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宇多丸、『ノマドランド』を語る!【映画評書き起こし 2021.4.23放送】

アフター6ジャンクション

TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

宇多丸:山本さん、この残りの時間を使って、『ノマドランド』の評の中に、ちょっと入りきらない話をしていいですか? どうしても話したいことがあって。これね、TOHOシネマズ。僕は今回、日本橋と六本木で2回見てきたんですね。で、日本橋の方は日曜日に行って。日曜日の昼の回なのもあって、すごい入っていたんですよ。で、一瞬場内で、ある場面になって、「はっ!」って声が上がるぐらい、なんかすごいいい雰囲気で見れて。まあよかったんですね。なんだけど、驚くべきことにこの日曜の時点では、劇場用パンフの発売はない、っていうことだったんですよね。『ノマドランド』

金曜パートナー:TBSアナウンサー山本匠晃:あっ、そうなんですか?

宇多丸:まあ、近年わりとサクッと公開される、なんていうの、ジャンル映画系とかだと、たまにそういうのがあったりするんだけど。これは一応、本年度アカデミー賞主要部門の最有力候補作でしょう? なおかつ、原作がノンフィクションなのもあって、現代アメリカ社会、要するに現実の社会問題を描いた作品で。なおかつ、これはまさにクロエ・ジャオ監督独自のスタイルなんだけど、詳しくは後ほど言いますけども、とにかく、まあまあ変わったやり方で作られている一作なんですよ。つまり、要は特に我々日本に住む一般観客には、結構説明がいるっていうか、鑑賞後にパンフを読みたいタイプの作品じゃないですか、どう考えても。なので、なんで作らないの?って思ったんですよね。

で、そもそもその、本作を製作しているサーチライト・ピクチャーズ、元はフォックス・サーチライト・ピクチャーズの日本での劇場公開作品はね、毎作品、「サーチライト・ピクチャーズ・マガジン」というタイトルでナンバリングされたシリーズで、非常に充実した内容のパンフがあったわけ。かつて、そのミニシアターごとに統一フォーマットでパンフが出ていたことがあるんだけど、そういう……シャンテだったらシャンテとか、シネ・ヴィヴァンだったらシネ・ヴィヴァン、っていう様式であったように、統一フォーマットのパンフが毎回出ていて、すごい充実していてよかったのに。「なに、20世紀フォックスがディズニーに買収されたら、それもやめちゃうわけ?」みたいに思って。

なんかちょっと、何だかな、って思っていたら、その僕と同じ不満を持った人が当然、『ノマドランド』なので、結構いたはずで。たぶんみんな、パンフ、ありますか? パンフ、ありますか?って聞いたんだと思うんだけども。今週になって、「やっぱりパンフを作ります。金曜から各劇場で売ります」というアナウンスが、これはサーチライト・ピクチャーズの日本の……ディズニー傘下ですけど、そこから発表があって。で、まあ「遅いよ!」とは思ったんですけど。だって、もう映画館には行っちゃっているわけだから。俺は2回も3回も行くからいいけど、普通の人で一番熱心な人はもうね、買い逃しちゃっているよ!って思いつつも。でも、出ないよりはいいかなとは思って。

それで私もね、映画評もあるし……映画評の「お布施」の意味もあるんで。今朝の一番の回で俺、六本木に行ったわけですよ。そりゃあ六本木にはあると思うじゃん? 東京でさ。

山本:ああ、今日からパンフレットが置いてあるということだから。

宇多丸:で、「パンフ、ください」って言ったら、「いや、こちらの作品、パンフのお取り扱いはしておりません」って……「ナニー!?ですよ。で、「いや、そんなはずはないです。そんなはずはないんで、ちょっと調べていただけますか?」って食い下がって。そしたら、「これは各劇場の管轄なので、ちょっとうちではどこで売っているのかもわからないです」とか言い出して。「えっ、それって……ひどくない?」って思って。「じゃあ、買えないじゃない?」って思って。

