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宇多丸、『街の上で』を語る!【映画評書き起こし 2021.4.30放送】

アフター6ジャンクション

TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

オンエア音声はこちら↓

宇多丸:

さあここからは、私、宇多丸が、ランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する、週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのは、49日から劇場公開されているこの作品、『街の上で』

(曲が流れる)

下北沢を舞台に古着屋で働く荒川青と、彼を取り巻く4人の女性による青春群像劇。青に別れを告げる川瀬雪、青の行きつけの古本屋の店員・田辺冬子、青を自主映画に誘う監督の高橋町子、青と親しくなる映画スタッフ城定イハ。彼女たちと出会ったことで、青の日常にささやかな変化が訪れる。出演は若葉竜也、穂志もえか、古川琴音、萩原みのり、中田青渚などなど、若手俳優さんが揃った上で、友情出演で成田凌さんなども出ております。監督と脚本を務めたのは『愛がなんだ』『あの頃。』などの今泉力哉さんでございます。

ということで、この『街の上で』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は「普通」。まあ、でもこれ今、緊急事態宣言になって、いろいろ上映館とか限られつつある中では、健闘している方だと思いますけどね。賛否の比率では圧倒的に褒めるが多数。否定的意見はごくわずかでした。

主な褒める意見としては「今泉力哉監督の最高傑作! 登場人物たちの実在感がすごい」「下北沢に行きたくなった」「良い悪いではなく、とにかく好きな映画」などがございました。一方、否定的な意見としては「ドラマが薄くて盛り上がりに欠ける」などがございました。

■「変わりゆく街を舞台に描かれるのは、コミュニケーションという普遍的なテーマでした」(byリスナー)

ということで、代表的なところをご紹介しましょう。ラジオネーム「タレ」さん。

「今泉監督の作風は、低予算ほどかがやいて見えるのがすごいな、と思いました。これならずっと撮りつづけられるし、無敵じゃん。今作は、ご自身がカウリスマキとジャームッシュの名前を挙げていたのも納得。市井の人々のいとおしさと、なにげない日常に宿る人生の豊かさが詰まっていて、『パターソン』を思い出したりしました……ああ、『パターソン』に近いところ、あるかもね。

……まずは、本当に下北沢に実在しているとしか思えないキャストの息づき。さらに、自分でも言ったことなかったっけ? と思うようなせりふや、思わず脳内で返答してしまうような会話の妙、真剣さゆえのおかしみに、にんまりしっぱなしでした。

映画ならカットされてしまうような瞬間でも、見つめてくれているひとがいる、というやさしい目線には、胸がいっぱいになりました。思えば、全編がそんな瞬間でできているような映画。そんな中に、ひっそりと変わっていく街の風景や人の死の匂いも忍ばされていて、郷愁も誘われました。大好きな作品です。」とか。

あとね、ちょっと省略しながらご紹介しますけど。「モンゴリアンチョップ」さんは「大傑作でした」と書いていただいて。「本作は、コミュニケーションについて描かれた映画ではないかと思いました」という中で、ちょっと省きますけど、要するに登場人物同士の距離感……たとえばテーブルとかカウンター越しに会話するのか、向かい合って話すのか、横になって話すのか、そういうような位置関係演出というか、そういうところも丁寧に読み解いていただいたようなメールでございます。「変わりゆく街を舞台に描かれるのは、コミュニケーションという普遍的なテーマでした」ということです。これも絶賛メール。

一方、ちょっといまいちだったという方もご紹介しましょう。「YSM」さん。「初めてメールします。世間ではどうやら好評らしい『街の上で』。残念ながら私は乗れませんでした。下北沢を舞台にした青春群像劇。市井に暮らす若者たちの日常を慈しむような眼差しで丁寧に切り取って……とやりたいことはわかるのですが、その自然なやりとりに感心するより先に、あざとさが鼻についてしまい、最後まで作品に入り込めませんでした。そもそもこれって映画ではないといけない話だったのでしょうか?」。これ、まさに裏表の話ですけどね。

