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【映画評書き起こし】宇多丸、映画『葛城事件』を語る(2016.7.30放送)

ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル
「映画館では、今も新作映画が公開されている。
 一体、誰が映画を見張るのか?
 一体、誰が映画をウォッチするのか?
 映画ウォッチ超人、“シネマンディアス”宇多丸がいま立ち上がる――
 その名も、週刊映画時評ムービーウォッチメン!」

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宇多丸、映画『葛城事件』を語る! by「週刊映画時評ムービーウォッチメン」(2016.7.30放送)

宇多丸:
今夜扱う映画は、先週、『TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ』が1回当たったんですが、どうしてもやりたいということで、自腹で1万円払って「ムービーガチャマシン」(ガチャガチャ)を2回まわして当たったこの映画……『葛城事件』!

(BGM: テーマ曲が流れる)

劇作家でもある赤堀雅秋監督が、『その夜の侍』に続き自身の舞台を実写映画化。無差別殺人事件を起こした青年とその家族、そして青年と獄中結婚した女性らが繰り広げる壮絶な人間模様を描く。主演は三浦友和、南果歩、新井浩文、若葉竜也、田中麗奈らということでございます。『葛城事件』、ちなみに結構無理くりね、「もう終わっちゃう間際だから」って1万円払ってやらせていただいてたんですけど、実は8月6日(土)から渋谷アップリンクで上映決定ということで。これは朗報ですね。都内でも改めて見ることができるようになってきた、ということでございます。

ということで、この映画を見たよというリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)、メールでいただいております。『葛城事件』、メールの量は普通よりちょっと多めかなという。でも、公開から結構時間もたってはいますが、現状では公開館数が非常に少ない。それから回数も非常に少ない中でいただいているということで、これはかなり多めというかですね、思ったより多めにいただいているということでよろしいんじゃないでしょうか。そして、9割以上の方が高評価。圧倒的支持率。が、「見終わった後もずっと引きずっている」「もう二度と見たくない」「この映画、嫌い(いい意味で)」という声が多数。それぐらい強烈な印象を残していると言えそう。また、「食べ物の視点からフィクションを読み解く、福田里香先生のフード理論の観点から見てもよくできている」との声も多かったということでございます。代表的なところをご紹介いたしましょう。

(メール紹介〜中略)

はい。ということで『葛城事件』、私も当然これだけ執着しているぐらいですから、ガチャが当たる前にも、後にも、バルト9で計3回も見てしまいました。3回も見たくはなかった、というのが正直なところでございます(笑)。最初に見た時は、先々週だったんですけど、入りはまあまあっていうところだったけど。途中で思わずっていう感じで笑いが漏れる瞬間が1回あって。そこは、やっぱりこの作品の見方に相応しい雰囲気だったと思いますけども。まあ、実際にこういう事件(2016年7月27日未明に発生した相模原障害者施設殺傷事件)が起こる前っていうのもありましたけども。あの、「お前はどこの新興宗教だ!?」っていう突っ込みに、「そりゃそうだ」っていう感じでみんな笑っていたのがいい感じでしたけど。

ということで、さっきも言ったようにですね、わざわざ1万円出したというのは、要はこのコーナーでつくづく、今年の日本映画は当たり年だなと。それも結構バイオレント系で当たり年だなというこの一連の流れを語るのに、これ抜きっていうのはないだろう、あり得ないだろうという風に私自身思いまして、ちょっと強引にやってみたということですね。もう1回ガチャしたら当たってくれたということですけども。で、そしたらですね、まあよりによってというか今週、みなさんがご存知の通り、相模原で本当にとんでもない、もう最低最悪の事件が起こってしまってですね。

で、本作は通り魔殺人事件の加害者家族を描いているので、しかも、具体的に無差別殺人を起こす非常にショッキングなシーンもありますので、まあ、このタイミングでこのコーナーをそのままやるのは大丈夫か? みたいな懸念をされた方はいらっしゃったかもしれません。まあ実際にネットでもそんな意見を拝見したんですけども。もちろん、もちろんですが、作品を差し替えることなどはせず、予定通り本作を時評させていただきます。むしろやはり、現実にこういう最悪の事態が起こりうるということがあるからこそ、このような作品が作られ、また見られる意義もあるのだという風に僕は思いますので。まさに、(RHYMESTERの)『そしてまた歌い出す』ではないですけど。だからこそ、本当にいま見てほしいという作品でございます。

