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放送中

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キュレーター志望が華麗なる転身?! 全国でただ一人の女性銭湯ペンキ絵師

久米宏 ラジオなんですけど

TBSラジオで毎週土曜日、午後1時から放送している「久米宏 ラジオなんですけど」。
8月6日(土)放送のゲストコーナー「今週のスポットライト」では、女性銭湯ペンキ絵師・田中みずきさんをお迎えしました。銭湯のペンキ絵師は今や全国にたった3人、その中で女性は田中さんだけ。つまり全国でただ一人の女性銭湯ペンキ絵師なのです。お仕事柄、職人さんのように威勢のいい方と思いきや、まったくその反対で、まるで美術館の案内役のようなおちついた話し方の方。そう、本当なら美術館にいてもおかしくなかったのです。

田中みずきさん

田中さんは大学で美術史を専攻。美術史を学ぶ方は学芸員の道を考えるケースが多く、田中さんも当初はそうでした。それがどうして銭湯ペンキ絵師になったのか? 卒業論文のテーマを考える時期を迎えた田中さんは好きな現代美術家である福田美蘭(ふくだ・みらん)さんや束芋(たばいも)さんが銭湯を題材にした作品を発表していたので、自分も銭湯に行けば何か見つかるかもしれないと思い、人生で初めて銭湯に行きました。21歳の時のことです。そしてそこで目にした銭湯絵の迫力に驚き、まるで自分が絵の中に入り込んでしまったような不思議な感覚におそわれます。「こんな身近にこんなすごい美術があったのか!」。学芸員志望だった田中さんの人生が大きく変わり始めた瞬間でした。

当時(2003年)すでに全国で銭湯絵師は早川利光さん、丸山清人さん、中島盛夫さんの3人だけ。後継者もなく、このままでは50年後には技術も銭湯のペンキ絵自体もなくなってしまう。それなら自分がやろう―。田中さんは中島絵師のもとで見習いを始め、現場を手伝うようになります。まだ在学中で卒論を書いている最中の22歳でした。その後、大学を卒業し、大学院に進んでからも見習いを続け、大学院を出てからは一時、出版社に勤めたりアルバイトをしたりしながらペンキ絵を続け、9年間の修業を経た2013年、30歳で独立しました。その間、早川絵師が2009年に亡くなり、銭湯のペンキ絵師は、田中さんを含めて、やはり今も全国に3人だけなのです。

久米宏さん

ところで、東京や関東の人には銭湯のペンキ絵はおなじみですが、実は地方の銭湯には絵がないところがほとんどなんです。ではどうして東京の銭湯には富士山の絵が描かれるのでしょうか? 東京には昔から富士山を愛でて楽しむ文化が定着していたことが関係しているのではないかと田中さんは言います。江戸には「富士講」と呼ばれる富士山信仰があり、「お富士さん」という富士塚も作られました。明治になってからは、中に360°風景画が描かれた小屋の中に入って各地の名所を疑似体験する「パノラマ」と呼ばれた常設興行館が大流行し、そこには富士山が描かれました。また、富士山の巨大な木造模型の見世物や、富士山型の見晴らし台も大人気になったという記録が残っています。そうした中で、銭湯の富士山絵も広まったのかもしれません。

銭湯のペンキ絵は銭湯の休業日、一日だけで完成させなければならないので、いかに効率よく作業を進めるかが重要になってきます。現場の銭湯には早朝から出向き、まず壁面に足場を組むところから始めます。その作業が1時間半から2時間ほど。絵を描くのは7~8時間。前に描かれたペンキがはがれてささくれ立っていたらきれいにして、小さな穴などがあれば補修することもあります。銭湯によっていろいろですが、壁はだいたい横幅が男湯・女湯合わせて10mぐらい、高さは5~6m。使うペンキは赤、青、黄、白の4色だけ。現場に何色もペンキ缶を持っていくのは大変なので、4色を使ってすべての色を作るのです。ひとつの現場で使うペンキの量は全部で一斗缶、1~2個ぐらい。あまり塗り重ねすぎると液が垂れてきてしまうので、意外と使わないんです。時間のロスをできるだけなくすために、古くなった絵の上から直接、新しい絵を描いていきます。下絵はほとんど描かず、簡単なアタリ(目印)だけつけてどんどん描き進めます。田中さんの師匠・中島盛夫絵師は描くスピードがとても速く、1秒ごとにどんどん絵が変わっていって、その作業を見るのがとても楽しかったそうです。最終的に全ての作業が終わるのは夜の7時ぐらい。ほとんど一日仕事です。

スタジオ風景

ペンキ絵の仕事は想像以上に重労働で、しかも銭湯は休業日でも浴場はとても暑いため体力の消耗が激しいそうです。身体の細い田中さんは、甘いものを補給して体力を維持しながら作業しているそうです。それでもやはり女性一人では大変なお仕事。なので現場には、便利屋のお仕事をなさっているご主人が同行して、足場を組む作業などを手伝っているんです。心強いパートナーがいていいですね。

田中さんは最近、大田区の銭湯にゴジラの新作映画の一場面を描いて、大変な評判になっています。また、愛媛県にある1915年(大正4年)創業の銭湯「大正湯」再開応援イベントに協力したり、東京の銭湯に、かつてのようなペンキ絵広告を復活させる活動も始めたりと、ペンキ絵だけでなく、銭湯とそのまわりの地域を盛り上げることにも力を注いでいます。

シン・ゴジラ

田中さんは以前から、どうして人は絵を見るのか、人が美術を見るというのはどういうことなのか、といったことに興味がありました。美術というとどうしてもかしこまって観賞しようとしてしまいますが、もっと身近な生活の中で見世物のようにわいわい言いながら美術を楽しむ場面もあっていいはず、と。田中さんが描くペンキ絵にはそんな魅力が感じられます。

田中みずきさんのご感想

田中みずきさん

久米さんが、昔の銭湯には広告がたくさんあったとか、銭湯の思い出を話してくださったのが、とても嬉しく思いました。

テレビで拝見していた久米さんの、あの饒舌なリズム感のあるテンポで、こちらがお答えしやすい質問をしてくださるので、すごいなあと思ったり。本当にテレビのままの方だなあと思いました。ありがとうございました。