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宇多丸、『あの子は貴族』を語る!【映画評書き起こし 2021.3.19放送】

アフター6ジャンクション

TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

今週評論した映画は、『あのこは貴族』(2021年2月26日公開)です。

オンエア音声はこちら↓

宇多丸:

さあ、ここからは私、宇多丸が、ランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する、週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのは、2月26日から劇場公開されているこの作品、『あのこは貴族』

(曲が流れる)

これ、あれですね。渡邊琢磨さんっていう方による音楽。これが全体をね、オープニングから最後に至るまで、1本、筋を通していて。これも素晴らしかったですよね。

山内マリコの同名小説を映画化。東京生まれの箱入り娘・華子と、富山から上京してきた美紀。同じ都会に暮らしながら、全く違う生き方をしてきた2人が、それぞれの人生を切り開こうとする姿を描く、ということです。

主な出演は、華子役の門脇麦、美紀役の水原希子。その他、高良健吾、石橋静河、山下リオ、高橋ひとみなどが脇を固める。監督は、本作が長編2本目となる岨手由貴子さん、ということでございます。

ということで、この『あのこは貴族』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)を、メールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は「とても多い」。ありがとうございます。賛否の比率は、7割以上が褒める意見。熱量の高い絶賛メール、また女性からの感想も多かったです。

主な褒める意見としては、「今年ベスト。いや、人生ベスト。ついに日本からも女性たちの連帯を謳うシスターフッド映画が現れた」とか、「誰かを一方的に断罪するのではなく、それぞれの不自由さを認めた上で、そこからの解放を描く優しいまなざしに感動」などがございました。一方、否定的な意見としては、「お金持ちの描写がややステレオタイプでは?」とか、「田舎に住んでいる自分から見ると、主人公たちの行動や境遇も全て他人事に見えてしまう」などがございました。

■「私はこういう映画を見たかったんだ」byリスナー

というところで、代表的なところをご紹介しましょう。ラジオネーム「りんりんりんご」さん。女性の方。「私はこういう映画を見たかったんだと強く感じる傑作でした。すごく正直なことを言うと、昨今の女性を中心に据えた映画をすごくそれぞれが素晴らしいことと思いつつも、『また女性の物語が商品化されていくのかな?』と頭のどこかで思っていました。でも今作は他の作品と同じようなメッセージを抱えつつも、女も男も、そのどちらも非難するわけではなく、でも簡単に許したり、感情的にドラマティックにもしない。この距離感が素晴らしいと思いました。

あとは、田舎育ちの私としては、田舎の小さいコミュニティーも富裕層のコミュニティーも保守的で同じようなことをしているというのがとても腑に落ちるところでした。私は今、33歳で高校生まで地元にいたのですが、映画序盤の華子の親族の会食シーンでの会話が盆正月の親戚一同でも食事の時にも聞いたことがあるような内容だったからです。誰がどんな仕事をしている。誰と結婚して、誰が離婚して……話の中に出てくる仕事の階層は違えども、大人たちの会話を聞きながら『私もこの大人の中に入るの? 絶対に出ていってやる』と思っていました。好きなシーンは言い尽くせません。

ひとつひとつのセリフや目配せが雄弁にその役の人柄やその場での立ち位置を表わしていて、本当に俳優さんってすごいと思いました。東京タワーやパーティーでのマカロンのタワーなどを使って、階層やその人の立ち位置を表わしているところも好きだし、最後には華子は下でも上でもないところに自分で選んで佇んでいます」。たしかに! 階段のね、中盤のあたりに佇んでいる、というかね。「これから原作を読んで、少しずつ味わっていきたい作品でした」。ああ、だとすると原作との、このなかなかの差異もね、面白いあたりだと思いますよ。