ただしですね、これは僕がこの『葛城事件』という作品をここまで取り上げたがる理由そのものでもあるんですけど、たしかにこの作品ですね、非常に居心地が悪いというか、上映時間120分中ですね、もう本当に不快です。本当にひたすら不快です。そういう意図で作られている映画です。それ自体は本当に日常的な、少なくともよくある光景であるはずのシーンがほとんどなんです。はっきり言って。異常な事態が起こるのは、無差別殺人シーンだけなんです。本当に見るからに異常なことが起こるのは。なんだけど、その全てが胃がちぎれそうないたたまれなさ、緊張感に満ちているという話ですね。

で、僕は見ている間ずっと頭に浮かんでいたフレーズがあって。それは、「地獄はそこにある」っていうことですね。「地獄はこの世にあるんだ」っていうことですね。実際に予告編でもね、「家族という地獄」っていうコピーがドーン!って出てきたりするんですけど。はっきり言って、まさに「生き地獄」っていう言葉がありますけど、そういうことですね。これに比べれば、『TOO YOUNG TO DIE!』で描かれる地獄はたぶん超楽しい天国だと思うんですよね。まあ、作品の方向が違うんだけど。実際に僕、見終わった後に本当に具合が悪くなっちゃったというか、ちょっと精神状態が不安定になっちゃったぐらいでした。

で、なんでそんなにキツいかって言えば、それがまさによくいる人、よくある光景の積み重ねに他ならないからですね。よくある光景なんだけど。だからこそなんですね。地続きに見えるからこそ。途中ね、南果歩さん演じる葛城家のお母さんが、もうすさまじい表情で、「なんで、こうまで来ちゃったんだろう」っていうことを言う(※宇多丸註:ここ、実際のセリフとしては『なんで、ここまで来ちゃったんだろう』なのかもしれませんが、僕には『こうまで』と聞こえたので、とりあえずここではそう言っております)。まさにこれ、この絶望こそが本作のテーマ。ちょっとした、1個1個は見過ごすかな? というような歪みが、長年積み重なって。でも、その歪みがどんどん大きくなっているのも見なかったことにした結果、なにかとんでもないことが起こってしまうという話なんですね。

しかもそれ、絶望的なダメさ。それぞれのキャラクターが抱えたその絶望的なダメさっていうのは、どこかで我々も共有しているものだと。僕は見ていてやっぱり、「ああ、この人物、ダメだな! 嫌だな、こういうの、嫌だな。でも、俺もこういうところちょっとあるかも……」っていうのは、やっぱりあるわけですよ。なので、どうしても人ごととは思えないということですね。要はね、さっきの南果歩さんの「なんで、こうまで来ちゃったんだろう」という。気づけば、自分の人生なんでこんなところまで来ちゃったんだろうっていう、まあネガティブなこととポジティブなこと両方あるかもしれないけど。気づけばこんなところまで来ちゃっているって、結構大なり小なり誰でも自分の人生に関して、ある時にフッと思うことじゃないですか。なんか。

特に、家族とか夫婦であるとか、なんでもいいですけど。そういうのって日々の積み重ねがあることだから。普段は意識しないんだけど、「あれっ? なんでここの関係ってこんなことになっていっちゃったんだろう? いつからだっけ?」ってこんなの、誰にでもあると思うんですよね。なので、この映画は無差別殺人という最悪の事態が起きてからと、起こるまでっていうのを交互に見せていく構成なわけですけども、見ている間中、ずっと我々観客はですね、「いったいどこで間違えたんだ? どこでなら引き返せた? どこでなら何とかできたんだ?」っていうことをずーっと考え続けざるを得ない。そして、これこそが本作の誠実さと言ってもいいと思いますけども、もちろんそこに、明白な答えは出さない。わかりやすい因果応報に落としこんだりはしない、というのがこの作品ですね。

もちろん、これは本作を見た誰もが圧倒されること間違いなしの、三浦友和さん演じる葛城家のお父さん。まさにもう、「ザ・団塊の世代」って感じの、ウザ〜いオヤジイズムがですね、この家族のネジを少しずつ少しずつ狂わせていった元凶だっていうのは明らかで、そういう描き方はしているわけですよ。で、実際にこのお父さんと通り魔事件を起こしてしまう次男っていうのはお互いに憎み合っているというか、いちばん嫌い合っているんだけど、同時に2人の言動の方向性ってすげー似ているんですよね。「お前ら、似てるよ」って。あと、言動だけじゃなくてたとえば、家族も飲むものだろうに、パックから牛乳を直接飲むあの無神経さとか。「おいおい、うつってんぞ、それ次男に。お前から!」っていうことですよね。