「いくらなんでもそれは不親切すぎるでしょう? TOHOグループの中でどこで売ってるかぐらいは確認ができるんじゃないですか?」っていう風に食い下がって、ようやく上映後に、「日比谷と新宿に置いてある」って言うんだよ。まずさ、その置いているところと置いてないところがあるって何なんだよ?っていう感じだけど。5億歩譲って、「だったらアナウンスしておけ」っていうことじゃん? 「ここで売っています」っていう風に。

で、もう仕方ないから、その足でさっき日比谷に行って買ってきたよ、バカヤロー! なんなんだよ、本当に。とにかく、この対応全体、東宝が悪いのか、日本のディズニーが悪いのか、はたまた両方が悪いのか、わからないけども。不親切すぎる……というか、もうちょっとナマの言葉で言うと、マジでクソすぎ!

山本:ちょっと映画を愛するがゆえにね……

宇多丸:というか、『ノマドランド』という作品をナメてるんじゃないのか?って。はっきり言って。で、なんでナメているのか?ってね、わかる気もするよ、それは。なぜなら、でもね……っていう話は後でしますけどね。ちなみに最初に対応してくれた方は、「私も『ノマドランド』はいい映画だと思います。映画は楽しんでください」って言ってくださって、フォローはしてくださいました。

山本:この後、映画評です。

オンエア音声はこちら↓

宇多丸:

さあここからは、私、宇多丸が、ランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する、週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのは、326日から劇場公開されているこの作品、『ノマドランド』

(曲が流れる)

『ファーゴ』『スリー・ビルボード』でオスカーに輝いたフランシス・マクドーマンドが主演を務め、アメリカ西部に暮らす車上生活者たちの姿を、美しい自然と共に描いたロードムービー。原作はジェシカ・ブルーダーのノンフィクション『ノマド 漂流する高齢労働者たち』。監督は、『ザ・ライダー』で高い評価を集めて、MCUの大作『エターナルズ』の監督に抜擢された、新鋭クロエ・ジャオ。77回ヴェネツィア国際映画祭、第45回トロント国際映画祭で最高賞に輝き、第93回アカデミー賞では作品、監督、主演女優、そして編集など、主要6部門でノミネートされております。クロエ・ジャオさん自身が編集をやっていますからね。

ということで、この『ノマドランド』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は「多い」。そりゃそうですよね。こんだけね、アカデミー賞の発表も近いですからね。(アカデミー賞の結果発表は)来週ですよ。賛否の比率は褒めが6割以上。その他は「期待していたほどではなかった」とか「よくわからなかった」という意見が残り3割ちょっと。

主な褒める意見としては、「雄大な自然と、その中で誇り高く暮らすノマドたちの暮らしぶりに圧倒された」「実際のノマドたちが登場しているのもすごいが、その中に混ざったフランシス・マクドーマンドもすごい」「人生について考えさせられた」などがございました。一方、否定寄りの意見としては「ノマドの生活が理想的に描かれすぎている。このような存在を生み出した社会構造への批判がないのは問題」とか「あまりに淡白すぎて退屈」などがございました。

■「人の営みがすべて相対化された世界で、どう人として生きていくのか?」(byリスナー)

代表的なところをご紹介いたしましょう。ラジオネーム「コーラシェイカー」さん。

「この作品、アマゾン等への批判的な目線が欠落しているとの批判があるようですが、この作品の視点を考えると、そういう形になるのは必然に思います。なぜなら、この作品の世界観は、諸行無常で、盛者必衰だからです。何回か出てくる、いつからここに横たわっているのだろう、この大きさになるまで何百年かかったのだろう、と思わせる大木や岩といった、自然のアート。それらの悠久とも思える時間は、一人の人生、企業の反映、アメリカの歴史という人間の営みすべてを相対化してしまいます。

そして、人の営みがすべて相対化された世界で、どう人として生きていくのか?