で、ですね、いろんな……たとえばですね、「オルフェの遺言」さんはもう、ご自身の生涯と重ね合わせて。「もうこれは完全に俺の話だ!」なんていう感じになったっていう。この方も、「岨手監督の演出は悪役として描きやすい、そしてあえて弁護することで作り手の公平性をアピールしやすい彼ら貴族に対してすら、適度に距離感を保ち、それでいて優しい目線を投げかけています」なんてことを書かれています。この方は要するに、かつてそういう慶応幼稚舎出身の貴族側のお友達に親しくしてもらった時、「金持ちなんだから嫌なやつだろう」と思ったら、とてもいい人たちで(笑)、それに対していろいろと思っていた思いというのが、この作品を見て解かれた、なんてことを書いていただいております。

一方、ちょっと否定的なご意見ご紹介しましょう。「ブーブータンソク」さん。こちらも女性です。「とても丁寧に作られた、とてもいい映画だと思います。何度も彼女たちの関係に救われ、明るい気持ちにもなりました。しかし、どうも喉に小骨が刺さったようなままなのです。それは、私が東京に住んだことがないからでしょうか。あの映画の中で私は地方の同窓会に参加している1人です。美紀が馴染めなかった世界で、私は地元を出ることもできずに過ごしています。

美紀と華子が出会えたこと。それはとてもよかったのだと思うけども、2人が目を背けた人が私で、同じようにアフタヌーンティーをする人たち。華子にコンパを用意してくれる人。そこにくる男性。たしかに合わないかもしれない。合わないかもしれないけど、決して悪い人たちじゃなく、彼女たちが1歩、前に進む手段として『閉ざす』という作業しているようにも見えるのです」。合わない人たちを「閉ざす」ことで前に進んでいるんじゃないか、という。

「合わないと思っていた人の一面を見て、理解しあえなくても尊重し、それぞれの道を行く『ブックスマート』のような距離を詰めてこそ見える何かを拒否しているように思えました」。まあ、『ブックスマート』はちょっと、一種ファンタジーみたいなところもあるからね。ちょっと比べるのもあれかもしれないが、わかります。「わざわざそんなことはしなくても、共鳴しあえる誰かに会って前に進んでいける。東京はその可能性がある場所なんだなと思うのと同時に、人の数も町も文化も半分、そのさらに半分の半分しかないところで生きていると、2人の関係をどこか冷めた目で見てしまいました。あと本命と浮気相手を引き合わす女友達って、よくいる! 石橋静さんが演じているのでまだなんとか見ていられますが、『合うと思って』じゃないよ!みたいな。この話は長くなるので割愛します」というようなメールでございます。

あとね、これもちょっと割愛しながらご紹介させていただきますが。ラジオネーム「ふわふわタイム」さんは、ご自身が結構、政治家家系、それもかなり大物政治家をいっぱい輩出しているような、まさに劇中で高良健吾さんが演じていらっしゃる方のご家系に近いような事情なんだけども。劇中で描かれているような、すごく保守的でガチガチで……みたいな家風は、少なくとも自分の家は違うし、周りもそんな前時代的なのはさすがにちょっとなかったけどな、という。だから、その「政治家の家族」というのが、こうやってステレオタイプに描かれてしまうのかな、といあたりを、このふわふわタイムさんは残念に思われた、というようなことを、ご自身のあれに照らされて仰っている。

一方では、ラジオネーム「うまうま」さんは、「西日本で約200年続く商家の本家筋に男子として生まれ」……要するに、その人生がほとんど決められた状態で、というのはすごくわかる、という。こっちの方、うまうまさんは、劇中の描写が非常にリアルというか、わかります、というようなことを書いていただいております。ということで、端折りながらで申し訳ございません。皆さん、メールありがとうございました。

■「映画やドラマに出てこない文化」を描き、日本社会の成り立ちそのものが浮かび上がってくるような一作

私も『あのこは貴族』、ヒューマントラストシネマ有楽町で2回、見てまいりました。かなり人、入ってましたね。公開3週目にしてこれは、やっぱり評判が広がってるってことなんでしょうかね。