「それぞれに起こるドラマも交流ももう少し踏み込んでほしいというところで止まってしまうし、さりとて会話劇として楽しむにはセリフの妙味に欠ける。魅力的なキャストを揃えたはいいが、それを生かしたドラマを用意できなかったという印象を持ちました。これが110分ぐらいの連続ドラマだったらまた印象が違ったかもしれないけど。でも下北沢の切り取り方はよかったです」というようなご意見でございます。

「すでに失われてしまったが、確かにここにあった」街並み。それがさらに愛おしく映るタイミングでの公開

はい。ということで『街の上で』、私もですね、これはちょっと今回は……今週はユーロライブで見てまいりました。劇場公開タイミングではね。

あの、緊急事態宣言とかの中で上映館がどんどんどんどん休館になってしまう中、見られる場所が限られてる分、というのもあるんでしょうけども、ユーロライブ、僕が見た回はわりと、昼の回にしては入ってましたね。はい。といってもユーロライブ、ちゃんと1席ずつ空ける予約システムでやってるので。まあ、ちゃんとディスタンスをしっかりと取った状態で入っていた、ということですけども。

で、このムービーウォッチメンで、『街の上で』をついに取り上げる日がやってきた。この「ついに」というのは、実は昨年、20205月に公開が予定されていて。で、まあ言わずもがな、コロナウイルスの感染拡大を受けて、ご多分に漏れず公開延期になり……本当に1年ぐらい公開延期になってしまい。で、監督の今泉力哉さんは、この番組にはちょうどその頃、2020526日に、「映画の音声ガイド特集」でゲスト出演していただいた際に、僕もそのタイミングで実は一足早く拝見していて。

で、もうこの時点で「うわっ!」って……今泉さんの作品、今までもすごいいいなと思っていましたけど、『愛がなんだ』とかも素晴らしいと思いますけども、もう、大好きになっちゃってですね、『街の上で』がね。そんなテンションで。なので先月、今年の413日に、この番組に再び今泉監督をお招きして、この『街の上で』についてお話を伺った際も、普通にキャッキャキャッキャ、「あそこがよかったです。ここがよかったです。ここが楽しかったです」って語る感じになってしまった次第でございます。

その時にも出てきましたが、この作品は元々ね、下北沢映画祭でお披露目するために、下北沢を舞台にした映画を撮ってくれませんか?ということで、今泉力哉監督にオファーが行って、2019年に撮影され、完成した作品ということで。だから結構前に撮られて、完成している作品ということですよね。プロデューサーの髭野純さんという方のインタビューとかによれば、やはりその、ここ数年で急激に再開発が進んで、もう今となってはわりと根こそぎ風景が変わっちゃったところも大きい下北沢……東京の若者の街です。下北沢の2018年、19年時点での、その元の姿というのかな、それを切り取った映画を作っておきたい、という思いがやはり、そのプロデューサーの髭野さんにははっきりあったということらしいんですね。

実際に今泉監督ともそのお話をしましたけど、この作品、映っている下北沢の風景のそこここに、割と工事中とか、そういう様子が映り込んでいるわけなんです。それっていうのはすなわち、劇中で描かれる人々の、そういう取るに足らないといえば取るに足らない、でも不思議と心に残るやりとりとか営み……まさに、冒頭のナレーションで言われている通りですね。

「誰も見ることはないけど、たしかにここに存在している」暮らしや人生の痕跡が、しかし遠くない未来には……というか、もうすでに現時点、2021年の4月の時点ではそれはすでに「今」なんですけど。いずれ、跡形もなく消えてしまっているのかもしれない、というような、どこか儚く切ない予感みたいなものを作品全体に常に漂わせることにもなっている、というかね。いずれ変わっていってしまうものだ、というような感じがある。

そして、その失われゆく街そのものが主役でもあるような作品として、たとえば全然作品のトーンは違いますけども、僕は、ジョニー・トーの2008年の『スリ』という作品があって、あれなんかは失われゆく香港の、古き良きというのかな、古い香港の街並みの風景を、そこを押さえることもジョニー・トー的には大きなテーマであったという……街が主役、失われゆく街が主役、の系譜上にも置けるなという風に僕は、この『街の上で』を思っていたりするんですけど。