これは哲学的な問題です。大切な人が死に、自分のキャリアも価値のあるものとして社会にみなされなくなった、流転する人の世界を生きるフォーンは、自分の「外」の世界ではなく、自分の「中」に意味を見出しています」。

これ、ちなみに冒頭の方でね、あのアマゾンで働いてる女の人で、手にそのザ・スミスの歌詞を入れ墨している。そのスミスの歌詞もね、実はほぼ、頭の方でそういうことを言ってるんですよね。「ホーム(家)は心の中にあるものだ」っていうね。

「国立公園のガイドの解説を離れるフォーンが印象的でしたが、あれは『人の営みの<外>の世界』へ旅行していることを強調しているのだと思います。ただし、フォーンは人の世界で生きてきた人間であり、自然にとってはゲストでしかありません。

これはあくまでこの作品世界の価値観の話ですが、人の世の中では人間は、何を残すこともできません。残せたとしてもそれはすぐに消える儚いものです。友達の葬儀が印象的でしたが、人が死んだ後に残るものは何もありません。摩耗していく車、皿、自身の生命をなんとかごまかして維持しながら生きていくしかないのです。

しかし、これは必ずしも悲観すべきことではないと思います。自分の人生の意味を、目的(何かを築くとか残すとか)のための手段とせずとも、自分の人生自体を目的とし、人は生きていけるからです。彼女にとって「自分の人生を目的とする」とはどういうことなのか。かけがえのない思い出を大事にし、自然へのあこがれを堪能することだと思います。これらは彼女にとって揺るぎのない確かなものです。貧困は嫌ですが、こういう生き方も素晴らしいのかなと思いました。だって、この映画の自然の描写、あまりに素晴らしい!」

というね。だから、もちろん貧困は貧困で問題だけど、単色で描いているわけではない、という部分もありますしね。その読み解きとして素晴らしいものがありますね。コーラシェイカーさん。

一方、多少否定寄りの意見。LALALANDさん。「非常に複雑な感想を抱きましたが、賛否で言うと否の方です。自分は、アメリカの高齢労働者、特に“ノマド”と呼ばれるワーキャンパーたちの労働の実像をどれだけ描いているのかに興味を引かれ、鑑賞を楽しみにしていました。

しかし、作品では労働描写はさらっと見せられるだけ。しかも、Amazonの物流センターという、劣悪な労働状況で知られる現場の様子ですら、そこに従事している労働者たちが何もキツい素振りも見せず、淡々と仕事をしているという記号として置かれていて、労働描写は、あくまで主人公ファーンの心情の解放に向かう旅路や、同じワーキャンパーたちとの交流の背景として機能していて、正直悪い意味で驚きました。

苛烈な肉体労働の描写やコミュニティ外のワーキャンパーの存在をオミットし、それをロマンティックで雄大な景色と共に表現しようとするのは、観客に“ノマド”に対するある種の幻想を抱かせてしまうのではと思ってしまいました。

そもそも、この作品が描きたかったことがアメリカの現代社会、及び車上生活への問題提起ではないことは十分理解しているつもりです。ですが、負の部分をもっと強く描いてこそ、この作品の“社会から疎外された人々の生き方の選択の主体性“というテーマに、より一層重みと厚みを与えてくれたのではとも思ってしまうのです」という。

まあ、先ほどのコーラシェイカーさんの読みとも矛盾はしないけど、まあひとつ、見方としては全然妥当性があるような見方だな、という風にも思います。といったあたりで皆さん、メールありがとうございます。

■金銭に還元しえない、世界の本質的な豊かさに満ちた「リッチ」な映画

私も『ノマドランド』、先ほどもね、この時間の前に、何の話をしたんですっけね……TOHOシネマズ日本橋とTOHOシネマズ六本木で、見てまいりました。六本木にはパンフは置かないのかな? 置くところと置かないところがあるってどういうなんですかね? はい。で、とにかくでも、パンフが最初に作られていなかったとか、その置いてるところと置いてないところがあるとか、「なんかちょっと、アカデミー賞有力作にしては扱いが軽くございませんか 配給さん、もしくは東宝さんよ」みたいなところはあるけれども。