山内マリコさんの小説の映画化でございます。山内マリコさん、この番組でも若尾文子特集でお世話になりました。まあ山内さんの小説が映画化されるのは、これで3本目。最初が、2016年の『アズミ・ハルコは行方不明』。これ、「週刊文春エンタ!」の星取表でも扱わせていただきました。続いて2018年、『ここは退屈迎えに来て』という。これ、どちらもですね、作品としてのタッチはそれぞれ全然違うんだけど、やはり共通して、現代日本の地方に生きる、もしくは地方出身の、特に女の人たちの抱える鬱屈や抑圧、そしてその中で生じるゆるやかな連帯、まあシスターフッド的な連帯とささやかな輝き、といったような……当たり前だけど当然これらの映画も、山内マリコさん原作ならでは、の映画になっていたと思いますけど。

今回の『あのこは貴族』は、これはもちろん、2015年に小説すばるに連載されていて、翌年に単行本化されたこの原作からしてそうなんですけど、さっき言ったような山内マリコさん的なメインテーマ、地方に暮らす女性の話というのを、今度は東京側からも照射してみせるというような……つまり、「地方問題」とか、あるいはその「女性差別問題」というものがあるとしたら、それはそもそも、たとえば東京側の、中央集権問題、中央に集権しすぎ問題とか、当然、男性中心主義の方の問題っていう、要するに、その現に権力を手にしている、あるいはその過剰に、不当に利益を得ている側の問題であって。

ということで、この『あのこは貴族』はそういう、たとえば格差とか差別とかの構造に丸ごと、その構造全体にスポットを当てることで、現代日本社会の成り立ちそのものを……話そのものは個人の話なんだけど、社会全体の構図がちょっと浮かび上がってくるような、そういう、山内マリコさんの小説としてもちょっとネクストレベルに行ったような一作、という言い方をしてもいいかなと思うんですけども。で、特にやっぱりね、日本社会はというか、日本社会「も」というか。

とにかく格差社会というのが昨今、問題として見えやすくなってきてるのはたしかだけども、実のところは、もうずーっと本当は変わらず、日本は「階級社会」だったんですよ、実は……という事実を、まさにその上流階級側、もっと言えば、ごくごくひと握りの支配層側みたいなところに、しかし彼らからすればごくごく普通の世界でもある、ということとして描いてみせたあたりが、とても意義深いし。まして、それがきっちりと映像作品化されるっていうのは、なかなか本当に画期的なことじゃないか、という風に私は思います。

というのは、基本そういう本当の、代々の金持ち一族みたいなのは、たとえばメディアにヘラヘラ出てきたりしないんですよね。あんまり可視化されない、っていうところがあって。だからこそ、支配が続けられるのかもしれない。まあ劇中のセリフ。ほんのさりげなくだけども言っているそのセリフが……ちょっとオフ気味に、落ち気味の瞬間に言うセリフなんだけども、「映画やドラマに出てこない文化というのもあるのよ」って言いますよね。はい。まさにそれを描く作品、ということですよね。

■原作小説の構造やテーマを捉えつつ、生身の役者が起こすマジックや映像ならではの心理表現も達成

ともあれ、その原作小説の『あのこは貴族』。山内マリコさんご本人に直訴して映画化に踏み切って、その脚本・監督を手がけた、これが長編二作目となる岨手由貴子さん。自主制作映画界では2000年代半ばから活躍し評価されてきた方ということなんですけど、僕は本当に不勉強で申し訳ない、このタイミングでは、その2015年の長編デビュー作『グッド・ストライプス』という作品しか拝見できていなくて。これ、申し訳ないんですけども。

少なくとも、今回の『あのこは貴族』と並べてこの『グッド・ストライプス』を見ると、たとえば「住む世界が違う」者同士……経済的な格差だけじゃなくても、まあ「バイブス」でもいいですよ、その「ノリが違う者」同士でもいい、とにかく住む世界が違う者同士、パッとその場で会った瞬間に、あるいは一言二言、それ自体はなんてことのない軽い会話を交わしただけで、ものすごい、埋めがたい断絶がそこに横たわっていることが、直接的ではないのに、明らかにはっきり浮かび上がってきたりとか。