で、彼が元凶だっていうのは明らかで。その意味で、この葛城家の描写で父親抜きの家族っていうのが一瞬立ち上るとき。そこだけ一瞬和やかになる、「最後の晩餐」シーンがあって。これは本作でほぼ唯一、あえて言えばここで引き返せたかもしれないというシーン。「ああ、こういう瞬間もあったんだ」っていうポイントなわけだけど……でも、そこでやっぱりね、それでもやっぱりどうしてもお父さんに逆らえない長男っていうのがいて……というようなことになっていく。でもとにかく、じゃあお父さんが一応、その原因ではある。なんだけど、そのザ・団塊世代のウザ〜いオヤジイズム全開なお父さんも、実はというか、当たり前なんだけど、全て良かれと思ってやっているわけですよね。むしろ、彼なりの理想の家族像みたいなものが強くあるからこそ。つまり、たとえば父親として、とか、「男として一国一城の主が……」なんてことを言う。

もうとっくの昔にそういう強い父親像、父権的な家族像なんていうのは成り立たない時代だし、自分自身実はそんな器じゃないくせしやがって。あの次男に指摘される通り、本当に親からただ継いだだけの家業なんでしょ? なのに、でもそういう「家族はこうあるべし」という理想像だけは強く抱いていた。むしろ、抱きすぎていたからこそ、その20数年後の破滅ということでもあるわけで。もちろんあの人が元凶なんだけど、でも彼も、彼なりに理想を抱いてがんばった結果なんだよねっていうのがある。

ということで、その意味でこの『葛城事件』、結果どこにも逃げ場がない。抑圧する側もダメ。抑圧される側もダメ。じゃあ、どうすればいいの? わからない!!っていう。誰もがそれぞれに闇や歪みを抱えているんだけど、それ自体……闇や歪みは、だって誰でも抱えていますよ。そりゃ、全員。それ自体はどうにもならない普通のことですよね。ただ、そのちょっとした歪みの累積が、時に本当に取り返しのつかない領域に行ってしまうことっていうのは世の中に残念ながらある、ということですよね。だから見ていてやっぱり辛いし、怖い。特にやっぱりお子さんがいらっしゃって、これから成長していくようなお子さんをお持ちの方は、はっきり言って恐怖そのものだと思います。誰もこれ、他人事とは言えないと思います。

ただね、これいままでさんざん煽ってきた「キツい、怖い、地獄」みたいなことと矛盾するように聞こえるかもしれませんけども、それこそ、結果として起こる事態が事態なんでね。この表現を不謹慎に取られる方もいらっしゃるかもしれませんけど、この『葛城事件』という作品は同時に実は「笑える」映画でもあると思う。恐ろしく黒い笑い。ブラックコメディ、ダークコメディなんだけど。トラジコメディっていうジャンルもありますけども。悲劇とコメディーが合わさった、まさにトラジコメディ的な、笑える映画でもあるわけですよね。

つまりね、劇中の人物たちはさっきから言っているように、至って真面目に一生懸命に生きているだけ。自分が思う「正しさ」どおりにふるまっている。「こうやって生きるしかない」って思って生きているだけなんだけど、我々観客の客観的視点、つまり作品自体のある意味客観的視点から見ると、「いや、どう考えてもこの状況、おかしいから! どう考えてもあんたら、狂ってるから!」っていう風に見えるという。その異常さっていうことですね。異常な状況に当人だけが気づいていないっていう感じが、キツくもあって悲惨でもあるんだけど、笑うしかないコメディ的状況でもあるという。そういう映画なわけですよ。

たとえば、中華料理屋のシーンがある。三浦友和演じるお父さんが中華料理屋で店員に罵声を浴びせかけているわけですね。怒鳴りつけているわけですよ。本作屈指の名シーンだと思いますけども。「今日はね、息子の結婚記念日なんですよ! うちは20年来、ずーっとここに通い続けているんですよ!」って。で、パッとカメラのカットが変わると、お嫁さん側のお父さんお母さんが気まずそうに、かつ見て見ぬふりでご飯を食べている。「ええっ? お前、この状況でこれやってんの!?」っていうことですよね(笑)。そのおかしさっていうことですよね。でも、散々怒鳴っておいて、「でもお母さん、水餃子、美味しいでしょう?」(笑)。要するに、彼なりのサービス精神というかね。もてなしてやろうという。「俺のシマでもてなしてあげたいんだ。その晴れの日に、俺の顔に泥を塗るのか!」イズムっていうことなんだけどさ。でも、ああいう人は実際にめちゃめちゃいますよね。そういう人ってね。あとプラス、自分の中にこういう面が無いとは、僕は言えないと思うな。やっぱりね。