たしかにまあこの『ノマドランド』、主演のフランシス・マクドーマンドと、デイブという役柄、要するに旅先でちょっと、その主人公とちょっとだけ何て言うか、恋愛まではいきませんけどね、ちょっとだけ惹かれ合う感じのデイブ役、デヴィッド・ストラザーン以外は、実際にそのノマド的生活をしている、元のノンフィクションにも出てきている本物の「本人」たちばかりだし……ということなんですよね。要するに、ちょっと地味ではある。

ちなみにそのフランシス・マクドーマンドにしても、あくまでやっぱりその、市井の人の目線に寄り添えるというか、その中に溶け込める強さ、っていうのがあってこそのキャスティングだし。そのデイブ役のデヴィッド・ストラザーンの方もですね、主人公が軽く惹かれ合う相手だけがプロの俳優っていうのは、かっこいいとかなんとかっていうよりは、僕が思うに、いわゆる本物のノマドの人たちをキャスティングしてる中で、一目で「ここは通じ合う、ここは何か特別な絆がある」っていうことを、説明抜きで納得させる存在感ということで……そこがキャスティング的に対になってるっていうか、プロの俳優を置く、っていうことをしているという程度のことで。

なおかつ、そのデヴィッド・ストラザーンのね、その実際の息子さんが、息子役で出てきて。しかも息子さんとの距離感も、彼の実人生を反映しているということで。なので、ある種「本人」キャスティング、っていうところには、やっぱり変わりはあんまりないわけです。で、ちょっと地味でもあるし、当然きらびやかさとは正反対の、言ってみれば貧困層の暮らしが、特に派手な事件とかも起こらず……ちょっとこれ、ネタバレになっちゃうかもしれないけども、たとえばなにか痛ましいことや怖いことが起こるとか、そういうのでもなく、あくまでも淡々と描かれていく、言っちゃえばもう、はっきり地味な映画でもある。「小さな」映画に見える。

都内の東宝チェーンにしても、まあシャンテで単館上映とかが、本来の感じではたしかにある。しかし同時にこの『ノマドランド』。わかりやすいところではね、皆さん、メールに書いていない人はいないですけども、あの雄大な自然の景色。その美しさとかもそうだし、その、どれだけお金を積もうとも、これには敵うまい! というような、本当に世の中で価値のあるもの、豊かさ。たとえば、先ほどから言ってきましたが、美しい風景……それもただの美しい風景ではなくて、先ほどメールですごくちゃんと書いてありましたね、その時間経過、人間のサイクルを超えた、雄大な「時間」も含めたその風景の大きさ、みたいなことであるとか。

あるいは、それぞれにかけがえない人生を生きた人々との交流……これもやっぱり、実際にその人が生きてきた「時間」ですよね。その場面に映ってるよりもっとある、時間。つまりそれって、コスト還元できないじゃないですか。みたいなこと。とにかく、コスト還元できない、金銭に還元しえない、世界の本質的な豊かさに満ちた、とても「リッチ」な映画、というような言い方もできてしまう作品だと思うんですね。この『ノマドランド』は。

■原作ノンフィクションからクロエ・ジャオ監督はアメリカの本質そのもを外部の視点から浮かび上がらせる

そしてその、地を這うような、地味な、貧しい人の話でありながら、同時に、お金がいくらあっても、作り物で再現してどうこうっていうもんじゃないような、世界の豊かさ、美しさみたいなものに満ちてもいる、というこのバランスは、まさにこの本作の、テーマそのものでもある。作品のあり方がそのままメッセージにもなっている、っていう、これは表現のひとつの理想ですよね。要するに、表現されている形態がそもそもメッセージになっている、みたいな。そういう理想を、ひとつ達成している作品、という風にも言えると思います。

しかも、そこから最終的に浮かび上がってくるものは……というところで。もちろんですね、これは特にその原作のノンフィクション、日本では先ほども言いました、春秋社というところから『ノマド 漂流する高齢労働者たち』というタイトルで出ていますけども、そのジェシカ・ブルーダーさんというジャーナリストが自ら、その車上生活者たち、ノマドたちと生活を共にしながら浮き彫りにしていく、現代アメリカ資本主義の問題点、矛盾、みたいなことですよね。