とにかくそういう、「それ自体はなんてことのない」「直接的ではない」日常的な描写から、なにか決定的な心理の動きだったり、その人の立ち位置だったり、キャラクター性だったり、なにか流れが変化する、っていうことを表現しきれる、という。そういう、岨手監督ならではのうまさ、みたいなものがですね、明確に、この2本を並べて見るだけでも見えてきたりしましたね。ということでこの、脚本・監督の岨手由貴子さん。山内マリコさんのその原作小説の、基本的な構造とか、もちろんそのテーマ的な展開や着地というのはしっかり忠実に映画に置き換えつつも、同時に全編に渡って、生身の、現実の役者、人間が演じているからこその化学反応、マジック、というのを生かしていたりとか。

あるいは、映像ならではの心理描写、あるいは比喩描写とか。あるいはその、実際の家屋……さっき、(金曜パートナー)山本(匠晃)さんともさんざん、話しましたけども。実際の家屋であるとか、身につけているものたち……持っている傘の種類とかも含めて、もしくはその階層の人たち、階級の人たちが本当に身にしみているであろうその所作、振る舞いであるとか、みたいなものが、もの言わずとも豊富にたたえている情報性。だからもう画面にそれが映るだけで、「はい、これはこういうこと」っていう風に、情報がいっぱい入っている。などなどですね、要は全部ひっくるめてやっぱり、「映画ならでは」の表現、アレンジっていうのをこれ、見事に成し遂げてると思います。岨手監督は。

たとえば冒頭、門脇麦さん演じるその華子という女性が、タクシーに乗っているわけです。家族との正月の会食に向かっているわけですね。これ、原作小説とも同じ始まり方なんだけど、この映画版ではですね、今言った「タクシーに乗っている華子」というのがですね、非常に象徴的に、繰り返し出てくる。

つまり、華子という人が歩んできた、受動的な、守られた、リッチであると同時に「閉じた」ライフサイクルというものを象徴する舞台として、タクシーっていうものが、要所要所に出てくる。たとえば、高良健吾さん演じるその幸一郎という、要はお見合い相手として大当たり!って思って、で、珍しく浮かれてというか、恋に落ちちゃったんでしょうね、その華子がタクシーに乗りかけた、帰りかけたところで、珍しく自らの意志で、「再会したい」という意思を伝え、快諾を得た、というところで、タクシーのドアがバタン!と閉まるわけですね。だから、あたかも彼女の人生は……すごく今、いい恋愛の始まりのはずなのに、なんか決定的に「閉じた」感じがする、みたいな見せ方をしていたりとか。

もちろん、終盤。この映画のある種のクライマックスと言っていいでしょう。その幸一郎との結婚を通して、まさしく人生丸ごと囚われてしまった状態、っていう華子。非常に絶望してるような状態の華子が、やっぱりタクシーの中から、街を傍観者のように見ていると、そこで見かけたその人は……そこから華子、タクシーの中にいる華子は、どう行動するか? やはりこのタクシーという装置を、極めて象徴的に機能させている名場面があったりするわけです。ということだったりとか。

「僕は、雨男なんだ」寂しそうに言う幸一郎から滲み出る、底知れない諦観と哀愁

あるいは同じく、映画オリジナルの要素で言うと、たとえば「雨」っていうのもありますよね。高良健吾さん演じる、実はその日本の支配層というものに属すると言っていいような上流階級の、跡取り青年、幸一郎という。これ、原作小説ではこのキャラクター、もちろん最終的な着地の本質というのはこの映画版とも同じ、近いところなんだけれども、もっとね、最初から取り付く島がちょっとない感じの、どこか冷たい、酷薄さを感じさせる人物として、割と終始描かれているんですね。原作小説では。

なんだけど、これはたぶん高良健吾さんのにじみ出る人柄、というのをむしろ生かした結果なんだと思うんだけど、なにひとつ欠けるところのない立場にいる男性であるはずなんだけど、幸一郎は、そこにはやっぱり、「自分で自分の人生を選ぶことがハナからできない存在」としての、ちょっと底知れない諦観とか、哀愁みたいなものが……そして、それゆえのチャーム、「ああ、なんかこの人、人間くさいかも」っていうチャームが、うっすら見え隠れする。