その、「すでに失われてしまったが、たしかにここにあった」街並みと人々の営み、というこの感じ。公開が1年延びて、その間に我々の生活、社会そのものが、コロナウイルスの影響によって、それ以前とはもう今は完全に、断絶したものになってますよね。より、それが増幅されているわけですよ。この映画に映ってるものって、ものすごい尊い、愛おしい時間だったってことが、非常に増幅されるようなタイミングになってますよね。

■「人と人とのコミュニケーションって、うまく行っても行かなくても、やっぱり面白いよね」

と、言ってもですね、劇中で何か、それこそ劇的なことというかね。なにか感動的なことが起こるとか、そういう作品じゃないんですよね。別に何も感動的なことは起こらないっていうか、主人公を含め、登場人物全員が、我々自身が実際にそうであるように、ふらふらしていたり、人に対して時に失礼をしてしまったり、自分でもうまく説明できない言動を取ってしまっていたりとか、要は一定量のしょうもなさを抱えていて。で、最終的にしかもそれが、劇的に変わるとか、物語的に要は明瞭な、成長というゴールが用意されているわけでもない。

「ここに来たからこの話は終わりです」みたいなゴールが用意されてるわけでもない。何分にも渡る長回しを多用したそれぞれの場面も、それ自体はごくごくありふれた、特に意味とかドラマ性があるようには普通思われないような、淡々とした会話が続くという……でも、長回しでずっと捉えてるからこそ、時折フッと、アップというか正面から顔を捉えたりとか、急に音楽が始まったりする時に、わりとフッと温度が上がる感じがまた、効果的だったりするわけですが。

とにかく、それそのものは全く劇的ではないように見えるものを捉えている……なのに、むちゃくちゃ笑えて面白い!というね。で、同時にちょっとグッと来たりもする、というところが不思議なもんですよね。まあ映画の系譜で言うなら、やっぱり僕が連想するのは……なんてことないやり取り、そのおかしみ、「ニュアンス」だけで映画って面白くなる、これを最初はやっぱり僕が感じたのは、森田芳光ですよね。とか、アキ・カウリスマキであるとか、ジム・ジャームッシュ。

ただ、今挙げた3人は、割とそれらを人工的にやる面白み、みたいなところが強みなので。一番本当にテイストとして近いのはエリック・ロメールとかなのかな、と思うんだけど……まあ今泉さんはね、「エリック・ロメールみたいですね」って言われても、見たことなかったのでキョトンとしてた、っていうんだけども(笑)。まあ、要するにその資質として近いものがあるのはエリック・ロメールとかなのかな、とは思うけど。

とにかく、一応ね、その「彼女に振られた。新しい相手って誰?」とか、「映画に出てくれって言われたけど、さてどうしよう?」とか、一応のお話上の起伏的なものは置かれているんだけど、それをストーリー的に掘り下げて「面白く」するっていうことは……大抵のもちろん娯楽作品は「えっ、その相手って誰?」とか「映画出演をたのまれた。それ、どうするの?」とか、そっちのストーリーの方を掘り下げて、面白みを掘り下げていく、それが普通の娯楽映画なんだけど。この『街の上で』という作品はですね、その、それぞれの人がそれぞれに抱えている思惑とか背景が、時に完全にすれ違ったり、時にちょっとだけ共鳴し合ったりっていう、そういう「それぞれ」同士の関わり合いが起こす、その感情や関係性のささやかな、しかしたしかなさざ波、みたいなもの。

たとえば、これはもう本当に今泉力哉監督、毎回描かれてますけど、「好き」という感情、この得体の知れなさ、なんなら共有できなさっていうか……ある人の「好き」っていうのは、他の人から見ると理解不能な何かに見えたりしたりする、というような感じであるとか。あるいは、まだ名前を付けようもないような気持ちとか関係性、みたいなもの。でも、そこに何か……「あっ、今……名前はなんだかわからない、恋愛でもない、別に友情と言っていいかもわからない、でもなんか今、生まれたな」みたいな、こういう感じをすくい取っていくという。それが醸すおかしみや気まずさ、温かみ。