あとはたとえば、やっぱり三浦友和演じるお父さんが、その事件が実際に起きてしまった後で、はっきり言って煙たがれながらスナックでカラオケをやっていると。そこで『3年目の浮気』がね。「テ〜レッテ〜レッ、テッテレッテテ♪」って。誰でもね、みんなイントロがかかれば、「ああ、『3年目の浮気』だ」ってわかるじゃないですか。で、誰もが「でもこの曲って、デュエットだよね?」って。で、田中麗奈にセクハラまがいに一緒に歌わせるのかと思ったら、田中麗奈は座っているから。「え、これ、どうすんの?」って思うわけですよ。これ、『3年目の浮気』っていう曲をみんな知っているからこそ成り立つ構造。「どうすんのかな? どうすんのかな?」って思って見ていると……なんちゅう歌い方をするんだ、お前は!っていうこのシーンとか(笑)。やっぱり笑っちゃうし。

あとはですね、たとえば本当にこれぞ修羅場そのもの。さっきの中華料理屋シーンの直後にくる、家族で言い合いというか。本当に修羅場のシーンがくるわけなんですけども。ここでね、次男は直接お父さんと口をききたくないのか、口をきかずにメモをし始めるわけですよ。で、「おい! ちゃんと口で説明しろ!」みたいなことを言う。そうすると、それでお母さんがフォローで、「いま、なんか声優を目指しているらしくって。喉を大事にしたいらしくって……」って。なんじゃそりゃ!?っていう(笑)。まあここでやっぱり笑っちゃうところはあるよね。本当に修羅場なんだけど、思わず笑っちゃう。

事ほど左様に、この映画はその気まずさとかキツさとか本質的な怖さゆえにですね、はっきり笑うしかないっていうね。あまりにも悲惨すぎて笑うしかない。おかしすぎて笑うしかないっていうシーンが満載。それこそ見終わった後で、「あそこ、ひどかったねー!」とか誰かと真似しながら話し合いたいぐらい超ブラックコメディ、ダークコメディでもあると思う。実際に三浦友和さんもそういう風に見てほしいとインタビューなどでおっしゃってますけども。

そして、そういう風に、要は客観的に見れば笑っちゃう、笑うしかないような現実の、悲惨かもしれないけど、でも同時にクソ間抜けさ。間抜けだよっていうこと。それこそがひょっとしたら、唯一この世にもし救いがあるとしたらそこなんじゃないのかな?っていうこの視点は、監督・脚本の赤堀雅秋さんが少なくとも前作、映画監督デビュー作、2012年の『この夜の侍』とはっきり一貫したテーマというかメッセージなんだなという風に思いました。僕、『この夜の侍』はリアルタイムでは見れていなくて。この機会に後から『この夜の侍』を見たら、こっちはよりはっきりそのテーマを言葉で言っている。『葛城事件』とやっぱり共通するのは、救いようのない人間というのは実際にいる。そういう救いようのない人間が実際にいるというこの世界、この現実のキツさ、恐ろしさというのに対して……「でも、他愛もない話でもしようよ」っていう。こういうことをはっきりセリフで『この夜の侍』は言うんですね。

で、『葛城事件』はまさに他愛もない話をする瞬間がこの映画の数少ない救いの瞬間じゃないですか。だからこれ、はっきり赤堀さんのメッセージなんですよね。「もっと肩の力、抜けねえのか、俺たち。笑っちゃうじゃん、俺たちの人生なんてさ。笑っちゃえよ」っていうことだと思うんだけどさ。というそのメッセージが、『その夜の侍』でははっきりセリフとして語られていたのが、今回、それがもっとより作りとしてスマートになっている。作品の作りの中に入っていて、僕は数段、映画として出来が上になっていると思います。赤堀さんね、劇団THE SHAMPOO HAT(ザ・シャンプーハット)というのを主催されていて。もともとはこの『葛城事件』も舞台というね。これ、ちょっとごめんなさい。僕、見れてなくて申し訳ないですけど。