まあそういった、要は社会の歪みに対する鋭い問題提起、みたいな面。特にその原作ノンフィクション、あと、それを元にした短編ドキュメンタリーがあって。実はこれが最初の映画化じゃないんですよ、この『ノマドランド』は。このジェシカ・ブルーダーさんがプロデューサーになって、短編ドキュメンタリーで『CamperForce』というのが作られていて。これはYouTubeでも見られるんで。短いんで皆さん、ぜひ見ていただきたいですけども。

そちらももうはっきり、そのアマゾンの職場、それでどういう労働条件であるか、みたいなところが中心に描かれていて。非常に社会批評的側面が色濃い……当然これ、長編映画版の『ノマドランド』も、背景のなんというか、大前提、現実的な大前提として、それはもちろんあるはあるんです。ただそこで、それこそケン・ローチ的なと言うのかな、社会批判みたいなところにいく、そっちが色濃くなっていくのではなくて(※宇多丸補足:社会批判が前面に出てくるタイプの映画作家の代表格としてここではサクッとケン・ローチを挙げましたが、言うまでなく彼はイギリスの監督です、念のため)。これはやっぱりクロエ・ジャオさんが、元はもちろん中国の方で、アメリカというものに対して一種、外からの視点というか、「アメリカってこういう国だよね」っていうちょっと引いた目からの……まあ憧れも批判的目線も、ちょっと引いたクールな目線というか。

だから僕らにも近いですよ。「アメリカ……ああアメリカだよね。アメリカ、よくも悪くもアメリカ」みたいな、そういう距離感。だから「うちの国がこんなになっていて恥ずかしい、許せん!」みたいなケン・ローチ的スタンスと違うのは、そういうクロエ・ジャオさんの立ち位置もあるのかな、と思うんですが。最終的にはアメリカという国の本質そのもの、魂そのものを、言っちゃえば外部の視点だからこそ、鮮やかに浮かび上がらせてみせてしまうような。

で、最終的には、もっと言えば僕は、この映画を見終わって感じたのは、さらにアメリカとかも超えて、その資本主義文明のその果て、その先、未来の行く末、みたいなところまでを見据えてしまうような、そういう実は途轍もなくデカく長く広い射程、普遍性を持った……これは結構やっぱり映画として、すごくとんでもないものができているんじゃないかな、という風に僕は考えております。

■デビュー作から前作『ザ・ライダー』と、一貫した作家性を持つクロエ・ジャオ監督

そして、そこまでの領域に本作を持っていったのはやはり、脚本・監督、そして編集のクロエ・ジャオさん。これの才能……割と独特の才能ですね。独特な作風、というところによるところが大きいんじゃないかと思います。当番組的にはですね、201965日に、映画ライターの村山章さんが、クロエ・ジャオの長編二作目……フランシス・マクドーマンドもこれを見てヤラれたという、2017年の作品『ザ・ライダー』を、当時はアマゾン・プライムで見られたというね、今はネットフリックスとかにも入ってますけど、それをご紹介いただいたのが最初で。

これはね、やっぱりS・クレイグ・ザラーといい、村山章さんの目利きぶり、もう間違いない! ちょっと村山さん、最近映画の話を聞いてないから、聞かないと。早く村山さんを呼んで。これね、この『ザ・ライダー』はどういう話かというと、頭に大怪我を負った、ロデオ・ライダーなんですけども、ロデオへの情熱を諦めるかどうかの瀬戸際に立たされた青年が、生まれ育ったその西部の風土に色濃い、言わばその「男らしさ」の圧力から、自ら「降りる」決断をする、という……しかしそれでも残る、真のアイデンティティーを再発見しようとする、というような、そういう話で。これもプロの俳優ではない、その人「本人」たちがですね、半ばドキュメンタリー的に、彼らが生きる世界を本当に生きてみせる、というその独自の演出、ストーリーテリングのスタイル。