要は、人と人とのコミュニケーションって、うまく行っても行かなくても、やっぱり面白いよね、それ自体、愛しいよね、っていう。そういうのを味わい尽くして、堪能していくという、そういうような作品なわけです。

で、もちろんそれは今泉力哉さんの作品全てに共通してあることなんだけども、それが本作、この『街の上で』では、ひときわ研ぎ澄まされたっていうか、純度が高い状態で提示されているように思います。コミュニケーションについて……先ほどのメールにもあった通り、「コミュニケーションについての映画です」という部分がすごく純化されてるっていうのかな、ゆえに、「今泉力哉監督最高傑作」的な言われ方をするのもまあ、わかるなという感じがします。

■若葉竜也さん演じる受け身な青年・青は「観客の感情移入の容れ物」

特に今回はやはり、若葉竜也さん演じる主人公の荒川青。彼の、言ってみれば「ダメかわいい」魅力っていうのがこれ、非常に半端なくてですね。これ、226日に(このコーナーで時評を)やったその今泉力哉監督、実際作ったのはこの(『街の上で』の)後になる『あの頃。』という作品の評の時にも私、言いましたけど、今泉さん、これまでも実はですね、「コミュニケーション下手な挙動不審男子」というものを描かせたら、本当に絶品の作り手でもあるわけですね。これは要はつまり、さっきも言ったように今泉力哉監督、要は恋愛を最たるものとする、そのコミュニケーションの齟齬とか共鳴とかが引き起こす波紋、っていうのをすくい取る名手なので。

当然この「コミュニケーションが下手でついギクシャクしがちな人」ってのは、もう格好の登場人物なわけですよね。で、特に今回の主人公の青というのはですね、言ってみれば基本、非常に受動的なキャラクターで。起こる事態に対して、その都度彼なりに対応していくしかない……まあでも、起こる事態に対して受動的なキャラクターっていうのはすなわち、観客にとっての、感情移入の容れ物になりやすいですよね。(劇中で)起こることっていうのは、我々が初めて知ることなわけだから。それに対して素直に反応する青、っていうのは、非常に感情移入の容れ物、乗り物として最適でもあるし。そしてこの、「彼なりに対応する」というところの、この「彼なり」っていうところに滲むおかしさとか愛らしさ、というのが、本作全体を引っ張る大きなキモになっているわけですね。

これ、演じる若葉竜也さん。当コーナー、前の番組時代から、ムービーウォッチメンの中でも、たとえばやはり最初に知ったのは2016年『葛城事件』の、あの次男坊ですね。葛城家の次男坊。「なんてすごい若手俳優がいるんだ!」と、我々も愕然としましたし。その後、たとえばね、2017年の吉田大八監督の『美しい星』でもやっぱり、一発で……もう二言、三言発しただけで、「ああ、こいつヤバいっしょ」っていう感じがわかる、もうバッドバイブスを発散するというね、本当に鋭いハマりっぷりを見せていましたけども。

要は、間違いなく目下最注目の俳優さんの1人、若手俳優の1……というか彼自身、現実の彼、若葉竜也さん自身が、今や本当に『おちょやん』で、「朝の連続テレビ小説の出演俳優」なんですけど、っていうことなんですよね。これ、どういうことかというと、友情出演……というわりには重要な役割で出ている成田凌さん、まあ『愛がなんだ』でもおなじみの成田凌さんが、ちょっとだけデフォルメして体現してみせる「若手人気俳優」のたたずまいと相まって、非常にこれ、劇中のトップクラスの爆笑シーンとも関わってくるところなので。これ、「朝の連続テレビ小説に出てる俳優」という、ぜひこれ、ご自身で皆さん、見ていただきたいところなんですけど。

とにかくこの、若葉竜也さん演じるキャラクターとしては、これまでにないほど素直で、さっきも言ったように基本、物事に対して受け身な青年、青というね。これ、要はこれから女性といろいろ関わっていく役柄の中で、バランスを間違えると、要は若葉さんが元々得意としているような、「一発でヤバいやつ」みたいな、超キモい役にも見えかねないわけなんだけど……若葉さんがすごいのは、こういう(キモく見えるかどうかの)境界線上だけど、結局「キュートだな」「いい人だな」って方にどっちかっていうと振れるような見せ方が、全然自然にできちゃうんだ!っていう。やっぱり改めておそるべし、って思いましたね。あの、テンパッた時のひきつった顔のかわいらしさとか、本当に最高なんですけど。「ええっ、本当に!?」みたいな時の、かわいいな、こいつ……「本当に青はバカだね」って言いながら、かわいくなっちゃう。

