こちらももちろんアクション映画なんだけど、僕ははっきり言って『ホワイトハウス・ダウン』派なんですよ。ええ。

で、まあ要はぶっちゃけ、1988年の『ダイ・ハード』一作目のまんまコピーな作品ではあるんだけど、ある意味その割り切りがすごくいい方向に出ているし。それこそ、エメリッヒのさ、なにかっていうと細か〜いところで盛り上げようとする癖みたいなのが、『ダイ・ハード』型の限定空間でのテロリストとの駆け引き劇みたいなのに合っていたのかもしれないっていうことで。僕ね、『ホワイトハウス・ダウン』は全然嫌いじゃない。結構面白かったです。でもこれも、なぜか『エンド・オブ・ホワイトハウス』は大ヒットしたのに、こっちはコケてしまったっていうことがあったりとか。

で、決定打となるのはその次なんですね。これですね、みなさんにお詫びをしなきゃいけないのは、不勉強にも僕、全然知らなかったし、それこそね、パンフレットとか日本の公式資料にも全く載っていない作品。で、『映画秘宝』のキシオカタカシさんの記事で僕、はじめて知った始末で。なので、ちょっとソフトを取り寄せて見るみたいなのが間に合わずですね、ちょっとこれ、エメリッヒの作家性を云々するんだったら絶対にマストな一本であるはずなのに見れていない。この重要な一作が。なので、ちょっとこれは本当に申し訳ないんですが、とにかく『ホワイトハウス・ダウン』の後、今回の『リサージェンス』の前の一作。『リサージェンス』の前作が1個あるんです。『ストーンウォール』っていう2015年の作品。

これ、ストーンウォールの反乱っていう、エメリッヒ自身ゲイをカミングアウトして久しいわけですけども、1969年にニューヨークで実際に起こった暴動。そしてゲイ解放運動が高まるきっかけとなったというストーンウォールの反乱という実際の事件。それの映画化なわけですよ。で、エメリッヒは自らゲイとして意識高い系というかですね、制作費を負担するとか、本当に渾身の一作だったはずなんですよね。で、本当に未見で僕、申し訳ないんで。前述のキシオカタカシさんの記事によればですね、非常に意欲作だったんだけど……キシオカさんの記事を引用しますと、「マイノリティの姿をとらえ、多様性を描くべき物語の主役を架空の白人青年にしたことで、全方位から叩かれた」という。

つまり、ここでもやっぱりエメリッヒの癖で、「まあ、(史実はどうあれ、映画というのは)こういうもんなんで。主役っていうのは、だいたいこういうもんでしょ?」みたいな。そういう(エメリッヒ作品ではおなじみの)事務処理感みたいなのが裏目に出たみたいな感じがあると思います。あまりの評価の低さゆえか、日本未公開、ソフト未発売どころかフィルモモグラフィからも抹消されるほどの黒歴史扱いになっている、少なくとも日本では、っていうことですよね。ということで、『2012』以降の今回の『リサージェンス』までのエメリッヒのキャリアをちょっと細かく振り返ってきたのは、要は『リサージェンス』の手前まででもう、エメリッヒは進退窮まっているってことなんですよ。もう前にも進めない、後ろにも進めないっていう状態になっちゃっていたはずだってことです。キャリア的に。

それゆえ、エメリッヒはね、インタビューとかで「俺、続編とか嫌いなんだよね」って公言しているような人なんですよ。そういう人が『インデペンデンス・デイ(ID4)』の続編なんていう、はっきり言っちゃいますけど、「正直いま、誰が見たいかそれ?」っていう企画に乗ってしまったっていうことじゃないでしょうかね。乗るしかなかったっていうことなんじゃないでしょうかね。で、さっきも言ったようにですね、これまでのエメリッヒのディザスター映画っていうのは『インデペンデンス・デイ』を含め、とにかくさっきから言っているように「それまでの画的な常識を超えたデカさ」、この1点で勝負してきたわけですよ。とにかく起こる事態とか出てくるものとかのデカさっていうところで勝負してきた。

で、今回の『リサージェンス』。続編ですよ。律儀にもというべきか、いや、それ以外に思いつかなかったということなんでしょうけど。ジェフ・ゴールドブラムがね、前作に引き続き演じているデイビッド・レヴィンソンというキャラクターのセリフそのままです……「こいつは明らかに前のよりデカいぞ!」。もうこの一点張りなわけですよ。今回の『リサージェンス』も。たしかに宇宙船、前のもね、都市まるごとすっぽり影になっちゃうぐらいデカかったけど、今度はそれよりデカいっていうことで、今度は大陸ごとすっぽり! もう地球の1/3ぐらいは覆っちゃうぐらいデカい〜!っていう。そりゃたしかにびっくりするぐらいデカいですど。設定としちゃあ、わかるよ。でも、さっき言ったようにCGI全面の時代になると、もうそこ自体では驚けないっていうことになっている。想像できる範囲のことはなんであれ、画にできる。むしろ我々一般観客の方が「なんでもCGに簡単にできちゃうんでしょ?」ってちょっと甘く見ちゃっているぐらいで。そういう時代なわけですよ。