しかも、それをサポートし、実現してみせるカメラマン、ジョシュア・ジェームズ・リチャーズさん。このコンビネーションも、実は一作目と、一個前の作品『ザ・ライダー』、今回の『ノマドランド』で、全部一貫してると。ちなみにパンフでは、このカメラマンのジョシュア・ジェームズ・リチャーズさんのところが、「原作」ってなっていて。これは誤字ですね。急いでパンフ、作ったのかな?(笑) あるいはやはりね、アメリカ中西部、そのそれまでの暮らしから「降りる」ことを余儀なくされた人々が、それでも現代のフロンティアとして、「その先の世界」を生きていこうとするという、まあ「ビヨンド西部劇」とでも言うべきスタンスというか。

アメリカ論的なその視点みたいなところまで、やはりこのクロエ・ジャオさん、2015年の長編デビュー作『Songs My Brothers Taught Me』という……これ、僕はこの現時点では予告しか見れてなくて、申し訳ない。ちょっと予告とあらすじしか把握してないんだけど、それと、さっき言った2017年の『ザ・ライダー』、2020年の『ノマドランド』と、本当にもう完全に一貫した、明白な作家性というのを持っています。(MCUの新作となる)四作目は、はっきり変わることがもう明らかになってるわけなんですが。

たとえばこの『ノマドランド』主演のフランシス・マクドーマンドは、ごく小規模な撮影隊と共に、実際に州を跨いで、車中生活やその短期労働もね、お仕事なんかも実際にやったという。原作のノンフィクションにも登場する、定住地を持たず、その車中で暮らす高齢の労働者たち……これはだから、原作に出てきた人、特にリンダさんっていうメガネをかけた方、リンダさんは、原作では彼女の人生の変遷がメインに描かれている、まあ言っちゃえば原作における主人公的存在だったりするんですけど、まあそのリンダさんであるとか。

あの「話しかけるな」マークっていうかさ、「話しかけるな」っていうのを示す、「Don’t Disturb」を示すあのドクロの旗とか、あれを本当に掲げていたというあのスワンキーさんっていう方……彼女が話す言葉がまた、作品全体に、大きな大きな意味を持ってきたりもしますが、その彼女であるとか。あとはやっぱりね、あのボブ・ウェルズさんっていう、要するにラバー・トランプ・ランデブーっていう車中生活者たちのコミュニティーの、リーダー的な存在であるとかという。

ちなみにこれ、そのノマドたちが、この劇中でも1人だけ黒人の女性が出てきましたけど、基本的に白人ばかりでしょう? で、それがなぜなのか?っていうのも、原作に書いてあって。これはまあ、考えてみればなるほどっていうか。言っちゃえば、この暮らしができるのは、白人の特権のうちなんですよね。つまり、分かりますね? Black Lives Matterで何が問題になっているか? あんなことをやってたら、黒人はとてもじゃないけど、生きていけないわけです。はい。

というような、実はだから、ああいう暮らしができる人は、それでもやっぱり恵まれてる、という言い方ははっきりできたりもすると思うんですけども。まあいいや。

■ドキュメンタリー的側面と同時に一種神話的な普遍性を感じさせる物語

そんな感じでね、彼らのコミュニティーに、フランシス・マクドーマンドは実際に馴染んで、その一員となって撮影を進めていったと。で、どれだけフランシス・マクドーマンドが馴染んでいたか、というと、これはインターネット・ムービー・データベースのトリビアに出てた話で、「本当かよ?」と思ったんだけど、あのボブ・ウェルズさん、さっき言ったそのおひげのサンタクロースみたいなおじさんが、後半、そのフランシス・マクドーマンド演じるファーン……このファーンという名前からして、実質「本人役」の一種なんですよね。さっきのデヴィッド・ストラザーンが「デイブ」っていうのと同じで。