それを、「それ自体はなんてことのない」「直接的ではない」描写の中から、浮かび上がらせる。さっき言った岨手さんの得意技ですね。というのがまさに……「僕は、雨男なんだ」っていうことを、なんかちょっとそこだけ寂しそうに言う、っていう。で、この「雨」というのは繰り返し、出てくる。最初のお見合いのシーンも当然、雨。結婚式当日も、雨。そして、これはね、僕この映画のオリジナルのシーンですごい好きなシーンなんですけど、その幸一郎と水原希子さん演じるその時岡美紀さんという人が、2人だけの、おそらくは互いに気を使わずに心許せる唯一の、2人にとっては大切な場所だったのであろう、寂れた中華屋で。

特に、その中華屋が2回目に出てくるシーンで……雨水がポタポタと垂れる傘。外には降りしきる雨。そこで、たしかに何の生産性もなかったかもしれないけど、でも「何か」では(あったのであろう2人の関係性)……友情の・ようなものなのか、わかんない何か。そして、その2人の友情の・ようなものの果てにある、「最後の青春」のようなものの幕引きが、そこで行われる、という場面で。僕、特に2度目に見た時はやっぱり、その幸一郎というキャラクターのちょっと哀れさみたいなところを意識して見ていると、ちょっとここ、泣けてしょうがなかったですけどね。

ということでつまり、幸一郎、権力がある男が、一方的な搾取者としてどっちかというと描かれていた原作小説のこの鋭さとは、また違うもの……男性側もまた、その男らしさの継承というものにちょっと疲れてる、っていうか。まあ昨今のフェミニズム的なメッセージを含む作品にはわりと、「男もやっぱり幸せじゃない」みたいなことが描かれますけど。そこともちょっと共通する部分があるようなバランスになってるかな、と思います。

で、それを超えて、さらに言えば、それでもやっぱり「人と人」なんだから、ってことですね。そういう男性……その加害性を持っているけども、でも人だから、っていう。そういうたしかな人肌、生身の体温のようなもの、それがこの映画版の『あのこは貴族』の、大きな魅力になっていてですね。たとえばこれ、パンフに書かれている門脇麦さんのインタビューで、これは監督の現場での指示だったっていう風に明かされてますけど。

あのね、石橋静河さん演じる……これ、本当によかったですね。石橋さんの演技も含めて。その華子の友人のバイオリニストの逸子さんという人が、パーティーの会場で、マカロンタワーから、周りを気にしながら、1個、マカロンを取って食べつつ……っていうあのくだり。たしかにあの、そのマカロンを食べながらの、その後のちょっといたずらめいたワンアクション込みで、その逸子という人がどういう人なのか、一発でわかるし。そして、観客と同じくそれを脇からこっそり見ていたその美紀さんが、「あの人、好き!」ってなるのも、これはもう納得。これだけで飲み込ませる、っていうのも見事ですし。

■メインテーマは「自分の人生」を取り戻して、生きることができるのか?

逆にね、たとえば序盤。次から次へと登場してくる、もう出てきた瞬間に「ああ、こいつはダメだな」ってわかる男たち(笑)。その「一発でわかる」ディテール描写のたしかさですよね。しかもこれ、大事なのは、観客の視点がちゃんと華子と一致しているから、「ああ、ダメだ」と思うんですよ。たとえばあの「大衆居酒屋で愉快にしゃべる関西弁の男」って、別にシチュエーションとか視点によっては、何の問題もないんですよ。彼が悪いわけじゃないんですよ。華子の視点に(作品が)ちゃんとなっているから、ダメだ!っていうのを、ちゃんとしたバランスで描いているというね。これは見事ですよね。

もちろん、あの現代版『細雪』とでも言いたくなるようなね、あの冒頭の会食シーンから始まる、上流家庭の生活描写、そのディテール。我々は知らんけど……なそのリアルっぽさ。たとえば、あそこの会話はすごく巧みで。「毛皮っていうのはもう今はダメなんですってよ」っていうところの、要は現代の価値観にアップデートする気は一切なし! な……それを「毛皮」というワードから示す、とかも上手いですしね。あとはやっぱりその、華子が、青木家に初めて顔見せするくだり。要は、部屋に入るところから着席するまでの作法さえ、おそらくはジャッジされている、という。まさにこれ、映画ならではの緊張感の部分。