しかもですね、エメリッヒ自身、CGを使ってできるやりたい放題のディザスターシーンっていうのは『2012』という作品でもうマックスやっちゃっているわけですよ。なので、たとえば今回ね、地球の1/3を覆うぐらい巨大な宇宙船。それがバーッ!って重力を操ると。前回も重力を操るの、出てきましたけど。アジアで吸い上げた建物。たとえばブルジュ・タワーとかをヨーロッパに落っことすっていう設定らしいんですけど。とにかくその、正直画面を見ていても全てがグッチャンバッチャン、グッチャンバッチャン、グッチャンバッチャンで、インフレしすぎててもうなんだかよくわからない。僕、パンフを読んではじめてそういうことなんだって……吸い上げて別の場所に落とすってはじめてわかったぐらいだし。

少なくとも、そのリアルな怖さを感じる規模感をもう超えすぎちゃっているじゃないですか。もう地球の1/3を覆うっていうのは。で、超えすぎちゃっているから、グッチャンバッチャン、グッチャンバッチャンでなんだか俺らが実感できない大きさの事態の真ん中を主人公たちが……これ、エメリッヒ作品の盛り上げどころでかならずやるお約束的演出なんですけど……「ンナ〜〜〜〜〜〜ッッ!!!!」みたいなことを言いながらグッチャンバッチャンの最中を切り抜けていく。で、そうしようが何しようが、起こっている事態のデカさに対して意外と淡々としているところがエメリッヒ映画で、「ンナ〜〜〜〜〜〜ッッ!!!!」ってやっても、うん、通り抜けたねはいどーもー、みたいな感じになっちゃう。

まあ、そのね、ディザスターシーン、今回ある重要なキャラクターが救助されそこなって、まさしく目の前でそのまま落ちていってしまうあるショットがあって。ここだけはね、その淡々とした距離感がむしろショッキングさにつながっていて。これはCG時代ならではのいいショットだったなと思ったりしましたけど。あとですね、本作、設定上前作から20年、物語内で経っていて、宇宙人のテクノロジーを使って武器とか乗り物とか、現実の2016年のいまとは比較にならない進歩を人類が見せているという設定ゆえに、前作の『インデペンデンス・デイ』の痛快さはやっぱり「どう考えても絶対的な力の差があって勝てなさそう」っていうその絶望感を人間的な知恵とかガッツで打ち破る、そういうカタルシスがあったわけじゃないですか。でも今回、それは生まれようがないわけですよ。

つまり、使っているテクノロジーがもう宇宙人のものだから。むしろ、「なんだかんだでそれ、敵さんから盗んだテクノロジーじゃん!」っていうのを拭えなくて。たとえばこれね、敵さんからもらったテクノロジーで進化しているんだけど、いざもう1回敵さん(宇宙人)がやってきたら、それが無力化されちゃって。最新であるはずの武器が全く使えない。「じゃあ、やっぱり俺たちはアナログだ!」でアナログ展開で戦うとか。そういうこと、いくらでもできたはずなのに、そういう工夫もしていないし……とかね。あと前作のね、宇宙人に対する最大のハードルだった、要するにバリア。バリアを張られて、そのバリアをいかにして消すか?っていうのが最大のハードルだったわけだけど、今回はなんと、バリアね。いいですか、みなさん。力押しで破れる!っていうね。いっぱい撃ったら破れたっていうそういう描写になっちゃっていて。「えっ?」っていうね、ところがありましたよね。

その一方で、たとえばガラス越しに、宇宙人に精神を乗っ取られたキャラクターが宇宙人のあれ(言葉)を言うという。で、スモークの中からドーン! とこう、ガラスに押し付けられるっていうショット。もう前作の『インデペンデンス・デイ』の左右を入れ替えただけみたいな。「やる気あんのか?」みたいなセルフオマージュっぷりだったりとかね。まあ、相変わらずエメリッヒの大好きな『未知との遭遇』オマージュがあちこちにあったりとか、とにかくどっかで見たような画やシチュエーションが、事務的なまでの淡々としたテンションで散りばめられている。いま言ったこの「ほとんど事務的なまでの淡々としたテンションで、取ってつけたようにお約束事を配する」。まあこれ、「エメリッヒ印」って私が『2012』評で言った通りですけど。今回、さっき言ったようにスペクタクルとしての楽しさ、面白さは必然的にほぼ半減してしまっているため、よりそこだけがわかりやすく、エメリッヒ史上最大級に浮き上がってしまっているという。

キャラクターの類型感は前作だって充分にそういうところがあったのに、もう本当に記号的な領域に入っている。たとえば、「型破りな主人公ヒーロー男」っていう型通り感とかね。もう何億回こういうキャラクターを見たんだろう?っていう。で、唯一思い入れを持って描かれるのは、前作にも登場したオーキン博士。で、オーキン博士と、彼を世話する医師とに明らかなゲイ的なカップル関係。ここはまあ、思い入れがあるのかなと。主人公もあのマイカ・モンローのヒロインより、明らかに男同士のホモソーシャルなつながりの方に厚みを持たせている。まあそれはエメリッヒらしさなんでしょうけど。まあ、何にしろはっきりしているのは、彼らの薄〜い人間ドラマは人類、地球の存亡という本筋とは何の関係もなく、付け足されているだけという。これはまさに『シン・ゴジラ』の正反対っていうね、作劇になっているわけですね。