やっぱり本人が投影された役なんだけど、そのファーンが後半、それまでの人生にあった、ある吐露をするわけですよ。心情の吐露を。「こういうことがあって……」って吐露をする。そのシーンの撮影まで、ボブ・ウェルズさんは、彼女が俳優だと本当に知らずにいた、っていうんですよ。どんだけ知らなかったかというと、そのカメラが回った後、その告白のシーンを撮った後に、個人的に、「いやー、こんな大事な話をしてくれて、本当に……まあ、でもきっと大丈夫だからさ」って、心配してフォローしてくれたっていう(笑)。で、慌ててフランシス・マクドーマンドが、「いや、実はあの、私、俳優で……あの、旦那も元気で生きていまして」みたいな(笑)。という話があるぐらい、っていうことらしいんですね。

なのでこれは、414日のカルチャートークにお越しいただいた俳優・片桐はいりさん、最近の「演技のプロではない、本人キャスティング物」の演技の質をどう判断したものか──まさにこの『ノマドランド』もそうだけど──という問題を提起していただきましたけど、それに対する、ひとつの回答ではあると思うんですよね。つまりクロエ・ジャオ監督作、特に今回の『ノマドランド』はそのトーンがすごく、より今までの二作よりも強めなんですけど、半ばドキュメンタリーでもあるような、そういう撮影の進め方をしてるわけです。

つまり、そこにはひょっとしたら、社会的な弱者とされる人々にスポットを当てる際に、そのプロが、そういう人たちの「マネ」を仕事としてやっておしまい、という構図を、あんまりしたくなかったとか、そういう矜持があるんじゃないか? 一種、ドキュメンタリー作家的な矜持があるじゃないか、みたいな気もするんですが。まあとにかくですね、せっかく買ってきたんで活用しないともったいないんで……買ってきたパンフにもある通り、その「クロエ・ジャオの即興的とも言える演出・撮影・編集を経て作られていった」というこの『ノマドランド』。ただし、「じゃあ、ハナからドキュメンタリーとして撮ればいいじゃん」っていう意見も出てくると思うんですけど、それとも違うんですよね。

意外と実はしっかり、物語構造があるんです、この『ノマドランド』は。それを持ってもいて、それはおそらくクロエ・ジャオさんの、そのドキュメンタリー的素材をストーリーとして再構築していく、作品構築力の的確さ、すごさ、っていうのがあるんですよ。なのでその意味で、彼女が編集賞にノミネートされてるのは、マジで納得、ってことなんですよね。編集がすごい映画でもある。

とにかく、それゆえにそういう、要するにドキュメンタリー的素材を使って、でもそれを物語として再構築して、その構築度が高い、という構造ゆえに、さっき言ったような現実的、直接的社会批評、社会批判と同時に……いわゆるドキュメンタリー的側面と同時に、一種神話的と言っていいような、普遍性を感じさせる物語、要するにフィクション的な側面を両立させてもいる、という、なかなかすごいことを、クロエ・ジャオ的なやり方でしでかしているわけですね。

■一見散文的ながら実は緻密に組み上げられた物語

なのでこれ、皆さん最初にね、たぶん特に1回目を見ると、序盤とか、要するに一見散文的な、直線的に進んでいくストーリーがないような映画に見えると思うんですよね。「なに、なに? これ、どこに行くのかな?」って。まさにさまよってるだけ、のように見えるのかもしれない。そういうエピソードの連なりがあったりする。あるいは、登場人物たちの、取り留めもないやり取りが続いているようにも見える。ところが、そういった11個のエピソードの連なり、登場人物たちのさりげないやり取りが、実は長い目で見ると、つまり映画が終わってみると、たとえば主人公ファーンの目を通してのその、現代ノマドライフ案内……つまり、しっかり飲み込みやすく、要点が整理されて順に提示される現代ノマドライフ案内にも、当然なってるし。

だから最初にノマドライフ、何も知らない状態から入っていく、というその目線が必要だったわけですよね。だし、それと同時に、映画冒頭でね、その2011年に実際にあった、要するに街が丸ごと消失してしまうほどの……企業が1個撤退したら街が丸ごと消えてしまうほどのそういう不況のあおりを食らって、全てを失った彼女。これ、ちなみにその全てを失って、タイトルが出る直前の、あのシーンのあの寄る辺なさ……と同時に、どこかユーモラスで人間臭くもあり。まさにあれはね、フランシス・マクドーマンドならではのオープニングですよね。あれが、あのバランスでできる人は、他にいませんよね。やっぱりね。