■フラれた直後に発生する「いろんな女の子の魅力に対してオープンになってる状態」=YOKAN発動期

でね、この青というのがですね、穂志もえかさん演じる彼女・雪っていうね……まあこの、ここの2人の関係性も、この穂志もえかさん演じる雪が、明らかにもう全てにおいて主導権を握ってる感じ、ってのいうのがなんとも微笑ましかったりするんですけど。わりとその彼女に、身も蓋もないフラれ方をしたこの青がですね、未練たらたら……未練たらたらなんだけど、突っ張ってる、っていう(笑)。この、しょうもないんだけど、この矛盾に満ちているあたりがかわいらしいというか、そんな青の態度もすごくおかしかったりするんですけど。

でですね、そこから先、要するに彼女に振られた状態。未練たらたらな青。これ、正直僕もですね、20年ちょっと前にそういう状態だった時期があるので、非常にわかるんですが。この、彼女に振られた後、未練もあるんだけど、同時に、要するに「いろんな女の子の魅力に対してオープンになってる状態」というんでしょうか? 一応、フリーだから。あの、会う女の子、見る女の子全員が、いつも以上に魅力的に見えてしょうがない時期、っていうのがこれ、たしかにあってですね。わかりますかね、これ(笑)。要するに、女の人のそれぞれの魅力にオープンになっているんですよ。こっちが。いろんな人の魅力に気づきやすい時期なんですよ。

今泉力哉監督、そして共同脚本の漫画家・大橋裕之さん、そうした、要は宙づり期間、一種のモラトリアム期間ゆえのふわふわした気分、みたいなものを、見事にこれ、切り取ってると思います。たとえば、ライブハウスで見掛けた非常にきれいな女性がいて。勝手に一瞬、感じてしまう。これ、まさしくこの番組でやっていたコーナーそのもの、YOKANですよね。その感じであるとか、あと、たとえばTシャツカップル……もう爆笑シーンです。とあるTシャツをその青が勤めている、古着屋さんに買いに来るカップルがいて。でも、その女の子の方にやっぱり青が感じる、その何とも知れないもどかしさ。これはやっぱりね、彼が「オープン期」だからなんですよね。オープン期だからより感じる、というのもありますし。そんな感じもある。

■「名前は付いてないけど、なにか素敵な関係が今夜、生まれたな」

ということでですね、今泉監督作品はいつもそうですけど、女性陣全員それぞれに、非常に素敵で……何よりも「実在感が非常にある素敵さ」というのかな。あのね、「古書ビビビ」の顔見知りの店員でもあるという、この古川琴音さん演じる田辺さんとの、一旦生じた気まずさを超えた先の、そこから先は一歩、心の距離が近づいた、というようなあの関係のニュアンスであるとか。そしてやはり、萩原みのりさん演じるこの自主制作映画監督・高橋さんのですね、さすが萩原みのり!と言うしかない……かわいらしいし、別にそんなに変なことを言ってるわけじゃないんだけど、にじみ出るピリリとした空気感。いやー、萩原さん、出しますねー!(笑) ピリリとしてますねー! ピリッとしますね!