ということで、結論はそりゃあね、「なんで続編なんか作ったんだよ! マジでつまんねえ!」でまあ終わりでいいんですけど。ただ、これさっきのメールとも僕、ちょっと近い考えを持っていて。今回の、さっき言ったようなエメリッヒ印。ほとんど事務的、無神経なまでの淡々としたテンションで、「ま、こういうもんなんで……」って文字通りに取ってつけたようにお約束的な設定とかキャラクターとか見せ場を配してみせるというこのエメリッヒ印が、今回の『リサージェンス』のクライマックスでは、そのスペクタクル的に盛り上げる限界をもうエメリッヒ自身はわかっているからなのか知らないけど……とにかく加速度的に、お約束的に配される事務的見せ場みたいなのがドライブ、エスカレートしていって正直、ちょっと僕楽しくなってきちゃった。そういう領域になりました。それは認めざるをえないということでございます。

たとえばね、まず主人公たちのメインストーリー。宇宙人と対峙してというその件とは別に、ジェフ・ゴールドブラムのお父さん。前作にも出ていたジャド・ハーシュ演じる79才のお父さんが逃げる途中でたまたま出会った子供たちと車で旅していくというメインストーリーとは別のサブストーリーがあるんだけど。こっちの話、まずメインストーリーと何の関係もないですね。あとでクライマックスでジェフ・ゴールドブラムと合流させるという以外の意味も機能も全くないストーリーが、ずーっとこっちで続いているわけです。で、合流する時も、その彼らがスクールバスに乗っているわけですけど。クライマックスね、要するに人類の存亡をかけた一世一代の作戦が進行しているその場所に、スクールバスがバーッとやってくるっていうね。「なんでだよ!」っていう(笑)。

で、ちょうどそのタイミングで通りかかっちゃうという事務処理的なたまたま感でやるんだけど。まあ、それはいいとして。でね、いろいろあって敵のクイーンエイリアン(笑)。エイリアンクイーンが……まあ、そういうのが出てくるんですよ。もうね。女王エイリアンがいろいろあって見事に罠にはまって、宇宙船がドカーン! 爆破して、やつだけヨロヨロと表に出てきました。するとですね、この女王エイリアン、そこにスクールバスがいる。そのスクールバスがズームでグッ!ってアップになって。「あっ!」ってなって。やおら、このクイーンエイリアン、なにを思ったか猛然とそのスクールバスを追いかけだすんですよ。子供たちが乗っているスクールバスをパカランパカランパカランと追いかける。「なんで?」

理由は、全く後からも何の説明もないんですよ。昔さ、仮面ライダーのショッカーがね、世界征服を目指しているはずなのに近所の子供をいじめてばかりっていう突っ込みが一時期流行りましたけど、完全にそれなんですよ。宇宙を、地球を、人類を滅ぼそうとしているやつが、目の前のスクールバスのガキを急にこうやってパカランパカランってやりだす。何の理由もなく。で、一方こっちのスクールバス側はっていうと、「あっ! エイリアンと目が合った。こっちに来る、ヤバい! 逃げろ〜!」ってやるわけじゃないですか。はい! ここで出ました。エメリッヒ印。ここで「(ブーン!)逃げろ〜!」っていう時に、「待って、犬が〜! 犬が、まだ〜!!」(笑)。いま盛り上げるにしても、そこ!? みたいなことをやるわけです。しかもこの後でもう1回、エンジンがかかる、かからないショットみたいなのを入れた時、僕もう死にかけましたもん。頭がクラッてなってね。

ということで、わざわざ狙われやすい平地に出てきた女王がいろいろなって……というね。なんでスクールバスを追いかけたの? という展開がこの後に続いていくわけですけど。で、とにかくね、このクライマックスを含め、ごくごく限られた場所と人数の話でしか今回は実はなくなっちゃっているため、宇宙船のデカさに反して異常にスケールの小さい話にしか見えなくなっちゃった。世界中の人も応援してるよ!っていう取ってつけた度も前作の比ではないという感じになっていると思います。しかも、宇宙人もこの地球の1/3を覆っているあれなんで、これを倒して落としちゃったら地球、壊れちゃうじゃないですか。「どうするのかな?」って思ったらね……引き上げてくれたっていうね。「お疲れ様で〜す!」みたいな感じになっているということでございますね(笑)。

はい。『シン・ゴジラ』と比較してもね、非常に面白い。でもぶっちゃけ、そのエメリッヒの作品の特徴をわかって見れば、エメリッヒ史上最大級笑えるクライマックスの怒涛のつるべ撃ちが待っているので。僕は結構楽しめました。ぜひ劇場でご覧ください!

(ガチャ回しパート中略 〜 来週の課題映画は『ゴーストバスターズ』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

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