ということで、それは同時に、映画冒頭で示される、彼女が全てを失った状態……で、ノマドライフを通した様々な経験から、自分の人生を再び自ら選び直す、という、まあパンフにあるそのクロエ・ジャオの言葉を借りるならば、「あなたを定義しているものを失った時、あなたは自分を取り戻せますか?」という、そういう問いに自ら答えてみせるまで、という、まあもう、すごいちゃんとしたその心の旅。要するに、全てを失った後に、それでも残るもの。真のアイデンティティーにたどり着くまでの心の旅という、大変普遍的な物語としても、実ははっきり、意外と緻密に……まあちょっとしたセリフ、それと呼応した後の展開、まあ言っちゃえば要は伏線回収的なところまで含めて、意外と緻密に組み上げられていて。二度見ると、すごいそれがよくわかるんですけど。ああ、すごい物語としても緻密だ、みたいな。

たとえば、ラスト近く。まさしくその、資本主義文明の残骸、あるいは彼女のそれまでの人生の名残とでも言うべき、人気の全くない廃虚、廃屋。そこから彼女が、踏み出していく先とは……という、まさにこの映画の着地、行く先というのがですね、実はそのずっと手前の方のとある会話としっかり呼応しあった、お話としても実に筋の通った展開なんですよ。二度見ると、「ああ、だからこの終わりなんだな」っていうのすごくよくわかるようになっている。

■ローカルでありながら普遍的。リアルでありながら神話的。悲劇でありながらユーモラス。

言うまでもなくですが、フランシス・マクドーマンドの、先ほどのね、タイトル手前のシーンもそうですけど、頑固なようでいてお茶目、な個性っていうのが、ノマドたちの中にドキュメンタリー的に溶け込みつつ、実はやっぱり映画全体を終始、言っちゃえば「楽しい」ものにしているっていうのも、間違いない。ちゃんとエンターテインしているのは、フランシス・マクドーマンドのおかげ。たとえば序盤ね、なんか主人に置いていかれた、かわいそうなワンちゃんがいますね。で、それは当然、その企業に去られて生活基盤を根こそぎ失った、ファーンたちの姿と重なる。

あのワンちゃんはファーンたちそのものでもあるわけだけど、そのワンちゃんを、ファーンが一瞬だけフッと撫でて、パッと横に……飛び跳ねるように、フッと撫でて、パッと横に行くわけです。もうこれだけで、なんかおかしいし、この人物のチャームみたいなのが見えてくる。これはやっぱりね、これはさりげないところだけど、こういうところにやっぱり、フランシス・マクドーマンドのうまさであり、彼女だからこの作品が成り立っている、っていう感じが出てるんじゃないですかね。

要所要所ですごくクスッとなったり、笑っちゃったりするところがいっぱいある。これはもう本当にフランシス・マクドーマンド力。あとはね、ここぞ! というところで流れ出す、ルドヴィコ・エイナウディさんという方の劇伴も、まさに「適温!」という感じで素晴らしいんじゃないでしょうか。ローカルでありながら普遍的。リアルでありながら神話的。悲劇でありながらユーモラス。非常に豊かな幅を持った世界であり、映画ということ。

アカデミー賞の先行きは読めないけど、そういう意味で作品賞にふさわしい……特にやっぱり「アメリカ映画論」、もっと言えば「アメリカについての映画」として、突出したものがあると思います。クロエ・ジャオ、次に撮るのはマーベル・シネマティック・ユニバース最新作『エターナルズ』。想像つかねえわ!(笑) そういうのも含めて……あとね、これはちなみに風景の中に、「その只中にいる」感じを体感すると、やっぱりよりグッとくる作品なので。これは絶対にスクリーンで見るべきですね。ちなみにパンフが現状売っているのは、新宿と日比谷ですってー(笑)。ぜひぜひ劇場でウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 来週の課題映画は『街の上で』です)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。