あと、個人的に感心したのは、先ほど山本さんにも言いましたけど、その榛原家という、門脇麦さん演じる華子ちゃんのお家の、台所とかの作りとかも含めた、「これはちゃんとした……いきなりの金持ちじゃない、代々の金持ちなんだな」っていう描写の細やかさ。逆に、もちろんこれは山内マリコ作品の十八番の部分ですけども、富山県のね、その実家描写、田舎の実家描写。たとえば、その美紀さんが帰宅後すぐにはきかえるジャージの……あれはもう高校生の頃のやつそのまんまのジャージ(笑)、あの実家感ね。

とか、あの同窓会でイキり倒している土建屋三代目のあの話し方。「えっ? えっ?」っていう、あのイキり(笑)。で、あれに対して……「俺みたいに正直なのは珍しいだろう?」っていう、そこに対する美紀の返しも最高!っていう感じですけども。まあ、いずれにせよ、自分たちが生まれ育った狭い輪の中で、閉じたライフサイクルを送っている……美紀さんの言葉を借りるなら、「親の人生をまんまトレースしているだけ」っていうサイクルに、地方も東京も、もっと言えば我々全体、基本的にはまあ誰もがそこで生きてるわけです。そこで頑張っている。

そういう生まれついての磁場から飛び出して、「自分の人生」を取り戻して、生きることができるのか?っていうのが、言ってしまえばこの『あのこは貴族』のメインテーマであって。これね、まずその門脇麦さん。基本、受動に徹するこの難役を、完璧に演じていらっしゃって。これが見事というのは言うまでもなくですし。その意味で対照的、要するに本来、対立しかねない立場でありながら、むしろ共鳴していく美紀役。これ、本当に水原希子さん……水原希子さん、もう完全に最高打点というか、水原希子さんの最高傑作がひとつ、出たなと。

あの化粧っ気がない状態とか、くすんだ状態さえも……っていう。あと、彼女の1人暮らしの部屋の、いろんなディテール。大学の時に持ってたトートバックがちゃんと壁にかかっている、とか。彼女が、自分の歩んできた道のりをちゃんと、ささやかながらも誇りを持って生きている感じがする、あの部屋の佇まいさえ、感動的。高良健吾さん、先ほどから言っているように、悪役になりかねないところを、ちゃんと原作にはないその弱さ、繊細さっていうものも描いて。これも本当に見事でしたし。

■万人にエールを送る射程を獲得した、これは大傑作!

石橋静河さん、山下リオさんという、要するにある意味、もう「外」に意識が最初から向かっている2人という、この2人のなんというか、いきなり「友達になりたさ」。で、ちなみにこの友達……女友達というものを示すのに、今回、すごく映画的に象徴的に使われているのが、「2人乗り」っていう。で、その2人乗りというのが最後、クロスするところで。その門脇麦さんが最初に差していた傘。フルトンのね、あの高級な傘を差していたのが、ただのビニ傘になっているんですけど。しかも傘っていうのは、さっき言った、雨というものとかかっていますよね。

それが、さっき言った女性同士の友情を示す2人乗りと……しかも道を隔てて、反対側に進む、世代も立場も進んでいく道も違う人たちと、でもなんというか、エールを送り合う、っていう。それでいいじゃない、っていう。これを、絵面だけで納得させる。テーマ性を。このね、岨手さんの手法、手腕たるや、驚くべきものだと思います。

といったところでですね、もちろん格差社会、そしてシスターフッド物など、いろんな切り口がありますが、最終的にはわりと万人にエールを送るような射程を獲得している、この映画版。正直僕、岨手さんの手腕も含めて、大傑作! という言い方をしていいんじゃないかな、っていう風に思いました。ぜひぜひ劇場でウォッチしてください。

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『トムとジェリー』です)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。