俳優としてその赤堀さんが出演されていた黒沢清監督の『岸辺の旅』。この中で赤堀さんが演じられていた役がまさにそういう、今回の(三浦友和演じる)葛城清ばりに、やさぐれが行くところまで行きすぎちゃってもう誰ともコミュニケーションできないレベルに行っちゃってるオヤジっていうのを見事に演じられていて。だから、「なるほどな」という風に思った。あの感じを出すのが上手いということだと思いますけど。まあ、ご自身が俳優ということもあって、とにかくこの赤堀さん、俳優陣から演技のポテンシャルを引き出す力、ひいてはシーン全体のテンションを数段上げる力が本当に秀でているなと思いました。演出家として本当にすごいんだろうなこの人、という風に思いました。

もちろん三浦友和のお父さん、すごいですよね。僕はあの、「家族」という幻を実は誰より追い求めていたがゆえの暴走する怪物が、結果ひとりぼっちになってしまう。そういう意味で僕、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』のダニエル・プレインヴューさんのことを久々に思い出したぐらいの、三浦友和さんの怪演、名演は言うに及ばずですね。舞台版では次男の方を演じていたという新井浩文さん。割と怖い役もやったりしますけど、こういう気弱な役でも本当に絶品なんだなというね。とにかく父にとってのいい子を演じることだけに特化してしまったがゆえの、そして自分の気持ちを抑えることだけしかできないというか。彼がね、結局最後にさ、ちょっと一線を踏み越えちゃう。いちばんまともそうに見えた彼が一線を踏み越えちゃう手前にとる行動の切なさですよね。要するに、「バカヤロー!」って人のせいにすることもできない人っていうか。

対する次男。オーディションで選ばれたという若葉竜也さんですか。幼い顔立ちと、でもその小賢しい感じの丁寧語みたいな。本当に見事な感じ。で、お父さんも時々嫌なことをいう時に丁寧語になるじゃないですか。で、俺これすごい嫌なのは、俺も嫌なことを言う時に丁寧語になるタイプなんすわ!(笑)。なので、たとえばやっぱり見ていて、僕は一人っ子であれですけど。全然ラッパーとして食える目処も立っていない時に「(親に向かって)いやあ、もうちょっと……今はあれですけど、温かく見守ってくださいよ〜」みたいな(笑)。そんなことは言ってないけど、ああいう感じにやさぐれなかった保障は何もないなと思いますしね。

一方ではでも、あいつが接見のところで言う屁理屈には、全部! 泣くまで反論してやりたいけどね! 「お前は、“狂ったイノシシ”ではないからっ!」っていうね。やってやりたい。こういう本気の怒りも出てくるという。あと、長年抑圧され続けすぎちゃって、要は飲み込んで、なかったことにするっていうのがデフォルトになってしまった結果、もうそれが狂気の領域まで行ってしまって。で、最終的にはさっきの「どうして、こうまで来ちゃったんだろう?」になってしまうお母さん。南果歩さんのね、もう狂気ですよね。あの狂気を表現するのにコンビニ弁当……要するに、手作り料理とかをちゃんとやっていないっていうのを描くのは、監督自身が(インタビューなどで)「コンビニ弁当で荒れた家庭を表現するのはちょっとステレオタイプかもしれないけど……」ってご自身が認められているんだけど。ただ、やっぱりちゃんと料理をするタイプの家には見えないでしょうっていうね。たしかにそうで。そういう、「ここは弁当で済ませておこう」とか「ここはカップラーメンで済まそう」みたいなそういう1個1個の思考停止の積み重ねが一因ではあるっていうことで。まあ、そこはたしかに納得の描写だと思いますし。

で、その南果歩の狂気。それに負けじと、嫁VS姑のある意味究極の修羅場シーンですよね。あそこで文字通り「鬼の形相」を見せる内田慈さん。今回の、長男の嫁を演じている内田慈さんのあの形相……内田さんってすごい美人なんすよ。でもあの、「うわー、こんな顔するか!」っていう。本当に女優ってすごいと思いましたし。田中麗奈さんもね、あの善意という名の思い込みにとらわれた、ともすると本当に嫌な感じしか出かねない役柄を、それでもたしかな真っ直ぐさではあるんだよな。悪い子じゃないんだろうけど……っていう感じも含めて、見事に体現されていたと思いますし。役者陣、みんな過去ベストアクト級のポテンシャルが本当に出ていると思います。