あと白眉はやはりね、その中田青渚さん演じる城定イハ。「城定秀夫監督と同じ城定です」なんつって。城定イハさんというこの関西弁の、兵庫弁が非常に効いている……その途中から兵庫弁全開にして話しだすこの感じがやっぱり、彼女の人との距離感というか、コミュニケーションの取り方っていうのを示してるし。その彼女と、要は「一気に誰かと意気投合した夜」の特別さっていうか。しかもそれを、なんというか、作り物とは思えない……長回しの自然な会話で捉える、この一夜の演出の、見事な感じ。その、この2人はまだ名前も付いてない関係……「友達になろう」って言うけど、友達に「なる」っていうことは、まだ友達ではないんだけども。あと、男女っていうわけじゃないけど、でもそれがゼロかっていうとそうとも言い切れない、ちょっとドキドキする感じ。このでも、名前は付いてないけど、なにか素敵な関係が今夜、生まれたな、っていう。

で、「今夜、やっぱり飲み会に行ってよかったな。この人と会えたから」って思えるこの感じ、みたいな。本当に見事なものでございます。そこからね、先ほども言いました元カノの雪さんというのも交えて、もう怒涛の人間交差点、群像劇ならではのその大団円に突入していくクライマックス。これね、今泉力哉監督にインタビューした際にはですね、ここはやはり大橋裕之さんが共同脚本として入ることで、やっぱりこの、「面白みにストッパーをかけなかった部分」というかね。だから、今泉監督作としては……毎回、群像劇なんでね。今泉さんご自身も、「自分の映画は群像劇なんで、最後、全員集めがち」とか言って笑ってましたけど。

にしても、ここのこの笑いのたたみかけというか、たたみかけるようなドライブ感、どんどんどんどんね、「あっ、この人も来ちゃった。この人も来ちゃった!」みたいなドライブ感、もう本当に、超楽しいあたりでございます。とかね、これはもう、とにかくこの作品に関しては、そこに至るまでのね、各場面のディテールというのをとにかく、「あそこが良かった」「ここは良かった」って、キャッキャキャッキャと喜ぶ作品です。

■「『の・ようなもの』のように」これからも繰り返し見返す1本になる

もちろん、さっきのTシャツカップルのところも最高ですし。僕が感心したのは、行きつけのバー。「行きつけのバー」特有の人間関係ですよね。特にあのマスターとの……要するにお店とお客の関係なんだけど、ちょっと友人的な関係でもある。でも、全ての情報を握っているのは常にお店の人側、っていう。

で、そのマスター側も、その優位性を分かった上で接してくる感じ、っていうか。あれ、(行きつけのバーの人間関係の)独特なこの感じをよく出しているな、と。あと、もちろん警官とのやりとりもいいですし。あと、主人公と直接関係ない、あの漫画で読んだ聖地巡礼に来てるあの女の子と店員さんの、あの感じとか。あれもやっぱり、誰の記憶に残るわけじゃない、でもなにか素敵なその瞬間、というものをすくい取ってますよね。全体にでも、ひとつ共通しているのは、下北沢というやっぱり「カルチャーの街」ゆえの話。たとえば、その警官の話っていうのも、舞台の話が出てくるとか……聖地巡礼も、漫画の話であるとか。そしてその、映画を撮る話であるとかっていう、カルチャーの街の話、ということで共通している。

で、「誰も見ることはないけど、たしかにここに存在している」ものを捉えて、残すことこそが文化の仕事なんじゃないか、っていう風にこの作品で今泉さんは……今泉さん流の映画論というのかな、作品論として言ってる気がする。つまり、終盤でね、「映画ってそういうもんだから」っていうあの問答の中で、やっぱり僕は今泉さんの、「俺はそこから切り落とされたものを、すくい取る作品を作るんだ」という、その今泉さんなりの宣言みたいなものも感じる。だからそこはすごく、実は熱いところなんですね。

みたいなところも、グッと来ました。そしてですね、この映画に映っているその光景のいくつかは、もう2度と戻ってこない光景でもあるし。この人間関係の濃密さというのも、いつ帰ってくるものかわからないものなわけです。それだけにはやはり、尊さが非常に増すようなタイミングじゃないでしょうか。だからちょっと、しょうもないくだらない話をしてるんだけど、なんかこうジーンと、ホロリとしてしまう、そういう作品になっています。ということで、私はですね……僕にとってはこれ、最上限の褒め言葉なんですけど、青春群像劇として、「『の・ようなもの』のように」これからも繰り返し見返す1本になるような気がしてなりません。ぜひ皆さん、このタイミングだからこそ得られる感慨が多い作品です。劇場で……やってる劇場でね、ウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 来週の課題映画はSNS –少女たちの10日間です

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。