で、ですね、最初も言った通り、次男の稔が無差別通り魔殺人を起こしてしまう具体的描写が結構がっつり、省略じゃなくてがっつり描かれている作品なので、時節柄かなり刺激が強いシーンなのは間違いないと思うんですが。ただですね、ここの一連の見せ方も僕は本当によく考えられているなと思って。特にですね、ここのシーンの前後だけフッと第三者の視点・目線を入れてくるあたりが本当に上手いなと。たとえば稔に「いい子、いますよー」って声をかけるあの風俗の客引きのおじさん。あのおじさんの絶妙な「なんでもいいや」感とか。あと特に、階段を下りながら刃物を取り出す稔の後ろ姿を図らずも目撃してしまうエスカレーターのあのサラリーマンの視点。あれ、ここまで見ちゃっていたとして、じゃあ自分ならどう動ける?っていうのを誰もが自問せざるを得ない見せ方ですよね。

でも、その後の実際の通り魔が起こってしまうシーンがですね、「やっぱりここで誰かが勇気を出して止めていれば……」なんてことはとても言えないほど、カメラといい役者陣の動きといい見事に生々しいので、「いや、怖いよ。俺、やっぱダメだ。足すくむ」っていう。そういうことを考えざるを得ないという見せ方になっていて、非常に上手いあたり。やはり、僕らの日常と地続きなものなんだということを実感せざるを得ない作りというのが見事にできているという風に思います。

あと、視点の転換という意味では、次男と田中麗奈、最後の接見室のシーンで田中麗奈がまさに他愛もない話を始めて次男が虚を突かれる。その瞬間、はじめてガラス窓から稔側の方にカメラがフッと移るわけですよ。で、そこで次男はヤケクソのように、身も蓋もない結論を言うわけですよね。「おお、その通りだよ」っていう結論を言う。あれはヤケクソになっているように見えるけど僕、あれはわずかな、ヤツの進歩だと思って見ているんで。そのパッとした視点の転換、本当に上手い作品だなと。映画的な見せ方も本当に上手いなと思いました。

ということで、この映画は本当に最低最悪なシーンがずっと続くんだけど。その通り魔事件という最低最悪な出来事が起こった後も、まだ許してくれないというあたりもすさまじい。あれほど狂おしく求めていた家族をね、その熱情ゆえに全て、完膚なきまでに失ってしまった三浦友和。父が見せる最後の悪あがきの醜さ。と、同時に哀れさ、おかしさ、つまるところ「人間臭さ」っていうか。田中麗奈はね、あそこで「あなたそれでも人間ですか!?」って言うけど、俺はそれを見ながら、「いや、違う、これが人間なんだよ!」って思いながら見ていました。そう。ラストのラストで、まあこの映画を貫くあるアクションを三浦友和さんがして終わるんだけど。そのアクションに入る間の早さ。当たり前のところに当たり前の感じで戻る、この間の感じとかも本当に僕はグッとくるあたりでございました。

とにかくこれ、いちばんね、映画の感想として使っちゃいけない言葉でしょうけど……「考えさせられる」。で、とにかく人と話し合いたくなる作品なのは間違いないと思います。最初にも言ったけど、いま、こういう事件があるからこそ、たとえばね、ある事件が起こった時にそりゃ、「家族が悪い」って言えばそりゃそうだよ。その結論は出せるけど。でも、なんでそういうことを言う人って「自分は大丈夫」って思えるのかな?っていうか。そんなわけないでしょう?っていう。そういうところに想像力を働かせられる映画だと思います。

それよりなによりね、これまでいろいろゴチャゴチャ言ってきましたけど。この言い方、本当に語弊があるかもだけど、この映画、むちゃくちゃ「面白い」んです。やっぱり。全編、さっき言ったようにね、胃がちぎれるような思いをしつつ、思わず笑うしかないようなのがあって。で、見終わった後にドスーンといっぱいお持ち帰りするものがあるっていうこと。別に、怖いもの見たさ的なスタンスでもいいんですよ。映画なんだから!ということです! なので、ぜひ見て……今年僕ね、ベスト級っていう言い方をしたけど、同時にワースト級でもあるというか。「もう見たくない!」っていう気持ちもわかります。またまた来ちゃった、ヘビー級という意味では間違いなくダントツ。セリフとかもシーンとかもいろいろ語り合って真似とかしたくなるような、本当にすさまじい作品を見てしまいました。ぜひ、劇場でウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 〜 来週の課題映画は『ファインディング・ドリー』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

<以下、ガチャ回しパートにて>

『葛城事件』、あの長男がお父さんの金物屋の定位置から見る、お父さんが生涯見てきた視野の狭さというか。あれも素晴らしかったりなんかしてね。まあぜひぜひ、本当に見ていただきたい。語りたくなっちゃうんですよね。